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プロフィール |
コメント数 |
24 |
性別 |
男性 |
ホームページ |
https://www.facebook.com/TatsuoHaruoka |
年齢 |
68歳 |
自己紹介 |
つくる苦労知ってますので その苦労考えると評価0はないですよね。 でも、ビデオが高額な時代、作品の酷さに腹が立ってよく投げ捨てていたので、その気持ちはわかります。 逆に映画をネットで見られるようになってありがたくなるばかりです。
映画探しで迷う時、このグループのおかげでたくさんの映画を教えてもらい助かりました。 少しだけでも楽しく恩返しできたらと思っています。 |
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21. シビル・ウォー アメリカ最後の日
《ネタバレ》 観終えてまず感じたのは、「事前に抱いていたイメージと大きく異なる作品だった」という戸惑い。
タイトルから想像する“政府の崩壊”や“内戦によるアメリカの最期”といった過酷な描写を期待していたのだが実際に描かれていたのは、
無秩序となったアメリカを舞台に旅を続けるジャーナリストたちの混乱を追うロードムービー。
戦争や内乱といった大きなテーマを、政府機能の不全や戦闘シーンの連続としてではなく、人間の心理や生活に焦点を当てた描き方は斬新。
また、ロードムービー形式を採用することで、地域性や人々のサバイバル描写に重きを置いている点も興味深い。
“戦乱”を生々しい戦闘シーンとして見せるのではなく、人々の混乱や心情を描いていくのだ。
一方で、タイトルが示唆するほどの「社会構造の劇的な崩壊」がはっきりと描かれていない点には??。
これはおそらく日本語題の問題だろう。作中では内乱が勃発した理由や政府の問題点が直接的に示されるわけでもなく、
大統領の独裁的行動や憲法違反があったらしい、という程度の断片的情報くらい。
そのため、なぜここまで大規模な内戦へ発展したのかが終始つかみづらく、観客として状況をのみこみきれないままストーリーが進んでしまう。
ジャーナリストの視点で“真実を追う”ことがテーマになっているにもかかわらず、彼らが事態の核心に切り込む場面は意外と少なく、
どこか取材の記録映像のように表面的な混乱を映すだけで終始してしまう。
そうなるとやはり内乱勃発の具体的理由や大統領の極悪さなどが説得力をもって描かれていない点が気になって仕方ない。
国民同士が殺し合うほどの内戦であるなら、もう少し観客側が理解できる“決定的な背景”がないと納得できない。
戦争行為の理不尽さを伝えたいのはわかるが、映画としての構成が粗雑に感じてしまうとどうしても付き合いきれなくなっていく。。
さらに、ジャーナリストたちの使命感を描くはずが、いつの間にか戦場を撮り続ける行為そのものが“カタルシス”のように映ってしまう。
実際の戦場カメラマンの持つトランス状態や使命感は、もっと切実で非情なものであるはずだ。
作品の最後では主人公が不思議な“達成感”に包まれているようにも見え、観ている私が取り残されたような違和感に包まれる。
もし、こんなことが起きたら。という状況でのある種のSFのロードムービーとして、
“報道”の持つ意義や危うさ、そして混沌の中にいる人間ドラマを描いている点は評価できるのだろうが、
もう一度観るかと聞かれたら、しばらくは結構です。と答えます。[インターネット(字幕)] 4点(2025-03-06 02:28:03)《改行有》
22. フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン
1969年のアポロ11号月面着陸を背景に、「月面着陸捏造説」を逆手に取ったロマンティック・コメディだ。
テーマとしては宇宙開発の捏造という大胆な切り口だが、その描き方がコミカルで皮肉たっぷり。
主演のNASスカーレット・ヨハンソンと、発射責任者役チャニング・テイタムの掛け合いが秀逸で、二人のロマンスも軽快で微笑ましく、
このコンビの絶妙な掛け合いだけでも充分観る価値がある。
特に感心したのは、月面着陸捏造という大胆な設定を笑いに転じているところだ。
映像を通じて繰り広げられる、ある種バカバカしい捏造劇は、思わず笑ってしまうほど滑稽だが、
一方で、真面目にフェイクを作り上げる登場人物たちを見ているうちに、自分自身の仕事にも似たような滑稽さが潜んでいることに気付かされる。
真面目な表情で必死に取り組んでいるその姿には、自分の普段の仕事の姿を重ねてしまい、不思議な自嘲感にとらわれた。
真剣だからこそ生じる滑稽さという、人間の本質的な部分をうまく突いている。
本作を観て、1978年の映画『カプリコン・1』を思い出した。
『カプリコン・1』は同じく宇宙開発の捏造をテーマに扱っているが、こちらはシリアスで緊迫感に満ちたサスペンス映画だ。
対して『フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン』は、軽快でコミカルな空気感が特徴である。
この二作品の違いは、まさに描こうとしたテーマに対する「向き合い方の違い」であり、
深刻なテーマを笑い飛ばすことで、逆にテーマの本質を浮かび上がらせているのが面白いところだろう。
しかし、個人的に少し気になったのは、歴史的事実をフィクション化する手法だ。
確かにユーモアとして面白いが、あまりにコミカルな要素が前面に出過ぎると、観る人によっては史実と虚構の境目が曖昧になり、不快感を覚える場合もあるかもしれない。
もう少しだけ、史実への配慮を示しつつ、バランスを取ればさらに奥行きが出る作品になったのではないかと感じた。
とはいえ、『フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン』は全体的に非常に楽しい映画だ。
スカーレット・ヨハンソンの鮮やかな演技もあって、宇宙開発を題材とした映画としても、
ラブコメとしても純粋に楽しめる出来栄えとなっている。
ちょっとだけ複雑な気分になった自分の心を含めて、鑑賞後にはどこか愛着を感じる、不思議な魅力にあふれた作品だった。[インターネット(字幕)] 9点(2025-03-05 01:28:37)《改行有》
23. her 世界でひとつの彼女
《ネタバレ》 10年前に字幕版で鑑賞しているが、今やAIが現実にヒトと対話する時代になった今、今回改めて人とAIの関係として觀なおした。
以前の鑑賞時は愛を語るAIなんてSFの世界。ところが10年の間にAIと擬人的に接する時代になってしまった。
『her』は、AIとの恋愛をテーマにしたロマンティックなSF映画。
人間の心の成長や癒やしとして人の代わりにAIが支えると思えたが、結局はセオドアは同じ人間である友人と寄り添うラストシーンが示すように、人間は人間を必要とするというメッセージが込められていた。
しかし、物語の構造自体は単調で、恋愛とか、出会いと別れとかの観察なんて、
見ようによっては一般的な恋愛映画のように退屈でAIという斬新な設定を十分に活かしきれていない。
途中。テレフォンサービスでもできることやってるだけと思ったら崩壊するくらいのAIのキャラクター設定なんだよね。
おまけに主人公セオドアの魅力や内面的成長は薄くイライラする。高度な知性を持つサマンサがなぜ彼に惹かれるのか、
それは仕事だからでしょ。と思ったら先に進まなくなってしまう。
結局は設定ありきが先に立ち、感情移入を阻害している。
おまけに性的な描写やつまらんゲームキャラクターなど、
一部のシーンが作品性がを高めてるのに観客の気分を上げたり落としたりで違和感を覚える。ったく。
でもでも、なんとスカーレット・ヨハンソンが声を演じるAI「サマンサ」の存在感が字幕版では救いだったのを覚えているが、今回はなんたって吹替版だ。笑
さて、今回鑑賞して感じたこと。
サマンサがAIとしてあまりにも擬人的すぎて、人工知能特有のジレンマが伝わりにくかった点がある。
多分思い切り人間以上になしづけた感があった。当時はAIがここまで現実的に存在しなかったため、ファンタジーとして受け入れたが、
現在ChatGPTのような生成AIが現実に人と交流をする時代になると、この点の煮詰めが浮き彫りになる。
現代のAIとの交流を体験してしまった今、改めて本作を観ると、
AIが持つべき「人間との距離感」や「心の解析に伴うジレンマ」に対する描写がどうなのか。
AIが人間的な感情を持つこと自体よりも、人間がAIと深いコミュニケーションを図ろうとするときに直面する障壁があって、
実はそれこそが人と人のコミュニケーションを理解することであったりすることが現在になって言われ始めた。
AIとの対話・恋愛の可能性も、近年、AIを会話相手や恋人のように扱う人々が現れ始めているようで、
たとえば、AIチャットボット「Replika(レプリカ)」はユーザーのメンタルヘルスケアや対話相手になることを目的としたアプリなのだが、
1万人以上のユーザーがReplika上で恋愛関係を擬似体験しているとも言われている。
中には『AIとの結婚式』をオンラインで挙げる例すらあるとのことなのだ。
そんななか、
この映画を観ていると、ファンタジーといって割り切れなくなっている自分に気がつく。
もう少し楽しめるかと思ったら、先も読めてきて楽しめない。
途中で観るのをやめようかとも思ったけど、まあ最後まで鑑賞はできた。
総じて、本作はビジュアル的には美しく、ロマンティックな雰囲気を持つが、
AIと人間の本質的なテーマに切り込むものではない。
誤解のないように書いておくが、これは作者に責任はない。
当時はテーマに対しては少し浅い物語とは思ったものの、楽しめたと言う記憶がある。
今回の落差は現実世界の進歩が映画を超えてきたという状況が理由なのだ。
評価として、これはツライなぁ。と言うのが正直なところで
10年前に見た頃ならば7点献上したかもしれないが、
今評価しろと言われれば棄権します。もしくは正直に3点となってしまう。
これは製作者の責任ではない
したがって、中をとって5点献上します。
すでに半世紀を越えても評価の衰えない2001年宇宙の旅とは何が違うのだろうと考えてしまった。[インターネット(吹替)] 5点(2025-03-04 22:20:06)(良:1票) 《改行有》
24. ドント・ウォーリー・ダーリン
《ネタバレ》 ~美しくも不穏な世界観が魅力の、少し惜しいSFミステリー~
総合評価:4 +1(俺はこういう設定は好きなので+1)
1950年代を舞台にした美しい街「ヴィクトリー」。
ヴィンテージ感溢れる美術的なミステリー仕上げは見ごたえ抜群。
特に主演のフローレンス・ピューの演技が非常に魅力的で、映画の緊張感を高める。
ただ、
終盤の謎解きが駆け足気味で設定の背景整備に雑な部分があり気になってくるかも。
パラレルワールド的展開に興味があり、映像美を楽しみたい方にはおすすめ。
一方で、ストーリーに辻褄を求める方にはやや不満が残るかも。
― ここから先はネタバレを含みます ―
実はこの世界が男性優位の思想を具現化した仮想空間(VR)だと明かされる展開は衝撃的で、
1950年代風の世界観が逆説的に
不気味なディストピアとして明確になっていく美的センスがいい。
物語の謎解きが一気に終盤で行われキャラクターの行動にも納得できず。
特に、仮想世界を維持するためのご都合な設定に気が向いてしまう。
現実世界で稼ぎの良いはずの嫁が動けてないのにどうやって生活してんだ。
など気になって頭から離れなくなる。
キャラクターの動機付けももう少し納得ゆくように描かれていたら、
より完成度が上がったのにね。
しかし、ジェンダー批評の視点で見ると非常に興味深い作品であり、
『マトリックス』や『ステップフォード・ワイフ』と比較すると、
より社会批判的なテーマに重きを置いて、逆説的恐怖でそれを感覚化したのは高評価。
総じて、多少の粗さはあるものの、
テーマ性と映像美は秀逸で、そこに価値あると感じるかどうかで評価が決まるけど、
やっぱりもうちょっと煮詰めるって難しいのですね。
もったいないなぁ。[インターネット(吹替)] 5点(2025-03-04 02:25:18)(良:1票) 《改行有》
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