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381.  戯夢人生 画面の美しさにいちいち感嘆したのは『バリー・リンドン』以来であった。室内と風景と。煙がたなびき、人々の表情が捉えられない遠景。まるで影絵のような世界。主人公の半生もののドキュメント形式映画なんだけど、その彼の「生きざま」が浮かび上がって“こない”ところが特徴で、その個人の半生が、台湾史の中に溶けて拡散している。歴史でもないか、記憶? 歴史と普段承知しているものは、つまりこういうものなのか、と逆に目から鱗を落とされたような気がした。物憂げに響く木のサンダルの音の響きの中にこそ歴史はあるのかも知れない。映画のスクリーンと、人形劇の舞台と、芝居の舞台と、スケールをカチャカチャと替えつつ、「意志」を何かに預けている雰囲気がある。主人公は精一杯自分で選んで生きてるんだろうけど、作者の視線は、その意志が預けられているものを凝視している。これは個人と歴史との関係を描いて、もしかしてすごいことを言っている映画なのではないだろうか。この人の映画では身内の病気・その看病ってのが繰り返し出てくるなあ。親密な不安のために寄り添っている人々ってのがいいんだなあ。[映画館(字幕)] 9点(2011-04-07 09:20:52)

382.  エイジ・オブ・イノセンス/汚れなき情事 大ざっぱに女優を貴婦人タイプと小間使いタイプに分類すれば、M・ファイファーは小間使いタイプで、場末のウェイトレスなんかやらせると絶品なんだけど、これはちょっと柄じゃなかったんじゃないか。はぐれ者の感じはあるが、上流社会って雰囲気からは離れすぎているような。最後の送別パーティの優しい残酷さはよかったな。ヒンヤリとしたとこ。これを殺せば自由になれると思ったことのある妻に、なすすべもなく操られてしまうD・D=ルイス。憐れまれてさえいたのだった。男は最後まで決断から逃げている。19世紀末のニューヨークってのが美しい。風の強い日に、男たちが帽子を押さえて黙々と歩いてくるシーンなんかに、味わいがあった。[映画館(字幕)] 6点(2011-04-05 12:35:55)(良:1票)

383.  めぐり逢えたら この前の『恋人たちの予感』が、クリスマス・新年で終わったので、今度はそこから始まる。夢のような恋愛・運命的な恋愛、そういうものが失われた現代から憧れて振り返っているようなところがある。スタンダードナンバーに、ケイリー・グラントの『めぐり逢い』の世界。ケイリー・グラント、デボラ・カーの美男美女の世界を、庶民派のトム・ハンクス、メグ・ライアンでなぞり直すわけ。飛行コースがいちいちテンテンで出るのがおかしい。こういうのではそれぞれの振られ役をどうフォローするかってのが難しいんだけど、これもそれクリアできなかった。ま、分かっていてもエンパイアステートビルの屋上ではホロリとしてしまう。これは過去のC・グラントの時代に戻れてホロリとしているのか、T・ハンクスの現代でも運命の出会いがあり得ると思ってホロリとしているのか。[映画館(字幕)] 6点(2011-04-02 10:18:30)

384.  ウェディング・バンケット ホモが絡むコメディとなると、だいたいいじましい笑いになってしまうのが多いのだが、これではどちらかというと笑いのネタは「父‐台湾」とのギャップのほうにあって、いい。二階でぐったりしている父親、鼻息を確かめたりしていると昼寝から覚めて、カクシャクと歩み去っていったり、とか。宴会シーンで中国が横溢する。もっとおとなしい民族かと思ってた、いう。どんちゃん騒ぎを描いて酔い潰れているのを描いて、ああいうのを描けるのは、台湾を離れた者の視線を持ってたからなんだろう。慎ましさと傍若無人の同居。すべてを受け入れ肯定していく。[映画館(字幕)] 7点(2011-03-30 10:12:08)

385.  新ドイツ零年 『パッション』以降の作品に言えるんだけど、メランコリーの度が強くなってるんだよね。それまで諧謔で隠されていたものが、剥き出しになってきたというか。室内撮影はもちろんそうなんだけど、風景の寒々しさといったら。ヨーロッパのメランコリーの源流はドイツにあるのだろうか。フランス・イタリアといったいわばヨーロッパ文化の中軸的なものに対して、ドイツ的なものを置くとヨーロッパに奥行きが見えてくる。たとえば音楽はイタリアやフランスで花開いたのに、いつのまにかメランコリックなドイツに中軸が移っていった。光に対する影のようなドイツの存在。そういえばこの映画では(というよりこの人の映画では常に)音楽・音に対して鋭敏にさせられるな。ピアノの打撃音まで。スピードを操作されてビデオで再現される過去の映画、その中の人物はすべて悲劇的に見えてくる。なにかすべてが憂愁へと向かっていく。憂い顔の騎士は、自らそのイメージの陳腐さに追い立てられるように、掘削機へ向かっていく。[映画館(字幕)] 6点(2011-03-25 12:14:20)

386.  リフ・ラフ 《ネタバレ》 建設労働者たちの悪口の言い合いとジョークとが、生き生きとした言葉の渦を作っていくところが魅力(ヒロインとの恋愛はあんまり面白くない)。そういったユーモア的な場面が、一転「深刻」に傾くところが怖く、感電する電気ドリルを抗議してあっさりクビになったりする。哄笑と罵倒が混ざったようなヒステリックな雰囲気への傾斜。現場監督の携帯電話で故郷のお袋に電話しちゃうユーモアも一転して、暴行逮捕にころげ、アフリカの夢は転落事故に傾く。そしてラストの放火が導かれる。管理人の犬が管理人に噛みついて放火の二人を逃がすあたりで、もう話は象徴の世界にドドッとなだれ込んだ。英国ドキュメンタリーの伝統を感じさせるタッチだったのが、この映画全体の「傾斜」を生かしている。ヒロインは「人生を複雑にしたくないの」と最初言ったな。主人公は「欝は中産階級の病気さ」と言う。労働者たちは、単純に笑うか怒るかしろ、っていう希望を言ってるのか。欝に沈むな、って。[映画館(字幕)] 7点(2011-03-23 10:24:43)

387.  トゥルー・ロマンス 《ネタバレ》 感情のおもむくままに走っていくシナリオ。とてもホット。それでいて部分的にはネットリしているのがおかしい。正義と悪の対決というより、ホットな二人とクールな世間の対決。G・オールドマンが電灯を揺らしながらC・スレーターをからかうとことか、それからもちろん、C・ウォーケンとD・ホッパーの向かい合いとか(それにしても豪華なキャスティングだ。D・ホッパーをいいお父さんにするなんて憎いね)。エルビスの啓示を受けて揉め事に入り、エルビスの啓示で救われる。お得意の三すくみはあるが、でもシナリオが書かれたのは『レザボア・ドッグス』よりこっちが先だったらしい。問題はラストのファミリーシーンだ。もしかするとこれ、平穏な若夫婦の・しがないコミックブック店員夫婦の、こうありたかった妄想なのかとも思えてくる。「トゥルー・ロマンス」って、何かそんな皮肉みたいな題じゃん。この二人以外は、世間はみんな死んでしまって。ひたすら夢としての冒険、ホットでありたいいう気持ちがここまで妄想を暴走させたのだとしたら、つまりそれだけクールに浸されてしまった時代だってことなんだろう。[映画館(字幕)] 8点(2011-03-20 09:56:17)

388.  スリー・リバーズ 《ネタバレ》 カーチェイスは食傷気味だし、サイコ系も食傷気味だと思っていたが、でも基本的に嫌いじゃないのね、サイコもの。金や権力の悪より、ついヒイキしてしまう。なにかの「手段」になってるんじゃなく、目的とストレートにつながってる潔さがある。サイコ的、少年時代、川、なんてのが作品のトーンを決めていた。舟は車ほどアクションでの応用が利かない。小さな堰を飛び越えるぐらい。ただ利点は、波しぶきが立って派手になること。スピードが出ると先っぽが上がるのもかっこいい。猛々しさが出る。たまには目先が変わって、舟もよろしい。一番の警官にならねば、いうコンプレックスの話。母も川で死んでいるという隠し味。おもちゃのパトカーが怖い。[映画館(字幕)] 6点(2011-03-19 10:16:43)

389.  ロビン・フッド/キング・オブ・タイツ クスグリばかりの弛緩した笑いの世界であったなあ。ギャグのほとんどが中世に現代を入れ込むパターンで、それに笑えないと悲惨。城の宴会でのどんちゃん騒ぎでこそ、映画ならではの笑いを引き出せるはずなのに不発。シャンデリアのロープを切ると、自分の上に落ちてきちゃうとか(メル・ブルックスでロープと言うと『サイレント・ムービー』が懐かしく思い出され)。ぐるっと360度回転のドミノ倒しはまあまあ。ミュージカルに入るあたりも、もっと何か出来そうなのに、ただの「ミュージカル・パロディ」の枠内に留まってしまう。[映画館(字幕)] 5点(2011-03-18 09:49:28)

390.  レイニング・ストーンズ 微苦笑の世界をゆっくり引っ張っていって、ラストになってカチッと怒りを結晶させるのがこの人の構図。まるで仁侠映画の型。「生活」することの大変さがほとんどドキュメンタリーのタッチで綴られていく。願いは娘の晴れ姿。羊肉売り、下水掃除、ディスコの見回り、妻のほうは下手なミシン掛け、とこの家族と十分親しくなったところで、高利貸しが闖入してくる。生々しい怒りが映画を観ているものに自然に湧き上がる。たとえば新聞などでひどい高利貸しの記事を読んだときなどに起こるだろう傍観者としての怒りではなく、当事者としての怒りを擬似体験できる。これ映画の強み(怖さでもあるが)。そのあとの神父との対話がいい。家族を守ろうとするのは罪ではない。怒りをそのまま屈折させずに肯定する。さらにラストで警官をうろつかせた後で、バンを主人公に返すというオマケも嬉しい。町を怒鳴って歩いているヤク中の少女のカット。友人の娘がバイ人になっていることを友人に言えない。その友人は娘から貰った金で泣いている。こういう循環。中で語られたジョーク。「小児麻痺の子どもを車椅子ごとクレーンで吊って奇跡の泉に漬けたところ、少年の脚はそのままで車椅子のタイヤが新品になってた」。象徴的ですなあ。[映画館(字幕)] 8点(2011-03-14 10:41:54)

391.  から騒ぎ いちおう「字幕あり」だが、前の席の人物のためにその半分が読めなかった場合も、これでいいんだろうな。冒頭の、男の帰還によって沸き立つ雰囲気が基本。身だしなみを整えること。どうのこうの言ってもパリッとして男と女が会うのは気の沸き立つものだ。そういう晴れ晴れしい気分に映画を満たしていく。噴水のまわりをぐるりと回る歌の場の長い移動。ラストの家の中を通り抜けてから高く高く昇っていくとこ。このブラナー君のいわゆるシェイクスピア役者臭は(とりわけ独白)どうも苦手で、噂話をしてる後ろを駆けつける一瞬のエマ・トンプソンのちゃんとした映画演技を見習ってほしい。悪役キアヌ・リーヴス、警保官マイケル・キートンのキャスティングは正しい。警保官のアナーキーさには、注目すべきものがある。[映画館(字幕)] 6点(2011-03-13 12:25:39)

392.  ベルエポック(1992) 《ネタバレ》 おとぎ話的な構図。上の三姉妹にもてあそばれた後に、末娘と結婚し幸せに暮らしましたとさ、って。生き生きする女性どもと、憂い顔の男どもの対比。ふらりと姉妹に惹かれて汽車から戻ったものの、姉妹のペットになっていくような。女性陣の勝利が決定的になるのは母親の帰還シーン、一番いいとこ。庭からの歌声、窓が開く姉妹、屋根裏の主人公も。ベルエポックって、どこか幼年期志向と重なるとこがあるかもしれんね。母性的なるものってことか。王政派も共和制派もけっこうなごやかに暮らしているスモールヴィレッジの雰囲気。二人の警察隊員の死と、神父の死の間に挟まっているベルエポック。二つの男の自殺に挟まれた女の時代、と言ったほうがいいか。軍服の次女に怪しい魅力。あちら本場の人の「タバコ」という発音のアクセント、たいして日本人と違わなかった。[映画館(字幕)] 6点(2011-03-11 12:20:38)

393.  ピアノ・レッスン 《ネタバレ》 ピアノは決して解放じゃないのよね。人の世と別の世界への解放であって、閉じた場所での安息ってことか。ピアノは言葉の代わりにはならない。ベインズがエイダにとってピアノが重要であることを直感で知るのは、彼が文字を読めないことと関係があるんだろう。ピアノは彼女の安息の閉じた箱なのに、それを取り戻すレッスンのために彼女が開かれていってしまうあたりが話の中心。音楽は鍵盤を指が触れて生まれるもの、その鍵盤がまず取り外され現実の愛へとかわり、その代償に指も取り外されるわけ。とにかく海辺のピアノという情景が優れており、ジャングルの濃密な空気はあまり感じられなかった。浜辺で娘が踊るとこがいい。あの娘は単なる通訳じゃなく、同志のようでもあり、また批判者にもなり。[映画館(字幕)] 6点(2011-03-08 12:21:06)(良:1票)

394.  春にして君を想う 《ネタバレ》 荒涼とした風景が見もの。かえってああいう風景の中での生活をリアルに見せてくれたほうが、ファンタジックになったかもしれない(と思うのは、そこで暮らしていないせいかも)。かつての村が生き生きしてた時代の場に、味わいがあった。セリフのない冒頭。犬の埋葬はラストの伏線であった。埋葬で始まり埋葬で終わる仕掛け。ジープでのホームからの脱走、ふっと消滅してから幻想が入り込んでくるのか。労働者を逮捕できない警察のエピソードは、あれは不法出稼ぎ外国人労働者かなんかなのか。死んだステラの脇を流れる砂が美しい。風土と幻想性が互いに相殺してしまっているような気がした。風土そのものの幻想性をもっと掘り起こせたのでは。[映画館(字幕)] 6点(2011-03-03 09:28:16)

395.  ゴジラVSメカゴジラ ゴジラシリーズ、いつのまにか新聞記者などの第三者が登場しなくなって「公人」ばかりになってしまっている。生活者の気配がないのだ。街を壊されては困る者の視線がないので、局外から見ているプロレスみたいなものになり、ストーリー展開が薄くなってしまった。でももう原点に帰るだけの力が東宝にはなかったんだろうなあ。つくづく感じたのは音楽の力。これあるがゆえに変な瞑想性が出て、いいです。異界性とでも言いますか、恐怖と言うより生命の不思議って感じ。人間の側が守るものを失ってしまっているのに、ゴジラの側は子を守ろうとした皮肉。京都・幕張がメインだが、怪獣が大きくなり過ぎた。ラドンとゴジラが最後協力してしまうあたりに、ちょっと面白味。[映画館(邦画)] 5点(2011-03-01 12:15:52)

396.  心のままに 《ネタバレ》 カメラのファン・ルイス・アンシアってスペイン出身の人(ときにアンチア表記)、『愛の選択』って映画の室内撮影がすごくきれいだったので覚えておいてやったのに、これはあんまりどうってことなかった。単に照明担当者が有能だったのか。で内容。リチャード・ギアの持つくすんだ陰りのようなものが、精神病に合っていた。ウツになりかけるあたりはそれらしい。必ず次にウツが来ると分かっている躁状態の危うさみたいのが、けっこう怖い。ヒロインは高所恐怖症だと言った時点で、ラスト高いところへ上がることを義務づけられてしまったな。[映画館(字幕)] 6点(2011-02-25 10:29:46)

397.  君はどこにいるの? 《ネタバレ》 人生の転機なんてこんなものかも知れんなあ。ヒョータンから駒、その駒に乗せられて、地平線のかなたへと走らされてしまう。状況だけを捉えれば、別役実の芝居にでもありそうなんだけど(ホラのつもりで言った言葉で、極東へ旅立たねばならなくなる)、「隣人」たちとのいい意味での妥協がある。この隣人たちを主人公が嫌いだけど好き、ってところが本作の暖かさ。これは別に後退じゃないと思う。そして極東にもやがてこのような隣人たちが待ち構えているんだろうし。退屈しきった活気のない町の描写、働いてるやつはいない。不意に「旅立つ」と言ってしまう主人公。すると町が変わりだす。祭りが訪れたのだ。ハレを待っていたのだ。女性たちは一番の身だしなみとなる。といって映画は主人公を「祭りの人身御供」という視点で通すわけでもなく、この主人公の「災難」を祝福してもいる。「せっかくの決心を引き留めちゃ悪い」という親切もあり、家具運び出しを手伝ってくれる双子もいる。ナターシャの田舎娘顔も実にいい。「ほんとは知り合いなんていないんだ」とナターシャに告げる主人公、自転車で旅立ちのバスを追いかけ続ける少年、これで幕かと思ってると、バスの後ろに乗っている隣人たちの幻影カットが続く。これがなかなかいい。彼らの夢を乗せてるのか、主人公が彼らの夢を引きずってるのか。[映画館(字幕)] 8点(2011-02-19 10:06:09)

398.  パーフェクト・ワールド 少年に銃を拾わせ自分に狙いをつけよと言うブッチ、ラストの伏線でもあるが、少年にとって不意に「父」のようなものが目覚ましく現われた瞬間でもあって、ここから逃げ出す早朝の感じなんかいい。伏線と言えば、動き出した車の前でブレーキをかけるまで動かないのもそうだ。そういうふうにシナリオを組み立ててるんなら、「あそこ」でピッと決めて終わりにしちゃえばいいのに、なんかこの人の映画はいつもちょっと長い。そのあと原での向かい合いが続く。退屈はしないんだけど、なんか着地後に演技してる感じ。ローラ・ダーンは必要あったのか。[映画館(字幕)] 6点(2011-02-18 13:24:17)

399.  天と地 人は時代を選べないということを感じましたな。「悪い時代」そのものと戦うということ。政府軍の拷問の後で、ベトコンからも裏切り者と言われるあたり、ほとんど不条理の世界。娼婦になる瞬間、ふっと外界の音が遠のいていく効果。たくましいアメリカと武器を売るアメリカが、やがて分裂していく。このアメリカ篇が映画としては未編集的で、ナレーションでつないだり、全然リズムがない。結局物足りないのは、ヒロインがどこか底のほうできれいごとを語っているからではないか。この大変さが嘘だと言ってるのではないが、もっとドロリとしたもの、たとえば「アメリカ兵を利用してやれ」なんて気分をチラとでも出せたら、映画は生き生きしただろう。反対側からも眺めよう、という姿勢はいいんだけど、アメリカ側から眺めることに徹した『プラトーン』の手応えは失せて、やはり「他者」に遠慮してしまうための類型化が増した。アメリカにとってもベトナムにとっても「悪い時代」を経験した、という共通点で理解し合えないか、という基本姿勢は、個人のレベルでは間違っていない。[映画館(字幕)] 5点(2011-02-17 09:54:35)

400.  ヌードの夜 《ネタバレ》 ナイフがあったことを知りながら、ノンキにシャワーに入るだろうか。女をなめきってたってところなんだろうけど、でも。死体をバッグに詰めてあっちこっち持ち歩く、分かってるよ、別にリアリズムで筋立てを追う話じゃないってんでしょ、ラストだって怪異譚じたてで締めてるしさ、でも。なんか納得しようとしても、常にこの「でも」が付いちゃう。こちらの度量の広さを試されてるようで、するとこっちはヘソまげて「別に楽しめなくてもいーもん」とムキになってしまった。弟分が押し込んできても逃げないヒロインとか、世の裏を通ってきた男がやくざに簡単に金渡すかとか、登場人物の行動が引っかかり続けた。弟分が竹中のとこに押し入ってきて、シュパシュパボクシングのスパーリングやって、止めるあたりが唯一ノリかけたところ。なんか途中から「勝手に酔ってて下さい」って気分になっちゃって。[映画館(邦画)] 5点(2011-02-15 10:16:32)

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