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441.  沈黙の要塞 《ネタバレ》 ワルが政治絡みでも犯罪組織でもなく、ただただ利潤を追及する経済活動のゆえに裁かれる、というのは娯楽系の映画としては珍しいか。もちろんエスキモーを殺したり派生的に悪いことはしてるんだけど。今までだと別に悪の根源があって、企業のふりを装ってるって展開になるんじゃないかな。これは社会派映画の一歩手前、企業活動そのものを悪としている。話は粗い。悪人が家捜ししても見つからなかったフロッピーがひょっこり鞄の底から出てくる、というギャグ映画の一歩手前。自然を守ろうとしているこの主人公も、かなり自然に悪いことしてるみたいだったし(アメリカの「正義」のパロディのつもりだったら立派なんだけど)。悪い企業に勤めてたからって従業員を危険にさらしてもいいのか。発電所のガード撃ち殺しちゃった。またこういうのの悪役って、主人公にトドメを刺さないで引っ繰り返されちゃうんだ、必ず。ラストの演説は、その通りだとは思うんですけど、圧倒的にシラける(やっぱりパロディなのかな)。[映画館(字幕)] 5点(2010-10-16 10:08:05)

442.  レニングラード・カウボーイズ、モーゼに会う 仏頂面のおかしさは、今回はマネージャーの人間臭い顔との対比になる。でももともとロックの人たちって、ああいう仏頂面しているわけで、なんらかに対する防御って気もする。世間への構え・おびえといったものでもあるか。そもそもカウリスマキ的存在なのだ。そういう視点に最初からロックの連中へのパロディ意識がある。わざわざ太平洋を中心にした日本人にはなじみの地図を背景にして、アメリカとヨーロッパの遠さを見せていた。「自由」のかけらをみやげに「東」へ帰還するというのが骨組み。モーゼの書と共産党宣言のはざまでもある。ヨーロッパはやはり寒々としているが、家族がいるのだ。カットの終わり、なんらかの演技が終わったあとの空漠感が味わい。[映画館(字幕)] 6点(2010-10-13 09:53:17)

443.  ザ・プレイヤー 《ネタバレ》 ハリウッド人種描くときの姿勢って、なんかパターンがあるよね。辛辣に徹することで、変な愛着が醸し出されてくる。ひどい世界だ、と言い続けることで、愛着を確かめているような不健全な関係。それでいいのかな、って気にもなる。アルトマンならもっと違う角度から攻めてくるのかと思ったんだけど、やはりそのパターンの流れで、ちょっと物足りなかった。ハリウッド以外の話題はないのかな、と言うと沈黙してしまう閉じた社会。冒頭の長回しは楽しく、『黒い罠』より込み入っている。「卒業part2」とか、途中にはさまれる単なるクスグリの会話も楽しめたが、やはり最大のギャグはジュリア・ロバーツとブルース・ウィリスでしょうな。出演するほうも偉い。[映画館(字幕)] 7点(2010-10-10 09:47:51)

444.  スネーク・アイズ(1993) ほとんどが人物のシーンで押していく。数カット夜の街があったぐらいか。顔の力。アップの迫力。イタリア系ということでどこか神を引きずっている。ジェームズ・ルッソもマドンナも悪くない。ハーヴェイ・カイテルはクサいんだけど、監督というものをそうやって茶化してる感じもあって、微妙なところ。現実と映画とが交錯していくってのにあまり新鮮味が感じられず、というか現実のほうの監督夫婦の話がつまんない。テレビのCMスターと悪態をついて演技のテンションを高めていくとこ、あるいは何度も撮り直すシーンあたりが、まあ面白い。映画人てのは、映画よりも映画の現場のほうが好きなんじゃないか。こういう映画撮影ものの作品で製作中の映画って、いつもとても面白くなさそう。面白かったら、そっちを映画化してるわけだけど。[映画館(字幕)] 6点(2010-10-08 10:20:37)

445.  青いパパイヤの香り 前半が素晴らしい。漂い続けるカメラは、家の霊というか地の霊の視点というか。したたるパパイヤの汁、したたるロウ。なんらの恨みがましさも叱責の声もない家。熟し終わった家庭の匂いが、画面に立ち込めている。静かに静かにしゃべる。悪い時代の前の静けさ、いやこのころだってインドシナはちっとも平穏じゃなかったはずで、でもそのなかで家の静けさを維持し続ける緊張のようなものが、空気を濃密にしている。フランスでセット組んで撮ったって言うんだけど、細部のアップもあり大変だったろう。まあ20世紀末のベトナムで撮っても、同じ苦労があったかもしれないが。前半に比べると後半は、少女の初恋が成就されるということで黙劇的な緊張はあるんだけど、話が狭くなった感じ。けっきょく、女は弱しされど女は強し、っていうような話に落ち着く。みな影のように生きている独特の感じ。[映画館(字幕)] 7点(2010-10-06 09:54:08)

446.  エンジェル・ダスト サスペンスものは、謎解きの部分がどうしても説明的になってしまうのがネック、でもだからといって説明をイメージ的に済まされちゃうと、気分だけの映画になって、理解力の弱い人間は困る。ええと、乾燥機の中でゴトンゴトンまわってた死体はけっきょく何だったんだっけ? それにしてもヒロインの最初の恋人が若松武で、今の旦那が豊川悦司とは渋い。まあつまらなかったんだけど、何かいいところを見つけないとこれにかけた費用と時間がもったいないという吝嗇家の執念から懸命に思い起こすと、宗教団体の電話のシーン、滝沢涼子が闇の中から出てくるあたり、セリフの前と後に間を持たせて無機質感を出す工夫、などが絞り出された。ビデオ画面を映画に取り入れるようになったのはいつごろからだったか。このころはそろそろ「安易」という感じになってきたとノートには記されている。現代を感じさせる画にはなるんだけど。[映画館(邦画)] 5点(2010-10-03 08:23:20)

447.  瞳が忘れない/ブリンク 《ネタバレ》 レトロアクティヴヴィジョン(逆作用視覚)ってのがポイントで、見たものを遅れて認識することがある、っていう角膜移植後の後遺症、これうまく使えばいいサスペンスになれるモチーフなのに活かせなかった。主人公が今ぼんやり見えているものが、もしかすると過去の出来事かもしれない、という不安を感じてないみたいで。普通のスリラーの、犯人の像が現われる不安だけになってしまっている。現実感覚の不安になってないの。もったいない。それに元盲目なら、相手が闇の中で襲ってきたらこっちのもんでしょうが。なんかせっかくの新味を出せる設定を、いままでのスリラーの手続きだけでこなしてしまったみたい。移植した先をたずねまわるイビツな愛って動機はいいんだけど。[映画館(字幕)] 5点(2010-10-01 09:58:51)

448.  女ざかり(1994) 前作でちょっとやりかけていた細かいカットを、今回は全編でやりおった。『白昼の通り魔』よりも細かい。生理的につらい。なんか本来の「映画」から隔てられている感覚。ヨシのズイから覗いている世界のようで、せわしないというより、狭さを感じた。その発見が本作唯一の収穫。狙いとしては、同時に複数の視点を得ているようになると思っていたのか。やはりカットにはある程度、動きが完結するまでの時間が必要なようだ。ちょっとした遊びのシーンだけならそれもいいけど、全編でやられるとつらい。脚本も良くない。この話なら原作を刈り込むべきで、それを詰め込んで失敗。後半の過去と関わってくるあたりを中心にしてしまったほうが大林的だったのでは。[映画館(邦画)] 5点(2010-09-30 10:19:08)

449.  バッド・ルーテナント/刑事とドラッグとキリスト アタマで家庭人(父)としての主人公を見せてから、自分の世界に引き入れていく。捜査の最中に真剣に話し込む野球賭博の場なんかリアリティ。そういうドキュメント的な面白さでいくのかと思っていると、後半で突然遠藤周作的なテーマに転調する。そこのつながりに滑らかさが感じられないのは、監督がその落差をこそ見せたかったのか、それとも宗教と無縁のこちらのせいなのか。それほどイタリア系にとってはカトリックってのが根深いものではあるのだろう。次第に賭博にはまっていく経過はよく分かる。次は勝つ、という気分。テレビつけるとスリーランホームラン打ったところで、ヨシッ、と思って見続けると、それは11-0が11-3になったところだった、なんての。別に賭けてなくても、そういうときの気分って分かるな。無免許運転娘の場もねっとりしてて リアル。刑事のやくざな日常のリアリティに対してカトリック信仰の葛藤のリアリティがもひとつ迫ってこないのは、ほんと、演出のせいか宗教鈍感症のこちらのせいか、あるいはやくざ刑事に似合い過ぎてるハーヴェイ・カイテルのせいか、分からない。[映画館(字幕)] 6点(2010-09-27 09:55:42)《改行有》

450.  ロング・ウォーク・ホーム アメリカ映画では、いつも正義と勇気がワンセットになっている。正義を行なう勇気を賞揚する。正義の教育的発展とでも言いましょうか。頭だけの正義派だったシシー・スペイセクが、ナマの現実の中で地に足をつけるまで。「たとえ子どもの教師や隣人が黒人になっても大丈夫ですか」とウーピーが彼女に問う。公園で追い出されたウーピーについて、スペイセクは「何も彼女の子どもを連れてったわけじゃないのに」と言っていたのだった。こういう描きかた、うまいね。さて、正直に告白すると、迫害する側の集団を見てると、変にワクワクしてきてしまったんだ。彼らの意見にまったく同意しないにもかかわらず、会場のシーンなんか、シンボルの旗が垂れてて皆が高揚してて、なんか『意志の勝利』を観たときのワクワク感と似たものが生まれてくる。人間の集団ってものの基本がきっとここにあるんだろう。攻撃すべき他者がはっきりとあって、皆の気分が一つになっていると、その集団の意見とは関係なく魅力的に感じられ興奮できてしまうんだな。本当に恐ろしいことだが、それを体験できたことが私にとってのこの映画の価値。[映画館(字幕)] 6点(2010-09-23 10:51:12)

451.  キカ この監督、暖色系の気味悪さを発見したのが手柄だろう。赤や黄色、なかんずくオレンジ色。自然色じゃない人工色の世界。どこかオトギの国の不気味さに通じていく(メイキャップという仕事も人工の世界の仕事)。当然ストーリーは室内劇とならざるを得ない。主人公は気のいい女、最悪ニュースのレポーター・アンドレアの対極、ドラマの展開しやすさからいけば主役脇役が逆になるところだが、これがどこかオトギの国に通じていくキカが軸になる。オトギの国の犯罪。どこか話が閉じていて、テレビというものの閉じ具合と関係づけているのだろう。他人の不幸。暗い人間は死に、見捨てられ、キカはヒマワリを背景に旅立っていく。映画とは、現実に対するオトギの国と割り切っているのだろうか。常連ロッシ・デ・パルマのことを、ピカソの絵から抜け出てきたような、と言うのはうまい。[映画館(字幕)] 6点(2010-09-20 09:48:00)

452.  マーヴェリック 《ネタバレ》 西部劇の遺産がたっぷり。その遺産を食い潰しているだけで、新味を盛り込めないところが弱点といえば弱点だが、遺産があるだけいいさ。最後の場以外は不必要な殺人が一つもないのが正しい娯楽の姿勢。カタギの人間は殺されない。老人は天寿を全うする。かつての西部劇黄金期との違いでは、インディアンの扱いが難しくてネックになるのだが、これは成功。ただのイイモンでなく人間味を出せた。最初のポーカーのときの早撃ち男のような、不気味な顔を適度に配置して、コメディの隠し味にする。主役二人の騙し合いの楽しさ。崖でヘルプと言わねばならぬ、ああいったコント、二枚目半の主人公ものの味って好きです。脚本は『明日に向って撃て!』の人。終わりがちょっとダラついたが、楽しめた。[映画館(字幕)] 7点(2010-09-17 09:31:42)

453.  カウガール・ブルース あくまで文学的なんだなあ。映画としての展開ではなく、文学の幕を通しているもどかしさ。たとえカウンター・カルチャーであっても、文学の幕はやはり幕で、うっとうしい。ヒッチハイカーとしての宿命は、「移動」が日常になること。この設定はちょっと面白くなれるはずだった。でもフェミニズムやら自然保護に落ち着いていき、東洋人でまとめる、っていうのが嫌だね。ツルに麻薬を吸わせるあたり、面白くそれらが対立しそうだったんだけど。唯一映画としての見せ場になったかも知れないツルの飛翔シーンは失敗。ユマ・サーマンは、ああこういう味を出す人なのか、と初めて女優として納得がいった。[映画館(字幕)] 5点(2010-09-14 09:45:57)

454.  ショート・カッツ 《ネタバレ》 アメリカ国旗を思わせるヘリコプターより降りそそがれる農薬の下の街。一皮剥けばののしりと軽蔑が波打っている社会、その悲しさを笑おうとする。悲しさの軸になっているのは、少年の死と歌姫の歌。この監督では「歌うこと」ってのが「一皮剥く」方法としてポイントになっていることが多い。ののしりや軽蔑という激しい感情の対に、無関心もある。ジャック・レモンは息子との関係回復にのみ心が走って、孫への関心が湧いてこない。アニーも、隣人の子どもの死に心が動かない。逆に過剰な関心が寄せられると、パン屋のいたずら電話になる。つまりどれもこれもマットウな距離が測れなくなってしまった人たちなの。医師は妻への疑いを普通の声で確認することが出来ない。水死体の脇での鱒釣り。遠慮と無関心。一方に偽の暴行、偽の(テレホン)セックスがあれば、一方に唐突に女を石で殴り殺す男がいる。すべて距離の混乱。最後の締めは、この見事な大伽藍の後ではちょっと物足りなかった。回想シーンなし、すべて時間順に綴られている。個人の内面に深入りしない(一人でいるシーンは長くやらない)。もちろんモノローグなし。そういう文法で綴られるのは、私たちがもう他人とのマットウな距離を測れなくなってしまっているという現実。ばらばらにされた家具の中でピカピカにきれいにされたカーペットの空間、あの空虚感がこの映画のテーマだろう。[映画館(字幕)] 8点(2010-09-11 09:54:03)

455.  フリントストーン/モダン石器時代 よく知らないんだけど、昔のコミックかなんかが元になってるのか。50~60年代のタッチがありますな、髪形なんかにも。家族とか友情とか、それの扱い方・扱う手つきが昔っぽい。その手つきを懐かしんでる、ってところがある。現代のものを一つ一つ石器時代に置き換える、というのが笑いのポイントなのだが、もひとつオッというアイデアはなかった。エリザベス・テイラーは馬鹿な役をやっていて、自分をコケにできるところがハリウッド女優の偉いところだ。というか、こういう役やると箔が付く風土でもあるのかもしれない。うらやましい。ロージー・オドネルはこうやって見ると、別にブスではないな。自然保護メッセージとか近代文明批判がないのが良い。[映画館(字幕)] 5点(2010-09-08 09:55:11)

456.  トリコロール/赤の愛 これは三部作の中ではまだ分かりやすいほう。趣向がはっきりしているので。時代を超えた触れ合いというか、ちょっと怪異譚めいた世界。若きトランティニャンである青年とヒロインが出会うまで、ということか。老いたトランティニャンは夢の中で50代のイレーヌ・ジャコブを見る。犬も老若の橋渡しをする。国際電話の距離と隣人の盗聴の距離の対比、などなど。室内の照明はいつもながら美しい。一番思ったのは、キエシロフスキ、イレーヌ・ジャコブが好きなんだなあ、ってこと。クールにクールに作ってるけど、年若い娘を恋してしまった初老男のいびつな恋情が脈々と感じられる。偉大な男性監督は常に女優に恋していなくてはならないのかも知れない。思えばかつて『ある党員の履歴書』なんて非常に公的な硬い手触りの秀作を作っていた人が、最後にこうグッと私的な世界に凝縮していったのも、東欧開放の一つの流れなんだろう。でも「裁判所=裁くこと」が、よく出てくるのは体制の新旧で変わらない。[映画館(字幕)] 7点(2010-09-06 09:59:36)(良:1票)

457.  ワイアット・アープ(1994) 愛あり悲しみあり、挫折あり立ち直りあり、厳しすぎたりしても人間味ありと、中庸へ中庸へと導かれていくつまらなさ。ワイアット・アープという名前がなければ、前半は総崩れになるのではないか。つまり西部劇としてでなく伝記映画として見ろ、ってことか。そう思うと、多民族国家アメリカにも、やはり民族的英雄が生まれてしまうという悲劇を目撃することになる。せめて、もっと皆に「愛されなかった」彼を詰めれば面白くなったかもしれない、自殺未遂を繰り返す「妻」の目を通すとか。でもケビン・コスナーって複雑なキャラクターを演じられるタイプじゃないんだよね。美女が登場しない3時間11分、ワルのほうに魅力がないのも致命的欠点。ラスト近くでズルズルとヤマ場が絞り切れない。OK牧場のあともだらだらと続く、「伝記映画」だから。トウモロコシ畑から始まってバッファローの走りがあり、コスナー作品を回顧しているようなところがあった。唯一映画らしかったのは、無法地帯と化した町を弾痕だらけの看板で見せたとこか。[映画館(字幕)] 5点(2010-09-02 09:58:19)

458.  全身小説家 奥崎謙三もそうだったけど、この監督は対象とする相手に、あんまり「お近づきになりたくない人」を選ぶ。どこか精神主義の匂いのする人。文学伝習所の、宗教組織というかハレムのような空気が苦手だったし、とにかくこういう「意志」の人って疲れる。井上光晴がコウルサイ小男に「出ていけ」と怒鳴ったりする(埴谷雄高がボソボソと「出ていくことはない」とつぶやくのが傑作)。文学組織というより「井上教」という宗教団体みたいで、教祖に、君は耳がきれいだね、と言われておばあさんが感激したりしている。こういう不可思議な世界を前半でミッチリ展開したあと、この強い作家に、弱さが寄り添って見えてきて、映画は俄然身近になった。「うそつきみっちゃん」があばかれていくスリル。映画としてもフィクションを織り交ぜていた仕掛けが生きてくる。現実は癌である。しかしその周囲に嘘が振りまかれる。だいぶいいようです、という医者の気休め。特効薬を売り込む「燃える赤ひげ軍団」いう男のうさんくささ、それへのリアクションの瀬戸内寂聴のナントモ言えん表情(癌死をめぐる厳粛なドキュメンタリーなのに、ここで場内は爆笑)。ああいったものが癌という生々しい現実の周りに付着してきてしまう。小説家という、虚構を構築する仕事をしている者の周囲で、本当と嘘が絡まりあい、しかし癌という現実だけは確実に進行していく、そういう世界観。もっともリアルだったのは、摘出される肝臓。そうか原一男は『海と毒薬』の助監督だったんだ。そして熊井啓の出世作が井上光晴の『地の群れ』だったことも思い合わせると、なにか一つの大きな円環が見えてくる気もする。作家は正月の客を送り出したあと、階段をゆっくり昇天していった。ここは感動的。[映画館(邦画)] 7点(2010-08-25 09:58:22)

459.  ブロンクス物語/愛につつまれた街 《ネタバレ》 勝手に、もっと神経質っぽいものを想像してたんだけど、アタタカイのね。なにしろ「心から笑ってない笑顔」をやらせると天下一品の俳優だから、サイコパス系の映画でも作るのかと思ってた。つまりそういうふうに見られることがやで、「本当は僕ってほのぼのした人なんだよ」とアピールしたかったのかも知れない、泣いた赤鬼みたいに。映像のリズムと音楽をシンクロさせて楽しんだりしている。ヤクザもんとカタギとの、二人の「父」のもとで育つ少年の話。別に「悪」と「善」という分けかたではない。ソニーも少年をヤクザもんに育てようとしているのではなく、彼なりの「教育」で筋を通している。ここらへんカタギもんのデ・ニーロに一目置いているわけ。ほんとのチンピラと付き合おうとすると忠告するし。「好かれることと怖れられることとどちらかを選べというなら、怖れられるほうを選ぶ。持続するから」と。実の父のほうは「才能を無駄にするな」という。こういう環境の中で息子を育てるのは大変なことなんだ、と思う一方、どんな環境でもその地ならではの教育があるってこと。黒人ガールとの恋愛は、イマイチ不燃焼。ニガーと言ってしまったあと、もうワンクッション和解との間にほしい。とはいえ、教育を巡る映画として秀逸。[映画館(字幕)] 7点(2010-08-24 09:53:24)(良:1票)

460.  ウルフ 《ネタバレ》 スクリーンに登場する怪人たちの中で、ドラキュラ・フランケンシュタインの怪物、の大物ぶりに比べ、狼男はやや弱い。アピールポイントが「満月になると顔に毛が生えます、遠吠えもします」と内向きである。「おまえはけっきょく何をやりたいんだ」と詰め寄りたくなる(日本の昔話で、桃太郎・一寸法師に比べ影の薄い金太郎と同位置にあるようだ。桃太郎らは業績がはっきりしているが、金太郎は子どものときに熊と相撲をとったこと以外はボンヤリしていて、どこか狼男と似ている)。で、この映画。そのぼんやりものの狼男に一本背骨を入れた。狼男とは「中年が若返る」なのだ。疲れが消え、気分爽快、生き生きとなるのである。人間関係の中で疲弊していた中年に、野生の血が紛れ込むのである。匂いに敏感になり、遠くの会話が聞こえるようになる、とリフレッシュとしての狼男化が面白い。あちらキリスト教圏の話は、つまるところ悪玉と善玉の展開になっちゃうところが物足りないけど、何か新しい視点・解釈を導入しようとする姿勢は偉いと思う。主役の二人は『バットマン』シリーズ1作目と2作目の仇役、ジョーカーとキャットウーマンで好演したもの同士、ラストは美女と野獣でもある。J・ニコルソンってこういう役になると本当に楽しそうにやってる。[映画館(字幕)] 6点(2010-08-22 09:53:21)

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