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【製作年 : 1990年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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41.  CUBE 《ネタバレ》 なぜ彼らが入れられたのか、誰が入れたのかなど、細かい設定は無視されて、出演者と同じ目線で不合理かつ緊張感たっぷりの時間を満喫できた。この映画は、独特のアイディアだけでなく、閉鎖的な社会・組織や、極限状態に追い込まれた際の人間性を主題にしている点もなかなか面白い。しかし、もっとそれぞれのキャラクターの人間性の深いところを描けるのではないかという気がしてならない。 人間性が描けられているのは、警官であるクエンティだけだったような気がする。警官であり、大きな事を言い、他人を引っ張っていくリーダー的存在でありながら、その根は常に人を見下した態度であり、自分がいるから他人は生きていけるんだという他人への配慮も欠けている。しかし、結局のところ、腕力のみしか取り柄がなく、他人をあてにしており、自分では何もしていないという、まさに「人間」が描かれていた。 それ以外のキャラクターもこのような人間性を描けられたのではないか。 医者のハロウェイも、結婚もしておらず男もいないという孤独が上手く活かされていない気がする。自分ならば、こういうキャラクターは、cube脱出を他人より望みながら、実のところ、実生活は空っぽで空虚であり、何の生きがいもないというようなキャラクターに仕立て上げたい。 レブンは、数学という武器だけでそれ以外は何の特徴もないキャラクターだったが、もっと若い女性であるということがアピールされるべきだっただろう。 さらに、唯一の生存者が精神障害者のカザンというのはちょっと狙い過ぎのような気がする。確かに最初はそういう手で来たかと驚きはあり、人間の醜さ、争いの結果かなと思うようなラストではあった。 しかし、残りの人達が誰も生き残れないいうのは少し希望がなさすぎやしないか。特にワースは生き残らせるべきではなかったか。彼は、cubeの設計に携わったものの、生きる希望も持てずに人生はくだらないと思っている男である。生きる希望を持てなかった男がcubeから出ることなく結果的に死んでしまうというのはどうなんだろうか。自分なら、生きる希望を持てなかった男がcube内を這いずり回ることにより、生への活力や希望を見出していくというストーリーに組み立てるだろう。また、彼に生きる希望を与える存在をレブンにすれば、彼女の存在も大きくなる。 色々言いたいことはあっても、やはりこのアイディアと緊張感、演出は見事だと思う。[DVD(字幕)] 8点(2005-09-18 03:36:20)《改行有》

42.  ゴッド・アンド・モンスター 《ネタバレ》 観終わったあと何とも言い知れぬ感情を覚えた。ありふれた感動とも異なる表現しにくい感情を覚えた。この映画の本質を捉えるのは難しいかもしれないが、非常に「味」のある映画ではないだろうか。 解釈は人によって異なるとは思うが、自分が感じたことを色々と書きたい。 まず、なぜジミーは自殺したのかという点。 「ジミーは脳に障害を持ち正気を保てなくなる前に死を望んだ」という動機は誰でも理解できる。ただ、なぜ睡眠薬一気飲みをためらったのにプールで水死したのか。 それはジミーが「孤独な怪物」のままで死にたくなかったのではないかという気がする。クレイとのやり取りの仲で芽生えた「友情」と言ってよいのか分からない「二人の奇妙な関係」があり、また、自分のために裸になってくれる友、自分のために服を脱がせてくれる友ができ、「孤独な怪物」では「一人の人間」として死ねるからこそ、「死」という選択ができたのではないか。クレイが第一ボタンを外したあとのセリフ「あとは自分でやる」というのは、残りのボタンのことではなく「死」に関してのセリフと受け取った。 また、プールには色々と思い出が詰まっていたからなのだろう。 そしてジミーとクレイの関係。 個人的には、ジミーもクレイも「孤独な怪物」と感じた。その「孤独な怪物」を救ったのもクレイとジミーという「人間」だったようにも映った。孤独な人生から、死という救いへ導いたのはクレイであり、真っ当な人生を送れるように家族を作ろうという気にさせたのはジミーである。二人は互いに互いの人生を変えることができた。映画での二人の関係は非常に興味深い描き方がされている。 この映画の勿体無いところは、「同性愛」という面が目立ってしまうためにやや本質が捉えにくいのかもしれない。テーマとしては、友情、家族、反戦、尊厳死、人生、生き方など実に多くのことを詰め込まれた深い映画だと思う。 ジミーを演じるイアンマッケランがガチンコの同性愛者であり、それゆえ演技が抜群であることが映画に微妙な効果を与えている。 演出も相当に凝っており、他の役者の細かい演技や細かい部分(クレイには本当に盲腸らしき後がある)、音楽も素晴らしい。まさにプロの仕事だと思う。[DVD(字幕)] 8点(2005-08-20 12:36:04)《改行有》

43.  シザーハンズ 自分が近くにいるだけで、愛する人や親しい人を傷つけてしまう。そんなどうしようもならない心の痛みをジョニーデップが繊細な演技で見せてくれた。彼の演技を見ているだけで自分の心が締め付けられるような思いを感じた。 ただ、エドワードの善悪を判断できない、やや行き過ぎた「ピュアさ」にはやや疑問だ。確かに人々の優しさに触れ、孤独な心が癒されていくエドワードのピュアさは大いに結構だ。しかし、どうにもならない苛立ちから壁紙をズタズタにしたり、壁を傷つけたりするという「怒り」に対する率直な行動や、また、愛する人のためなら盗むことさえも厭わない(ジムの家と知っていて入っている、オヤジの選択問題)という純粋さ。そして、銃を持っていたりしていたが、いくらなんでもあの無防備な状態のジムを惨殺するのは、あまりにも行き過ぎではないか。これらは、善悪の判断がないエドワードの「ピュアさ」が招いたことではあるが、このようなバートン ならではの尖った部分、ブラックさが、「クリスマスに雪は何故降るのか」という問いに対する答えがやや汚れてしまってはいないか。おとぎ話のような本ストーリーによい効果を与えたのかは少々疑問がある。 ありがちではあるが、ジムをストーリー上、殺すとしても、なんらかの事故によるべきであって、エドワード自身の手によって殺すべきではなかっただろう。個人的には、エドワードにはブラックなピュアさは不要であり、純粋に「ピュア」であって欲しかった。 また、「ピュア」だからこそなのかもしれないが、エドワードはキムの写真だけで好きになるという設定になっている。しかし、キムの優しさなり何か特別なものに惹かれるという設定の方が良かったのではないか。映画の設定ならば、あのユーモアある出会いでも構わないけど、キムとの出会いはもう少し特別なものであっても良かったのではないか。自分だったら、エドワードは城の上から、街を観察していて、キムのことを知っており、キムの優しさに特別な感情を抱き、エドワード自ら街に降りてくるというような設定の方がよいような気がする。このような設定でなくても構わないが、もう少し出会いや、エドワードがキムを好きになる過程、キムがエドワードを好きになる過程を工夫して、キムとエドワードの関係を膨らませた方がベターだと思う。[DVD(字幕)] 7点(2005-08-15 01:55:07)《改行有》

44.  スリーピー・ホロウ 《ネタバレ》 なかなか評価が難しい映画である。脚本は7点、演出は10点ということで平均すると8.5点なので、8点か9点にすべきかで悩むところ。 まず、本作を謎解きモノと考えればたぶん点数は低くなるでしょう。色々と風呂敷を広げた割にはストーリーが上手く整理ができていない上に、ストーリーを追った所で黒幕が誰かということに対して伏線が上手く張られていないので、観客やイカボットが黒幕を突き止めるという謎解き独自の面白さに対して評価はできない。 ホラーという点から見てもたぶん点数は低くなるでしょう。この映画を観て、ホラーだと思う人がいるのかどうかも分からないが、(首はいっぱい飛ぶけど)怖いと感じさせる部分は皆無と言ってよいのでないか。ホラー的な要素という点に対しても本作は評価はできない。 したがって、この映画はホラーでも、ミステリーでも、サスペンスでもない気がする。むしろ、新しいジャンルをバートンが創り出したのではないだろうか。バートン独特の世界を楽しむというのが、この映画の鑑賞スタイルのような気がする。スリーピーホロウを舞台に繰り広げられるスモークが掛かったようななんとも不気味な世界。ホースメンや魔女の妹、死の木など、今までの映画に観たことがなくどれも素晴らしいとしかいいようがない。 ただし、やはりこの手の映画なら登場人物等をもう少し整理して「謎解き」の要素を深めた方が映画としてはより評価されると思う。 また、本作は「魔女」をテーマに扱っている。黒幕は、母が周囲から魔女だと思われたため、村から追い出された恨みを抱えており、イカボットも母が魔女だと父から思われたため、母を父に殺されてしまうというトラウマを抱えている。それゆえ、イカボット自身、神を信じられなくなり、科学というか、原因と結果や理性といったものしか信じられなくなるというバックボーンがある。 そういう設定であるにもかかわらず、それらが何かうやむやにされた感がある。黒幕とイカボットはバックボーン自体は同じであるにもかかわらず、そういう設定が上手く説明・利用できておらず、ラストのオチとしては上手く落ちない感がある。科学信奉者が非科学的なものに挑戦するとういう設定自体は面白いが、その設定が上手くストーリーには噛み合わなかったかなという気がする。また、彼がこの事件を機にどのように変わったのかという視点を分かりやすく組み入れても良かったと思う。[DVD(字幕)] 8点(2005-08-14 16:18:35)《改行有》

45.  エドtv アイディアは面白いし、最初のうちは映画にのめり込めた。しかし、ラストに行くに従い、だんだん尻すぼみになっていく。結論を言えば、この映画は起承転結のうちの「転」と「結」がイマイチだと思う。 掘り下げれば色々と深い部分が描けるはずなのに、表面の浅い部分で終始してしまったのが名作になり得ない点だろう。レビュワーの点数が6、7点に集中し、9・10点を付ける人はおらず。一方で0~2点を付ける人もいないというのが、この映画を最も端的に表していると思う。 一言で言えば、「面白いんだけど、イマイチな映画」の代表作かもしれない。 描くべきポイントとすれば、まずは当初のアイディアである「脚本なし、俳優なし、編集なし」というコンセプトが、思いもよらない視聴率の増加によって、だんだん歪められていくという視点が必要ではないか。 「真実」を写すはずが、いつのまにか「嘘」を写すことになっているという視聴率主義の恐怖や、マスメディアの姿勢・限界などのポイントをクローズアップすれば映画が面白くなると思う。そのためにも、あの女性プロデュサーはかなり重要な役柄なはずであり、あの扱い方には問題がある。 そして、プライバシーや尊厳の問題。 どこにでも何にでも相手の気持ちを考えることなく、カメラに写そうとする今のメディアを徹底的に糾弾して欲しかったところである。 人の恋愛を追うくらいならまだしも、恋愛や結婚の破綻など当事者なら誰しも放っておいて欲しいものであり、また親しい人を亡くしたときにでもメディアは首を出し、平気で人の心を踏みにじろうとする。さらに、誰しも人に知られたくない秘密は抱えているものだろう。そういう人々のプライバシーに土足で上がり込む現代のメディアに対して痛烈な批判を込めることが必要ではなかろうか。 さらに、エドが人気者になるに従い、だんだんと有頂天になっていき、他人からチヤホヤされるに伴い、人の気持ちや痛みを分かろうとする心を無くしていき、他人(友人、恋人、家族)との距離がどんどん離れていくという視点もあった方が良かったのではないかと思う。 このままでもそこそこは面白いけど、題材が良いだけに非常に勿体無い映画というのが個人的な感想。[DVD(字幕)] 7点(2005-08-13 23:59:08)《改行有》

46.  マーズ・アタック! 点数の分布でまさに賛否両論に分かれている点が、この映画の特徴ではないだろうか。 バートンらしいグロさや悪趣味に嫌悪感を示す人がいる一方で、それをバートンらしいユーモアと解する人がいる。 あの宇宙人にセンスを見出せる人、見出せない人。バカバカしさや悪乗りについていける人、いけない人。見る者のセンスによって、様々に意見が分かれるというのは実に面白い。 この映画を笑えないと思う人のセンスが悪いとは全く思わない(むしろ全面的に賞賛する人は少数と思う)が、個人的には、この映画に関するバートンのセンスは概ね素晴らしいと感じる。 この映画はセンスのよいお馬鹿映画という評価が下されているが、お馬鹿映画と一言で済ませられない位、実は凄い良い映画だと思う。 まず、豪華な役者陣の演技やセリフが非常に素晴らしい。 演技やセリフだけで、そのキャラクターの個性や内面がよく分かるように描かれている。これだけ多数のキャラクターが描かれていれば、キャラクターを混同したり、そんな奴いたっけ?という感じにもなりかねないが、どのキャラクターも活き活きと演じられているため、皆それぞれ存在感が充分あった。 速攻で死んでしまうジャックブラックにせよ、首だけになったピアースブロスナンにせよ、役になりきって演じられている。もちろん二役を演じたジャックニコルソンも。 個人的には、パムグリアーと「大統領を早く逃がせ」という二人の子ども達がなかなかのお気にいり。 さらに気に入ったのは、火星人が死んだ後に、黙々と火星人の死体や戦いの後始末を描いたシーンだ。 このシーンには、戦いの虚しさや悲惨さをバートンは一応込めたのではないだろうか。また、ボクサーのチャンプには家族の愛を感じることもできるし、ピアースとサラの二人の関係にはどんな姿や形になろうとも消えることのない人間の普遍的な愛情も描いていると思われる。 馬鹿馬鹿しさだけではなく、ちゃんと描くべきところもしっかりと描いていると感じられる点が評価したいところである。 この映画を完全に理解するために欲しかった知識としては、①トムジョーンズって一体誰よ?彼と「よくあることサ」に対する評価・扱いは?②火星人を死んだ理由のあの歌に対してアメリカ人が抱くイメージを知りたいところ。 ①と②をなんで選んだのか、バートンのセンスを知るためにもこのあたりの知識が欲しいところである。[DVD(字幕)] 8点(2005-07-31 22:15:51)《改行有》

47.  バッドボーイズ(1995) まず第一に、ローレンスがうるさいだけで、彼の存在がコメディ映画として、いい効果を与えられているとは思えない。彼の存在は映画にとってむしろマイナスではないか。 クスリの科学関係に強いタイヤ屋をスミスが吐かせる際は、本当に彼の言動は見てられなかった。 そして、この映画のストーリーに文句をつけるのは、この映画の鑑賞方法を間違っているとは思うのだが、やはり触れざるを得ないだろう。 そもそもこの映画は、警察のヘロインを盗まれて、FBIとかが動き出す前に内密に犯人を捕まえなくてはならないというような設定があったような気がする。 それなのに、なんで市街地であれほど銃撃戦を繰り返しているのか理解に苦しむ。しかもテレビにも撮られているし。 さらに一番不可解だったのが、「出前が来たようね」と言って、確か肉を食わない姉ちゃんが、ハンバーガーの出前を取りに行くシーンだ。 ローレンスの嫁と鉢合せるところを撮りたいがためのシーンではあるが、大事な重要参考人の証言者が無防備に扉を開けるという設定は観客を馬鹿にしているとしか言いようがない。 しかも、ローレンス嫁に見つかるくらいだから、敵にも直ぐに発見されるという都合のいい発言がさらに火に油を注いでいるかのように馬鹿にしている。 そして1階に降りた瞬間に、敵の襲撃を受けるという展開…。こんな安っぽいシナリオになんで大金を注ぎ込めるのか全く不思議だ。 そもそも、この映画のストーリーは全般にわたって、わざと話をややこしくしていないか。 次に、ラスト付近でクルマに乗りながら、いきなり「オマエには黙秘権がある」とか言う神経に対して、またそこでぶちギレですよ。 人を無差別に撃ち殺しておいて、急に警察面するなと。そしてローレンスがスミスに言うセリフ「(フーシェは)殺す価値がない」は、警察官が言うセリフじゃないだろ。 道楽でやっていると仲間から思われているスミスの夢は何なんだ。警察官が夢で、立派な警察官になるために日々努力しているんじゃないのかよ。 一旦は止めようとするも、合法的な殺人をして、彼は立派な警察官になっていくのでした。ある意味面白い映画かもしれない。Ⅱとはさらに一味違う、人を怒らせる映画だと思う。[DVD(字幕)] 1点(2005-07-19 01:34:10)《改行有》

48.  秘密と嘘 10点を付けようか迷うほどの傑作だと思った。 久々に人間を描いた映画らしい映画を観た充実感を味わえるような気がする。 演出、脚本、演技のまさに三拍子揃った素晴らしい作品としか言いようがない。 個人的には、本作の役者(特にシンシア)の表情の変化がいいと思う。 冒頭は皆、どことなく表情が曇り気味でどんよりとした不幸せな感に満ちている。それもそのはず、それぞれがそれぞれに人には言えない秘密を心に抱えて生きている。 シンシアやモーリス家族だけでなく、モーリスが写す被写体の人々にも一瞬見せる笑顔の下には、人には言えない秘密を抱えているようにも思われた。 しかし、シンシアとホーテンスとの出会いをきっかけにシンシアが大きく変わる(特に表情)のがとても印象的だ。シンシアが変わり、またホーテンスの表情も豊かになっていく。 そしてあの誕生日会へとストーリーが繋がっていく…。 生きている以上、誰しも心に傷を負ってしまうのはやむを得ないのではないか。かくいう自分も色々と傷を負っている気がする。しかし、その痛みを分かち合える人がいるから人々は立ち直れるのだなあと気づかされた。確かに自分も傷を負ったときには、家族や友人に傷を癒してもらった気がする。本作は「家族」や「親子」をテーマにはしているが、広い意味で「人と人との関係」としても描かれているのかもしれない。 そう考えると、あの写真家の先輩みたいな人には、傷を分かち合える誰かがいなかったのかもしれないから、あんな風になってしまったのではないだろうかとも感じた。 それにしても、「人生は不公平」だとか、「人生ままならぬ」といったセリフが聞えてくる中で、ラストでは「人生っていいね」いうセリフを聞けるとは思えなかった。ラストの三人の会話や表情も心に響く。[ビデオ(字幕)] 9点(2005-07-17 03:44:38)(良:1票) 《改行有》

49.  アルマゲドン(1998) マイケルベイは嫌いな監督であり、感動するところもほとんどないとは思うが、娯楽映画と割り切れば、映画自体はそれほど悪いものではない。 荒唐無稽の設定である掘削屋のおっさん達が宇宙に行くというあり得ない設定が意外と悪くない気がする。 天才科学者でもヒーローでもないただのおっさんが地球を救う。 このおっさん達は、ただのおっさんではない。どいつもこいつも奥さんに逃げられたり、あるいはクズに近いどうしようもないおっさん達である。 そんなおっさん達が、クズでなくなり、輝きをもち、誇りをもてるようになるというのはある意味面白い設定かなと思わせる。 天才でもないなんでもないおっさんの手に地球の運命が委ねられ、意外と地味な方法で地球を救うのは多少評価してもよいポイントではないだろうか。 しかしもっと面白くなりそうな点がいくつか見当たる。 まずブルースウィルス扮するハリーが意外と薄っぺらなキャラクターのような気がする。 ハリーとグレース親子にはもっと親子の対立をアピールした方がラストがより感動させられるような気がする。「戻ると約束して・・」と宇宙に行く前にグレースが言ってしまうと、グレースがハリーのことを愛しているという結論が出てしまっている。 むしろ仲違いさせたまま、宇宙に送って、ラストにグレースが父のことを心から愛しているということに気づかさせる方がより親子のストーリーとしては際立つのではないだろうか。 また、ハリーのリーダーとしての資質を問われるような出番を掘削時にいくつか用意しても良いだろう。AJとの対立ももう少し描いておかないとラストの「オマエに任せる」という言葉も上手く活きてこない。 序盤・中盤には訳の分からんほどトラブルを仕掛けているのに、掘削時には地味なトラブルばかりで、意外と派手さがない(もっともアルマジロが一台吹っ飛んだりしているが)。せっかくのハリーの出番である掘削時が一番地味になってはいないか。 さらにトルーマンの存在ももったいないと感じる。 出番としては核を地表で爆発させるかどうかのやりとりに彼の大きな存在があると思うのだが、尻すぼりしている感を受ける。遠く離れてもハリーとトルーマンには何故か訳のわからん信頼関係が結ばれているという設定がもっと色々あっても良い気がする。 マイケルベイの映画はなかなか評価が難しい。[DVD(字幕)] 7点(2005-07-16 05:13:02)《改行有》

50.  スター・ウォーズ<特別篇> 展開がスピーディーなのが良かった。 [ビデオ(吹替)] 7点(2005-06-20 23:40:40)《改行有》

51.  スター・ウォーズ/ジェダイの復讐<特別篇> 脚本自体はそれほど悪くはないと思うが、問題は演出ではないだろうか。 特にイウォーク絡みのストーリーは子ども騙しと言い切ってしまっても問題ないだろう。イウォークと帝国軍との戦いは、あれではさすがにちょっと酷すぎやしないだろうか。 弱き者が強き者に対抗するという視点やどんなに弱くても皆が力を合わせれば強い者を打ち破ることができるという視点は確かに必要だと思うので、やはり演出の不味さの問題だと思う。 皇帝との戦いやベイダーの葛藤などももっと上手く演出できたはずだ。 [ビデオ(吹替)] 6点(2005-06-20 23:39:50)《改行有》

52.  スター・ウォーズ/帝国の逆襲<特別篇> 《ネタバレ》 微かな記憶ではシリーズの中でこの作品が一番面白いと思っていた。しかし、改めてみると決してつまらなくはないのだが、シリーズの中で一番低い評価を与えざるを得ない。スターウォーズシリーズに特別の思い入れも何もないのだが、見ていて何か残念な気持ちがした。 その理由としてはストーリーの核となるべきルークがあまりにも中途半端かつ無意味な描き方しかされていないからである。ファンにはそれが良いのかもしれないが。とにかく今回のルークの行動を簡単に追ってみよう。 雪男に殴られ拉致られる→ハンソロに奇跡的に助けられる(このシーンには別の意図があったとも聞くが)→飛行機で突撃→仲間が瞬殺される→飛行機で活躍できず→ライトセーバーでAT-AT ウォーカーを破壊(ここだけはカッコいい)→ダゴバでヨーダとの修行→Xウイング・スターファイターを持ち上げられずに簡単に諦めてしまう→しまいには修行が終わっていないにもかかわらずにヨーダの元を去る(仲間を助けるためには確かにやむを得ないが)→ホスへ向かう→ダースベーダーとの戦い→「俺はオマエの父だ」→「ガーン(心に衝撃)」→「右腕切られて落下」→「レイア助けてくれ」→「なんでオビワンは教えてくれなかった」こんな感じじゃなかっただろうか。 冷静にみると助けようとしているつもりが助けられてばっかり、しかもやることなすこと皆、空回りしている。 描き方としては、まず修行に対して何かを為していないのに、ただ抜け出すというのはマズいんじゃないだろうか。少なくともXウイング・スターファイターを自力で持ち上げるか、それとも洞窟みたいなところで幻を打ち破らないとかしないと、修行の意義やヨーダの存在自体が問われてしまうと思う。 個人的にはホスで活躍の場をルークに与えればストーリーがより良くなるのではと思う。ボバ・フェットをⅥであのような間抜けな殺し方をするくらいなら、今回ルークとの激しい一騎打ちでも盛り込んで壮絶な死を与えた方が俄然面白くなったのではないか。 いわゆる修行の成果やジェダイとしてのルークの成長を観客に見せる必要があったのではないかと思う。ルークの常人離れした強さを示すことによって、ベイダーの強さがより引き立つという仕掛けが必要だ。ボバ自体の強さを示せば、この仕掛けがさらにより効果的になる。 [DVD(字幕)] 6点(2005-06-20 23:34:54)《改行有》

53.  スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス 《ネタバレ》 評判は良くないけど、映画自体はとても良く出来ていると思う。 脚本はよく練られているし、映像も素晴らしいとしか言いようが無い。欠点を一言でいえば、「スターウォーズ」らしくないというところだろうか。 エピソード1~3までで、アナキンがダースベイダーになるまでと、共和国が帝国になるまでが描かれると思われる。今回、序章ということで、アナキンがパダワン見習いになり、パルパティーンが議長になるところまで描かれるのは総論からすれば、充分だろう。パルパティーンは結構好きだな。エピソード1~3の裏の主役ではないかと思うほど存在感がある。 各論からすれば、ポッドレースには臨場感があり、アナキンの細かいリカバーなど詳細に描かれている。ポッドレース自体は素晴らしいと思う。しかし、ストーリーに比して、このポッドレースに重きを置きすぎている気がする。バランスが悪すぎる。 一方、ラストの展開はなかなか面白い。クワイガン他1名とダースモールの戦い、ジャージャー率いる部隊と機械兵との戦い、アナキンの戦闘機での戦い、パドメの侵入作戦と4つのストーリーを交互に描くことで、よりスピーディーな展開となり、ダースモールの戦いの緊張感が他のストーリーにも及ぼしていて、よりよい効果をもたらしている。 しかしこのような効果にも関わらず、各ストーリーのオチはお粗末なものだ。 ジャージャーの戦いは陽動作戦であるためこのオチは動かしようはない。ただアナキンのはなんとなく…過ぎないだろうか。フォースのなせる技という説明かもしれないが、R2-D2が誘導したなりの説明が必要かもしれない。 パドメの侵入作戦は、総督がいきなりパドメに対して女王であることを前提に話し始めたため、「おい!どういうことだ!」と突っ込もうとしたら、偽のアミダラが出てきてよく分からない内に終わってしまう。 ダースモールの戦いも拍子抜けだ。あれくらいでオビワンが勝てるぐらいなら、クワイガンの存在が薄くなってしまう。クワイガン即死でないなら、最後に弟子のためにダースモールの動きを邪魔するくらいしないと不味いだろう。[DVD(字幕)] 8点(2005-06-12 16:00:16)《改行有》

54.  フォロウィング 何もかも素晴らしい作品と言ってよいだろう。 世に言うインディペンデンス映画は、その内容の奇抜さがクローズアップされるが、これは奇をてらっているだけではない紛れも無い本物の映画だ。 サスペンス的なストーリー展開の面白さもさることながら、時間軸をずらしながら論点をぼやかしながら、徐々に全体像を明らかにしていく手法は見事である。 また、数少ない登場人物についても、彼または彼女の部屋を見せることによって、その人物について雄弁に語っているのである。 部屋を見れば何もかも分かる、これは確かに誰にでも当てはまることではないか。 このように、きちんと人間の本質を描こうと努力している点をなによりも評価したい。 また、全く関係のない赤の他人である第三者を特別の存在と感じて、その人物がどういう人間なのか、彼または彼女の生活あるいは感情を知りたいと思うのは、ある意味において「人間」としては普通な感情ではないかと思う。 そのような一般人が持ち得る感情を使って、ストーリーを描くことによる効果は、ストーリーを観客にとって、より身近に感じさせるという利点がある。 また、「ハコ」の扱いについても同様だろう。 人間は確かに誰しも「ハコ」を持っている、秘密の「ハコ」を。 ある人間にとっては、「金庫」という「ハコ」かもしれないが。 第三者にとっては、取るに足らないモノであるが、当人にとってみれば、何かしらの意味があるものが詰まっている。もう少しこの当人にとって大事なものと失って気づく大切なものという視点があればより深い世界を描けると思うが。 [DVD(字幕)] 8点(2005-06-05 13:35:25)《改行有》

55.  天才マックスの世界 好きな人は好きなタイプの映画かもしれないけど、自分には全く楽しめなかった。 ストーリーとしては、ストーリーがあって、ないようなストーリーである。ストーリーで勝負しないのならば、キャラクターで勝負するのかと思っても、せっかくの奇特なキャラクターであるはずのマックス以下誰にも惹かれるものがいない。 この映画の基本的なテーマとしては、人はどんなことがあっても再び分かり合えるということだと思う。 マックスは好きな女にハーマンを取られて、あれだけいがみ合った時があっても、仲直りできたし、親友ダークとも彼の母親のことで喧嘩しても仲直りができた。 好きな先生のクロス、マックスの父親、ハーマンの息子、眼がねの女の子、ラシュモアの校長先生とも色々あったけど、最後には皆と分かり合えることができた。 何かというか、ただ仲直りできた「それだけ」としか感じられず、何かが足りず、もっと深いところが描けていないような気がする。 演劇の演出や稽古などで、心を通い合わせる過程やきっかけが描ききれていないのではないか。 また、それぞれのキャラクターに深みがなく表面的であり、ストーリーもあっさりとしすぎているために、何も感じられるところがないという結果になっている気がする。少しもったいないと思う。[DVD(字幕)] 4点(2005-05-07 21:53:16)(良:1票) 《改行有》

56.  オープン・ユア・アイズ リメイクされた「バニラスカイ」とはストーリーは全く同じだが、これは恐らくストーリーを変えようもないほど本作が完璧なストーリーだったからだと再認識した。 本作も素晴らしいが、個人的には豪華な俳優陣を擁して、完璧な作品をより完璧に、また多義的な解釈を可能にすることで深みを増し、さらにキャメロンクロウ監督の独特の「甘さ」を混ぜ合わせた「バニラスカイ」の方が好きだな。 内容としては、たんなる複雑なサスペンスではなく、「夢」と「現実」の境目が曖昧となり観客を混乱させる面白さ、本来ならば当人が願えば叶うはずの理想の「夢」が「悪夢」へと代わっていく人間の弱さ、失って初めて気づく「幸せ」とは何かなど、様々なものが詰まった作品。 セザールが事故で失ったものは「顔」だけでなく、「顔」を失ったことで「心」までも失っていることが分かる。同じ女と二度一緒に居るところを見られたら評判が落ちると思っていたほどプライドの塊だった男が、「プライド」を失ったときの哀しさが痛々しい。 セザールが「悪夢」を見ることになったのも、セザールがプライドを無くしたことにより、自分への「自信」を喪失していたからのような気がする。 「顔」を失えば、ソフィアが自分のことを好きになってくれるはずがない。ソフィアの愛を信じられなくなったセザールの弱さがソフィアの顔がヌリアの顔になるという悪夢をセザールに見させたのではないだろうか。 ラストのネタあかしもちょっとはっきりさせすぎているのが気になるところ。「バニラスカイ」はこの辺りを曖昧にして、ネタあかしも含めて延命さえも生きている時の夢の一部という解釈を可能にしているのが面白いと思う。[DVD(字幕)] 9点(2005-04-13 22:38:07)《改行有》

57.  グッドフェローズ ギャングもやはり人の子ということか。 自分が殺されると分かったら、自分の命は仲間を裏切ってでも守るという「現実」が描かれていた。 ここにはギャングに対する憧れでは済まされない世界や映画で知る一般のギャングの世界とは違う世界が描かれていると思う。 デニーロは自分の身に危害が加わらないように、例え仲間であろうと強奪事件に関する人間を殺しまくっていた。恐らく彼は有無を言わさず、後ろから引き金を引いて殺したのだろう。 結束が固いはずのギャングの「仲間」「信頼」とは何かを考えさせられる。 それにしても序盤の口を割らないで皆から祝福された法廷シーンとラストで頼まれていないのにベラベラと口を割るシーンの対比は見事だった。 ラストのリオッタのビクビクしながら新聞を受け取る姿も印象的だった。ギャングであろうと、自分の身に危険が及べば、何でもする。人間にとって本質的な部分が描かれているとは思う。 しかし、もうちょいリオッタがあそこまで追いこまれるような姿はしっかりと描いても良かったとは思う。 仲間を「裏切る」行為はそれほど軽いものではないはずだ。 ここは重要な部分なので、カレンが自分の両親に会えなくなるとかならないとかそういう話で済ませてもらいたくなかった。まあ、これが本当の現実的な問題なのかもしれないが。 ジョーペシは相変わらずの切れ加減だが、本作よりも「カジノ」の方が近寄りがたい恐ろしさがあったな。自分をさえぎるものがいたら誰であろうと殺すような雰囲気があったのだが。 ジョーペシ関係も少し描き方が甘いような気がする。 ジョーペシが殺されて、デニーロは激怒するもののその後のストーリーに上手く繋がっていないと感じた。 また、死体のために穴掘ったり、マンション立つからと言って吐きながら掘り起こしたり、その後、クルマを奥さんに文句言われながら綺麗に掃除したりとするあたりが現実的な描き方であり、面白いと感じる部分ではある。[DVD(字幕)] 7点(2005-04-09 20:01:15)《改行有》

58.  次に私が殺される 《ネタバレ》 まずは、もったいぶった演出がツボに嵌まった。 暗闇を基調とした独特の映像も気に入った。さすがに評判の監督だけはある。 主題としては「映像の暴力」を批判しながらも、本作が「映像の暴力」を売りにしているという自己矛盾を抱えている点も面白いと思う。 映画の中で「大衆の要求に応える」ことの重要性を語っているから、そのあたりに矛盾に対する答えを盛りこんでいる気がする。 また大衆の「潜在的な暴力嗜好」として、冒頭の飛び込みを描くことにより、見たくなくても見てしまうという衝動は主人公だけでなくどんな人にでも抱えているものであることを示している。 これは映画の中の主人公が興味本位で巻きこまれている虚構の世界を描こうとしているわけではなく、より現実的な世界を描こうとしている姿勢が感じられる。 映像と現実とのズレを解消しようとしている相当に良い例を持ち出していると思う。 サスペンスとしても実に手が込んだ面白い脚本だった。 見ている時には、一瞬で「どうせこの新しい教授が犯人なんだろう」と思わせておいて、教授を単なる前振りにしか用いないという大胆な使い方。 そして「じゃあ、犯人誰よ?」と謎を深めさせておいて、結局「なんだ嫉妬女の単なる逆ギレかよ」と落胆させておいて、ストーリーを全て原点に戻すというのも斬新だったなあ。 その上、ラブストーリーの要素を絡ませるなんて、これまた素晴らしい。 自分が好きな女が好きな男のビデオを見ている姿をその女のことを好きな男がビデオに映している姿が映像として流れるのも面白い仕組みだ。そして見ている者に対して少し切ない気分にさせる。 この切ない気分にさせることによって、ラストの単なる「お茶への誘い」が単なるものではない効果をもたらしている。[DVD(字幕)] 8点(2005-04-03 19:16:43)(良:1票) 《改行有》

59.  マルコヴィッチの穴 奇妙奇天烈なストレンジワールドを描くという面白さ同時に、「誰か別の(有名な)人物になりたいと思ったことは無いか」、「自分とはいったい何者か」「本当の自分とは何か」のような哲学的な問い掛けに対する面白さが得られる良作。 登場人物も実にユニークだ。 ボケっぷりが素晴らしい社長から、言語障害の部長、デンジャラスな雰囲気のマキシン、性倒錯者のロッテそして人形使いのグレイグ。 どの人物も内面や性格がしっかり描かれていると感じる。 晩年のマルコヴィッチと結婚したのは、あの部長さんだろうか。 これだけでも何か社長の深い想いを感じるエピソードのような気がする。あのエロ話も少しは伏線があったということか。 一緒にマルコヴィッチに入った他の人は会話が通じないのではないかという気がするがそのあたりは気にしないでおきましょう。 映画で気になったシーンはもっとグレイグの孤独なり、苦しみなりを感じさせて欲しかったというところ。 人形師として人気が出たのは「グレイグとしての自分」の腕のおかげなのか、それともマルコヴィッチの人気のためなのか。 マキシンが結婚してくれたのはグレイグ自分自身としてなのか、それともマルコヴィッチとしてなのか。 このあたりはもっともっと苦悩するシーンは描けたと感じる。 確かに社長から、マルコヴィッチから出ていかないとマキシンを殺すと脅されたときに、「ここから出ていけばただのグレイグに戻る」と嘆いていてはいたが、ここはもっと掘り下げるべきポイントと感じる。 ここがまさに「自分とはいったい何者か」の答えになるべきところではないか。 「自分とはいったい何者か」がロッテの性倒錯の発覚ということで片付けられている感がしてもったいない。 あまり「穴」について深く考える必要はないとは思うが、器であるマルコヴィッチの身体が社長たちに乗っ取られれば、本体のマルコヴィッチはどこへ行ってしまうのだろうか。 そうなれば、あの女の子も44歳くらいでどこかへいなくなってしまうというのも何か哀しい話のような気がする。8点(2005-03-19 21:33:58)(良:1票) 《改行有》

60.  カジノ 凄い面白い映画でもあり、かつ凄いつまらない映画でもあった。 カジノを舞台とした様々な人間模様とカジノ・ギャング世界の「表」と「裏」を描いたこの映画は素晴らしい映画であり、各俳優陣も素晴らしい仕事をしていたと思うが、うんざりするほど長すぎると感じる。 同じ3時間でも長さを気にしない映画もあれば、この映画のようにもの凄い長く感じる映画もある。 それは何故かというと、演出というかストーリーが単調で一本調子のため、同じリズムで3時間ひっぱるのはよほどでないと無理というものではないか。 シャロンストーンは確かに熱演といってもよい演技をしていたが、彼女の部分は大幅にカットできるような気がする。 もっとも、デニーロとストーンの「愛」をメインテーマにしたいのなら別な話だが、この映画が描きたかったのはそれだけではないような気もする。 確かに、冒頭で「愛」とは信じることとか。互いに尊重しあい、思いやる心が愛とか。 命を預けあうのが夫婦とかなんとか言っているので、本当は、「愛」についてがポイントの映画なのかもしれないが、これまたジョーペシの熱演のおかげか、出来あがったものは違うものがメインテーマになっているのは明らかだろう。 7点(2005-03-14 01:54:03)《改行有》

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