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プロフィール
コメント数 1251
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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41.  泣く子はいねぇが 《ネタバレ》 秋田色の濃い映画である。海浜景観に日本海沿岸の風情があり、秋田名物ババヘラアイスも出たのは感動した。地方ではあるがみな現代に生きる日本人であり、必要以上に田舎臭く見せることもないのは秋田出身の監督として当然といえる。 男鹿の「なまはげ」に関して、劇中では「なまはげ保存会→存続の会」会長の男が全体を一人で引っ張っている印象だったが、実際は多数の集落単位で個別に行ってきたものらしい。もともと地元の青年団のような人々がやっていたのだろうから多少の不祥事があっても変でなさそうだと思うが、現実に2007年末の悪質な事件が全国に知れ渡ってしまったことがあり、この映画もそのことが発想の原点にあったかと思われる。行く先々で酒を注がれて飲まねば済まない地域社会の縛りの中で、主人公のような腑抜けが個人的方針を通すのが難しいのは間違いない。 帰郷した主人公を直接責める者はあまりいなかったが、あからさまに攻撃して来たのが会長の男であって、これは主人公のせいというより会長自体の人間性による。「わがんねんだよおめだぢが」と言っていたがわかる能力がないのであって、自分の決めた枠に人間をはめ込む以外の観念がなく、枠から外れた者には容赦なく憎悪を叩きつける。本人は善意と信じているので手に負えず、指導力があると思われて持ち上げられるのでどこまでもリーダー然としつづける。個人的には最悪と思うがこれも人間なのでどうしようもない。 一方の主人公は極めて善良な男だが、眼前の問題にまともに向きあえない人間だったようで、今になって向き合うにしても普通人のレベルとの差が開きすぎている。保育園での姿などはあまりに見苦しく、おめあど死んだ方いいんでねが(…秋田方言になっているか不明)と言いたくなったが、現に生きている人間が簡単に死ねるわけもないのでどうしようもない。序盤に出た「シロクマ効果」との関係でいえば、最後の出来事を経て心が入れ替わる可能性も表現されていたかも知れないが、安易に希望を語る気にもならなかった。 解説によると「父性」がテーマだそうだが主人公があまりに不甲斐なく、とても父性を語る域に達してないようで素直に受け取れないが、しかしそういう感想自体が劇中会長に近いかと思うと何ともいえなくなる。自分としては会長よりは主人公に近い側と感じたのは間違いない…というよりかなり近いかも知れない。結果的に自省させられた映画だった。 ほか周辺人物に関して、「運動会」ビデオを見た兄の発言は不明瞭だが孫を見せたかったと言っていたのか。事件のせいで兄が結婚の機会を逃したとすれば、いわば会長と並ぶ直接の被害者だったことになる。また親友も主人公の任務懈怠のせいで破滅したとすれば被害者だろうが、悪友ながらも最後まで主人公の味方だったらしい。社会にはこういう奴もちゃんといるということで、自分が神様の会長などとは大違いだった。 出演者について、吉岡里帆は個人的に最近見ていなかったが、こういう顔をしてみせる人だったかと改めて思った(顔自体はどんぎつねと同じだろうが)。また序盤だけだったが古川琴音という人も目を引いた。仲野太賀には引き続き期待する。[インターネット(邦画)] 8点(2023-09-30 10:51:07)《改行有》

42.  野生のなまはげ 《ネタバレ》 低予算映画ということを前提としての評判は悪くないらしい。以下は個人の感想ということで。 ナマハゲを含む日本の「来訪神」は2018年にユネスコ無形文化遺産に登録され、ナマハゲの地元秋田県でも人口減少と少子化・高齢化の中で行事の存続に努めているが、その「来訪神」をこの映画のように、家畜や愛玩動物の扱いで「飼う」などという発想は非常な違和感を覚える。同じくユネスコ登録のアマメハギが「ゲゲゲの鬼太郎」に出たりしていることもあり、妖怪の扱いであればかろうじて許容できなくはないが、しかし最低限、人智を超えた存在でなければならないのであって、悪ガキや悪徳業者に翻弄されるなどという展開は著しくイメージを毀損する。秋田での協力は得られなかったと監督が言っていたようだが(宣伝協力として秋田県東京事務所の名前が一応出ていたが)、現に「来訪神」の存続に努めている立場からは協力できかねるということなら当然ありうる。 監督はもともとオオカミなど野生動物と少年の交流を描きたかったという話もあるようだが、その交流の相手をナマハゲに変えたのは、奇を衒ったようだが適切とは思えないというのが個人的見解である。 その他物語については要は夏休みの出会いと別れのドラマだが、笑うところや泣くところは特にない。ただ人が落ちる場面に力が入っていたのがよかったのと、「秋田美人」の登場には感動した。秋田美人役の六串しずかという人(171cm、長身)は盛岡市の出身で、岩手を拠点にモデルなどの活動をしているとのことで本物の秋田美人ではないが、しかし秋田ではないというだけのことで特に問題はない。佐々木希にわざわざ登場してもらう必要はなかった。[DVD(邦画)] 3点(2023-09-30 10:51:04)《改行有》

43.  河童のクゥと夏休み 《ネタバレ》 うちの近所にも昔は河童がいたことになっていたかも知れないが今はいない。個人的にも河童に特に思い入れはない。 この映画の河童は野生動物のような存在らしいが、知能があって人の言葉を話すからには人間としても軽くは扱えない。ただ河童だけでなく犬やカラスも人並みの知能がある設定なので、対等な生き物として扱うべき対象はさらに広いことになる。人智を超えた能力としては言語によらない意思疎通の方法を持ち、さらに人類文明を超越した存在ともつながる立場だったようで、かえって人類の方がそのような世界から疎外された種族ということになる。 劇中河童は現代の文明社会で人間の保護を必要としていたが、子どもながら人格がしっかりしていて自立心もあり、見るからに哀れっぽい存在には描かれていないのがいい。非力そうに見えてちゃんと相撲が強いのも侮れないが、場合によって破壊的な能力を発揮するのはやはり人間として畏怖を感じさせる存在ともいえる。 また自然環境に関する問題意識についてはよくある普通程度の感覚だろうが、この映画では最初を江戸時代まで遡ることで、現代の都市開発だけでなく大規模な水田開発も自然環境に影響を及ぼしたとの認識が示されていた。ちなみに「やんばる」は2021年7月に周辺の他の地域とともにユネスコ世界遺産に登録され、いまだ米軍の訓練場に隣接していながらも、保全の条件は改善されていると思われる。しかしその遺産登録もそれ自体が別に強制力を持つわけでもないようで、何より守ろうとする人間の意思が大事なのだろうが、今後の国際情勢や経済・科学・軍事その他の都合でどう変わるかわからないと思えば、どこまでも人類など信じられないという思いはある。人類社会に上辺の社会正義はあっても良心は存在しないので、劇中河童には何とかうまく生き延びてもらいたい。 物語としては夏休みの出会いと別れということで、これまで特に主体性なく生きてきた少年に自立心が生まれ、初めて心の通じあう他者を認識する機会になったということらしい。ラストで河童と少女はそれぞれ新しい生活環境での暮らしを始めていたが、少年ともまたつながることのできる可能性を残していたのは救われる。 なお製作に当たって遠野市の後援を得たにもかかわらず、物語上は遠野に河童はいないと断言した形になってしまっていたが、座敷童子はいたのでまあいいかともいえる。その座敷童子の歌には少し心を打たれた。他にも心を動かされる場面の多い映画だった。[DVD(邦画)] 7点(2023-09-30 10:51:02)《改行有》

44.  ニューオーダー 《ネタバレ》 メキシコ国家の悪を暴く映画である。映像面や物語構成についてはそれなりに見せているが、残酷な場面があるので一応要注意である(電気棒を尻に挿すなど)。 映画として何を訴えたいかは公式サイトに監督の言葉が一応書かれていて、民衆を顧みない政府をこのままにしておくといずれこうなる、という警告とのことだった。冒頭がショスタコーヴィチの交響曲第11番「1905年」で始まるのでロシア革命の民衆蜂起のようなことを予感させるが、結果的に民衆が勝利したとはいえなかったという意味とも取れる。劇中では最初に暴動を起こしておいてから、軍隊がこれを鎮圧する体で新たに抑圧体制を作ったのが「新体制」の意味だったのかも知れないが、そうだとすれば特に目新しさを感じるものではない。題名は刺激的と思ったが期待外れだった。 現実の問題として、メキシコでは以前からの麻薬戦争との関係で、犯罪組織だけでなく警察や軍隊までが虐待・拷問をやってきたということはあるらしい。しかしこの映画のような営利目的の誘拐を、末端はともかく軍として組織的かつ大々的に行うことまで実際あるのか、あるいはやりかねないとアピールする根拠はあるのかどうか。まあ根拠があると地元民が思うなら他国民として否定できるものでもなく、一応何が起きるかわからない世の中とはいえるが、ちなみにメキシコ国家が本当にこれほど恐ろしいならこの映画も公開できない(関係者は生きていられない)だろうから、基本的には安全な環境で批判だけしている状態だろうと思っておく。 なお登場人物のうち「ビクトル」というのは父の友人とされているだけで実際何なのかは不明だったが、公的機関に関わっていて、軍の高官と思われる将軍よりも立場が上に見えたからにはかなりの権力者であるらしい。最後の場面で3人が並んでいたのは「軍」「政」「財」であって、これら勢力が癒着して国を動かしているが、実は「財」が痛めつけられる立場だというのを象徴的に示したのかも知れないと思った。 その他雑談として、メキシコでは公的健康保険の加入者は公立病院で自己負担なしで診療が受けられるそうで、それ自体は社会保障の手厚さを思わせる。ただし医療の質や治安の問題から、経済的に余裕のある人々は自己負担で私立病院を利用するとのことで、そのための民間医療保険に加入することもあるようだった。現地の日本人は私立病院の利用を勧められているようで、庶民向けが明らかに安かろう悪かろうという点に格差が見えているとも取れる。メキシコが世界最悪なわけでもないだろうが。[インターネット(字幕)] 5点(2023-09-16 10:03:27)《改行有》

45.  バトル・オブ・プエブラ 勇者たちの要塞 《ネタバレ》 1862年の「プエブラの会戦」で、当時無敵のフランス軍を相手にメキシコ軍が勝った話である。単純に見ればメキシコ万歳の愛国映画だが、有名なCielito Lindoは誰も歌わない。残酷な場面があるので一応要注意である。 歴史的背景は調べるのが面倒くさいのでいいとして、この映画を見る上では中央大学のラテンアメリカ研究者によるweb上の記事『「シンコ・デ・マヨ」をめぐって』が参考になった。原題にあるCinco de Mayo(5月5日)がメキシコの記念日というより主にアメリカ各地で開催される祭典の日であること、リンカーンとの関係やこの映画自体の見方について簡潔にまとめてある。 疑問が残るのは、この5月5日に盛り上がるアメリカではなくメキシコで映画化された理由だが、これは全国的には重視されない出来事をメキシコ全体の立場から捉え直し、米国内で存在感を増すラティーノとも意識を共有した上で、今後のいい関係を作っていきたいとの期待の表れかと想像しておく(知らないが)。映画の結末ではメキシコがアメリカに恩を売る形になっていた。 感想としては、戦争映画としての盛り上がりはなくはないが全体の流れが感じにくく、またよくあることだが人物が誰だかわかりにくい(頭髪の多寡で区別できるのはいる)。戦場の場面でも、ソンブレロにポンチョのような格好は地元民として、下が赤色のゆったりした軍装はどこの兵隊かわからなかったが、これはアルジェリアから来たフランス外人部隊だったということか。終盤で脚をもがれた男は顔が判別しにくかったが、これは物語的にいえば中盤で、主人公の友人を馬で裂いて殺した男に復讐した形だったと思われる。 人間ドラマに関しては、主人公が脱走兵というのは意外感があるが、最後はやっと立派な兵士になれたという印象もあまりなく、愛国映画的な外観と整合が取れていたのか不明なようでもある。ただし悲惨な戦いを経験すれば人格が向上するわけでもなく、敵が残酷であるほど同レベルに落ちるだけ、あるいは死ぬだけということなら、愛国の建前は別として現実の反映になっているようではあった。 なお主人公男女に関する最後の締め方は少しよかった。主人公の「フアン」はメキシコの代表的な男の名前だそうで、この名前でメキシコ国民(男)全体を象徴させた形らしい。無名戦士ということでもないが、国のために命を落とした多くの人々の顕彰碑的な意味もある映画かと思った。[インターネット(字幕)] 5点(2023-09-16 10:03:25)《改行有》

46.  いつか輝いていた彼女は 《ネタバレ》 映画と音楽のコラボレーションによる映画祭「MOOSICLAB 2018」への出品を前提に制作されたもので、当時活動中だったバンド「MINT mate box」がそのままバンドとして出演して主題歌も提供している。またボーカルの人がそのまま劇中の重要人物という設定のため、本人の高校時代の悪業を暴く話になってしまっているのが変である。別に実話でもないだろうが。 監督の前田聖来という人は「女優出身の新鋭監督」と紹介されているが、個人的にはAKB48出演の学園ゾンビドラマ「セーラーゾンビ」(2014)で、演者として強い印象を残したので覚えていた。 まず苦情として登場人物とその名前が把握しにくい。また音量や発声のせいで発言が聞き取りにくいので何を言っているかわからない。35分なので甘く見ていたが、2回見てやっと内容がわかってきた気のする映画だった。 設定としては高校の芸能科とのことで、一般の共感を得ようとするには特殊な世界だが、もともと自意識の強い連中ばかりという理由にはなっている。主人公は地味に見えても実は何かと他人に羨まれる資質に恵まれていたようだったが、結局別方面に行ってしまった原因としてはその場の運のほか、「マホ」との違いは人間のスケールの差?、「詩織」との違いは上昇志向の差という感じか。確かに芸能やスポーツなど高校生の頃に決定的な差が出る世界もあるだろうが、その他普通人は高校時代が不遇だったからといって負け確定とも限らないので、主人公は腐らずに何か新しいことを発見してもらいたい。真面目すぎるのが問題なのか。 なおラストで「なつみ」と「佳那」もその後どうなっていたのか見たかった。「詩織」はクセモノ感が顔に出ていた。[インターネット(邦画)] 4点(2023-09-09 10:11:09)《改行有》

47.  闇の列車、光の旅 《ネタバレ》 中米ホンジュラスの少女が父親と叔父とともにアメリカに移住するため、グアテマラを通ってメキシコから貨物列車で国境を目指すロード/レールムービーである。よくわからないが父親の後妻?とその娘がすでにニュージャージーにいたようで、途中の危険はあるにしても決行の準備は一応整っていたように思われる。 この一行に、さらにメキシコにいた犯罪組織が絡んで来る展開になっていたが、これは不法移民と犯罪組織が事実上切り離せない問題だということの表現ともいえる。中米地域には若い連中の希望がなく、不法移民するか犯罪組織に入るかの二択であるかのような印象も出していた(実際はその他もいるだろうが)。 移住計画はうまくいかず成功ともいえなかったが、主人公(少女)を中心にしてみれば、結果的にこれでよかったのだと思わせる話ができている。途中の障害になっていたのは警察よりむしろ犯罪組織だったが、このMS-13という実在の組織はロサンゼルスのエルサルバドル移民が作ってアメリカと中米に広く勢力を持つ組織なので、裏切り者の男がメキシコを出ても安全になるわけではなく、それなら本人もここが死に場所と思って納得できたかも知れない。 ところで監督は日系4世だそうだがいかにも日系人という顔でもなく、自分の祖先が移民であることが制作の動機というわけでもなかったようで、たまたま前作の短編で移民問題を扱ったことからの延長らしかった。 この映画では主に移民する側に寄り添うことで観客の素朴な良心による共感を誘う形になっているが、それはそれでいいにしても、この映画の後にアメリカの不法移民はさらに問題が大きくなってしまっている。2021年からの民主党政権下では移住希望者が大挙越境して来るため南部国境州が対応に苦慮する一方、ニューヨークやシカゴといった聖域都市での受入れにも住民の不満が出始めているとの報道もあった(2023.5.15ニューズウィークの記事)。 監督としては、移民問題は普遍的なテーマだといいながらも実は日本にはあまり関係ないだろうと思っていたらしかったが、制作当時の2009年と違い、現在は日本でも他人事といえなくなってきているのは報道等に出ている通りである。この映画を見て主人公を応援してやるばかりでもいられない。[DVD(字幕)] 5点(2023-09-02 15:32:01)《改行有》

48.  サルバドル/遥かなる日々 《ネタバレ》 中米エルサルバドルといえば2021年9月にビットコインを法定通貨にしたことで有名である(その後どうなったか知らない)。また2023年7月公開の米映画の評判に乗って、ピンク色の「バービー棺桶」を売り出した葬儀屋が同国内にあったとのことで(ガーディアン・AP通信→ハフポスト日本版)、そういう今風のことも話題になる国らしい。 映画としては昔の映画というしかなく、これを現在の目でどう見ればいいのか困る。初見時に印象的だったのは何といっても強姦→射殺の場面で、これは当時は過激と思われていたかも知れないが、その他世界には制作側の残虐嗜好を恥ずかしげもなく観客と共有したがる映画などもあるわけで、今となってはこの程度だと何とも思わなくなっている。何かと自由な世界というしかない。 主人公には言いたいことはあったらしいがどうすればいいかの考えはなく、単に言いたいことを言うだけの鬱憤晴らしか自己満足のようでもある。レーガンは悪者になっていたが、実際はそのレーガンの時代に東西対立が解消されて結果的に紛争も終息したわけで、その後は現地でも軍政から民政に移行する一方、劇中の革命組織も合法政党に衣替えして大統領も出している。現在は不法移民による人口流出や犯罪組織の拡大などもあって皆が幸せなわけでは全くないだろうが、少なくとも内戦時代よりはましと想像される。 人間ドラマとしてもあまり感情的に深入りする気にならないが、特に主人公の友人である報道カメラマンが感動要素として扱われていたのは素直に受け取れない。写真が人の心を動かすものだとしても、どういう状況で何を撮ったかわからない写真に適当にキャプションを付ける場合もあり、またそれ自体は事実でも使い方によって情報操作の道具でしかなくなることもある(湾岸戦争の水鳥など)。報道写真がもてはやされたのも昔のことのようで、劇中人物のように写真に人生をかけるのが喜びというタイプでもない限り、一般人として特に共感できるものはなかった。 ただアメリカは別に正義でも何でもないという主張は今日でも当然意味を持つ。後半で主人公が軍人や大使館員?(CIAだったらしい)に述べたのは監督の本音とのことだが、これ自体は普通に共感できる内容だった。この監督も今は陰謀論者のように思われているらしいが、今後とも自分の方向性を通していってもらうよう期待する。 なお皮肉ばかり書いたが、主人公が十字を切ったのを見て後の人々も一緒にやったのはいい場面だった。[DVD(字幕)] 5点(2023-09-02 15:31:59)《改行有》

49.  コタンの口笛 《ネタバレ》 撮影場所は主に千歳市内(支笏湖を含む)とのことで、ほかごく一部を札幌と白老で撮っている。劇中で「今じゃもうありもしないアイヌの風習を見せて」観光団体を呼んでいたという白老には、現在では立派な民族文化の拠点施設ができて多くの来場者を集めているらしい。 現代の出来事として、2021.3.12に日本テレビの番組でアイヌに対する侮蔑的発言があって問題になったが、この映画ではその言葉がそのまま台詞になっており、実際にそういう言い方はあったということがわかる。劇中発言によると当時の社会は前よりましになったとのことだが、それでもなお差別があることの背景には、差別者の個人的問題(劣等感の裏返し、ただし中学生レベル)以外に、世代の違いのせいで前時代の差別感情から逃れられない場合があることが示されていた。ほか民族差別とは直接関係なく、古い世代の権威主義に対する若い世代の反発が表現された場面もあった。 一方で社会制度については特に問題視されていたようでもなく、当然ながら義務教育は万人に対して普通に行われ、また失業保険といった社会保障も全国民に共通になっている。鮭を獲るのが密漁扱いだったことに関しては、先住民の権利を国家が奪ったと解釈されるのが普通??だろうが、これも社会の構成員が等しく共通ルールに従うことの表現とも取れる。まだ人々の間に差別意識は残っていても、社会制度はフラットなものができているとの認識だったようで、個人的感覚としても先日たまたま見た中米グアテマラの先住民の映画に比べれば、日本は極めてまともだと思わされた。 物語上のポイントになっていたのは、登場人物の中で最も強圧的で横暴な人間が何と主人公姉弟の親戚だったことである。集団の全体が善または悪なのではなく、集団内にも善や悪の個人がいて、さらにいえば個人の内部にも善悪が混在して時代により変化もしていく。そのような認識のもとで、殊更に集団間の憎悪を煽り分断を拡大するようなことをせず、次第に改善されつつある社会において「一人ひとりが強く生きる」ことの方が大事だ、というのが結論だったらしい。そういう考え方が現代においてどのように評価されるのかわからないが、個人的には普通に共感できる話ができていた。 なお監督としては、戦後の時代において「広い世界の中の日本の立場におきかえる事の出来る」テーマがこの物語にはあるとの考えだったそうだが、これは現代でも基本的に変わらないと思われる。終わることのない圧迫に耐えながら、劇中姉弟のように諦めない姿勢を貫くことが大事ということで、劇中の美術教員の言葉を日本全体として受け止めるべきだということになる。 その他個人的な見解としては台詞がほとんど東京言葉のため、特に若年層などはアイヌか和人かという以前にそもそも地方民とは思えない。その中で主人公姉弟はまだしも純粋で真直ぐな人物像ができていたが、この二人を迫害する同級生の底意地の悪い発言や口調はまるで地方民を侮蔑する都会人のようで極めて不快に感じられ、本来のテーマとは別に地方民としての共感を誘う映画になっていた。ちなみに主人公姉弟の母は秋田県由利郡本荘町(当時)の出身だったとのことで、その良き地方民の資質が姉弟にも受け継がれていたものと想像される。[DVD(邦画)] 6点(2023-08-26 10:52:10)《改行有》

50.  呪餐 悪魔の奴隷 《ネタバレ》 「悪魔の奴隷」(2017)の正統な続編である。「夜霧のジョギジョギ」(1987)はともかく前作を見ていないと厳しいかも知れない。 大まかにいうと主人公の家族は悪魔に狙われていて、前回は戸建ての自宅で恐ろしい事件が起きたが、そこから逃げて住んだ高層アパートが実は悪魔教団の拠点のような場所だったということらしい。この家族を助けようとした男は前回も出ていたが、実はこれがオカルト雑誌「MAYA」の創刊者であって、都市伝説の形で世間に悪魔の脅威を警告していたことになっていた。またラストで出ていた男女は、前回は悪魔側のエージェントのようなものかと思ったが今回も正体不明のままで終わった。 劇中年代としては冒頭で1955年の場面を見せた後、本体部分は前回の事件から3年後の1984年ということにしている。映像が茶色いので前回よりかえって古く見えるが最初だけである。 前回はけっこう考えさせられるミステリー調の展開だったが、今回は趣向を変えて単純に面白がらせる映画にしたようで、主人公の家族や周辺住民をさまざまな手で怖がらせたり悲惨な目に遭わせたりするお化け屋敷ホラーになっている。舞台の高層アパートは、外観はシンプルだが内部は結構複雑な構造でお化け屋敷にふさわしい変化を出している。 登場人物中に中学生くらいのガキ連中がいるので「学校の怪談」のようでもあるが女子にも容赦ないので安心できない。かなり悲惨な場面もあるがグロくは見せず、叫んで騒いで笑わせる場面もあってドタバタコメディのようでもある。 ストーリーとしては、何か破滅的な大事件が起きそうでいて結局何だかわからないまま終わってしまったが、これはオカルトライターやラストの男女の言葉からすると要は次回作を待てということらしい。そのほかバンドン会議(1955)との関係や、その他前作を見ていても意味不明な点は多々あるが、次もあるなら考えなくてもまあいいかと思わせる雰囲気もあり、制作側の意図のとおり(多分)単純に面白がらされる映画だった。 出演者も前回と全員同じで、主人公(姉)には次第に愛着がわいて来たので次回作での登場を待ちたい。弟らは少し年齢が上がって(+5程度)クソガキ的な雰囲気が濃くなって来ている。またラストで正体不明の女性がちゃんと顔見せしていたのは嬉しくなったが、今回は最後に観客の方を見てくれなかったのが残念だった。[インターネット(字幕)] 6点(2023-08-19 09:54:22)《改行有》

51.  原爆下のアメリカ 《ネタバレ》 1949年のソビエト連邦の核実験や1950-1953年の朝鮮戦争、またアメリカでの赤狩りといったものを背景にした映画と思われる。強烈なメッセージ性が特徴だが、ほか最後にラブストーリーだけが現実化していくといった構成の妙があるとはいえる。 邦題には「原爆」が入っているが、原題では「侵略」と言っているだけで核兵器は特別視されていない。劇中ではかなり気安く原爆が使われていて、まだ水爆も大陸間弾道ミサイルもない時点での核戦争はこのように想像されていたというようではある。核兵器が使われると熱線と爆風が来るといった感覚もなく(放射能という言葉は出たが)、単に強力な爆発物としか思っていなかったようだが、「核魚雷」で空母が大破して復旧に努めたが総員退去して沈没した、などというのでは普通の魚雷と違わないではないかと思う。 開戦の原因は不明だったが、要は世界征服を企む悪の勢力が一方的に侵略して来たらしく、卑劣な奇襲攻撃に応戦したところから全面戦争に発展する、というパターンができていたようだった。敵の先制核攻撃に対しアメリカは3倍返しで応じていたが、しかし攻撃対象は軍事基地・工場・鉄道・港・油田とのことで、一般庶民の居住地が対象外というのはさすが世界正義を体現するアメリカらしい人道的対応と思わせる。実写映像には朝鮮戦争のものもあった感じで、また「太平洋艦隊」という台詞も出ていたので日本も無風状態だったとは思えないが、とりあえず表面には出ないので突っ込まないことにする。 なお最後に出た言葉は普通に真理だと思うが戦後日本人に言っても意味はない。アメリカも自国で戦争などするはずがないので現代的な意義はない映画だろうが、まだ自国の資金だけで作っていた時代の純粋なアメリカ映画だったとはいえる。現代には現代の問題もあるのでこういうのを腐していれば済むわけでもない。[インターネット(字幕)] 4点(2023-08-12 11:28:55)《改行有》

52.  三大怪獣地球最大の決戦 《ネタバレ》 三大怪獣+1が活躍する楽しい怪獣映画である。 洋上で船が襲われた時に、最初はクジラか何かが来たと見せておいて、実は後にゴジラがいたというのはフェイント感を出していた。またその後の横浜で夜空にキーンという音だけがして、やがてラドン(影絵)が見えて来た場面はなかなか迫力がある。今回初登場のキングギドラは、初回は卵のようなものに入って地球に来たことを再認識させられたが、一度は横浜→東京まで行っていながら(また東京タワーが壊れた)その後にちゃんと富士山麓の決戦場に出向いて来るのが筋書き通りの印象だった。 出現時点では一応恐ろしい存在のように見えても怪獣バトルが始まるとコメディになってしまう。ゴジラはやんちゃな悪ガキでラドンも同類、モスラはいい子(東京タワーを壊したこともあるが)というキャラクターになっていて、ゴジラがモスラにいろいろ言われてフン、バーカという顔をしていたのは笑った。真面目なモスラが地球生物の共通利害を説いたことで、結果的にゴジラとラドンも共感したかのような展開だったが、実際はモスラが一方的にやられていたのに腹を立てて加勢しただけのようで、モスラほど真面目な連中でもないと思われる。なおモスラは、防衛大臣が口にした核兵器の使用を回避するため尽力した形になっている。 ラドンはどちらかというと非力なイメージだったが、この映画ではゴジラを手ひどくやっつけていたのはなかなかやるなと思わせる。また一番弱そうなモスラの糸が意外に強力で、古風な表現でいえば「ほうほうのてい」でキングギドラが逃げていったのがざあまみろだった。 ドラマ部分では主人公兄妹の馴れ合い感が可笑しいのと、金星人が何事にも動じることなく「わたくしは金星人です」で通す人物設定に好感が持たれた。ラストの趣向は知らないで見たが、まるきりローマの休日だったので正直感動した(「ローマです」と言うかと思った)。 その他の話として、鉄筋コンクリートの大阪城や名古屋城ならともかく、現存天守の国宝松本城が全壊しないで済んだのは幸いだった。今回は松本市内での撮影もあり、映像中で女鳥羽川の橋(中の橋)の向こうに看板が見えた果物専門店は、歩行者天国の「なわて通り」(縄手通り、ナワテ通り)で今も営業していて、映像では店頭に天津甘栗が見えたが、今は観光客向けにフルーツのスムージーなども出しているそうである。昔の映画でもちゃんと現代につながっている。[ブルーレイ(邦画)] 6点(2023-08-05 14:10:05)《改行有》

53.  三大怪獣グルメ 《ネタバレ》 バカ映画の巨匠・河崎実監督のバカ映画である。公開日が2020/06/06とのことで、本当にこの時期に劇場公開したのかと思うが、疫病の不安の中で見れば気晴らしになったかと思われる。 歴史的にみた三大怪獣といえば「三大怪獣 地球最大の決戦」(1964)のゴジラ・ラドン・モスラだろうが、海鮮丼という前提なら「ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 決戦!南海の大怪獣」(1970)の3怪獣のうち、カメが食えないのでタコにしたように取れる。また公式サイトによれば、もともと円谷英二監督が戦前に企画していたタコ映画の構想に触発されたとのことで、そのタコに監督本人の「いかレスラー」(2004)、「かにゴールキーパー」(2006)を加えた形になっているともいえる。 バカ映画といってもこのくらいになると特に変なところもなく、ちゃんとしたストーリーを備えた娯楽映画になっている。当初は登場人物の性格付けを不明瞭にしておいて、最終的に誰に肩入れすればいいかがはっきりさせていく形だったのは悪くない。うち悪役は、ラストに至ってもまだ「世界の破滅」を企んでいたのかも知れないが、世間では既に人間がミイラ化するという怪事件が発生しているのに同じようなことを考えるでもなく、どこまでも海産物に固執していたのはもう頭が変になっていたと思うしかない。昭和のTV番組「怪奇大作戦」の第24話を思わせる哀れで恐ろしい(笑)終幕だった。 また題名からすればグルメ映画ということもあり、登場人物それぞれ言葉を飾ったグルメ評論風の賛辞を連ねるのが空々しいが料理自体はまともなものを出している。食物だけでなく、協賛に名前の出ている「有限会社ニイミ洋食器店」(東京都台東区)のキャラクターが大活躍する展開だったのは、「プロを支えるプロの街 かっぱ橋道具街」へのリスペクトも感じられて少し感動した。同じく協賛で「岩下の寿司がり」の岩下食品株式会社(栃木県栃木市)も存在感を出している。 出演者としてはちゃんとアイドルも出ているが、例によって監督本人も顔出ししている(見なくていい)。ほか監督のお知り合いか何かわからない人々が大勢出ていて特にコメントする気にならないが、別映画で見たばかりという関係で一人だけ挙げると、「DAICON FILM版 帰ってきたウルトラマン マットアロー1号発進命令」(1983)のイブキ隊長役の人物が「イブキゲンゴロウ」役で出ていた。ちなみに主演の男に関しては「わかんなくて結構だよ」の表情がよかった(笑った)。[インターネット(邦画)] 5点(2023-08-05 14:10:03)《改行有》

54.  大きな春子ちゃん Am I too big? 《ネタバレ》 26人の監督によるバカ映画のオムニバス「フールジャパン ABC・オブ・鉄ドン」中の一編だそうで、2014年の「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」で上映されたとのことである。「鉄ドン」というネーミング自体が今となっては痛い感じだが、この映画も昔の歌から無意味に題名だけ借りて来て笑えないオヤジギャグ的印象がある。劇中の主人公が監督本人だったとのことで、制作者の年代感を恥ずかしげもなく出した映画になっている。 ジャンルとしては「バカ映画」ということになるが、そういう前提で要は特撮怪獣映画を作ったらしい。水着だったのは本来の棲家が海だったからで、最後にまた海へ去るのはゴジラなどの習性を受け継いだと思われる。 春子ちゃん本体に関しては、サイズの単位が何かと思ったらftだったのはなるほどと思った(尺でもよかったのでは)。ウルトラマン並みの高身長では本人も気にするかも知れないが、体重は軽いので安心してもらっていい。映像的には胸の柔らかさの表現に気を使っていたようだが、尻にガラスが刺さらなかったことからすると柔らかいが強靭という未知の生体組織でできていたらしい。 残念だったのは飛んできたのがアメリカの飛行機だったことだが(三沢ならまだしもテールコードのMOはアイダホ州マウンテンホーム空軍基地の所属ということになるので遠くからご苦労なことだ)、映像的な印象はそれほど悪くない。ラストの「終」は昭和の風情があり、洋上の富士も由緒正しい日本の風景といえる。 ほか春子ちゃん役は有元由妃乃という人で、尻の突き出し方などを見るとグラビアアイドルか何かかと思ったら普通に役者をしていた人らしい。前に見た超マイナー映画「サーチン・フォー・マイ・フューチャー」(2016)にも劇団員として出ていたようだが、今回はオヤジ好みの和ませる雰囲気を出していた。[インターネット(邦画)] 4点(2023-08-05 14:10:01)《改行有》

55.  心霊写真部 リブート〈web〉 《ネタバレ》 2010年代にニコニコ動画で人気の出ていたホラーシリーズの最終作に当たる。前回の「劇場版」で「続編があれば見てもいい」と書いておきながら見ていなかったので気になっていた。今回は主人公役と屋上の少女役がまた交代したが他の人物役は共通で、ほかに新キャラクターとして映画研究部の2人を入れたのはPOVの雰囲気を出すためか。二話構成のためオムニバスとしては貧弱だが「劇場版」と同じではある。 【第一話 廃墟】 「心霊写真部 壱限目」の第1話「廃墟できもだめし」のリメイクらしいが、上っ面をなぞっただけのようで一見客には意味不明ではないか。前回より時間は長いようだが中身は薄まって気の抜けた感じにできている。 【第二話 消えない顔】 新作だが話として面白くない。高校生の素人映画を見せられている部長の表情をちゃんと笑えるように見せてもらいたかった。 なお撮影場所が茨城県水戸市の中心街というのは珍しい。心霊写真部のある高校は本来「都立緑が丘高校」だったはずだが、今回は映画研究部の撮影場所も水戸市内の千波湖だったりして、実は最初から水戸の高校がモデルにされていたかのような意外感を出している。3階の窓から水戸駅北口周辺の街が見えている建物で、すぐ外に車や人が通行しているだろうと思われるのに、閉じ込められた人々が危機に陥るというシチュエーションは単純に面白かった。この前見た「シークレット・マツシタ」(2014)と似たようなものかも知れないが開放感が違っている。 全体的には前回の「劇場版」よりさらにレベルダウンした印象がある。今回もまた主人公の入部段階から繰り返しているが、その他シリーズ共通の各種設定がまともな説明もなく形だけ出ているようで実質的にファン限定映画になっている。これで「リブート」とは意味不明だが、とりあえず題名で何となく今後の期待を残しながら、実はそれとなくフェイドアウトしていくようなつもりだったと思うしかない。 ほか出演者として、今回主演の松永有紗という人は他のところでも見たことがあったようだが、レギュラー?の上野優華さんも安定的に可愛いので和まされた(もう7年も前の顔だが)。屋上の少女役の小宮有紗さんは文句なしの美少女で感動した。[インターネット(邦画)] 3点(2023-07-29 08:18:10)《改行有》

56.  ラ・ヨローナ ~泣く女~ 《ネタバレ》 似た名前のグアテマラ映画「ラ・ヨローナ ~彷徨う女~」(2018)とは全く別物である。製作年ではグアテマラが先だが公開はこの映画の方が早かったらしい。 個人的にはホラーとして特筆したくなる点はなかったが、グアテマラの方と違って基本が娯楽映画のため、気合いを入れて見なくていいのは楽だった。ちなみに水の霊であるのに腕を握られると火傷したようになるのは、触れた箇所の水分を一気に吸収してしまう能力があるからかと思った。 ドラマの面では、一度は主人公を恨んでその子どもらを破滅させようとした人物が、後に自らの行いを悔いて主人公を助ける側に回っていたが、終幕時に今度は主人公の姿が水たまりに映っていたのは、全ての母性にラ・ヨローナ的な二面性が潜んでいると言いたいのか。よくわからないが児相職員必見の映画だったようでもある。 また主人公の行動様式がかなり苛立たしいところがあり、現に自分が超常現象に脅かされて神父の紹介で呪術医に頼んでおきながら、それでもなお呪法を小馬鹿にしてみせなければ済まないのは頭の働きが合理的でない。これは古い時代に西洋社会を支配していた教会の代わりに、1970年代頃は科学万能主義の支配で人々の思考が抑圧されていたとの表現か。シリーズのもとになった心霊研究家夫妻のように、この頃もオカルトとかスピリチュアルの類は盛んだったろうが、科学を信仰する人々との間では分断が進んでいたということかも知れない(適当な解釈だが)。シリーズの他の映画を見ていないのでこの映画だけの話なのかわからない。 なおラ・ヨローナの伝承は、単なる怖がらせの怪談というだけでなく社会的な意味づけもされているようで、例えばスペインの征服者に服従させられた先住民やその女性の象徴のように思われている面もあるらしい。しかしそれをこの映画では、結局は征服者のもたらした神の力で難なく撃破してしまっていたのが空しさを感じさせるともいえる。[インターネット(字幕)] 4点(2023-07-22 10:18:43)(良:1票) 《改行有》

57.  ラ・ヨローナ ~彷徨う女~ 《ネタバレ》 ジャンルに「ホラー」が入っているがホラー映画だともいえない。中盤でやっとホラーらしい場面になったと思ったら、その後の展開が微妙にユーモラスなので笑ってしまった(好色ジジイが浴室を覗いたことがバレて家族に呆れられる)。また不気味なカエルが多数出現した場面でも、本当にこれだけカエルを集めたのかと思って笑った。 ただ細かい点は別として全体の流れはわかりやすいので、超自然的要素を含んだ復讐譚として見れば問題ないと思われる。抗議のデモンストレーションの声や音がずっと背景で聞こえていたのがこの映画ならではの雰囲気を出していた。 実態としてはホラーというより中米グアテマラの社会批判の映画であって、監督インタビューによれば「差別」をテーマに撮ってきた三連作の最後とのことである。今回は先住民と女性に対する差別とともに「共産主義者」というレッテル貼りのようなもの?も差別の一環として捉えたようで、前に見た「火の山のマリア」(2015)よりも敵を絞った形になっている。 題材としては1980年代にあった先住民の大虐殺(Guatemalan genocide)を取り上げているが、その責任者という設定の劇中将軍には明らかなモデルの人物がいたらしい。実際にその人物は2013年に裁判で有罪になったが憲法裁判所により判決が無効にされ、その後2018年になって死去したそうで、制作時点からみてごく最近の話だったことになる。 監督インタビューによれば(大意)いまのグアテマラでは過去を忘れて楽観的になりたがる風潮があり、さらに虐殺の存在まで否定する声も出てきていて、これに危惧を覚えたのが制作の動機になったというような話だった。それ自体はわかるとしても、しかし最近死去したばかりの人物をネタにして呪いの映画を作るのでは生々しすぎて、現地事情に通じていない他国民としては引いてしまうというしかない。 なお現実の大虐殺の背景にはCIAがいたとかいう話はこの映画では出なかったが、そういう巨悪にまでは呪いが及ばないのは空しさを感じさせるともいえる。 ほか題名のヨローナは、エンディングテーマの歌ではジョローナと発音していたようだった。これは一般的には「泣き虫」「やたらに泣いてみせる人」という単語の女性形らしいが、定冠詞つきで「ラ・ヨローナ」といえばこの映画のように、中米から南米北部にかけて広く語られる伝承のキャラクターということになる。ちなみに実際に虐殺が行われた村の名前でLa Lloronaというのもあったようだが、この映画でそういうことまで意識していたかはわからない。[インターネット(字幕)] 5点(2023-07-22 10:18:40)《改行有》

58.  火の山のマリア 《ネタバレ》 動物を殺す場面があるので要注意である。火山の雄大な風景などはそれほど期待できない。 中米グアテマラの映画とのことで、そんな国はどこにあるのかという感じだが、最近は台湾との関係で日本国内の報道でも名前が出ることがある。かつてマヤ文明の担い手だった民族が先住民として暮らす国であり、この映画も主要人物はマヤ人、台詞もほとんどマヤ語族の言語が使われている。 単純に見た限りでは、先住民の現況を淡々と描写した映画なのかと思った。先住民の社会的地位は低いようだが、その先住民自体もまだこんな生活習慣を維持しているのかということもあり、今後もっと暮らしを向上していける余地が大きいとは見える(まずは義務教育から)。失われた子がアメリカで生きているという発想は、現実の不法移民でも子どもだけ送り出す例が多くなっていることを思い出した。 主人公個人の物語としては、火山の向こうの楽園に憧れていたが裏切られ、できてしまった子を楽園(いわば天国)に送り出したところで観念して、仕方なく現実世界に回帰したという印象だった。妊娠によって火山の力を体内に宿したと思ったエピソードはどういう意味だったのか不明だが、またそのうち妊娠すれば再度火山の力を得られるはずということで、とりあえず父親が誰かは関係なく、要は母のたどった道を行くということかも知れない。 最後はエスニック調のエンディングテーマ(BOLERO DE IXCANULという曲らしい)が意外にのどかな雰囲気で、貧しく苦しいが淡々と次代に生命をつなぐ人々という印象を出していた。 ところで終盤の展開はよくわからなかったが、外部情報によれば実は子どもの人身売買を扱った映画だったとのことで、自分としてはそこまで考えていなかったのでかなり意外だった。日本では前の戦争で骨壺に石が入っていたという話があるので、棺に煉瓦が入っていても何か事情があるのだろう程度にしか思わなかった。騙し打ちをくらったようで気分が悪い。 確かに歴史的には養子縁組の形で児童の人身売買が盛んに行われてきた国ではあったようだが、この映画のように出産前の胎児を奪うのは全く別物としか思えない。これはもしかするとアメリカで2015年に問題化した中絶胎児組織の売買のようなことを、グアテマラでは本人の同意なく行っているとの問題提起ということか。そうだとすれば、序盤で動物を殺す(切り裂く)場面も胎児の処置を思わせるといえなくはなく、かなり嫌なイメージを残す映画ということになってしまった。 ちなみに各種の社会悪を告発しようとする映画という前提で見れば、要は「先住民の」「女性」以外は全部悪と思っておけばいいようではあった。そういう点を評価したい人々には素材を提供している。[インターネット(字幕)] 5点(2023-07-22 10:18:38)《改行有》

59.  とっくんでカンペキ 《ネタバレ》 過度な期待はしていなかったが最後はちゃんと感動的だった(笑った)。固定的な目標に向けて単線的に修練すればいいのでなく、極限までの試行を重ねることで可能性の全体像をつかみ、その上で適切な選択をすることが最善の結果を生むということかと思った。大変よい映画でした。[インターネット(字幕)] 6点(2023-07-15 10:58:41)

60.  DAICON FILM版 帰ってきたウルトラマン マットアロー1号発進命令 《ネタバレ》 今は有名になった庵野秀明氏が若い頃に関わった自主製作映画とのことで、現在は「シン・ウルトラマン」(2022)とともにアマゾン・プライムビデオで配信されている。映画というよりTVの30分番組の作りになっていて、中間あたりにCMの切れ目が入れてある。 基本的にはかなりまともな特撮怪獣物で、防衛基地の内部や装備品や街の建物などは、自主製作のミニチュア特撮としては信じられないほどよくできている。怪獣の着ぐるみもちゃんと作ってあり、顔の造作や唾液が糸を引くのが使徒を思わせる。怪獣の名前が「…エル」なのも天使イメージで使徒っぽいが、これは別の語源解説が付いているらしい。 背景音楽も昔のTV番組で聞き覚えのあるものを多用している。BGMの使い方として、TV番組では登場人物の私的ドラマで使われていたM27が、今作ではマットアローの発進場面にまで流れていたのは新鮮だったが、これは全体がハードな展開のため人間ドラマ限定の箇所がないからというだけかも知れない。 しかしどうしても突っ込みたくなるのはウルトラマンが本体・服装とも地球人仕様なことである。別に宇宙人が宇宙人顔である必然性はないにしても、全体として生真面目な作りなのにここだけギャグなのは変だろうが、これは学生時代からのシリーズとして外せない趣向だったということか。ウルトラマン以外はユーモラスな部分がないのは無味乾燥なようだが、終幕時の「こいつう!」(笑)はツボを押さえていたとはいえる。 物語について、市街地へ殊更に容赦ない攻撃が行われる展開だったのは、昭和(戦後)的にいえば一般民衆を顧みない軍組織への反感ということになるだろうが、しかしもう少し素朴な感覚でいえば、こういう怪獣モノで平気で街を壊すことへの微妙な反発の表われとも取れる。ガキの頃なら何とも思わなくても20代にもなれば、たとえ怪獣を倒すためとはいえ街が壊されれば人も死ぬだろうからまずくないか、という方向に意識が向くのは自然なことである。劇中現場がビル街ではなく住宅地が中心だったのも、一般の人々が現に住む場所が無惨に破壊されることへの心の痛みの表現といえる。 また人間ドラマに関しては、情を殺して義を立てるのを美徳とする戦前世代の硬直性や権威主義に対して、別に情を殺すこと自体に価値があるわけでもなく、誰も泣かずに済む方法を柔軟に考えるべきではないのか、と逆らってみせたのかと思った。ただし現実問題として人間にできることには限界があり、今回はウルトラマンの力を借りて最悪の事態は免れたものの、仲間1人が助かっただけでハッピーエンドともいえず、戦いで多くの人命が失われたことへの悔いは残った、ということかも知れない。当時の既成秩序や現実の中で苦闘する若い世代の姿を描写しているようではあった。 そのほか出演者の演技についてはコメントしないものとして、登場人物では隊長(年齢不詳)の顔の張り具合が北の最高指導者のようで、当時の日本人の栄養状態が良好だったことを思わせた。また防衛組織にちゃんと女性隊員がいて、防衛隊員らしい発声をしていたのは心地いい。一瞬だったが振り向いて「ウルトラマンです」と言った女性隊員は「新世紀エヴァンゲリオン」の伊吹マヤさんを思わせた。[インターネット(邦画)] 5点(2023-07-08 15:21:24)《改行有》

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