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281.  未知との遭遇 《ネタバレ》 “Close Encounters of the Third Kind”『第三種接近遭遇』。J.A.ハイネック博士が定義した空飛ぶ円盤と遭遇した際の分類。 第一種は“円盤を至近距離で見る”で、第二種は“円盤が周囲に影響を与える”で、第三種が“円盤の乗組員と接触する”ことなんだって。へぇぇ~、ロボット三原則みたい。だけどコレだと意味がわからないから、『未知との遭遇』で正解なんだろう。 子供の頃テレビで観たのは“特別編”だったっけ。UFOというと、ふよん・ふよんと空に浮かぶ円盤状の物体だったのが、この映画で細かくてきらびやかな物体へとイメージが進化したんだよな。大都市の夜景のようなキラキラした宇宙船“マザーシップ”の美しさに目を奪われたわ。そして宇宙人と言えば銀色のピチピチしたスーツを着ているイメージだったのが、頭の大きい子供体型の宇宙人のイメージに。 何よりもウルトラマンに慣れ親しんだ私達には、宇宙人=“地球に侵略に来る者”、もしくは“侵略から守る目的の者”だったのに、“単に友好接触してくるだけの者”は斬新だった。 矢追純一のUFO特番とかで、グレイという宇宙人を知ったのは、この映画の後。当時のSF映画とマッチする、リアリティある宇宙人だなって思えたわ。 そして何より、デビルズタワーが実在しているのが一番驚いた。アメリカ人や地理に詳しい人がどう思ったか知らないけど、あんな奇妙な山が実在するなら、UFOや宇宙人が地球に来ていてもおかしくないよな。って思えたわ。 このような映画を観ていると、アメリカは本当に宇宙人と秘密裏に遭遇していて、そのうち一般に公開された時に、ビックリしないように、この手の映画が創られている。って説も頷けるところ。 そしてこの『未知との遭遇』は、友好的な宇宙人とのファースト・コンタクトものの元祖として、リアルとファンタジーの混ぜ方がとても上手い作品だったと思う。怪現象の一つバミューダ・トライアングルは取り入れ、ビッグフットには失笑を。ミステリーすべてを包括するのではなく、宇宙人をリアルに見せる味付けに使う。さじ加減が上手い。 インドで録音した歌が手話と合わさり(当時としては)未来的な楽器シンセサイザーを介して、宇宙人と最初のコミュニケーションを取る。人類が発展・進化していく中で、宇宙人とのコミュニケーション方法に気がついていく過程としているのが面白い。 子供の頃は、人間に媚を売った可愛い宇宙人の出て来ない、大人な味付けのこの映画が、かなりお気に入りだったわ。[地上波(吹替)] 7点(2023-02-04 20:17:27)《改行有》

282.  釣りバカ日誌 《ネタバレ》 有名な長寿シリーズで、釣りとは無縁の私には守備範囲外だったので観ていなかった。けど、面白かった。 釣りバカと言うから釣りばっかかと思ったら、釣りのシーンは3回。“初めて釣りをするスーさんがハマる”って事が伝わればそれで良し。ってくらいで、特に釣りマニアが喜ぶような構成にはなっていないと思う。 師匠と弟子の関係が、実は社員と社長の関係だったことが、いつ、どのようにバレるのか、もしくはバラすのかが本作のメイン。だから、ハマちゃんがスーさん=社長だったって知った瞬間、どんな顔するんだろう?って事に興味が湧いたけど、その瞬間を描かないのは意外。 そして夜になってもまだ怒ってるみち子さんとは対象的に、事実を受け入れてるハマちゃんの表情がね、なんか良かった。 高松から間違って本社に来て、最後再び高松へ帰るハマちゃんの構図。この一作で見事に完結していて、更にその後の物語も気になり、『面白かったなぁ、この続きが見てみたいな』って気にさせる。ただやはりスーさんの正体はこの物語のクライマックスに相応しいし、それ以降の『続き』は蛇足でしか無いんじゃないか?って気持ちもある。…1話がクライマックスで、残り22作が蛇足ってのも、すごい話だわ。(いやあくまで勝手な想像ね。まだ観てないですから。) そして石田えりが理想の奥さん過ぎる。男にとっての理想かな。ハマちゃんにペッタリくっついてくるみち子さんが可愛く、パジャマ姿でイチャイチャするシーンは、エピソードの区切りの“オタノシミ”として機能していたように思う。というかみち子さんの存在がこのシリーズの牽引力になっていたのかも。 世のお父さん方は国民的映画の石田えりの“服を着てても溢れ出る日常的なエロス”を観て、ひとときの“幸せ”に浸れたんじゃないだろうか? この勝手な思い込みの是非を検証するため、2も観てみようと思う。[インターネット(邦画)] 7点(2023-01-28 22:34:35)《改行有》

283.  モンスターズ・インク 《ネタバレ》 “Monsters, Inc.”Inc.=インコーポレイテッドは“法人組織”なんだって。ふぅ~ん。お化けには学校も試験も何にもないのに大変だモンスター。ディズニーのCGアニメなんて、どうせ子供向けだろう。って観ないでいたけど、当時ついつい出来心で観に行って、そしてとっても驚いて、DVDまで買ってたんだな。 CGのオモチャ、CGの虫と来て、ついにCGの人間をメインキャラにしたのって、本作が初めてだったと思う。ファイナルファンタジー(未見)はいろいろ酷かったらしいけど、さぁコッチはどうだ?って思ったら、普通に可愛く動いてる。目がクリクリ動いて、アニメのキャラと変わらない、体温を感じさせるキャラになってた。凄いなディズニー。ってかピクサー。 ストーリーはドタバタと追いかけっこなんだけど、子供に振り回される大人が主役だから、完全に子供向けではなく、大人の視聴に耐えられるかの実験要素も入っていたのかな?日本のアニメで子供だけでなく大人も楽しめるとなると、どうしてもノスタルジックな演出になってしまうところ、会社や出世やデートを入れてくる辺り、新鮮に思えたわ。さすがハリウッド。 トイ・ストーリーがやや怖めだったので、モンスターが主役だけど怖さは控えめ。ブーが潰されたんじゃないか?ってシーンも、最初に“ブーは無事だよ”って観せておいて、子供が怖がらないようショッキングな要素は減らしてる。 エンディングについては、最後ドアの木片に微笑んで仕事を頑張るサリーで、大人は大満足だったろう。そこから先の再会は大人にしてみれば蛇足なんだけど、子供はそっちのほうが喜ぶものね。正しい選択です。 エンディングのNG集は驚いた。自分たちで構築した世界観壊すんだ。でもドラマや映画の悪役が、実生活でも苦労してるって話もある業界だから、ランドールみたいな悪役も“そういう役なんだよ”って認識させるエンディングは、アリと言えばアリか。 子供向けアニメも真面目に創れば、大人の鑑賞にも耐えうる物になるお手本のような作品かな。[映画館(字幕)] 7点(2023-01-22 15:30:51)《改行有》

284.  最強のふたり 《ネタバレ》 “Intouchables”『触れ合わない人たち』かもしれない。“Untouchable”のフランス語です。 翼くんと岬くんなんかを連想しそうな邦題は、『2人の間の不可侵な友情』を表しているんだと思います。ただもしかしたら、『接点が無く会う筈のない2人が出会った結果、こんな事になるんだよ』って意味のタイトルかもしれません。 疾走する高級車とパトカーのチェイス。命の危機って感じの深刻なOPから、もうすっかり騙されてしまった。 全身麻痺の大金持ち相手に、どう付き合うかを考えたら、やっぱり私も辞めていく側の介護士みたくなるだろうな。フィリップはもともと障害を持っている人じゃないから、その部分に対する必要以上な気遣いとか、もう沢山って感じだったんだろう。かといって何かが出来る身体でもないので、不満を持ちつつその生き方を受け入れていた。障害者になってから、自分の行動を自分で決められないイラつきを介護士にぶつけていたところ、ドリスが現れて、立場お構いなしにメチャクチャいじられて、ズケズケと物を言われる。 健常者の頃は当たり前だった他人との距離が、ドリスの登場で取り戻せたんだろう。足に熱湯掛けたり、マリファナ薦めたり、オペラで爆笑したり、髭剃る時ヒットラーにしたり、笑っちゃいけないことに笑ってしまう。 エレノアに障害を隠した写真を送ったフィリップに感じる人間臭さ。あれだけの大金持ちならフラれる可能性こそ少なく思うけど。『彼女は車いすの自分を見て同情するんじゃないか?』という不安が湧いたんだろう、もともと障害を持っている人じゃないフィリップらしい不安。この恋の行方がハッピーな方に進んだのも良かった。[CS・衛星(字幕)] 7点(2023-01-10 23:20:49)《改行有》

285.  アバター:ウェイ・オブ・ウォーター 《ネタバレ》 “The Way of Water”『水の(世界で生きる)習わし』。前作が森を舞台にしたのに対し、海を前面に押し出してきた本作。 体験型アトラクションとしてとても解り易い住み分けですね。ストーリーより映像美重視な作品とはいえ、前作より30分も長い3時間超えの上映時間を飽きさせない手腕はさすが。 前作から10年以上、“あれからジェイクたちに何があったか?”を駆け足で伝えていく中で、ネイティリとの実の子と養子養女。5人も出てくる。もし序盤のまま森が舞台だと、みんな青くて細くて、じっくり観ないとどれが誰だか??ってなりそうだけど、外観上違いのあるメトカイナ族の中にサリー一家を放り込むことで、きちんと(かろうじて?)区別は出来るようになっている。 ただ顔と名前が一致するまでちょっと大変なのと、パンドラ世界の固有名詞がポンポン出てくるので、直前に前作を観ておくと理解はスムーズだったと後悔。 ストーリーは、南北戦争の映画を観ていると既視感多いかもしれません。戦争に巻き込まれた大家族の宿命も。 本作は最初から続編を考えての作品の為か、全力を出し切った感が薄いです。キャメロンはターミネーターにしてもT2にしても、一つの作品に全力を出し切る姿勢が大好きでした。過去のどの作品も“彼らの戦いは今後も続くけど、映画で描くのはここまでおしまい”って感じがしっかりしていたのに、本作は“まだ続きますよ”感がありありで、こう観せられると『続編作りの神様でも、普通な終わり方するんだな』って思ってしまいました。 本作のヒロイン・キリが、まさかのシガニー・ウィーバーってことに最後のクレジットまで気が付かなくて。動く城の映画で感じた声の違和感が全く無かったのが、さすがのクオリティ。キリがシガニー本人なら、彼女の出生の秘密や不思議な力の理由も、モヤモヤっと解る気がしてきたぞ?そんな事より、この映画のモーションは、演者自身の動きから取り込んでいるんだろうか?だとしたら凄いなシガニー。 ひと作品の中で、同じような“捕まって逃げて”を何回も繰り返すから、さすがに『また捕まるのかい』って思った。そう言えばキャメロン映画の多くに“捕まって逃げて”が出てくるっけな。でも本作ほど何回も似たような展開がってのは、初めてだった。 『息子には息子』サリー一家の中で唯一純血のナヴィ・ネイティリの、スパイダーへの行いが、私の中でも未消化。あれで終わったのか、今後掘り下げるのか?う~ん、交われない存在って事なのかなぁ。 アトラクション映画として、今回4DXの字幕版で視聴。SWのEP9以上に映像と座席の動きに一体感が感じられました。浮遊感が素晴らしく、大佐のビデオメッセージのシーンでは宇宙酔いしそうに(※長時間じゃないので心配無用)。さすが家庭ではなく劇場で観るために作られた映画らしいなって思いました。 登場人物がナヴィばかりなのに英語のセリフが多いのは、字幕に気を取られるのを防ぐためだろう。そう考えると吹替版が一番適してるのかも? 映像に合わせて背中を叩かれるような衝撃が伝わるんだけど、3時間超えとなると首がじんわりと痛い。水しぶき同様、衝撃OFF機能が欲しかった。肩こり持ちの人はIMAX版のほうが良いのかな? そうそう、直前までIMAX版と迷ったせいで、うっかりREALD・3Dメガネをまた買ってしまった。これで5本になりました。欲しい人居れば…[3D(字幕)] 7点(2023-01-02 11:38:17)《改行有》

286.  ヒッチャー(1985) 《ネタバレ》 “The Hitcher”『監視者』…何だと?いや確かに“Hitchhiker”じゃあないんだよなぁ。でもあの登場する時のタイミングの良さとか、先々を呼んでの行動とか、監視者と言えば、そうかもなぁ?なんて思うところ。 ま、Hitci(引っ掛ける)のスラングからの“ヒッチハイクする人”で落ち着きそう。 はじめて観たのは昼のロードショーだったと思うけど、まぁ~ま怖いこと怖いこと。最初のワーゲンの犠牲者にせよ、次の子連れの家族にせよ、直接的な殺害シーンは見せないし、死体も出ない(滴る血だけ)。それなのに怖い。 ホントに死んでたのか?嘘だろ?なんて疑いつつ、このジョン・ライダーという男なら犠牲者をサクッと殺しただろうな。って思わせる説得力。ルトガー・ハウアーの醸し出す空気なんだろう。ルトガーってバラエティ番組とか出なさそうだもん。 この映画で多くの人にトラウマ級のショックを与えたのがナッシュの最後でしょう。田舎町の平凡なウェイトレス。バスでの偶然の再会。警官に殺されかけたジムを助ける。当時の映画ヒロインの王道展開とも言えます。 それなのに、あんな残酷な最後を迎えるところに、この映画の狂気を感じます。映画の常識が通じない狂気。 ナッシュの死でこの映画はバッドエンディングを迎えます。ライダーを殺すチャンスを活かせず、万に一つかもだけどナッシュを救うチャンスも活かせず。 ゲームならあのシーンで終了だけど、映画は続きます。その後のジムの積極的な復讐劇を観ても、今さら感が付きまといます。それはジム自身の胸中にもずっと、つきまとうんでしょう。あのザラザラした後味の悪さが、この映画の一番の魅力かもしれません。[地上波(吹替)] 7点(2022-12-27 23:29:03)(良:1票) 《改行有》

287.  あいつと私(1961) 《ネタバレ》 ヤー!!ヒッップ ヒッップ ヒップラー♪初めて観たときは、あのオープニング曲にズッコケそうになったけど、2回め観ると意外と癖になるね。歌はともかくイントロの高揚感は今の時代に聞いても素晴らしい。 '60年辺りの大学生のドラマなんだけど、まるでアメリカの学園コメディのようなノリ。会話のテンポの良さが、どことなくシン・ウルトラマンの会話に近い感じがした。そういや、けい子の一人語りはまるでエヴァの赤木リツコみたい。 セックス、赤線、ザーメンと、オブラートに包むことなく日常会話で出てくる性表現にビックリする。当時の若者、こんなだったのかな?『処女と童貞のままで 九月にまたこの丘の上であいましょう』…ってなにそれ。温泉マークがラブホテルの意味だったなんて、勉強になりました。 そしてパワフル。友達の結婚式に出て、安保闘争に参加して、レイプされた女友達を介抱して、次の日はデーゲーム野球観戦。早朝に3人並んで瓶牛乳ガブガブ飲むとこ大好き。軽井沢の別荘からママに呼ばれての食事も、みんな食べる食べる。日本が裕福になった時代なんだな。 この映画の主役は芦川いづみ。彼女と裕次郎の、嵐の中のキスシーンはとても綺麗。ここのシーン、三郎の過去を聞いてけい子が飛び出してズブ濡れになるんだけど、ここ三郎をプールに突き落としてズブ濡れにしたのと対になってるんだろう。お互いの家の食事も。けい子が三郎宅に泊まる時の、モトコ・桜井のものと思われるブカブカのネグリジェ姿が可愛い。これも三郎がけい子の父のブカブカの服を借りたのの対になってる。ついでに三郎は女装したんだから、けい子の男装も観たかった。 思春期の三郎に性の相手を与えたのはママ。そのせいで恋愛感情が歪んでも、ママを恨むどころかママが好きな三郎。 そんな三郎を不潔と言い、強引にキスされても、翌朝には車と別荘があるから友達を続けるというけい子。 家にまで愛人を呼び込むモトコ・桜井。嫌気が差して荷物まとめて出て行こうとするけど、結局出ていかないパパ。 彼らと、安保反対と叫びつつ、朝鮮特需の恩恵を受けて平和で贅沢な暮らしはしっかり謳歌する、当時の日本の大学生が重なってしまう。[CS・衛星(邦画)] 7点(2022-12-10 00:06:50)《改行有》

288.  哀愁 《ネタバレ》 - Waterloo Bridge - “ウォータールー橋”ナポレオンの『ワーテルローの戦い』から名付けられた橋なんだそうな。なるほど。 印象的な白いビリケンさんのお守り。1908年辺りに特許が~とあるから、マイラも流行りものとして一つ持ってたのかも。 ロイを好きにならなかったら、彼女はバレリーナとして、花形にはなれなくとも、淡々と生きていたかもしれない。 劇団を解雇され、娼婦に身を落としながらも懸命に生きてきたマイラ。ロイとの再会が無ければ、死を選ぶこともなかっただろう。 幸せを掴もうとしたが為の悲劇。マイラがあまりに純粋だからこその悲劇。彼女に人並みのしたたかさがあれば。 マイラに一目惚れし、大佐との食事を断ってまでバレエ劇場に足を運んだロイ。 戦地への赴任延期の日を、マイラとの結婚に使う、ある意味強引で、自分の感情に真っ直ぐな性格なんだろう。 家柄の良さからか、戦時中に職を失った女性がどのように生きていたのか想像もしない辺り、ロイもまた純粋だった。 キティ。純粋な2人を結びつけたいと、マイラと一緒に(というかトバッチリに近いカタチで)劇団を解雇され、彼女を見捨てること無く、黙って娼婦に身を落としたキティが素晴らしすぎる。 ある意味虫が良すぎるマイラ提案の玉の輿作戦。見方によってはキティを蔑ろにする行為なのに、快く送り出す優しさも素晴らしすぎる。 ロイがマイラを探して訪ねてきた時も、ストレートな物言いをせずに黙々と案内するところも素晴らしすぎる。 キティとマイラが初登場する時、「空襲警報だわ」って、マイラの前にグイッと割って入って言うところ含め、この映画の影の主役は二人を結びつけるために活躍したキティ。白いビリケンさんをロイに渡して以降、白いキティが常にマイラを守ってた。あまりに素晴らしすぎるキティ。[DVD(字幕)] 7点(2022-12-04 18:51:07)(良:1票) 《改行有》

289.  誰も知らない(2004) 《ネタバレ》 実話ベースの事件映画に、スッと観やすいものと、ヨシ、観るか!と観るのに気を張るものがある。この映画は後者。 終始事件の被害者目線で描かれるから、観た後にどっと疲れる。それにも増して、被害者が自活能力のない子供目線なのが辛く、娯楽としてみるのは難しい。 事件ものとして観ると、この場合加害者と言って良いのか、一番に救いの手を差し伸べなければいけない母親が、この時この瞬間、何をしているのかが観えてこないのが腹立たしい。ただ家庭で子供に接する様子は、母親というより、まるで一番年長の子供のよう。母親の肩を持つ気は全く無いけど、子供を産んできちんと育てる環境が無いのもまた悲劇なのかもしれない。 彼らの生活を一番に支えたのがコンビニ。最初のキッカケは、ゆきがお願いしたアポロチョコで、スーパーには無くてたまたまコンビニで買う。万引きを疑われた時も、スーパーで買ってコンビニには立ち読みと公共料金の支払いに来てただけ。お年玉のぽち袋をコンビニで買うのは、名前を書いてもらう目的もあったけど。一人暮らしの学生が『コンビニでタバコ買う時しか人と会話してない』なんて言うけど、明にはコンビニが唯一に近い『大人と話せる場』だったんだろう。母親の決めたルールを破って兄弟を外で遊ばせる。その後コンビニで爆買い。明くらい生活能力がある子なら、スーパーのほうが安いことは気が付いていただろうに。明に廃棄弁当を渡す顔なじみのコンビニ店員。深読みして良いのか悩むけど、店長は知ってて見逃してるんだろうな。何も動かない母親とアパートの大家に対し、彼らに最低限のライフラインを繋いでくれるのが、他人が経営するコンビニ。 公共事業(電気ガス水道)は無情にも機械的に停められる。郵便局から送られる母親からの仕送り、無機質な現金書留とかんぽのメモ。 最初は周りに見付からないようコソコソと生活をしていた子供たち。だけど外に出ても、身なりがボロボロでも誰もが無関心の恐ろしさ。通園バスの児童置き去りが問題になっている昨今、子供たちの現状に誰も気が付かないことが恐ろしい。[CS・衛星(邦画)] 7点(2022-11-20 13:54:58)《改行有》

290.  超時空要塞マクロス ~愛・おぼえていますか~ 《ネタバレ》 マクロスはTV版放送当初から話題だったけど、如何せん日曜のお昼2時から放送していたから私はほとんど観たことなかった。お父ちゃんがNHKの囲碁見るんだよ、だから遊びにいって、観忘れちゃうんだよ。だから私にとってきちんと観たマクロスは、この劇場版だけ。 アニメを観て育った世代のアニメ作品。このアニメの影響で、アニメファン=オタクと呼ぶようになったんだとさ。 ミリタリー色の強いロボットアニメに、異業種の流行を取り入れる手法の成功例で、ガンダムがロボット+超能力(ユリ・ゲラー)ブームのミキシングだとすると、マクロスが選んだのは+アイドルブーム。飯島真理の“愛・おぼえていますか”は、イメージソングの枠を超えた劇中曲として、アニメの枠を飛び出して認知された最初のアニソンかもしれないですね。 当時の芸術的な戦闘シーンと並んで、主人公たちの三角関係が描かれますが、輝の部屋でミンメイと二人きりの時に美沙がバッタリ!とか、当時でもカビの生えたメロドラマ展開が、目の肥えた大人からは、失笑を買ったのかもしれません。“オタクは根暗で恋愛経験が乏しいから”とか“所詮アニメの恋愛描写なんてこんなモン”とか。 輝の人物像がイマイチ解らないけど、スーパーアイドルより美沙を選ぶのは、彼ら製作者側の経験の反映なんでしょうか。二人きりの生活をキャッキャとイベントのように楽しむミンメイと、(絶望度は異なるけど)泣いたりワガママ言ったりしながら、食器並べて癒やされてる美沙。コレじゃミンメイが中身スカスカに思えてしまいます。遊ぶならミンメイ、付き合うなら美沙って感じですかね。 ミンメイはシャワーシーンがあるけど、美沙はありません。その代わりマクロスが迎えに来た時の上着を着る仕草から、二人に何があったか想像させるのは、当時のアニメとしてはかなり大人な観せ方だったかもしれません。首チョンパとかは入れるくせに。 じゃあミンメイは美沙の噛ませ犬でしか無いのか?シャワーシーンで乳出しただけの女か? 私はミンメイが歌う決心をしたシーンが結構好きです。輝を諦めた、あの“間”。そして「ごめんね輝・・・私歌うわ、思いっきり!」と満面の笑顔。 あそこ演技なんですね。輝とキスしたシーンのセリフ『あんなの演技で出来んのよ、ビジネスよ。やってみせましょうか?』とおんなじ。 輝との最後に、フラレても全然平気な演技をするミンメイの健気さ。キスシーンの時の比じゃない、演技に入るまでの“間”の長さが、ミンメイの心の辛さを物語ってます。いいシーンです。『解ってくれたか』って感じに笑顔で歌詞を渡す輝がアホに見えます。 そこから一気に“愛・おぼえていますか”とマクロス・ブリタイ共同戦線の神展開。日本にMTVが本格上陸する僅か前に、このクオリティのミュージック・ビデオをアニメでやったのは凄い。[地上波(邦画)] 7点(2022-11-16 22:26:13)《改行有》

291.  Red(2020) 《ネタバレ》 失楽園に代表される“不倫”というそもそものテーマ自体に、嫌悪感や不快感を抱く方も多いと思う。そして観た後のあまりの救われようの無さ。だけどテーマと映画の出来を切り離して考えると、良く出来た映画じゃないかと感じた。 私のハンバーグは食べないのにお母さんの煮付けは食べる夫。そんな踏みにじられた人生に我慢してる多くの主婦は、この映画に共感する反面、認めたくない気持ちも強いかもしれないし、その気持は痛いほどわかる。だって子供が…って。 塔子の前に鞍田が現れるタイミングの絶妙さとか、塔子を取り巻く男が3人なのに、絡んでくる女がゼロとか、かなりご都合主義な面も観えるけど、妻夫木聡の優しそうな微笑みと、夏帆ちゃんの透明感とクリクリした目。この2人に焦点を当てた結果の省略だろう。小鷹がもっと二枚目だと話がややこしくなるし。 「でもさぁ人間さぁ、どれだけ惚れて死んでいけるかじゃないの?」 父親は女を作って出ていったと言うが、きっとその原因は母親だろう。そんな母親の生き方を否定し、裕福な家庭の優しい旦那と結婚し、専業主婦として可愛い一人娘を育てている塔子。海外出張中の父親とは円満離婚してると、嘘をついてまで手に入れた幸せな家庭。 塔子が手に入れた人の羨む裕福な家庭は、彼女自身の求めたものではなく、反面教師と言える自分の母親が手に入れられなかったものなのかもしれない。 「今がとっても幸せ!」「…君は、変わってないな」10年前もきっと、ステレオタイプの幸せ論に満足している自分の本心を見透かされて、鞍田に奥さんが居ると知りつつ、関係を持ったんだろう。塔子の女の部分、人の男を奪いたい欲求だったのかもしれない。 今度は自分に夫が居る立場での不倫。子を持つ母親でありながら、満たされない女の部分の欲求が、10年前と変わらない鞍田を受け入れる。 「…生涯で、ただ一人好きになった人と、一緒になったこと。」だから、もう夫にとっての結婚は終わってたんだ。あとはもう夫にとって妻という存在は、子を育てて家庭の幸せを維持するための道具でしか無いんだ。ここに残っても夫の道具として、村主家の為に、じわじわ死んでいくだけなのに気がついた塔子。 「鞍田さん・・・生きましょう。」[インターネット(邦画)] 7点(2022-11-15 22:47:21)《改行有》

292.  陽暉楼 《ネタバレ》 ウリらしいウリが“浅野温子VS池上季実子”のキャットファイト。前座として“倍賞美津子VS佳那晃子”。…なんだろうなぁ。美人女優たちがバァン!と太もも出して、プルン!と乳放り出して、髪掴み合って戦う様は、確かに凄まじい。 浅野VS池上は両者入場から激しい睨み合い、浅野の一方的な宣戦布告からの格下相手の前哨戦、見事な先攻ダンスパフォーマンスからマイクパフォーマンスの応戦。会場を移してのメインイベントは、皆さんお待ちかね、5分にも及ぶ場外乱闘デスマッチ。トータルおよそ14分近い熱戦がアツいアツい。上映時間100分の、実に1/10の時間をここで使ってる。 この衝突し合う珠子と房子。お座敷の芸姑と遊郭の女郎。ダイカツをお父ちゃんと呼ぶ妾と実娘。これはなかなか面白い。そして徐々に仲良くなるでなく、別れをキッカケに大親友になる展開も、ふた昔前の少年ジャンプチックで面白い。 この二人の戦い、友情、ダイカツと2人の娘の話に絞って、サクッと100分程度にしていれば、とても小気味好い作品になっていたと思うんだけど。序盤の呂鶴の死とか、お袖VS丸とか、ダイカツとお袖の過去とか、バッサリ切ったほうが良かったろうに。その代わり珠子とダイカツのここまでの過程を掘り下げるとか、忘れた頃にチョロチョロ出てくる稲宗組をもっと絡めてくるとか、出来たと思うなぁ。 ただ遊郭映画の大作として制作したために、オープニングの芸姑が大勢で移動する様子は見応えがあった。凄い。AKBとか坂道シリーズみたい。 ここに来て“あぁ、芸能界とか風俗産業って、こんな時代から脈々と今に繋がってるんだなぁ”って、今さらながらに思ったのです!やっと。 芸姑と女郎の違いって、今で言うと何だろう?華やかしいこの子たちの裏に見え隠れする暴力団って、今どうしてるんだろう?そんな気付きを与えてくれた映画でした。[インターネット(邦画)] 7点(2022-11-13 14:44:14)《改行有》

293.  旅立ちの時 《ネタバレ》 - Running on Empty - “スタミナ切れ” なんか意外なタイトルでした。邦題のイメージとぜんぜん違う。劇中の何を表すタイトルなのかイメージ沸かない失敗した最初にタイトル調べとくんだった~ぁ 生まれ育った環境が特殊な少年の成長物語。FBIに追われ続けて14年。しかも家族4人で…って、そんな生活ってあるのかい?ちょっと想像が追いつかない。身の丈にあった想像に落としたら、交番の前の指名手配犯のポスターを思い出した。あぁ、あんな人が家族連れて逃げてる感じか…アメリカって広いな。 リバー・フェニックス。若くして才能とカリスマ性を開花させていた少年。将来絶対凄い名優になると思った矢先の、突然の死。彼の短かすぎる生涯と、この映画のダニーが被ってしまう。というか、私が勝手に映画の登場人物とリバーの私生活をリンクさせているんだろう。恋人マーサ・プリンプトンとの2度目の共演というのも、銀幕の中のリバーと生身のリバーを同じ人物のように観てしまう。まるでピーター・フォークとコロンボ。渥美清と寅さんのように。 潜伏はあくまでエッセンスであり、焦点は家族愛とダニーの成長。潜伏生活でありながら追われる身のハラハラ感が少ないのは、追うFBI側の視点が出てこないからだろう。ここに来て表に出たダニーの才能。その才が母親から譲り受けたものと解る連弾のシーンはホロリとしてしまった。 自分の足で歩き出そうとする少年と、変わることが出来ない両親。と思いきや、あのエンディングは唐突であり、無計画であり、無責任であり、父親が子に与えられる最大の愛。捨てざるを得なかった夢を子に託す母親の愛。 ダニー=リバーの人生が、これからどんどん良くなる兆しで溢れる、素晴らしいエンディングでした。[CS・衛星(字幕)] 7点(2022-11-11 22:45:46)《改行有》

294.  大人は判ってくれない 《ネタバレ》 - Les Quarte Cents Coups - “殴打400回”凄いタイトルだけど、フランスの慣用句が由来(『思いっきりやらかす』とかって意味だと思う)だそうです。英題は- The Four Hundred Blows - 邦題と違って直訳が多い気がします。でもとても良い邦題。映画の内容を解りやすく伝えようって、作品愛が感じられます。 『大人は(子供の気持ちを)判ってくれない。』とストレートに解釈しても良いんだけど、逆説的に『子供は判ってる』という事を伝えているんでしょうね。 アントワ―ヌは母親の連れ子なのに、その母親は夫との口論の際「子供を施設に入れなさいよ」と口にする。白昼の浮気現場を見られたその晩に。大人になるまで『別にそこに居てもいい』だけの家庭。実の母親に必要とされていない子にとって、家庭にどれほどの意味があるだろうか。「実は母が…死にました」は、咄嗟の嘘だけど、彼の中で本当に母親は死んだんだろう。 そんな母にとって、家出の手紙はショックだったんだろう。きっと自分の本心を見透かされたようで。だから彼女なりの精一杯の努力をしてみる。自分のベッドに寝かせ、過去の話をしたり、作文のご褒美を用意したり、家族で映画を観に行ったり。ただやっぱり、今の夫にもそれほどの愛情もなく、子供も邪魔な存在でしかない母にとって、アントワーヌの逮捕は願ってもない事件だったろう。 母親としてちゃんと進学させるよう、努力はしたけど駄目だった。最初から用意されていた結論ありきの問題と答え。家庭じゃあの子は育てられないから、あとは鑑別所でお願いね。という免罪符。 スタートから終了までをノーカットで長~く観せる遊園地のローター(乗ってみてぇ~楽しそぉ~)が印象的。アントワーヌが回ってるんだけど、ローターの遠心力で自由の効かないアントワーヌからは、世の中のみんなが回って見えるのだ。 もう一つ長くて印象的なのが、人形劇の赤ずきんちゃん(だよね?)。面白いところで笑い、ピンチのところに驚き、逆転劇のところに歓喜する。真剣な眼差しの子どもたち。対象的に如何に金を手に入れるか考えるアントワーヌとルネ。与えられるもので喜ぶ幼い子供と、与えられないものを得るために思案する2人。 そして最後にしてこの映画のハイライト。母親が望んだ鑑別所から、自らの意思で延々と走り去るアントワーヌ。追手が居ようと居まいと走り続ける。走ることで大人が子供に与えたもの全てを振り払う。教育や娯楽、ルールや罰則、不自由から逃れるのに必要な距離と時間。辿り着いた海岸は“子供としての最後”と解釈。何故ならそこから先はもう、与えられる立場(=子供)とは言えない存在になることだから。 『さぁ、これから、どうする?』最後の表情は、誰も答えてくれない質問を問い掛けているんだと、そんな風に思えました。[CS・衛星(字幕)] 7点(2022-10-29 01:48:44)《改行有》

295.  霧笛が俺を呼んでいる 《ネタバレ》 面白い。なんかジャズ調の音楽がいい感じ。 カメラワークも工夫が見られて、ビルの高所の撮影では一段高いところから俳優と地面を入れてる。窓拭きのゴンドラなんて、正直そんなに狭くなくて安定感ありそうだけど、地面の車や人の動きを入れて緊張感ある画になっている。エレベーターが降りる画とか、今でこそダイ・ハードとかでよく見る画だけど、当時の邦画でこういうのって、あまり無かったんじゃないかな? 当時の懐かしいビル群を流れるように映したり、お決まりの酒場の賑わいなんかが、日本なのにとてもお洒落。 モノクロの写真と家庭崩壊の映像で、当時ペイと呼ばれていたヘロインの恐怖をこれでもかと描いている。日本でのヘロイン被害のピークは'61年とのこと。リアルに社会問題を考えた映画だったようだ。 赤木圭一郎の映画は初めて見たけど、足が長くスタイル抜群。今の目で観てもハンサムで、最後の海員制服もビシッと決まってる。この翌年に亡くなってたのか。ご存命なら日本映画界に華やかな功績を沢山残しただろうに。 相変わらず綺麗な芦川いづみは『彼氏が自殺したクラブの歌手』という役なので、明るい笑顔が観られないのは残念だけど、船乗りモノ映画のまさに“港の女”ってイメージ通り。真知子巻きがまた似合うんだ。その後の杉がロープを探しに海に潜る所で、海風でセットが乱れた風のナチュラルな髪型も素敵。 そして私が観た中で最初期の吉永小百合主演作。芦川いづみが大人の魅力を出している代わりに、年相応の若くて明るい浜崎の妹役(ただし術後のリハビリ中)で、笑顔がホントキラキラしている。浜崎の隠れ家に連れてこられて、赤木が降りた後の車で待つシーン、後頭部だけ映ってるところから、きちんと横顔をカメラに収める技。そして『どうしよう…そうだ景色を楽しんでる演技でもしてみよう』と思ったのか、やや視線を上に向けるぎこちなさが初々しくて可愛い。 そうだったのか、名作『第三の男(まだ観てない)』のリスペクト作品なんだ。 いやでも、とてもカッコいい'60年代の日本を代表する娯楽映画だと、思うんだけどなぁ。[インターネット(邦画)] 7点(2022-10-23 13:42:13)《改行有》

296.  沈黙のパレード 私はドラマ版は数話しか観ていなくて、容疑者Xを観に行ったくらい。でもやっぱり福山と柴咲コウが並んでいつもの会話をしていると、同窓会的な嬉しさを感じます。公開年と同じ2022年の秋祭り(パレード)が舞台。そう考えると未だにマスクが取れてない現実とのギャップを感じるところ。映画的には長すぎに感じなくもない『キクノ・ストーリー・パレード』だけど、久しく観ていないノーマスクの全力カーニバルが懐かしくも思えたかな。 今回の主人公は草薙刑事。警察の人間として、加害者と被害者の間に立つ存在として、事件の始まりからみるみる内にやつれ果てていく姿がとても痛々しい。 被害者側に肩入れして観てしまうので、事件になることを食い止めたい気持ちでの鑑賞。意外とアッサリ。からの・・・ 可能ならばもう少しスッキリしたカタチで、15年前と4年前の真相をもう少し知りたかった気持ちが無いわけでもない。でもなぁそのシーンって絶対、後味スッキリ出来ないのは想像できる。だから、無くて正解だった。としておこう。 私のようにドラマあまり観てない人はともかく、多くのガリレオファンは、湯川先生と内海刑事の軽快な会話を楽しみたいんだと思う。そして湯川先生の閃きから無心に書かれる方程式を観たいんだと。 ドラマの時と殆ど変わらない内海刑事。それに比べて当時より少しふっくらした湯川先生。うん、この映画くらいの落ち着きを観せて良いって思えるほど、このドラマも息が長く、みんな歳を重ねたんだな。 15年も前に始まったドラマの続編が、いま、充分に満足できる内容で映画化されることは、実に喜ばしい。[映画館(邦画)] 7点(2022-10-23 00:40:45)《改行有》

297.  ラスト サムライ 《ネタバレ》 - The Last Samurai - “最後の侍”  賛否両論は当時からあったけど、例えば007観たあとシュッと背筋伸ばしてスパイ気分で劇場を後にするように、私もこの映画を観て「武士道とは・・・」って、日本人の誇りについて考えなら、ある種日本人であることの誇らしさを感じながら、家路についたっけ。 アメリカ製の日本映画ですね。日本の文化を丁寧に勉強して創ろうという姿勢に、とても好感を持ちます。日本人から観てオカシイところが無いよう、真田広之や原田眞人が積極的にアドバイスをしたお陰か、目に余る変な描写はなかったと思います。 忍者が出てきたりは、いわゆるサービスシーンで、ハリウッドの“必要のないカーチェイス”や“必要のないシャワーシーン”みたいなものだと思っています。 日本人らしいなぁって思ったのが、例えば“たか”が小声で「獣のような匂い、耐えられません」と、自分でアルグレンさんに言うのでなく、信忠に言ってもらおうとする。でも目が合うとついつい愛想笑い。 不満を隠して尽くしてきたたかに「ゴメンナサイ」と夫を殺したことを謝るアルグレンさんに、まるで憑き物が取れたように一筋の涙を落として気持ちを受け入れるたか。この辺、上手いなぁって思った。小雪の演技力も凄いけど、こんなシーン入れてくるアメリカ人、凄いなぁ。 お金の掛けようも素晴らしく、港町の街並みも日本らしい気がする(中国とゴチャ混ぜになってない)し、お侍さんが登場する所で市井の人たち(日本人のみ)が顔を伏せるのも、らしい。 天皇の表現も、穏やかで好奇心旺盛。私腹を肥やす大村のような人間に利用されつつも、最後ビシッと決めてくれるところは心憎い演出。アメリカ人ってみんな日本の天皇(昭和天皇とは別だけど)に、悪いイメージ持っていると思っていたよ。 戦闘シーンも迫力があって、ハリウッド基準で撮られているのも嬉しい。比較対象が13年も古い『天と地』とになってしまうけど、あちらも近年の歴史超大作。日本人が大金を投じて、自分たちの歴史を表現したのが、アレだ。なんかもう、些細な誤解をチクチク言うのもどうかと思うくらい、頑張って創ってくれたなぁって思ってしまう。何だったんだろうパール・ハーバーって。[映画館(字幕)] 7点(2022-10-11 13:59:29)《改行有》

298.  リーサル・ウェポン4 《ネタバレ》 50歳だったマータフが前作で退職(55歳かな)撤回してから、実に6年後と、かなり期間を空けての本作。1作めからだと11年目。長寿シリーズのイメージだったけど結構駆け足だったんだな。 二人の名コンビも健在。最初の火炎放射装甲男が目的も意味も解らなくて最高。シリーズの貫禄を見せつけてくれた。 密入国問題を軸に、偽札作りとマータフの横領(?)問題を絡めて、チャイニーズ・マフィアとの戦いを描いている。ジェット・リーの本格カンフー使いが相手という、ちょっとファンタジック路線な敵に、初見時は戸惑ってしまった。だってリーサル・シリーズにカンフーって…まぁ今では慣れてしまったけど。 立ち位置的には、シリーズ3部作に、後日談としての本作って感じかなぁ?全体的な評価だと3が低く他3作は同じくらいと。ちょっと評価高めな気がするけど、リッグスとローナの結婚。リッグスとレオの友情。リアンの出産。シリーズ皆勤賞のサブキャラ、マーフィー警部に精神科医のステファニー先生。シリーズ全作を一人の監督が撮りきったのも、地味に凄いかも? そしてホンワカしたあのリーサル・ファミリー全員集合のエンディングを観ると、私も良いシリーズだったなぁって、しみじみ思ってしまうニクい演出。[地上波(吹替)] 7点(2022-10-11 07:44:40)《改行有》

299.  ひろしま(1953) 《ネタバレ》 この映画が原爆から僅か8年目に創られたことに驚く。そしてその目的が“原爆の記憶を風化させないため”ということにも驚く。 日本人の適応能力は素晴らしい物があるが、それと同時に忘れやすさも素晴らしいと思う。戦争が終わり、日を追うごとに戦争当時の痛みを忘れ、世の中にはどんどん欧米式の新しい建物が立ち、学生たちはGHQの指導の元で、戦後の新たな教育が施されていた時代。日々変わっていく世の中で、つい隅に追いやられてしまう過去の記憶。 鼻血を出す女生徒。原爆体験者の数を聞き、クラスにこれだけ居たんだと驚く教師。ABCC(原爆傷害調査委員会)は被爆者の診察はしても治療はしてなかった事実。この忘れやすさ、辛いことは過去のものとして、綺麗さっぱり前を向いてしまう辺りが何とも日本人臭い。 原爆は甘え。体験した人にはホントきつい一言だ。被爆者が口を閉ざすのも解る。日本の復興のスピードもこの当時から早い。東北震災から復興のスピードを見ても、8年目ともなると震災当日くらいしか思い返さないくらい、過去の出来事と化してしまっていたと思う。そして先生のように、未だに震災の被害から回復していない人に驚いてしまうとか。ホント今の時代と変わらないかも。 原爆当日の広島の様子、阿鼻叫喚の地獄絵図は凄まじく、また撮影の経緯も当時の広島の人達の気持ちが籠もっていた。自分があの日、目にしたものを再現して、より多くの人に映画として観せる。 戦災孤児。弱い孤児たちがグループを作って、米兵に物乞いして逞しく生きる姿。頭蓋骨について、はだしのゲンでも出てたと思う。本当かどうか定かではないけど、本当なら、アメリカ人が日本人をどのような目で見ていたかが解る。そしてそれは最初の“どうして白人の国ドイツではなく黄色人種の国日本に原爆が落とされたか”に繋がる。 当時は朝鮮戦争の真っ最中。幸夫は仕事で砲弾を作り、パチンコが戦争の資金になるって女の子も言ってた。 平和のために戦争に手を貸さない。結果それが反米だとして、広島に原爆を落としたのはアメリカなのは、未来永劫変わることはない。それを絶対に忘れない為に、その想いを込めて、この映画は創られたんだろう。[インターネット(邦画)] 7点(2022-10-08 19:18:42)《改行有》

300.  空飛ぶタイヤ 《ネタバレ》 タイトル聞いてパッとあの事件を思い出すのは、いい年齢な証拠かもしれない。三菱自動車のリコール隠し。東京フレンドパークの「パ―ジェーロ!パージェーロ!」が「クールーマ!クール―マ!」になったのって、この時だったっけか。覚えているつもりでも、時間とともに案外忘れてしまうもので、あの脱輪事故はリコール隠しから数年後に起きた事件で、三菱自動車への信頼をとことん下げる事件となった。そして沈没。超巨大戦艦なだけに、時間を掛けてゆっくりゆっくり沈んでいっている。 そしてこの映画、人の亡くなった事件で面白かったと言ったら不謹慎かもしれないけど、実際の事件をベースにとても見応えのある内容だった。 三菱でも被害者でもなく、運送会社社長と言うのはまた絶妙な立場で、加害者でもある一方で、被害者でもある難しい立場の主人公の境遇を良く描けてたと思う。四十九日法要の時。ここまで観ていると社長の社員を守りたい気持ちや努力が見えるだけに、妻を亡くした夫から浴びせられるきつい言葉にハッとしてしまう。確かにあの段階で自社の整備不良を認めないって、遺族にしてみれば言い逃れ以外の何物でも無いなって。 敵に回した財閥のデカさ。何度電話を掛けても出ない担当者。期待した雑誌記事は掲載されず、銀行からも厳しい返済を求められる。万事休すからの逆転劇が痛快だった。ただ富山ロジスティックの「新車だったんです」辺りで、鈍い私も半沢直樹っぽい展開だなって思って。池井戸風のドラマは結構見たと思うけど、純粋な池井戸原作って半沢しか観ていないから、そんなに引っ張られたり期待したりもなく、最後まで楽しめたと思う。むしろ半沢がドラマティック過ぎるので、少し抑えた本作くらいがリアリティを感じられて、実際の事件との乖離が少ないように感じられた。 沢田がある意味もう一人の主人公だと思うけど、それに値する人物かが微妙。どうしても、喉から手が出るほど欲かった1億を蹴った赤松社長>>>喉から手が出るほど欲しかったポストだけど想像と違う扱いだったから裏切る沢田。って思ってしまう。 ただ全体としてとても見応えのある娯楽映画で、原作モノとは言え、本当の事件を知る上でも、こういう映画にどんどん力を入れてほしいな。[インターネット(邦画)] 7点(2022-10-07 19:22:07)《改行有》

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