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プロフィール
コメント数 2609
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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【製作年 : 1960年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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21.  ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘 ゴジラシリーズのファンなので、この作品のタイトルは勿論知っていたが、シリーズ中もっとも興味が薄い作品だったと思う。 その最たる要因は、やはり、「エビラってなんだよ!」というところ。 今さらエビの怪物が登場したところで、娯楽性が生まれるとは到底思わなかった。 そして、予想通り、“エビラ”に関しては、ゴジラに対峙する相手としてのインパクトはほぼ無い。 ただし、映画としてのつくりは、意外な程に真っ当だったと思う。 主人公たちが偶然流れ着いた孤島で繰り広げるアドベンチャーには、思ったよりもちゃんとした娯楽性があったように思う。 エビラはもとより、作品の顔である筈のゴジラや、ゲスト出演感が強いモスラを、敢えてストーリーの脇に据え、主人公チームと謎の秘密結社との攻防に主軸を置いた展開が、功を奏していた。 「南海の大決闘」と銘打ちながらファーストシーンでは恐山のイタコが登場したり、シュール極まりない「耐久ラリーダンス大会」など、善し悪しは別にして変わった味わいがある作品に仕上がっていることは間違いない。 一方で、雷で復活するゴジラの描写や、意外に悪くはないエビラの造形など、怪獣映画としても決して見応えがないわけではない。 またシリーズ第一作「ゴジラ」で芹沢博士を演じた平田昭彦が、同役を彷彿とさせる眼帯姿で悪役を演じるなど、配役にも面白さがあった。 ハードルをグッと下げて観たからという前提は取り除けないし、出来のいい作品ではないが、ゴジラシリーズファンならば決して観ておいて損はない作品であるとは思う。[インターネット(字幕)] 5点(2014-05-07 23:06:59)(良:1票) 《改行有》

22.  怪獣総進撃 ゴジラシリーズは一通り鑑賞していたつもりだったが、改めてチェックしてみると、未鑑賞の作品が数本あった。今作もそのうちの一つだった。 富士山麓にゴジラをはじめとする怪獣たちが勢揃いしている画のイメージが強かったので、てっきり鑑賞済みだと誤認していたようだ。 ゴジラ映画は大好きだ。ただし、ファンだからこそ、このシリーズの大半の作品が目も当てられない駄作揃いであることもよく知っている。 特に1960年代後半から70年代にかけての、ゴジラという怪獣を“ヒーロー化”してしまっている文字通りに子供騙しの作品群は酷いものだ。 今作も、その“期待”に違うことなく、しっかりと「駄作」であった。 何と言っても、冒頭から既成事実として描き出される“怪獣ランド”なる設定が失笑ものだ。 いつから人間は怪獣たちを一括りにして管理出来るほどのテクノロジーを持ったのだ? もう怪獣映画そのもの対しての概念が滅茶苦茶である。 極めつけは、キラアク星人に召還されるキングギドラの扱いが酷過ぎる。 例によって最強の宇宙怪獣として登場したはいいものの、結託した地球怪獣チームによって殴る蹴る噛み付くの“リンチ”状態。ちょっと引いてしまうくらいにズタボロにされて絶命て……。 でもね。もはやゴジラ映画のファンとしては、こういう駄作っぷりにすら愛着を持ってしまうもの。 駄作であれ何であれ、シリーズと連ねてきたからこそ、傑作も生まれたわけだろうし、何よりも今なお「ゴジラ」と聞いて知らない人がいないほどの日本映画史におけるアイコンであり続けているのだと思う。 今年はハリウッドでの再リメイクもあるし、今一度ハマってみるかな。[インターネット(字幕)] 3点(2014-05-04 23:02:35)《改行有》

23.  ガンマー第3号 宇宙大作戦 この映画を深作欣二が監督した意味と経緯は何だったのだろうと首を捻る。 面白味はあるものの、滅茶苦茶な科学考証には終始突っ込みどころに暇が無い。この時代の特撮映画としては“普通”な仕上がりと言えるけれど、それ故に深作欣二作品としては極めて異色のSF映画と言える。 プロットとしては、特撮映画の傑作として誉れ高い「妖星ゴラス」や「マタンゴ」等々を混ぜ合わせたようなもので、東映が、東宝が築き上げてきた特撮映画の牙城を突き崩そうと、「日米合作」という戦略を企てて製作されたのであろうことをは明らか。 娯楽性の部分では、前述の東宝の名作映画に及ぶとまではいかないが、一定の水準までは到達していると思う。 キャストを全員外国人で揃えたことなどは、安直ではあるが、どうしたって日本人に出せなかった雰囲気を加味できているとは思う。 ただし、当然のことではあるが、特撮における実績と歴史が圧倒的に乏しい分、二番煎じ、三番煎じな感じは否めず、映画全体が軽薄に映る。 主人公をはじめとして、キャラクターの造形が薄っぺらく、相当大変な自体に陥っているわりには緊迫感が極めて薄いことが、最も大きなマイナス要因だろう。 特撮の部分では、やはりクリーチャーの造形ダサ過ぎる。これは技術力の精度の問題というよりも、そもそもの“センス”が無さ過ぎるような気がした。 アメーバー状の物体の段階では気味悪さとそれに伴う恐怖があったけれど、その状態から一気にもっさりとした怪物に変態し、のそのそと襲ってくる様には失笑を禁じ得なかった。 ヒロインはボンドガールにも抜擢される程で流石の美貌を誇っていたけれど、終始難しい顔をし続けるので、残念ながらキャラクターとしての魅力に欠けた。 もう少し彼女を絡めたエロティックなシーンが備わってるなどしていれば、SF怪奇として確実なプラスポイントだったけれど……。 あとせっかく米国との合作なのだから、“お約束”として、ラストカットでは「続編」を予感させる余韻を携えて、決して製作しなくていいので、「『ガンマー4号 地球大作戦』につづく」と締めて欲しかった。[DVD(吹替)] 3点(2013-09-02 17:21:31)《改行有》

24.  007/ゴールドフィンガー 今のダニエル・クレイグ版の「007」シリーズは大好きで、公開を控える最新作も今年最注目のアクション映画の一つだ。 一方で、往年のシリーズ作品も何作かは観たけれど、それほど面白さを感じてこれなかった。古いアクション映画ならではの愚鈍さが目についてしまい、“世界トップクラスのスパイ”という主人公のキャラクター設定において説得力を感じなかったことが大きな要因だと思う。 しかし、シリーズ第3作目となる今作においては、任務そっちのけで状況やところ構わず方々の美女に“色目”を使うショーン・コネリー扮するジェームズ・ボンドの“らしい”キャラクター性が際立っていて良かった。 “うつつ”を抜かす対象となるボンドガールたちも、それぞれ美しく魅力的だった。囚われの身の中で、飛行機内の東洋系のメイドにまで好色の目を見せるショーン・コネリーのニヤケ面が可笑しかった。 ただし、今作の場合、悪のボスのキャラクターについては、ただの“成金デブオヤジ”でしかなく、悪役として特筆すべき卑劣さや恐怖感を微塵も感じなかったことは残念だ。 また、その後に予定されている展開ありきのボンドカーの秘密機能など、諸々のご都合主義な部分は多く、突っ込みどころは枚挙に暇が無い。 まあしかし、ただの古めかしいアクション映画の範疇には留まらないこのシリーズの魅力と、それに伴う娯楽性は充分に堪能出来ると思う。 シリーズ第3作目にして、あらゆる「定番」が確立した作品でもあるらしいので、様々な"お決まりごと”を楽しむことを前提として観ることができれば、何の問題もない。 惜しむらくは、ラストはこの作品のタイトルに相応しく、黄金漬けになり死に絶えた悪役の指のアップかなんかで終わってほしかった。[ブルーレイ(字幕)] 7点(2012-11-15 00:12:03)《改行有》

25.  網走番外地(1965) 最新作での映画復帰で改めてその存在感が際立っている俳優「高倉健」。 そんな高倉健の映画が観たくなり、タイトルの認知はあったけど全く観たことがなかった「網走番外地」シリーズの第一作目の鑑賞に至った。 高倉健の主演映画は今まで何作か観てきたが、今作の高倉健は他の数多の作品と比べ「異色」と言えるのではないか。 いや「異色」というのはやや語弊があるかもしれない。もっと簡単な言い方をするならば、明らかに「若い」高倉健が観られる映画だと言っていい。 この映画の高倉健は、生来の優しい性根を垣間見せつつも、荒々しいまでにぶっきらぼうで、プライドが高く、若さ故の“愚かさ”を幾重にも積み重ねる。丹波哲郎じゃなくても、彼の言動に対しては思わず「大馬鹿!」と叫びたくなる。 現在に至るまでの主演映画の多くで、高倉健演じる主人公は、過去に何かしらの過ちや後悔を携えて生きている場合が多い。 そんな“彼ら”の若かりし日の姿こそ、この映画の高倉健そのものだと言われると、妙にしっくりとくる。 そんなことを考えてみると、映画俳優としてのフィルモグラフィー自体が、“高倉健”という日本が誇る俳優の“生き様”そのものに見えてくる。 長年に渡って活躍する俳優にとってフィルモグラフィーが人生の系譜であることは、ある意味当然のことかもしれない。しかし、高倉健ほどそこに人間としての厚みが備わり、現実と非現実の「境界」の見極めが困難な程にリンクしている俳優は居ないだろうと思う。 と、思わず映画の内容そっちのけで「高倉健」という俳優の存在感ばかりに目がいき、その名前を連呼せずにはいられない。 この映画は、稀代の映画俳優の「若さ」を剛胆に描きとった価値ある意欲作だ。[DVD(邦画)] 8点(2012-11-06 00:27:04)《改行有》

26.  舞妓と暗殺者 若き長州の脱藩浪士の主人公を演じる津川雅彦は当時23歳。 この俳優は、こんな大昔から女性の体をまさぐっていたんだなあと、この映画のラストシーンを観ながら呆れてしまった。 立身出世を夢見て幕末の混乱の中に身を投じ、終始フラフラと自分の行動に対して葛藤を繰り広げつつ、女に走る主人公のキャラクター性は、主演俳優の性格に合致していたと思う。 そのことが、映画そのものの立ち位置を明確にしていて、物語自体に大した魅力があるわけではないにも関わらず、オリジナリティーに繋がっていたとは思う。 三隅研次による映像世界は流石に卓越していて、殺陣シーンのスピーディーさが作品にメリハリを与えている。 ただ同時に、この人の監督作品にしては登場人物のそれぞれに深みがなく、全体的に平坦な印象も拭えなかったと言える。 どんな時代にも大義名分のすぐ後ろ側には、個々人の思惑が存在し、結局すべてのことはそういうものの連なりで動いている。 主人公は、自分自身の行動原理に、そういった人間としての根本的な愚かさが存在していることに気づき、葛藤が深まっていく。 一風変わった青春時代劇と言えなくはなく、製作された時代感も含めて味わうべき要素はある作品ではあるが、全体的に中途半端に終わってしまった感も拭えず、満足感はそれ程高くない。[CS・衛星(邦画)] 5点(2012-07-13 16:30:27)《改行有》

27.  テキサスの五人の仲間 《ネタバレ》 BS放送分を取り敢えず録画していて、いつの時代のどんな映画かほとんど分かっていない状態で鑑賞をした。 この映画において、その鑑賞のプロセスはとても幸福なものだったと思う。 古い映画だけに、少しでも予備知識が入ってしまっていたなら、この映画の素晴らしい娯楽性を完全に堪能することは出来なかったろう。 テキサスきってのギャンブラー5人が集い年に一度のポーカー・ゲームに興じるホテルに、旅の夫婦と息子が辿り着く。夫は無類のポーカー狂で妻と息子の制止を顧みず、ポーカーに混ざり全財産をつぎ込んでしまう……。 原題は「A Big Hand for the Little Lady」。訳すならば「淑女の大いなる一手」といったところだろうか。 このタイトルも洒落ているが、珍しくも“邦題”に対しても「ウマい!」と言いたくなる映画だったと思う。 ポーカーというトランプゲームは、玄人が突き詰めていくほどに「運」というよりは「ハッタリ」が勝負の行方を左右するギャンブルであり、そういう観点からすれば映画ならではの“騙し合い”を描き出しやすい題材ではあると思う。 しかし、故に数多くのギャンブル映画の題材になってきたし、そもそも観客には疑心が伴いやすいので映画として“ウマくダマす”ことが非常に難しいとも言えると思う。 そんな中にあって、40年以上前の映画でありながら、映画の中の住人たちはもとより、現代人の観客まで“気持ちよく”騙してくれるこの映画の娯楽性は見事なもので、「傑作」という呼称に相応しい。 勝負において感情を表に出さない勝負師を「ポーカーフェイス」と表すが、もっともポーカーフェイスが巧くない者が、実は最もポーカーフェイスが巧かったという、言葉にすると矛盾に溢れる逆転の顛末が爽快だった。 「スティング」を彷彿とさせる爽快感を携えた逆転劇に素直に感嘆できたことは、映画ファンとして幸福以外の何ものでもない。[CS・衛星(字幕)] 8点(2012-07-04 14:33:03)(良:1票) 《改行有》

28.  俺たちに明日はない 人間としての“何か”が明らかに欠損している情緒不安定な男と女が、出会い、滅茶苦茶に共に生き、そして共に死んでいく物語。 二人の主人公に対して、微塵も共感できない映画だった。「面白い」と感じられたかどうかも微妙だ。 でも、何だろうこの観終えた途端に生じた「興味」が尽きない感覚は……。 “ボニー&クライド”という強盗カップルの名称自体は知っていたが、この有名な映画が彼らが主人公の映画であるということを観る直前になって初めて知った。 原題(「BONNIE AND CLYDE」)知っていれば、そんなことは明らかだったろうが、「俺たちに明日はない」という邦題からは、西部劇の印象に近い古風なアクション映画のイメージを勝手に持ってしまっていて、そのことが長らく今作を敬遠してきた大きな理由だった。 だが、ある評論を読んでその認識があまりに大きな間違いだということを知った。 そして初鑑賞に至り、この作品が、現在の映画という娯楽を構築する紛れもない主軸である「暴力」というエンターテイメント性の“礎”となった映画であるということを思い知った。 もちろん、現代人である自分にとっては、この作品で映し出される“暴力性”に斬新さや革新的なものを直接感じることはなかった。 しかし、この映画が持つ“意気込み”みたいなものの異様さは、ひしひしと感じた。 フェイ・ダナウェイの淫靡な唇の大写しから始まり、踊り狂っているかのように無数の銃弾を受け続ける主人公らのラストシーンまで、映画の全編に渡り、公開当時に今作を目の当たりにした人々のあらゆる「動揺」が時空を超えて間接的に伝わってくるようだった。 貧困、抑圧、戦争、格差……あらゆる鬱積を抱えた1967年という時代において、この映画が与えた影響力はいかなるものだったのか。その本質は、その時代に生き、本当の意味で“観たことがない映画”としてこの映画を観た人々にしか分かるまい。 そういうことを味わうことが出来ないのは、非常に悔しい。 ただし、現在もまた幾重にも折り重なった鬱積を世界中が抱えている時代である。 現在における「俺たちに明日がない」が新たに生まれ出ることを渇望せずにはいられない。[ブルーレイ(字幕)] 7点(2012-06-10 17:38:18)(良:1票) 《改行有》

29.  ある戦慄 日曜深夜の都会の地下鉄、自身の人生に対して様々な不満や不安や葛藤を抱えた人々が偶然に乗り合わせる。それはどこにでもある日常の風景だろう。 そこに、単純な「粗暴」という言葉ではおさまらない、気が違っているとしか言いようがないチンピラ二人組が乗り込んできて、乗客たちそれぞれに傍若無人な行為を繰り返していく。 その行為は、「暴力」という範疇までには及ばないけれど、あまりに悪辣で乗客たちを精神的に追い込む。 最初のうちはチンピラたちの蛮行そのものに対して憤りを感じ、気分が悪くなる。しかし、次第に気分の悪さの対象が遷移し始める。 チンピラたちの行為に被害を被る乗客たちの生々しい人間性が露になってきて、気を滅入らせてくる。 この映画は1960年代のニューヨークを舞台にしているが、この地下鉄の一車両で描かれているものは、どの時代のどの国のどの街でも存在し得るであろう人間同士の歪みである。 その場に居合わせているのがごく普通の人間だからこそ、少しずつ表面化していく“戦慄”があまりにおぞましい。 「どこにいたんだ?」 退役後の大層な野心を述べていたにも関わらず、地下鉄車内に突如発生した「出来事(incident)」に対して結局何もしなかった同僚に対して、チンピラに唯一立ち向かった田舎者の軍人が、虫の息でぽつりと言う。 他の乗客たちは、すべてが解決した後も死人のように呆然と押し黙ったまま、とぼとぼと地下鉄を降りていく。 “戦慄”とは、突然現れた悪魔のようなチンピラたちなどではなく、彼らによって浮かび上がらされたすべての人間に巣食う屈折した心理そのものであること知らしめ、彼らと同様に自分自身があの車両に同席していたならと考えると、絶妙な後味の悪さに襲われる。 とても胸糞が悪くなる映画だった。その胸糞の悪さは、そのまま自分を含めこの映画を観ているすべての人間たちが内包している要素であり、そのことが殊更に胸糞悪さを助長する。 観ているままに居心地の悪さを終始感じ続けなければならない映画だが、それは人間の“澱み”や“歪み”を如実に表している証明であろう。故に傑作であることは間違いない。[DVD(字幕)] 8点(2012-05-13 01:05:01)(良:1票) 《改行有》

30.  黒部の太陽 汚れ、命を賭し、憎しみ、喜び、混濁する感情を蔓延しながら、穴を掘り突き進む男たち。 使命、理想、信念、金銭、利潤……それぞれがこの仕事に取り組んでいる理由は様々だが、それらすべてに共通しているものは、男たちのギラギラとした「欲望」であると思えた。 やはり“穴”に突っ込んでいくのは男の役割で、良い意味でも、悪い意味でも、男にしか出来ない仕事だなあと感じた。 どういう理由か知らないけれど、プロダクションの意向で今作はビデオ・DVD化されていないらしい。 今回は、NHKで放送された「特別編」なるものを観たわけだが、どうやら1時間以上短縮されているダイジェストとも言える「編集版」だったようだ。どうりで、人間描写の所々で唐突さを感じたわけだ。 三船敏郎、石原裕次郎という二大スターの競演が色濃い作品だったが、キャスト一覧を見る限り、他にも著名な俳優が多数出演しており、オリジナル版はもう少し群像劇が濃い作品だったのだろう。 時代的なものなのか、登場する人物たちの言動に少なからず違和感は覚える。それがリアルかそうではないは別にして、少々偏った思想が見え隠れすることも否めない。 そういった部分も、エンターテイメントとして楽しみきれなかった原因だと思う。 が、それは時代を超えてきた映画を観る上での必然であり、そういう違和感もまた映画を観る上での面白味だと思う。 今すぐに195分もあるオリジナル版を再度見直したいとはさすがに思わないが、実在の巨大ダム建築におけるドキュメント要素だけとっても価値はある作品だと思う。 歴史的大事業に臨んだ人間たちのドラマ性が、より溢れているであろうオリジナル版のDVD化は必要だと思う。[CS・衛星(邦画)] 5点(2012-04-12 16:31:13)《改行有》

31.  妻は告白する 映画の最終盤、若き若尾文子が雨に打たれずぶ濡れになった姿で愛する男の前に現れる。その姿は狂気的で、あまりに美しい。 撮影を重ねよほど感情を盛り上げて挑んだのだろうと思われたこの映画随一のそのシーンが、撮影初日に撮られたということを知りまず驚いた。そして、当時若尾文子はこの程度の映画を年間10本以上のペースで撮り続けていたというのだから、もの凄いとしか言いようが無い。 映画監督の西川美和がある誌面でこの映画を絶賛していたこともあり鑑賞に至った。成る程、物語の序盤から西川監督作の「ゆれる」を彷彿とさせる要素が多々あり、多分に影響されているのだろうと想像できた。 登山の最中に滑落事故が起こり、ザイル一本で宙づり状態になった3人の男女。絶体絶命の状態の中、中央に位置した女は自分の下のザイルを切断。当然、下方に宙づりになっていた男は落下し絶命。死んだのは女の夫、そして生き残ったのは女の愛人……。 故意か自己防衛かを争点にし、殺人罪に問われた女の裁判劇を中心に描かれる男女の愛憎劇、その濃密さが見事過ぎる。 序盤から終盤に至るまで、「妻の行為の真相」がつまびらかにされていく物語だとばかり思っていた。 実際その色彩は強く、望まない結婚を強いられた妻の鬱積と、そんな折に生じた横恋慕の対比がとても丁寧に描かれ、妻の「動機」が徐々に明確になっていく。 そして、ついに明かされる妻の真意。 本来ならこの時点での衝撃をもって映画が終幕しても充分に成立するものを、この作品はさらに真理を突き詰める。 結局、登場人物の中でもっとも何も分かっていなかった「馬鹿」が、もっとも重い業を背負う羽目になる顛末に、その「馬鹿」同様に呆然としてしまった。 この作品は、「夫婦愛」のまさに対極に位置する「夫婦憎」を描き付けた映画だと思う。 結婚をして3年目になるが、この映画を夫婦で鑑賞するのは非常にはばかられる。しかし、「恐いもの見たさ」という人間の本能故か、だからこそ逆にいつか夫婦で観たいとも強く思わせる。 そういうことをつらつらと考えていくと、「夫婦愛」と「夫婦憎」本来対極にあろう関係性は、実のところ表裏一体で一対のものなのかもしれないと思われて、一人で映画を観終わった後、既に寝静まっている愛妻の横でなかなか寝付けなかった。[DVD(邦画)] 9点(2012-02-28 11:31:14)《改行有》

32.  素晴らしき戦争 世に存在する「戦争映画」の全ては例外なく「反戦」を描いているだろう。 もちろんこの戦争映画もその例に漏れないが、これほどまでに高らかに「戦争」そのものを歌い上げ、それが巻き起こっている世界そのものを“テーマパーク”として表現しエンターテイメント化することで強烈に批判した映画は他になかろうと思う。 あたかもボードゲームに興じるように私利私欲を満たすために戦争を展開する上層部の人間たちの愚かさや、その駒のように盲目的に戦乱に巻き込まれ命果てていく民衆の虚しい様が、ミュージカルの中に盛り込まれその本質が露になってくる。 流行曲や賛美歌の替え歌の中で表現される「本音」の部分が、戦争におけるすべての愚かさをつまびらかにしていくようで印象的だった。 ある狙いを持ってのことだが、今作では第一次世界大戦の情勢が時に隠喩的に表現されるので、当時の世界情勢に詳しくない者にとっては正直分かり辛い部分も多く、退屈感に繋がってしまう要素も大いにある。 誰しもが映画として全編を通して楽しめる作品とは言えないが、明確で力強い「意思」をもって描き出された映画であることは間違いない。 監督のリチャード・アッテンボローは、今作が長編映画処女作らしいが、とてもじゃないが普通処女作で手にかけられる映画世界ではないだろうと、圧倒的な世界観に唖然とした。 ラストシーンでは、美しい緑の高原を文字通りに“埋め尽くす”無数の白い十字架の墓標が映し出される。 神々しいほどに静かで美しいシーンだけれど、そこにはこの映画でももっとも明確な“怒り”が表れていると思った。[DVD(字幕)] 7点(2012-01-12 14:02:37)《改行有》

33.  女の中にいる他人 不倫中の情事の中、殺人を犯してしまった男。気弱な男は徐々に自責の念に耐えきれなくなり、自分が犯した罪の真相を妻に告白する……。 何と言っても印象的だったのは、新珠三千代演じる"妻”の存在感と見栄えそのものが、物語が深まっていくにつれまったく様変わりしていくところ。 冒頭は亭主関白の夫を健気に支える平凡な日本女性そのものの姿であり、はっきり言って「地味」の一言に尽きる。それが、夫の「告白」を受け自分自身を含めた家族の運命が転じる局面を迎え、一転して存在感が放たれる。 「気弱」というよりも、一人の人間として精神が薄弱過ぎる様が露呈してくる夫の愚かしさを受け、妻の心理は益々追い詰められていく。 しかし、インサイドの混沌に反発するかのように、妻は気丈な存在感を見せ、女性としての美しさに溢れてくる。 局面に立たされた女性の強さと美しさが際立ってくる一方で、小林桂樹演じる夫は、精神も見た目もすべてが「愚鈍」そのものに思えてきて、ただただ腹立たしくなってくる。映画の主人公にこれほど嫌悪感を感じたのは初めてかもしれない。 そういう観客の思いを払拭するかのように、最終局面を迎えた妻は、或る決意を持ち速やかに“実行”する。 平凡で幸福な家庭環境のまさに水面下で静かに流れるサスペンスが秀逸。 夫婦を軸にした人間ドラマの中で、男と女それぞれの弱さと強さを巧みに描き出し、人間の根本的な愚かさと恐ろしさを印象的に映し出していると思った。 夏の山道を歩く夫婦。何も知らない妻は、夫の三歩後ろをしなやかについていく。 暗いトンネルで「告白」を受けた後、それが即座に転じる。 努めて冷静に足早に先行する妻を、夫は無様にうろたえながら必死についていく。 このシーンが、男の女、その関係性のすべてを物語っているようだった。[DVD(邦画)] 8点(2011-10-03 00:08:47)《改行有》

34.  続・黄金の七人/レインボー作戦 日曜日も深夜にさしかかった頃合いにこの映画を観始めた。襲ってくる眠気とせめぎ合いながら、なんとか最後まで観終えた。 数年前に観た前作同様、チープさの中で繰り広げられる絶妙な洒落っ気と雰囲気を楽しむべき映画だろうと思う。 が、「ルパン三世」の元ネタというわりには、全体的にテンポが愚鈍というか、軽妙なコメディ要素が強すぎて"泥棒映画”としてのスリリングさに欠ける。これも前作から引き続き感じた印象だ。 ただ、前作よりも、キャラクターのそれぞれに存在感があったことは、タイトルに相応しく良かったし、続編ならではのそもそもの設定を覆しかねない弾けっぷりも好印象だったと言える。 でもやはり、DVDのパッケージやイントロダクションを見て受ける期待を超える面白さは得られないというのが正直なところ。 “時代”と“お国柄”の違いが大きな隔たりになっているのかもしれないが、「ルパン三世」を観て育っている者としては、ちょっと、いや大いに物足りない。 BGMがわりに、お洒落なカフェバーのスクリーンにでも映し出されていれば、センスの良い空間の演出に一役買うことは間違いないと思うけれど。[CS・衛星(字幕)] 5点(2011-09-26 23:22:24)《改行有》

35.  未知への飛行 連休最終日の深夜1時過ぎ、翌朝はいつものように早起きしなければならないというのに、どうやらなかなか眠れそうにない。 床に就く前に、物凄い映画を観てしまったからだ。 何気ない日常の中の次の瞬間、「核戦争」によって世界は滅亡するかもしれないという“危機”と“恐怖”を、これほどまでに如実に、シンプルに描いた映画を他に知らない。 1964年、「冷戦」まっただ中で製作されたこの映画には、あらゆる「制約」が溢れている。 軍事力縮小の提言、冷戦構造の批判を真っ正面から描いた今作に対し、政府及び軍からの協力は全く得られなかった。 核弾頭を積んだ爆撃機の行方を追う映画でありながら、機体の撮影許可は得られず、盗み撮りした離陸シーンを使い回している。 そして、世界滅亡の危機を追うすべての緊迫のシーンは、指令本部、国防総省、爆撃機内、ホワイトハウスの地下司令室の4つの密室劇のみで描かれる。 幾重もの制約の中で、それでも描き切った映画表現の巧さ、そしてそんな時代だからこそ製作を押し切った映画表現に対する勇気に脱帽する。 「最悪」の中の「最悪」を回避するため、大統領が下したあまりに恐ろしい最終決断。 「北東からの爆発音が聞こえます 空が明るい 光ってる」 途切れる通信。高く響く機械音……。絶望。決意。 その展開がそのままリアルであるとは言えない。 ただ、たった一つの“エラー”で、世界は終わってしまうかもしれないという「事実」と「恐怖」は、紛れもない「現実」であり、圧倒的な緊張感から導き出された顛末に、大袈裟でなく背筋が凍る思いだった。 言い得て妙だが、この陰影際立つモノクロームの映画世界は、決して色褪せることは無いだろう。 それは、人類とこの世界が、今日この日においても1964年当時と同じ「恐怖」を抱えているからに他ならない。 突然途切れるような真っ白い画面、それが次の瞬間起こらないなんてことを誰も断言できない。 「大傑作」と断言できる映画に対する「尊敬」と、愚かしさを否定できない人類に対する「侮蔑」を同時に感じずにはいられなかった。[DVD(字幕)] 10点(2010-10-12 01:23:37)(良:2票) 《改行有》

36.  アパートの鍵貸します 主人公は大手保険会社のしがないサラリーマン。上役の不倫の場所として自らのアパートを提供し、出世の口利きをしてもらっているという設定は、少々強引だし、かと言ってそこにインパクトがあるかというと、そうでもない。 ストーリーのプロット自体は、「安いラブコメ」と言ったところだ……。 ただし、圧倒的に素晴らしい映画だった。「名作」の名にふさわしい。 主人公も含め、登場するキャラクターの人間性が魅力的だというわけでもない。 むしろ、揃いも揃って、狡くて、愚かで、滑稽だ。 でも、そういう部分こそ、すべての人間が共通して持つ“人間らしさ”だと思う。 その決して格好良くない人間の有りのままの姿を、きっちりと描写していることが、この作品の最も素晴らしい部分で、多くの人たちに愛される映画である所以なのだろう。 気まぐれで意地悪な人間関係の中で、右往左往する主人公にふいに舞い降りるハッピーエンド。 それはあまりに唐突のようにも見えるけれど、人生の転機なんてものはそんなもので、喜びも哀しみもいつだってふいに訪れる。 人間の営みの儚さと、だからこそ生まれる素晴らしさを巧みに描いた傑作だと思う。[CS・衛星(字幕)] 10点(2010-08-22 23:49:25)《改行有》

37.  007/ロシアより愛をこめて どうにも掴めない……。 と、いうのが往年のアクション映画を観て幾度となく感じてきた印象である。 映像の稚拙さやテンポの悪さ。それらは、現在のアクション映画のめまぐるしい程の映像に慣れ親しんでしまっているからかもしれないが、とにかく全編通して間延びしてしまう。 悪役との格闘シーンもごちゃごちゃともみ合うばかりで、結局あっけなく終わってしまい、盛り上がりきれない。 初代ジェームズ・ボンドのショーン・コネリーは、さすがに若く格好良い。ただし、これも現在と比較しての映像の稚拙さによるところだろうが、スーパー諜報員のわりにはどうも動きがフツーというか、アクション性が低い。 現ジェームズ・ボンドのダニエル・クレイグとショーン・コネリーが闘ったとしたら、絶対にクレイグが圧倒するだろうなあと思ってしまった。[ブルーレイ(字幕)] 5点(2009-12-26 14:08:47)《改行有》

38.  飢餓海峡 久しぶりに、古い日本映画の骨太なサスペンスが観たくなり、週末の深夜のレンタルショップで今作のDVDを手にとった。 深夜の鑑賞で、183分という上映時間はさすがに長かった。 物語の題材も想像よりもセンセーショナルなものではなく、どちらかというとありきたりな部類のものだったので、淡々としたモノクロ映像の中で次第にまどろんできた。 しかし、ストーリーの展開以上に、映し出される登場人物たちの言動や、時代の風俗描写に惹き付けられる部分があり、そういう部分がこの映画の「力」なのだろうと思った。 時に緻密に、時に大胆に描き出される映画作りの空気感は、まさにこの時代の日本映画の力強さだと感じる。 ただ細かい展開を見ると、もう少しサスペンスとして面白味を持たせることもできたのではないかと思う。 10年という年月の間に絡む人間模様をもっと密に描くことができれば、それぞれの人間性や葛藤が更に如実に伝えられたのではないかと思った。 いまひとつ、それぞれの人間の感情が響いてこなかったことは、映画の性質上勿体なかった。 ただし繰り返しになるが、この大長編を独特の空気感で描き出すことができたこの時代の日本映画のパワーは物凄い。 現在、これほどの規模の大作映画の製作となれば、安易な商業主義に走ってしまうことは必至であり、今作のような特徴のある作品には成らないと思う。[DVD(邦画)] 7点(2009-04-26 10:27:22)《改行有》

39.  世界大戦争 藤子・F・不二雄の短編漫画に「ある日」という作品がある。 日常の何気ない生活が何の前触れもなく”プツン”と核爆発によって消失してしまう可能性を秘めた「現実」を、シニカルに表現した傑作である。 そして、この特撮映画の傑作を見て、まさにその短編漫画を思い出した。 人が自分自身の努力によって幸せに生きるという権利の崇高さと、それを一方的に消失させるという世界で最も愚かな暴挙。 「戦争」とはその暴挙そのものであり、どうしたって取繕うことなどできない「罪」だ。 映画では、平凡で幸福な人々が健気に生き、緊迫する両陣営の現場ではそれぞれの兵士らが「最終命令」が出ないことを心から望み、日本政府は事態の回避に苦闘する。 すなわち、世界の誰も「世界の滅亡」など望んでいるわけもなく、誰しもが平和に暮らしたいのだ。 愚かなのは、人間一人一人の意識を超えた、人間という「種」そのものの「不安定さ」だと思う。 ラスト、笠智衆の演じる炊事長のセリフにもあるが、人類全体がもっとシンプルに「生きたい」という願望を貫くことができれば、世界はもっと単純に幸福に存続していけるのではないか。 そういうただただ「生きたい」という望みが、フランキー堺の演じる父親の行き場のない嘆願に溢れ、涙が止まらなかった。 様々な面において、日本映画が世界に誇れる名作の一つだと思う。 こういう映画があることを、もっと多くの日本人に知っておいてほしいと切に思う。[DVD(邦画)] 10点(2007-12-30 12:46:29)《改行有》

40.  黄金の七人 《ネタバレ》 「ルパン三世」の元ネタとなった映画らしいが、「ルパン三世」を散々観てきた者としては、むしろ「ルパン三世」の実写化というニュアンスが強く残った。 銀行の大金庫を地下から攻めていって、山のような金塊をまるごとベルトコンベアーで盗み出していく様など、まさにアニメで観たシーンそのままだったと言え、楽しかった。 展開的には、あそこまで金塊を盗み出すくだりが映画のほとんどを占めるとは思っていなかったので、多少面食らった部分はあるが、所々で小気味いい緊張感を挟んでいきテンポは良かったと思う。 ただ「黄金の7人」というからには、もう少しそれぞれのキャラクターを際立たせて欲しかった。 “教授”と“愛人”の個性はそれなりにあったが、実際に金塊を盗み出した他の6人のキャラクター性は極めて薄く、ほとんど見てそのままの「作業員」のイメージなのは残念。 物凄い大犯罪をしているのに、全体的に「呑気」な感じがすることを、映画の味とするかどうかは微妙なところだ。[DVD(字幕)] 5点(2007-10-08 03:40:37)(良:1票) 《改行有》

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