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581.  暖流(1939) 最初、主人公をどの程度肯定的に描いているのかハッキリしないうちは、ちょっとイライラした。己れに疑いを持たぬ「竹を割ったような」行動派を美化していると見ればいいのか。喫茶店で紅茶注文しといて、すぐに食事に誘い出してしまうのが、当時の「男らしい」だったのか、などと。しかし途中から「女同士の義理」みたいなモチーフも浮きだしコクが出、最後には佐分利信の生き方に疑問を与えるようなラストで、これなら満足。なんとなく相思相愛の一組があるのに、思い過ごしや遠慮や義理やで、うまくいかない。決して劇的な障害があるわけでもないのだけど、うまくいかない。女二人のどちらにも肩入れしないで、均等に扱ったのがいいのかも知れない。高峰三枝子に力を入れると「いい気なものだ」式の話になってしまうし、水戸光子に力を入れると「女のガムシャラな愛」ということでちょっとギラギラしたものになってしまう(後年の増村保造はそれを狙う)。美術では当時のモダンぶりが味わい。女たちの対比も織り込んでいるのだろうが、神田の喫茶店、白と黒に染め分けていて、カップまで白と黒になっている。でも上流家庭の描写は、地に脚が着いてないというか、日本人には苦手ね。日本の戦前の上流家庭とは、案外こんなもんだった、という可能性もあるけど。[映画館(邦画)] 7点(2012-09-19 09:52:55)

582.  アパッチ砦 男たちの世界への朗々とした讃歌であり、また挽歌でもある。仲間うちの世界に、H・フォンダが闖入してくるわけだ。楽園の終わり。彼も悪役なのではなく、格下げされたことにコンプレックスを感じていて、それが裏返されて厳格さを強調することになる。繰り返される「ノークエスチョン?」。階級差と士官学校出か否かのズレ、も男の世界の味わいを出す。営倉の男の歌も味。整列のだらしなさの指摘と、全員が一歩出て振り返る態度。こういった男の世界のドラマが話の芯で、それと比べるとアパッチはさほど重要でない。騎兵隊にとってフォンダが闖入者であったように、インディアンにとっては騎兵隊が闖入者だったわけで、その疚しさがあるとドラマが膨らむけど、この時代の西部劇はそういう複雑さで邪魔してはいけなく、常に画面に雲が大きく占めるあの晴れ晴れとした気分を白人男性の気持ちで味わうべきなんでしょう。[映画館(字幕)] 7点(2012-09-14 10:09:52)(良:1票)

583.  バートン・フィンク 《ネタバレ》 ハリウッドにも庶民にも受け入れられなかったよそ者の話。彼本人は庶民の理解者のつもりだった。でも彼のイメージする純粋な庶民ってのにはついに出会えない。あるいはレスリング映画の観客としてイメージするきっかけはあったものの、彼はラッシュ見ただけでウンザリしてしまう。そういった庶民の反対側に、酒びたりのハリウッドがあるんだろう。唯一の庶民と思っていた隣人は、最後に「俺の場所に踏み込んできてうるさいだと!」と怒る。庶民というより「他人」と広げてもいいかもしれない。でもこのホテルではチャーリー以外他人は姿を見せない。気配は靴音以外にもたくさんあるんだけど。このホテルの雰囲気を味わうのが本作の中心で、廊下にはブィーンという低音が響いているし、暑さで壁紙は剥がれていくし、唯一外界のイメージは海岸の女性の絵で、屋内に立ち込めていた暑さは、ラストで火に凝集していく。社長の部屋は『シャイニング』を思い出させ、そういえば廊下もそうだな。あちらが「恐怖の寒さ」だったのに対し、こちらは「不安の暑さ」か。そういう映画。[映画館(字幕)] 7点(2012-09-11 10:37:37)

584.  ビルマの竪琴(1956) リアリズムで観ちゃいけない映画でしょう。「埴生の宿」が国を越えた合唱となるシーンは大変感動的なんだけど、反戦メッセージよりも、寓話としての純度の高さでグッと来るんだ。ハープの音色ってのが、よく夢に入るシーンでポロロロロンと使われるように、そもそも現実離れしているし、インコなどの小道具も童話的雰囲気をかもしている。そもそもビルマの風土ってのが、片足を涅槃に突っ込んでいるようなところ。だからこの映画の感動は、祈りの発生に立ち会っている宗教的なものなのだろう。立て籠もってた部隊を説得できずに、しかし自分は生き残ってしまったという疚しさが、祈りに、宗教にと傾いていく。しかしあくまで日本兵のためだけの祈りであるところが、当時の、あるいは原作者の限界なのか。水島を追いかける日本兵がビルマの人たちの祈りの場を踏み荒らすところは、だから鋭い。逃亡のための衣装が次第に体にしみ込んでいってしまったという、なんか鬼面伝説みたいなところもあり、やっぱり寓話だな。[映画館(邦画)] 7点(2012-09-08 09:40:33)

585.  ミッシング(1982) 戒厳令下の街を撮らせると、この監督の右に出るものはない。兵士のいる風景の凶々しさ。あの臨場感だけでまいってしまう。移動した末に兵士たちが見えてくるという図がいいんだ。「人民のための軍隊」など決してあり得ないことを知っている者の視線。戒厳令下の夜、白い馬がジープに追われて走っているシーンの美しさといったらない。字で書くといかにも象徴という感じだけど、白い馬=自由という図式を経て頭に来るのではなく、即、胸にジーンと来る。それまでの息苦しさや重圧感が、観ている者にしみ込んでいるから、あの馬の跳躍に憧れを感じ、ガンバレヨと声援を送りたくなるのだろう。理想肌だがお坊ちゃんの息子と、保守だが自信のある父に、アメリカの二面を代表させ、こちらはちょっと図式的だったか。『Z』以下の三部作に比べると集中力はやや劣るも、社会派でも面白い映画は面白いんだ、ということを周知させた監督だった。[映画館(字幕)] 7点(2012-09-07 09:49:02)

586.  三悪人 姫を守る三人の騎士の話をアメリカ西部に持ち込んだよう。三人は最初から姫と結ばれる資格がないことは了承ずみで、ただ「尽くす」ことに男意気を見せるわけ。一番の見せ場は正午を期してみながワゴンで走り出すやつ。のちにトム・クルーズの『遥かなる大地へ』でもやったランドレースっての。行けたところまでの土地が自分のものになる、って豪快な競走。カメラ自身も走ることの躍動感が凄い。そういう持続する動きの迫力と、もう一つ、妹との再会の場に現われた悪役の顔のアップの、白目がギラギラしている瞬発の迫力もある。ピストルの発射の突発性なんかもね。ぶら下がっているカメ(?)を撃つところや、ラストの対決でも瞬発の魅力がある。テントの中でタマが跳ね返ったりもするんだ。これ、アメリカのフィルムセンターから借りたものも含めた「大フォード回顧」ってんで見て日本語字幕なしだったが、スクリーンで見る迫力でモトは取った。[映画館(字幕なし「原語」)] 7点(2012-09-03 09:43:51)

587.  真昼の暗黒 今さら言うのもなんですが、飯田蝶子はやっぱりうまいですな。自分には分からない周囲の動きを、おどおどしながら見詰めている日本の母。子を思うために不馴れな場所に立つ図がいいんだな(戦後しばらく彼女は独立プロ作品でよく見かける)。あと夏川静江が線香を川に捨てるシーンもいい。こういう心の葛藤なんてその身になってみないと気づかないことだけど、線香の一本もあげないんですって…、という世間の声の圧力の凄さが伝わってくる。そして時間を前後するのが好きな橋本忍のシナリオが、取調べのシーンで効果をあげている。欠点としては、捜査官たちが憎々しげでありすぎるところ、もっと普通に事務的なほうがジワジワと国家が覆い被さってくる怖さが出たんじゃないか。それと時間的余裕がなかったのかも知れないけど、二審の判決内容も一応報告すべきだろう。弁護のシーンで戯画化された場面まで入れて主張したのだから、それを裁判官がどういう根拠で覆したのかを知らさねば、フェアでない。[映画館(邦画)] 7点(2012-09-01 09:15:42)

588.  雲ながるる果てに(1953) 特攻出撃前の躁状態にリアリティを感じた。無理にでも気持ちをそう持っていかねばならない。木村功が鶴田浩二に「本当に悠久の大義のためなら死ねるのか」と言っていたのに対する否定的な見解が、この躁だ。学徒兵に対して「役立たず」と罵っておいてから、軍神に祭り上げていこうとする軍上層部のたくらみ。何か役に立ちたい、自分の存在(死)に意義を見つけたい、という若者の気持ちをうまくつかむわけだ。特攻というアイデアを生んだ者の眼には、観覧車から地上を見下ろすO・ウェルズのように、兵士たちが見えたのだろう。ましてみんなが同じ軍服を着ていれば、それは数でしかなくなるし、軍服を着せられた兵士の側からも、役に立ちたいという衝動が湧き上がってくる。「また美談が一つ増えましたな」とか「今日は二割ぐらい当たるかな」といったいささか露悪的な発言も、こういう異常な戦法の異常さを際立たせてくれていた。あの傷ましい躁を経てまで散らされていった彼らを、後世の私たちは美談にしてしまう無礼だけはしてはならない、と思う。[映画館(邦画)] 7点(2012-08-30 10:03:22)

589.  ヘンリー/ある連続殺人鬼の記録 純粋殺人者って言うんですか、実在した殺人狂なんだけど、彼なりの心得がちゃんとあって、同じ手口は続けない、首を絞めた次はピストルとか。場所も変えていく、そうじゃないとつまらないから。なんか分かるのは、関わりが周囲に知られている者には手を出さない。用心のためもあるんだろうが、彼の「心得」の一つ。憎い相手でも手を出さず、親切に車の修理を見てやろうとした行きずりの他人で代用する。ここらへんの(彼ならではの)世間との緩やかな関わりが、なんか分かる。世間を代表させた「他人」を一人ずつ殺しているんだろう。母を殺した手段をしばしば言い間違う、何通りもの手段によって、何通りもの殺しが繰り返されていく。そして究極の孤独へ向かって突っ走っていくヘンリー、おそらく孤独というものを理解できずに。殺人ってのは、濃密な人間関係とそれからの解放を同時に果たす、あと腐れなくサッパリと。まだ多少人間味のあるオーティスを主人公にして、ただのチンピラがどのように「開発」されていったかを辿るという手もあったが、この映画は、この世には「われわれ」とハッキリ断絶している人間がいるんだ、ということの凄味で勝負した作品なんだろう。[映画館(字幕)] 7点(2012-08-29 09:28:17)

590.  東京裁判 ドキュメンタリーの興奮は感じられないが、ホンモノなんだなあ、と有名人たちを眺める感動はある。大川周明に頭叩かれた後の、東条さんの表情なんか良かった。広田弘毅が傍聴席を見上げるシーンは、ちょっとジーンとしてしまう。東条さんの「陛下の忠良な臣」としての発言が天皇の立場を危うくしていくあたりも、あの時代の愚かしさが凝縮して感じられる。しかし全体として茶番っぽい。戦場から遠く離れてしまってると言うか、抽象の出来事を抽象で処理している感じ。この戦争のタテマエ的な「あちら」の部分を「あちら」で裁いているだけで、現実の死が満ちていたアジアの諸地域や南の島や空襲下の日本など「こちら」の悲惨とはあまりにもかけ離れてしまっている、というシラけた感じ。ぜんぜん死臭が漂ってこない。裁判ってのはつまりこういうことなんだ、ということは納得できた。不完全な人間が不完全な人間を裁くことの無理。弁護側と検事側のゲームのような駆け引きに、いい気なものだと思わされる。国という単位を脱して、「こちら」連合が「あちら」連合を訴える裁判はできないものか、という夢を持ってもみるが、「こちら」だってそう罪がなかったわけではなく、「あちら」を弱腰だと煽ったりけしかけたりした歴史が厳として存在したわけで…。などとネチネチ考え込まされ、そういうものを導くのもドキュメンタリー映画の成果ではあろう。[映画館(邦画)] 7点(2012-08-28 10:11:59)

591.  蒲田行進曲 田舎へ帰ったときの駅での歓迎、階段のブラスバンドと橋のバトンガールが良かった。こういう大袈裟な馬鹿馬鹿しさが本筋だと思うんだけど、映画は笑いだか本気だか分からない部分が多くて困ってしまう。ヤスが階段を這い登っていくところなど、音楽のタッチからいくとマジでやってるんじゃないか、とも思えてしまう。そういう変に詠嘆調が混じるところがキズ。小夏が前面に出たぶん、男二人の奇妙な関係が分かりづらくなってしまったよう。階段落ちの前日ヤスが暴れるのは、もっと銀ちゃんの影が濃くさしているはずなんだけど、それが出てなかった。それまでのヤスと連続してくれない。小夏が前に出て良くなったところは、銀ちゃんがよりを戻そうと誘うシーンの哀切さね。あそこはホロッとさせる。未練たっぷりなのにシャレねばならぬ男の背中。[映画館(邦画)] 7点(2012-08-24 09:51:34)

592.  時をかける少女(1983) 《ネタバレ》 けっきょく最初スキーを持ってなかったってのがヒントなのね。画面の中央に丸く色がついていく。ラベンダーの匂いをかいだときは、逆に中央だけ色が抜け落ちる設定。途中で色がサーッとひいていく切なさがいい。ラストはいろいろ解釈できる。深町君への思いが深いところに残っていて、吾朗ちゃんと結ばれずにいる、ってのか、あるいは再び深町君と結ばれる可能性を与えているのか(そうじゃないな)、深町君と吾朗ちゃんは理想と現実と思うべきか(一度何らかの純粋を志向する夢を持ってしまった者は現実とうまくやり合っていけなくなるってのか)。老いた上原謙と入江たか子のシーンが必要以上に長くインサートされているのも、ヒロインとの対比なのか。諦めた者と諦めない者と。それらをひっくるめて、青春の切なさなんです。演出としては、花壇の中からフラスコが倒れるとことか、深町君が原田知世の頬にマンガン(?)をなでつけるとこなんか、ハッとした。でも一番嬉しいのは、倒れていたのが起き上がって歌いだす驚き。いちいちのシーンのときに少しずつ撮りだめしてたんだろうな。[映画館(邦画)] 7点(2012-08-20 10:10:45)(良:1票)

593.  ベロニカ・フォスのあこがれ 《ネタバレ》 この人の映画は、わざと通俗ぶるようなところがある。「通俗」ってのは、作る側と見る側とがある程度了解済みのことを語って互いに安心する、という仕組みだ。モルヒネに溺れる女優、医者たちの犯罪グループといった三面記事的な興味をひきそうな題材を揃えてある。自分の世界をクッキリさせるために、わざと通俗の背景を用意した、ってんでもなく、通俗なものへの素直な思い入れが感じられる。戦前の華やかな時代を懐かしみ求めつつ、現在の自分を人目から隠そうと奔走するヒロインに、ドイツ人のその時代の心情が重なっているんだろう。そして彼女から金を搾り取っていく組織の存在にもリアリティがある。全体として「了解済み」のことが語られていくのだが、この三面記事的通俗さに、なにか新鮮な「優しさ」のようなものを感じるんだな。「優しさ」って言うと爽やかすぎるかも知れないが、ちょっとズレれば「おせっかい」や「覗き見的好奇心」にも変わってしまうであろう「優しさ」なの。いまでもよくちょっとして記事に触発されて無責任で自己満足的な「優しさ」の嵐が世の中に起こることがあり、そういったものに眉をしかめるのは簡単だけど、監督はそこに現代最後のスカスカになった優しさを発見しようとしているのではないか。皮肉でなく肯定的に。この映画暗い終わり方のはずなんだけど、それほど暗澹とした気分にはならなかった。スポーツ記者が一度は閉じた自分の殻を破って「優しさ」を溢れさせたところを私たちが目撃したからではないか。[映画館(字幕)] 7点(2012-08-17 09:51:54)

594.  おしゃれ泥棒 《ネタバレ》 夜の公共施設って誰でも夢見たことがあるんじゃないか。美術館以外でも、学校とかデパートとか劇場とか、夜中にふと目覚めたりすると、昼間にぎやかだった「あそこ」は今どんな感じなんだろう、と想像してみること。そういうロマンが本作の底にはあって、そこにさらに「異性と一緒だったら」と想像を広げれば、恋愛のロマンスも自然に絡んでくる。見どころはいかにして美術品を警備の厳重な美術館から持ち出すかで、ブーメランやら鍵の位置の計測など、いったい何やろうとしてるんだろう、というハテナを前もって観客に提示しておいてから、盗みの夜を迎え、ひとつひとつ種明かしをしていくという趣向。壁を這い進んでいく鍵など楽しい。二人が潜む階段裏の物置が、盗みの支度部屋と恋愛の密会部屋の重なる空間となり、出ていくときにオードリーが記憶にとどめとこうと見回すのがいい。本作で主役の二人は、役者としてよりも映画スターとしての華やかさや洒脱さを前面に出しており、だから観客は、トイレはどうしてたんだろう、なんて心配してはいけないのだ。[CS・衛星(字幕)] 7点(2012-08-13 10:09:59)

595.  シャレード(1963) 《ネタバレ》 旦那の葬式の場、次々と見知らぬ男たちが現われて、本当に死んでいるのを確認していくとこがおかしい(最初は鼻に鏡を当て、次はあっさり刺してみる)。こういう「殺伐としたユーモア」でいくのかと思っていると、中盤からはロマンチック路線主体になり、サスペンスコメディの線はやや減退。ロマンスものの随所に襲撃やら殺人やらのスリラーを挟む、という姿勢。一応C・グラントに謎めいた役割を与えてはいるものの、まあ彼が悪役で終わるとは思えず、そこらへんは作る側も折り込みずみで、安定したロマンチック路線の上で二転三転を楽しんでください、ということなんだろう。女性観客のための「オードリーのオシャレ映画」としての枠も考えなければならない。セリフもシャレていて、たとえばガラーンとした葬式のとき、誰も来ないのね、というのに応じて「ベッドで死んでたら警部もいなかったわ」。電話で脅迫してくるJ・コバーンが、どこにいるんだ、というグラントに応じて「俺を見つけたいんなら、後ろを振り向け、いつもお前に張り付いてるからな」なんてのもいい。終盤でまたサスペンスの線をハッキリさせ、盛り上がった気分で終わらせている。[CS・衛星(字幕)] 7点(2012-08-06 10:05:58)

596.  大地 《ネタバレ》 忘れ難い名シーンとしては二つ。まず冒頭、老人が真夏の昼下がりに死んでいくとこ。ひまわり。友だちの老人と「もう死ぬな」「行ってきな」「天国か地獄か教えろよ」などと会話しながら、ひょいと起き上がり梨を半分ぐらいかじってから静かに横たわる。まさに「大地」という感じの堂々ぶりの人生が感じ取れる。も一つすごいのはヒーローの葬式に恐れを感じた犯人(富農の息子)が狂乱状態になって犯行を叫び始めるのに対し、農民がまったくの無関心を示すところ。この軽蔑の描写がゾクゾクッとくる。これはもうプロパガンダを越えている。生産者側の優位を描いて、わざとらしさがなくこれだけ感動的なシーンも珍しい。そしてソ連の映画は雲がいつも美しい。しかし考えようによっては「個人より集団」という思想が徹底されており、ラストで婚約者が別の男と新しい生活を始める予感で終わらせているのも、土に生きるものたちのしぶとさと言うか今村昌平的・昆虫的輪廻を感じさせもするけど、同時に個人のかけがえのなさが集団の中に埋没していくようでもあり、のちに明らかになって来るソ連の非人間的なシステムをすでに感じさせなくもない。[映画館(字幕)] 7点(2012-08-02 10:22:14)

597.  パリの恋人 古典的なハリウッドミュージカルは『バンド・ワゴン』を最後の輝きとして終わり、『略奪された七人の花嫁』以後は模索時代と思っているので、これなんか、そのあの手この手を試している感じを楽しめた。もうタップのプロの技能を観客が堪能してはくれない。「オードリーのファッション映画」の一変種としてミュージカルの型を借りたって感じ。ミュージカルとしてのツボは、役者の動きよりもカメラの技法にゆだねられる。カラフルな世界で、スローモーション、ストップモーション、画面分割などなんでも試み、主人公をカメラマンにしてビジュアル効果狙いを自然にしている(赤一色の暗室がほかの場面のカラフルさを引き立てた)。物語のヒロインのイメージでパリの名所を撮影しながら巡っていく趣向も楽しい。オードリーのモダンダンスも一生懸命。一方、プロの芸も残しときたく、アステアと女性編集長が、怪しい集会(やがて来る60年代を予告するような雰囲気)で二階へ上がろうとするナンバーなんかちゃんとしている。アステアの個人芸では、オードリーの部屋の前の広場でのダンスがある(傘の遠投は仕掛けなしか?)。と「あれこれなんでもやってみている」楽しさが味わえる映画だ。なのに枠としてのドラマが旧態依然で、これがちょっと無理があったな。画づらのほうでの模索と拮抗するぐらいの模索を、ストーリーのほうでもやってもらいたかった。[CS・衛星(字幕)] 7点(2012-07-29 09:24:31)(良:1票)

598.  アダムス・ファミリー(1991) むかしテレビを観てた者には、やはり懐かしい雰囲気が味わえる。危ない遊びを子どもたちがしているところなんか。学芸会のシーンも好きだな。清らかにに歌っているのを退屈そうに聴いているアダムス家の人々。しかし子どもたちが血しぶきいっぱいの史劇を始めると生き生きしてくる、なんてあたりにあのドラマの味わいがあった。ただしスターたちにコメディをやらせる場合、ちょとでも隠し芸的な気配が漂うと、余興の緩みが出てしまうのでけっこう難しいのだ。私のノートには「ウェンズディやった子は『恋する人魚たち』のクリスティーナ・リッチ」としっかり記されている。美少女というより、あの手の癖のある少女のチェックに抜かりはなかった。[映画館(字幕)] 7点(2012-07-19 09:57:40)

599.  アンダルシアの犬 ピアノを引きずり女に近づこうとしている男、これとまるきり同じ状況ではなくとも、似たようなことをしている男はいるな、という感じは持てる。あるいはいつか自分がこれと似たようなことをしそうだ、という予感。ピアノとか馬とか修道士とかに、一つ一つの象徴を当てはめてはいけないのだろう。ピアノに漠とした「重さ」を感じるのは象徴とは違う。でも男というものは、ピアノを引きずり女に近づこうとするような存在だなあ、とはしみじみ納得できる。シュールリアリズムとは、そういうもんなんだろう。エロティックな幻想にしろ、蟻にしろ剃刀にしろ、全編触覚的で生々しい。例の剃刀のシーンでは、女性観客の「やっ!」という叫び声が館内に響き渡った。そして全編実に明晰。シュールリアリズムとは、夢を明晰に記録したい夢なのか。[映画館(字幕)] 7点(2012-07-18 10:03:31)

600.  ビリー・バスゲイト 《ネタバレ》 暴力・腕力のギャングの時代が去りつつある30年代、取り残され気味のボスを『クレーマー、クレイマー』のD・ホフマンが低い潰した声でやる(R・ベントン監督、N・アルメンドロスのカメラと同じトリオ)。なんか日本の仁侠映画の構図だ。でも主人公はその滅びを目撃していく少年で、その成長物語という設定。文字通りファミリーなの。殉死する者の目つきになってる手下の雰囲気。親分以外は自分たちが時代遅れになっていることを感じ取っている。親分もその空気が伝わっているから苛立って無謀な発作的な殺しをしちゃう。この小男に忠実に仕える面々見てると、時代に乗れない中小企業にも見え、S・ヒルの番頭なんか実にいい。キャスティングも含め、このギャング映画、どこか「中小企業」的な侘しさが漂っているのが味わい。主人公ビリーを叱ってこの「沈没船」から逃がしてやるあたりなんか、任侠道だよね。またこれはビリー君がどんどん大きな金を得ていく段階のドラマでもあり、お手玉のごほうびから始まってアップしていき、最後はラッキー・ルチアーノ相手に、俺の金だと言い切る。びっくりして一目置くルチアーノのリアクション。脚本は『ローゼンクランツ…』のT・ストッパード。トリュフォーやロメールのカメラマンだったアルメンドロスは、アメリカではT・マリックの『天国の日々』のほか、このR・ベントンとよく組んだが、これが遺作か?[映画館(字幕)] 7点(2012-07-13 10:07:53)

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