みんなのシネマレビュー
かっぱ堰さんのレビューページ[この方をお気に入り登録する

◆検索ウィンドウ◆

◆ログイン◆
メールアドレス
パスワード

◆ログイン登録関連◆
●ログインID登録画面
●パスワード変更画面

◆ヘルプ◆
●ヘルプ(FAQ)

◆通常ランキング◆
●平均点ベストランキング
●平均点ワーストランキング
●投稿数ランキング
●マニアックランキング

◆各種ページ◆
●TOPページ
●映画大辞典メニュー
●アカデミー賞メニュー
●新作レビュー一覧
●公開予定作品一覧
●新規 作品要望一覧照会
●変更 作品要望一覧照会
●人物要望一覧照会
●同一人物要望一覧照会
●関連作品要望一覧照会
●カスタマイズ画面
●レビュワー名簿
●お気に入り画面
Google

Web www.jtnews.jp

プロフィール
コメント数 1251
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

投稿関連 表示切替メニュー
レビュー表示レビュー表示(評価分)
その他レビュー表示作品用コメント関連表示人物用コメント関連表示あらすじ関連表示
コメントなし】/【コメント有り】
統計メニュー
製作国別レビュー統計年代別レビュー統計
要望関連 表示切替メニュー
作品新規登録 / 変更 要望表示人物新規登録 / 変更 要望表示
要望済関連 表示切替メニュー
作品新規登録 要望済表示人物新規登録 要望済表示
予約関連 表示切替メニュー
予約データ 表示

評価順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
4142434445464748495051525354555657585960
616263
投稿日付順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
4142434445464748495051525354555657585960
616263
変更日付順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
4142434445464748495051525354555657585960
616263

561.  三大怪獣グルメ 《ネタバレ》 バカ映画の巨匠・河崎実監督のバカ映画である。公開日が2020/06/06とのことで、本当にこの時期に劇場公開したのかと思うが、疫病の不安の中で見れば気晴らしになったかと思われる。 歴史的にみた三大怪獣といえば「三大怪獣 地球最大の決戦」(1964)のゴジラ・ラドン・モスラだろうが、海鮮丼という前提なら「ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 決戦!南海の大怪獣」(1970)の3怪獣のうち、カメが食えないのでタコにしたように取れる。また公式サイトによれば、もともと円谷英二監督が戦前に企画していたタコ映画の構想に触発されたとのことで、そのタコに監督本人の「いかレスラー」(2004)、「かにゴールキーパー」(2006)を加えた形になっているともいえる。 バカ映画といってもこのくらいになると特に変なところもなく、ちゃんとしたストーリーを備えた娯楽映画になっている。当初は登場人物の性格付けを不明瞭にしておいて、最終的に誰に肩入れすればいいかがはっきりさせていく形だったのは悪くない。うち悪役は、ラストに至ってもまだ「世界の破滅」を企んでいたのかも知れないが、世間では既に人間がミイラ化するという怪事件が発生しているのに同じようなことを考えるでもなく、どこまでも海産物に固執していたのはもう頭が変になっていたと思うしかない。昭和のTV番組「怪奇大作戦」の第24話を思わせる哀れで恐ろしい(笑)終幕だった。 また題名からすればグルメ映画ということもあり、登場人物それぞれ言葉を飾ったグルメ評論風の賛辞を連ねるのが空々しいが料理自体はまともなものを出している。食物だけでなく、協賛に名前の出ている「有限会社ニイミ洋食器店」(東京都台東区)のキャラクターが大活躍する展開だったのは、「プロを支えるプロの街 かっぱ橋道具街」へのリスペクトも感じられて少し感動した。同じく協賛で「岩下の寿司がり」の岩下食品株式会社(栃木県栃木市)も存在感を出している。 出演者としてはちゃんとアイドルも出ているが、例によって監督本人も顔出ししている(見なくていい)。ほか監督のお知り合いか何かわからない人々が大勢出ていて特にコメントする気にならないが、別映画で見たばかりという関係で一人だけ挙げると、「DAICON FILM版 帰ってきたウルトラマン マットアロー1号発進命令」(1983)のイブキ隊長役の人物が「イブキゲンゴロウ」役で出ていた。ちなみに主演の男に関しては「わかんなくて結構だよ」の表情がよかった(笑った)。[インターネット(邦画)] 5点(2023-08-05 14:10:03)《改行有》

562.  ラ・ヨローナ ~彷徨う女~ 《ネタバレ》 ジャンルに「ホラー」が入っているがホラー映画だともいえない。中盤でやっとホラーらしい場面になったと思ったら、その後の展開が微妙にユーモラスなので笑ってしまった(好色ジジイが浴室を覗いたことがバレて家族に呆れられる)。また不気味なカエルが多数出現した場面でも、本当にこれだけカエルを集めたのかと思って笑った。 ただ細かい点は別として全体の流れはわかりやすいので、超自然的要素を含んだ復讐譚として見れば問題ないと思われる。抗議のデモンストレーションの声や音がずっと背景で聞こえていたのがこの映画ならではの雰囲気を出していた。 実態としてはホラーというより中米グアテマラの社会批判の映画であって、監督インタビューによれば「差別」をテーマに撮ってきた三連作の最後とのことである。今回は先住民と女性に対する差別とともに「共産主義者」というレッテル貼りのようなもの?も差別の一環として捉えたようで、前に見た「火の山のマリア」(2015)よりも敵を絞った形になっている。 題材としては1980年代にあった先住民の大虐殺(Guatemalan genocide)を取り上げているが、その責任者という設定の劇中将軍には明らかなモデルの人物がいたらしい。実際にその人物は2013年に裁判で有罪になったが憲法裁判所により判決が無効にされ、その後2018年になって死去したそうで、制作時点からみてごく最近の話だったことになる。 監督インタビューによれば(大意)いまのグアテマラでは過去を忘れて楽観的になりたがる風潮があり、さらに虐殺の存在まで否定する声も出てきていて、これに危惧を覚えたのが制作の動機になったというような話だった。それ自体はわかるとしても、しかし最近死去したばかりの人物をネタにして呪いの映画を作るのでは生々しすぎて、現地事情に通じていない他国民としては引いてしまうというしかない。 なお現実の大虐殺の背景にはCIAがいたとかいう話はこの映画では出なかったが、そういう巨悪にまでは呪いが及ばないのは空しさを感じさせるともいえる。 ほか題名のヨローナは、エンディングテーマの歌ではジョローナと発音していたようだった。これは一般的には「泣き虫」「やたらに泣いてみせる人」という単語の女性形らしいが、定冠詞つきで「ラ・ヨローナ」といえばこの映画のように、中米から南米北部にかけて広く語られる伝承のキャラクターということになる。ちなみに実際に虐殺が行われた村の名前でLa Lloronaというのもあったようだが、この映画でそういうことまで意識していたかはわからない。[インターネット(字幕)] 5点(2023-07-22 10:18:40)《改行有》

563.  火の山のマリア 《ネタバレ》 動物を殺す場面があるので要注意である。火山の雄大な風景などはそれほど期待できない。 中米グアテマラの映画とのことで、そんな国はどこにあるのかという感じだが、最近は台湾との関係で日本国内の報道でも名前が出ることがある。かつてマヤ文明の担い手だった民族が先住民として暮らす国であり、この映画も主要人物はマヤ人、台詞もほとんどマヤ語族の言語が使われている。 単純に見た限りでは、先住民の現況を淡々と描写した映画なのかと思った。先住民の社会的地位は低いようだが、その先住民自体もまだこんな生活習慣を維持しているのかということもあり、今後もっと暮らしを向上していける余地が大きいとは見える(まずは義務教育から)。失われた子がアメリカで生きているという発想は、現実の不法移民でも子どもだけ送り出す例が多くなっていることを思い出した。 主人公個人の物語としては、火山の向こうの楽園に憧れていたが裏切られ、できてしまった子を楽園(いわば天国)に送り出したところで観念して、仕方なく現実世界に回帰したという印象だった。妊娠によって火山の力を体内に宿したと思ったエピソードはどういう意味だったのか不明だが、またそのうち妊娠すれば再度火山の力を得られるはずということで、とりあえず父親が誰かは関係なく、要は母のたどった道を行くということかも知れない。 最後はエスニック調のエンディングテーマ(BOLERO DE IXCANULという曲らしい)が意外にのどかな雰囲気で、貧しく苦しいが淡々と次代に生命をつなぐ人々という印象を出していた。 ところで終盤の展開はよくわからなかったが、外部情報によれば実は子どもの人身売買を扱った映画だったとのことで、自分としてはそこまで考えていなかったのでかなり意外だった。日本では前の戦争で骨壺に石が入っていたという話があるので、棺に煉瓦が入っていても何か事情があるのだろう程度にしか思わなかった。騙し打ちをくらったようで気分が悪い。 確かに歴史的には養子縁組の形で児童の人身売買が盛んに行われてきた国ではあったようだが、この映画のように出産前の胎児を奪うのは全く別物としか思えない。これはもしかするとアメリカで2015年に問題化した中絶胎児組織の売買のようなことを、グアテマラでは本人の同意なく行っているとの問題提起ということか。そうだとすれば、序盤で動物を殺す(切り裂く)場面も胎児の処置を思わせるといえなくはなく、かなり嫌なイメージを残す映画ということになってしまった。 ちなみに各種の社会悪を告発しようとする映画という前提で見れば、要は「先住民の」「女性」以外は全部悪と思っておけばいいようではあった。そういう点を評価したい人々には素材を提供している。[インターネット(字幕)] 5点(2023-07-22 10:18:38)《改行有》

564.  DAICON FILM版 帰ってきたウルトラマン マットアロー1号発進命令 《ネタバレ》 今は有名になった庵野秀明氏が若い頃に関わった自主製作映画とのことで、現在は「シン・ウルトラマン」(2022)とともにアマゾン・プライムビデオで配信されている。映画というよりTVの30分番組の作りになっていて、中間あたりにCMの切れ目が入れてある。 基本的にはかなりまともな特撮怪獣物で、防衛基地の内部や装備品や街の建物などは、自主製作のミニチュア特撮としては信じられないほどよくできている。怪獣の着ぐるみもちゃんと作ってあり、顔の造作や唾液が糸を引くのが使徒を思わせる。怪獣の名前が「…エル」なのも天使イメージで使徒っぽいが、これは別の語源解説が付いているらしい。 背景音楽も昔のTV番組で聞き覚えのあるものを多用している。BGMの使い方として、TV番組では登場人物の私的ドラマで使われていたM27が、今作ではマットアローの発進場面にまで流れていたのは新鮮だったが、これは全体がハードな展開のため人間ドラマ限定の箇所がないからというだけかも知れない。 しかしどうしても突っ込みたくなるのはウルトラマンが本体・服装とも地球人仕様なことである。別に宇宙人が宇宙人顔である必然性はないにしても、全体として生真面目な作りなのにここだけギャグなのは変だろうが、これは学生時代からのシリーズとして外せない趣向だったということか。ウルトラマン以外はユーモラスな部分がないのは無味乾燥なようだが、終幕時の「こいつう!」(笑)はツボを押さえていたとはいえる。 物語について、市街地へ殊更に容赦ない攻撃が行われる展開だったのは、昭和(戦後)的にいえば一般民衆を顧みない軍組織への反感ということになるだろうが、しかしもう少し素朴な感覚でいえば、こういう怪獣モノで平気で街を壊すことへの微妙な反発の表われとも取れる。ガキの頃なら何とも思わなくても20代にもなれば、たとえ怪獣を倒すためとはいえ街が壊されれば人も死ぬだろうからまずくないか、という方向に意識が向くのは自然なことである。劇中現場がビル街ではなく住宅地が中心だったのも、一般の人々が現に住む場所が無惨に破壊されることへの心の痛みの表現といえる。 また人間ドラマに関しては、情を殺して義を立てるのを美徳とする戦前世代の硬直性や権威主義に対して、別に情を殺すこと自体に価値があるわけでもなく、誰も泣かずに済む方法を柔軟に考えるべきではないのか、と逆らってみせたのかと思った。ただし現実問題として人間にできることには限界があり、今回はウルトラマンの力を借りて最悪の事態は免れたものの、仲間1人が助かっただけでハッピーエンドともいえず、戦いで多くの人命が失われたことへの悔いは残った、ということかも知れない。当時の既成秩序や現実の中で苦闘する若い世代の姿を描写しているようではあった。 そのほか出演者の演技についてはコメントしないものとして、登場人物では隊長(年齢不詳)の顔の張り具合が北の最高指導者のようで、当時の日本人の栄養状態が良好だったことを思わせた。また防衛組織にちゃんと女性隊員がいて、防衛隊員らしい発声をしていたのは心地いい。一瞬だったが振り向いて「ウルトラマンです」と言った女性隊員は「新世紀エヴァンゲリオン」の伊吹マヤさんを思わせた。[インターネット(邦画)] 5点(2023-07-08 15:21:24)《改行有》

565.  シークレット・マツシタ/怨霊屋敷 《ネタバレ》 「戦慄の日系ペルー・ホラー」などと書かれると見ないわけにはいかなくなる。「おぞましき日本の呪い」(笑)にもそそられる。配給は一部で有名なオカルトメディアTOCANAとのことで、松下さんは鑑賞無料にしたという適当なノリも悪くない。内容としてはペルーの著名な心霊スポットを扱っていて、ホラー映画というより怪談話や都市伝説の愛好者に受けそうな映画になっている。 所在地は、首都リマの歴史地区から少し外れているが都心部の目立つ場所にあり、Googleマップでみると「Casa Matusita/お化け屋敷/24時間営業」と表示されてクチコミが書き込まれている。当時の外観は映像に出ていた通りとして、内部の撮影はどこでしたのかわからないが、2階の窓から旧アメリカ大使館を映した場面は、実際に現地からならこう見えるだろうという映像になっていた。 外部情報によれば、この場所にあった日系人の会社は1950年代から2005年まで1階を借りていただけらしく、2016年には老朽化のため2階を取り壊した上で全体の改修工事をしたとのことである。現地報道によれば、本当の所有者としてはこの映画などの公開のせいで、根拠のない噂話がますます勢いづくことに嫌気がさしていたようだった。 ちなみに序盤で出ていた精神病院は都心部から南西5kmくらいの海際にある国立病院で、松下邸とは直接関係ない。ここに関わる有名な都市伝説というのはラルコ・エレーラの幽霊の女性(La mujer fantasma del Larco Herrera)というものと思われる。 物語に関して、予告編では「これは実話です。」とされているが、劇中の具体的な出来事に関してはウソに決まっている。ただし導入部のインタビューでは実際の都市伝説を結構まともに解説していて、細部はともかくこういう都市伝説が存在することは事実である。ここに出ていた人々のうち、Percy Taira(ジャーナリスト・ライター・詩人、YouTubeチャンネルあり)とFernando Vivas(ジャーナリスト・政治アナリスト)は実在のペルー人だというのが現実感を出している。 劇中人物が撮っていたのは卒業制作とのことだが、性質としては日本にもあった心霊番組の特集で、霊能者とともに現地取材して適当に騒いで帰るようなものを想定したと思われる。ホラーとして見れば取ってつけたような和風要素はあるにしても、基本は洋モノ風の物理的なドタバタが多く独創性もあまり感じない。しかし全体的な企画としての面白味は感じられたので、結果的にそれほど悪くは思わなかった。正直嫌いでない。 [参考]エンディングの曲が気になったので本気になって調べると、和楽器の音楽ユニット「びかむ(ビカム)」が2004年に出した「今は昔、~竹取物語~」というアルバムの曲であり、「果てしなき我が問いは…」は「月白み」、「屋根に千人、築地に千人…」は「その日、月輝き」から採っている。かぐや姫と帝の恋を中心に描いた作品とのことで、こんな迷惑系突撃ホラーにはもったいないまともな音楽なので紹介しておく。[インターネット(字幕)] 5点(2023-06-24 11:22:59)《改行有》

566.  悲しみのミルク 《ネタバレ》 原題の「La teta asustada」は直訳すると「脅える乳房(乳首)」になるらしい。しかしあからさまにオッパイでもなく授乳のことだろうから、英題でmilkとしたのはわかる。スペイン語の解説を見ると、この言葉は劇中で語られる病気の名前そのもののようで、確かに台詞でも病気に関してこの言葉を使っていたようだった。日本向けの翻訳では、同じ言葉について題名と病気で違う表現をしていたことになる。 劇中年代については明示されないが、「テロの時代」に生まれた主演女優(女性俳優)が実年齢そのままの役を演じているということは、制作当時のペルーの現在を扱っていたことになる。この映画より前の2003年には、政府の調査機関が「テロの時代」の暴力や虐殺に関する報告書を出したとのことで、その内容をもとにしてこの問題に目を向けようとした映画だったのかも知れない。 自分としては主人公個人の問題に直接共感はできないが、少し離れた視点からみれば娘が母親の束縛から逃れ、新しい世界へ踏み出していく物語になっている。主人公の周辺では、貧しそうだが普通の幸せのある(=笑いがある、慶事もある)庶民が暮らしていて、「テロの時代」は一応過去のものになったように見える。しかしほんの少し前の社会に深く刻まれた傷はまだ残っていて、その傷が徐々に癒えていく過程の一場面だったのかも知れない。ほかに人種と階層差など社会に対立の根はまだあるかも知れないが、そこまで視野を広げようとしても何ともいえない。 なお最後に主人公が海へ行ったのは、棺桶屋で見た「平和を望む人用」が気に入っていたのだと思われる。重荷を下ろした解放感が出ていた。 その他雑記として、撮影場所は基本的に首都リマだろうが、最初の方で草木のない丘陵に家々が散らばる風景が見えたのは強烈な印象だった。こういう場所はリマ周縁部では珍しくないようだが、わざわざ高い場所に登って家を建てようとするのはインカ帝国時代の名残なのか。 また主人公がもといた村で塀沿いに歩いていたというのは銃撃を避けるためかと思ったが、そこで字幕に出ていた「浮遊霊」とは何のことだったのか。例えばアンデス地方で伝説的に語られてきた怪人で、人間の脂肪を抜いて死なせる「ピシュタコ」というのがいて、監督の伯父(ノーベル賞作家)の小説にも出るらしいので、そのことを言っていたのであれば兄がやせ細って死んだという話には合う。しかし原語の台詞の中からそれらしい言葉は聞き取れず(pishtaco、nakaqなど)、結局わからないまま終わった。外国映画は難しい。[DVD(字幕)] 5点(2023-06-24 11:22:57)《改行有》

567.  富士五湖奇譚 呻母村 《ネタバレ》 最初に書いておくが他人にはお勧めしない。 まず題名の村の名前がウソくさいが、これはエンドロールにロケーション協力として出る「梅久保集落」が実際の地名であって、劇中で「神社みたいな」と言われていた鈴鹿神社はストリートビューでも確認できる。ここは地元自治体の公式サイトで「ゆず」(柚子)の産地と書かれていて廃村でもないらしいが、すぐ隣の地区に似たような立地で廃墟になった集落があり(恐らく両久保/もろくぼ)、撮影はここでしたか、あるいは周辺の別の廃村でしたのかも知れない。映画紹介に出ているようにこの付近には廃村が何か所もあるようで、その方面の愛好者が写真や動画をwebに上げている。 なお監督は「制作」に名前の出ている映像制作会社の代表をしているが、2023.1.14の山梨日日新聞に山梨県出身者として紹介されていたりして、自分の地元で撮ったご当地映画という意味もあるようだった。 内容は4エピソードで構成され、EP1~3の各登場人物がそれぞれ別の形で廃村の呪いに関わることになる。それぞれの人格に対応して、バカは死のうがどうなろうが勝手にしろ/人生をかけた戦いが悲壮だ/この人が呪われたらかわいそうだ、と思わせることで変化を出している。 【EP1】突撃ユーチューバーらしく世界を舐めてかかっているが、「心霊現象なんてそうは起こらない」というのは実際そうともいえる。 【EP2】霊媒師の話が現代史の流れを感じさせる。「自粛」というのはオウム真理教事件の影響でそうなったと言いたいのか。また2001.9.11の事件に関連して「世の中から取り残されてるって気がして」というのは、同じ体験があるわけでもないが少し心に染みる述懐だった。 【EP3】インスタグラマーのようで、突撃ユーチューバーより清潔感がある。不謹慎系なようでも本心は別のところにあり、ジャーナリズムの本質にも通じる思いを真面目に語る人だった。別の目的でたまたま廃村に行きついただけなので、この人には生きてもらわなければ困る。 【EP4】よくわからない締め方だが、EP1のバカが原因で不幸の手紙的な呪いが世間に放たれたという意味か。 個人的な感覚では、一般的なホラー映画というより実話怪談集のようなものかと思った。実話怪談集では関係ありそうな話を複数集め、その背景に何かが存在すると思わせて恐怖感を出す趣向があるが、この映画も似た感じになっている。また関わった者の顛末が一様でなく因果関係もはっきりせず、理屈で割り切りにくいというのも現実味のある(または、そんなものは偶然だと言われて終わりになりそうな)実話らしい表現といえる。これと似た感じのものとしては「残穢」があるが(映画よりも小説の方)、この映画はそれを安上がりかつフェイクドキュメンタリー風に撮ったものとして理解できる。 実話怪談集と違うのは、当然ながら実話とは称しておらず明らかにフィクションであること、及び各エピソードが冗長に見えることだが、これは実話怪談でいえば話者の体験談を未編集で掲載したようなもので、実際に素人が撮った動画はそんなものということではある。ただし4エピソード中で最もバカっぽいEP1の時間が最長(23分半)なのはさすがにマイナス要因である。 なお出演者のうちEP3の人物役は瀬田佳奈子という人で、以前は妹田佳奈子の名前で「ダンスウィズミー」(2019)にも出ていたらしい。宣材写真はとぼけた顔で写っているが、動いているのを見ると目がくりっとした可愛い人で、自撮りでずっと顔が映っているので和まされる。そういう面でも悪くない映画だった。[インターネット(邦画)] 5点(2023-06-17 10:44:49)《改行有》

568.  ヘレディタリー 継承 《ネタバレ》 撮影場所はユタ州だそうである。ゲゲゲハウスのようなのが目を引くが、こういうのを好んで作る人々も実際にいるらしい。 ホラーとしての見た目でいえば、大して怖くないが雰囲気は悪くない。序盤では、まずは祖母の遺影が生きているかのような気色悪さを出していた。またその後に部屋に出て来た姿が二次元的に見えたのは、いわゆる霊感のある人々の話でもそのように表現したものがあるので現実味があった。背景音や音楽でも凄味を出している。 個別の場面では、兄が「大丈夫だ」(字幕)と言ったので、大丈夫でないだろうがと思ったがなぜかそのまま帰って来てしまい、朝になってから母親がギャーと叫んだのがなかなか衝撃的だった。頭部をおいて来たのはさすがにまずい。 ドラマとしてはあまり印象に残るものがない。家族関係ではこれまでいろいろ確執があったようだが、そもそも特殊な家庭のようなのであまり突っ込む気にならない。家族のうち本当の重要人物は誰かをめぐるサスペンスという面もあったかも知れないが、別にどうでもいいので勝手にしろと思って終わりだった。 また家系に関わる心霊物かと思っていたら、結局最後はカルト教団の話になっていたのは残念感がある。古代からの由緒正しい悪魔らしいが西洋世界限定のものにしか思われず、また教団も地方のマイナーな集まりのようで、ここから世界支配を企むといった大がかりな展開になりそうもない。現に自分のいる世界との接点がないので身辺に迫る怖さを感じない。 これでアメリカ人がどう思ったかわからないが、少なくとも自分としては人類普遍のものが表現されているとは見えなかった。 なお母親の作っていたミニチュアは少し興味深いところがある。建築模型でなくドールハウスという言い方になるようだが、ギャラリーで個展をするくらいなのでアート作品として作者の精神世界を表現し、見る人を引き込む力があるものだったらしい。制作の動機としては、自分にとって好ましいとも限らない周囲の世界をミニチュアにして受け入れて、自分のものにしたい(支配したい?)という欲求があったというようなことか。よくわからないがその心理は知りたいと思った。 この家系はこれまで精神面でいろいろ問題が生じていたようだが、その精神性を芸術性に転化して社会生活に生かすことができていたと思えば、今回の件でそれが断たれてしまったのは残念ということにはなる。娘にも素質はあったらしい。[インターネット(字幕)] 5点(2023-06-10 10:00:07)《改行有》

569.  哭声/コクソン 《ネタバレ》 ソウルなどの大都会ではない地方の町や集落、森林や山の風景が美的に映像化されている。場所は実在の全羅南道谷城郡とのことで、郡内に「谷城邑」という町があり、その町の中に谷城警察署(中央路161)や谷城愛病院(谷城路761)というのもある(派出所は不明)。 ホラーとして終始不穏な雰囲気は出ているが、特に前半では娯楽映画に不可欠な?コメディ要素がちゃんとくるめてあるのが可笑しい。登場人物では「目撃者」がなかなかいい感じで、石を投げて来る場面は好きだ。また祈祷師の儀式はダイナミックで迫力があったが、その後のゾンビは出ない方がよかった。 物語としては何が起きていたのかわからない。世評によるとキリスト教の知識がなければ気づかないことが多いようで、基本は間口の狭い映画ということになるか。自分としては手の穴くらいはわかったが、「ヨブ記」についてはアメリカのホラー映画で出ていたにもかかわらず、そこまで頭が回らなかった。 宗教関係には突っ込まないとして、一つ思ったのは一連の事件が登場人物のうちの誰かのせいだと思い込んでいていいのかということだった。王朝時代の宮廷で呪いのかけ合いをしている状況ならともかく、現代の祈祷師でも病気平癒などの祈願をする際に、近隣の誰かが絶対呪いをかけているとまでは思わないのではないか。表面的な事象だけでなく、背景に何らかの動きがあるとすればそれも含めた全体像を捉えなければまともな答えは出ない気がする。 しかし一般論としてはそのように思っても結局何もわからないので、邦画によくあった独りよがりな難解ホラーのようなものと思って投げてしまいたくなる。監督はこの映画が「混沌、混乱、疑惑」を描写していると言ったらしいがそれでわかった気になるわけでもなく、残念ながら個人的には見えないものの多い世界が映されていたと思うしかない。全体的な印象は決して悪くなかったが、結果として好意的な評価はできない映画だった。残念だ。 なお一連の事件を全部キノコのせいだったことにしてしまうと映画にならないわけだが、これが現実世界の話ならそれだけで全部説明がつく(つけられてしまう)とはいえる。この映画に関して、自分は報道だけ見てキノコは危ないと思っていた現実世界の人間の立場だったと思っておく。[インターネット(字幕)] 5点(2023-05-20 10:57:06)《改行有》

570.  紅い服の少女 第二章 真実 《ネタバレ》 前回は「魔神仔」を扱った妖怪映画のようだったが、今回は都市伝説としての「紅い服の少女」の正体を本格的に解明する話を作っている。この映画では都市伝説の解釈のうち、山の魔物というより身代わりを探す幽霊という説を採ったようで、邪悪なコダマのようなのがもとから山にいた連中、少女とガは90年代に発生したものとして整理したように見える。場所も台北から台中に移し、都市伝説の発祥地や実際にある「卡多里遊樂園」などの廃墟も使ったご当地映画ができている。 目新しいものとしては「俯身葬」というのが出ていたが、これはどうも考古学上の概念を適当に使っただけらしい。また新登場の道教寺院や「虎爺」は次の第3作にもつながっていくものだが、今回あまり決定的な役割を果たすことなく終わったようで、この段階でこの要素を盛り込んだ意味が不明な気もした。 ドラマに関しては、主要人物の数が多いので混乱させられるが最後はちゃんと決着がつく。今回はラストで笑わせる場面もあり、脅威はまだ残るといいながらも一応さっぱり終わる形になっていた。少なくとも当面は、新生児は若い男に守られていくことになる。 具体的な場面では、若い男のトラ歩きやCGのトラ造形がちょっとどうかと思うのはまあいいとして、勅令女と少女の対決場面はなかなか迫力があった。額に御札を貼ればいいのかと思ったらそれほど簡単ではないらしい。また前回主人公は眉毛が抜けるほど壮絶な体験をしたと思わせるのが恐ろしい。 ところで可愛く見える主人公と、中学生くらいに見える高校生(高中生)が親子だったというのは序盤でいきなりのサプライズだが、その事情に関しては終盤で説明がある。当然ながら産む/産まないの選択はありうるわけだが、産む選択をしたのであればその結果は尊重されなければならない。また自らこの親を選んで生まれてきたとあえて信じることで、親を含めた自分の生を全肯定するというのも、人が前向きに生きるためにはありうることと思われる。 結果的には人の生命を次代に引き継いで、またその引き継がれた生命をさらに次代に引き継ぐことで、人が未来に生命をつないでいくことを肯定した映画に思われた。自分としては若干感動的だと思ったが、しかし2023年現在の感覚では、これがすでに古き良き時代の価値観でしかないと感じられるほど社会情勢が変化している気はする(少子化は止まらない)。[インターネット(字幕)] 5点(2023-05-06 14:14:06)《改行有》

571.  紅い服の少女 第一章 神隠し 《ネタバレ》 題名は1998年のTV番組から生まれた都市伝説の名前だが、内容としては冒頭に説明が出ていた「魔神仔」に関する妖怪談のようなものになっている。これは台湾や福建などに昔からいたサルとか子どもの姿の精霊または幽霊で、山中に入った人を迷子にさせるものらしい。映像中に見えたweb百科事典には日本の伝説でいう「神隠し」に類似すると書いてあるが(要は中文Wikipediaからの転用)、現実に2013年に日本人観光客(当時78歳)が行方不明になり、数日後に無傷で発見された件に関しても、現地では魔神仔の仕業ではないかと噂になったとのことだった。 実際は人が死ぬほどのことはあまりないようだが、食事と思っていたら昆虫や糞便を食わされていたというような、日本でいえば狐狸の類に化かされたような話もある。対策としては爆竹が効果的とのことで、劇中では発煙筒も代用できることになっていたが、本来は光より騒音の方を嫌うものらしい。爆竹の本来の用途が賑やかしというより邪気払いだったことが知れる。 映画では、山中にいるはずのものが台北市内にも出現して、都市部を舞台にした心霊ホラー的な雰囲気も出している。「山が開発され居場所を失った魔神仔が山を下りて来た」という発言があったが、台北は山地に接しているからそういう発想にもなるわけで、日本なら札幌市内(南区など)にクマが出るようなものかと思った。 やたらに出ていたガに関しては、字幕の「クロメンガタスズメ」だとすると特に珍しくない実在の種ということになる。「羊たちの沈黙」に合わせたのかも知れないが、映像に出ていた名前は「紅翼鬼臉天蛾」だったので、架空の種と解して「アカメンガタスズメ」とでもした方がよかったのではないか。メンガタスズメ属は背中に人の顔の模様があって「人面天蛾」(=人面スズメガ)とも言われていて、ここからシリーズ第3作の「人面魚」につながったらしい。 終盤は山中に出向いての決戦となるが、ほかに家族に関わる人間ドラマもできていて、一応各種の趣向を盛り込んだ娯楽映画にはなっている。なお現実と夢が突然交代するのは少し嫌な感じだった。 ところで最近は世界的に昆虫食が注目されているが、映画のラストでは家族で夕食をとる場面があり、もしかしてこれは知らない間に昆虫を食わされているのではないかとの不安感があった(食い物がみな昆虫に見える)。その不安感を次の第2作につなぐ形になっている。[インターネット(字幕)] 5点(2023-05-06 14:14:03)《改行有》

572.  戦争と女の顔 《ネタバレ》 第二次世界大戦に参加したソビエト連邦の従軍女性の証言集を「原案」としているが、具体的に誰かの証言を題材にしたわけではなく独自の話を作っている。もとの証言集は主に戦争中の話であり、まだ検閲のある時代に発表されたこともあって悪いことばかりが書かれているわけでもないが、この映画では戦後を対象にして負の側面に集中した形になっている。 映画全体としての主張はよくわからない。もとの証言集の題名と映画の邦題の印象からすれば、要は戦争が悪い、戦争を起こす男が悪いと言いたそうではあるが、確かに戦争が原因で多くの人々が苦しんでいるのはわかるとして、少なくとも加害者と被害者を性別で分けているようには見えない。 しかし、両性一組を中心とするのが本来の家族という保守的な考え方を前提にすれば、劇中女性が戦争のせいで本来の家族を実現できなくなったのが不幸だったとはいえる。さらに死んだ負傷兵のように多くの家庭が破壊されたことに関して、要は全部戦争が悪いのだ、という言い方をするなら比較的納得しやすい解釈にはなる。そのように考えれば戦争と女性というより戦争と家族の映画なのかとは思った。爺さん連中も家族を欲していたらしい。 一方で、主人公と戦友の間に同性愛的な関係が見えるのは理解が難しい。主人公の名前が「スミレ」の意味だというのは、現実にスミレが同性愛の女性をイメージさせる花として扱われてきたことが背景にあると思われる。もう一人の主人公である戦友に関しては、もともと上昇志向や支配欲が強く、自ら戦って勝ち取るタイプの人物だったのではないか。いわば主人公が娘役、戦友が男役であって、女性性と男性性の違いを身体的な性別とは別物として描写していたように見える。色ではこれを緑と赤で表現していたのかも知れないが、ただ終盤では逆転していたようでもあって固定的なものではなかったらしい。 最終的な2人の状態は、現代でいえば同性愛カップルが子を迎えて家族を作ろうとする姿のようで、現代の西欧リベラル的な価値観からすればこれ自体は悪いとはいえない。例えば主人公が提案していたように、孤児を養子にすれば家族が作れる希望はあるわけで、その上で身体的な性別にこだわらず、家族内で女性性と男性性の役割分担をすればいい、と提案している映画なのかも知れないが、ラストの場面でそういうことまで見通していたかどうかは何ともいえない。いろいろ難しいことが多いので、自分としてはここまでだということにしておく。 その他雑記として、共同浴場の場面は日本でいえば「夕凪の街 桜の国」の銭湯を思わせた。 また、もとの証言集ではネコがいてこそ「本物の家」だという話があった(岩波現代文庫P435)ので、この映画の2人もまずはネコと同居することから考えればいいのではないか。レニングラードでは犬だけでなくネコも食われていなくなっていたかも知れないが。[インターネット(字幕)] 5点(2023-04-29 13:50:25)《改行有》

573.  ある娼婦の贖罪 《ネタバレ》 南米エクアドルの映画である。監督が同国の出身で、キャストは娼婦役が隣国コロンビア、相手の男役はボリビアの出身だが、ほかに地元の役者も出ているようだった。外部情報によると場所は首都キトとのことで、高地の街(標高2,850m)であることを思わせる映像も見えた。なお最初に起きていた地震というのは、エスメラルダス県やマナビ県で被害を出した「エクアドル地震」(2016)のことかと思われる。 テーマに関して、日本国内向けの宣伝では「性的搾取」として一般化した印象だが、特にこの映画が焦点を当てていたのは人身の拘束を伴う「性的奴隷」(esclavitud sexual / sexual slavery)の問題だったらしい。多くは人身売買や誘拐によるものらしく、具体的な場面はあまり出なかったが、被災地からの孤児の誘拐というのはストーリーの根幹にも関わっていた。これは他の国の話としても聞いたことがあり、決してエクアドルだけの問題とはいえない。 普通に映画として見た場合、エロい場面もなくはないがそれほどではなく、また「性的搾取」に関しても、良識ある人間が見て嫌悪を催すほどのショッキングな映像はない。物語の面では、最初から結末が見えているとまでは言わないが、普通に想像可能な範囲の(少し無理を通した形の)終幕になっている。主人公本人は罪深い人間とも思えないので邦題の「贖罪」は意味不明のようだが、「江戸の敵を長崎で討つ」的な雰囲気表現だったかも知れない。 ジャンルにある「ドラマ」「サスペンス」「エロティック」という面で十分かどうかは不明だが、特に上記esclavitud sexualを告発する社会派映画として見るべきものかと思った。 なお映画の撮影は2017年とのことだが、娼婦役のNoëlle Schönwaldという人は1970年生まれだそうである。もともと美形の人であって、劇中人物としてもまだ美貌を保って愛嬌のある表情も見せていたが、営業面ではさすがに厳しい雰囲気もあり、そのうちどうにもならなくなる行き詰まり感も出していた。ラストがこの人物なりの幕引きになったというのはわからなくはない。 ほかどうでもいいことだが原題に関して、"La mala noche"とは(特定の)「悪い夜」(単数)の意味だが、これは字幕の「店には行かない」という言葉やエンドクレジットの表示からしてポールダンサーのいた店の名前だったらしい。この映画以外では、18世紀のメキシコの鉱山名(転じて鉱山主の邸宅名)や米TVドラマのマフィア組織の名前にもマラノーチェという言葉が使われているが、どういうイメージを持たれている言葉なのかが結局わからず、映画の題名に込めたニュアンスも受け取れなかった。少し突っ込んで調べても結果が出なかったのは心残りだ。[インターネット(字幕)] 5点(2023-04-08 09:39:24)《改行有》

574.  PLAN 75 《ネタバレ》 邦画のようだが製作国が多く(フランス・フィリピン・カタール)変にグローバルな印象を出している。個人的な感覚としては、この映画の公開年と同じ2022年の世界を扱った「ソイレント・グリーン」(1973年米)の現代版かと思わされる映画だった。 劇中世界はよそよそしいが平穏な普通の日本社会であって、その中に違和感なく自然に尊厳死制度がはまり込んでいる。制度は完全な自由意思によるもののようで、そのことが富裕層など死ぬ事情のない人々が平気で生きていられる保証になっていると思われる。 高齢者へのあからさまな迫害などは意外に見られず、登場する若年者は良心的で、ボウリング場の若い連中までもが友好的だった。これは制度の導入によって高齢層への反感が解消され、世代・年代間の対立のない世界が実現したとの意味かも知れない。 また関連ビジネスで1兆円の経済効果というのは現代らしい発想だった。満足できるサービスを得るには費用がかかるにしても、産廃業者でよければ無料というのはソイレント・グリーン的な雰囲気も出している。ほかに生活保護制度も利用可能のようだったが、それはそれで貧困ビジネスの商売ネタにされるようで、そうならなくて済むのもこの制度の利点ということか。 なお現代日本は外圧には弱いが自分からは何もしない国とのイメージがあったので、この映画のような思い切った政策を自ら発案して実行するなど全く考えられないと思ったが、しかし何かの理由で世界の先頭切ってやらかすこともなくはないという気はしてきている(最近は常識外れのことが普通に起きる)。世間の風潮に素直に従う日本人は人類社会のモデルケースになれるかも知れない。 ところで困ったのは、どういうメッセージをこの映画から受け取ればいいのかわからないことである。都合よく人を死なせる制度に反発するのは人として自然な反応だろうが、それにしても劇中設定がうまく出来すぎていないか。自分がすでに高齢者に近づいて来た状況では、このまま生きているよりさっさと死んだ方がいい、と思わされたというのが正直なところだった。 製作側の真意はわからないが(公式サイトは一応見たが)こんな世界にしてはならないというよりは、逆にこんな世界の現実化を前提にした下地づくりが目的のようでもある。日本政府も国際社会も各種メディア(映画を含む)も何も信用できない世の中と思えば、とても素直に見る気にならない映画だった。点数はどっちつかずの数字にしておく。 [追記] 上記で終わりにするかと思ったが気分的に収まらないのでさらに書いておく。 まず、どんな人にもそれぞれ来歴や思いがあるのは相応の年齢になれば誰にでもわかる当然のことである。少なくとも自分にとってはわざわざ映画で見せてもらうようなことではないが、そこをこの映画であえて強調していたのは、やはりそういうことにまだ意識が向いていない若年層へのアピールということになるか。近い将来、この映画のように尊厳死を選ぶ高齢者がいたときに、やっと死ぬのかさっさと死ね、といった罵詈雑言を背後から浴びせるようなことをせず、みなそれぞれに人生があったのだから敬意をもって送り出しましょう、と言いたいのだとすれば、やはり年代間で理解し合える円満な社会を志向した映画と取れなくはない。大変良心的だ。 結果的に劇中高齢者は同情すべきかわいそうな存在という扱いになっていたが、個人的には高齢になった自分の姿に悲哀など感じてもらいたくはない。憐れまれるより死ねと言われる方がまだましだ(勝手にさっさと死ぬ)。それこそ尊厳の問題だ。[インターネット(邦画)] 5点(2023-04-01 08:49:29)(良:1票) 《改行有》

575.  竜とそばかすの姫 《ネタバレ》 仮想空間と田舎を対比させているのは「サマーウォーズ」の系列作に見える。仮想空間には警察がいないそうだが、どうせ運営側が直接統制をかけるだろうがと思えばそういうことでもなく、これはいわゆるweb3.0か何かで誰にも支配されない世界が実現しているという設定か。50億の集合意識で本当に価値あるものが自ずと見出されていくという都合のいい展開は、監督が基本的なところでインターネット空間の発展に期待を寄せているという意味かも知れない。 また本物の顔を見せてこそ信頼が生まれるという考え方はわからなくはない。本人似のアバターを提案する方式も人格的なつながりを持たせる意図のようで、またSNSと紐づけ可能という設定からも、完全に別人格になれるメタバースというよりは実名登録で写真付きというフェイスブックの原点を忘れるなというようでもある。「新しい人生を始めよう」という言葉は、新たに見出された可能性を仮想空間内で完結させず、現実世界に持ち帰った上で新しい人生を自分で作っていけという意味かと思った。仮想空間の映像表現を売りにしながらも、「サマーウォーズ」と同様に現実世界とのつながりを意識していたようではある。 ところで素人が水難救助をしようとすると、結果として助けようとした方が亡くなってしまうことが現実に多い気がする。そういう時は無理せず公的機関に通報する一方、自分は安全な場所から助ける努力をするのが適切だろうが、しかしそれでも主人公の母が自分で助けに行ったのは、理性的判断というよりそうせずに済ませられない性のようなものがあったのか。まさにその点を主人公が受け継いだのだとすれば、そういう理屈抜きの衝動にそのまま共感できるかどうかがこの映画の評価を分けるかも知れない。主人公の方は今回たまたまいい結果を出せたということらしい。 全体的にみて、作り手側の思い優先で現実性度外視のところが多いのは作家性の強さと取るべきか。またそれとは別に、映像で観客の感情を動かす力を持った映画だとは思った。点数は作中の"半分が批判、半分が評価"というのを一人分の数字に反映させておく。 なお今回は少女の大泣きは控え目だった。主人公は「こんなに普通の子だったなんて」と言われていたが、普通未満と思われなくてよかったともいえる。仮想空間はとても人とは思えない連中だらけで、主人公がちゃんと歌姫の姿をしていたのはかえって特異なようでもあった。[インターネット(邦画)] 5点(2023-02-25 09:16:26)(良:1票) 《改行有》

576.  グラウンドブレイク 都市壊滅 《ネタバレ》 1988年のアルメニア大地震を扱った映画である。ソビエト連邦解体の3年前なので、当時まだアルメニア・ソビエト社会主義共和国といっていたわけだが特にソビエト色もなく、かえって時代は変わってきているとの雰囲気を若干出していた。 主なスタッフやプロデューサーはアルメニア出身者が中心で、劇中人物と演者もアルメニア人が多かったようだが、出所した男の一家4人はロシア人だったらしい(演者もロシア出身)。また主人公が助けた女性もロシア人だったようで、劇中の人間関係の変化でアルメニア人とロシア人の融和を表現していたようだった。 地震の被害はほとんど建物の倒壊によるもののようだったが、そもそも設計・施工の面で壊れやすくできた建物だらけだったらしい。ネズミがわずかな予兆になって突然地震が起きて、いきなりそこら中が瓦礫の山になったのは驚きがあったといえなくもない。病院が一瞬で潰れる場面があったが、現実にも病院の倒壊で医療関係者や機器類の被害が大きかったとのことだった。 ドラマとしては、感傷的で軽薄な音楽がうるさいのでTVドラマかと思うところもあるが、震災の悲劇をきっかけとした和解と再出発の物語は一応できている。親を亡くした子どもがいたが、最後のテロップで孤児はみな引き取り手がみつかったという話に結び付けていたのは悪くない。またエンディングで記録写真らしいものと劇中映像を並べて見せていたので、残された記録写真の映像化ということを意識していたかも知れない。 ほか映画のキャッチコピーは「世界を一つにした悲劇」とのことで、この時に支援を寄せた各国に改めて感謝する意図もあったらしい。フランスの犬は実際に来ていたようだが、ただ現実問題としては世界から支援が殺到したため大混乱になり、その後に国際支援のルールが定められるきっかけになったとのことだった。 日本からも国際緊急援助隊が行ったはずだが言及がないのはまあいいとして(タイミングに問題?)、"地震のエネルギーは広島原爆の10倍"という説明にだけ日本が出るのは無神経なようでもある。東日本大震災(2011)後の製作ながら日本人に見せるつもりはなかったようだが、別にそれほど友好国なわけでもなく、どうせあっちの方の国の話だからどうでもいい、と突き放したことを考えていたら、先日2023.2.6に隣国トルコでまた大地震が起きて惨事になっている。やはり災害時にはどこの国とも助け合うのが大事だ(当然だ)。[インターネット(字幕)] 5点(2023-02-11 09:44:42)《改行有》

577.  美しすぎる議員 《ネタバレ》 不快な場面が多いので好んで見るようなものではない。同じ監督の「レミングスの夏」(2016)に続き、今回も某県某市やその市議会が協力しているが、よくこんな微妙な映画に協力しようと思ったものだ。ここの議会では常にあんな質問・答弁のやり取りをしているのか(会議録を見るとそうでもないようだが)。 劇中議員は生活相談のようなことをしていたが、市民の個人生活に踏み込んでも深みにはまるばかりで、それが市政につながらなければ議員の仕事とはいえないだろうと思ったが、しかし一期目の新米議員として、こういうことをしながら自分の活動スタイルを作る過程だったとするなら否定できるものではない。個人的に背負うもの、失うものがないのはかえって強みでもあり、また極端に清廉潔白でもなく「100やりたくないこと」もあえてする人物だったが、ちなみに芸能界に関する発言は、演者本人にも関わることなので少々微妙だった。 一方の劇中ディレクターは物事をきれいな表と汚い裏と単純化して捉えていたようだったが、しかしそれはマスメディア本体や、マスメディアが想定している視聴者も含めた世界観がそうなっているということらしい。実際に議員は表面を取り繕っているところもあったが(当然だが)、さらに奥の奥まで暴いていけば、マスメディアの期待した真実が見えるかと思えばそうでもなく、実は初めから表層に見えていたのが真実だったということではないか。それがわかったのも「100の画を撮って」きた結果ということか。 またディレクターはなぜか売名ということにこだわっていたが、それはそれとしてその先にまた本来の目的があると思っていなかったとすれば残念な奴ということになる。しかし自分が「野心」を指摘されてそうではないと返した時には、実は自分も議員も同じだったことを自覚していたという理解でいいか。 個人的な感覚としては、映画人の語る政治や社会などどうせマスメディアと同種同質のものであり、得にも足しにもならないので知りたいとも思わないわけだが、しかしこの映画は結果的におおむね妥当なことを言っているようだと思ったので、点数は悪くしないことにする。 ちなみに川村ゆきえという人は嫌いでない。題名通りの「美しすぎる」というよりは、生の人としての顔が見えていたようで悪くなかった。ラストの遠景の表情にちょっと泣かせるものがある。[DVD(邦画)] 5点(2023-01-28 21:12:42)(良:1票) 《改行有》

578.  きさらぎ駅 《ネタバレ》 今どきまた「きさらぎ駅」など持ち出して来たかと思ったが、話によれば今でも人気の都市伝説として扱われているとのことで、舞台とされた遠州鉄道でも迷惑がらず営業に生かしているらしい。郊外の撮影は別の鉄道会社の駅を使ったそうだが(上田電鉄別所線八木沢駅)、遠州鉄道に関しては政令指定都市の都市内交通の印象を出していて、新浜松駅近くの超高層ビルも見えていた。 もともと単純な話なので、この映画でも原話の各種要素をほとんど取り入れた上で登場人物も増やしている。それでも単純すぎて映画にならないので、後半を探求心旺盛な大学生による実地検証パートにしてサイズを倍加している。都市伝説の真否を探るなど民俗学でやることかと思うが、「異世界エレベーター」という別の話と組み合わせての解釈は、民俗学というより都市伝説自体の愛好者だからこその発想と思われる。実際そういう学生も多いだろうという気はする。 物語としては、最後に少し捻ったところはあるが軽い感じで、エンドロール後の追加場面も含めてあまり深みは感じない。しかし難解ならいいわけでもないので、劇場公開映画として多くの人々が楽しめるようまとめたのは制作側の見識と思われる。 なお原話のイメージと全く違うのは現地がほとんど昼間だったことだが、これはどうせ異世界だからどうでもいいということなのか。一回目は映像を青くしてお手軽な異界感を出していたが、二回目になるとそれはなく、一方で場面ごとに天気が全く違ったりして、これは同じような風景を二度見せないこだわりがあったのだと思っておく。 キャストに関して、恒松祐里という人は今どきこんな映画で映画初主演だそうで、「くちびるに歌を」(2015)などは主演でなかったのかと改めて思った(本当の主演が誰だか忘れた)。本田望結という人は個人的には久しぶりに見たが、2004年生まれなので原話の発祥と同年ということになる。また「牛首村」(2021)で見た莉子という人も出演していたが、あまり可愛く見える場面がないのは残念だ(地は可愛い人だ)。 永江監督に関しては、「真・鮫島事件」(2020)に続くネット発祥怪談の映画であり、本当にこういうのが好きでやっているように見える。ちなみに助監督は「廣瀬萌恵里」といういかにも若そうな名前の人で、主人公と似たような趣味だから手伝ったのかと勝手に思ったら違うようだった。美大を出て少し経ったくらいの人らしい。[インターネット(邦画)] 5点(2023-01-07 13:37:38)《改行有》

579.  ゾンビ・プレジデント 《ネタバレ》 原題を「逃げ出し立法院」と読むとユーモラスな語感になる。劇中の「プレジデント」は男なので蔡英文総統のことではないが、イケメンでないので馬英九総統でもない。 まず化学工場というのは実際に起きた反対運動が背景にあったと思われる。工場建設を目論む強国の名前は「聖雅利安」だそうだが、「雅利安」とはアーリア(人)のことのようで、実在の国名でなく正体不明の世界勢力のせいにしておけば波風立たないだろうという思惑か。ウイルスを扱った映画であるから、公開時には誰もが新型コロナウイルス感染症を想起しただろうし、またWHO参加の件に関連して、台湾が防疫面で世界に貢献できるはずとの意識も高まっていただろうが、そういうことまで最初から考えて作ったのかはわからない。 ラストはうまいことを言ってみせたようでもあるが、個人の家から "世界が家" という考えに直接つながってしまい、その間にある "国家" を飛ばしてしまって大丈夫なのかとは思った。防疫の主役が国家でなく個人だったにもかかわらず、その個人が国家の英雄として戦史陳列室に展示されていたのは国家というものの存在に否定的な態度にも見える。しかしそもそも立法院が荒れ気味だとか立法委員の志が疑われる様子など、国内の政治全般をおちょくってみせる映画という程度に理解しておくべきか。冒頭と終盤のコメントで、人々の投票行動に働きかける形になっていたのは民主主義の根本を外していないとはいえるが、立法委員をほとんど総取り換えしても結局同じだったというのは、まあ世の中そんなものだと笑い飛ばす寛容さ? 諦念? 適当さ?も感じられる。 なお日本との関係では、露天風呂の芸者?+サルとか核爆発とか盆栽とかが出るのは好意的なようにも見えなかったが、これで特に悪意もないということか。選挙の宣伝文句に「鼻血の王者」と書いてあったのは一瞬何語かと思った。 そのほか本筋に関していえば、ジャンルに「ホラー」が入っているのはゾンビが出るからというだけの形式上の分類であり、実態としてはひたすら目まぐるしく騒がしいドタバタコメディである。プロレスやゲームやカラオケといった大衆文化的な要素その他よくわからない各種ネタが盛り込まれていて、実際に笑うところもなくはない。こういうのが好きな人々もいるだろうが、少なくともホラー映画という先入観は持たない方がいい。個人的には特に褒める気にならないがそれほど嫌いでもない。[インターネット(字幕)] 5点(2022-12-03 12:00:49)《改行有》

580.  金門島にかける橋 《ネタバレ》 1958年の「金門砲戦」を題材にして、当時国交のあった中華民国の映画会社と日活が共同製作した映画である。 ちょっと深刻味のある恋愛ドラマ程度かと思って見ていたが、「中華民國國軍」が協力しただけあって意外に戦闘場面の扱いが大きい。高雄から金門島に向かう艦船は結構な大艦隊のように見えたが、そこへ中共軍の砲撃や航空攻撃があって、やたらに水柱が立ったりして登場人物が危険にさらされていた。ちなみに5隻くらいいた背負い式の単装砲の戦闘艦は、アメリカに貸与されたベンソン級かグリーヴス級の駆逐艦かと思った。 本筋の恋愛物語については微妙だったというしかない。日本側ヒロイン役の芦川いづみという人は個人的に馴染みがなかったが、笑顔の口元に可愛らしさのある人だと思った。中華民国側ヒロインは怖い顔の場面が多かったが、脚がすらりとしてきれいなのはさすがと思った。 当時の国際情勢を背景にした映画のため、当然ながら現在とは世界観が違っている。中華民国側の人物が日本語を話すのは日本統治時代の影響かと思えばそうでもなく、ヒロインの養父は戦時中に日本と戦った大陸出身者だった。また島の人々が自分らを「中国人」と言う場面があったのは、中華民国=中国だったので当然としても、現在のような台湾アイデンティティとは無縁な世界と思わせる。それは金門島という場所柄(台湾省でなく福建省)からしても当然か。 戦って故郷を取り返したいと願う人物に対し、戦争以外の方法は考えられないのか、と主人公が言ったのは戦後日本的な平和主義だろうが、実際はその後年数を経て両岸の往来も容易になったので、結果的に主人公の願いが実現したとはいえる。しかし現実問題として平和を願えば平和になるわけでもなく、次にまた何かあった時は日本も他人事としては見ていられないという気にはなる。 その他の事項として、劇中出た「そうじゅうせつ」とは重要行事らしいが何なのかと思ったら、中華民国の建国記念日である「双十節」だとわかったのは少し勉強になった。 またこの映画とは別に少し前、日本の高校のマーチングバンドが台湾に招かれて大歓迎されたという記事をネットメディアで見た気がしていたが、これも実はこの記念日のゲストとして参加したのだそうで(2022/10/10)、日本と台湾の友情のかけ橋として期待されていたらしい。何か大昔の映画を見たような気がしていたが、現在にちゃんとつながったのが意外で少し感動した。[インターネット(邦画)] 5点(2022-12-03 12:00:47)《改行有》

0110.88%
1272.16%
2614.88%
3987.83%
418214.55%
532826.22%
628722.94%
717814.23%
8614.88%
9171.36%
1010.08%

全部

Copyright(C) 1997-2024 JTNEWS