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プロフィール
コメント数 2127
性別 男性
自己紹介 2022/3/26に以下のような自己紹介文をアップしました。
ロシアのウクライナ侵攻が始まってひと月経過。
映画は観ていますが、侵略戦争のせいでレビューする気になれません。
私の映画レビューと戦争は直接関係しませんが、
楽しく文章を考える気分じゃない、ってことですね。
ロシアが撤退するか、プーチンがいなくなったら再開します。


そして、
侵略戦争が膠着状態に入り、
いつ終わるか識者にも判断できない状況になりました。
まぁ正直、痺れを切らしたので、レビューを再開します。
ウクライナ、頑張れ!

2024年3月17日更新

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【製作年 : 1960年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
評価順12345678
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21.  真夜中のカーボーイ 《ネタバレ》 その昔に観た時は、夢を描いて上京した田舎者が現実の厳しさを思い知る映画でした。約30年を経たらただの無計画にしか見えませんでした。どうしようもない男二人の友情も、悲しい描写以上のものを残さない。「ニューシネマ」と呼ばれる作品の多くは、現代的には掘り下げが浅く見えます。本作も過去の作品になりました。住み慣れた土地を離れる時のセンシティブな心情描写や主演二人の演技は評価します。点数は再見時のものです。[地上波(字幕)] 4点(2013-08-20 00:35:40)

22.  世にも怪奇な物語 《ネタバレ》 ポーの原作をヨーロッパの3人の監督が豪華なキャストで映像化したオムニバス作品。それぞれのお話の主人公が揃って酷い奴。残酷・自分勝手・いい加減の三拍子。でも、面白かったかというと、そうでも無い。際どい個性が因果応報的に不幸を招く描写だけど、メッセージ性は希薄です。1話目・ジェーン・フォンダの必然の無い露出具合、3話目・街角に置かれた蝋人形の不気味さが映像的には良かったです。[CS・衛星(字幕)] 4点(2013-08-14 02:17:23)

23.  燃えつきた地図 《ネタバレ》 戦後の復興が成長へと変わって軌道に乗った頃、社会と個人の関係も変わり始めていたのでしょう。敢えて言葉にするなら「変貌する都市の中で自分を見失う」って感じ。その辺りを、当時としては前衛的に描き出そうとした意欲作だったのだと思う。でも、伝わって来ない。殺されるヤクザ、自殺する寅さん、いきなりリンチに遭う主人公。それらに意味不明の「なぜ?」が積み上がって行くだけで、メッセージが受け取れません。観る時期を逸するとテーマがぼやける作品がありますが、これを製作当時に観ていたら頷けたのだろうか? 特に謎も残さずに失踪した人間を捜すことにミステリー的な興味が湧かないので、引き込まれる要素も無かったです。阿部公房は一貫して、個の存在の曖昧さを文明批評的な視点で描いていたと思う。本作もそのラインの作品だけど、類似のテーマを持った「砂の女」には遠く及ばなかったという意見です。座頭市と寅さんの組み合わせだけは新鮮でした。[CS・衛星(邦画)] 3点(2013-07-26 22:24:10)

24.  俺たちに明日はない 《ネタバレ》 強盗を繰り返した末に銃弾を浴びて死ぬ二人組。ほぼ同時期に製作された某作と同じです。実話が元になっている点でも同じで途中までは興味深く観られたんだけど、最終的な見応えはかなり違いました。アチラにはペーソスを覚えたけど、コチラは特に何も感じません。どこが違うのか。アチラは絶体絶命の状況にありながらオーストラリア(だったかな?)に次の夢を抱く。コチラは初めて男女の関係になった二人が自分たちの「更生」に夢を抱く。つまり「志」の方向性の違いです。「明日に向かって」と「明日はない」の違いと言っても良い。悪党とはいえ、一貫した生き様を覚えるアチラに対し、コチラにはコンセプトなど無かったことが良く分かる。マイノリティーな性向と欲求不満のはけ口で強盗殺人をやってた訳ですな。例えば、妻夫木が演じた悪人には共感できても、このストレートな悪人に共感するのは無理です。 製作後、半世紀近くを経ての鑑賞でした。リアルタイムで観ていれば(って、当時は幼稚園児だけど)違った意見を持ったのかも知れませんが、今の自分には価値を見い出せない作品でした。「タワーリング・インフェルノのおばちゃん」というイメージだったフェイ・ダナウェイが可愛く映ったことだけが収穫かな。[CS・衛星(字幕)] 5点(2013-06-29 01:48:11)(良:2票) 《改行有》

25.  アパートの鍵貸します 《ネタバレ》 初見はテレビ放送で小学校の低学年でした。その年齢でも言わんとしていることが分かり記憶に残りました。「名作」としての評価が定着しているのを知ったのはかなり後のことです。どのシーンにも、どのカットにも無駄が無く、細かい演出の全てがひとつの方向に向かって統合されて行くイメージで、ビリー・ワイルダーの上手さが遺憾なく発揮された逸品という評価です。観る度に「いい映画を観た」という気分になる。本作も「永遠の名作」のひとつだと思います。 少しバクスターのことを考えました。私は出世第一主義が悪いとは思いません。反対に、自宅を出世ツールにして自分の生活を犠牲にする徹底ぶりはただ者ではないと思います。ただ、バクスターの「出世」には目的が伴っていなかった。金持ちになるとか、権力を得るとか、「出世」による具体的な成果をイメージせずに漠然と出世を目指していた節があります。だから「出世」が叶った後の彼は空虚に見えました。それは「出世」より執着できそうなものが視界に入ったことも関係していたと思います。彼が会社を辞めた時点では、フランに対しては片想い状態でした。相愛になれたのは結果論です。だから本作は「出世」と「恋愛」を秤に掛けている訳ではなく、バクスターが人生や生活を律して行ける「何か」を見つけることの重要性に気付いた映画なのだと思います。 最近は、執着するものが見つからないと定職に就かずにフラフラする人が増えているようです。我が身を削って「出世」を目指すような人も極々少数でしょう。さすがに50年前とは世情がずいぶんと変わりました。ビリー・ワイルダーが本作を現代にアレンジしたらどんな内容になったでしょう?[地上波(吹替)] 9点(2013-05-20 01:30:44)《改行有》

26.  許されざる者(1960) 《ネタバレ》 白人が先住民の部落を襲撃した際に、殺さずに連れてきた赤ん坊が美しく成長してヘプバーンになる。ヘプバーンの実兄が彼女を取り戻しに来て撃ち合いになり、先住民は皆殺し。話し合いでの解決を拒否したのは白人側。先住民を皆殺しにして、空を見上げて微笑む一家。そんな映画です。 制作当時、本作は家族の絆を描こうとした映画だったのだと思う。でも半世紀を経た現在では民族差別を描いた映画に見える。演出のトーンと感じることの齟齬に違和感を覚え、不快が残る。この映画における「許されざる者」は誰なのか? たぶんヘプバーンの一家だ。でも、これは仕方のないことなんだと胸を張って言い訳をしているように感じる。 ヘプバーンが先住民の娘だと分かった途端に毛嫌いする周囲の人達。そこに一切の迷いが無いので、当時(1960年)の先住民は単に悪者という記号だったのだと思う。悪者は皆殺しにされても仕方ないよね、が基本姿勢。 こういう映画は、例えば「先住民」という字幕を「日本人」に置き換えて読むと差別を実感しやすい。なんでそこまで言われるのかって気分になる。現在では「許されざる映画」が正しい邦題。[CS・衛星(字幕)] 4点(2013-01-26 02:23:20)《改行有》

27.  人斬り 《ネタバレ》 岡田以蔵を主人公に、武市半平太、坂本龍馬との三角関係を描いた作品。この3名の話は幕末ものによく登場しますが、私が観たものは、以蔵をナイーブで線が細い人物とした作品が多かった。本作では勝新が豪胆に演じていて新鮮でした。でも、使い捨ての道具のように扱われるあたりはしっかりと演出されています。勝新の演技力にも改めて感心しました。裕次郎とのツーショットは過去に見た記憶が無いので、貴重なのかも知れません。 でも、本作の一番の収穫は初めて見る俳優・三島由紀夫でした。異様な迫力。違和感とも言える存在感です。役者専業で無いことが良い方向へ働いていると思います。薩摩の人斬り・田中新兵衛を演じ、最後は自刃します。嫌でも彼の実際の人生の最期が被ります。彼が切腹したのはこの作品の公開から約1年後。その時、彼の脳裏にはこの映画のロケがよぎったのかも知れません。 私は五社監督を昭和後期の邦画をダメにした張本人と思っていますが、本作は様式への過剰な拘りも見られず楽しめました。[CS・衛星(邦画)] 6点(2013-01-07 01:03:21)《改行有》

28.  フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ 《ネタバレ》 ガイラ、怖えぇ~。約40年ぶりの鑑賞だったが、こんな恐ろしい映画だったのか。冒頭、船員がガイラに追われて夜の海を泳いで逃げるカットは絶望を絵にしたような恐ろしさがあった。あの船員にだけはなりたくない。ガイラは捕まえるとすぐ口に運ぶ。「人・即・喰」。衣類だけが、スイカの種のように「ペッ」と吐き出される。ガイラが水中から漁船を見上げているカットも心臓に悪いくらい怖い。羽田上陸シーンは空港の広さとの対比が良く撮れている。特撮、頑張ってました。 でも、考えてみれば、ガイラは行儀を教わっていないので、動くものが全て食事に見える訳だ。たまたま人の大きさがひと口サイズで食べやすく、たくさん目に付いたから食べた。食べる為に海から陸に上がった。野生動物の捕食行動だ。ガイラも子供の頃にアケミさん(=水野久美)に優しくしてもらえば、あんなにグレなかったはずだ。ちょっと同情する。 自衛隊が活躍する。しつこいくらいに攻撃準備を描写するけど、実際にガイラを追い詰めるから大したものだ。田崎潤さんもたまにはいい仕事をする。叩き込まれた砲弾量を証明するかのように、ガイラの着ぐるみにセットした花火が炎となって燃え上がる。「カット!」の後、スタッフが駆け寄って必死に火消しをした姿が目に浮かぶ。中にいる人の火傷が心配になった。その後のガイラは痛々しく皮膚から血を流し続ける。あれで海に入ったら、飛びあがるくらいしみるはずだぞ。 対するサンダは草食系男子。男子だよね? ブサイクなガイラに対して、同種の着ぐるみでも山奥の仙人のような風格があった。「フランケンシュタイン対地底怪獣」では、こんな風貌じゃ無かった気もするが、記憶が薄れて良く分からない。 あのタイミングで海底火山の爆発に巻き込まれる確率は天文学的に低いと思う。ちなみに、子供の頃はサンダとガイラの見分けは付いても、名前の振り分けに混乱した。今回、サンダが「山(サン)」で、ガイラが「海(カイ)」だったことに気づいた。歳を取って知恵がついたことを実感した。[地上波(邦画)] 6点(2013-01-03 00:52:52)《改行有》

29.  明日に向って撃て! 《ネタバレ》 学生時代、映画をカントクで観る視点を覚えて最初に意識した人の一人がジョージ・ロイ・ヒルさんでした。基本的な演出力に加えて、笑わせ方が極上です。みんな真剣にやっているんですが、そこから笑いをすくい取ります。サンダンスの「泳げないんだ!」がその典型です。何度も観てますが、そのシーンが来るとワクワクします。この味を出せる監督は少ないと思います。反対に、何度も観てるから後半はツラさもひとしおです。ハッピーエンドでは終わらないと云う意味でアメリカン・ニューシネマの代表作に数えられる本作ですが、彼らの生き様は否定したくない。「明日に向って撃て!」がその気分を力強く代弁してくれます。この邦題も極上ですね。[映画館(字幕)] 9点(2012-12-24 02:38:20)(良:1票)

30.  ローズマリーの赤ちゃん 真綿で首を絞められて行くような緊迫感がスリリングで、とても見応えがありました。派手な描写は無いけど、立派なオカルトです。安易に驚かせるような映像を排し、細かな記号を積み重ねて恐怖を煽って行くロマン・ポランスキーの語り口が秀逸です。20代前半のミア・ファロー、こんなに綺麗な人だったんだと改めて感心しました。[CS・衛星(字幕)] 8点(2012-12-12 22:58:49)

31.  長靴をはいた猫(1969) 初めて劇場で観た映画がこれです。製作年度を辿ると小学生になる前後。春休みだったか夏休みだったか、叔母に連れられ、いとこ5人と一緒に観ました。そして、劇場から出た後はみんなで「♪びっくりしッたッニャー!」と主題歌を合唱していた記憶があります。 その頃、映画に「感動する」ような受容の仕方はまだ覚えていなかったのですが、ピエールがクライマックスで「朝日よ!」と叫ぶシーンにはとてもドキドキして、日常に見ている「テレビマンガ」とは違う質のものであることを直感していたと思います。 久しぶりの再見で質の高さを再確認しました。作品全体を包み込むユーモアの中に、誠実・信頼・愛情・勇気といったエッセンスがシンプルに詰め込まれた名作だと思います。 ラストの追いかけっこの作画は宮崎駿氏が担当されていますが、その後の氏の作品で核となるものがすでに完成に近いカタチで絵になっています。[映画館(邦画)] 9点(2012-12-10 01:33:43)(良:1票) 《改行有》

32.  ナバロンの要塞 《ネタバレ》 ミッション・インポ~ッシブルな破壊工作を縦軸に、少数精鋭メンバーの人間関係を横軸に、幾多の試練とピンチを切り抜け、最後はドイツ軍の砲台を地形が変わる勢いで吹き飛ばす。この時、私はドイツ軍に同情しました。ドイツ軍の射撃や砲撃が一向に命中しないのは良くある風景だけど、名優たちが醸す重々しい空気とのギャップが変な見応えを残します。なんて不運なんだ、ドイツ軍。その昔に観た時の爽快さが、なぜがナリを潜めてしまった。[CS・衛星(字幕)] 5点(2012-11-18 17:04:14)

33.  緯度0大作戦 《ネタバレ》 大昔に放送で観た記憶があるのですが、ほとんど忘れていました。「海底2万里」の東宝特撮バージョン、って感じです。設定を真面目に論じるとユルイところが山盛りですが、鉄腕アトムを見て科学が創造する楽園のような近未来を夢想していた時代の空気が感じられます。このシナリオ、上手だと思いました。緯度0の住人の代表として外国人俳優(ジョセフ・コットン)を起用したのも、欧米の豊かな生活に対する憧れのようなものがあったからじゃないだろうか。その声を担当する納谷悟朗さん(銭形警部)の落ち着きのある声は良く嵌っていました。他の方も仰っていますが、冒頭の海底火山噴火の描写がとにかく秀逸。製作から40年以上を経てもそんな感慨がある。円谷英二特技監督の凄さを再認識しました。出てくる怪獣(悪役が手術で作り出したキメラ)の着ぐるみがみんなふかふかしていて可愛いです。エンディングは、この物語自体が夢オチだったのかと疑わせるような結び方で、程良く余韻を残してくれました。[地上波(邦画)] 5点(2012-10-27 01:30:16)

34.  奴らを高く吊るせ! 《ネタバレ》 イーストウッド主演の60年代西部劇だけど、ドンパチがメインの娯楽作と云うよりは、社会性のあるテーマを扱っていました。本作の主人公は冤罪の嫌疑でリンチに遭い、殺されかけた復讐を保安官になって晴らそうとする男。そのこと自体は正義云々では無く復讐ですが、保安官職も真っ当に勤める。公的な正義と個人的な復讐を分けているところが人間臭い。彼の上司に被疑者を片っ端から縛り首(死刑)にする判事がいて、その方針には反発するが、最後は大人の判断をして判事に協力します。正義を行う態度として、正解の曖昧さが意識されます。本作はそのあたりが整理しきれておらず、微妙な見応えを残します。このスタンスをもう少し分かり易くし、エンタメ要素を加味して発展させたのが「ダーティ・ハリー」シリーズなんだと思いました。本作はその源流的な作品でしょう。[CS・衛星(字幕)] 6点(2012-10-27 01:17:37)(良:1票)

35.  鳥(1963) 《ネタバレ》 序盤、変な男女の偏執的な嫌味の応酬が発するネガなオーラに、トリたちが敏感に反応して殺気立ったと思っていました。トリの異変というより、その変な男女の方が心に残りました。[CS・衛星(字幕)] 5点(2012-10-19 01:22:02)

36.  ネバダ・スミス 《ネタバレ》 「荒野の七人」や「大脱走」などに比べると地味な印象を受けるが、マックイーンの主演作の中では彼の演技を楽しむという意味で好きな作品です。3人の悪党に両親を殺された青年の復讐譚だけど、青春映画的な趣きがある西部劇。親の仇を一人ずつ仕留め、一人前に成長して行く姿が描かれる。その成長は、最後は仇を「赦す」レベルに到達する。劇中に神父がマックィーンを諭すシーンがあるけど、宗教に帰依して復讐を止めたというより、世間に揉まれて大きくなった人間性の証という描写が好感でした。序盤は周囲から子ども扱いされるマックイーンだけど、どう見ても子供には見えない点に苦笑い。先住民族との混血と云う設定が個性的な風貌に嵌っていてこちらも苦笑い。広大な風景が印象に残ります。[CS・衛星(字幕)] 7点(2012-10-18 01:54:56)

37.  マイ・フェア・レディ 粗野な言葉をまき散らす花売り娘のヘプバーンが淑やかなレディに変身する映画です。でも、立身出世物語ではない。 女性が綺麗に変身する様はオトコだったら誰でも期待を込めて見ると思いますが、そんな視覚的な興味を満足させつつ、粗野なヘプバーンの方に魅力を感じさせる作り方になっている。これは個人の好みかも知れないけど、粛々とした淑女より、多少は荒っぽくても溌剌とした女性の方が魅力的です。そう言えば、「ローマ」の魅力は王女様の「お転婆」でした。本作は「プリティ・ウーマン」の原型のようなお話ですが、ラブストーリーに「自分らしさ」の大切さを無理なく挿入した良作だと思います。 字幕で見ていると序盤のヘプバーンのスラングの和訳に無理を感じました。こんなとき、英語が堪能だったらもっと楽しめたのに、と思ってしまう。今からでもチャレンジしてみるか。。。[CS・衛星(字幕)] 6点(2012-09-27 21:56:37)《改行有》

38.  切腹 《ネタバレ》 噂に違わぬ名作だと思いました。武士の所作として最も尊ばれるべき切腹。それを真ん中に置いて展開する武家社会の「体質」の話だったと思います。 どんな事情があろうとも押しかけてきて「ここで死なせろ」と云うのは、言われた方には大迷惑なお話です。序盤は井伊家側に同情しました。仲代達也が語る実情を聞いても、それは浪人を増やす幕政の問題で、井伊家の責任では無いと思いました。なのでラストの大立ち回りは必要なのかとも思いました。そこまでの口上に照らすと潔くない。でも、その斬り合いで出た死傷者に対する家老の態度でテーマがハッキリしました。 自分たちの対応から生じた不都合を手際よく「隠蔽」する。不都合が生じた原因は、大きな組織体が持つ「傲り」や「慢心」です。幕府に露見すれば譜代筆頭である井伊家も処分を免れないと云う事情があるのでしょう。ならば、そうなる事を事前に察知し、回避するのが大藩の知恵ではないかと思います。たぶん、井伊家の人達が個人で対応していれば、あんなことにはならなかったような気がします。大きな組織に帰属することによって、自分が偉くなったと感じる錯覚。それが組織体を蝕む根本かな、とも思いました。 仲代達也の堂に入った演技には見応えがありました。この時、彼はまだ30歳。その若さで爺さん役まで演じている訳ですが、まったく違和感がない。眼差しだけで弱々しい表情から毅然と力強い顔つきまでを演じ分ける。モノクロ画像のシャープな陰影が見事にそれを切り取っていました。 余談ですが、事実を隠すことによって事を荒立てない作法は「嘘も方便」という言葉があるように全否定はしません。何を守るために嘘を付くのかが焦点だと思います。大きな社会的責任を負った組織が隠蔽した事実が明るみに出ると反動は大きい。それを、記者会見で頭を下げる「行事」で落着にする習慣は新たな悪しき体質と思えるこの頃です。[CS・衛星(邦画)] 9点(2012-07-21 14:34:38)《改行有》

39.  キングコングの逆襲 《ネタバレ》 面白い。初見は子供の頃のテレビ放送だったけど、再見で見どころが増えた印象です。私のイチバンは天本英世さん。「世界的な指名手配犯、ドクター・フー(who?)」なる変な人を演じています。突拍子もない事件は自分のせいにされる、とほくそ笑む。突拍子もない事件とは、例えばキングコングの誘拐とか。彼と一緒に悪だくみを凝らすのが某国の工作員に扮する浜美枝さん(役名がマダム・ピラニア!)。秘密基地の自室をサロンにして人質を招いてお酒を勧める趣味がある。その時のファッションがキャバ嬢のように蠱惑的。浜美枝は途中で改心してしまう。ここが少しツマラナイ。コングを手なずけるアメリカ人の女医さんが、ハリウッド女優らしからぬトランジスタ・グラマーな体型で萌える。1967年の作品でも狙ってやってますよ。なんで「逆襲」かって言うと、たぶんゴジラと闘った後だから。でもゴジラに恨みを晴らす訳じゃない。そのコングは相変わらずブサイクで、それがチャーミングと言えなくもない。お前「ウルトラQ」のゴローだよな。出色のデザインはメカニコング。後にメカゴジラやメカキングギドラを映像にする東宝が、最初にメカ化したのがこのメカニコングだろう。クライマックス、東京タワーに登りながらのどつき合いは高層表現も含めて良く撮れています。やっぱり、コングは高いところへ登らないとね。今、同じことをやったら馬鹿にされる映画になるけど、ピンポイントの見せ場がたくさんあって和みます。[地上波(邦画)] 6点(2012-05-29 02:16:28)(笑:1票) (良:2票)

40.  黒部の太陽 《ネタバレ》 BSで放送された「特別編」なる145分くらいのバージョンを観ました。オリジナルが観たかったです。子供の頃から、この工事のことはよく耳にしました。難工事の代名詞でした。何故、そんなダムを作る必要があったかというと、電力が必要だからです。エネルギー生産に対する電力会社の大義と、ゼネコンや現場の下請け企業の意見がぶつかります。劇中、労働者を犠牲にして工事を進める電力会社を裕次郎が責めるシーンがあります。十分な電力供給=国家の発展のため、と電力会社は言う。しかし、国の発展のために人が死ぬことを黙認する状況は戦争と同じではないのか。実際、Wikiによると171名もの方が殉職しています。まさに、戦争と同じだと思いました。仮に工事の受注見積もりに「171の人命」と書かれていたら、このダム建設は成立しただろうか? あくまで、21世紀的な疑問符です。エネルギー需要という意味において、わずか半世紀の間に状況は大きく変わりました。多くの命を犠牲にしてエネルギーを作った時代と、命を奪う危険を危惧してエネルギー生産を停める時代。この二つを並べると、とても極端です。「発展」に対するビジョンに「調和」が欠落していたことの証明だと思います。作品のレビューになっていないです。すみません。[CS・衛星(邦画)] 8点(2012-05-13 19:49:34)(良:1票)

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