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プロフィール
コメント数 1251
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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401.  クロスロード(2015) 《ネタバレ》 青年海外協力隊の50周年記念映画で、監督などスタッフにも協力隊OBが参加していたらしい。ちなみに母親役で出ている榊原るみさんはOBではないが監督と夫婦の関係である。 リアルな隊員の姿を描いた映画とのことで、いいことだけでなく受入れ側が適当だったりするといったマイナス面も見せており、また昔の日本が関わった戦争の傷跡のようなものが見えたりもする。一方で昔の日本人が残したものがけっこう皆の役に立っていたりして、少し嬉しくなる場面というのも実際あることと思われる。棚田でドジョウというのは最近あった事例とのことだが、実際の隊員は女性だそうで、公式サイトの写真では聡明な感じの人に見える。 隊員は自分の得意分野を生かした活動ができるらしく、映画の主要人物は写真家・起業家(元商社)・助産師の組み合わせになっている。それぞれの個性を発揮する一方、それぞれの人間的な限界に制約を受けるところもあり、自分としては現地の人々に溶け込めない性格なのを引け目に感じる男に共感した。また助産師は自分のやったことが本当によかったのかと悩む場面もあったが、そこは日本人として当然持っている良心のまま行動してよかったと思われる。感動的な場面も複数あった。 キャッチコピーの「ボランティアなんて偽善だ」は、いわゆる釣りだろうが単純すぎる割切りである。純粋な自己満足でしかなければ偽善になるが、相手の役に立つことをするのは全く悪くない。また純粋な自己犠牲でやるなら相手の役には立っても難行苦行だが、自分の役にも立つというならみんなが得してみんなが幸せになる。写真家の男はさんざん反抗的な態度を見せておいてからやっと納得していたが、今の若い人々ならかえってこういうのは柔軟に折り合いをつけるのではと思ったりする。 最終的には形に残らなくてもheartを残せばいいという結末だったらしい。エンディングテーマは「地上の星」を連想させるものがあって心に染みた。 なお全般的にきっちり作った映画だが、明らかに変だったのは現地の姉弟が全く似ていないことである。姉役のAlodia Gosiengfiaoという人は、Wikipedia, the free encyclopediaによると華人系のようで、若い頃のアグネス・チャン(今でなく)を思わせるタイプだったが本職としては世界的コスプレーヤーだそうである。また助産師(演・TAO/岡本多緒)は体型的に細すぎだがなかなかいいキャラになっていた。[DVD(邦画)] 7点(2019-09-28 08:27:56)《改行有》

402.  I am 日本人 《ネタバレ》 企画・製作・原案・脚本・出演・主題歌の森田健作氏が、2005年に千葉県知事選挙に落選してから2009年に当選するまでの間に制作された映画で、劇中商店街は千葉県市川市にあることになっている。ただし実際の撮影地は東京都葛飾区の京成押上線四ツ木駅周辺らしい。 森田健作演じる八百屋の見合い相手が酒井法子とはどういう年齢設定かと思うが、同じ葛飾区の寅さん・さくらからの連想でいえば本人が40代、妹が30前後といった感じか。妹役の小野真弓という人(個人的に好きだ)は当時20代前半だったろうが、この設定のせいで今回は極めて地味系女子になっている。また登場人物の言葉として、商店街が「日本の宝」とまで言っていたのも寅さんの世界が念頭にあってのことかも知れない。ちなみに市川ということでは「野菊の墓」の雰囲気もあるかとは思った。 テーマに関していえば、製作者の言いたいのは八百屋が言った「日本が大好きだ」「日本人に生まれて本当によかった」だと想像される。また題名の意味についてはアメリカ人が言ったように、国籍はともかく「日本が好き」なら日本人ということで(若干意味不明だが)日本が好き、というのが両者の共通点になっている。 うちアメリカ人が日本を好きになった理由は「和」の心を知ったことだったようで、この映画としても「和」を最大の長所と捉えていると思われる。ただし日本人の立場としては、「和」とか「大和魂」があるから日本が好きなどという理屈を言う必要はないはずで、要は生まれ育った土地(市や町や村・国・地球)や人々への素朴な愛着があれば十分である(愛に理由は必要ない)。この映画としてはそれをまず地元商店街への愛という形で語り、その拡大版としてワールドカップを引き合いに出したと思えばいいか。 ほかにも話題が盛りだくさんのようで、見る側として物申したくなるところがかなり多いが、それが文字通り“考えさせる映画”を意図しているとすれば、なかなか巧妙に作ってあるということかも知れない。 以上で終わりにするかと思ったが書かずにいられない気がしたので一つ書くと、政治に対する不満を国全体の否定に結びつける人物がいたが(劇中では国旗を嫌悪、近年では「日本死ね」)、しかし政府=日本ではないのであって、一人ひとりの日本人が日本という国の一部だという意識がない限り、日本を侮辱されて怒るという感覚もわからないことになる。そういうことをあえてわかろうとしない国民がいる日本を、自分としては丸ごと好きだとは全くいえない。[DVD(邦画)] 5点(2019-09-22 19:32:32)《改行有》

403.  韓半島 -HANBANDO- 《ネタバレ》 題名は原題を漢字表記して発音をアルファベットで示しているが、日本語訳すると朝鮮半島である(字幕では「朝鮮半島」「日本海」と書いている)。 内容としては架空の政治劇で、映像に出ていた歴代大統領の肖像の最後が盧武鉉大統領だったことからすれば、公開時点より数年先の近未来ということになる。登場人物はほとんど男ばかりで若手女優は出ないので、彩りはないが重厚とはいえる。また100年前の宮廷を舞台にした時代劇的な部分があり、昔と現代の出来事をリンクさせて並行的に見せる場面も作ってある。軍事面では日本の海上自衛隊というのが出る(自衛艦旗が翻っている)が戦闘はない。時間が長いのが若干の難点である。 物語としては、戦前に敷設された京義線という鉄道路線(ソウル(旧称・京城)~新義州(現・北朝鮮))が朝鮮戦争後に分断されていたのを、南北融和政策のもとで再び連結しようとしていたところ、日本がいちゃもんをつけて邪魔したために、大統領が主導して障害を排除しようとする話である。ただし鉄道だけが問題なのではなく、明治時代の条約に使われた印章が偽物だったという発見をもとに、日本に統治された歴史自体を無効化しようという壮大な歴史改変ドラマになっている。どうも現実の経過は度外視で根底から全部覆そうとする国民であるらしい。 日本が嫌がらせのために大昔の条約を持ち出すとか、果ては武力に訴えるなど極めて荒唐無稽だが、DVDのスタッフインタビューを見ると、そんなことはありえないとわかっているがそこは映画なので、と開き直っていたのは笑った。どこの国でも娯楽映画に求められるものはあるということだ。 見てまず驚くのは劇中の日本の行動をアメリカが支持し、中国とロシアは不干渉(中国はかなり冷淡)のため、半島があからさまに孤立状態になっていたことである。日本はともかくアメリカまでが敵に回っているのを劇中大統領は大して気にしていなかったようだが、南北統一というのがこの映画の大きなテーマだったようであり、北と協力すれば怖いものはないという考え方だったのかも知れない。 また外敵である日本とは別に、真の敵は内部にいるという考え方も重要な要素になっている。劇中では、現実問題として日本とアメリカがいなければ生きていけないという認識のもとで、日本との対決を回避しようとする勢力が大統領の邪魔をしていたが、映画ではこれを歴史上の売国奴とされる「乙巳五賊」になぞらえており、その排除こそがこの映画の意図するところだったようでもある。 以上によれば、単なる反日娯楽映画にとどまらず、南北を統一して周辺大国の影響力を抑え、北東アジアに自主独立の地位を占めたいという夢を語る映画に思われた。 しかし最後のエピソードでは、大統領とその対立勢力である国務総理の意外な対決場面があり、このために最終的な映画の印象ががらりと変わったほか、正直ここでの国務総理の発言は感動的に思った。スタッフによれば、この映画には当時の「現実の政治が投影」されており、国内の政治的見解(いわゆる進歩派と保守派か)を公平に扱うため、あえてこの結末にしたとのことである。それまで荒唐無稽な歴史ファンタジーに見えていたのが、最終的には変に現実味のある話で終わったのは映画としてのまとまりが悪い気はするが、ここに至る底流は初めからあったともいえる。 公開当時の大統領の側近が2019年の現在では大統領になっており、この映画で描かれたことは今の状況にも重なっているように思われる。今後の半島情勢がどう展開するかは向こうの国民次第だが、とりあえずは日本国の民に幸あらんことを祈りたい。[DVD(字幕)] 5点(2019-09-21 23:50:17)《改行有》

404.  スーパーヒーロー大戦GP 仮面ライダー3号 《ネタバレ》 最初が1973年に始まっているが、40年も遡るというのは中高年向けのサービスなのか、あるいは現代のファンを含めて仮面ライダー世界の幅を広げようという考え方か。それにしても顔出しの主要人物で、時代の違うライダー(※)をばらばらに出すのはよほど年季の入ったマニア向けのようで、その間の経過を追って来たわけでもない自分としては誰が誰だか区別がつかず、かろうじて役者として竹内涼真の顔を知っていたくらいである(内田理央という人も見たことがある)。 1973年当時のことをいえば、個人的には仮面ライダーというもの自体が低学年向けと思っていたので真面目に見ていた覚えはないが、それでもアマゾン、ストロンガーといった一応名のある人々を小物のように扱うのは、当時のファンにはどう見えるのかと思う。また、たまたま最近見て嫌いでないと思っていたフォーゼ・ウィザードの扱いが適当なのはかなり気に入らない。過去のライダーを粗略に扱うのはこの映画に限ったことではないようだが、初めて実際に気分が悪くなる事例を見た。 ※仮面ライダーBLACK(1987-88)、BLACK RX(1988-89)、ファイズ(2003-04)、ブレイド(2004-05)、電王(2007-08) また、最初に世界を改変して異世界設定にするのは劇場版だとよくあることかも知れないが、そのことで一応ディストピア風の話を作っておきながら、ラスト近くでスーパー戦隊が突然現れるのはさすがに場違いに見える。もともと「仮面ライダードライブ」(2014~15)と「手裏剣戦隊ニンニンジャー」(2015~16)のクロスオーバーという前提だったようで、個人的にもニンニンジャーは嫌いでない(かすみ姉のファン)ので出ること自体は結構だが、逆に出番が短すぎて人の顔がよく見えないのは非常に不満だ(山谷花純・矢野優花の2人、男は見なくていい)。そういう面では、霧子という人の出番以外に見どころがなかったようでもある…ただしレースクイーンは格好よかったかも知れない。 個人的には仮面ライダーシリーズ自体に特に思い入れはなく、部外者的な立場で見ても面白いものを作ってもらえればそれでいいわけだが、今回は残念ながらそのようにはなっていなかった。[インターネット(邦画)] 4点(2019-09-15 17:02:10)《改行有》

405.  烈車戦隊トッキュウジャーVSキョウリュウジャー THE MOVIE 《ネタバレ》 スーパー戦隊のVSシリーズとのことで、今の戦隊(烈車戦隊トッキュウジャー)のTV放送が終盤にかかった時期に、前の戦隊(獣電戦隊キョウリュウジャー)と共演するのを基本とし、そこに放送開始前の次の戦隊(手裏剣戦隊ニンニンジャー)が予告的に姿を見せるという構造になっているらしい。ドラマ的にはトッキュウジャーがメインで、キョウリュウジャーはゲストの扱いになっている。 最初のところでトッキュウジャーの攻撃がなぜか敵に効かず、そこに都合よく現れたキョウリュウジャーが簡単に敵を撃退してしまうという事件が起きる。今のヒーローが前のヒーローより弱いというのは初めて見たが、いくらスーパー戦隊でもやはり子どもは大人よりも弱いのかという不安を生じてしまう。実際は子どもだから弱いのではないとわかって相互補完関係ができていたが、最後の決戦を前にしてまたメンタル面の弱さを出していたのも年少者らしい。最後は子どもならではの発想で、「家に帰るまでが遠足」と大人を励ましていたのは少し泣かせるものがあった。 もともと戦隊シリーズは幼児~小学校低学年あたり?が対象なのだろうが、トッキュウジャーはメンバー自体が子どもということもあってか本当にバカバカしく笑えるところが多い。マイッキーなる戦士?が現われたのも変だったが「電車ごっこ」はかなりふざけている(大笑)。また終盤で、メンバーが同じ色同士で一緒に戦いながら軽口のたたき合いをしていたが、女子は女子3人だけ(桃黄桃)でまとまってしまい、プレイボーイ風の男(黒)が仲間外れにされたのも笑うところと思われる。 前に見た戦隊ものの劇場版と同様に、ある程度年齢と関係なく観客を楽しませようとする映画のようで、半端にシリアスな仮面ライダー劇場版(恐らく対象年齢が少し高い)よりも、かえってこういうのの方が素直に楽しめることを実感した。 なお次期主役のニンニンジャーは、意外な(本筋に影響のない)ところで出てきて一通り活躍してから「今日はここまで」と言って去っていた。トッキュウジャーとは対面していないので、次のクロスオーバー映画で前任者を知らなかったのも変ではないらしい。[インターネット(邦画)] 6点(2019-09-15 16:56:41)《改行有》

406.  人間失格 太宰治と3人の女たち 《ネタバレ》 初日に行ったが年齢層は若干高めだった。 実話をもとにしたフィクションとのことで、主人公のほか登場人物は実在の人物らしい。冒頭の入水事件を除き、ほとんどの部分は1946年に主人公が東京に移転してから1948年に死去するまでの足かけ3年の話である。 日頃この作家の著作に親しんでいるわけでもない男(走れメロスしか知らない)として共感できるものは特にないが、文豪の創作の背景を描いたものとして見ごたえのある映画と思われる(ただし少し眠くなる)。物語のほかにも映像面や役者の演技で見どころは多いだろうが、自分としてはカニを買った場面が好きだ(台詞と顔)。また題名の小説を書く前に主人公が死んでしまうのではないかと思っていたが、最後に執筆経過を手際よくまとめていたのはよかった。 事実がどうかは別としてこの映画で見た限り、主人公が創作のために何人もの女性を身勝手に翻弄したのは非道ともいえるが、しかしできた作品が傑作だから許されるなどと言い訳するまでもなく、この男はこのようにしか生きられなかったというだけに見える。主人公は最後までバカなままで死んだようだが、そのことで「3人の女たち」はそれぞれ最後に得たものがあったらしく、これで基本的にはハッピーエンドと取れる。また最後に傑作が残されたからには読者も得をしたわけで、他のみんなが喜ぶ一方で主人公だけがブチ壊れて滅んだという結末らしいが、そういう理解でこの作家のファンが納得するのかはわからない。 登場人物に関しては、何といっても「3人の女たち」が見どころだろうがそれほど極端にエロい場面はない。個人的な関心事として、山谷花純という若手女優がどこに出ているかと思っていたら最後まで気づかないまま終わってしまったが、本人によれば「田部シメ子役」とのことで、冒頭で入水した人物(実在)がそうだったらしい。出番は短いが「3人の女たち」に加えたもう1人の女としての位置付けになる。 なお主人公の長女役は名の知れた子役のようだったが、長男役の子役はどこから連れて来たのか気になった。 以上のようなことで、自分としては特に大絶賛ということにはならないが、鑑賞者側の限界のために評価しきれていないところが多いと思われる。そういう場合の通例としてとりあえず点数は5点にしておく。[映画館(邦画)] 5点(2019-09-14 19:44:20)(良:1票) 《改行有》

407.  Lost Harmony ロストハーモニー 《ネタバレ》 東京の?女子高校の?合唱部員が長野県上田市の山荘に合宿に行ったところ、その場所の因縁のせいで悲惨な目にあったという映画である。ありきたりな話のようではあるがオーソドックスなのは嫌いでない。 事件の原因は、猟奇殺人者のせいではないかと疑わせたりも一応するが、実際は以前にその場所で殺された人物のせいなので心霊ホラーということになる。なぜか携帯の占いゲームで身体の特定部位を指定され、それを奪われる展開になるのでスプラッター要素も含まれている。ただしそれほど怖いものでもなく、ホラーというより登場人物の関係性をもとにした物語の印象が強い。 なお合唱部なので合唱の練習をする場面も一応あるが、出演者に特訓させるまでもなく吹替えと思われるのできれいに聞こえる。曲はコダーイの「天使と羊飼い」(Kodály Zoltán: Angyalok és pásztorok)だったようだが、それ目当てで見るほどのものではない。 主人公は部長になった気負いがある一方、部内の実力評価や無神経な教員のせいもあって親友との関係が崩れそうになっていたが、心優しい親友のおかげで最後に信頼関係を取り戻すことができていた。それ以外の部員にもそれぞれ様々な思いがあったはずなのに、今回の事件で全てが断ち切られてしまったことへの怒りが最後の行動につながったらしい(正確には死者の思いと同調したということか)。主人公の最後の言葉(エンドロールの直前)は心に染みるが、題名との関係でいえば、もう少し合唱への思いが表に出ていた方がよかったかと思う。 なお事件の元凶は、合唱部の女子生徒に次々手を出していた顧問の教員(劇中では副顧問)だったが、こういうのはよくあることだと世間に思われているからこそこういう映画が作られるのだろうから、内部の自浄作用を働かせないと外の世界の信頼を失っていくのではないか。これがこの映画の持つ社会的メッセージだったと勝手に解釈しておく。 キャストに関して、主演の広瀬アリスという人は単なる美少女かと思っていたら、この時点でもちゃんと個性的で華があっていい感じだった。その親友役の吉谷彩子という人は演技派っぽい表情がかなり目を引く。高畑充希はホラー映画はこれだけのようで、そもそも目玉が目立つ女優だが、劇中でもそこを狙われて痛々しい状態になっていた。伊藤沙莉という人はコミカルな感じで出ている。 安手の美少女ホラーのようではあるが、根が真面目そうなので少しいい点にしておく。[DVD(邦画)] 6点(2019-09-06 22:55:34)《改行有》

408.  恋骨 KOIBONE 劇場版 《ネタバレ》 2006-03-30に作品登録されていながらレビュー数0だったので興味本位で見た。「エグゼクティブ・プロデューサー 堀江貴文」とのことだが、今となってはだから何だという感じである(帯広のロケットに期待する)。 もとは1話5分×全7話の連続ドラマで、TVではなく東京都内の街頭大型ビジョンで2004年に公開したとのことだが、その後に未公開部分を含めて拡大編集したのがこの劇場版である。公開日は2005年3月19日だが、その1か月前に主演女優がTV番組で万引きの話をしたことが問題になり、公開時点では主役が活動停止中だったらしい。 なおドラマ版は「to be continued…」で終わっており、この劇場版まで見ないと題名の意味はわからない。女子高生が制服を脱がされて強姦されるなどという場面(演者は当時AV女優)を街頭で見せていいのかと思ったが、それは劇場版にしかなかったようである。 内容に関しては、どうも別のところで見たような要素が多い。自分が知っている範囲でいうと(狭いが)、転落死後の状態と怪しい男の白い顔(能面だが)、「しまったあ!」という台詞が「犬神家の一族」を思わせる。またラストで主人公が「八つ墓村」(1977)の寺田辰弥の役回りだったことを明かしておき、さらに劇場版で追加した部分で「八つ墓明神の祟り」に相当する呪いの存在を示唆して終わっている。 呪いのほかに心霊現象もなくはないが、ときどき死者が姿を見せて何か言いたそうな顔をするだけで、主人公が霊感少女だったために見えたというだけのことらしい。見てもいちいち慌てることはなく(嫌な顔はしたりする)、警察には亡霊のことを話さないというのもこういうのに慣れた人物であることを感じさせ、この辺は現代のリアルといえなくはない。 問題点として、全般的に安っぽいのは仕方ないとしても、謎解きの部分がかなりいい加減なのと、実在の著名な人物(明治の人)が現代人に呪いをかけたなどという話を作っていいのかどうかとは思う。参考文献の名前が出ているので根拠はあるということだろうが、子孫もいるだろうし、歴史上の人物ならどう扱ってもいいというものではない。 あまりうまくできた話とも思えないが、死者数が限定的だったのは一応良心的ということになるか。金田一シリーズらしきものを現代の女子高生で再現しようとした映画であるから、どんな出来なのか見てみる意味はあるかも知れない。[DVD(邦画)] 3点(2019-09-06 22:55:31)《改行有》

409.  仮面ライダー×仮面ライダー ウィザード&フォーゼ MOVIE大戦アルティメイタム 《ネタバレ》 仮面ライダーシリーズの劇場版である。当時放映中の「ウィザード」と前作「フォーゼ」のいわゆるクロスオーバーで、よく知らないが過去の仮面ライダーも何人か出ている(Wはわかった)。ほかにかなり大昔の東映特撮ヒーロー(+ヒロイン)も出しており、けっこう幅広い年齢層を視野に入れていたらしい。 中高年の立場としては、本編でもそうだったのだろうがアクション場面には感心させられる。アクション自体も派手だが見せ方の巧みさで退屈させないところがあり、映像技術とあわせて初期のシリーズとは段違いの印象がある。やはり人類は着実に進歩していると思わなければならない。 またクライマックスで、人間など滅んだ方がいいという悪魔の発言を、フォーゼが「俺はそういうつまんねえこと言うやつが大っ嫌いなんだよ」と一言で切り捨てたところは痛快で感動的だった。悪魔でない人間であっても、周囲の世界を貶めて自分だけには価値があると思いたがる連中にその言葉をぶつけてやってもらいたい。とぼけたところのあるウィザードも嫌いでないが、フォーゼも本物のいい奴でかなり好きなキャラクターだと思った。 以下に個別事項を列記。 ○仮面ライダーフォーゼ 高校生のままではなく5年後(2017)の姿で、主人公と元部員がそれぞれの道で活躍している近未来設定である。清水富美加(当時)・真野恵里菜の両人がそれぞれカワイイ子アピールをして、そのほかにトップモデル役の人もいたりして豪華な登場人物である。 今回は足立梨花さんが現役の部員役で快活な女子高生をやっている。また悪役で出た山谷花純さんは後の「手裏剣戦隊ニンニンジャー」(2015~16)のモモニンジャーの人で、登場人物としては可愛いのに色仕掛けでオヤジを無力化させたりして末恐ろしいと思っていたら、ちゃんと戦う場面もあって格好よかった。 ○仮面ライダーウィザード 放映当時(2012)そのままの人物構成と思われる。凛子ちゃん(演・高山侑子)という人は強くてかわいい女性刑事で好きだ。またコヨミ(演・奥仲麻琴)という人は小柄で可愛らしいが、他人を心配したり自分が危なくなったりするだけで本来何の役目なのか不明だった。ここは本編を見ないとわからない。 ○イナズマン(1973-74) フォーゼ編に出る。当時真面目に見ていなかったので懐かしくはない。この映画では変身すると妙に筋肉質で競技用パンツのような恥ずかしい格好だったが、人の姿(演・須賀健太)に戻るとパンツもなくなって全裸だったようで、それを見た足立梨花さんの反応が脱力ギャグになっている。 ○アクマイザー3(1975-76) 全編を通じた悪役で最後の強敵。当時はほとんど見ていなかったが存在は知っている。この映画では「3」がなく単に「アクマイザー」と言っており、本物の悪役なのでファンだった人々は残念かも知れない。口を開けた「ザイダベック」という乗り物は最後に出る。 ○美少女仮面ポワトリン(1990) ウィザード編に出る。放映当時見ているはずもないが文献的に知っている。本来どういうキャラクターなのかわかっていないが、とりあえずこの映画では入来茉里さんがかわいい。演者はかつて新体操をしていたとのことで、アクション場面では本人が優雅な姿を見せているが、変に開脚が多い割に敵に物理的打撃を与えているようでもない。また可憐な女性と思わせておいて、実はその正体は…というオチがあんまりだと思わせる。 以上、変に長くなってしまったが、とにかく超豪華大作かつ個人的には見どころの多い劇場版だった。これは正直好きだ。[DVD(邦画)] 7点(2019-08-31 09:01:13)《改行有》

410.  惑星ミズサ 《ネタバレ》 2014年の映画だが、実際は2011年4月にクランクインの予定のところ震災のため10月に延期され、さらにいろいろあって公開が延びたとのことである。場所は茨城県久慈郡大子町が中心のようで、バス停と食堂は水戸市、風俗街は土浦市桜町という所らしい。 物語としては、出来事の意味づけが緩いようで何が起こっていたのかよくわからなかったが、単純にいえば地球人類の存亡のかかった純愛ストーリーのようである。劇中の宇宙人と提灯屋は、最初に思いがけず一夜をともにした(一緒に歩いた)とはいえ結局最後まで性交渉がなかったようで、月並みないい方としては売春婦かつ聖女とのプラトニックラブということになるか。 愛を貫くか地球を救うのかの選択の結果として愛が敗北した形になっているが、実はそれほど大それた話でもなく提灯屋の単純な心変わりであって、要は平凡な人生を主体的に生きる覚悟が決まったということらしい。この男のほかに地球滅亡を前にした周囲の人間模様も描かれていたが、見える範囲でいえばおおむね融和とか和解の方向だったようである。無駄に訪れた危機だったわけではなく、劇中の宇宙人にはみな感謝すべきということになるだろうが、その宇宙人の方は単純に元に戻ったようでいてそうでもなかったと思われる。 この宇宙人が宇宙人と自称していたのは一般人の世界から自分を切り離していたという意味であり、出身惑星が自分と同じ名前というのも広い宇宙というより自分だけの世界に住んでいたからと取れる。これまで仕事だけが外界との接点だったところ、提灯屋との交流でやっと地球人類の一員になれた気がしていたが、そのことでかえって最後は人としての悲しみと寂しさを知ってしまったという感じの結末かと思った。 ほか映像と音楽の印象はよかった。エンディングの主題歌も心に染みて切ない思いが残る映画になっている。 宇宙人役の佐津川愛美という人は相手役の男と比べると小柄で(152cmとのこと)、相手を見上げた顔がキュートな風俗嬢になっている。また同級生役の入来茉里さんはいつもながらかわいい人で(「お兄ちゃん!」が好きだ)、この人が泣くとキュンとさせられる。劇中人物としての役回りは実はよくわからなかったが、とりあえずこんな義侠心のかけらもない男はやめておけと言いたくなった。ほか提灯屋の母親(演・星野光代)が変にかわいく見えていたことの意味も残念ながらよくわからなかった。[DVD(邦画)] 7点(2019-08-31 09:00:37)《改行有》

411.  きらきら眼鏡 《ネタバレ》 原作は読んでいない。千葉県船橋市の映画だが、ふなっしーは出ない(舞台挨拶には来たらしい)。監督は犬童一利という人物で、著名な犬童一心監督との関係はわからないが、池脇千鶴が主演していることからも関係ないでは済まない気がする。 物語的には何が言いたいのかわからなかったが、若い男に関していえば、最初は“恋人に死なれた立場”で心を閉ざした状態だったのが、それ以外に“友人に死なれた立場”もあることに気づき、さらには“恋人を残して死ななければならない立場”もあることを知って心が一回り大きくなったというようなことか。題名の「きらきら眼鏡」に関しては、「心にシャッター降ろす」のに使うと嘘になるのでよくないが、全てを受け入れた上でなお世界を輝かせようとするのは悪くないという意味かも知れない。 しかし地元の皆さんには大変申し訳ないが、自分としては誰にもどこにも全く共感できない映画だった。年上の女は訳あり風の妙な言動が人物の魅力につながらず、個人的に見た範囲では「潔く柔く」(2013)パターンで目新しくもない。また若い男は、何を考えているかわからない顔がバカに見えて苛立たしいだけである。さらに腹立たしいのが年上の男の「何でおれなんだよ…」という言い方で、誰が何歳で死んでも不思議でないだろうに、自分だけが特別な人間と思ってきたいわゆるリア充だとこういう発想になるということか。登場人物それぞれの人生はあるにせよ、とりあえずおれには関係ないという気分のままで終わった。 唯一面白かったのは、若い男が職場で突然脈絡ない話をしたときの女性駅員の反応だった。この場面は最近お疲れだろうから休めというところにしかつながっていないように見えたが、ほかに何か深い意味があったのか。 出演者に関しては、古畑星夏さんが非常に魅力的に見える場面があったが(きれいで可愛い)、気色悪い男に乱暴なことをされる場面が入れてあるのが気に食わない。また大変失礼だが、池脇千鶴がおばさん体型に見えたのはまずくないか(わざとなのか)。おばさん役なら仕方ないが、一応ラブストーリーのはずなので困ってしまった。 そういうことで個人的には残念な映画だったが、世間の評判はそれほど悪くないようなので、どうかそっちの方を信用していただきたい。[インターネット(邦画)] 3点(2019-08-24 15:07:34)《改行有》

412.  たいむすりっぷメガネ 《ネタバレ》 2011年から2014年まで活動していたアイドルユニット「AeLL.」(エール)が所属していた芸能プロダクションが製作し、メンバー4人が出演したアイドル映画である。主演の篠崎愛という人は巨乳だそうだがこの映画では隠している(脚は見せている)。撮影場所の山梨県南アルプス市というのは、このグループが地元と協力した農業体験イベント「AeLL.村プロジェクト」をやっていた場所らしい。 内容としては、地元眼鏡店(時計店)で作られた眼鏡をかけると一回だけ過去に戻れるという他愛ない設定をもとに、現代→高校時代(8年前)→また現代、という三部構成を作っており、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の矮小化版のようでもある。宣伝上は「ハートフルコメディ」とのことだが実際そう簡単ではなく、まず最初の現代を殺伐とした世界に見せておき、タイムスリップ後の高校時代ではその殺伐感を引き継いだようでいて微妙に笑わせる要素を取り入れながら、最後は映像効果付きのドタバタコメディにまで発展する。最後の現代はまた真面目な展開になり、普通にハートフルな内容にして最後を締めている。タイムスリップの効果としては、主人公の周囲の状況が著しく改善された一方、一番大事なことは結局何も変わっていなかったように見えたが、しかし外面的に変わらなくても本人の気づきがあった、というのが物語の落ちらしい。 導入部からコメディへの移行があまりスムーズでなかった気はするが、主人公が机の引き出しに片足を入れた場面など、真面目な顔で笑わせるような感覚は嫌いでない。コメディだと思えば、主人公が同級生に「老けた」と言われるとか、古典的スケ番の扮装が突っ込みどころというのもわかる。途中で何となく間が悪いようなところもあったが、結果的にはそれほど悪くないと思わされる映画だった。 ちなみに個人的にはこの映画で南アルプス市のイメージが向上するということは全くなかった。当初段階で地元に残っていたのがろくでもない連中ばかりに見えたのはともかく、市役所ぐるみで悪徳業者に騙されるなど全くいいところがなく、景観面でもそれほど美的なところはなかったが、地元の人々がこれで満足だったのであれば結構だ。[インターネット(邦画)] 4点(2019-08-24 15:07:32)《改行有》

413.  スマホ拾っただけなのに 《ネタバレ》 題名は見た通り「スマホを落としただけなのに」(2018)のパロディだが、中身は意外にも「カメラを止めるな!」(2017)に近い。登場人物の男3人が映画研究会なのも映画愛の表現といえなくはないが、要は洋物ホラーオタクなだけというのがレベルのほどを感じさせる。ちなみにオマージュ的な場面もあったようで、自分としても「シャイニング」(1980)はさすがに気がついた。 本家(カメ止めの方)がA-B-A'の構成とするとこの映画はA-A'-Bになっているが、問題なのは本家と同じく最初のAで見るのをやめたくなることである。どれほど低級映画に見えても一応ここは乗り越えなければならないが、さらにこの映画ではBを挟まないA-A'のため、すぐまた同じことを繰り返している印象があるのと、種明かしの面でもなるほどと思わせるものがなく、こういうところはやはり本家がうまく作ってあったということになる。なお一か所だけ、賞味期限の件は笑った。 最後のBはスプラッターになっており、これも大して面白くはないが、本家(スマホの方)にもあった遠隔操作を別の方法でやっていたのが目についたほか、序盤から予告されていたしつこい妄想展開が特徴だったとはいえる。少し和まされたのは素朴な恋物語をからめていたことで、これは基本的には悪くないと思ったが、終盤の悲惨な展開のあとに最後だけ暢気なのは呆れた(人が死んでいる)。 キャストとしてはヒロイン役(冨手麻妙)の胸と脚を目立たせているのが見どころだが、この女優が出るからには素直で可愛いヒロインで済むはずがない、と最初から思わせるのが重大なネタバレ要因になっている。また孫娘役の神田美優という人(熟女系AV女優とは別人、モデルの神田みゆとも違う人)は地元の群馬県桐生市出身とのことで、役者としての今後の活躍を期待したい。 以下余談として、この映画は劇場公開ではなく2019/4/17にDVDレンタル&配信開始だそうだが、劇中で「最近の老人は運転危ねえからな」という台詞があったのは、リリース2日後に発生した池袋の悲惨な事故を思わせる。ただこの映画では運転者側に落ち度はなく、また当時も言われていたように自家用車がないと生活が困難な地域の事例であるから、一概に運転をやめろと言って済む話ではない。東京都板橋区などは問題外として、地方での免許返納を促進するための支援や仕組みづくりが望まれる。[インターネット(邦画)] 4点(2019-08-17 09:56:53)《改行有》

414.  時時巡りエブリデイ 《ネタバレ》 カワイイ系女子が出ていないので事前の期待が高まらなかったが、主演の鳥居みゆきという人は独特な雰囲気で悪くない。また仁後亜由美という人が「かしこい狗は、吠えずに笑う」(2013)に出ていたのは最近見たので覚えていたが、覚えていたというだけで親しみがわくわけでもなく冷ややかに見ていた。それでも結果的には「なんだとー」という台詞が心に残った。 タイムリープの濫用で問題が起こるのは「時をかける少女」(2006)でも見られたが、今回はやっているのが女子高生でもなく可愛気もないため気分が乗らない。時間遡行に関する基本設定はよくわからなかったが、こういうのは真面目に考えるだけ損をする予感があるのでこだわらないことにする。主にタイミングの関係で突発的に笑わされる場面はあったにしても、基礎的なところでそれほど面白いと思わなかったので、平均点を落として大変申し訳ないがそれなりの点数にしておく。要は個人的に合わない映画だったということだ。 なお主人公の居住地は都市部だか農村部だかわからない微妙な生活環境で、映像的にもしょっぱい感じの印象を出している。撮影場所はよくわからないが、少なくとも主人公の家があったのは埼玉県草加市(東京都足立区に隣接)である。また登場人物同士が衝突した自販機のある場所は東京都板橋区だったようで、大体そういうところで撮影していたものらしい。[DVD(邦画)] 4点(2019-08-17 09:56:51)《改行有》

415.  火垂るの墓(2008) 《ネタバレ》 2008年は戦後63年のため周年記念にはなっていないが、夏の公開であるから戦争回顧月間の催しという扱いかとは思う。撮影場所は海が淡路島、陸地も主に兵庫県内(どちらかというと播磨の方)のようである。 この物語に関して、要は戦争が全部悪いのだ、という単純な感想が得られにくいのは原作もアニメも同じだが、この映画ではわりと簡単に西宮の未亡人が悪いといって終わりにしたくなる。いきなり最初から人格低劣で厚顔無恥なところを見せつけるが、その後の行動を通じて印象が好転するわけでもなく、最後まで単に賤しい人物にしか思えない。この映画ほどあからさまに出て行けと言われてしまっては出て行かない方が変であり、アニメ版に関してよく言われるように、清太がもう少し我慢すべきだったとは言わせない作りになっている。 この映画の特徴点の一つは原作にない人物を出していることで、うち2階の男に関しては、厭戦気分の背徳的な人間が排除されて虐殺される姿を見せたかったらしい。また校長一家はいわゆる天皇制の犠牲者ということだろうが、あるいは物語的に、兄妹がこの一家を頼っていれば助かったかも知れないと思わせておいて、結局その道も閉ざされていたという失望感を出す意図があったようでもある。全体的にあまり戦争が前面に出ていないので、こういったエピソードで反戦色を増すことを考えたのかも知れないが、特に未亡人を含めて、国家というより民衆主体の排除と弾圧で犠牲になった人々を描こうとしたと思われる。 またこの映画で最大の特徴点は、題名の「火垂るの墓」について、失われた多くの生命の名を刻むものという意味づけをしたことと思われる。兄妹がやった連日のホタル祭りのせいでホタルの墓が大量にできていたが、わざわざ全部に名前を付けていたのは、その一つひとつがかけがえのない生命だったことの示唆になっている。特攻機の灯火をホタルに喩えたのは乗員が虫けらのように死んだことを思わせ、また空襲で死んだ少年の名札を読んでいたのはその生命を尊んで記憶しようとしたように見える。最後に節子の名前が墓標に記されたところで実質的にこの物語は終わり、そのため清太のその後は捨象されたのだと解される。当然ながら誠実に作られた映画であり、エンディングの音楽も心に残った。 キャストに関しては、子役は別として名の知れた役者も出ているが、当時実質的に目を引いていたのは松田聖子だったようで、舞台挨拶でこの人が登壇すると歓声が上がっていたのはさすがである。また校長一家の長女役の谷内里早という人は俳優の国広富之の娘ということで、顔はよく見えないが歌声は印象的だった。[DVD(邦画)] 5点(2019-08-10 09:55:41)《改行有》

416.  火垂るの墓(2005)<TVM> 《ネタバレ》 この物語に関して、要は戦争が全部悪いのだ、という単純な感想が得られにくいのは原作もアニメも同じだが、最も戦争との関連付けをはっきりさせているのがこのドラマと思われる。ただし前面に出ているのは西宮の未亡人である。 自己の保全が優先で他人は見えても見えないふりというのは当時も今も普通にあるだろうが、このドラマでは自分の子を守るため、準身内のはずの親戚の子どもと義弟をあえて切り捨てたことで非情さが際立つ結果になっている。その行動を否定することはできないが、しかし子ども相手にあからさまに追い出すでもなく嫌がらせをして出て行くように仕向けておいて「私が追い出したわけじゃありません」とうそぶく神経は自分にはなく、さすが鬼は違うと思わせるものがある。終戦直後に兄妹を探し回っていたのは、戦争が終わったとたんに人の心を取り戻したという甘っちょろい演出かと思ったが、その後は泣き言も言わず最後まで筋を通したらしいのは立派である。結果としては戦地で男が敵を殺し、内地で女が子どもを殺したのが戦争だったという主張らしい。 嫌がらせの動機に関しては、夫の戦死で軍隊への反感を抑える気がなくなり、それで軍人の子である兄妹を切り捨てる決心をした形になっている。軍人の子には人権がないかのような理不尽さを感じるが(出身成分による差別?)、しかし少年の方も社会活動には積極的に参加しておいた方が無難だったとはいえる。父親も妹だけ見ていればいいとは言わなかったはずで、ここは少年の思い込みが過ぎたということだろうが、そもそもこのドラマでは父親をなぜか原作より格上にしており(海軍大佐、戦艦「長門」艦長?)、それだけ少年の思いも強かったのかも知れない。なお火事場泥棒のような行動は戦災でも震災でも憎まれて当然である。 そのようなことで、しっかり作られたドラマだとは思うが、しっかりし過ぎて見る側の精神的ストレスが大きくなりすぎて皮肉ばかり言いたくなる。未亡人役の女優は前から別に好きではなかったが、今回はっきり嫌いになった。母親たるもの地獄に堕ちても本望だという顔を好演している(褒めてはいない、単純に顔が嫌いだ)。ちなみに長女の60年後は変にニヤついた顔が前から嫌いだ。 なお皮肉ついでに失言と思われることを指摘しておくと、親戚の子どもと義弟だけでなく、長女も切り捨てれば残った者は楽になる、と言っていたのは言い過ぎだ。次女も三女もいなくなればもっと楽になり、要は長男だけ残ればいいということか、と言いたくなる。[DVD(邦画)] 5点(2019-08-10 09:55:39)《改行有》

417.  黒蝶の秘密 《ネタバレ》 低予算映画と思われる。題名に「黒蝶」とあるのは昆虫ではなく花のダリアの品種名だそうで、英題のBlack Dahliaと同じ意味らしい。 映画紹介では「ミステリーホラー」とされているがミステリーというほどのものとは思えない。序盤20分くらいのところでもう真相を匂わされるので、本当にそうだとすればかなり陳腐で俗悪な話だと思っていると実際その通りに終わってしまう。またホラーとして見た場合、よくあるヒトコワ系オムニバスの一編を87分に拡張しただけに見えるが、その手のものによくあるように、悲惨な結末にすることだけ考えて現実味や説得力や細部の作り込みを軽視しているのは観客に甘えた印象がある。ちなみに終盤、主人公が錯乱して荒い息の状態が延々と続くのは同じ監督の「デスブログ 劇場版」(2014)にもあり、特に褒める気にはならないが役者の関係で前回よりましになっている。 登場人物としては、主演俳優も見たことがあるがそれはそれとして、実質的には黒ヒロインと白ヒロインの2人が注目のしどころと思われる。個人的には白ヒロインの同僚女子が普通に可愛く見えていたあたりが好きだったので、主人公がいつの間にか黒ヒロインの方に惚れてしまった理由が不明で阿呆に見えたが、しかしここは設定上、「黒蝶」のせいで黒い女の虜になってしまったと理解すべきことらしい。あまり緻密な感じのしない映画でも、その程度の理屈は一応つけていたということである。 それにしても、実際どのくらいの本気度で作ったのかよくわからずに困惑させられる映画ではあった。個人的な相対評価としては、同じく永尾まりや嬢(まりやぎ、元AKB48)の出ている「リアル人狼ゲーム 戦慄のクラッシュ・ルーム」(2014)と同程度ということにしておく。実際は2.5点くらいだが四捨五入ということで。[インターネット(邦画)] 3点(2019-08-03 08:29:22)《改行有》

418.  名前 《ネタバレ》 前に見た「ねこにみかん」(2013)の戸田彬弘監督の映画である。最初にタイトルを出したあとに出演者全員の名前を並べて(主演女優の字で)最後に「計25名」と書いていたのは役者を重んじる姿勢のようで、メイキングでも若い役者に焦点を当てていたのはいい印象だった。撮影は茨城県内が中心で、ロケーション協力には取手市・守谷市・つくばみらい市・利根町といった名前が出ているが、夜の町の風景は旧・水海道市(現・常総市)の中心街だったようである。 物語としては、要は中年男と女子高校生が出会って両方に変化が生じる話である。「ねこにみかん」ほど突拍子もない設定ではなく、性愛関係にもならないので安心して見ていられる。ミステリーというほど謎解きの要素もなく、登場人物と観客が同時並行で事情を理解していく感じになっている。 全体のテーマは演劇部での台詞が端的に言い表していた感じで、これが中年男と女子高校生の両方に共通するのだろうと思うが、人格形成途上の若年者はともかく普通の大人が直接共感できそうな話でもなく、一般人というよりは演技者向けかと思った。演技経験のない自分としては、職業的な俳優など外でも内でも常に演技している状態になって本物の自分がなくなるのではという疑問があったので、まずは自分をしっかり持たないと駄目だというのは初めて聞いた気がする。 2人の交流はほのぼのして笑えるところも多かったが、個人的に気に入らなかったのが同級生の男で、終盤で女子高校生が激白する場面では、何もこんなバカに向かって本音を吐露しなくていいだろうがと呆れた。しかしここは犬猫相手に愚痴をたれるのと同じと思えば言いやすかったのだろうし、また相手が単純バカだったからこそ都合のいい答えが簡単に得られたということかも知れない。 出演者に関して、W主演のうち駒井蓮という人は映画初主演とのことで、公開2年前の撮影とすれば当時高校1年生と思われる(現在は大学生とのこと)。超絶美形でもないがすらりとした長身で、人懐こいようなふてぶてしいような愛嬌のある顔を見せているが、演劇部の場面では本物の演劇部員のような演技もこなしていて感心した。物語自体にそれほど感動しなくても最後にいい印象が残ったのはほとんどこの人のおかげである。 また演劇部の場面では、熱意はあるが傲岸な演出家の役を金澤美穂さんがやっていたのが非常に面白かった。ここは臨場感があって好きだ。[ブルーレイ(邦画)] 6点(2019-08-03 08:29:20)(良:1票) 《改行有》

419.  シムソンズ 《ネタバレ》 「本当にあった最高の青春ストーリー」と書いてあるが、かなりウソくさい映画である。チームのメンバーにはそれぞれモデルになった実在の人物がいるとのことだが、いくら何でも本物の選手がこんなバカだったはずはない、とか思ってしまうと劇中の人物像が素直に受け入れられなくなる。また実際にオリンピックに出たチームだと思うからこそ大会で勝ち上がる展開が正当化されるものの、実際見ていると、こんないい加減な急造チーム(大会まで何カ月だったのか?)に負かされる対戦相手が可哀想になる。全体的に実話から補強されていながらも、その実話(現実)との間の違和感が足を引っ張る感じの映画になっている。 しかしそういう点を完全度外視すれば普通に楽しく普通に感動的なドラマである。当初の「楽しんでやれ、そして勝て」という方針は明快だったが、どうやら本当に最後までその通りにしようとしていたらしい。公開当時は「ウォーターボーイズ」(2001)や「スウィングガールズ」(2004)と比較されることも多かったようだが、この映画は最後に盛り上げるだけで終わりでなく、未来につながる形に作ってあるので物語としてまともといえる。あえて勝利者が賞賛されるラストにしなかったのも悪くない。 チームの4人がそれぞれ美形または可愛いのは出来すぎのようでもあるが、今年のオリンピック日本代表がまた別種のかわいさで評判になっていたこともあり、この点はそれほど非現実的ともいえない。キャストの中で個人的には、以前に「妖怪大戦争」(2005)を見た関係で高橋真唯(当時)という人に目を引かれてしまう(それほど可愛くもないが嫌いでない)。ちなみに決勝の対戦相手は、女優の派谷恵美さん以外は本物の選手だったとのことである。 余談として、この映画が撮影されたのは2005年の11~12月、公開は2006年2月18日だが、映画制作に協力した常呂町は公開直後の2006年3月5日に周辺3市町と合併して新・北見市の一部になり、この映画が町として最後の大きなプロジェクトだったとのことである。映画で披露された北海道方言は「…べ」「したっけ」程度だったようだが、今年の流行語大賞になった「そだねー」も当時から言っている人はいたかも知れない。[DVD(邦画)] 5点(2019-07-27 12:59:25)《改行有》

420.  文福茶釜 《ネタバレ》 「古美術ミステリー」の短編集を原作とした映画で、表題作の「文福茶釜」からマンガという要素を除き、代わりに「山居静観」の水墨画を加えて映画一本にしている。映画の舞台は大阪を中心とした関西である(敦賀は出ない)。 内容的には、騙し騙されというほど逆転続きの意外性はないが原作の雰囲気は表現されている。美術品に内在する普遍的価値どころか愛好者の主観的価値も問題にされず、専ら表面上の取引価格しか存在しないかのような世界観だが(「芸術」という言葉が一回だけ出る)、業界人同士の化かし合いは当然としながらも、素人は騙さないという点で一定の倫理水準を保っているのは原作由来のことである。 映画独自の趣向として、原作では登場人物が男(中高年)ばかりで極めて地味なのに対し、映画では女性の新人社員を加えることで華を添えている。かつこの新人を観客に近い存在として劇中世界との接点にしたらしく、顔だけで人を信用してはならないという初歩的な教訓を込めたオチを最後に付けている。ほか原作にはない主人公の生い立ちの話を加えて人情味も出しており、エンドロール後の場面は特に共感できるわけでもなかったが、その場面自体はあとに余韻を残すので悪くない。 少し困ったと思うのは、主人公の勤務先が美術雑誌の出版社という説明はあったが本業の場面がほとんどなく(冒頭の神戸は広告取り)、何で美大出の新卒がこんな会社に就職したのかよくわからなくなることである。この新人はとりあえず修羅場で真贋を見極める力を磨いてから、もっとまともな職場に移った方がいい。 演者については吉本興業の製作らしく関西芸人を揃えたようだが、それはいいとして根本的なところで問題なのは、大阪出身の小芝風花さん(むくれた顔がかわいい)を出しておいて東京言葉をしゃべらせるのはどういう了見なのかということである。自分としてはこの人が大阪弁で本領発揮というのを期待していたので多少の落胆はあったわけだが、それにしても素直で騙されやすい人物をわざわざ東京出身の設定にするのはいわば地域差別(逆差別?)のようなものではないか。真面目で正直な女性は大阪にもいるだろうが(多分いなくはない)。 そういうことで特に好みでもないが基本的には堅実な映画であり、原作ファンと小芝風花さんを見たい人々には見る価値があると思われる。[インターネット(邦画)] 5点(2019-07-27 12:59:22)《改行有》

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