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プロフィール
コメント数 1251
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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381.  獄門島(1977) 《ネタバレ》 ミステリーとしていいか悪いかは評価できないが、物語としては原作段階から納得できないものがあった。殺人の動機付けもそうだが、特にわざわざ見立ての手間をかけることの意義が感じられない。原作では楽屋ネタのようなことを書いて開き直っていたようだったが。 そういう原作由来の点は仕方ないとして、この映画では一部改変により動機の面で説得力を増しているといえなくはないが、四国八十八ヶ所など取ってつけた感もあり、時間的にも141分もあって最後まで見るのが正直つらくなる。最後に投身した人物が、見えない大きな力に動かされていた、と語っていたのが言い訳じみた感じに聞こえ、かえってこれは適当な翻案だと制作側も認めていたのではと思わされた。 ただ唯一、雀の五七五は極めて強引だがユニークな趣向で笑わされた。 出演者に関しては、男は見なくていいとして女優陣は多彩なようだが、個人的好みの関係もあってあまり心に残るものはない。重要人物の早苗さんという人は、原作ではあからさまに「かわいかった」と書いてあるので可愛くなければ困るわけだが、この頃の大原麗子という人は、可愛くないとは言わないがそれほどイメージ通りでもない。 また浅野ゆう子嬢は、当時の若手としては人気があったはずだが、この映画ではとんでもない役どころでかつあまり印象に残らない。この頃の姿なら同年の「惑星大戦争」(1977)、少し年増状態なら同じ監督の「八つ墓村」(1996)を見た方がいい(見なくてもいい)。ほかに坂口良子という人も出ているが、自分とは世代が違うので特に愛着を感じていないのと、劇中人物としては昭和(戦後)っぽいのであまり好きにはなれなかった。 結局、いい印象として最後に残ったのは雀の五七五だけだった。[DVD(邦画)] 4点(2019-11-23 13:58:36)《改行有》

382.  ディール・ブレイク 《ネタバレ》 アイスランドの映画である(寒々としている)。シリーズ2作目とのことだが、単純な続きではなく独立的なサイドストーリーのようなものらしい。 内容としてはアクションのあまりないクライムサスペンスである。最後の部分を除いて説明的なところは全くなく、専ら状況に語らせる展開なのでわかりにくい。また日本人にとっては顔の見分けがつきにくいのも問題で、せめて人名はまめに出してもらいたいものだと思った。 物語としては麻薬の密売に関わる犯罪組織が、警察内部に協力者を確保しながら街の支配権を争う話になっている。この2作目では警察官が主人公だが、その警察でも内部統制が緩く、情実人事とか汚職を見て見ぬふりの風潮があったらしい。また血讐blóðhefndの風習を残しているかのような場面もあり、それでは何のために警察があるのかもわからなくなる。刑務所の看守が受刑者と癒着していたのも問題で、そういう現代の先進国らしからぬ現状を批判する意図があると取れなくはない。 しかし人口35万の小国であることから、警察一般への批判というより特定機関を名指しで悪事を暴くような印象が出ており、これを単なるフィクションとして見るのは結構難しい。何か確証があって告発しているのか、または存在しないことをでっち上げてまで社会批判したいのか、あるいは実態と関係なしに自国を舞台にした犯罪映画を作りたかっただけなのかがわからないので非常に困惑する。 ただエンドクレジットを見るとアイスランド産業・革新省?が制作に関わっており、またレイキャヴィーク首都圏警察その他国家機関も協力していたらしいので、少なくとも国と一線を画した立場で権力批判していたのではないようでもある。そもそも2013年に初めて武装警察の発砲で人が死んだことが話題にされるお国柄で、こういう犯罪映画が成り立つのかと思うわけだが、しかし外務省(日本)の海外安全ホームページによると、この国にも「麻薬の常習者や売人」がいること自体は間違いないらしいので、こういうことも絶対なくはないという程度に思っておけばいいのか。どういう見方をすればいいかわからないのでかなり混乱させられる映画だった。 なお劇中の外国人について、パレスチナ自治政府の旗のあるレストランは難民の経営だろうが、セルビア人の密売人も90年代のユーゴスラビア紛争の難民だったらしい。そのセルビア人は、憎むべき悪人でいながら当人もかなり厳しい状況に置かれており、これから生まれる娘をネタに脅迫されていたのはお気の毒というしかない。悪の根源は内にも外にもあるが、本当に恐ろしいことは外の世界にあるということか。 ほか何気に日本車を貶める台詞が出ていたのは気に食わない。「レイキャヴィク・ホエール・ウォッチング・マサカー」(2009)に続き、個人的にはこの映画でまた対アイスランド感情が若干悪化した。[インターネット(字幕)] 5点(2019-11-16 16:28:46)《改行有》

383.  イキングット 《ネタバレ》 アイスランドの映画である(寒い)。登場人物の様子からして近代以降の話には見えないが、Wikipedia, Den frie encyklopedi(ノルウェー語版)ではなぜか細かく1698年(元禄年間)のアイスランド北東海岸と特定している。首都からは島の反対側なので、絶海の孤島の中でもさらに辺鄙な地方ということらしい。ちなみに国王と言っていたのは恐らくデンマーク王のことで、保安官はその国王が任命した役職ということになる。 同時代のノルウェーの捕鯨船ではグリーンランド人が雇われていたのに、ここの住民は海の対岸にどういう人々が住んでいるかも知らないようで、それでもヴァイキングの子孫なのかと言いたくなる。冬の間も氷の下に魚はちゃんといることを、知っている人はいたらしいが知らない人もいたようで、今後はここの漁師もシロクマ少年を真似して魚を釣れば、住民の冬の暮らしが少しは豊かになるだろうと思った。ちなみに村人が悪魔排斥運動に熱中していたのは、冬の間はひたすら暇だったからだと思っておく。 内容としては予定通り、地元少年と異邦人の微笑ましい友情物語である。シロクマ少年が悪い奴でないのは顔を見ても明らかだが、地元少年は助けられた恩義もあり、また地元民ができないことをいろいろやってみせたことで率直な敬意も感じていたかも知れない。なお題名のikingutは今も普通に通用するグリーンランド語のようである(ただしWiktionary, the free dictionaryによれば綴りはikinngut)。 社会的メッセージという面で見ると、子ども向けに素朴なレベルで異文化共生を訴える映画になっているが、相手が子どもだからか女性はわりと早くから融和的で、問題は男連中の態度ということかも知れない。しかし排斥運動を主導した男などはあからさまに偏屈オヤジ風で、これが大勢になるはずがないのも見えているので安心できる。 ただ最近はやりの労働力受入れとか移民を許容するかどうかの問題に、この話は直接つながらないような気がする。この映画では少年1人だけで、たまたま善良で気配りができてコミュニティにも貢献できる人物だったので問題ないとして、集団になれば個々の人がいい人というだけでは済まなくなるだろうが、この映画の時点で製作側がどこまで考えていたかはわからない。 ほか余談として、地元少年の姉は14歳の設定だそうだが、「15歳、アルマの恋愛妄想」(2011ノルウェー)を見たこととの関連もあって、北欧の少年少女は早熟なのかと思わされた。相手は北欧風の美少年(ちょっと微妙)だが、こんなバカはやめておけ。世界はもっと広い。[DVD(字幕)] 6点(2019-11-16 16:28:44)《改行有》

384.  映画 としまえん 《ネタバレ》 東京の著名な遊園地を舞台にしたホラーである。「特別協力」として株式会社豊島園、西武鉄道株式会社と練馬区の名前が出ているが、遊園地側としてもプロモーションの一環として全面協力したようで、こういう企画は個人的に嫌いでない。なお練馬区はこの遊園地を成人式の会場にしているとのことで、地域愛を表現する「練馬区民の常識」といった台詞もあり、思いがけずご当地映画的な性質もあったようである。 主な登場人物は女子5人グループ+1人で(男は無視)、序盤でグループの顔を大写しにしたところでこれは良作だという気分にさせられる。女子大生年代の現在と、3年前の制服女子高生の姿を並行的に出しており、こういうので売ろうとする目論見だと思いながらまんまと乗せられてしまう。ただし終盤ではこの全員に嫌悪を覚えることになる(主人公を呼んでいる場面)。 物語としては、失踪した主人公の幼馴染に何が起きたのか、登場人物の記憶を掘り起こしながら明らかにしていく展開になる。テーマ自体はありがちだが、「なに、みんなって」という台詞で問題点が一気に明瞭になり、それへの答えが運命を決する場面が非常に印象深かった。 ホラーとしてはそれほど怖くもないが不穏な雰囲気は悪くない。手前の人物がぼかされて背後の家に焦点が合う場面では、何かいるのかと目を凝らしたが何もいないので何だこれはと思っていると、後で人物をぼかしたこと自体にも意味があるとわかるのはいい趣向だった。また「なんかおかしくない?」という台詞を聞いてよく見ると、背景のFLYING PIRATESが無人で動いているのに気づかされる場面もあったりした。 その他、仕掛けの面でそれほど独創的なものはなく、またホラーによくある都合よすぎの展開やありきたりな演出もある。後日談での少女像?の涙も意味不明だったが、これはもしかして傍観者としての悲しみだったのか、と好意的な解釈をしたくなるのは全体の印象が悪くないせいである。 なお主演の北原里英という人は、前に「ジョーカーゲーム」(2012)で見た時よりもかなり女優っぽくなっており、「嫌われたくないし」の顔はけっこう怖かったりする。小島藤子さんは今回少し可愛い役かと思ったが結局きつい性格の女子だった。浅川梨奈嬢は、映画出演時の通例だろうが胸は隠して脚だけ見せるようにしている。 また小宮有紗さんは、本来はこの中で一番かわいい人だと思うが(※主観)今回はまさかの特殊メイク要員で、ただし観客が唯一心を寄せることのできる登場人物になっている(かわいそうで心が痛い)。[インターネット(邦画)] 6点(2019-11-09 12:23:40)《改行有》

385.  SUNNY 強い気持ち・強い愛 《ネタバレ》 もとの映画は見ていない。年代と性別が違うのでかなり場違い感はあるが娯楽としては見ていられる。御霊前ダンスに1人だけ参加させないのは変だと思ったが、その後の新旧敵味方総動員のところは見る人によっては大感動かも知れないとは思った。 以前あった団塊向けのような回顧趣味が時代を下ってきたようでもあり、一応いいところも悪いところもあったという描写ではあるが、当事者であっても実は黒歴史のように思っている人々もいたりするのではないか。当時の場面を見ているとこのまま日本が崩壊しそうな勢いだったが、逆にこういう混乱と頽廃の時代をくぐり抜けて今の日本があるのだという感慨はあった。なお「新世紀エヴァンゲリオン」(1995~1996)は確かに衝撃的だった。そこは認める(綾波はあまり好きでない)。 ちなみに淡路島差別を誘発しかねないのは問題だ(難民か)。それからこの映画のせいではないだろうが、サニーという言葉は90年代よりも高度成長期のイメージだ。 キャストに関しては、いうまでもなく篠原涼子と広瀬すずは似ていない。しかし見ているうちに篠原涼子が広瀬すずに似せようとしているかも知れないという気はして来た。主人公グループでは山本舞香さんがさすがのクールな役だったが、それより何といっても池田エライザ嬢の役が最強だ(見た目が変わらない)。邪悪なグループでは小野花梨・吉田まどかの両人は見たことのある人のはずだが、今回は見る影もない変わりようで、特に小野花梨さんなど原型をとどめない姿で困ってしまう。それをいえば富田望生さんも同じだが。ちなみに松本穂香が高校1年というのも無理があるがそれを言っても仕方ない。[インターネット(邦画)] 6点(2019-11-09 12:23:37)(良:1票) 《改行有》

386.  青の帰り道 《ネタバレ》 「新聞記者」(2019)の監督だそうだが、ところどころで世相を映すのが煩わしい。政権交代で何かが変わると期待したが実際うまくはいかず、その後に震災もあったが政権が変わると原発再稼働の動きが生じて怒りを感じ、もう最悪なところまで来たと思ったら実はそうでもなく、2018年の保守政権下ではかえって現実的で前向きな気分になっている、とでも思えばいいか。そういう変な読み取りを強いられるくらいなら不要である。 それとは別の話として、2016年8月に女優の高畑淳子の息子が前橋市のビジネスホテルで問題を起こして逮捕されたのはこの映画の撮影時だったそうで、これで制作が中断してしまったが、翌年に代役を立てて撮り直したとのことである。 内容としては高校卒業から10年間の群像劇のようなものになっている。7人それぞれの人物像と物語が作り込まれており、原案段階での「生きる道はひとつじゃなかった(おかもとまり)」は表現されている。 ただし常識人から見た場合の細かい突っ込みどころは結構多い。特にこの映画では“友情”や“故郷”にも重点を置いていたようだが、人生の多様さを表現するための性質がまるで違う人物を、全て同じ高校の仲良しグループにしたことで非常に不自然な状態になっている。見る側の年代のせいで直接共感できずに難点の方に目が行ってしまうところはあるわけだが、しかし関係者が執念で完成させるにふさわしい、中身の詰まった映画には見える。エンディングテーマも少し染みた。 ちなみにネタバレ的に余計なことを書くと、ラストで不明瞭だったことについて、主人公は遺された歌に励まされて改めて音楽の道を目指し、半グレ男はライブハウスを用意する、という方向性だったと思っていいか。それで実際どうなるかはこれからの話ということらしい。 出演者に関しては、特に主人公の友人役の清水くるみという人が非常に感じのいい女優だと思いながら見ていた。またその母親役の工藤夕貴は、最近はこういう感じになっているのかと少し意外だった(時々かわいい)。この母親が夜の前橋中央通り商店街で語ったことは、それ以上に解説するまでもない単純明快な真実に思われる。 また「風切羽~かざきりば~」(2013)を見たことのある立場としては、戸塚純貴と秋月三佳さんが夫婦役になっていたのは嬉しい。戸塚純貴は代役とのことだが、むしろ初めから戸塚純貴でよかったのではないか。また秋月三佳さんが息子に小言を言っていた最後の場面は少し泣かされた。この夫婦の存在は尊い。[インターネット(邦画)] 7点(2019-11-03 15:28:03)《改行有》

387.  紅い襷 ~富岡製糸場物語~ 《ネタバレ》 2014年に世界遺産に登録された富岡製糸場を紹介する映画で、主人公の和田英という人物が後に書いた「富岡物語」をもとにして映画向けの物語を作っている。また特に前半では現代の映像(フランスで取材など)も含めた解説部分を入れており、映画としての純度は低いと見られるかも知れないが、逆に世界遺産のPRビデオにしてはかなり豪華な作りである。最近話題の渋沢栄一も登場しており、年長の役者の重厚な演技も見られる。 映画の頃の富岡製糸場は指導者(伝習工女)の養成学校のようなものらしく、主人公とその同僚は信州松代(真田家十万石の城下、現在の長野市松代町)の士族の娘である。ちなみに「女工哀史」とは違う時代の話なので同列に語らない方が無難である。 製糸場の建設は早くも明治3年に決定されたそうで、維新後の近代化がいかに急速だったか思い知らされる。似た例でいえば「坂の上の雲」で、明治日本が坂を駆け上がる高揚感があって少し感動的だった。「お国のために」という言葉を登場人物がわりと無造作に使っていたが、これは家での働きしか求められて来なかった女性が、公のために直接貢献できるようになった喜びの表現と受け取れる。出身地で対抗などせず皆で一緒に日本を盛り立てようというエピソードもあり、そのような近代社会の先駆けとして、この製糸場を印象づけるのが映画の意図だったと解される。 ほかに、身分によらず平等に能力を発揮する社会の表現として農家出身の工女も出していたが、ただその人物に物語の陰の部分を背負わせたことで、かえって身分差を際立たせているように見えたのは残念だった。ほか病気で帰郷した人もいたが、原作によればその後は「耶蘇の伝道師」になったそうである。 なお絹の関係では、世界遺産の富岡だけでなく日本遺産として認定された地方もあり、またシルク産業自体も国内で存続しているので全く過去の話でもない。点数は地方応援の意味で少しいい方にしておく。 ちなみに主演の水島優という人は、それほど美女という感じでもないが個性的で愛嬌のある顔だちで、この映画では10歳近く年下の役をしているが、特に最初の箱入り娘の場面などはちゃんと可憐に可愛らしく見せている。音大の声楽科を出たとのことで、その技能が「お歌」を披露する場面で生かされたかというとそうでもなかったが、それよりエンディングテーマを歌っていたのがこの人だったようで、さすがきれいな歌声だった。[DVD(邦画)] 6点(2019-11-03 15:28:00)《改行有》

388.  K-19 《ネタバレ》 最初に見たのはTV放送で、とにかく放射線障害が悲惨だったことだけ憶えていた。医学的にどうかはわからないがわずか10分でこの状態になり、それでも次々に人員が投入されていくのが恐ろしい。日本でいえば1999年に東海村臨界事故があったので、何かと雑なソビエト連邦の出来事だからとも言い切れなかった。 今回は無料公開の終了間際ということで見たが、上記以外の部分はそれほど感心しなかった。一応は実際にあった事件をもとにしているので、先の見えない展開のようでも自由度は狭まっており、例えば総員退艦して自沈する選択はありえなかったことになる。事故の話だけでは不足と思ったのか、前半では艦長が無理してスリリングな見せ場を作っていたが、その理由の説明には納得できなかったので落胆させられた。終盤で再度300mをやったのは、前にもやったので気分的には怖くないという意味だろうが、物理的には1回が限度で2回は無理ということもあり得たのではないか。 人間ドラマとしても、前艦長が一番いい人かと思っていたら艦長も感化されていい人になって、最後は仲間が一番大事で終わるのは極めて普通というしかない。少し意外な点として、艦長の父親も息子に似て野心家だったが「ツキの落ちる日」が来て収容所に行ったのかと思っていたところ、終盤でその想定をひっくり返す展開になっていたらしいが、それもそれほど印象的なものにはなっていなかった。 最後の集合写真で大感動もできなかったが、もうアメリカでもかつての敵への偏見などはなく、ロシア人の乗員に素直に心を寄せる余裕があったのだなという感慨はあった。ロシア風の背景音楽も耳に残る。 以下些細なことだが、字幕で近くの島の名前が「ヤン・マヤン」だったのは何語か見当がつかず南洋の島かと思ったが、これはノルウェー語でJan Mayen、ロシア語でもЯн-Майенで、カタカナでは「ヤン・マイエン」と書くのが妥当と思われる。こういうところにも気を使ってもらわないと北極海の雰囲気が損なわれるわけだが、そもそもその前の段階でバレンツ海を「ベーリング海域」と訳すようではどこの話かわからなくなる。劇中の地図を見ればいいにしても杜撰な翻訳だ。[インターネット(字幕)] 5点(2019-10-27 19:28:28)《改行有》

389.  ユリョン 《ネタバレ》 潜水艦大活躍の映画である。まずは序盤のよくわからない情勢判断により敵は日本と決めておき、最初に通りがかりの日本潜水艦1隻をいきなり撃沈、反撃に出た2隻も無慈悲に撃沈し、特に3隻目を恥辱まみれで残酷に葬ったのが最大の見所だったと思われる。ただ、ロシア製の潜水艦が音を立てて通っても日本側が気付かないという想定は世間を甘く見ているところがある。 ストーリーとしては、基本的に交わらない二人の立場を並行的に語っていたように見える。一人はミサイル発射を阻止しようとした男(431)で、普通に人命を尊重し争いを避けようとする立場である。この男が「準備ができていない」と言ったのは、いつか日本を滅ぼす日が来るというよりも、自国が力をつければ本当の主権を得て堂々と国益を主張できる、あるいは滅ぼすまでもなく圧伏させられるというような意味だったと想像され(いわゆる「克日」か)、それを含めていわば国民の理性を体現する存在だったと取れる。 もう一人はミサイルを発射しようとした男(202)で、まずは自国の存在を周囲に認めさせるため最も過激な方法でアピールしようとする立場である。北のやることに似ているが脅しで済まないのはさらに過激で、最初は「沖縄県民」だけが殺されるのかと思ったら、結局は主要都市(熊本?・広島?・大阪・名古屋・横浜・東京・新潟・仙台・札幌)を核攻撃して、1億皆殺しとはいかないまでも千万単位で殺す予定だったらしい。この202は「教祖様」「幼稚なロマンチスト」と431に評されており、また自軍の兵を生体解剖するなど残虐性も見せていたので、この映画としても表向き肯定していたわけではないようでもあるが、しかし終盤の熱弁など聞くと431とほとんど同格の扱いになっている。字幕によれば国民の「ハン」(恨)を代弁する存在だったらしい。 こういう題材だとどうしても両論併記的になるようで、物語上は431を優先していわば啓蒙的な映画にしたのかも知れないが、その割にエンドクレジットで431より202が上なのが現地の本音かと思ったりする。ちなみにいうと、終盤で出た202の「強くなること…生きるしかない」という台詞には日本人も学んだ方がいい。いいこともちゃんと言っている。 なおDVDの最初の表示を見ると、こんな映画の公開になんと駐日大使館が協力していたようで、こういうのも外交の一環ということらしい。点数はアンチ202でなく431の立場に寄せた形で付けておく。[DVD(字幕)] 5点(2019-10-27 19:28:26)《改行有》

390.  呪われた都市伝説 紫鏡<OV> 《ネタバレ》 有名な都市伝説をもとにしたホラーである。本来は題名の言葉を20歳まで憶えていると死ぬというだけの話だが、この映画では“鏡の中の世界に連れて行かれる”という派生要素をもとにして別世界の話を作ったように見える。 ホラーといっても特に怖くもなく、死に直面した人間模様を延々と見せられるだけで、感情表現がくどく叫び声がやかましいのが気に障る。映像面では、彩度を落としてほとんどモノクロに見えるのは別にいいとも思わないが、建物の外部を迷路のように見せていたのは少し面白かった。 ストーリー的には、わざとわかりにくくして観客が考えるよう仕向けていたようだが、そういうのは煩わしいのでやめてもらいたい。 制作側の思惑はともかく勝手に解釈すると、まず「死斑の女」の本当の目的は友達を作ることだったらしい。20歳の時点で友達もおらず人生に前向きになれない者は適任ということになるが、ただし友達にする前に、自分の醜い顔を認識されないよう相手の頭を変にしていたと思われる。割れていない鏡はお友達のしるしかも知れない。 主人公には友達がいたので不要として処分される見通しだったところ、唯一助かる道を当の大事な友達が閉ざした形になった(同じ看護学校?)のは皮肉ともいえる。しかし主人公の仮説に従えば本当に助かったのかも実は不明であり、廃墟で「死斑の女」の仲間にされないよう、人として生命を終わらせてくれたとも取れる。本人も、友達への警告と引き換えに20歳で一生を終わるなら本望と思ったかも知れない。 なお単純に20歳で死ぬだけの話に、その時点で生きる気概を失っている状態を関連付けたとすれば一定の工夫かも知れない。20歳までしか生きないというのは本来、大人になるのが怖いという思春期っぽい不安の表現だったのではと思うが、そんなことを多くの人間は20歳までに忘れているのに対し、別の理由で20歳の誕生日を迎えたくない連中が狙われるということなら悪くない。 ほか出演者は個性的な美形女子(みな20歳の想定)が多いので目を引くが、騒ぐのがやかましいので好きになれない。ただ主演の岩佐えみりという人は、あまり派手な顔ではないが見ているうちに愛着がわいて好きになった(名古屋の出身らしい)。ちなみにどうでもいいことだが、最初に出たガラの悪い男の「きゃ」「じゃ」「すけ」などの言葉は青森県あたりの方言ではないかと思うが意図不明だった。[DVD(邦画)] 4点(2019-10-23 23:20:44)《改行有》

391.  恐怖新聞(2011) 《ネタバレ》 原作は懐かしい。この映画はあまり原作を思わせるところはないが、頼んでもいない新聞が来て生命が縮むというのは最低限のところを押さえたようには見える。ただし見出しは読んでも支障ないという設定が勝手すぎるのと、メリーさんの登場が原作のイメージからは若干ずれている。そのメリーさんもまめに電話をよこすわけでもなく、注意事項を1回だけというのは本来のあり方ではない。 ストーリー的にはそれなりに作ってあったようではあるが、配達員とか発行元はいいとして、主人公の友人の意味付けが微妙だった気がする(よく考えていないがすっきり説明がつくのかどうか)。 また自分としては、特に主人公とヒロインとの関係性をもっとしっかり描写してもらいたかった。昔の悔いを晴らす意味もあったにせよ、今回はこの相手が本気で大事と思ったからこそ助けたというのが本筋だろうと思うが、それを象徴するものが手作りストラップ(餃子)というだけでは弱い。また主人公にはこの先2週間程度しか残されていないはずだが、それでも最後は達成感があったのか、それより悲壮感とか空しさがあったのか(どうせ死ねば速やかに忘れられる)というようなことがよく見えない。ラストでは背景事情の説明の方が前面に出てしまい、主人公の心情は曖昧なまま終わってしまった気がする。 なお個人的には、ヒロインの体調が悪かったときに「だからほら、そのマスクしてくださいよ」と不機嫌な口調で言ったあたりがその辺の普通の女子のようで親近感を覚えたが、その後に刃物を構えた場面の凶悪そうな様子がいかにもありきたりで、ここで見る側としての好意が失われてしまったのは残念だった。 ほかどうでもいい感想として、2日分の新聞を並べて見る場面があったので、過去の新聞が消えるわけでもなく残るのなら、そのうち古紙回収に出さなければならないくらい溜まるのではないかと思ったが、あと2週間程度ならまあいいかも知れない。 また登場人物として、サークルの眼鏡女子は嫌いでない。この人と仲よくなって、物理現象を起こす霊は必ず物質でなければならない、などという話を聞かせてもらいたい。[DVD(邦画)] 3点(2019-10-23 23:20:42)《改行有》

392.  ボクはボク、クジラはクジラで、泳いでいる。 《ネタバレ》 和歌山県の太地町立くじらの博物館を舞台にした映画である。冒頭から人とクジラの息の合った演技に驚かされる。 当然ながらクジラに対する地元の思いが語られているほか豆知識なども出ており、クジラとイルカの違いはわかったのと(大事なことらしく二回言っていた)、手触りがナスというのは見た目で想像した通りである。またご当地PRとして近隣の那智勝浦町や串本町の名所も紹介している(那智山青岸渡寺はめちゃめちゃ赤い)。 ほか特に前半では、監督が大阪出身なのと関係あるかわからないが関西風コメディのような雰囲気で、険悪になりそうなところを笑いに転じる面白さは高等技術かも知れない。「ご無沙汰」まで言わせてさっさと次に行くなど切れのいいところも見える。 物語としては、行き詰っていた博物館の組織体制を規格外の人物(さかなクンのイメージ?)が再編する話である。この男がリーダーになったのはなぜか、と取材スタッフがメモしたところからその疑問を解いていく形だが、結論としては誰かを敵にして攻撃するのでなく存在を認めること、素直に心を伝えようとする姿勢が大事ということらしい。その上で本当のリーダーは誰だったのか、というのが最後のオチになっており、ドラマとしても作り込まれていて少し泣かせるところもある。 反捕鯨団体の存在も意識されていたが、終盤で最大最悪の敵が来たと思ったらただの2人連れで(エンドクレジットでは「外国人観光客」)、いかにも人相が悪く洒落のわからない連中だったが、たとえ敵に見えても(敵であっても)忌避することなく、虚心に語りかけていきたいとの思いを見せたのかと思った。地元以外の日本人としても聞くべきものがあるように思われる。 出演者では、まず武田梨奈さんがオラオラ系女子になっていたのが可笑しい。序盤でいきなり蹴りを見せたのは元ヤンか何かだったのかも知れないが、今回は暴力ではなく「サーフィン」が見せ場になっている。また岡本玲という女優は和歌山市出身だそうで、美女というより親しみやすい方言女子になっていて好きだ。以上2人に主人公を含めた3人は、年齢差がありそうに見えるが役者はみな同年齢で、劇中で平たい関係になって馴染んでいたのも自然なことだったらしい。 個人的には別のところで見たことのある飯田祐真さんという人に注目していたが、クレジット順が下の割に重要人物で可愛い役だったのは嬉しい。また制作会社のAD(演・彩羽(いろは))の顔つきにはかなり目を引かれた。ほかリポーター役の本谷紗己という人は本職がモデルで「和歌山市観光発信人」だそうで、この人の出番も結構可笑しい。 そういう面を含めて、娯楽性と社会性をほどよく配合したいい映画だった。[インターネット(邦画)] 8点(2019-10-19 17:23:39)(良:1票) 《改行有》

393.  おクジラさま ふたつの正義の物語 《ネタバレ》 題名(副題の方)にクレームを付ける目的で見た。 かつて“正義の味方”という言葉があったが、そこでの“正義”とは社会の構成員が安全・安心に暮らすために必要な共通認識を規範として守り、あるいは守らせるよう努めることだったと考えられる。要は“人を殺してはならない”といった類の極めて基本的なもので、だからこそ“正義の味方”の登場は子ども向け創作物に限られていたわけだが、だからといって子どもの世界にしか正義が存在しないわけではない。わざわざ口に出して言わないにしても、大人を含めた社会の全員が“正義の味方”でなければならないことになる(程度の問題はあるとして)。 そのような前提でいえば、副題のように正義が複数などということはありえない。現実には、何が正しいかについて社会の共通認識が得られにくい問題が多いにしても、逆にいえばそのような問題に対して“正義”という言葉を使うのは誤りだということになる。確かに個別の個人的見解や信念を揶揄するためにこの言葉が濫用されているのも事実だが、それが日本語の“正義”の意味を変質させ、さらには社会の構成員が守るべき規範が存在するという意識までも希薄にしていくことはないのかと危惧される。 この映画の副題は、そのような風潮を助長するとまではいわないにしても(そこまで影響力はないだろうが)社会の安全・安心を損なうことを平気で表現しているのは間違いない。解説文にある「正義の反対は悪ではなく別の正義」という言葉を使うなら、“人を殺してはならない”という正義の反対は“人を殺してもよい”という別の正義であって悪ではない、ということになるが、そういうことをこの映画は意識していたのかどうか。 さらにいえば、捕鯨問題のように人類全体の共通認識が得られにくい題材をわざわざ選んで“正義”を相対化して骨抜きにし、アメリカ発という高級そうな見かけを装って、日本人の多くが正しいと思うことをポピュリズムとして否定し侮蔑して貶めようとしているのではないかと疑っていた。全て副題の印象が悪かったためである。 そういう最悪の先入観のもとで見たが、実際は自分がこの問題に関して感覚的に思っていたことに沿った内容で、日本側へのメッセージも含めてそれほど反発を感じるところはない。外部情報によれば、完成前からアメリカで激しく批判されていたのをものともせずに発表したとのことで、少なくともアメリカに迎合しようとするものではなく、かえって作中で言われていた日本人のPR下手を助けるものになっている。結果として先入観の方が間違っていたことになるが、点数は本来の数字から副題分を減じてつけておく。「正義の反対は…」の英語原文の訳し方に対する反感である。 ほか余談として、登場人物の中立的(親日的)アメリカ人の話の中で「海兵隊を内陸(アイダホ)に投入してるようなもの」という表現はユニークで笑った。これ自体は反捕鯨団体の行動力に一定の敬意を示した上での発言だったが、ここで自分としては“活動的な馬鹿より恐ろしいものはない”という言葉を思い出した。もう一つ、少し可笑しいところとして、小学校で「ろうかはあるこう」と書いてあるのに平気で走る子どもらを映していたのは“元気な子どもたち”(または“大らかな学校”)の表現かと思われる。[DVD(邦画)] 5点(2019-10-19 17:23:35)《改行有》

394.  ビハインド・ザ・コーヴ ~捕鯨問題の謎に迫る~ 《ネタバレ》 「ザ・コーヴ」(2009米)というのが話題になったのは知っていたが、金を出して見る気にならないので裏側の方だけ見た。 撮影・監督・編集の八木景子という人は映画制作の素人だったそうで、作中では登場人物にピントが合っていないといったところもあるが、現地の歴史的・文化的背景を積極的に紹介する一方、地元住民や行政関係者、政府機関、学者などにかなり幅広く話を聞いて、日本人の気に障る事柄を次々に暴いている。上記映画の監督や主演の人物、また活動団体のリーダーにもインタビューして、いかにも胡散臭い発言を引き出していた。 ラストに出ていたまとめのメッセージのうち「裏側で何が起きているか疑いを持って」の部分には素直に賛同できる。作中では「隠し撮りをするようなインチキな映画がアカデミー賞を獲るなんて世も末だなと思った」と語った住民もいたが、逆にいえば、映画とか芸術とかの皮を被せれば虚偽でも言いがかりでも何でも通ると思っている下司な業界など全否定してやるくらいの国民が増えればいい。しかし、初めから事実かどうかなど関係なく利得のために動く勢力とか、事実かどうかなど関係なく自分の信じたいことだけを信じる連中など、話の通じない相手がどこの国にも恐らく一定割合いるのはどうしようもない。 一方で日本政府(外務省?)の態度を問題視するところもあったようで、登場人物からはIWCなど脱退して我が道を行けというような発言もあったが、今年6月に本当に脱退してしまった時はさすがに驚いた。国際連盟からの脱退(1933)をどうしても思い出すわけだが、これが結果的にいい方向へつながるのであれば結構だ。 ところで題名にある「捕鯨問題の謎」というのは、要はベトナム戦争がらみの謀略があったということらしい。取材をもとにして突っ込んでいった結果としてその結論に至ったのはいいとして、国対国の話になってしまったのは行き過ぎのように感じられる(レイシズム批判はともかく)。忘れられない恨みというのはあるにせよ、現在の国際情勢を考えれば米豪を敵にしないのが無難だろうと思うわけだが、しかし終盤で個人としてのアメリカ人などに物わかりのいいことを言わせて対立感情を和らげている面もあった。ちなみに真珠湾vs原爆の話まで出て来たのは、ワシントンDC?の街頭でPR活動中の人物に取材したのが原因ということだろうが、この人物が仕込みではなく本当にたまたまここにいて、これを使わない手はない、と思ったのならわからなくはない。この人物の素性も明らかにしてもらいたかった。 公開後にはこの映画に対する批判も出たようで、その裏にもまた何らかの思惑なり都合なりがあるのだろうから争いの絶えない世の中だが、とりあえず強大な敵に手弁当で立ち向かって行った監督の姿勢には好意的である。この人が鯨の竜田揚げを自由に食べられる世界であってもらいたい。[DVD(邦画)] 6点(2019-10-19 17:23:32)《改行有》

395.  サンダカン八番娼館 望郷 《ネタバレ》 原作を読んだが、北川サキ(仮名)という人物の人柄には心打たれるものがあった。恵まれたとは全くいえない人生を送り、最後は一人打ち捨てられたように暮らしていても、「いのちのあるものじゃけん」とネコを保護し、「軍ヶ浦のお大師様」に息子や孫や元同僚のことなどを祈る人物像が、原作者と一緒の写真の風貌からも偲ばれる。どんな境遇でもとにかくその場を生き抜いて、次代に生命をつないできた人々がいたからこそ今の日本もあり日本人も生きているのであって、その意味でもこの人物の人生は尊いものに感じられる。 その上で映画を見ると、よくあることだが原作との違いが気になった。原作での語りは淡々としたものだが、それは語り手が高齢だったからであって、若い娘ならもっと激しい心の動きがあっただろうという前提での再現物語とは取れるが、それにしても高齢者の感情表現が豊かすぎるのは違和感がある(いかにも役者)。またラストで号泣したのは映画の演出として悪いともいえないが、泣き顔まで見せていたのは過剰で慎みのない映画という印象だった。性犯罪常習者に襲われるとか村人の集団に糾弾されるとか、殊更に角を立てる展開で物語を動かそうとするのも映画だから仕方ないとすべきなのか。 素直に感心したのはネコだらけの家をちゃんと映像化していたことで、これは非常に和まされた。また主人公の最後の言葉が方言になっていたのは少し感動的だったが、これは原作者も相手によってそうする(そうなる)ことがあったらしい。伊福部昭氏の音楽に心を動かされるところもある。 そのほか社会派的な面として、おサキさんは昭和6年に娼館を出たので太平洋戦争は直接関係ないわけだが、映画では昭和天皇の即位と日本の軍艦の入港、貴族院議員の来訪、満州からの引揚時に財産と夫を失ったこと、さらに娼館のあった街が戦争で焼けて墓地も失われたことを挙げて、全ては大日本帝国のせいだとの印象に結び付けていた。これについては原作の続編「サンダカンの墓」からも材料を得ていたらしく、原作者も“からゆきさん”への思いと同時に、「日本民族のうちのひとりとして」、「祖国」が東南アジアにしてきたことへの複雑な感情が生じていたようだった。 なお素朴な疑問として、映画の時点で生活保護の制度はなかったのかと思うわけだが、原作によれば受給を勧める人もいたようで(月9,587円)、ただ仕送り(月4,000円)をしてくれる息子の立場を立ててあえて受給しなかったらしい。あるいはもしかすると公的扶助は受けないというこだわりもあったのかと思ったりはする。 キャストに関して、栗原小巻という人は日本人離れした洋風の女優だと思い込んでいたが(年齢差が大きいのであまり馴染みがない)、この映画では可愛く見えるところもあって少し意外だった。また高橋洋子という人が少女時代から満州に行く前までを切れ目なく演じており、好きになった男と相対する場面では非常に艶っぽく見えたが、しかしそういうのを当てにして行った観客はみな劇中の小間物屋扱いである。自分としては挨拶回りを拒まれた場面の表情が好きだ。[DVD(邦画)] 6点(2019-10-12 10:25:46)《改行有》

396.  樺太1945年夏 氷雪の門 《ネタバレ》 DVDの冒頭で「表現の自由」を訴えるキャプションが出るが、これは1974年の公開時に、傲慢な軍事大国からのクレームがもとで上映が妨害されたことへの抗議の意思表示らしい。2019年に注目された「表現の不自由」と同様の問題ということになる。 内容は1945年にソ連軍が樺太に侵攻した際、真岡町の電話交換手が最後まで職場を守って自決した物語である。登場人物は若い女性が多いので、「お前をソ連の兵隊にくれてやるために今日まで育てて来たんじゃない」という台詞には観客誰しも共感して心配させられることになる(いいから早く逃げろ!)。ちなみに主人公の母親役の赤木春恵という役者は、実際に終戦後のハルビンでソ連兵からの難を逃れた経験があるらしい。 戦闘場面に関しては、戦車の撮影で自衛隊の協力を得たほか、敵海軍の砲撃で真岡の街並みが炎上するといった映像をミニチュア特撮で作っている(少し貧弱)。いわゆる反戦映画的な性格はそれほど強くない。 ところで最後のキャプションによると、劇中の電話交換手は「生きたかった」と思っていただろうとのことだったが、それをいうなら最初から迷わず職場放棄すればよかったではないか、ということになる。専門職の使命感が勝るのは立派ではあるが、若い女性が率先して生命を捨てる必要などは全くない。これを見た現代のわれわれが思うべきことは、何はどうでも自らの保全を最優先する判断が必要だということである。 また「いくさなき世界平和の確立を」というのがまた薄っぺらいメッセージであって、ここでの本当の教訓は、日本の国土に外国軍の侵攻を許してはならないということである。同盟国のはずのアメリカ軍でさえ、いれば住民に害をなすのであるから、その他の軍隊など寄せ付けない実力が絶対に必要だと思わなければならない。 この事件を後世に伝えたいとの思いには共感できるが、どうも素直に受け取れる物語にはなっていないと正直思った。時代の制約というのもあっただろうが。 なお真に憎むべきは当然ながら悪の帝国ソビエト連邦であって、冷酷で野蛮なソ連兵に民間人が無為に殺されていくのは耐えがたい。劇中の台詞にも出ていたが、樺太からの引揚船を撃沈し、生存者を銃撃して笑っていたという「三船殉難事件」に関わったソ連潜水艦2隻のうち、1隻(L-19)を沈めてやったのはせめてもの救いである。もう1隻(L-12)も沈めてやれればよかったが、そうならなかったのが忌々しい。 また腹立ちついでに書くと「勲八等」という言葉には反感を覚える。この人々が八等というなら一等はどれほどの上級国民がもらえるのか。人に格付けしようとする態度が気に食わない(※今は数字がつかなくなったらしい)。[DVD(邦画)] 5点(2019-10-12 10:25:43)《改行有》

397.  埼玉家族 《ネタバレ》 ふざけた題名に見えるが真面目な家族の物語である。「東京物語」(1953)や「東京家族」(2012)と同じく松竹が製作に関わって配給もしており、一方で埼玉県も製作に加わっていることが「埼玉」である理由になっている。撮影は川口市内が多かったようで、埼玉県が開設した映像産業の拠点である「SKIPシティ」(川口市上青木3丁目)も映像に出ている。制作は「デジタルSKIPステーション」とのことである。 内容としては若手監督4人が担当した短編4つのオムニバスである。事前知識なしで見始めたので途中でやっと気づいたが、ばらばらの4つではなく最初から最後まで一つの家族の物語だった。父・母・兄・妹の4人が、それぞれ周囲の人々に影響されて家族関係を見直す話になっている。 【ハカバノート】高校生の娘の話。よほど深刻な問題のある家族かと思ったが、その実態はあとで明らかになる。幸薄そうな友人(演・美山加恋)が不憫で愛おしい。また女の子に泣かれると弱いので困ってしまう(笑って!)。 【キャンディ】母親の話(いまでも美形)。横浜~大船~久里浜~東京湾フェリー~房総半島と移動するが埼玉は出ない。個人的に最も納得しにくい話だったが、対象層の人々(40代女子か不倫中の女子)には共感してもらいたい。 【父親輪舞曲】父親の話。悪くはないが少し出来すぎの展開である。浮気相手は女優としては好きだが、ああいうのに愛を求めるようではよほど心が疲れていたのか。「ミュージカル作品」とのことで少し身構えていたところ、単に登場人物の心情や状況を歌詞にして歌うだけだった(踊らない)。水崎綾女という人は女優だろうがちゃんと歌の歌える人だったようで、劇中人物としても清潔感が出ていていい感じに見えた。 【ライフワーク】社会人の息子の話。ろくでもない男かと思っていたら気遣いのできるいい奴で、夜勤明けの看護師もきれいに撮れるプロだった。ここは本当にいい顔をしている。 【エンディング】いろいろありながらも一応の大団円。娘のナレーションで総まとめをしていたが、父母についてのコメントには笑った。 ちなみに埼玉の関係では、「荒川のほとり」の風景(戸田公園から東に400m)を父親が懐かしんでいたのが印象深い。こういうと失礼だろうが、外から見れば東京大都市圏の一角にすぎない場所でも、やはり生まれ育ったところが故郷なのだろうなと思わされた。[DVD(邦画)] 7点(2019-10-06 23:30:07)《改行有》

398.  埼玉喰種<OV> 《ネタバレ》 「東京喰種 トーキョーグール」(2017)と同年の製作だが、本家に堂々と対抗する気概を感じるわけでもなく、単に東京を埼玉に取り換えて人目を引こうとしただけらしい。なおグールghoulでなくグールーghoulouとした理由についてまともな説明はなかった。 題名に出したからには埼玉でなければならないので「埼玉にこんな山があるなんて」というような台詞を2回くらい言わせていたが、その山へ行く途中の駅がJR青梅線の軍畑駅(東京都青梅市)で、「高水山/青梅丘陵ハイキングコース/東京都」という表示が映ったりするのは真面目にやっているようには見えない。とりあえず埼玉映画としての性質は全く感じられなかった。 内容としては予告編から受ける印象以上のものはない。人を食うよう運命づけられた巨乳生物の切ない物語(後日談付き)を一応作ろうとしたようだが形だけなので真面目に見る必要はない。脚本のほか演出・撮影・録音・音楽など全般的に低調で、そもそも映画を作ろうとする気がないのではと思ったが、監督は「ホラー・ドキュメンタリー」に携わって来た人物らしく、そういうものの延長で映画のようなものを作るとこういうものができるのかとは思った(ちなみに制作会社はAV会社の系列とのこと)。なおエンディングの前に5分半程度のメイキング映像を入れていたのは作り手の姿勢に問題を感じる。 スタッフはともかくキャストはみな一応の役者だろうが、主演扱いの(ほとんど演技しない)雨宮留菜という人だけは人気グラビアアイドルとのことで、要はアイドルホラーとして作られたものらしい。身長143cmでHカップという極めて特徴的な体型だそうだが、劇中でそれが生かされているわけでもなく、単にその場に突っ立っているだけの人物に見えた。ファンなら姿が見えさえすればいいのかも知れないが。 最初からこういうレベルで作ったにしても独創性もなく平板で、もう少し頭を使って作るということができなかったのかとは思った。それからスタッフにもう少し国語の得意な人がいた方がよかった。 なお女優では、女子社員→母親役(実質主演)の竹内奈菜という人はかなり個性的な風貌だが、特に序盤はほどよく色気が出ていて目を引いた。また犠牲者役の大町沙矢佳という人は、美形ともいえないがなかなかキュートな感じではある。そういうところでも見ないとほかに見どころが全くない製作物だった。[DVD(邦画)] 1点(2019-10-05 10:40:18)(笑:1票) (良:1票) 《改行有》

399.  翔んで埼玉 《ネタバレ》 原作は読んでいない。地域限定映画かと思っていたらそうでもなかった。全国的視野からすればどうでもいいような狭い地域の優越感とか劣等感とか対抗意識はどこの地方にもあるだろうが、首都圏というだけで全国に注目される状態を逆に茶化したようでもある。 劇中の伝説では赤城山が世界の果てのようだったが、例えば昔ながらの古風な東京住民(山手線周辺)で、東京こそが日本の中心(あるいは東京こそが日本)と思いながらも実はあまり外に出たことがないとこういう世界観になるのかと思ったりした。ただ最後の「日本埼玉化計画」を見ると、劇中の現実世界では関東以外の日本というのも存在していたことがわかる。 ちなみに関東平野は分水嶺で切れるのでなく平地に境界線を引く形になるので、赤城おろしの吹く熊谷は群馬の延長というのもなるほどと思わせるものがあった。 映画の作りとしては結構面白い。いきなり序盤から「さいたま市」に関する登場人物の率直な感想に爆笑した(エンディングテーマでもひどい言い方をされていた)。伝説パートでは、無心に見つめるシラコバトを踏みつけにできない男の心情に泣かされたのと、逃避行に使った常磐線の列車(シベリア鉄道?満鉄?)が目を引いた。 地元民でなければわからないネタも多いのだろうが、与野の立場くらいは想像がつくとして、八王子と田無が同格というのはわかる人に説明してもらいたい(起点が新宿でも鉄道路線で印象が違ったりするのか、保谷はどうなのか)。そのほか千葉扱いだったが西葛西が出たのはよかった(少し縁のある場所だ)。 話としては適度にスケールの大きい大真面目な伝説物語ができており、連合軍の勝利は感動的だったがラストの野望には不安を残す。世界が埼玉化されるというならうちも底上げされるだろうが、何か大事なものを失うのではという気もした。 なおこんな映画に真顔で出る役者には感心するが(最近よくあるが)個人的にはこれで二階堂ふみの好感度が上がった。可愛いからキスしてあげて、と言いたくなった。 以下余談として、少し前になぜか埼玉の話題になった時、野田の駅を降りたら醤油の匂いがして、という話をしかけたらそこは千葉だろうがと突っ込まれたことを思い出した(大宮から行ったので勘違いした)が本質的な違いなどあるのかどうか。なお最近の話題としては次の1万円札になる偉人も出ているので自慢にしてもいい。[インターネット(邦画)] 7点(2019-10-05 09:58:24)《改行有》

400.  ひとりね 《ネタバレ》 かつて清純派として活躍した榊原るみという女優が裸身をさらすことを売りにした(多分)映画である。個人的にはそれほど馴染みのない人だが、特撮番組「帰ってきたウルトラマン」(1971-72)のヒロイン役(ただし2クールで降板)の記憶はある。ちなみにこの人と監督は夫婦の関係らしい。 白黒映画というのは裸体を生々しく見せないためかと思ったが、同時に年代感や閉塞感の表現にもなっている。全般的に映像が暗く陰鬱で気が滅入る映画であり、また特に序盤は殊更に古臭く見せている。公開規模が小さかったらしく、ネット上の評判を探った限り、ほとんど誰も見なかったのではという印象がある。 【ここから解釈】 キャッチコピーにいう「もう一人の私」とは、本人の持つ理性を体現する存在ということらしい。44歳になった主人公が、いわば人生の中間点を迎えるに当たって適切にリードするため出現したように見える。 中間点の前段階では、同居のエロジジイが不倫常習者だったことから、主に男女関係にまつわる人間の醜さが描写されている。主人公は家に従属する古風で貞淑な妻に見えたが、実は性的な面で本質的に他の連中と変わらず、またエロジジイと同居していたのも打算があったからで、そういう自分をしっかり認識することが中間点を越える準備になったらしい。 もう一つ必要だったのは、中間点を過ぎて下り坂になり、やがて老境を迎える心構えである。エロジジイを看取って否応なくそのことに向き合わされたようで、20年という年齢差を「わずか」と言っていたのは、自分もほどなくそこに至ると自覚したのだと思われる。性的な快楽に溺れたのもいわば最後の花火で、中間点を越えればもう独りということを実感させられた終幕なのかと思った。 ちなみに白蛇の表すものは、夢占いだと幸運(金運)到来ということらしく、また一般的には性欲のイメージかも知れないが、劇中にはキリスト教会の場面もあったので、知恵の樹の実を勧めた者の意味があったのかも知れない。 【ここまで解釈】 以上に関して上り坂の人々には意味不明だろうし、すでに下り坂の人間は暗澹とさせられるだけで誰が得するのかわからない。いい映画だったとは言いたくない映画だった。 なお主演女優のほか、エロジジイ役をはじめ名のある役者が出ているが、意外な出演者として、主人公の少女時代の子役は飯田里穂という人ではないか。よく知らないがとにかく見覚えのある個性的な顔だった。[DVD(邦画)] 5点(2019-09-28 09:44:54)《改行有》

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