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プロフィール
コメント数 116
性別 男性
自己紹介  2014年12月に投稿を始めてから9年が過ぎました。

 「映画評論家になれるのでは?!」と思える素晴らしい言葉を綴られる先輩レビュアーさん達に憧れつつも、私には、あのような文章を書けそうもありません。私の場合、少年時代に気に入り、DVDなどで観直しても好きであり続けている映画を中心に、まだピュアだった(?)少年時代の気持ちや、当時の状況を思い出しながら書きたいと思います。大人になってから観た映画も少しずつ追加しています。

 レビューの文面は長くなりがちですが…最後まで私の拙文を読んで下さる皆様に感謝申し上げます。

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41.  HK/変態仮面 《ネタバレ》  某ローカルTV局の元日に当作品、そして翌日に続編…と二夜連続で放送されたので、録画して鑑賞。  原作漫画(1992~1993年連載)は、タイムリーに読んでいました。ただし「ドラゴンボール」「幽遊白書」「ジョジョの奇妙な冒険」といった少年ジャンプの看板漫画の“ついで”ではありましたが…。当時の私の率直な感想は「たぶん“女子”には理解してもらえないだろうけど、これぞ少年ギャグ漫画だ!」と、小学生の“男子”に戻った気持ちで楽しんだものです。  映画化の話を耳にしたときは「20年ぶりの復活か~」と感無量ではあったものの、題材が題材だけに気恥ずかしくて劇場には足を運ばず…しかし大成功をおさめて続編も製作!…にもかかわらず、やはり観ずじまいでした…。  そんな不誠実な読者だったわけですが、今回のTV放送を観て感激しました!。以下、他のレビュアーさん達の肯定的なご意見と異口同音かもしれませんが、長々と述べさせていただきます。  まず私が感心したのは、漫画から抜け出たかのような変態仮面のフォルムは勿論ですが…ギャグ漫画が原作だからといって、けっしてドタバタな演出で終始しなかったことです。  確かに、脇役陣(主人公の両親、大金玉男 及び 第四までの刺客-真面目・爽やか・モーホー・細マッチョ仮面)については、ストレートにコミカルな演出がなされています。  一方、主軸であるストーリーラインは【平凡な主人公の紹介 → ヒーロー誕生 → 巷での活躍と共に深まる主人公の苦悩 → 強敵出現と初めての敗北 → 再起とクライマックス】というように、まさにヒーローものの王道。しかも学園ものとしての純情ラブストーリーも加味してあり…それらを、主役二人(鈴木亮平さんと清水富美加さん)が、真面目に演じています。瀬川英史さんによる音楽も、この二人の場面では、原則、真面目な曲調で、ときとして「シリアスすぎでは?」と感じるほど。そして真面目に演じれば演じるほど、シチュエーションや台詞とのギャップから、観る者の笑いを誘う…これは福田監督の演出上の戦略かな…と思いましたし、私は好感を持ちました。  さらに、私が個人的に熱くなったのは、映画の後半に差しかかる【偽変態仮面との最初の対決から敗北に至る場面】です。これらは寒空のもとでロケ撮影されたことがわかります。随分前のことですが、私は某TVドラマのロケ現場に偶然、出くわしたことがあり「10数秒程度のワンカットを撮るだけでも、準備や打合せ等で、相当の時間がかかるんだな…」と知りました。そのため「路上での対決では強い風が吹いているし、その後のビルの屋上の場面は夜間。待機中は防寒に配慮したとは思うけど、撮影本番は、どんどん体温が奪われ、さぞかし寒かったろう…アスファルトや屋上の床に横たわるのは、さぞかし冷たかったろう…」と、観ている間、過酷な撮影現場を想像してゾクゾクしました。特に、偽変態仮面を演じる安田顕さんが、変態哲学を語り「そんな屈辱にエクスタシー!」と絶叫する鬼気迫る姿は、【寒さに耐える】を突き抜けたからこその境地から生み出されたのでは!…と感じました。もちろん、私が寒い季節に観たことも影響していたとは思いますが、おかげさまで、中だるみせずにラストまで集中して鑑賞できました。  さて、採点ですが…上記のように安田顕さんについては言うに及ばず、見事なボディーを作り上げた鈴木亮平さん、そして福田監督をはじめとするスタッフの皆さんが、真剣に情熱を込めて創りあげたことが伝わってきて、新年早々、元気になれました!。当レビューに投稿するにあたり、DVDをレンタルしてノーカット版も観ましたが、感想は変わりません!率直には10点にしたいところですが…万人受けは難しいでしょうから、当サイトの採点基準である【見た後、率直に面白かったぁ…って言える作品】として8点を献上します。  ところで、今や鈴木亮平さんは【西郷どん:2018年】で、一躍、大河ドラマ俳優になってしまいましたが…できれば、当作品を黒歴史化せずに、今後も代表作の一つとして誇ってほしいものです。また、男の子向けの作品ではありますが、某TV局のバラエティー番組【ダマされた大賞】の“変態おじさん”を楽しめる(というより、笑って許してくれる?)女性の方々なら、観ていただけるかも…と思ったりしています。[地上波(邦画)] 8点(2019-01-27 21:25:12)(良:1票) 《改行有》

42.  マイティ・ジョー 《ネタバレ》  私はオリジナル版・猿人ジョー・ヤング(1949年)で、以下の趣旨のレビューを投稿していました。「理解者の声が届かずに惨殺される1976年版のキングコング及びその類似作品を観て蓄積されていた悲しみが、当作品を観て洗い流された。作り話・理想論でも、このような作品は必要だと思う。ファミリー映画なのに、公開当時は怪獣映画を期待した観客の評判はよろしくなかったようだが、アメリカではTV放映されるようになって子供達から愛され、1998年のリメイク版につながったのでは…と推察しています」    そして、このリメイク版が公開されて今年で20年経ったと気づいたので投稿します。以下、3つに項目立ててお伝えします。  一つ目は、日本での公開時(1999年春)のポスターやチラシについて。主流は【ジョーが車の前で立ち往生する写真】を使ったもの。私は「オリジナル版と同様に誤解され、また評判が悪くなるのでは…」と心配したものです。それが的中してか?私が映画館へ足を運ぶ前に公開が終わってしまいました。他のチラシには【ジョーの手と、人間の手が優しく触れ合うイラストのアップに『ほんの少し大きいだけだった…』というキャッチコピーが重なる】というものもあり「オリジナル版のハートを良く表現している」と思ったのですが…  二つ目は、レンタルDVDで観たときの感想です。それまでに【予備知識】を仕入れて観賞しました(今回、投稿のため再見しましたが、感想は当時と変わりません)。  率直な印象は、良心的なリメイクで【ゴリラが置かれた状況:密猟と自然保護】をモチーフに上手に脚色していると思いました。また、オリジナル版でジョーとジルが友達になるきっかけ(物々交換ですが…)になった【大きな懐中電灯】が、重要なコミュニケーションツールになっているのにも感心しました。さらに、オリジナル版でジルを演じたテリー・ムーアさんと、特撮担当のレイ・ハリーハウゼン氏がカメオ出演するシーンも心憎い配慮だと思いました。因みに、ロン・アンダーウッド監督は、子供の頃にオリジナル版を夢中で観たそうで、それがプラスになったのかもしれません。  さらに感慨深かったのは、ジョーのスーツ及びメカニカル担当がリック・ベイカー氏だったことです。ベイカー氏は、1976年版のキングコングで、表情豊かなコングを実現したのに、成果は【実物大のメカニカル担当】のカルロ・ランバルディ氏と混同されました。当時のハリーハウゼン氏も「ぬいぐるみなんて安易」と否定的でした。その点、当作品ではベイカー氏の技量が如何なく発揮され、しかも特撮現場にハリーハウゼン氏が訪れて賛辞を贈ったそうです。1976年版のコング以来、約20年を経てベイカー氏とハリーハウゼン氏が和解した作品にもなったのでは…と思ったわけです。  三つ目は、懸念事項について。二つあります。一つは「予備知識が無いと低評価かな…」ということ。元々、オリジナル版は【キングコングの姉妹作品】とも呼ばれ、コングのオマージュのような場面が散見しています。その最たるものが【火事の中、ジョーが子供を救うシーン】であり、当作品でも再現されていますが…【予備知識】が無いと“コングの真似”と誤解されても、やむを得ないでしょう。  もう一つは【子供を救うシーン】の直前、ジルがグレッグに喋った「ジョーが、シュトラッサーを殺したわ」の一言です。確かにジョーはシュトラッサーを投げ飛ばしましたが、死因は【激突死】ではありません。【遊園地の電源】の真上のワイヤーに引っかかり→【密猟の代償でもあるプロテクターを着用した右手】ではワイヤーを掴み切れず→電源に落ちることによる【感電死】です。まさに因果応報。ジルもジョーも“親の仇をとったぞ!”とは異なる、繊細な表情を浮かべた映像になっています。そのため、私は上記の一言に「映像(演出)とチグハグな感じ。むしろ『シュトラッサーは死んだけど、ジョーが殺したわけじゃないわ』じゃないの?」と違和感がありました。【私刑】を支持しているとも受け取られかねないこの場面は【ファミリー映画】として残念です。シュトラッサーの相棒・ガースにさえ「人殺しは、もうごめんだ」と言わしめていたはずなのに…。  さて、採点ですが…上記【二つの懸念事項】から1点ずつを差し引き8点とさせていただきますが…それにしても公開されて20年。ジル役のシャーリーズ・セロンさんは今や大女優。一方、グレッグ役のビル・パクストン氏、ハリーハウゼン氏、音楽担当のジェームズ・ホーナー氏は亡くなり、クリーチャーもCGが主流に…しかしゴリラは絶滅の危機から脱していません。「ゴリラが絶滅しそうだった?信じられない」という時代が来たときこそ、当作品は、真の意味で過去の作品になるのかな…と思っています。[DVD(字幕)] 8点(2018-12-24 17:25:41)(良:1票) 《改行有》

43.  アイアン・ジャイアント 《ネタバレ》  最近、10月・11月に立て続けに投稿があり、私もつい刺激されたので、再見。皆さんのレビューも拝読した上で投稿しました。私の場合は【肯定派】であることを前提に【脱線話】をお伝えします。  劇場公開当時、話題になったものの、プライベートがせわしなかったので観に行けず、レンタル開始を機に、早速、鑑賞。【予備知識】なしで観たのですが…ディティールは異なるものの、私にとって①身長30メートルで、②本来、兵器として創られたロボットが、最初に少年と出会ったことで正義の存在となり、③少年達を救うために、自らの意志で宇宙へ飛び立ち、犠牲となって爆発する…という【3要素】のプロットが揃った物語は、TV特撮番組の【ジャイアントロボ(1967~1968年):以下、ロボと表記】です。そのため、当作品におけるハッピーエンドのラストシーンでも「アイアンと違って、ロボは帰って来なかったんだよな…」と切なく感じました。このように、子供の頃に観た【ロボ】への思いが変わっていないことに、自分自身、とても驚かされたものです。たかが【子供向け特撮番組の架空の存在】のはずなのに、です。  今回の再見でも、ミサイルへ向かうクライマックスでは「アイアンは、ホーガース少年との会話の末、互いの合意のもとで宇宙へ飛び立ったんだ」とあらためて認識。そして「ロボは、もともと自分の意志を持たず、大作少年の命令に“ンマッ!シ~…”と答えて従うだけで、会話もできないロボットだったんだよ。そんなロボが、大作少年や地球を救うために、初めて命令を聞かずに飛び立ったんだよ。結局、最後まで会話はできず、大作少年が必死で止めようとする言葉(もはや命令なんかじゃない!)を振り払って…」と思ってしまいました。【ロボ】を観て40数年経っているにもかかわらず、【ロボ】への思いは、風化するどころか、むしろ歳を重ねて強まっていたようです。ただ、この【ロボ】についてふれて下さっているレビュアーさんは、170近い膨大なレビューの中で↓【IKEKO】さんと【nizam】さんのみ。自分の年齢を感じないわけにはいきませんでした…。  なお、多くのレビュアーさん達から、【アイアン・ジャイアント】の物語は「王道/ありがち/ベタ」といった感想が寄せられており、私もそう思います。ただし、少なくとも【ロボ】の最終回に対して、当時の幼い私は「王道/ありがち/ベタ」とは全く思いませんでした。色々な資料を読んでみても当時の子供達(というか、私と同年代の人達)にとって、強烈なラストであって、けっして「よくあるパターンだ」ではなかったようです。おそらく、日本では【ロボ】にインスピレーションを得た作り手さん達、さらにその次の世代の作り手さん達が、長年、様々にアレンジしながら創ってきた無数の特撮・アニメ番組及び映画を通じて培われてきたものが「王道/ありがち/ベタ」として浸透し、現在に至っているのでは…と思われます。  一方、アメリカでも【アイアン・ジャイアント】のような「王道/ありがち/ベタ」の物語を形成し得た背景には「世界中に似たような昔話があるように、古今東西、人間の発想は同じようなもの」ということかな、と思われます…と言いたいところですが…アメリカでも、【ロボ】は【Johnny Sokko and His Flying Robot】の題名でTV放送されていた時期があったそうで…ひょっとすると「王道/ありがち/ベタ」に至る事情は、日本と似ているのかもしれません…。  このように思いっきり【ロボ】と重ねて鑑賞した私に対し、一緒に観た女房は「アイアンの精神年齢って幼児さんよね。いくら、自分がなりたいものになるんだ!と言ったって、母親だったら幼い我が子を、爆弾に突っ込ませるなんてことしないわ」と力説していました。確かにその通りだと思います。【架空の物語として郷愁たっぷりに味わう/リアルに命というものを感じとりながら現実的に考える】というこの違いは、↓の【3Mouth】さんや【カフカ】さんがおっしゃる通り、【男女差】なのかも…と思ったりしました。  さて、採点ですが…自分でも「くどすぎる」と感じるぐらい【ロボ】への思いが強くなってしまったので、ここは冷静に、当サイトの採点基準である【見た後、率直に面白かったぁ…って言える作品】ということで8点に留めておきます。  なお、若いレビュアーさんが【ロボ】を観たら、きっと、とてもチープに感じると思います。しかし【ロボ】が幼い私に与えてくれたものが、今でも私の心の中に生き続け、豊かにしてくれているのは確かです。【アイアン・ジャイアント】も多くの子供達の心に残り、いつか新たな「王道/ありがち/ベタ」な名作が生み出される…かもしれません。[DVD(字幕)] 8点(2018-12-08 09:51:16)(良:1票) 《改行有》

44.  フィッシュストーリー 《ネタバレ》  初観賞は、5年前-平成25(2013)年5月の日曜日の夜。「何か面白い番組はないかな…」と何となくTVのチャンネルボタンを押していたときに、某ローカル局で放送されていたのが当作品でした。TVの番組表での紹介は「全く売れなかったバンドの曲が、巡り巡って世界を救う」という趣旨の文面だったと思います。  観始めた場面は、若者達が車内でフィッシュストーリーを“呪いのレコード”扱いしているシーンでしたが、その後、各場面で以下のように感情移入していました。  ①気弱な青年に対しては、本人が悔しがるように「そうだ!立ち向かえ!。あんな人を人とも思わずに恫喝するような奴は、絶対に世界を救う男なんかじゃないぞ!」と応援し…  ②シージャックの場面では「この正義の味方の父親って、あの青年では?そして死ぬな!フルーツタルトとアップルパイで、あの女学生さんやお爺さん・お婆さんと祝杯をあげてほしい」と願い…  ③レコード会社の岡崎氏の登場場面では「扮装(メイク)は変えているけど、レコード屋のご主人と同じ俳優さんだよね?。ご主人の父親ってこと?だとしたら、父親が製作に携わったレコードを大切に保管していたのかな?」と想像し…  ④フィッシュストーリーの【無音の1分間】の真実が明るみになる場面では「こんなにピュアで真摯なメッセージが込められていたとは…そうだ、届け!少なくとも、俺には届いたぞ!」と身を乗り出し…  ⑤居酒屋で、元ネタの本が岡崎氏の手に渡った経緯が説明される場面では「ハーフと勘違いされた男や、おばさんがいなければ、この名(迷)曲は誕生しなかったんだ…」と偶然の不思議さを感じ…というように、結構、はまっていました。  そのため、全てのエピソードが繋がるラストシーンは、上述の①②③④⑤の感情が一気に繋がり「たとえ、その場では失敗のようであっても、また、埋もれるような結果で終わっても、何気ない偶然が繋がって大きな意味を創り上げていく。これが世の中なんだ!我々一人一人が生きている意味があるんだ!」と【熱い思い】が残りました。日誌にも書き留めていたので、冒頭のように鑑賞時期を明記できたのです。  そして、このたび-平成30(2018)年9月の日曜日の夜。再び、同じ某ローカル局で放送されるとわかり、今度は最初から鑑賞し録画もしました。さらにTV放送は短縮版だったので、レンタル店でDVDもかりて観直しました。あらかじめ内容がわかっていると、一層、感情移入しやすかったです。特にゴローの【無音の1分間】の台詞回しには、初観賞時以上に味わい深さを感じましたし、【元ネタ本の経緯説明の場面】でも、岡崎氏のおばさんが短命だったことに思いを巡らせながら、しみじみと耳を傾けることが出来ました。また各エピソードは【岡崎父子/気弱な若者とその息子】という二組の親子の物語が重なり合いながら派生し、繋がっているんだな…といったことも、ふと思ったりもしました。  さらに、原作も読みました。すると…初観賞時に感情移入した上述の①②③⑤(つまり④以外)をはじめ、私が感心した要素の大半は、映画独自の脚色に基づいているものとわかりました。監督の中村義洋氏や脚本の林民夫氏の術中に、すっかりはまっていたわけですが、だからこそ、ますますこの映画が好きになりました。  なお、私は本来、性暴力(未遂で終わりますが…)や銃の発砲シーンなど暴力的な描写がある現代劇は苦手です。ましてやロックには疎く、本来なら敬遠する作品のはずですが、それらを凌駕する【奇跡の作品】となりました。何がこれほどまでに私を引きつけたのか…それは初観賞時に沸き上がった上述の【熱い思い】が残ったからでしょう。この【熱い思い】は、私なりに見出した当作品の主題とも言い換えられるかもしれません。他の皆さんのレビューを拝読しても、当作品に好意的なご意見の多くは、言葉の表現や解釈に違いはあっても、主題を好意的に受けとめておられることが大前提になっているように、私は感じています。  さて、採点ですが…【脚色】だけに焦点を当てるなら、個人的には10点です。ただ、時系列でロジカルにストーリーが展開する作風ではないため、人によってはわかり難く、好き嫌いがハッキリ分かれそうです。そのあたりは差し引き、“はまりさえすれば”という条件付きで、当サイトの採点基準である【見た後、率直に面白かったぁ…って言える作品】として8点を献上します。  最後に…私が当作品を観たことで、遠い将来、ささやかでいいので、どこかで何かしらの【奇跡】が起こったらいいな~と願いつつ、さてと、明日も地道に(いや地味に)頑張ろう…[地上波(邦画)] 8点(2018-10-18 21:58:04)《改行有》

45.  ダーククリスタル 《ネタバレ》  ↓【リン】さんの投稿を機に、観たい観たいと思いつつ、約半年経ってようやくDVDをレンタルして鑑賞できました。  まず、初観賞時の感想から。  当作品の存在を知ったのは高校生のとき。ちょうど【スタートレックⅡカーンの逆襲:1982年】を映画館へ観に行ったときです。上映前に当作品の予告編が流れました。トレバー・ジョーンズのファンタジックな音楽と共に映し出された映像の数々は、それまでの円谷作品やハリーハウゼン作品とは異なるもので、食い入るように見つめたものです。後日、ロードショー公開されたとき、すぐ映画館に足を運んだのは言うまでもありません。  敢えて予備知識を仕入れずに観たのですが「何だか主人公達を軸にしたストーリー展開がサラサラッとしているな…」と感じました。しかし全編、架空のキャラクターだけで繰り広げられる世界には魅了されましたし、特にラストは興味深く、私はTVシリーズ・スタートレック(1966~69年)の第1シーズン第5話「二人のカークThe Enemy Within」を思い出しました。*若い世代の人達は、ドラゴンボールの神さまとピッコロ大魔王の関係を想起するかもしれません。  なお、当時は「驚異のロボットロニクスを駆使した」と宣伝していました。観終わった後にパンフレットや資料を読むと、要は、セサミストリートのスタッフさん達によるリアルなマペットであり、そのプロトタイプが【スターウォーズ帝国の逆襲:1980年】に登場したヨーダだと知りました。そしてヨーダの実現に向けてヘンソン&オズとの架け橋になったのが、【帝国の逆襲】のプロデューサーだったゲイリー・カーツであることも。  資料を読んだ後の感想は「ロボットロニクスと言わず“セサミストリートのスタッフがスターウォーズのヨーダの技術を活かし、リアルなファンタジーに挑んだ意欲作!”と宣伝したほうがわかりやすかったのではないか。ただ、日本では、人形劇を映画館まで観に行く人達は少ないかもしれないな。仮に観に来たとしても“両親や一族を殺された主人公達が世界の運命を変えるために”というシリアスな物語では、セサミストリートの延長上の物語を期待した人達は戸惑ってしまうかも…」と、複雑な心境になったものでした。  次に、今回の再見について。特典映像の制作秘話も含めて鑑賞できたことが、有意義でした。  製作の発端の【原型】がスケクシス族だけあって、造形や演出の細やかさの比重がスケクシス族に占められていることを再認識できました。そして、それが初観賞時の「主人公達を軸にしたストーリー展開がサラサラッとしている」という印象につながっていたのだろうな…と納得しました。また、スケクシス族達のペチャクチャした口調・喋り方や、汚く食い散らかす食事のシーンに対しては、クッキーモンスターの食べっぷりなどセサミストリートの演出をあらためて連想しました。  その他、現在の自由自在に動き回るCGの映像を観慣れたためでしょうか、当作品のキャラクター達の動きの特徴(制約も含む)には【人形劇らしさ】が散見していると感じました。そのため、現在では、この【人形劇らしさ】を好意的に捉えられるかどうかで、当作品への評価も分かれるかな…とも思います。もっとも、ラストシーンの主人公二人の瑞々しい表情は、人形かどうかがの意識が吹き飛ぶほどの素晴らしいものだと思います。  一方、特典映像を観てショックだったのは…ジム・ヘンソン氏は、当作品を発表した数年後にお亡くなりになっていたんですね。フランク・オズ氏が、スターウォーズシリーズのヨーダ役で健在だったため、ヘンソン氏も活躍しているとばかり思っていたからです。今回の再見で「ジム・ヘンソン氏のお人柄と情熱が、スタッフ一人一人のクリエイティブなエネルギーを育み、結実した結晶こそが当作品なんだ。この作品の魅力・輝きは、ラストシーンのクリスタルのように永遠に失われることはないだろう」と実感しただけに、あらためてご冥福をお祈りいたします。  さて、採点ですが…まず、鑑賞環境は【映画館】とします。そして同時期に観た【スタートレックⅡカーンの逆襲:1982年】に対し、私は当サイトで9点をつけました。それよりも好きな作品(トレッキーの皆さんゴメンナサイ…)なので、必然的に点数はアップし、大甘かもしれませんが10点を献上させていただきます。ストーリーを追う以上に、その背景にある【手作り】の情熱を感じていただける方々に、特典映像と共に、是非、ご覧いただきたい作品です。きっと、クリエイティブなインスピレーションを得ることが出来ると思います。[映画館(字幕)] 10点(2018-10-18 21:52:30)《改行有》

46.  斉木楠雄のΨ難 《ネタバレ》 TV放送されたので鑑賞。漫画の実写映画化は当作品だけに限りませんが、かつて私は原作漫画をタイムリーに(連載の途中までですが…)読んでいたので、観てみました。因みにアニメ版は観たことはありません。  今回の映画版を観て意外だったのは【照橋さん】のエピソードが物語の軸になっていたことです。何故なら【照橋さん】は、チヤホヤされ続けた女性に“あり得るかもしれない”ダークな内面(ちょっと極端すぎますが…)を戯画化したキャラクター。そのため「生身の女優さんが演じると、観客からは、役柄を越えて女優さん自体への反感へとつながり、女優のキャリアにとってマイナスになりはしないか。そうしたリスクを踏まえ、【照橋さん】のエピソードは周辺的なものに留まるのでは…」と予想していたからです。  その意味で、橋本環奈さんは、変顔を一生懸命につくりながら三枚目風で大袈裟に【照橋さん】を熱演?しており、上記のリスクを回避できた…のかもしれません。もっとも、↓の【あばれて万歳さん】もおっしゃっていますが、彼女のような“ハスキーボイス”は、外国と違い日本では“可愛い”の要素から外れているようなので、三枚目的な脚色をするにはちょうど良いキャスティングだったのかも…。  なお、私が漫画で好きだったキャラクターは、見た目は怖いが『実は、欲深なところが無く純真。友達や母親思いで、動物にも優しい』という【燃堂くん】であり、心温まるエピソード(大抵の場合、ギャグもセットでしたけど…)が漫画にはたくさんありました。打算の塊のような【照橋さん】とは対照的なキャラクターで、個人的には漫画の長期連載を支えていた魅力の一要素になっていると思ってきました。新井浩文さん扮する【燃堂くん】は、外観に加え、飄々とした雰囲気は、漫画を上手に再現していたと思います。ただ、上述の心優しい面が(映画の脚本で)削ぎ落とされていたのが、ちょっと寂しかったです。  さて、採点ですが…【モノローグ主体】という漫画と同じ構成は、映画のような長丁場でずっと聞き続けると疲れてしまうかもしれませんが、TV放送だとCMが休憩タイムとなり観やすくなっていたと思います。その意味でTV放送向きの作品かもしれません。そこで「TVでの鑑賞を前提に、ごく軽い気持ちで観るぶんには、可もなく不可もなし」の5点とさせていただきます。ただ、もし【燃堂くん】を軸にした人情物語にしていたら、もう少し点数が高かったかもしれませんが…。パート2があるなら(多分、無いでしょうけど…)、是非【燃堂編】を! *平成30(2018)年10月15日(月) 追記 : 【あばれて万歳】さんが、私の拙文を読んでくださっていたとわかり恐れ多いです…。もし、私もアニメ版を観ていたら【照橋さん】及びこの映画の印象も違っていたかもしれませんね。詳しい返信(説明)文を追記していただき、ありがとうございました。説明文を拝読すると、上述の私の【引用】による解釈はピント外れだったようです…。いっそ修正しようかと思いましたが、今後、他のレビュアーさんが読んでくださったときに、追記との関連性がわかりやすいかな…と思い直し、恥ずかしいですが、そのままにしておきます…。[地上波(邦画)] 5点(2018-10-14 21:49:01)《改行有》

47.  怪竜大決戦 《ネタバレ》  TVシリーズ【仮面の忍者 赤影:1967~1968年】を成功させた監督・倉田準二さんと、脚本家の伊上勝さんのコンビによる【恐竜・怪鳥の伝説:1977年】の再見に対し、複雑な気持ちになったため、その埋め合わせのために鑑賞。この目的で最初にレンタル店で取り寄せてもらった【大忍術映画 ワタリ:1966年】は、残念ながら私にとって【赤影】のような作品にはならず、続けて観たのが当作品です。  当作品の脚本は【赤影】と同じ伊上勝さん。監督は倉田準二さんと共に【赤影】を支えた山内鉄也さん。実は、小学生のとき、当作品をTVで2回ほど観たことがあります。ただ、当時の私は【怪獣映画】の視点から「ゴジラや大魔神に比べるとちょっとな…」という認識に留まっていました。しかし【恐竜・怪鳥の…】と【ワタリ】で引きずったやり場のない気持ちはどうしようもなく、再見へと駆り立てられたのでした。さて、結果は…  良い意味で【子供向けの忍者映画】として「こんなに面白かったとは!これぞ赤影に通じる作品だ!」と感激しました。ノスタルジックな主題歌を始め、当時のワイヤーアクションや合成技術を交えた忍術シーンの数々は「これぞ昭和だ!当時の男の子達を忍者ごっこへ駆り立てたトリック映像だ!」とワクワクしました。怪竜(大ガマと竜)の場面も、意外に(失礼…)良かったです。怪竜達の造形は、眼が電灯のように光るなど作り物めいていますが、皮膚感は良好な印象を受けました。城のミニチュアも精巧で壊れっぷりの見事さに感心しました。東宝や大映と違って特撮監督がおらず、山内監督達で試行錯誤して撮ったそうですから、そのことを考えれば素晴らしい出来栄えと思われます。  感激したのはこれだけではありません。  まず、主人公二人がいい!。自雷也ことイカヅチ丸を演じた松方弘樹さんは清々しく、ヒロイン・ツナデを演じた小川知子さんは初々しく…というように、お二人のその後のキャリアを知っているだけに、とても新鮮な気持ちになれました。  次に、悪役もいい!。【赤影】に出演した天津敏さん扮するユウキ・ダイジョウは勿論ですが、それ以上に、オロチ丸を演じた大友柳太朗さんが印象に残りました。大友さんは【ワタリ】にも出演されていましたが、当作品のほうがアクションが多く、最後の負けっぷりも威風堂々としていて、久しぶりに悪役らしい悪役を観た思いです。  また、トリック以外の【絵作り】もいい!。例えば【ツナデと、その祖母・蜘蛛ババが別れの言葉を交わすシーン】は、山の陰影をバックに、二人を際立たせるように撮影した様子が伺えます。子供向けでも手を抜かない作り手の皆さんの誠実な姿勢に感じ入りました。  さらに、時代劇としてもいい!。内容は【仇うち/悪の道に堕ち、師匠を殺めた兄弟子と、それに立ち向かう若き弟子との宿命の対決/悪役である父と、主人公との板挟みに苦しむヒロイン】…と、時代劇の【お約束】がてんこ盛りです。監督の山内鉄也さんは、後年、TVシリーズ【水戸黄門】を手掛けたそうですが、元々【お約束に基づく物語運び】の演出に長けておられたのかもしれません。最後は一騎打ちで勝敗を決っしますが、これは【時代劇の東映】としての誇りのなせるシーンかもしれません。  ところで【大人目線】で考えれば「元・尾形家の領土にもう城は無い。あるのは、これからお前たち領民が創る美しい野や畑だ。健やかに育ち、いい土地を創るのだぞ」というイカヅチ丸の締めの台詞は、↓の【くるきまき】さんのおっしゃる通り、現実的ではないかな…と思われます。きっと隣国の領主が侵攻して来るか、たとえ領民による自治が実現しても様々な意見・利害対立が生じ、それを統制する権力的な存在が現れることでしょう。ただ、当時は、高度経済成長を背景に【国や大手企業による開発で、故郷の野や畑から追いやられた人々のこと/開発の結果としての公害】が社会問題になっていました。その意味では「いつまでも幸せに暮らしましたとさ」という【昔話の締め括りのフレーズ】と同様に『現実にはあり得ないにしても、こうであってほしい』という願いが込められた台詞として受けとめていいのかもしれません。  さて、採点ですが【恐竜・怪鳥…】の反動で、再見当初の感激は10点でした。冷静に考えて①あくまで子供向けであり、大人の鑑賞に堪える同時期の【大魔神三部作:1966年】に比べると…、②オロチ丸が悪の道に堕ちた理由も描かれていれば、アメリカの某スペース・ファンタジー映画シリーズに負けない見応えになっていたかも(笑)…という2点を差し引き、8点とさせていただきます。いずれにせよ、私には嬉しい作品になりました。きっかけを作ってくれたとも言える【恐竜・怪鳥…】を、ようやく肯定的に胸にしまっておけそうです。[DVD(邦画)] 8点(2018-08-16 21:58:40)《改行有》

48.  大忍術映画 ワタリ 《ネタバレ》  TVシリーズ【仮面の忍者 赤影:1967~1968年】を成功させた監督・倉田準二さんと、脚本家の伊上勝さんのコンビによる【恐竜・怪鳥の伝説:1977年】の再見に対し、複雑な気持ちになったため、今さらながら、その埋め合わせのために観ました。  私も、長年、知識としては「①東映がTV進出を念頭に、漫画・ワタリを映画化。②そのままTVシリーズにしようとしたら、原作者の白土三平氏が映画の作風に激怒したために頓挫。③代わりの原作者として横山光輝氏を招き、TV化したのが赤影だった」と把握していました。その意味で、↓の【伊達邦彦さん】がおっしゃる通り、【赤影のパイロットフィルム】と考え、今回、初観賞しました。レンタル店でDVDを取り寄せてもらって観ましたが、さて、結果は…    確かに、“青影”を演じた名子役・金子吉延さんや、“白影のおじさん”を演じた牧冬吉さんが出演しており、かつ、特撮だけに着目すれば【赤影】を想起させる場面がたくさんありました。しかし「掟の秘密を知った者は始末する」というように登場人物達の命が次々と奪われていくストーリー展開は、断じて【赤影】ではないと思いました。かと言って、それなら【白土三平ワールド】を表現しているかというと…表面的にはシリアスなストーリーであっても、雰囲気は、当時の明朗快活な東映時代劇の作風が漂っており、中途半端さは否めないようにも思いました。  私にとって白土三平氏の作品の映像化と言えば、TVアニメシリーズの【サスケ:1968~1969年】と【カムイ外伝:1969年】です。仮に、これらのTVアニメが先に世に出ていれば、ワタリが東映で映画化されることは無かったのでは…と思われます。一応、【少年忍者 風のフジ丸:1964~1965年】というTVアニメシリーズを東映は手掛けているようですが、この時点から白土三平氏は、原作者として名ばかりの扱いだったようで…。  さて、採点ですが…上述の【恐竜・怪鳥の…】に4点を献上した私としては【恐竜・怪鳥の…】に比べれば、まだいいかな~とは思う一方、他のお二人のレビュアーさん達がおっしゃる通り、白土三平氏が激怒するのも無理は無いと思うので、プラス1点どまりの5点とさせていただきます。  そして、結局は、【恐竜・怪鳥の伝説】の再見に対する気持ちを埋め合わせるという、本来の観賞目的は達成されず、満たされない思いは【怪竜大決戦:1966年】の再見へと続くのでした…[DVD(邦画)] 5点(2018-08-16 21:52:11)《改行有》

49.  恐竜・怪鳥の伝説 《ネタバレ》  【空の大怪獣ラドン:1956年】を投稿したとき、ちょうど【あばれて万歳】さんが当作品の投稿をされており拝読しました。それを機に、レンタル店でDVDを取り寄せてもらいました。時間はかかりましたが、その間に、他の皆さんのレビューも拝読した上で鑑賞・投稿させていただきました。  当作品が公開されたのは、私が小学校高学年のとき。ポスターの絵は格好いいと思いましたが…女の人が首長竜にくわえられており「この映画には、女の人が食べられるシーンがある」と直感しました。当時は【ジョーズ:1975年】などが流行っており、私は“人間が食い殺される”ということを想像するだけで怖くて仕方がなかったため、当然、当作品についても、映画館には足を運びませんでした。  後年、テレビ東京の午後に放送されたものを、途中(翼竜が町の人達を襲うシーン)から観ました。おそらく、↓の【さくぞう】さんが録画したときの放送では…と思います。私は「ああ、やっぱり…」と思いました。音楽にしろ特撮にしろ「日本映画低迷期(力作もありましたが…)である1970年代の映画の典型だな」と感じたのです。そして、木の枝で主人公達が繰り広げるラストシーンも「長い・くどい・見苦しい」と、悪い意味で印象に残り「映画館へ行かなくて正解だったな」と思いました。  今回、再見してみて、当作品の【特徴】は、他のレビュアーさん達が言い尽くして下さっていると思ったので、以下、【脱線話】を…。  今回、私は、ムク・ショウヘイを見るなり「あ…TVシリーズ・仮面の忍者 赤影(1967~1968年)の“白影のおじさん”じゃないか」と思いました。上述のテレビ東京の放送を観たときには、既に出番を終えていた(食い殺されていた)キャラクターだったんですね。観終わった後、白影こと牧冬吉さんをはじめスタッフさん達を調べたところ…監督の倉田準二さんと、脚本家の一人である伊上勝さんは【赤影】のコンビだと知りました。きっと牧さんは、お二人から声をかけられての出演だったのだろうと思いました。  ♪優しいおじさん白い影。三人揃って力を合わせ…これは【赤影】の主題歌の3番の歌詞の一部です。ムク・ショウヘイが単なる役柄だったとはいえ、“優しい白影のおじさん”が、あのような最期を遂げたのは、悲しかったです。  年配のレビュアーさんならご存知かと思いますが、【仮面の忍者 赤影】は、残酷描写が皆無の明朗で真っすぐな作風でした。赤影・青影・白影といった忍者達のデザインや繰り出される忍術は、時代考証は横に置き、自由奔放で無邪気さに溢れていました。今から数年前、我が子が幼い時にDVDで第1部(金目教篇)をレンタルして観たのですが、「監督、この忍術のアイディアはどうでしょう?」「お、いいね!やってみるか!」といった活き活きした製作現場が目に浮かぶようでした。一緒に観た子供も夢中になり、しばらく二人で“忍者ごっこ”に熱中したものです(残念ながら第2部以降は、レンタル店から無くなり、観られずじまいとなっております…)。  それに比べ【恐竜・怪鳥の…】は血生臭くアダルトな場面もあり…と、あまりにも【赤影】とは対照的だと思いました。推測にすぎませんが「ジョーズのヒットに便乗して儲かればいいから…あ、そうそう、サービスカットとして女性の下着姿もお忘れなく」といった上役さんからのお達しで、倉田監督達は仕方なく作ったのでは…と思えてなりません。  なお【恐竜・怪鳥の…】の開始22分めに、赤ちゃんを背負ったお婆さんが、昔から伝わる子守唄を歌う場面があります。もし、あのように、その土地に根づいた雰囲気をもとに【赤影】のような作風にしていたら…億単位の製作費をかけたようなので【昔々、湖に潜む“ホオズキのように赤い眼をした竜=実は首長竜”に挑んだ者達がいた。それが現在でも伝説・子守唄として西湖に残った】といった時代劇にするのも可能だったと思います。忍者が登場するかどうかは別にしても、そのほうが、倉田監督達は、伸び伸びと本領を発揮して【ドカベン】との同時上映に相応しい作品になり得たのでは…と思ったりしております。おそらく当作品とは違った意味で突っ込みどころ満載になったでしょうが、ずっと好印象のものになったかと思います。  さて、採点ですが…【赤影】と【恐竜・怪鳥の…】の隔たりは10年です。“お家芸の時代劇の要素を盛り込んだ東映初のカラーのTV特撮番組”という意欲作だった【赤影】から10年の間に、映画会社・東映に及んだ諸事情を象徴する“迷作”が、この【恐竜・怪鳥の…】と言えるかもしれません。率直な印象は2~3点ですが、倉田準二監督・伊上勝さん・牧冬吉さん達に【赤影】で楽しませてもらった感謝の気持ちを込めて1点を加え、計4点とさせていただきます。[DVD(邦画)] 4点(2018-02-22 22:46:04)(良:2票) 《改行有》

50.  オルカ 《ネタバレ》  レンタル店で、ふと【発掘・良品】という帯のついたDVDを目にしました。それが当作品で、すぐレンタルしました。  当作品は、私が小学校高学年時に日本で公開されました。私にとっては、床屋の待合室で、少年誌に掲載されていた【内容紹介の漫画】を読んだときの印象が強烈でした。その漫画には「自分も交通事故で妻と子供を失った。だからオルカの気持ちがわかるんだ」と漁師ノーマンが語る場面がきちんと描かれており、私の頭に「この映画は、しっかりとしたドラマなのだ」と刻み込まれました。  その後、中学生になりTVの月曜ロードショーで観たときは、結末がわかっていたとはいえ「もし、ノーマンが、オルカの奥さんと子供の命を奪ったことに何も感じない悪人なら、観ていてどれほど気楽だったろう…」とやるせない気持ちで一杯になりました。  今回レンタルしたDVDには、月曜ロードショーの吹替えが収録されており嬉しく思いました。字幕でも観ましたが、以下、吹替えでの言葉を引用して書きたいと思います。  今回の再見で、少年時代の気持ちが蘇ったのは勿論ですが…感情のある存在としてのオルカの描写に加え、人間ドラマもあらためて丁寧に作られていると感心しました。  まずノーマンは、人前では作り笑いで取り繕いながらも「罪とは自分に対して犯している」という神父の言葉を真摯に受けとめ、「自分はオルカにとって、不埒な運転(字幕版では飲酒運転と明記)で女房を殺した奴と同じだ」「みんな俺のせいだ…許してくれ」と、自責の念にさいなまれる人物として描かれており、リチャード・ハリスが熱演していると思いました(吹替えた宮部昭夫氏は、私にとってカーク・ダグラスの声で馴染みがありましたが、ノーマンの人柄には合っていると感じました)。しかも今回の再見により、開始42分めで【オルカの妻の流産と、ノーマンの妻に起きた不幸な事故とが、フラッシュバックする場面】を認識できました。一瞬のシーンですが、ノーマンの心情を上手に表現していると思いました。  そして、当初、ノーマンを非難していた海洋学者レイチェルが、次第に彼の理解者になっていくプロセスも見事だと思いました。  それとは対照的に「あんたのオルカのせいだ」と責め続けた漁業組合長スウェインが、村人達と冷たい視線でノーマンの船出を見送るシーンは、漁村の死活問題で無理ないとはいえ、“よそ者”への集団心理を象徴的に映像化していると感じました。  一方、オルカの怒りは、ノーマンだけでなく、他の乗組員達にも及びます。このように【家族を失った怒り・憎しみの矛先が、原因となった相手だけでなく、次々と拡大していく】という現象は、この【フィクション】に限らず【現実】の対人関係や、戦争・テロにも通じているのでは…と思いました。それだけに、最後の闘いでノーマンがオルカに対し「お前はいったい何者なんだ!」と叫ぶシーンでは、【復讐】という言葉だけでは言い表せない、何か空恐ろしいものを感じずにはいられませんでした。  ところで、皆さんのレビューを拝読して「ジョーズ(1975年)のパクリか否か」という文面を幾つも目にしました。この点について私は「パクリという言葉を、どのような意味合いで定義するか」によって変わるかな…と思います。  つまり、最近、よく使われている【あるヒット作品に触発されて作られたもの・インスピレーションを得たもの】というザックリした意味合いなら、確かにパクリに該当するかもしれません。何故なら、↓の【鱗歌】さんのご指摘の通り、冒頭でホワイトシャークを撃退するシーンは、明らかにジョーズを意識し、そこのBGMも似ていると思うからです。  一方、古典的な【盗作/ヒット作品に便乗して儲けようという、その場限りの安易な作品】という意味合いなら、パクリではなく、ジョーズに触発されつつも独自性を確立した成功作品だと考えます。少なくとも私にとっては、海洋パニック映画という枠を越え【家族愛の裏返しとしての憎しみ/罪/排他的な集団心理】など、勧善懲悪や予定調和では割り切れない、人間の普遍的なテーマについて静かに訴えかけてくる力作だと思います。  さて、採点ですが…鑑賞環境は、DVD(吹替え)とし、マイケル・アンダーソン監督をはじめ、今は亡きリチャード・ハリスへの敬意を込め、10点を献上させていただきます。これからもエンニオ・モリコーネの哀愁に満ちたテーマ曲と共に【オルカの瞳/オルカの気持ちがわかるからこそのノーマンの苦渋に満ちた表情】が、いつまでも私の脳裏に浮かび続けることでしょう。 *字幕版だけで聞けるエンディングのボーカルも味わい深いです。  そして最後に、【発掘・良品】の帯をつけて下さった見識の高いレンタル店のスタッフさんに感謝したいと思います。[DVD(吹替)] 10点(2018-02-15 22:22:26)(良:4票) 《改行有》

51.  空の大怪獣ラドン 《ネタバレ》 【三大怪獣 地球最大の決戦:1964年】【怪獣大戦争:1965年】【モスラ:1961年】と共に鑑賞する機会を得たので、投稿します。  ラドンは、小学生のときにTV放送された【三大怪獣 地球最大の決戦:1964年/怪獣大戦争:1965年】で知り、“ゴジラと互角に戦い、協力してキングギドラを追い払った頼もしい怪獣”という印象を持っていました。当作品は、その後、同じく小学生の間にTVで観たのが最初です(かつて、日本テレビの日曜のPMに“社長シリーズ”など東宝映画をよく放送していた時期があり、その一環だったようです)。さらに1~2回、TV放送を観たと思いますが、初見時の記憶が強烈でした。  そして【三大怪獣…】らと共に約30年ぶりに観ました。以下、①殆ど覚えていなかったシーン、②今回の再見で初めて認識できたシーン、③あらためて「すごい」「味わい深い」と思ったシーン、の3つに分けてお伝えします。   まず、殆ど覚えていなかったシーンとは、前半の炭鉱の場面です。メガヌロンが部屋に現れる箇所しか覚えていなかったので、今回の再見でやっと筋道立てて認識できました。そして↓の【S&Sさん】がおっしゃる通り「洋画なら、ここだけで一作品にするのでは」と思うほどしっかり作られていると思いました。おそらく洋画の場合、グロテスクな殺傷シーンを見せ場にするような作風になるだろうと想像しますが…私にとっては、病室に亡骸が運ばれてくる当作品のシーンだけも十分、生々しく感じました。  また、本多監督の真骨頂でしょうか、炭坑で生きる人々の生活感のある描写が見事だと思いました。惜しむらくは「キヨの兄・ゴロウが、我が夫のヨシゾウの命を奪った」と誤解していたおタミさんが、キヨと和解する場面があれば、なお良かったでしょう。こうした【人間ドラマの浅さ】は、他のレビュアーさん達のご指摘の通りだと思います。  次に、今回の再見で初めて認識できたシーンとは、【謎の超音速飛行物体】について各国が放送する場面です。その中に「その飛行物体は、速度・航続距離などから判断すると、ただ1個の物体による被害だとは考えられません。すなわち、北京襲撃11:00、マニラ襲撃11:20…」と“ラドンは1匹ではない”と示唆するアナウンスがあります。私は小学生当時から「ラドンは2匹いる」と思っていましたが、このシーンもその伏線だったようです。  私が「ラドンは2匹」と思ったのは【小鳥の卵が割れたのを機に、ラドンの孵化の記憶がシゲルに蘇るシーン】があったからです。今回の再見でも、小学生当時と同様【帰ってきた大人ラドンの声と共に砂ぼこりが巻き上がり、赤ちゃんラドンが喜んでいる場面】だと思いました。しかし観る人によっては【砂ぼこりも鳴き声も、赤ちゃんによるもの】という印象を受けかねない【曖昧さ】もあると思いました。もし赤ちゃん独自の声を挿入していれば【曖昧さ】を払拭し、福岡の場面で誰もが「思った通り2匹いた」と確信できたかもしれません。  さらに、あらためて「すごい」「味わい深い」と思ったシーンとは、ラドンが本格的に登場してからの特撮シーンとエンディングです。  佐世保や福岡での特撮シーンは、他のレビュアーさん達がおっしゃっているので、私が詳しく書くまでもないでしょうが…特に突風による破壊シーンは、9年後の【怪獣大戦争:1965年】でも再活用されるほどの素晴らしい出来栄えだと、私も思います。  こうして迎えたエンディング…畳みかけるような阿蘇山への砲撃は、ラドンへの一方的な暴力のようで小学生当時から辛かったです。そして1匹目は噴火に耐えられず落ちてしまい、2匹目も、助けようとして近づくものの叶わず『それなら私も…』とでもいうように身を重ねて炎に包まれていく…このように観た当時の私は【三大怪獣 地球最大の決戦:1964年】でのゴジラとラドンの台詞(小美人による翻訳)を思い出しました。『人間は、我々を苛めてばかりいるではないか』『そうだ、そうだ』…私は「ああ、こういうことだったのか」と、胸を締め付けられる思いが残りました…後年、炎の熱でワイヤーが切れるなど偶然が大きい場面だったと、私も知りました。しかし、今回の再見でも胸に迫る気持ちに変わりはなく、偶然を名シーンに昇華し得たのは、スタッフの皆さんの情熱があればこそだと思います。  さて、採点ですが…上記の通り【人間ドラマの浅さ/2匹いることを示唆する演出の曖昧さ】といった面は否めません。しかし【東宝初のカラーの怪獣映画大作】としてのパワーは十分伝わる仕上りだと思います。【三大怪獣】のまさに“一翼”を担う存在として、【ゴジラ:1955年】や【モスラ:1961年】と同様、大甘だとは思いますが、10点を献上させていただきます。[DVD(邦画)] 10点(2018-02-01 22:12:12)《改行有》

52.  モスラ(1961) 《ネタバレ》  【三大怪獣 地球最大の決戦:1964年】【怪獣大戦争:1965年】と共に、当作品も鑑賞する機会を得たので投稿します(なお、勢いで投稿した後に、皆さんのレビューを拝読し、2日後に追加・修正させていただいております。良投票してくださった方、ごめんなさい…)。  当作品は、私が幼稚園にあがるかあがらない頃に、TVで初めて観た【東宝製作の怪獣映画】です。幼い私は「モスラは、ウルトラマンに出てくるヒドラやシーボーズと同じで、悪い怪獣(スイマセン、当時の私はこういう言葉を使っていました)じゃないぞ。悪いのは、あの外国人だぞ。お願いだから、小さいお姉さん達(スイマセン、当時の私は“小美人”という名称が頭に入りませんでした)を、早くモスラに会わせてあげて…」と一生懸命、祈るように観ていたのを覚えています。  その後、高校生の頃にTV放送されたとき(放送用のカット版)は、幼児期の記憶が蘇ったのと同時に「インファント島の人々が石を打ち鳴らして警告する姿などに『もう戦争はたくさんだ』という当時の製作スタッフの皆さんの真摯な願いが随所に込められていると思う。まさに日本だからこそ作り得た力作だ!」と感じ入ったものです。  そして、今回、DVDでノーカット版を観たわけですが、以下、3つの感想を持ちました。  まず、ドラマについて。他のレビュアーさん達と同様、フランキー堺さんのコミカルな演技に好感が持てました。そしてドタバタに脱線せず、真面目な展開を崩さない本多監督のバランスの良い演出に感心し、最後まで飽きずに観るこができました。  次に、特撮について。これも他のレビュアーさん達が語り尽くしておられますが…東京の街並みをはじめ、全て手作りされたミニチュアは大規模で、その労力を考えるだけでも、当時のスタッフの皆さんの熱いエネルギーが伝わってくる思いがしました。それにしても、渋谷界隈は、↓の【カシスさん】のおっしゃる通り、今とは様相が随分違っています。不謹慎かもしれませんが「現在の街並みは、モスラが“通過”した後につくられたのではないか」…そんな連想が頭に浮かぶほど、渋谷での破壊シーンに迫力を感じました。敢えて言うなら、汚れ塗装まで施した渋谷街に比べ、ニューカーク・シティのミニチュアは作り込みが甘い印象を受けました。しかし、提携した外国の映画会社の要請で急遽、作製したものなので仕方ないかな…と思います。それでも、モスラによる突風で無数の車が飛び交う絵作りには抜かり無く、さすがだと思いました。  最後に、テーマについて。今回は【戦争 ― 平和】以上に【一部の人間の欲望のために、多くの人達が不幸になる】という点が印象に残りました。特に「モスラには善悪の区別はありません。私達を島に戻す本能しかないんです」という小美人の台詞を反映するように、モスラは、ただひたすらに小美人を求めて、周囲を破壊しながら突き進みます。その姿を、私は【自然災害】のように思いました。製作当時は想定していなかったでしょうが【一部の国の利益追求のために地球温暖化の歯止めがかからず、その気候変動の巻き添えになる人々】という図式を、今回、連想しました。その意味合いで【平和】を捉え直すなら【国際的な相互理解と協働】といった言葉が今日的なのかもしれません。  さて、採点ですが…上記で言及したテーマほどに深読みしなくても【私利私欲に対し、 善意・良心が勝利する物語】として素直に観られる作品だと思います。【ゴジラ:1954年】が【人間の営みの影や悲しみを描いた傑作】なら、当作品は私にとって【幼児期+高校時代+現在…】と積み重ねた思いのもと【人間の光の部分を(信じたいと)描いた力作】として、対の存在です。私も10点を献上させていただきます。 ━ 備考 ━  幼児期から耳に焼き付けられた「モスラ―やっ!モスラ~♪」の歌声…今回の再見で、小美人を演じたザ・ピーナッツお二人の声量やパンチのある歌いっぷりを、やはり素晴らしいと思いました。後年、モスラは東宝作品に何度も登場し、小美人もコスモスと名を変えたりして多くの女優・歌手の方々が演じています。歴代のモスラ作品を観た各世代の皆さんごとに「この人達の歌声こそ最高!」という親しみがあることでしょう。[DVD(邦画)] 10点(2018-01-11 21:40:38)(良:1票) 《改行有》

53.  怪獣大戦争 《ネタバレ》  【三大怪獣 地球最大の決戦:1964年】と共にDVDで観たので投稿します。  私が当作品を初めて観たのは小学生のとき。その頃は夏休みの夕方にフジテレビで、往年の特撮映画を放送していました。【三大怪獣 地球最大の決戦:1964年】の放送の翌日もしくは翌週に観たと思います。その後も放送されるたびに観ましたが、私の中では【三大怪獣…:以下、前作と表記します】とセットになって覚えている作品です。  以下、小学生当時に印象に残っていた場面と今回の再見での感想をお伝えします。  まず、オープニングのテーマ曲は、小学生当時から印象に残っていました。ずっと当作品用のオリジナル音楽だと思っていたのですが…後年に第1作目のゴジラ(1954年)を観て、↓の【アンドレ・タカシさん】と同じように、実は1作目で使われていた曲だと知りました。しかし、多くの方々がこの曲を聞いたとき、当作品を想起するのでは…と思います。そして「ボリュームを最大に上げて鳴らしていただきたいのです」という緊急放送と共に始まるクライマックスで、再び、この曲が流れます。小学生当時からワクワクしたものですが…それだけに【シン・ゴジラ:2016年】のクライマックスで、この曲が流れたときには、グッとこみあげるものがありました。今回の再見でこの曲を聞いたときは【ワクワク】と【グッ】の両方を体感させていただきました。  次に、エックス星で、ゴジラ・ラドン・ギドラが戦い、最後にゴジラが【シェーッ】をする有名な場面について。かつて、私は【シェーッ】を知らず、単に『ヘヘッどんなもんだい!』と得意になっているポーズだとばかり思っていました。後年に知り、ようやく今回の再見で「確かにシェーッだったんだ!」と、記憶と知識を整合できて良かったです。  その次は、正体を明かした波川女史が、ネガフィルムのように変化して消滅してしまう場面について。小学生当時から衝撃的でしたが、今回の再見で、まさに【存在を消し去る】という意味で、流血を伴うよりもセンスのある映像表現だと思いました。そして「あなたの監視役を続けているうちに、あなたは計算(機)以外の人になったのです」と言わしめる波川女史とグレンとの温かい交流が、映画の前半にもう少し描かれていれば、一層、この場面が、悲恋の名シーンとして盛り上がったのに…と思ったりもしました。  さらに統制官の「我々は未来に向かって脱出する!まだ見ぬ未来に向かってな…」は、小学生当時から強烈に刻み込まれていたのですが、他のレビュアーさん達にとっても、良くも悪くも印象深いようで…やはり名(迷)台詞なのかもしれません。  最後に、後半の怪獣登場のシーンについて。かつては気づきませんでしたが、【前作】には、日本の怪獣映画の定番ともいうべき自衛隊と怪獣との攻防シーンがありませんでした。それを盛り込んだ当作品は頑張っている!と思った一方、突風で建物や車が吹き飛ばされる場面には、他のレビュアーさん達もご指摘のように、【空の大怪獣ラドン:1956年】や【モスラ:1961年】からのカットが流用されていました。手抜きと言えばそれまでですが、同じような場面をゼロから作る手間を考えれば、これも一つの方法論と言えるかも…と思いました。ちょっと、ひいき目すぎるかもしれませんが…。    さて、採点ですが…冒頭でお伝えしたように、私にとっては【前作】とセットでインプットされている作品なので、悪い印象は持っていません。ただし、大人の視点で観ると、他のレビュアーさん達もおっしゃる通り「ギドラを操るほどの科学力があるなら、最初から地球に来てゴジラとラドンを操ってしまえば良かったのでは?」とも思えます。ギドラ自体も“操られていた”という設定だと、【前作】の「金星を滅ぼした凶悪無比の宇宙怪獣」というステイタスが揺らいでしまうかな…ということで、【前作】よりも1点を減じて9点とさせていただきます。  それでも、今回の再見で【前作】と同様、私の中に眠っていた【無邪気なガキの心】を蘇らせてもらい、少し元気になれたように思います。さ~て、今年も頑張ろう!。[DVD(邦画)] 9点(2018-01-11 21:36:41)(良:1票) 《改行有》

54.  三大怪獣地球最大の決戦 《ネタバレ》  昨年末に、あるレビュアーさんが当作品を再投稿(変更レビュー)されていたのを機に、全員の方のレビューを拝読しました。その結果、無性に観たくなったので、DVDをレンタルして観てみました。  実は、私にとって初めて観た【ゴジラ映画】が当作品です。当時、私は小学生。その頃は夏休みの夕方にフジテレビで、往年の特撮映画を放送していました。その中で観て、すっかり夢中になりました。ドラマ部分で言えば、王女の「私は金星人」、進藤・兄の「私は日本の警察官。あなたのボディーガード!」という台詞が記憶に残りました。  その後も、放送されるたびに観たものですが、ここ30年ほどは観る機会もなく歳月が流れました。また、↓の【へちょへちょ】さんがおっしゃる通り、赤ひげ(黒澤明1965年)の製作が遅れたために急遽つくられた【埋め合せ作品】ということも、私も近年に知っていました。  そして今回、再見したわけですが…  まず、印象に残ったのは【埋め合せ映画】とは思えない熱の入れようだと思ったことです。単なる【埋め合せ】なら、大半を既存のフィルムをもとに再編集した作品を公開する選択肢もあったはずです。確かに構想に3年かけたと言われる【モスラ:1961年】に比べて、市街地のミニチュアは小規模であり、自衛隊との攻防シーンは皆無、しかも決戦の舞台が富士の裾野なのは、製作が短期間だったことを物語っているように思います。しかし、それはあくまで“見比べたら”の話。キングギドラという新怪獣を創造した時点で「時間などの制約はあっても、決して安直な作品にはしない!」と宣言して製作を始めたのも同然だったのでは…と思いました。  そのギドラについて言えば、現在では「ギドラが金星を滅ぼした理由が描かれていない」と批判されそうですが…そんな理屈抜きに、他のレビュアーさん達もおっしゃる通り、ギドラが威風堂々として格好いいです。ゴジラ達を弾き飛ばしたりする姿は、まさに凶悪無比の宇宙怪獣!これこそキングギドラの真の姿だ!と私の中に眠っていた【ガキ】の心が蘇りました。ギドラの設定からも分かるように、核の警鐘といった従来の重々しい路線から離れて娯楽に徹した【冬休み・お正月映画】に相応しい作品だと思いました。  またドラマについても特撮同様に手を抜かず【進藤・兄:王女の探索と護衛】【進藤・妹:預言者(王女)と小美人の保護】【村井助教授:隕石調査とキングギドラの登場】の3つが、クライマックスに向けて一つにまとまっていく構成は、あらためて上手いと思いました。なお、個人的には、前半の、進藤宅の居間でのやりとり=兄をからかう妹→怒って妹を掴む兄→「おかあちゃ~ん」と言う妹→「およしよ、2人とも、いい歳して」と諫める母親…という何気ない日常シーンに非常に親しみを感じました。本多監督の怪獣映画では、こうした生活感や温かみのある描写が伝わってくるものが多いように思います。     さて採点ですが…当作品が公開された1964年(昭和39年)は、東京オリンピックが秋に開催された年だとあらためて気づきました。当時の日本全体に溢れていた勢いとエネルギーが当作品にも反映されていたのかもしれません。製作の追い込み時期は、まさにオリンピックの真っ只中だったでしょうから、スタッフの皆さんは「今、オリンピックで日本勢が大検討している。我々も負けずに良い作品に仕上げよう!」「我々が頑張れば、きっとオリンピックでも日本勢は勝てる!」と活き活きと取り組んでおられたのではないか…と想像したりしています。  このようなわけで、一般的な感覚でなら7~8点の作品かもしれませんが、昭和のエネルギー満載の元気が出る映画として、大甘で10点を献上させていただきます。[DVD(邦画)] 10点(2018-01-11 21:32:40)(良:2票) 《改行有》

55.  針の眼 《ネタバレ》  【レイダース・失われたアーク(聖櫃):1981年】が10/28(土)に地上波放送されたのを機に、同年、【レイダース~】と共に日本公開された映画ということで投稿します。  私が当作品を知ったのは、中学生のとき、ラジオ番組「夜のスクリーンミュージック」を通じてです。【現在公開中の作品の音楽】として、エンディング曲や愛のテーマが紹介され、進行役の関光夫さんが「久しぶりに映画音楽らしい音楽を聞いたと思ったのは私だけでしょうか」という趣旨の言葉を添えておられました。私は曲の印象から「格調高い純愛映画」と思い、映画雑誌で調べると…「刺殺シーンは生々しく、ベッドシーンもあり…」とわかり、中学生が映画館へ足を運ぶには時期尚早と判断して観るのは断念しました。  ようやく観られたのは、数年後、テレビ朝日の日曜洋画劇場で放送されたときです。その何か月か前に、マーカンド監督が49歳の若さで亡くなられたという記事を目にしていたので、追悼の意味もあるのかも…と思いました。実際に観ると、前半と後半の展開がガラリと変わる映画が好きな私は、すっかりはまりました。特に上記の経緯により、ミクロス・ローザのBGMが本領を発揮する後半に味わい深さを感じました。なお、BGMは、ラジオで聞いた曲よりもテンポが速めでサラサラッとしており違和感がありましたが、映画の雰囲気にはマッチしていたと思います。  *後年、サウンドトラック盤CD(輸入盤)を購入し、ラジオで聞いた曲は、レコード用に別録音したものだと確認しました。厚みのある聴きごたえのあるオーケストレーションで、まさに昔懐かしの映画音楽だと思いました。ただし当作品が公開されて30余年、若いレビュアーさん達にとっては【レイダース~】の音楽こそ懐かしいかもしれません。  さて、テレビ放送を観た後、ビデオレンタルなどで繰返し観るたびに(今回もレビューを書くために再見)、味わい深さが増しています。そして今回、皆さんのレビューを拝見して、自分は↓の【にじばぶ】さんのおっしゃる【人情劇】として当作品を観ていたんだな…とあらためて気づかされました。私は【ストーム島でのフェイバーとルーシーの会話】をもとに、二人の心情を推察しながら観ているのですが、それを【人情劇】のあらすじのように記載すると、以下のようになるかな…と思います。  「自分の果たせなかった夢を押し付ける親に育てられ、愛の無い孤独な子供時代を送ったドイツ人のヘンリー・フェイバーは、第二次大戦下、スパイとして敵地イギリスでも孤独な戦いに身を投じていた。家主である非戦闘員のご婦人でさえ、自分の素性を知って興奮し説得が困難とわかるや、任務遂行のためとはいえ、刺殺せざるを得ない非情な世界。身近に団結する仲間もいない孤立した感情…。そんな中、ストーム島で出会ったルーシーが、幼い息子・ジョーに無償の愛を注ぐ様子を見て、フェイバーは自分が求めていた親子愛を見出したのかもしれない。そして『耐えてきた数年間が無駄と思いたくないから頑張る』というルーシーの健気な話を聞き、親子愛への羨望は彼女への愛おしさへと変わり…漂着直後で身も心も弱っていたことも相俟って、抑えていた感情が一気に沸き上がった。その後、正体がばれても、ルーシーとジョーには『自分が生きられなかった愛のある人生を送ってほしい』と願い、殺せなかった。一方、ルーシーは、途中から自分の夫を殺めたと知って恐怖を感じたし、スパイということで見逃すわけにもいかず、思わず銃を手にフェイバーの後を追ったが…フェイバーの右足を撃ち抜いて我に返り、自分を愛おしんでくれた彼に、できれば足を止めてほしいと切望しながら、泣く泣く引き金を引くのだった」  …と、まあ、こんな感じでしょうか。これは私の一解釈にすぎませんが、前半と後半の違いを整合するのに役立っています。  一方、不満もあります。①ストーリー上、仕方ないのかもしれませんが、冒頭で登場した若者ビリーが、前半で退場してしまうのが物足り無いです。②ジョーとお風呂場で遊ぶ場面や、ラブシーンで、ルーシーの胸をあからさまに映す演出をしなくてもいいのでは?と思います。興行上の都合による客寄せのためでしょうか?この演出で客層を狭めてしまっていると思います。  さて、採点ですが…上記の二つの不満に対して各1点を減じ8点とさせていただきますが…他のレビュアーさん達もおっしゃっている通り派手さはないものの、堅実な作風のイギリス映画らしい力作だと思います。そして、今は亡きリチャード・マーカンド監督の代表作だとも思っています。マーカンド監督を【スターウォーズ・ジェダイの帰還:1983年】でしか知らない方々には、できれば観てもらえたらな…と思います。【人情劇】として…[ビデオ(字幕)] 8点(2017-11-01 21:43:25)《改行有》

56.  レイダース/失われたアーク《聖櫃》 《ネタバレ》  当作品が、10/28(土)に地上波放送されたのを機に投稿します。  日本での劇場公開当時、私は中学生でしたが、私の周囲では、オールスターキャストが売り物の【キャノンボール:同じく1981年】という映画が話題でした。これは私の中学だけでなく全国規模だったようで、実際、当時の日本では【レイダース~】よりもヒットしました。  当作品がポピュラーになったのは、私が高校生になった1984年に【インディ・ジョーンズ魔宮の伝説】が大ヒットしてからだと思います。その興行収入は【レイダース~】を遥かに凌いでいました。この【魔宮の伝説】の影響力は絶大で、その証拠に【レイダース~】が初めて地上波放送された1985年の吹き替え版において、マリオンが主人公に対して初めて発した名前は、原版の「インディアナ・ジョーンズ」ではなく「インディー・ジョーンズ」でした(因みに、今回の地上波放送では「インディアナ・ジョーンズ」と言っていました)。  以下、私の推測ですが…確かに当作品の日本公開当時、「ジョーズ(1975年)や未知との遭遇(1977年)のスピルバーグと、スターウォーズ(1977年)のルーカスが手を組んだ」と話題になりました。しかし、あくまで洋画ファンの間での限定的な話題に留まっていたように思います。幸い、翌1982年にスピルバーグ監督のE.T.が日本中で大ヒットをし、さらに翌1983年にスター・ウォーズが地上波放送され、スピルバーグとルーカスの名前が、洋画ファン以外の一般にも広く知れ渡ったところに、1984年の【魔宮の伝説】の日本公開…と、つながっていったのかも…と思ったりしています。  さて、当作品の魅力は、他のレビュアーさん達がおっしゃってくれているので、私が書くまでもないと思いますが…ただ、私の中で【ナチス・ドイツ】とは、小学高学年で親に連れられて行った【アンネの日記展】のインパクトにより【恐ろしくも生々しい現実】であり続けています。そのため初見から現在に至るまで【ワクワクドキドキの冒険活劇の敵役】には落とし込めません。それに「場合によっては、日本軍が敵役になったかもしれず、そうしたら日本未公開だったかも…」とも思ってしまいます。このように、変に【第二次大戦】が頭をよぎってしまい、映画の世界に没入しきれないのが、歯がゆいです…。  さて、採点ですが…本当は10点にしたいのですが、上記の歯がゆさを反映し9点とさせていただきます。なお、現在、日本では「ナチスって何ですか?」とおっしゃる若者の皆さんが増えているとか…ある意味、いい時代なのかもしれませんが、あくまで噂の類であれば…と願っております。[映画館(字幕)] 9点(2017-11-01 21:38:25)(良:1票) 《改行有》

57.  新・猿の惑星 《ネタバレ》  当作品が、テレビ東京で10/12(木)の昼に放送されたのを機に投稿します。  「製作担当者は、映画会社(20世紀FOX)の意向で、渋々2作目を作ったが、もうこれ以上の続編が作れないように地球を消滅させた。それにもかかわらず、会社の意向で作らされた3作目」…私がこの製作エピソードを知ったのは、ずっと後のことでした。  しかし30年ほど前にテレビ放送で観たときに「無理やり作ったんだろうな」ということは、最初の10分ほどでわかりました。「そもそも1作目でテイラーと地図を見ながら語り合った話だけで、沈んでいたロケットを発見し地球を脱出したというだけで不自然。そもそもマイロ博士って何者?」が率直な印象でした。ただし、その後のコミカルな雰囲気からジワジワと悲劇の後半へ…と、前半と後半の展開が変わるタイプの作品が好きな私は、観ていて悪い気はしませんでした。そして1作目に対応するように「人間とキスするのは、これで2度目よ/僕は初めてだよ」と、ジーラとコーネリアスが、ルイス博士達とキスを交わして別れる場面は、【種族/支配・被支配/時の流れ】という垣根を超えて、確かな友情を結べたことを示唆する名場面だと思います。キスの後に二人と赤ん坊がが遠ざかっていく姿から、その後に待ち受ける悲劇を予感したのは私だけではないと思います。また「人間が他の動物に支配されるようになるのが神の御心なら、それでもいい」と言う善良なサーカス団長アルマンドを演じたリカルド・モンタルバンについても、【スタートレック2/カーンの逆襲:1982年】の復讐に燃える優性人間カーンよりも、こちらの役のほうが、私は好きです。  このように、無理やり作ったと直感した時点で、私は【番外編】と割り切っているのですが…今回、あらためてテレビ放送の録画を観て感じた不満は、以下の2つです。  一つ目は、初見からずっと違和感があるのですが【猿が台頭していく歴史を、コーネリアス達が説明する場面】についてです。むしろ「発掘現場を爆破されたので、台頭した理由は調べようがなかった。ザイアス議長によると、かつて楽園だった禁断の地を、人間が砂漠に変えてしまったということしかわからない…」と1作目の状況を述べるだけでも十分だったと思います。そしてハスレインに「そうか、わかったぞ…お前達が、未来からやって来たのが始まりなんだ。人類が核戦争で衰退するからといって、お前達の子孫に取って代わられるなんて許せない。今、私がお前達を葬り去ることで、忌まわしい未来を変える」と言わしめるほうが、良かったのでは…と思うのです。そうすれば観客は「未来を変えるなら、核戦争が起こらないように尽力するほうが大切では?」と、ハスレインの動機が差別・偏見による理不尽なものだと、より明確に伝わるでしょうし、アルマンド団長の上記の言葉も一層、活きてくると思います。  二つ目は「ゴリラは攻撃的/チンパンジーは平和主義/猿は猿を殺さない」という動物観についてです。ご存知の方も多いかと思いますが、現在の研究・調査で、猿は猿を殺すことが知られています。チンパンジーは他の群れを襲って相手を殺す攻撃性を持つことが報告されています。 一方、ゴリラは、胸を叩くドラミングなどを通じて、他の群れに自分達の存在を伝えながら距離をとり、できるだけ戦いを避けようとするそうです。現在、ゴリラは「気が優しくて力持ちの繊細な動物」としてアメリカでは自然保護の象徴的存在になっているようです。ただし、そのゴリラもチンパンジー同様、いわゆる【子殺し】が確認されているそうで…。もっとも、このようなことばかりを言ってしまったら、「猿は猿を殺さない」という当シリーズ(及び、2011年以降に製作されているリブート版)の根本を揺るがしかねないかもしれませんが…。  さて、採点ですが…私にとっては【番外編】として、こじんまりと手堅くまとまっているという意味で7点を献上します。  ところで、4作目・5作目は、この3作目で語られた【猿が台頭していく歴史】をベースにしています。上記の通り、私はこの【歴史】に不満なのでレビューは控えさせていただきます。しかし、リブート版を創るインスピレーションを産みだす基になっているようなので、映画史的な意義はあるのでしょう。ただ、私はふと思うのです。「もし、作り手の予定通り1作目で完結していたとしたら、リブートシリーズは、どのようになっていたのか?」…もし、あり得るなら、個人的には【人類の文明が滅んだ後に生き残った猿達が、過酷な環境で少しずつ進化を遂げ、人類の残した言葉や文化を受け継いで、地球を再生していく…】という地道な作品を望みます。[地上波(吹替)] 7点(2017-10-22 19:04:40)《改行有》

58.  続・猿の惑星 《ネタバレ》  新・猿の惑星(1971年)が、テレビ東京で10/12(木)の昼に放送されたのを機に投稿します。  「製作担当者も、主演のチャールストン・ヘストンも、猿の惑星(1968年)は【完成された作品】であって、続編を考えていなかったにもかかわらず、映画会社(20世紀FOX)の意向で、渋々作った2作目。そしてこれ以上の続編が作れないように、地球を消滅させたはずだった」…私がこの製作エピソードを知ったのは、ずっと後のことであり、実は、猿の惑星シリーズで私が初めて観たのが当作品です。  私が物心ついたとき、映画館では、猿の惑星・征服(1972年)や最後の猿の惑星(1973年)が公開され、街中に貼られたポスターを見るだけで怖くて仕方ありませんでした。猿の惑星シリーズに限らず、当時のアメリカ映画は、オカルトやパニックものなど、人が悲鳴を上げて死んでいくのを見せ場にする作品が流行っており、TVのCMを見るのも苦痛で「昔のスペクタクル映画やミュージカル映画と違い、今の洋画は怖い」というのが幼い私の認識でした。猿の惑星のTVシリーズも放映されましたが、恐怖感から観ませんでした。  幸い、小学校の高学年になった夏休みに、アニメ版の猿の惑星が放送され、勇気をもって観たところ「怖くないぞ…面白いぞ!」とすっかり安心しました。その後、間もなくゴールデンタイムでテレビ放送された当作品を観たのですが…私の安心感はもろくも打ち砕かれました。特にミュータントがテレパシーを使い【ブレントを操ってノヴァを水に沈める・首を絞める/ブレントとテイラーを殺し合わせる】という場面は、【アクション】ではなく【単なる暴力】にしか思えず、つらかったです。ミュータントが不気味な讃美歌と共に素顔をさらす場面も気持ち悪く感じました。そして、せっかく喋れたノヴァは死んでしまうし、ブレントも撃ち殺されて倒れ込む動きが生々しく「主人公なのに、こんなにむごたらしく死んでしまうなんて…」とショックでした。テイラーも胸を撃ち抜かれ、地球も消滅…「やっぱり今の洋画は怖い」という認識が強まってしまいました。  その後、高校生のときにテレビ放送で1作目を観ることでき「やはり、猿の惑星は、聞きしに勝る名作だ!」と気持ちを新たにできました。しかしこの2作目で植え付けられたトラウマ的な感情はどうしても残りました。その後も何度かテレビ放送で観ましたし、今回、レビューを書くためにDVDで再見しましたが、初見から約40年経つのに、感情的な印象は全く変わりません…。  さて、他のレビュアーさん達のご意見を拝見すると、評価が低いですね…。でも、冒頭に明記したように、作り手の皆さんも仕方なく作ったわけで、その負の感情が、私達・鑑賞する側にも伝わっての低評価なのかもしれません。ひょっとすると「我々が、嫌々つくったのがわかるでしょ。観客の皆さん、是非、低評価を下し、これ以上、続編を望まないでほしい」という切なるメッセージが込められているのかもしれません。それなのに3・4・5作と続編が作られてしまうとは…。映画会社の意向があったにせよ、その背景に【観客が映画館へ足を運んで、それなりに儲かった。そして続編への要望があった】という事実があってのことでしょうから、作り手の皆さんだけを責める気持ちにはなりません。  最後に採点ですが…私のトラウマ的な感情だけで評価すれば0点です。しかし作り手の皆さんの【製作当時の苦悩と、その後も意に反して続編が作られ続けたやるせなさ】に思いを馳せると、つい肩入れしたくなってしまい、大甘で6点とさせていただきます。【商業映画=収益を出す】という括りの中で「作り手が創りたい」だけでは済まされない事情が生み出した【迷作】ということになるのかな…と思います。[DVD(字幕)] 6点(2017-10-22 18:59:28)(良:1票) 《改行有》

59.  猿の惑星 《ネタバレ》  新・猿の惑星(1971年)が、テレビ東京で10/12(木)の昼に放送されたのを機に投稿します。  偶然に訪れた【架空の異種族の世界】での交流を通じ、人間性や社会を批判し問題提起する…ジョナサン・スウィフトの風刺小説「ガリバー旅行記」にも通じる風刺映画の名作。  私が猿の惑星シリーズで初めて観た作品は、小学生のときにテレビ放送された【続・猿の惑星:1970年】です。この1作目は、高校生のときに日本テレビの金曜ロードショーで放送されたものを観ました。映画評論家の水野晴郎さんが解説されていたのをはっきりと覚えています。実際に観てみて、2作目同様、この1作目にも【怖さ】を感じましたが…【怖さ】の質は全く異なっている印象を受けました。2作目はミュータント登場以降の場面が強烈で「気色悪い、流血まみれでむごたらしい」といった生理的な嫌悪感に基づくものだったのに対し、1作目の場合は【理知的なSF映画としての怖さ】を感じました。それを象徴するのは、やはりラストシーンでしょう。最後のオチはとっくに知っていましたが【文字情報】では表現し得ない【映像】ならではのインパクトがある名シーンだと思いました。また、ジェリー・ゴールドスミスの前衛的な音楽にも魅力を感じましたが、特にその曲の一部は【水曜スペシャル―川口浩探検隊シリーズ:当時のテレビ朝日で放送】で引用されていたとわかったのも、当時の私にとっては嬉しい発見でした。  その後、テレビ放送で何度も観ましたし、今回、レビューを書くためにDVDで再見しましたが、素晴らしさは全く変わりません。もっとも、公開当時の「他の動物は、生きるために(捕食で)殺すことはあっても、人間と違ってそれ以外の無駄な殺生はしない。人間だけが…」という【人間と他の動物との違い】に関する考えかたは、現在の動物の研究・調査では修正を余儀なくされています。しかし公開されてからほぼ半世紀近く経つのに、映画の冒頭で語られるように【戦争が絶えず、そのために飢えている子供達が数多くいる】という現状を考えると、当作品の存在意義は変わらないと思います。また、考えようによっては、まだ最終戦争をしていないという意味で、↓の【よしのぶさん】がおっしゃる通り「核戦争が避けられた理由の一つに、この映画が挙げられるかも」と言えるかもしれません。  さて、採点ですが…製作スタッフの皆さんへの敬意を込め、さらに、いつか「人類が戦争をしていた頃の時代遅れの作品」と評価される日が来ることを願いながら、10点を献上させていただきます。[DVD(字幕)] 10点(2017-10-22 18:56:21)《改行有》

60.  オズの魔法使 《ネタバレ》  「オズの魔法使い」という物語そのものを知ったのは小学校の低学年の頃に、和製テレビシリーズを観たのが最初です。ドラマ本編の詳細はあまりよく覚えていませんが、毎回、最後にドロシー役の女優さんと子供達のコーラスで歌われた【♪虹の彼方に】はよく覚えています。因みにこの番組はウィキペディアに掲載されています。  さて、当映画版は、その後【ハリウッド映画の古典】だと知り、ずっと観たいと思っていました。最初に観たのは、大学生の頃、NHKの夕方に放送されていた吹替え版です。まず主題歌【♪虹の彼方に】には「これが本家か!」と感動しました。そして【モノクロの現実から、カラーのオズの世界へと場面転換する演出】では「まだ白黒作品が多かった公開当時のアメリカの子供たちが、鮮やかなカラーにどれほど感激したことだろう!」と、察して余りあるものを感じました。また【カカシ・ブリキの木こり・臆病ライオンの特殊メイク】は単なる被り物(マスク)と異なり、俳優さん達の表情を見事に反映する出来栄えだと感心し、さらに【三人の素顔を再認識できるエンディング】も上手い演出だと思いました。なお、ストーリーは単純で、カカシ達に出会うごとに歌われるメロディーは、いつも同じでした。しかし「この同じフレーズの繰り返しのような構成は、まさに絵本・童話・昔話と同じだ。映画のセット(背景)も、まるで絵本から飛び出したような美術だ。きっと絵本・童話・昔話と同様に“すでにわかりきったお約束”に、感情や意識を乗せながら何度も繰り返し楽しむタイプの映画なんだろうな」と思いました。しかし、当時、我が家にはビデオデッキが無く「繰り返し観られない…」と【一抹の寂しさ】が残ったのでした…。  その後、私も結婚し、我が子が通う幼稚園の学芸会で、隣のクラスで演じていたのが【オズの魔法使い】でした。これを機にDVDをレンタルし、当作品を子供と一緒に吹き替えにして観てみました。すると、子供はすっかり夢中になりました。どうやら、優しい大人達と励まし合って冒険する雰囲気と、上記に明記した【繰り返し】が気に入ったようです。おかげさまで一時期、何度もリクエストされてレンタルし、学生時代の【一抹の寂しさ】は解消しました。さらに特典映像によって、子供は【映画が公開されて80年近くが過ぎ、俳優・女優さん達は既に亡くなられているが、作品の中で生き続けていること】に対し、幼いながらも【歳月/命のつながり】のようなものを感じたようです。その意味では、私も「TVで観た吹き替え版と配役が違う」と思いつつ、既に亡くなられていた【はせさん治さん】の声をカカシ役で聞けて、感じ入るものがありました。その後、オズの魔法使いの声を担当した【滝口順平さん】もお亡くなりになっています。ドロシーにとって【虹の彼方の世界】は【心配事の無い場所】でしたが、私や子供にとっては【亡くなった人達が、永遠に生き続けてくれていて、また会うことが出来る世界】のようになり…と、非常に“深い”味わいの作品となりました。今回、当レビューの投稿にあたり再見しましたが、思いは変わりません。  さて、採点ですが…当作品を好意的に観られるかどうかは、他のレビュアーさん達もおっしゃっている通り「いつ(どの年齢)で観たか」に大きく左右され、加えて「絵本・童話・昔話のような【繰り返し】を楽しめるか」「ミュージカルが好きか」「80年以上も前にこれだけのものを!と感心して観られるか」にかかっているかな…と思われます。私の場合は、子供と一緒に観た上記の“深い”味わいを上乗せして10点を献上させていただきます。そして、いつか子供も親となり「この映画はね、私がお前ぐらいの頃に、ジイジと観たんだよ」とつながっていってくれたら…そうなるよう、世界が平穏に続くように…と願っています。[DVD(吹替)] 10点(2017-09-29 21:06:34)(良:1票) 《改行有》

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