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541.  ミ・ファミリア 似た題の『ラ・ファリミリア』はイタリアのお話、こっちはメキシコ系のアメリカのお話、どっちもカトリックの裏打ちがあって、やっぱり家族だね、って話。近代史。神話・伝説の時代からナツメロ的な時代、そして近過去へと、次第に輪郭がはっきりしてくる経過が面白い。神話の時代だと浮気をして妻に射殺されるというドラマチックな出来事も、検証してみると盲腸で死んだらしい、とか。30年代の強制送還のエピソードが最初のヤマで、渡河をじっと見守っていたフクロウが、戦後にも現われこの一家を見守る趣向、フクロウにはこういうイメージがある(今村版の『楢山節考』とか)。70年代にも強制送還のモチーフが繰り返され、ヤクザもんとなったジミーが、子への愛をよりどころに立ち直っていくところで幕、とにかく家族愛への圧倒的な信頼が全編にみなぎり、疑いを持たないところがラテンである。ラテン音楽は血が騒ぐ。[映画館(字幕)] 6点(2009-08-28 12:00:43)

542.  陪審員 《ネタバレ》 一応説明はついていたけど、マフィアの下っ端にサイコ野郎がいるってのは、どうもしっくりこない。これは悪に関して考えられ得る対極のものではないか。徒党を組んで社会に背を向けるのと、他人の家を監視し続ける熱意とは、反社会性と非社会性で、同じ法律違反であっても全然種類の違うものだろう。犯罪映画としてトーンの統一が、しっくりいってなかった。男がゆっくりと本性を現わしてくるあたりが、やっぱり怖く、表情が同じのままなのがいい。ヘラヘラふざけながら車を運転し、息子の自転車に迫っていくところ。表決が討論によってしだいに逆転していく経過は『十二人の怒れる男』のパロディとも言える。こういうのの最後は「どうして僕の愛を分かってくれないんだ」と“かわいさ余って憎さ百倍”で迫るのが段取り。グアテマラロケは観光映画的な気分の拡散があって、あまりいいアイデアだったとは思えない。[映画館(字幕)] 6点(2009-08-21 11:58:15)

543.  上海ルージュ 老人が勝ち、若者が滅んでいく、それはもう、一つの時代が末期を迎えている症状なのだ、ってことか。実に通俗的な設定を、黄金色に閉じた前半と、蕭条とした風景の中に拡散していく後半、の二段構えで描く。後半が前半の繁華を批判している、という感じではなく、どっちもそれぞれに、はかない。囚われの女は周囲に不幸を撒き散らしてしまう、そのことの悲しみ。どこからともなく聞こえてくる歌声の効果など、いつもながら音には鋭敏で、呼び鈴とか、軒下の風鈴、繰り返される子守唄のメロディは、硬質の木琴の音、オーボエ、月琴(?)、女声などによって変奏されていく。美しさという点ではいつも見事なのだが、映画のドラマとして切実さがも一つ感じられないというところも、いつも。[映画館(字幕)] 6点(2009-08-16 11:59:32)

544.  小便小僧の恋物語 《ネタバレ》 電車に家族を奪われた男(人に見られてると小便できない)が、市電の女運転手に恋する回復もの。と思ってたら、回復ものにしてはラストが陰気くさくなってしまった。ハッピーエンドじゃ軽くなってしまうので、悲劇に仕立ててみました、って感じの作品、けっこうヨーロッパ映画に多く、安易にハッピーエンドにするハリウッドと足して二で割りたい。死で片づけちゃいけないこと・片づけられないことの方が、この世には多いはずです。主人公が仕事に就くあたりの手際のいい省略なんか良かったし、公園のベンチで星空を見上げる夢が、ベッドから吊るした星を見る場になったりと、演出は手堅い。[映画館(字幕)] 6点(2009-08-14 11:53:17)

545.  スケッチ・オブ・Peking 《ネタバレ》 思えば警官は映画史を通じてもっとも古くからの登場人物であった。野良犬を追いかけて道を複数の警官が追っていくところなどキートンの時代をほうふつとさせる。しかしサイレント時代は追いかけられる側からもっぱら見ていたが、これは追いかける側の話。『警察日記』的なほのぼのとした体裁を取りながら、変にとげとげしいものも現われてくる。『警察日記』と違うのは、庶民の暮らしがきれいにカットされていて、あくまで警官そのものの話というとこ。野犬を追いかけて毎日くたくたになり、妻には嫌味言われ、ケツには狂犬病予防の注射をうたれ、犬を取り上げて子どもにはジワッと泣かれ、ほんとに自分はやりがいのある仕事をしてるんだろうか、という気分。その“やれやれ”が“むしゃくしゃ”へと膨張し、取調べ中の暴行へとつながっていく。そういう主人公への同情もなくはないが、描写はけっこう突き放していて、そこらへんにとげとげしさがある。体制批判にまではなってないが、体制PRではない。日々の中のささやかな不満やささやかな徒労感、こういうものを映画の対象にするまでに、この頃の中国映画は進化したんだな。[映画館(字幕)] 6点(2009-08-07 09:10:39)

546.  カジノ モノローグ映画というか、やたら字幕を追うのが大変でした。ナレーションが多いと、過去の出来事という感じは強くなる。それにしてもこの監督ノーブルな顔して、どうしてこう真っ当でない・唾棄すべき嫌な人間たちの話が好きなんだろう。ギャンブルの天才でありながら、妻や友の裏切りにあっていく男。ラスト1時間ぐらいになってやっとノッてこれた。世の中なんにも信用できねえのさ、という一匹狼的な恍惚感があるわけでもない。虚飾の街と、その裏の地味な金勘定の部屋、その裏から表を見て、荒涼としてるんだけど充実がある。つまり現代における“充実”とは、愛やら友情やらを捨てていった荒涼の中にしかないということか。ラスベガスを取り囲む広大な砂漠。日本人はタオルを持って帰る。ラストに「スターダスト」が流れ、おそらくある年代の人は「シャボン玉ホリデー」を思い浮かべ、しみじみしたことと思う。[映画館(字幕)] 6点(2009-08-05 11:59:37)

547.  ストレンジャー(1996) 今ではちょっと下火なのかな、20世紀末からしばらくサイコホラーってのが流行って、でも考えてみれば映画ってものがそもそも精神分析と同じころに誕生した兄弟だったわけで、『カリガリ博士』の時代にすでに心理学ブームはあり、このころは二度目の流行りと言えようか。表面だけを記録していくフィルムの機能が、かえって幻想を描くと生きてくる。これなんか一つのアイデアだけが命のホラーで、弦楽器のネットリした音楽が雰囲気をつないで、とりあえず一本の時間を退屈させずに見せてくれている。もっとじらしてほしいところもアッサリしてたりして、演出にコクがないけど、基本的にサイコホラーってのは凡作でも何か映画のポイントをつかんでるみたいなんだ。フィルムにおける内面の不可視ってことと関係があるんだろう。原題は「知らない人と口きいてはいけません」って。[映画館(字幕)] 6点(2009-08-03 11:56:41)

548.  シクロ 最初はリンタクに靴みがきでデ・シーカの世界に近いのかと思っていたら、何かギラギラしたものが出てきて、どちらかと言うと初期の大島渚か。俯瞰。この世間を離れた裏稼業のやくざの目で、あくせく働く表の庶民を俯瞰している。近代的なビルが建ち並ぶ下を、健全なシクロ一家が抜けていくラスト。おそらくそれに嫉妬する無垢な少年時代の「詩人」が見下ろしているという感じ。構造自体はグレかけたけどグレなかったのと、グレたのを恥じつつ死んでいくのと、というオーソドックスなものだけど、その彼らのまわりで「現代」がぐんぐん広がっていく圧迫感が描かれていた。タイヤの空気入れの仕事してるじいさんのとこに、まちがって体重計が届き、ならこれで商売してみようか、なんてエピソードがいい。あと、ベトナムにだって変態はいるんだ、ってこと。ああいうのはとかく高度資本主義社会のひずみとかで片づけられるけど、人の社会があるところ変態はちゃんといるんです。女親方の顔もよかった。それと色に意味づけがあったみたいで、黄色、赤、青などが象徴的に画面を彩る。熱気がこもってて表面はひんやりしている怖さ、みたいのがある。[映画館(字幕)] 6点(2009-08-01 11:57:32)

549.  サドン・デス(1995) 《ネタバレ》 娯楽映画の悪漢はどこまで殺人が許されるのか、という問題は難しく、悪人を悪人たらしめるためには殺人は必要なのだが、その被害者がただ殺されるだけではなく、誇りを持って殺されるなどの手を打っておかないと、映画そのものが殺伐になってしまう。人質を殺すのにも難しい基準があるのだ。本作はそこらへんが雑。それとこの手の映画ではよくあるのだが、悪漢が主人公と向かい合うときのみすぐには撃たないで反撃されてしまうのも阿呆である。捜査官が一味というヒネリも、それならもっとやりようがあっただろうが、という脱力感を与える。追われてキーパーに変装というユーモアは悪くないが、近くのチームメイトが気づかず、遠くの悪漢にばれるってのが無理。やたら高いとこで飛び跳ねるところにのみ爽快感あり。[映画館(字幕)] 6点(2009-07-31 11:58:11)

550.  フロム・ダスク・ティル・ドーン 《ネタバレ》 好意的に見れば「一本で二本楽しめる」で、前半は逃走もの。タランティーノのすぐ人を殺しちゃう弟が気味悪くおかしい。で悩める牧師の車をかっさらってメキシコへと走る、とここまでは普通の映画の範疇。牧師ってとこに伏線があったんだけど、見てて分かるわけがない。メキシコの怪しい酒場が後半の舞台で、ダンサーが蛇女に変わっちゃうところでノケぞる。きっとこれは夢だったってことで元の話に戻るんだよね、とはかなく思い続けている間も、スクリーンでは吸血鬼との戦いは続き、どうもこの時間経過からみて本気らしいぞ、と認めざるを得ず、そうかこういう「えっ!?」という瞬間がタランティーノは好きだったんだっけなあ、と遅れて気がつくのであった。ドンチャン騒ぎとしては『ブレインデッド』に劣る。[映画館(字幕)] 6点(2009-07-29 11:56:30)

551.  フィオナの海 伝説・言い伝えなどを話の中に織り込みつつ、映画全体がラストへ向け、しだいに伝説・昔話の中に溶けていく、アザラシや海鳥を媒介にして。ケルト音楽も伝説っぽいし。そもそも弟の揺り籠が流されていくところからリアリティは薄いのであって(だって海で暮らす人があんな波打ち際に置いておくとは思えない)、そこらへんからもう半ばオハナシの世界にはいっている。じいさんばあさんと子どもってのも昔話の準備だし。つまりとうさんかあさんは近代化のほうへ向いてしまうのね、じいさんばあさんに子どもが昔の島へ戻っていく、伝説ともども封じられに。おそらくアイルランドという土地ならではの風土が生きているのだろう。アザラシの映像の使い方がうまく、変に擬人化させるのでなく、アザラシのまま意味を持たせるのに成功している。[映画館(字幕)] 6点(2009-07-26 09:15:15)

552.  卵の番人 『八月の鯨』の男性版かと思っていたら、中村伸郎・三津田健による別役実ドラマといった雰囲気。老人兄弟の日々が綴られ、その月面のような静けさ・穏やかさに、息子コンラードが絡んでくる。この老人たちの描写は悪くなかった。叔父と甥の関係が、微妙な不和としてうずきだすのだが、その微妙さをどう見るかだ。解釈の余地を与える豊かさととるか、突き詰めていないいい加減さととるか、この違いを見極めるのは難しいところで、そうしたモロモロを味わいとして享受すればいいんだろうけど、とにかくあんまり腹に来ないのは事実。手つきだけでうまく運んでみせている演出って気がする。ラジオをいじると、いろんな「イエスタディ」バージョンが聞こえてくる、ってのがあった。ラストのオーバーザレインボウは、心に響いた。[映画館(字幕)] 6点(2009-07-21 11:59:12)

553.  KIDS/キッズ すべて字体が異なるタイトル。個性の主張なのか、それぞれの孤立なのか。現代の「甘い生活」は10代なんだな。現実から浮遊して、でもそれを現実につなぐのが、実にプライベートなものである“病い”ってところに現代の特徴があるんだろう。感染を止める聖女たらんとして町をゆくが、彼女がさらなる感染へと道を開いてしまう。ひと月の物語をドキュメンタリータッチで綴っていき、もっぱら表情が雄弁だった。仲間うちで、常に観客であろうと様子を探りつつ浮かべるやや強ばりかけた笑い顔。排除されるのが怖く、付かず離れずの位置をキープする。人種問題ってのがなかったのは意図的なのか現実なのか、現代では民族よりもさらに小グループへの所属感のほうが強いのかもしれない。とにかく頭で作ったんじゃないリアリティがあった。全体が狭いほうへ狭いほうへと向かい、そして眠りに閉じていく。[映画館(字幕)] 6点(2009-07-19 12:03:05)

554.  ノートルダムの鐘 これすらもハッピーエンドにしてしまうまでに、もう型が出来上がっている。ハッピーエンドにしとかないと、障害者の社会進出の面からどうのこうの言われる、って心配もあったからかな。主人公を支える小さなものたちもちゃんと登場するし。これでいいのは、フロローのキャラクター。ディズニー作品の出来不出来はだいたい敵役の出来不出来に左右され、これはよかった。ちょっと『セブン』の犯人にも通じていくような。でも彼がラストでエスメラルダに言い寄るのは勇み足だろう。赤い僧服の裁き手たちがズラリと現われ、影がサーッと立ち上がっていくあたりがヤマ。道化祭りのエピソードは本当に怖い。な、世間とはこういうもんなんだぞ、とフロローの言葉を証明する。障害者と世間の関係を残酷に示し、下手なメッセージより濃く、差別のむごさを見せつける。鐘楼のテーブルの上の小さな町、閉じ込められているカジモドのほうがパリの道筋に詳しくなってるってのも、けっこう障害者の在り方の一面をよく見せていた。[映画館(字幕)] 6点(2009-07-17 12:01:56)

555.  猫が行方不明 《ネタバレ》 猫を飼う娘。「猫・グリグリ」の方向には、地上げで消えてゆく下町がある。老夫婦たちのネットワーク、あるいはアラブ系住人たち、芸術家たち。一方「娘・クロエ」の方向には、ここに進出してくるブティック、ファッション業界、ドラムの響き、などなどがある、そして「孤独」のモチーフも。バカンスのワンカット、海があってすぐ帰りのカットになる妙。アラブ系ジャメル君がなかなかいい味で、純情青年の奉仕ぶりが気持ちいい。同居のホモの新しい恋人との気詰まりな朝食のシーン、バリバリというかじる音とグビリという飲む音のおかしさ。猫はけっきょく部屋に、「下町」の側に踏みとどまって。サササッとスケッチしたような味わいの、ひなびたワルツが似合うコメディ。[映画館(字幕)] 6点(2009-07-12 12:24:18)

556.  ツイスター このころ流行った災害もの。映画が物語りに寄りすぎてしまった歴史を反省し、スタート時の見世物の力を取戻そうと、原点に帰ろうとする姿勢はいいのだけれど、でも見世物だけで一本の映画の時間を埋めるってのは非常に難かしかろう。こっちも列車の到着で驚く百年前のナイーブな観客ではなくなっている。やっぱり一本の作品としての時間のうねりがなくてはならず、見せ場をつなげばいいってもんじゃない。それに竜巻ってのは、ただ大きさの大小があるだけで違いを作れないしなあ。けっきょく見せ場をつなぐためにはデキアイの人間ドラマをはめるしかなく、全体がいくつかのボソボソとした塊になってしまった。SFX作る楽しみにのめり込んで、気配で楽しませる努力がおろそかになった。逃げ込んだ納屋に刃物がずらりある、みたいな場をもっと欲しい。渦の真ん中から青空がほの見える、ああいうのアメリカ人好きなのね、音楽もコーラスになって宗教がかる。好きというより、まとめやすいんだろうな、「そうか、神のようなものか」でたいていは納得できてしまう。アメリカ映画では中年女性が活躍するのが多いのは偉いと思うんだけど、あれは何か深い意図があるのかな。[映画館(字幕)] 6点(2009-07-07 11:59:52)

557.  ティン・カップ スポーツでは、走るもの(球技を含む)と格闘するものがやはり映画に向いており、歩行して棒振るだけのゴルフは難しい。スポーツとは言えないが、走りも格闘もしないビリヤードがけっこう映画向きなのは、キューを構えるポーズが美しいのと、狭い室内ってのがいいんじゃないか。ゴルフは広くて、そういう緊迫感狙いは無理。でこれ、アルマジロ歩く田舎の濃いめの人情世界と、都会的な紳士のスポーツってのをぶつけたあたりがミソか。克己心の話。己れの才能をフルに発揮しようとしないヤツをアメリカ映画は嫌って、チャレンジする話が好きなの。スピード感のないスポーツを見せる工夫として、木の後ろからトイレにぶつけてグリーンに乗せる、とか、刻んでいくヤツと豪快に池越えするヤツとを対比したりとか、苦労してます。[映画館(字幕)] 6点(2009-06-14 11:56:47)

558.  バードケージ オカマコメディってのには、微妙にいらつかされる。これってテレビなんかのオカマタレントにも通じるもので、差別だ偏見だって言われるとそれまでなんだけど、何と言うか、自意識過剰ぶり、チヤホヤされたがり、が引っかかる。男社会が「女性的なもの」として抑圧してきたモロモロを臆面もなく噴き出しているんだから、男社会への批評としては意味があるはずなのだが、他者の視線を意識しすぎた存在となる自分を許してしまっているところが、人の在り方として正しくない気がして仕方がない(同性愛そのものじゃなくて、それの誇示のことだよ)。でもこのいらつきを延長していくと、社会的少数者は自己主張するな、っていう“良識の壁”につながっているのかもしれず、そこはこちらの反省点。それはともかくこの映画、元は舞台劇かなんかなのか、そんな雰囲気。普通にしてくれ、と懇願する息子の向こうで、普通でない男が普通でない格好でモップを動かしてる、なんてあたりはやっぱり笑えた。ジーン・ハックマンの女装より、ダイアン・ウィーストの変身のほうが笑えた。[映画館(字幕)] 6点(2009-06-05 12:02:12)

559.  リチャードを探して lookingにkingが隠されてる、という原題の趣向。脚注映画というか。「リチャード三世」をダシにおしゃべりをする楽しさ。いささか啓蒙的な姿勢がなくもない。アメリカのヨーロッパコンプレックスってのは、自分たちでも自覚しているようで、それでもやはり憧れてしまうってとこが可憐である。ちょっと思ったんだけど、英語圏の俳優は、原作そのままでしかしゃべれないので可哀想だ。リズムの決まりがあるんでしょ、それに縛られてしまう。そこいくと日本はじめ外国語圏は、演出によって幾多の翻訳の中から選べるって利点があるわけ。でも、アン王女を誘惑していくあたりの言葉のうねりは、きっと英語ならではの味わいなのだろう。「リチャード三世」を日本に移し替えるとしたら、戦国武将よりやくざの世界がいいかもしれない、などと思った。[映画館(字幕)] 6点(2009-05-27 11:58:09)

560.  サバイビング・ピカソ フランソワーズ以外のピカソの妻たちは、自殺とか発狂とかひどい最期だったらしい。アンソニー・ホプキンスはここでも怪物を演じたってわけだ。映画には「魔の領域もの」ってジャンルがあるみたいで、スターとか芸術家とか、日常とかけ離れた場所に魅せられていくものたちを描く作品群。一般人は、そういうものに憧れ、またこっちは普通で良かった、と胸をなで下ろす、そんなジャンルだ。フィルムってものが、多かれ少なかれそういうかけ離れた秘境を記録して、日常に暮らす我々に提供するものなのだから、非常に正統的なジャンルということになる。ピカソの製作風景が興味深かった。ライトでのペインティングは見事。ゲルニカを製作している下で、女たちが争っている。芸術の偉大さと、それが生まれてくる背景の俗っぽさ、得てしてそういうもんなんでしょうなあ。[映画館(字幕)] 6点(2009-05-18 11:58:51)

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