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361.  夢の涯てまでも この人は求心力よりも遠心力の人だったけど、これはもう分解寸前までいってる。前半の世界旅行は正直言ってほとんどノレなかった。部分で言えばリスボンの路面電車なんかは悪くないんだけど、前半キチンと物語としての面白さを出していないと後半生きないから、これでは困る。でも作家の質として仕方ないんでしょうな。皮肉なことに、その物語が終わって人々が映像病に閉じていく後半、オーストラリアに入ってからのほうが若干面白いんです。荒野をさすらうあたりからこの人のトーンが出てくる。世界の終わりという大規模なスケールのところから、次第に極所に集中してくる。盲目の母に視界を与えるという家の世界になり、そこから個人の夢の世界にと狭く狭くなっていく。意外と「家族」って、この作家のポイントなのかもしれない。世界はあまりに広すぎ、個人の夢はあまりに普遍から遠い。家族の愛を単位としたらどうか、って。も一つ意外だったのは、映像の病いから抜け出すのが「言葉」なんですな。映像作家の皮肉な結論。映像は閉じ、言葉は開く。映像(夢)は人それぞれのものだが、言葉は普遍に使われているものを借りて綴っていく。そこに開かれるものを見ている。ハイビジョンによる夢の映像ってのがウリだったが、ある種の夢のような感じ・明晰でないことの美しさは出ていた。今見るとどうだろうか。[映画館(字幕)] 6点(2012-07-03 09:56:33)

362.  わが街(1991) このころのアメリカ映画、青臭さというか、過剰な真面目さが目立った。都会はひどいところだ、って幻滅も繰り返される。でも世界には独裁政権や内戦や飢餓が満ち満ちていて、今までのアメリカ映画だったら「そういうのに比べると我が国はいいし、なんてったって僕らは自由だ」って謳ったはず。でも自信がないんだ、このころになると。クヨクヨしてるアメリカが正直に出ている。縁とか絆とか、そういう手触りのあるところから徐々に回復していこうとしているみたい。ひとつひとつのエピソードは物足りないんだけど、全体のクソ真面目さには、意外と好感が持てた。捨て子を拾う縁、黒人の友人との絆、こういう中で何か邪悪で醜いものをつかまされてしまう可能性もあるけど、でもとりあえず少しずつ手をつないでいこう、って気持ち。「青臭さ」が、このころのアメリカでは貴重な、かえって息をつけるところだったのかも知れない。『サリヴァンの旅』が好きなのね、この監督。[映画館(字幕)] 6点(2012-07-02 09:53:12)

363.  世界の始まりへの旅 年寄りが作る映画ってのは、老人には世界がどう見えてるのか、ってな興味でも観てしまう。ただ見えるだけで世界が慈しめるのかもしれない。木漏れ日の中の人々だけで美しい。マストロヤンニはこの監督の役が遺作となり、やはり監督を演じた代表作と帳尻を合わせて去ったことになる。言語の問題ってのがありそう。甥がポルトガル語を喋らず、フランス語を喋ることにこだわる伯母。いちいち通訳を介する会話のすべてを映画は記録している。日本のスクリーンではそれぞれの翻訳された字幕が繰り返されるだけなんだけど、フランスやポルトガルの人にとっては味わいが生まれているのだろう。アイデンティティの問題。この忘れ去られたような土地の同一性と、他者が激しくぶつかっているサラエボと、同じヨーロッパの端と端にあって、こっちの土地が死に絶えたとき、そこが世界の始まりになるって言うのだろうか。よく分からん。マルチェロは、実際に疲れきっているのか・疲れきった役を見事に演じているのか分からないけど、映っているだけで画になる。[映画館(字幕)] 6点(2012-06-27 09:26:02)

364.  幸せの向う側 《ネタバレ》 スリラーには「旦那が何者だか分からないモノ」ってジャンルがある。結婚に関する根元的な不安を突いてるんでしょうな。だって今までよく知らなかった人と、鍵かけて戸締まりして逃げられなくして一緒に暮らすんだもん。ラストはなかなか怖い。こっちがまず刺しちゃうってとこが怖いんでしょうか。でも後味が悪くもある。必死に成り上がっていこうとした男の悲哀ってのも、ちょっと添えて欲しい。最初の出会いのあたりの演出がよかった。店でうかがい合ってるような。こっちから見ると食事になってたり、人影が消えると笑ってたりして。ジョン・ハードってエレファントマンのハートさんじゃないよ。テンテンのあるハードね、ウィリアム・ハートみたいに心から笑ってない笑顔する人(ってさらにややこしくしちゃったか)。ダミーの使い方がヤラしい。いかにも「親切そうに振舞ってて実は真犯人」な顔してるの。[映画館(字幕)] 6点(2012-06-21 10:26:32)

365.  ジャズ・ミー・ブルース アールデコのアメリカが舞台のジャズ奏者の話(なんでも実在の人でジャズにおける即興演奏を確立したコルネット奏者ということ)だけど、イタリア映画なの。ファミリーが重いテーマになってて、父の期待や母の愛やらの重圧がみっしり描かれるのは、そう、邦画でなきゃイタリア映画だ。そういえば母親が息子の晴れ舞台と思って聴くラジオの曲は「ジャパニーズ・マミー」って歌だった。家庭を持て持てと母(家族)に脅迫されてるような息子。家庭を持つってことが「まっとうな生活」の象徴なの。そのまっとうさを家族に脅迫され続けてダメになっていく芸術家の物語でもある。ニセの妻の旅をベースにしている。架空の結婚写真へ。なかの時間を順番どおりにしたらいけなかったのかなあ。ちょっとごちゃごちゃ行ったり来たりさせ過ぎた。台頭する新人との爽やかな地位の交代の会話なんか、実力の世界の風景で感じいい。尊敬があるの。曲が中途半端に切れるのが多くて、やや欲求不満。すさんでいく芸術家を演じるには、この主人公役ちょっと弱い。[映画館(字幕)] 6点(2012-05-28 10:22:04)

366.  ツイン・ドラゴン 映画は双子が好き。いや映画だけじゃないな、「物語」一般が双子好きなんだ。現実にも双子はあるのに、なんか物語性(非現実感)が漂う。双子が並んで立ってる図だけで、妖しさがある(たとえば『シャイニング』)。というわけでこれ、ジャッキー・チェンが双子なの。おとなしい指揮者とチンピラ的のと。ウェイターのおしりでカットを変えて、背中の衝立越しに座っている二人を交互に撮るとこなんかに、特撮よりも映画の楽しさがあった。波止場でのアクション、BGMがニセの指揮者が演奏会で演奏している曲をそのまま使ってるのがおかしい。ラストのミツビシの車の試験場でのアクションが見どころ。このころはまだ40前か。窓から車中に飛び込み、上を駆け抜け、衝突寸前で跳び上がったりと、いつもながらとは言えキビキビしている。シートベルトを着用しようという教訓つき。[映画館(字幕)] 6点(2012-05-20 09:08:50)

367.  フライド・グリーン・トマト 老婆の語りということで、何らかの物語的変形が加えられている可能性があるわけ。本当にあったこと・こうしてやりたかったこと・こうであるべきだったこと、が混ざりあっている妄想世界としての豊かさがある。マイブルーヘブンが流れ、完璧だった兄の死によって女の友情が代理として浮かんでくる。ただこのヒロインがあんまり魅力がないんだ。「野生児的問題児」なんだけど、生命力に欠ける。南部というとKKKが出てくるんだな。対する現代編、とりわけK・ベイツの家庭が薄っぺらで減点。ふたりのオスカー受賞作品にちょっとずつ触れるのがあちらの敬意の表わし方なんだろう。「ホラー映画のデブ女じゃないの」とか「町に車で出て行くとき…」とか。ホラ話で良かったのは「カモが飛来した日に寒くなりみな脚が凍りついてしまい、湖ごと飛び立った後に窪地が出来た」っての。[映画館(字幕)] 6点(2012-05-17 10:24:04)

368.  リトルマン・テイト 《ネタバレ》 「頭脳オデュッセイ」ってツアーに少年は入れられちゃったけど、まさにこれは「天才」という十字架を背負って戸惑っている少年のオデュッセイとして見るべき映画で、別にこの子を通して世の中を批判しているわけでも、何かを訴えているわけでもない。小さな冒険を少年と一緒に楽しむノリでいくべし。見る側に少年と同じ知性が必要なわけではなく、世の中とどうもしっくりしない気持ちを持っていればOK。少年は、世界の行く末を思い煩って胃潰瘍になってしまうが、こちらはそこまでいかなくていい。オデュッセイなのだからストーリーのとりとめなさは非難すべきものではないだろう。天才子役と言われた監督のことをチラチラ思い出せばいい。生意気な天才少年との友情とか、ボケ学生との交流などホノボノと展開していく。父の不在という寂しさがずっとベースになっている。[映画館(字幕)] 6点(2012-05-05 09:57:23)(良:1票)

369.  ひかりごけ シロホンがラドレミラレシドと湧き出ずる水のような音律を奏で、そこにフルートがかぶさってくるという、松村禎三節。で内容。前半はちょっとしんどかった。奥田君が「船長に食われるぐらいなら、フカに食われたほうがマシだ」って言うと「そんな意地の悪いこと言うもんでねえ」なんてあたりのおかしさ、ああいう感じがもっと映画の最初からほしかった。本当にそう思ってる優しさみたいのがあって。初めて食べるときのまん前向いた表情もいい。まさに「食べてる」だけの表情。食欲を満たすために肉を食べるって自然なことでしょ、っていうか。そこから自然と「生きることの切なさ」が見えてくる。「がまん」ということを裁判で強調してたけど、それが「切なさ」ともっと絡み合えば、ものを食べて生きていく人間を巡る広いテーマに至ったかもしれない。天皇への言及は、かえって自由な読み取りを狭めてしまったような気がした。悪とは何ぞや、裁くとは何ぞや、って広がるテーマですから。原作がそもそも偽戯曲という特異な形態をとっているんだから、映画として自由に練り変えるべきだったろう。ましてこのころはフランスでの人食いで佐川一政君がマスコミでもてはやされていて、人を食って裁かれる話に、現在は人を食って人気者になってしまう、なんて視点を挿入することも出来たんじゃないか。[映画館(邦画)] 6点(2012-04-28 10:05:58)

370.  フック スピルバーグは最初のうちは母子家庭専門だったが、『インディ・ジョーンズ 最後の聖戦』でお父さんが出てきてオッと思わされ、本作で父親がとうとう主人公になった。中年のピーターパン。こう考えればいいのか、現実を舞台にした作品では父親が邪魔、ファンタジーでは母親が邪魔。監督作品の神話構造を考える上で興味深い。も一つ作品としてスカッとしないのは、パロディどまりだからかな。白髪のフックに、ブヨブヨのピーターパン。どっちかと言うとテリー・ギリアム向きだった。S監督は少人数の子どもを扱うのはうまいが、集団になるとダメね。セットも貧相だったが、演出も悪かった(ああいうセットの遊園地のアトラクションっぽさに、ある種の懐かしさを出したかったのかも知れないが)。仮想の食事のシーンあたりはいい。ティンカー・ベルとの合成は、当時としてはうまかった記憶。子ども時代は早く過ぎ去るから大事にしないといけないよ、という気分が底にある。[映画館(字幕)] 6点(2012-04-12 12:15:55)

371.  カフス! 《ネタバレ》 こういう世襲の民間警察がアメリカ(サンフランシスコ)にあるってのがまず驚きだった。前半はノリづらかったが、殺し屋との対決あたりからユーモアとストーリー展開がうまく噛み合ってきたみたい。死体が転がったままガールフレンドの両親を部屋に入れるあたり。いかにも鈍そうな麻薬警察犬(しかも麻薬は関係なかった)、ああいう鈍な犬ってアメリカ映画は好きみたい。クリスチャン・スレーターの魅力ってのはもっと屈折したところにあると思うんで(最終的には「カラマーゾフ」のスメルジャコフを目指してもらいたい)、こういう役はどうかな。イケナイ言葉のところに、いちいちブーッって入るのはテレビのパロディなんだろうな。最後にハッキリ fuck you って言うの。[映画館(字幕)] 6点(2012-04-06 09:48:55)

372.  刑事ジョー/ママにお手あげ 監督はペキンパーで編集やってた人って聞いたが、助手かなんかだったんじゃないか。母親の「愛」が、ほとんどコミカルホラーとして出てくるとこが味わい。車に閉じ込められても、手錠かけられても出てきちゃうタフさ。ビッグ・ママっていうのか。開拓史を持つ国の勇壮なオカアチャンであります。『ニューヨーク・ストーリー』のアレンの短編にもいたなあ。『ツインズ』の仕返しに(脚本は同じ)、『ターミネーター』に触れたギャグがあったが、このころはシュワルツェネッガーとスタローン、差がついてた頃だから、ちょっと辛かっただろうね。スタローンのコミカル演技は『オスカー』のときよりは若干こなれてきたようだが、作品としてはまだ『オスカー』のほうが見られたか。[映画館(字幕)] 6点(2012-04-04 09:56:59)

373.  女殺油地獄(1992) これは近松の世話ものの中では唯一恋愛の描かれてない作品で、不良のせがれのいる河内屋の家庭劇という面があり、新劇やテレビドラマで取り上げられたときは、そこらへんを焦点にしてたが、本作はそれには関心を示してない。どっちかというとお吉を主人公にして、与兵衛への想いを持っている設定。オバンの情念の話にしてる。小菊(原作では遊女)をかたぎの娘にして恋仇にしてる。つまり近松の姦通ものの世界に組み直したような新解釈。でもそれだとどこか無理があり、のめり込んでいく凄みみたいのは感じられなかったなあ。小菊の嫌がらせだけで密会に行くのは飛躍ではないか。そこまでの段取りとしては、まず夢での自覚があり(風圧にゆがむ顔)、からかいみたいのがあって、婚礼があって(ここらへんはなかなかケレンで、狐面つけたり花火したり)と、一応準備運動はこなしてる。でもあの時代密会した男女が一緒に帰ってくるってのは、無理があるんじゃないか。殺しのシーンはスローモーションで、タプタプいう音にビチャビチャいう脚の音などが効果を出していた。この原作では堀川弘通監督版てのもあった。当時の扇雀、今の坂田藤十郎が与兵衛を演じた。新珠三千代のお歯黒が凄惨さを高めており、新解釈を加えない原作に沿った家庭劇としてこっちのほうが見応えあった記憶。[映画館(邦画)] 6点(2012-03-29 09:58:40)

374.  氷の微笑 自信ありげな女たちと振り回される男。上になり下になり、でも下になるのは怖い。本能が剥き出しになってる不気味さみたいの、シャロン・ストーンにありました。粘つく感情的なものが一切感じられないような。社会生活の下にあるもの、支えているのではなく、落とし穴として。車の追っかけが少しくどかった。観た日の日記には以下のようにも書かれているのだが、細かい記憶がないので、どの程度合っているのか検証できない。無責任にそのまま記すと「M・ダグラスがヒジテツを食らうとこからあとは、キャサリンを失ったニックの妄想と取ったらどうか。まだ出版されていない新作の中で主人公の同僚がエレベーターで殺されるのをベスは知るわけがなく、またそれをキャサリン自身が実行するはずもなく、たまたまそこを読んだニックの妄想と考えるしかない」のだそうだ。[映画館(字幕)] 6点(2012-03-26 12:23:17)

375.  ミストレス 《ネタバレ》 トリュフォーの『アメリカの夜』に至るまでの物語、というか。一本の作品が生まれるまでに、幾多のドラマがあることか、いう話。自分の女を使わせようとする出資者たちのために、ストーリーがどんどん変わっていくおかしさ。妻とのやりとりのあたりは、しみじみしちゃったな。「もう夢を追うほど若くはないのよ」。現実と夢、そろそろ自分を社会と妥協させなくちゃならないころ。実力はあるらしい黒人女優も、自分を安く売りたくはないと思っている。「モンローも最初は端役だったのよ」と自分を納得させようとしているのもいる。散々な目にあった主人公が、それでも懲りずに次の電話に応えてしまうところが、微笑ましいしょうがなさ。ダニー・アイエロは、どってことない役だったけど、やっぱりいい人って感じが出ている。クリストファー・ウォーケンも、やっぱりいかにも自殺しそうな役。[映画館(字幕)] 6点(2012-03-23 10:14:25)

376.  ツイン・ピークス/ローラ・パーマー最期の7日間 意味ありげなものを重ねて重ねて、意味から遠いところへ行くのがこの人の世界。だから「解決編」と思ってはいけないんだろう。非難すること、されること、あるいは「糾弾」というきつい言葉を使ったほうがいいのか、それが繰り返される。手が汚れているとネチネチ言い出すあたり、車で見知らぬ男に急に糾弾されるシーンとか、自分の分からない理由で、あるいはぼんやりと「あれかな」という程度に思い当たる理由で、不意に糾弾されるんじゃないかという不安。この作品の手応えはそこらへんにありそう。へんにオカルトがかった部分はつまんない。それはそれで「糾弾」で、叫ぶけど、叫べば叫ぶほどウツロなの。ウツロで埋めるために叫んでいるような。この監督、力がこもるのはいかがわしい場所のシーン、音楽の力もあったけど、思春期の若者の目を通してみられるその雰囲気がなんか独特。外側にだけ世界が広がっていくんじゃなくて、内側にも広がっていく。覇気のない歌声に導かれて。赤と青。それと安っぽいセット趣味も独特。赤い部屋なんか。宙吊りにされる、ゆっくりとした前傾。なんなんだろう、こういう趣味。ブームになるような万人受けするもんじゃないと思うんだけど。[映画館(字幕)] 6点(2012-03-21 10:01:05)

377.  愛という名の疑惑 《ネタバレ》 偏執狂っていう存在のおかげで、スリラー映画はずいぶん面倒くさい計画を立てる犯人を創造することが出来るようになった。ありがたいことだ。こんな面倒なこと普通しないよ、と言われたら、そこが偏執狂なんです、と答えられる。ただ後味がちょっと悪い。男は恋する女に潜在的にそうとうな不安を持ってるんでしょうな。逆も言えるか。だからこの手の映画は何度でも作られる。映画としては、小僧が電話で連絡してるときに、後ろの倉庫の大型エレベーターが下りてくるあたり。灯台のらせん階段、女性の落下、ってことになると、映画史の導きによって舞台は当然サンフランシスコになるわな。[映画館(字幕)] 6点(2012-03-13 10:13:11)

378.  ボンデージ ちょっと歳喰いかけている娼婦の身の上話映画。といっても『西鶴一代女』のようにおどろおどろしくも格調高くもない、しみじみよりも軽快なノリ。主人公がときおりカメラに語る映画ってのはけっこうあるけど、全篇ってのは珍しい。おそらく『ファンタジア』を観てるヒロインと、友人(黒人男)との愚痴と、車の中のヒモとの議論、のような形式になる。身の上話といっても湿っぽい愚痴だけではなく、ヘンタイの客の話とか、男社会への反発とか、社会はこういうふうに娼婦の目には見えているのか、という新鮮な視点が与えられている。とくべつ責任をとらずに人の話を聞く楽しみ、ってのが「身の上話」にはある。いくぶんかの好奇心も手伝って。画面はこの監督にしてはあまり作り過ぎない地味目。くるみ割り人形のバレーを観るシーンは、『ファンタジア』の伏線か。孤独に至る性ってのがあるんだな。[映画館(字幕)] 6点(2012-03-11 09:30:25)

379.  花嫁のパパ(1991) いちおう同時代の物語としてリメイクしてるんだろうが、自国がこうであった家庭を懐かしむ姿勢が切実に感じられ、現代から目をそらし、必死に過去へ過去へと向いている当時のアメリカの痛々しさを一番に感じた。ミキサーを贈られて専業主婦になるつもりはないわ、なんて設定もあるんだけど、取って付けたよう。娘が婚約したと言ったあと、少女時代の娘が同じセリフを繰り返すとこなんかはいい。しかしだんだんコメディとしての基盤が不確かになっていって、人情ものでいくのかと思っていると、プールにはまったり、牢屋に入れられたりドタバタめいて、ふらふらしてる。落ち着けない。マッケンジー君のダメぶりは、「テレビのお尋ね者コーナーで見たことがある」ってタイプじゃないんだけど。パッヘルベルのカノン流れる結婚式に、ちゃんと太ったデンマークの叔母さんが来てるのは正しい。弟もガールフレンドと踊り、世代の流れを見せておく。[映画館(字幕)] 6点(2012-03-09 10:03:52)

380.  薄れゆく記憶のなかで 何かを一生懸命なっぞってる感じ。「この映画をどうしても作りたかった」というより「なんでもいいから映画を作ってみたかった」って感じ。初恋は切ないのう、という話。合宿の練習、指揮棒が振り下ろされたところで鐘がゴーンと鳴って肝だめしに移るとか、映画作りの練習をしている生真面目さは買おう。その一生懸命さは買ってやってもいいんだけど、いい若いもんがこうチンマリしたのばっかり作るなよ、いう気分も同時に起こる。もっと不機嫌になってほしい。やりたいものが見つからぬ青春、って話も、もうすでにある定型のなぞりになってしまってるんだ。ヒロインがオーボエ、男は大太鼓、ってのも…。[映画館(邦画)] 6点(2012-03-06 09:41:50)

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