みんなのシネマレビュー |
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281. きみと、波にのれたら 《ネタバレ》 例えば『世にも奇妙な物語』の一篇だと言われても何ら違和感はありません。よくあるタイプのファンタジーラブストーリーです。ただし、俳優を使って映像化しても本作の魅力は再現できないと思われます。アニメの『特性』に、実写が太刀打ちできない要素があるからです。それは『リアリティの消去』。ちなみに、リアリティ放棄を良しとする漫画・アニメ作品の実写化がことごとく失敗するのは、生身の人間が発する『リアリティ』が邪魔をするからです。 本作を語る上でも『リアリティの消去』はキーワードになると考えます。例えば水溜まりを走行する大型車。毎度毎度、主人公は大波を受けてずぶ濡れです。でも実際は、水溜まりを徐行しない運転手などいません。港くんのキャラクターにしてもそう。イケメン公務員で料理が上手くて努力家でバリスタスキルバリバリで、将来の夢や希望も持っていて、欠点などありゃしない。あんな完璧な男が居てたまるもんですか。本作ではアニメの特性を活かして、意図的にリアリティを排除している気がします。その結果、普通ならお医者さんかお祓い案件となる『幽霊になって彼女を見守る彼氏』がラブストーリーとして機能するという寸法。とかく重要視されがちな『リアリティ』ですが、無いほうが好都合というケースもあります。整合性等を気にしなくて済む分、モノゴトの本質に目を向ける余裕が出ます。その最たる例が、クライマックスとなる高層ビルサーフィン。荒唐無稽過ぎて興ざめしても可笑しくないはずなのに、素直に目の前の出来事と向き合えました。ダイナミックなアングル、躍動感ある波。現実と非現実の境目を行く主人公のライドには、『人生を、世界を、楽しめ』という強いメッセージがありました。これが湯浅監督のアニメーション。台詞に勝る『映像力』で訴えかけてきます。こんな一撃必殺みたいなシーンを見せられては、心が震えぬはずがありません。 アニメの特性を最大限活かした作品づくりがアニメーション作家に求められる仕事であり、湯浅監督が支持されている所以と考えます。これは処女作『マインドゲーム』から一貫しており『夜は短し歩けよ乙女』や『夜明け告げるルーのうた』にも引き継がれています。私は未見ですが『日本沈没』が賛否を呼んでいるのは、こんなアニメーション作家の性が裏目に出ているのかもしれません(観てもいないのに憶測で余計なことを言いました。すみません。と謝っても削除しないのは、私の意見など全て憶測以外の何物でもないからです)。[インターネット(邦画)] 8点(2021-01-15 19:24:35)《改行有》 282. グッド・ネイバー 《ネタバレ》 いきなりネタバレしております。未見の方はご注意ください。なお本作は予備知識なし、予断を持たずに鑑賞される事をおススメします。 ホラー映画の様式に基づく『観客の先入観』をミスリードに使い、裏に悲しきヒューマンドラマを配しながら、その実は極めてシリアスな問題を扱った社会派映画でありました。タイトルも意味深長で、物語の奥深さたるや見事なものです。 メインテーマは犯罪に対する量刑の意味と捉えます。刑法の目的は、罪を犯した者に適正な量の罰を与え更生を促し、社会復帰させること。ポイントは『適正』の部分。しかしながら本作で加害者に科された刑罰はあまりに軽いものでした。判決が出た瞬間、加害者及びその家族は安堵したように見受けられましたが、現実は甘くありません。法が機能していないとコミュニティが見なした場合、『善き隣人』が足りない分の罰を自主的に科すことになります。いうならば集団の自浄作用。それは時に、いや往々にして、適正な量を上回る熾烈なものとなり、加害者の再起は極めて困難となるでしょう。法の機能不全は、社会にとってのシステムエラー。言い方は変ですが、裁判で適正な量刑を受けられなかった罪人もまた不幸かもしれません。 人は過ちを犯します。自身が被告人とならない確約など誰にもありません。観客は、被害者ではなく加害者側に自身を当てはめ、物語と対峙するよう促されています。そこで生半可なホラーより遥かに恐ろしい『法の落とし穴』に気づかされるという仕掛け。『赦し』とは、与えられた刑に服する事にあらず。被害者に、そしてコミュニティに、贖罪を認めてもらうこと。裁判所の外の世界は、必要な罰を受けられなかった罪人にとって『地獄』そのものです。 (以下余談)『寄生獣』で田村玲子は、『人間は何十、何百、何万、何十万と集まってひとつの生き物である』みたいな主張をしていたと思います。これは言い得て妙で、私たちは個人の考えとは別に『集団の意思』に気を配りながら日々過ごしています。ここでいう『意思』とは、法律等で規定される厳格な枠組から、漠然とした『社会の空気』をも含む広義なもの。特に『社会の空気』は、漠然としている分移り気なのに、多大な影響力を有します。不倫した芸能人が赦しを乞う『世間様』もこの仲間。他者を思いやる『共感』が集団の意思を生み、我々を助けることもあれば、挫くこともあると。[インターネット(吹替)] 8点(2021-01-15 19:23:14)《改行有》 283. 夜明け告げるルーのうた 《ネタバレ》 巨大な御陰岩は、「既成概念」や「古い価値観」あるいは「主人公の内なる心の壁」の象徴と見て取れます。つまり御陰岩の崩壊という結末には“変化を恐れるな”というメッセージが込められていると考えます。カイ父も“結果を恐れるな”と。自ら人型に変態し、かつ他者に人魚化を促すルーは、変化のシンボルです。今回の一件を通じ、まさに人生の分岐点にあった主人公は勿論のこと、貝類採取の激減が見込まれる漁港の人々の生活、そしてルーを含めた人魚族の行く末も、否応も無く変化が訪れるでしょう。そう、変化には痛みが伴います。それでもなお、環境や状況に適応し、変化し続けなければ生きていけないのが人間です。というより、全ての生物に架せられた宿命。歩みを止めたものは消え去るのみです。都会で成功しかなった伊佐木先輩が、故郷で新しい夢を見つけたこと。老若男女で力を合わせて開けた水門。途切れ途切れ、ゆっくりでないと伝わらない屋外放送。そして人間と人魚族のチームプレー。己が人生に立ちはだかる“壁”を打ち破るためのヒントは、ふんだんに出されています。覚悟なく、安易に変化を望んだ『人魚ランド』なる目論見が失敗したことも見逃せません。チャレンジの先に未来があります。日本アニメーション界の巨匠であり、神とも言える宮崎駿監督の代表作のひとつ『崖の上のポニョ』に真正面から対抗した本作にも、先述のチャレンジ精神が隠されている気がしてなりません。躍動感と疾走感あふれるアクション、デフォルメと記号化で印象強化、そして豊かな想像力。観客の心を突き刺す湯浅政明スタイルは、宮崎監督とは違う新たな価値観を呈示しています。日本アニメーションの新たな“夜明けを告げる”本作の心意気に対し、私は『ポニョ』と同じ10点満点というかたちで応えたいと思います。[DVD(邦画)] 10点(2021-01-14 00:43:34) 284. ヲタクに恋は難しい 《ネタバレ》 福田組俳優の皆さんは、注文どおりのコメディアン(コメディエンヌ)ぶりを発揮していましたし、ラブコメとミュージカルの相性も良いはずです。しかしながら、大好物な福田作品なのに乗れませんでした。はて?私自身がドルオタが故に、モチーフに拒否反応を示したのか?いや、多分違います。違うはず。もっと根本的な部分の気がします。それは、ラブコメディとしての面白さの部分。素直になれない2人にやきもき。ライバル出現!障害発生!一体どうなるの?なラブコメ本来の醍醐味はまるでありませんでした。本作のセールスポイントは、オタの生態やその特異なキャラクター。ラブコメのメインストリームではなく装飾部分にスポットが当たっていました。もっとも人形は顔が命いや“コメディはキャラが命”ですから、愛されキャラが居ればそれでも満足できたと思います。でも、特Aクラスな美男美女が自身のオタ性を卑下したところで、富豪が生活苦を嘆いているようにしか見えません。これはやっかみというか、言い掛かりでしょうが、爽やかオタの些細な悩みを聞かされたところで申し訳ないですが響かないです。我々下々の者とは、悩みの次元が違います。物語の着地点も「趣味は不可侵と尊重が基本」という至極当たり前なもの。そりゃキモオタのディープな人生に踏み込んだところで、誰も得しませんけども。あれ、やっぱり私、モチーフに拒否反応を示しているかも。この映画を笑って肯定出来るか否かで、観客自身のオタ度が測れそうです。というかヲタって何だ。オタじゃないのか。この微妙なオサレ感も何だかなあ。[CS・衛星(邦画)] 5点(2021-01-10 20:25:03) 285. リンカーン弁護士 マシュー・マコノヒーが演じるミック・ハラーというキャラクターが実に魅力的です。手練手管で金をせしめる悪党の一面と、弁護士として真摯に職責を全うしようとする正義の顔を併せ持つ男。どちらが表とか裏ではなく、どちらもミックという人間の正面と考えます。非の打ちどころのない極悪人も、聖人君子もそうそう居ません。ミックは実に人間らしく、そして弁護士らしく、損得勘定を忘れず良心と相談しながら、難局に立ち向かっていきます。感情移入するに足る器量を持った人物でした。イメージ的には少しハリー・キャラハン刑事と重なるかもしれません(細身でヤサ男なルックスも含めて)。展開はスリリングですし、カタルシスも十分。脚本は非常に良質でした。ちなみにミックに対抗できる日本人弁護士だと古美門研介(『リーガル・ハイ』)になるのかな。うーん、タイプは違うけどどちらも素敵。それにしても動く車内で仕事をして酔わない体質は羨ましいです。[インターネット(吹替)] 8点(2021-01-01 00:00:01)(良:1票) 286. ミッドナイト・アフター 《ネタバレ》 (ネタバレ含みます。未見の皆様はご注意願います。あと長文になってしまいました。ごめんなさい。) それでは謎解きを。嘘です。テキトー妄想解釈です。参考程度でお願いします。 バスはデロリアン号に同じ。核燃料未搭載なれど、性能は遥かに上。瞬きする間に6年後の未来にタイムスリップしました。行き付いた先は人気の無いまるでゴーストタウン。ライフラインが機能していることから、直前まで人々が生活していた事は明らか。近くで原発事故が起き急遽避難したため、街はもぬけの殻だった。これが事象の外郭と考えます。 次に詳細をつめましょう。まず彼らが死んだ理由。これは飛び越えた6年の間に、本来各人に起こるはずだった出来事と解します。それが遅れてやって来た。発火した者、体が崩れた者=火葬されるはずだった人(こちらは原発事故とは無関係)。死斑の方は疫病の可能性を示唆します。捕えたガスマスク男の異常な怯えの理由も、放射能というよりこちら。何なら、原発事故も疫病に起因する人災かもしれません。つまり彼らが知らない6年間に、香港で凶悪な疫病が流行し、直近には原発事故も起きた。ガスマスク集団は政府の救助班でしょう。ほとんど輩ですが。と、ここまでは常識的?な推測が可能な範囲。 問題は以下のワケワカラン要素です。「一斉電話」「赤い雨」そして「ユキちゃん」。ついでに「タイムスリップ」も含めましょうか。ここからは大いに妄想力を働かせてみましょう。電話の主は、かつての流行歌の歌詞をモールス信号で送って来ました。典型的な「宇宙からのメッセージ」。赤い雨=血の雨。『宇宙戦争(2005)』でも同様のシーンがありましたね。ユキちゃんには記憶障害が見られ、時折人ならぬ雰囲気を醸し出していました。もしかして『カイル・マクラクラン状態』では。タイムスリップなんてそもそもあり得ません。でもそんなテクノロジーを持った知的生命体がいたならば・・・。 ではまとめます。「事件の黒幕は宇宙人。彼らの目的は人類を捕食すること。まずは疫病で弱らせよう。でもその前に保護に値する種族か見極めてから。サンプルはマイクロバス乗客。宇宙人は若い女性に憑依し乗客に紛れ込むことに。タイムスリップにより彼らを隔絶・極限状況下へ。そこでの行動を観察しよう。結果、蛮行を働く者。そしてそれを咎めるための蛮行。保護する価値なしと判断された人類は、宇宙人に捕食され血の雨を降らすことになりましたとさ」ちなみにヤク中男もその不死身ぶりから宇宙人の可能性あり。占いおばさんの自説通りと考えるのも面白いと思います。以上です。 このように宇宙人説を採用してしまうと、本作に限らずほとんどのミステリーが意味を為さなくなります。宇宙人って無敵。超便利。だからこそ丁寧な説明や、繊細な伏線が必要だと思うのですが、本作の場合悪ノリで突っ切った感があります(そこが魅力でもありますが)。とはいえ、「バス乗客全員死亡説」を最初に口にすることで、如何にもありそうなオチを真っ先に排除するあたり、意外と親切な面も見られます。バラエティに富んだキャラクター造形もお見事でした。私的には、“投げっ放しと見せかけ、実はしっかりクラッチされた綺麗な放物線を描くジャーマンスープレックスホールド”との印象です。このニュアンス、伝わりますか。[インターネット(吹替)] 8点(2020-12-31 23:47:00)(良:1票) 《改行有》 287. ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 Birds of Prey 《ネタバレ》 人気サブキャラクターを主演に据えるスピンオフ企画は映画界ではよくある手法。今回はDCコミック映画『スーサイド・スクワット』からハーレイ・クインの登場です。かの作品の中でのハーレイの存在感は格別ですので、スピンオフの流れは当然と考えます。作品世界の番付を壊さないため、また有名俳優のギャラ削減の観点からも、本体作品のメインキャラを重用しないのがスピンオフの流儀ではありますが、それにしてもハーレイ以外のキャラが誰も登場しないのは意外でした。それだけ徹底してコストカットされているとも言えますし、顔見せに程よいお馴染みキャラが不在なのかもしれません。キャラクター造形が命のコミック原作にも関わらず、この『駒不足感』はシリーズの弱点かもしれません。 さて、悪役が戦う敵は正義のヒーローではなく、別グループの悪党でした。ポイントは、奴らの方が主人公チームより罪の程度が重いこと。そりゃ、万引き・傷害・強盗より、殺人の方が憎むべき犯罪でしょう。善悪の概念は、絶対的なものから、相対的なものへと移行しました。とかく倫理に煩い映画において、本作を娯楽作品として難なく楽しめるのは、このような『倫理基準の調整』が施されているためです。なかなか巧妙ですね。 ハーレイちゃんの小悪魔な魅力は存分に味わえますし、アクションも見応えあり。ただし内容は無いため、余程ハーレイ・クインというキャラクターに価値を感じていないと、ツマラナイかもしれません。かくいう私はそうでした。[CS・衛星(吹替)] 4点(2020-12-30 19:23:56)《改行有》 288. スーサイド・スクワッド 《ネタバレ》 『DCコミック』キャラクターで結成されたオールスター『ヴィラン』チームだそうで。そもそも『マーベル』と比べるとマイナー感が否めない『DC』ですが(失礼)、さらに敵役という『裏面』にフューチャーした事で、より一層地味な印象を受けます。ウィル・スミスやマーゴット・ロビーなど配役は豪華なものの、キャラの能力が化け物(メタヒューマン)に対抗できるかというと疑問。いくら銃の腕前が人間離れしていても、そもそも弾丸が効く相手なのかという話。ハーレイ・クインさんの武器に至っては木製バット。そのへんの輩同志の抗争にしたって、金属バットくらい用意するでしょうに。もっとも、このチーム編成で化け物を倒せたワケですから文句を言うのも筋違いなのでしょうけども。私にとっては、名前も顔も知らない微妙な能力の持ち主たちが、微妙な理由で、微妙な敵と戦うという、何とも微妙なお話でありました(ごめんなさい。基本的にこれは私側の事情です)。全体的に地味な色合いと個性の面々の中にあって、ハーレイ・クインさんの存在感は抜きん出ていました。スピンオフも製作されるほどの人気者ですから、彼女が影の主役なのは間違いないのでしょう。[CS・衛星(字幕)] 5点(2020-12-30 19:22:45)(良:2票) 289. マンイーター 《ネタバレ》 野生動物系パニック映画は根強い人気を誇る定番ジャンル。本作の主役は『ワニ』でした。実績、見た目、ネームバリュー、どれをとっても紛うことなきA級の『危険動物』です。しかも邦題は華々しく『マンイーター』ときました。これはワニ版の『ジョーズ』かと内心期待しましたが、思惑とは少々趣が異なる仕上がりでした。 本作の敵ワニは、それはもう巨大です。何処にでもいる(?)駄ワニとは明らかに格が違う異様なサイズ。しかしその外見とは裏腹に、特別狂暴でもなければ、悪魔的な知性を持ち合わせている訳でもありません。見た目は怪物、中身は普通のワニ。いわば逆・江戸川コナン君。『投棄された核廃棄物で~』とか『科学工場が垂れ流した薬品が~』みたいなギミックで創り上げたモンスターではなく、純粋に『大きな野生ワニ』とした点は潔くて好感が持てますが、その反面、エンターテイメントな刺激的展開には欠けました。ワニにしてみれば、テリトリーに食糧が迷い込んできたから捕獲したまでの話。確かに、喰われた人より助かった人の方が多かったです。 パニックホラーにしては薄口な仕様で、もう一工夫欲しいと感じました。『地の利』を最大限活かすことで、普通のワニをモンスターに変える事は可能なワケで、終盤2人に課した試練を初めからパーティ全体に与えても良かったと思います。また薄口と感じるもう一つの要因は、登場人物に与えられた役割の部分。主人公とヒロイン以外のキャラは「喰われる人」か「喰われない人」の2択でしかなく、個別のドラマが欲しいと思いました。妻に先立たれた老人とか、カメラマニアとか。彼らにもっと仕事をさせてください。優れたパニック映画には、秀逸なサブストーリーが付き物です。 もっとも、濃いめ・脂マシマシがエンタメの正義ではありません。こんなアッサリ風味のパニックホラーも悪くない気がします。ただし、邦題『マンイーター』は大袈裟です。[インターネット(字幕)] 6点(2020-12-25 18:50:42)《改行有》 290. クーデター 《ネタバレ》 シリアス且つリアリティある状況設定に対して、展開は思いのほか『ご都合主義』が目立ちます。ハリウッドの娯楽アクション映画のノリと大差ありません。少々アンバランスな印象を受けました。もっとも、そうでもしないとこの危機を乗り切るのは絶望的で、原題『NO ESCAPE』に偽りはありません。 主人公(お父さん)はよくやったと思います。「相手の10歩先を行く」の判断はまさに的確で、何度も絶体絶命のピンチを切り抜けました。いち早く状況を把握し、さらに腹を括れた事が功を奏しました。見事な判断力と行動力です。ただし、そんな優秀な主人公をもってしても、この状況を自力で打開する事は叶わなかったでしょう。最後は運。そして助けてくれる人。最善を尽くした者にだけ、彼らは救いの手を差し伸べてくれるのかもしれません。そうです。これは『ご都合主義』ではなく『必然の奇跡』と呼びましょうか。 もし異国でこのようなクーデターに巻き込まれたら、間違いなく助かりません。それはもうハッキリと自覚しました。政情が安定しているって本当に有難い。そもそもお家大好き人間である私の、外国旅行への意欲がますます遠ざかるうう・・・。[インターネット(吹替)] 7点(2020-12-25 18:47:13)《改行有》 291. アナと世界の終わり 《ネタバレ》 ゾンビ+ミュージカル。この組み合わせは新しい気がしましたが、マイケル・ジャクソンのMV『スリラー』で既に映像化済みでしたね。とはいえ映画では珍しいことに変わりはなく、チャレンジングな試みであったと思います。ミュージカルの肝・楽曲はキャッチ―なメロディラインで悪くない仕上がり。ゾンビともミュージカルとも相性の良いコメディパートの散りばめ方も上々。“現状への不満と将来への不安”という青春ドラマ不動の命題を、ゾンビホラーで説く構想も間違っていないと思います。そう、何をとっても『悪くない』のです。しかし言い換えるなら『特別良くも無い』と同義です。先にチャレンジングな試みと申しましたが、そこそこ成功するであろう事は想像に難くない組み合わせ。洋食なら大体チーズをトッピングしてイケるでしょうよって話。正直、もっと面白くていい気がするのです。じゃあ何が物足りないかと考えると、結局『キャラクターの魅力』に行き着く気がします。ゾンビコメディの傑作『ショーン・オブ・ザ・デッド』が愛される所以は、パロディとして秀逸であること以上に、ポンコツコンビが実に愛らしいからです。本作のヒロインも決して悪くありませんが、やっぱり「悪くない」どまりと考えます。すごく惜しい気がします。全体的に。[CS・衛星(吹替)] 6点(2020-12-20 00:53:14)(良:1票) 292. MANRIKI 《ネタバレ》 芸人『永野』の笑いを物語に変え映画化したもの。永野の笑いが好きならどうぞ、興味がないなら観る必要はありません。以上 でも構わないのですが、流石にあんまりなので少し掘り下げます。永野氏の笑いは、傍若無人でノンデリカシーが持ち味です。著名人をおちょくり、コンプレックス・差別・偏見・暗黙の了解等『それは触れない約束』をフォーカスします。憎めない毒舌などという生易しいものではなく、純然たる悪意を感じます。また、一般的には『滑り笑い』カテゴリーと思われがちですが(失礼)、実際はストロングスタイルの一人コント師です(褒めました)。大衆受けするはずのない(失礼)独特なセンス(褒めました)。ニッチな笑いなのに(失礼)一応メジャー芸人に分類されるあたり(褒めました)、ほとんど奇跡というか(褒めました)何かの冗談と言わざるを得ません(失礼)。最近では、アイドル・高城れにさんとコントユニットを結成しライブ活動を行っており、ももクロファンの私としては永野氏を批判する立場にないものの、いつ見ても犯罪者の目だなと思います(失礼)。とはいえ笑いのセンスは結構好みだったりもします(最大限褒めました)。そんな永野(どんな永野?)のファンを公言する俳優・斎藤工氏とタッグを組んで本作が制作されたとお聞きしました。斎藤氏もなかなかの変態ですので(実は褒めています)、なるほど納得の『アブノーマルなサスペンス風コメディ』に仕上がっております。不条理で押し通しても良かったはずなのに、整合性あるオチを付けるあたり、根は真面目なのでしょう(実は褒めていません)。繰り返しますが、永野に興味がないなら観ても得はありません。[DVD(邦画)] 6点(2020-12-20 00:51:19)《改行有》 293. 架空OL日記 《ネタバレ》 『大切なのは真実ではなく矛先』『厄介な人を“基”と呼ぶ』など、相変わらずバカリズムのお笑いセンスは抜群で、バカリ本人が素でOLになりきる不条理さも相まって、まさにバカリズムワールドの極致ともいえる世界観を体感いたしました。基本的には『バカリズムTHE MOVIE』と同じネタ映画なのでしょうが、架空のOL『私』が過ごす“特別な事は何も起きない日常”が得も言われず心地よく、コントの域を越えたコメディドラマとしてすこぶる優良であったと思います。結末はいわゆる『夢オチ』。一般的には禁じ手に分類される悪手ですが、こと本作に限っては“このギミックゆえに映画として成立した”と思えるほど見事な切れ味でありました。長く楽しい夢から覚めた時に感じる“寂しさ”や“虚しさ”は、映画ならではの余韻であったと思います。私など『あのメンツが同僚だったら、さぞかし職場は楽しいだろうなあ』と呑気に思うのですが、一緒に観ていた中3の娘は『随分仲がいいな』、妻は『面倒くせえ』と吐き捨てておりました。まあ、それが女性の現実なんでしょう。だからこそ虚構の『架空』や理想の『夢』に価値がある訳ですが。[DVD(邦画)] 8点(2020-12-15 17:55:36) 294. 二ノ国 《ネタバレ》 ネタバレあります。未見の方はご注意ください。 設定について。私たちが住む世界が『一ノ国』で、“命が繋がる者たちが住む”アナザーワールド『ニノ国』が存在するそう。気になったのは『ニノ国』の住人自からが自分たちの世界を『ニノ国』と呼んでいること。どうして『一の国』じゃないのでしょう。どちらが表とか裏とか無いでしょうに。この違和感に対する答えは次のいずれかと考えます。①すごく謙虚な人たちなので、自分たちの世界を『二ノ国』と呼ぶ。②『一ノ国』ありきで『二ノ国』が存在できるから。もし②だとすると“ファンタジー冒険譚”とする本作の一般的な受け止めが揺らぎます。『二ノ国』ってハルの頭の中にだけ存在する架空世界では?それなら様々な“ご都合主義的展開”も説明がつきますし、ユウが二ノ国に残りこの世から存在自体が抹消された結末とも整合します。でもそうなると、ハルは結構深刻な心の病を抱えている事になりそうです。アン・シャーリーやアメリのような楽しい空想とは質が異なる心の闇。たとえば、幼少期にユウは野良犬に襲われて死亡。ハルはユウの死を認められず、空想の人格を作り出し一緒に学校生活を送った。今回『二ノ国』を創作し、ようやくユウを開放することが出来た、とか。典型的な子供向けファンタジーでドン引きするような裏設定が必要なはずもなく、これは私の勝手な妄想ということでお願いします。[CS・衛星(邦画)] 5点(2020-12-15 17:53:10)《改行有》 295. シライサン 《ネタバレ》 ネタバレしています。未見の方はご注意ください。 シライサン呪殺システムについて整理してみましょう。”シライサン“の名前を覚えている者の元へ、眼が異様に大きな女が現れてその者の命を奪う。頻度は3日に一度。襲う相手は呪殺候補名簿搭載者からランダムに選んでいるようで、該当者が多ければ多いほど、殺される心配は少なくなります。主人公の試算によれば、1万人対象者がいれば一生のうち一度女がやって来るかどうかの低確率だそう。確かに計算上はそうでしょうが、意識的に覚える気のない与太話など、右から左に抜けるでしょう。本作のような『広報映画』を一本作った程度ではとてもとても。つまり危機管理的には、名簿搭載者を増やす継続的な努力が欠かせない訳です。要するに、ネットを利用した生け贄確保が必須だと。これは、昨今社会問題となっているSNSを通じた誹謗中傷と何ら変わらない気がします。生け贄を探す者は、自身もまた生け贄となる宿命から逃れる術はありません。あな恐ろしや。観客はこの映画を観てシライサンに呪われたのではなく、映画を観る前から既にシライサンの呪いは社会に蔓延していたことに気付き慄く仕立てです。シライサンは、まさにSNS時代の貞子でありました。なお劇中では、女から眼を逸らさない事が死から逃れる有効な方法と紹介されていますが、SNSで誹謗中傷を受けた場合はむしろ逆という気がします。眼を瞑るが正解。SNSなど辞めてしまいましょう。自身が認知しない悪口など、無いのと同じですから。とかく馬鹿にされがちな情報弱者ですが、不要な情報を遮断することもまた情報過多社会を生き抜く上で必要なスキルと考えます(エゴサーチ厳禁です!)。最後にシライサン本体について。特異なビジュアルといい、登場方法や佇まいといい、なかなかイカしてます。ホラー映画界にミスコンテストがあれば優勝じゃないかと思うほど。ホラークイーンとしてのポテンシャルはあの『口裂け女』に負けず劣らず素晴らしいと思いました。(以下余談)名前を忘れることがシライサンに殺されなくて済む最強の防御法ですが、彼女に名簿抹消通知でも行くのでしょうか。あるいは現れた時「どちら様?」感を出されたら、すごすごと帰るのでしょうか。その姿を想像すると、ちょっと不憫な気もします。[DVD(邦画)] 5点(2020-12-10 19:51:44)《改行有》 296. 遊星からの物体X 《ネタバレ》 今となっては『既視感』を覚える描写が多いものの、裏を返せば後発作品に与えた影響が甚大ということ。映画はもとより漫画など、数々の名作傑作を生む礎となった作品に低い評価など付けられるはずもありません。ちなみに1951年製作のオリジナルは鑑賞済みですが記憶は薄く、当時の感想を見返してみても正直あまりピンと来ません。その点、本作のインパクトは抜群で強く記憶に残るものであり、リメイクが成功した稀有な事例であるのは間違いなさそうです。というより、基本設定のみ頂戴したオリジナルと見立ててよいのかも。さて結末について。主人公はやけくそになって基地を爆破し『生き物』と心中を図ったように見えますが、極寒の地でも冬眠で生き残れるヤツらに対し有効な作戦とは思えません(その点、主人公は百も承知)。彼もまた『生き物』に同化されていた可能性も捨てきれない気がします。このあたり、真相を結論づける決定的な証拠は無いと思われ、それゆえに解釈に幅があります。エンドクレジットで感じる不穏な余韻は、本作が特撮技術だけではない、一級のホラー映画である証であります。[インターネット(字幕)] 8点(2020-12-10 19:30:44)(良:2票) 297. クレヨンしんちゃん 新婚旅行ハリケーン 失われたひろし 誰向けか分からないシュールギャグ。絶妙(ときに微妙)な人選のゲストキャラ(芸能人声優)。何気に質が良いアクション。そして家族愛を軸とした感動ストーリー。近年の映画版クレヨンしんちゃんのフォーマットは以上のとおり。本作も当てはまります。悪く言えば『マンネリ』、良く言えば『定番』ですが、他の国民的な長寿アニメをみればわかるように、これは『定番』と捉えるのが適切と考えます。マンネリは飽きられますが、『定番』は愛されるものであります。というより『定番』を創り出すことが至難の業であり、優れた様式に辿り着いた先人の努力を称える案件と思慮します。実際、本作も手堅く楽しめ、満足しました。 さて、本作で語るのが適切ではないかもしれませんが、長寿アニメの宿命・声優交代について。劇場版クレしんは本作からしんのすけ役の声優さんが交代しました。 オリジナルのイメージを損なわないように(できれば気づかれないように)交代するパターンと、イメージを一新する思い切ったキャスティングをする場合と、主に2通りあるように思います。前者の代表が『ルパン3世』、後者は『ドラえもん』です。何となく前者の方が無難な印象がありますが、実際は逆という気がします。些細な違和感はかえって『偽物感』に通じるからです。一時的には大きな代償を払っても、新たなオリジナルを目指す『ドラえもん』方式の声優交代が個人的には好みです。 クレしんの声優交代の変遷を紐解くと、オリジナル声優死去に伴い人気キャラ『ぶりぶりざえもん』は10年近く発声を封印しました(今ではオリジナルに勝るとも劣らない素晴らしい声優さんが着任しております)。この判断自体は賛否あろうかと思いますが、私はキャラクターに対する限りない愛を感じました。そんな声優に拘った作品ですから、てっきり『ドラえもん』パターンの声優交代を選択するものとばかり思っていたのです。しかし、ひろしやしんのすけの声優交代は、イメージ継続パターンでした。実はちょっとガッカリしたのです。交代当初は。 ところが、本作を観て認識を改めました。確かにしんのすけに対しては、まだ違和感があります。でも、ひろしに対してはオリジナルと全く遜色ないのです。何故か。理由は簡単。新しい声に慣れたからです。TVレギュラーシリーズを持っている効果は絶大でした。ルパンのように不定期制作だと『耳慣れ』が進まないため、長く違和感が残るんですね。もちろん声優交代に正解などなく、あえて言うなら『定番』を守るか『マンネリ』を打破するかの選択なのだと思います。そういう意味で『ドラえもん』は大英断でしたし、『ルパン3世』は中途半端な選択をしてしまっている気がします。すみません。横道にそれました。愛すべき『定番』を守った『クレヨンしんちゃん』が末永く続きますように。[インターネット(邦画)] 7点(2020-12-05 19:04:40)(良:2票) 《改行有》 298. わたしに××しなさい! 《ネタバレ》 少女漫画原作のラブコメとは知らず、“うっかり”鑑賞しました。そもそも50近いおっさんなど相手にしていないでしょうし、私が劇場鑑賞する可能性もほぼありません。つまり私は本作を語る資格を有していません。しかし観た映画の感想を書きたくなるのがレビュワーの性。『戯言』扱いでお願いできればと思います(いつもの感想だって同じですけども)。 主人公は女子高生作家です。作品にリアリティを持たせる為に疑似恋愛体験をしたいそう。この設定を聞いただけで、あらすじが容易に推測できてしまう王道のラブコメであります。結末は『瓢箪から駒』ではなく、潜在的な欲求を『言い訳』を使って叶えたパターンと思慮します。真正面から挑戦するのは失敗が怖いけど、何かひとつ『言い訳』が付くと案外チャレンジできてしまうもの。恋愛に限りません。誰だって身に覚えありますよね。これは主人公だけでなく彼氏役にも当てはまることで、2人はある種の『恋愛プレイ』を楽しんだと考えます。羨ましい限り。やや不満が残るのは、彼氏の自立(家族のしがらみからの解放)が漠然と処理されてしまったこと。主人公が彼氏の鎖を引きちぎったポイントをきちんと描いて欲しかった気がします。点数は冒頭に述べた理由により放棄の意味で5点です。(以下余談)××の読み方について。「チョメチョメ」「ペケペケ」「ホニャララ」あるいは「キス」なんてパターンもあるなと思い悩んだのですが、まんま「バツバツ」とは。劇場窓口でチケットを買っていたら大恥をかくところでした。人生には至る所にトラップが仕掛けられています。[インターネット(邦画)] 5点(2020-12-05 00:56:23)(笑:1票) 《改行有》 299. 怪談(1964) 《ネタバレ》 映画のジャンル分けで一般的に使用される『ホラー』とは異なる『怪異の物語』。不可思議ではあっても、不合理でも不条理でもなく、人間の業を味わうドラマとして楽しむことが出来ます。『物語=読み聞かせ相手に想像させるもの』とすれば、本作を象徴する特徴的な書割も観客のイマジネーションを掻き立てる意味で有効だったと思います。3時間は流石に長尺でしたが、オムニバスで目先が変わるため、体感はそれほどではありません。豪華キャストはお得感満載。たまにはゆったりと日本の詫び錆びを堪能するのも一興かと思います。[インターネット(邦画)] 7点(2020-11-30 18:57:34)(良:1票) 300. カイジ ファイナルゲーム 《ネタバレ》 人気エピソードは既に映画化済み。未映画化エピソードは正直イマイチなので(福本先生ごめんなさい)オリジナルストーリーでの続編は理解(容認)できます。舞台は近未来の日本、『もしも』の世界。アナザーストーリーというよりパラレルワールド。これは地雷臭プンプンです。一縷の望みは福本先生が脚本に名を連ねていることでしたが、残念な仕上がりでした。でもよく考えたら当たり前の話。良いアイデアなら連載の方で使いたいでしょうから。 不満箇所を挙げたらキリがないため、私からは1点だけ。人間秤ゲームはカイジチームの勝ちで大丈夫ですか?張り主の伊武さんがリタイアした時点で不戦敗の気がしますが。それに勝敗を分けたコインは完全に「運」ですよね。弾かれたコインが偶然カイジ側の秤に入っただけ。『運否天賦ではなく戦略で勝つ』を旨としてきたカイジにそぐわない決着と感じます。主人公に晴れ舞台を用意するために伊武さんが退場し、欠けたコイン1枚分僅差の勝利で『一円を笑う者は一円に泣く』を再現。ドラマチックでキレイな幕切れですが、ファンが『カイジ』に望むのは、そういう事ではないのでは。『相手の不正を逆手に取れ』『裏のルールを見破れ』『死中に活を求めろ』。原作の『カイジ』が支持されたのは、持たざる者があらん限りの知恵を絞って強者の足元をすくう様。運よく当たりの宝くじを拾うのではなく、ハズレくじを是が非でも当たりくじに変える姿に心打たれるのです。カイジの魅力が映画で表現されていない以上、原作ファンとしては本作を『カイジ』と認める訳にはいきません。1作目の感想でも同じ事言ってますね。 基本的に福本先生の漫画は実写化向きと考えます。近年ドラマ化された『アカギ』や『銀と金』も上々の仕上がりでした(注:『天』は未見。『零』は何だこりゃ)。個人的には1作目カイジで軽い扱いを受けた『限定じゃんけん』をキッチリ描いていただくか、まだ手付かずの『涯』や『黒沢』の映画化を望みます。特に『黒沢』は絶対面白いと思うんですよね。黒沢役本命:高橋克実、対抗:宇梶剛士、大穴:くっきーで如何ですか。また同じこと言ってる。[CS・衛星(邦画)] 1点(2020-11-30 18:33:45)《改行有》
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