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プロフィール
コメント数 1251
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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741.  恋の罪 《ネタバレ》 とりあえずデリヘル事務所の顛末は単純に面白かった。派遣先での「ボケー!」の台詞も心に残る(笑った)。 ほか全体的なことに関しては、まずはいかにも頭の悪そうな人物が予定通り堕落していく話になっている。部外者としては目を逸らして見なかったことにするだけの相手であり(こっち見るな!)、おれは関係ない、で終わりである。 また途中で頭のいい人物が出て来て深淵な哲学を語りそうな雰囲気だったので、これは自分などの理解を絶した世界かと思っていたが、実際は普通の言葉でわりと簡単に説明できそうなことを難しくしただけで、結局最後は誰でも想像できる範囲に収まった感じだった。普通に生きることが難しい境遇だったとしても、そこを何とかカバーする知性をこの人物は備えていたはずで、その点で父親の行動はまだしも理性的な範囲にとどまっていたと思われるが、こういうのは性別によっても違うと言いたいのか。 以上の2人に関しては、こうなったことにもそれなりの事情があったらしく、全てが生来の体質によるものともいえないところがあるが、少なくとも次に生まれ変わった時には別の人生が期待できるわけで、その際は例えば修行して悟りを開いて仏になることを志したりするのもいいかも知れない。 そのほか警視庁の刑事には単純に失望した。劇中には全般的に変な連中が多いが、この人物は特に職業と人格の関係、また家庭環境に関する設定が支離滅裂である。またこの映画では三者三様のヘアヌードが出て、見た目でいえば胸の大きさの違いが明らかな特徴になっているが、この人物は中庸であって個性の表現にはつながっていない。別にそんな点は評価項目にならないのでどうでもいいわけだが、頭の良し悪しと胸の大きさに負の相関関係があると主張していたのであれば問題がある。多分そんなことも言ってないだろうが。 なお個人的には、この映画を見ながら大岡越前守の逸話と伝えられる「灰になるまで」の話を思い出したりしたが、それは関係ないか。何にせよあまり深入りしたくない映画だった。[DVD(邦画)] 5点(2016-10-01 13:44:24)《改行有》

742.  怒り 《ネタバレ》 真面目に見たが釈然としない映画だった。見た後で原作を読むと、全体としては原作にかなり忠実に、うまく要約して作られているのはわかったが、それでもなお釈然としない理由は次の3つである。 ①題名と内容が一致しない 題名の意味について、どうにもならないことへの憤懣を「怒り」という言葉で表現していると考えれば、劇中の至るところに大小の「怒り」があることは理解できるが、しかし物語としては3つとも“人を信じること”を主題にしているように見える。これは原作段階でも同様の指摘があったらしく、それに対して映画では、ラストに追加した少女の場面(ギャーと叫んでいた)で「怒り」をより強く印象づけようとしたのではないかと想像する。 ②登場人物の心情に共感しにくい 千葉編と東京編に関しては、それぞれ相手を疑う理由が第三者的にも理解できるものであり、かえって当事者の悔悟と自責の念の方に共感できなかった。しかし原作を読むと、さすが小説では登場人物への共感レベルがまるで違っており、小説の情感が映画では失われてしまって無味乾燥になった感じがする。長さの関係もあるだろうから仕方ないが。 ③全体的に結論を出さず観客に投げる形になっている まず「怒り」の根源について、派遣労働や外国の駐留軍(現時点ではアメリカ軍)、あるいは母親が自堕落だとかいうことなど、大小各種どうにもならないことへのやるせなさがあったとしても、それを観客に訴えてどうしようというのかという疑問が生じる。また“人を信じること”は一応の共通テーマのようではあるが、これも闇雲に“人を信じることが大事”などと訴えていたのではないらしく、映画でも沖縄編は少し複雑だが、原作では映画で省略した4つ目の物語がこの問題の難しさを示している。 答えが出ないようで不全感は残るが、元からそういう作りなのは仕方ない。観客の内なる「怒り」を期するということかも知れないが、あまり期待されても困る。 そのほか原作段階では真犯人の犯行動機がわからないのが不満との声もあったようで、それに対して映画では、犯人の行動と心境に関する台詞での説明を入れてある。またそのことに伴い、真犯人が必ずしも真の悪人ではないということも示唆されていたようで、つまり「怒り」は専ら米軍に向けよということだったのかも知れない(ちなみに原作では白人だったのを映画では黒人にしていた)。 なお出演者に関しては当然ながら広瀬すず嬢が圧倒的な印象を残す。二度は見たくない映画である。[映画館(邦画)] 5点(2016-09-23 19:58:15)(良:1票) 《改行有》

743.  大海獣ビヒモス 《ネタバレ》 放射能怪獣が大都市を襲うパターンは「原子怪獣現わる」(1953)と同じだが、前回からここまでの間に“放射能は怖い”という認識に至ったらしいのは著しい進歩である。食物連鎖をもとにした説明はゴジラにもなかった説得力があり、また怪獣の死体を「核廃棄物として安全に処理」する必要があると思っていたのもまともな感覚である(実際はそうでもなかったが)。最後はゴジラ並みに“最後の一匹だとは思えない”的な終わり方になっており、核の時代に警鐘を鳴らす形には一応なっていた。 またこの映画でも怪獣が出現するのは遅いが、その間のドラマ部分にあまり退屈しなかったのは大違いだった。積極派と慎重派の学者がある程度の緊張感を持ちながら、結構まともに見える検証を通じてともに怪獣の存在を確信するに至り、それを軍当局に通報したことで速やかに対策が始まるというのが理性的で、これはさすがイギリス人だとか思ってしまう。また放射能カレイ(日本なら放射能マグロ)が発見された時点で、慎重派の学者は市場に出ないよう関係機関に通報し、積極派の学者は原因究明に当たっていたのもそれぞれの個性を生かした分担で現実味があった。トロール船の船長と学者の会話もなかなか気の利いた感じで面白い。 ただし出て来た怪獣は基本が恐竜なので姿形に面白味がない。それでも何か武器を持たせなければならないと思ったのか電気ウナギからネタを借りたようだが、実際それで攻撃する際の効果音が極めて間抜けである。それでもやっとロンドンに上陸した後はそれなりの迫力があり、川岸からぬっと上がって迫って来るとか、お決まりの高電圧線の接触場面など面白く見せようとしているところもある。パニック描写としてはエキストラ然とした人々がとにかく走る場面が多かったが、街角で怪獣を見た老人が口をあけたまま固まってしまい、その後のポワポワ攻撃でやられてしまったのは気の毒だが笑ってしまった。 なお途中で出た古生物学者は低身長で威厳はないがユーモラスで、これから第三の中心人物として活躍するのかと思ったらすぐ退場してしまったのは残念だった。制作側としては、もし恐竜が生き残っていたらという子どもらしい夢を、この人物を通じて語らせようという思いがあったように思われる。日本のゴジラも出発点は恐竜ながら、その後は普通一般の生物を超越した存在になっていったのとは対照的である。[DVD(字幕)] 5点(2016-09-17 19:59:36)《改行有》

744.  ドロメ【男子篇】 《ネタバレ》 一つのストーリーを男子、女子それぞれの視点から二本の映画にした「青春ダブルアングル・ホラー」のうちの【男子篇】である。男女篇が互いに不明部分を補完し合っているところがあるが、主に女子篇での謎を男子篇で解く形になっているため、順番としては女子篇を先に見るのが明らかに正しい(男子篇を先に見たのは失敗)。 男女篇とも冒頭からいわゆるポップな雰囲気を前面に出しており、特に男子篇はほとんどコメディでホラーらしくない(ママの顔だけ怖い)。コメディとしての可笑しさは、バカな男子連中のやらかすことを単純に面白がれるかどうかにかかっているが、しかし個人的感覚としては単にバカだと思うだけで全く笑えず、ボーイズラブ寸前のじゃれ合いも鬱陶しい。また過呼吸とか胡麻餡を垂らす場面がくどいため間延びしたように感じるのは男女篇共通だが、特に男子篇では無駄にしか思えない場面があったりもする。かろうじて前後篇でほとんど唯一の泣かせどころがあるのは男子篇の特徴だったかも知れない。 この映画が売りにしているのはクライマックスのドロメ退治だが、ここは爆笑とはいかないまでも可笑しさはわかり、また「終」を出すタイミングも失笑を誘う。そこからエンディングにつながって、花火ダンスの再現で盛り上がるのも映画の終着点として納得いくものになっていた。終盤の展開は東映戦隊シリーズの流れを汲むものに見えたが、ただしそのように見るとエンドロール後の追加部分が不可解ということになってしまう。実際ここは女子篇の方が本来のあり方であって男子篇は捻りを加えた形のため、この点でも女子篇を先に見るのが正解だという気がした。 ちなみに男女篇に共通だが、劇中の比嘉梨乃さんと岡山天音の関係性が非常に可笑しい(小道具製作とスパゲティの場面に注意)。これに関する舞台挨拶での話を聞くと役者の素顔も見える気がして面白かった。[DVD(邦画)] 5点(2016-08-25 22:08:28)(良:1票) 《改行有》

745.  ウィンター・ウォー/厳寒の攻防戦 《ネタバレ》 第二次大戦初期の1939年11月~1940年3月に、フィンランド共和国とソビエト連邦が戦った「冬戦争」の映画である。この戦争は基本的にソビエト側からの侵略で始まったもので、これに小国フィンランドがほぼ独力で果敢に抵抗したことは当時から賞賛されていたらしい。 字幕によれば「第23歩兵連隊の軍事日誌と、同連隊で戦った兵士たちの記憶に基づいて作られた」映画とのことで、開戦前の動員のところから話が始まる。部隊はフィンランド南西部のカウハヴァの周辺住民で編成されたもののようで、みな近在の知り合いばかりのように見えたが年齢差もあり、1918年の内戦に参加した者や、1932年のマンツァラ蜂起で動員された経験のある者もいたらしい。銃は自宅に配備されていた(日頃の訓練などでも使っていた?)ものを持って行ったようである。 当初はまだ「戦略的な動員」であったために人々の本気度も半端のようだったが、認識票に関わる一連の発言などは、自分が死ぬかも知れないという覚悟を少しずつ固めていく過程のようにも思われた。配属先は当然ながら地続きの自国内で、到着後にいきなり現地女性と親密になろうとしてみたり(慰安所はない)、長目の休暇を取ったりして気が緩んできた矢先、突然戦端が開かれて慄然とすることになる。 その後は大勢がよくわからないまま眼前の敵との戦いを強いられていたが、最後はまた突然に講和条約が締結されて戦闘が終了し、その時点で生き残っていた者が結果的に助かった形になっていた。戦闘停止が知らされた後の両軍兵士の反応の差は、無理やり動員されて来て終われば帰るだけの連中と、戦いの意義はわかっているが犠牲が多すぎたと思う人物の対比を示していたようにも思われる。 この戦争の結果として、フィンランドはソビエト側の要求を容れる形で大面積かつ重要な領土の割譲を余儀なくされたわけだが、しかしここで断固として屈服しなかったことで「独立を守った」(字幕)というのがこの映画としての見解になっている。そのような認識は恐らく、劇中人物が言及していたバルト三国でも共有されているものと思われる。 ところでこれを普通にドラマとして見ると基本的には退屈であり、最後の最後だけわざとらしい演出で何とか形をつけようとしたかに見える。上映時間が当初は199分あったのをInternational Cutで125分に大幅短縮したとのことだが(DVDではなぜか122分)、いわば当時の再現映像のようなものであるから、個別エピソードを落とすことでいくらでも削減可能な性質のフィルムだったのかも知れない。それにしても登場人物の間でそれなりにできていたはずの人間関係が短縮のせいでよくわからなくなり、それでドラマ性に乏しく見えていたとも考えられる。 そういうこともあって、日本人では基本的にフィンランドの歴史、または軍事関係に関心のある人以外にはお勧めしない。軍事マニアなら199分版の方を見たくなるかも知れない。[DVD(字幕)] 5点(2016-08-13 22:28:28)《改行有》

746.  バトル・オブ・リガ 《ネタバレ》 第一次大戦中の1918年にラトビアが独立宣言して以降、外国勢力を排除して実質的な独立を勝ち取るまでの経過に関わる物語で、1919年11月の首都リガにおける攻防戦が中心である。劇中で記念日とされていた11月11日は現在も戦士を追慕する日とされているらしい。 この映画が言いたいのは、要は劇中の政治家(カールリス・ウルマニス、実在の人物)の発言にあったように“国家の存否を決するのは国民自身の意思だ”という考え方と思われる。これは国家の存在を当然の前提として反抗だけはしてみせる駄々っ子のような国民とは明らかに感覚が違っている。「国のためなら戦える」などという発言は日本ではまともに口に出せるものではないが、ラトビアのように国の枠組み自体を作るために苦闘した国では、本気でこれを大事だと思っているということである。 現実問題として当時の情勢はかなり複雑だったようだが、この映画では一定の整理を加えた上で現代の事情に合わせて脚色したものと想像される。 劇中では、もともと民族主義者で後に独裁者として知られるウルマニスをあえて公正で善良な指導者として中央に据え、その政敵でドイツ寄りのニエドラを政権内の懐疑派の扱いにして、その対極に、いわば国民全部を体現する存在として主人公を位置づけることで、ラトビア国民国家の縮図を作ってみせたように思われる。主人公が政府要人と友達づきあいなのは不自然だったが、そこはあえて作為を通したものと考えておく。 これに対してラトビア独立の敵はドイツとロシアだが、この映画ではドイツを主な敵役にする一方、ロシア人(白系のみ、赤軍は出ない)は下品な連中として笑い者にしただけに見える。そもそもリガはドイツ人が創建した都市であり、この時点でも結構な割合がドイツ人だったと思われるので、簡単にドイツ憎しで全市民が一致団結するわけでもなかっただろうが、現実にはその後、第二次大戦の終了とともにラトビアのドイツ人はほとんど退去してしまい、代わりに現代ではロシア人の比率が高くなっている(約3割)。そのような状況では、現在いないドイツ人を悪役にしておくのが簡単かも知れないが、しかし現地のロシア人にとっても見づらい映画ではあるかも知れない。その辺の現地事情はよくわからない。 ほか映画自体の内容としては、序盤は笑いを含んだ下町人情物のような雰囲気で、最後までこの調子かと思っていると後半は一転して深刻な話になるが、全体的にスケールが小さい印象があり、これがラトビア史上の重要な戦いだという感じはあまりない。しかし娯楽映画としてそれなりに楽しめるものになっており、また現在も存続しているラトビア国家の原点に関わる映画であるから、ラトビアに関心のある人々にはぜひ見ていただきたい。[DVD(字幕)] 5点(2016-08-05 00:55:43)《改行有》

747.  海難1890 《ネタバレ》 まず前半では、海難と遊興の対比が意味不明だとか、悪人が突然転向して本当はいい人だったことになるといったマイナス要素が何かと多いが、そういうのも感動物語に紛れて見過ごしにしてしまう面がなくはない。一ついいと思ったのは、日本人は相手に頭を下げられると頭を下げ返さずにはいられない人々だというのを映像化していた場面だった。 しかし素朴な疑問として、両国の民に共通のメロディがスコットランド民謡(誰かさんと誰かさんが麦畑)だったというのは実話なのか。2013年の別の映画でも似たような場面があったが、それは当の相手国の歌であり(蛍の光/Auld Lang Syne)、かつ原歌詞がその場面に合っていたからこそ感動的だったのであって、トルコ人相手に同じことをしても違和感しかない。表層的な文化は違っても、人の心は間違いなく通じたというだけでいいのではないのか。 また劇中の海難救助が「村人たちにとって当たり前のことなんだ」というのは紀伊大島に限らずその通りと思うが、それなら助けられた当人を相手にして、これでもかこれでもかと恩を着せるようなことを言うものではない。トルコ人は船が難破すると生存者を殺して財物を奪う民だとでも言いたいのか。自分の善行を強調しすぎて相手を貶めている。 後半に関していえば、日本人も陸路で逃げればいいのでは、という素朴な疑問を解消しようともしないまま、トルコ人の一部を排除してまで日本人が割り込んだ形になっていたのは非常に抵抗感がある。助けられたのは事実であるから感謝しなければならないが、そもそも日本国政府とナショナルフラッグキャリアの尻拭いを他国にやらせておいて、それは恩返しだから当然だ、というような映画を作ったのは日本側として恥ずかしくないか。そんな根性でよくも前半では偉そうに説教などしたものだ。 加えて、緊急時に怒鳴るばかりで妻子を危険にさらすような男を、よりによって真っ先に助けるなどという展開は全く受容できない。男児が泣いていたのは父親が激高していたのが原因だろうが。自分だけ残って死ね馬鹿が。 以上、ネット動画で見ていればいいものをまともに映画化などするような話か、というのが正直な感想だった。点数は日本人とトルコ人の友情のために入れておく。ちなみに個人的には自室の壁にトルコの青い目玉の魔除けを3個も飾ったりして親トルコ派のつもりだが、最近は何かと物騒な国になってしまったのが悲しい。[DVD(邦画)] 5点(2016-07-30 21:40:59)《改行有》

748.  神様の言うとおり ~短篇.jpルーキーズ第1弾~ 《ネタバレ》 一応説明しておくと、「短篇.jp」という動画コンテンツの配信サイト(現在は停止中)が運営されていた時期に、新人監督育成の目的で製作されたのが「短篇.jpルーキーズ」である。この第1弾に続いて第2弾、第3弾が製作され、それぞれDVD化もされている。 内容としてはシナリオコンペで選ばれた6編のオムニバスになっており、それぞれに新人監督が脚本・監督・編集を担当している(第5話のみ美術も担当)。この第1弾では小阪由佳、国分佐智子の女優2人が全編共通の登場人物という設定で、第1話~第5話の各エピソードに各1人が端役で出演した上、最後の第6話で2人が揃って全体のつながりをつける趣向になっている。恐らくコンペの脚本に手を入れて、全体が一つにまとまるよう編集したものと思われる。 素人目に見ても新人監督らしい感じはしなくもないが、基本的にコミカルな展開で普通に楽しい。みな微妙に不幸で微妙に救いのある話だが、それを含めて人生それほど捨てたものでもなく、愚かしいようでも健気に生きる人々を祝福してやりたいという結末になるので少ししんみりさせられる。絶賛するというほどでもないが、地味にいいものができている気のする短編集だった。[DVD(邦画)] 5点(2016-07-16 13:02:21)《改行有》

749.  -×- (マイナス・カケル・マイナス) 《ネタバレ》 とりあえず密度の高いものをじっくり見せられた気はするが、娯楽気分で見るのは厳しい。 人の神経を逆撫でする要素を各所に多数入れてあり、また人物の会話も素直につながらず、何かと棘が刺さるようで苛立ちが募る。終盤に至ってもまだ緊張を強いられる気がする一方、登場人物が社会通念を無視した感情表現をするのが気に障って安心して見ていられない(公共交通機関内で大声で歌うなど)。個人的感覚としては劇中に和む場面が全くなかったが、そのように延々と精神的負荷をかけられた後で、最後に中学生がにっこり笑った(+金魚を入れた、襟を洗った、チョコレートが落ちた、アパート前にタクシーを止めた)くらいでは心の収支がプラスに転じない。登場人物に心底共感できる観客なら別かも知れないが、自分としては見るのがつらい感じの映画だった。 またこの映画で、相互に関係しない物語をあえて一緒にしてみせたことにはあまり積極的な意義が感じられない。自分としては最後にどうつながるのかを期待していたわけだが、その期待が満足させられなかったのも全体としてマイナス方向に作用している。自分の感覚でいえば、人はそれぞれ事情を抱えているので世界情勢とか他人の動向など視野に入らなくても仕方ないだろうと思うわけだが、まあできれば世界の広がりに関する想像力くらいはみな持っていた方がいいという気はしなくもない。 ところで女子中学生役の寿美菜子という人は、現時点では声優として有名のようだが(自分の知る範囲では「けいおん!」の琴吹紬役)、この映画を撮影したのは2007年とのことで、その時点ではまだ15~16歳だったようである。劇中ずっと不穏な表情だったこの人が終盤では普通に可愛らしく見えたのは悪くなかった。またその友人役の大島正華という人も、年齢(14歳くらい?)の割に面構えに迫力がある。そのほか、近年は怖い役ばかりやっている感じの長宗我部陽子さんが、この映画では普通に(というか非常に)色気と可愛気のある女性役なのは結構なことだった。それでも少し怖い感じだが。[DVD(邦画)] 5点(2016-07-09 09:30:25)《改行有》

750.  賃走談 2号車<OV> 《ネタバレ》 「賃走談 1号車」の続きであり、全8話のオムニバスを4話ずつ「1」「2」に分けたうちの「2」である。「1」と同じく古賀奏一郎と吉川久岳という人物が脚本・監督・編集をそれぞれ2話ずつ担当している。[ ]は点数。 【帰ってきた女】 視聴環境によるかも知れないが画面が暗すぎる(女優の顔がよく見えないではないか)。また男の口調が気に入らない(3人とも)。話の基本構造としては単純だが、しかし登場人物の立場によって出来事の性質が変わるのは面白い。[4] 【チイちゃん】 雨の日の不吉感がある。人物を暗く見せたり明るく見せたりして混乱させるのが面白い。印象が二転三転する。[4] 【くりかえす最後の記憶】 題名だけでどういう話かわかってしまい、また男の行動で何が起こったのか容易に想像できる。そもそも男の動機が不明なのは困ったことだが、最大の問題点はタクシーがほとんど関係ないことである。なお管理人のジョークはオヤジじみているが、年長者が若年者に気配りしている感じが出ており、彼我の年齢差を超えてかろうじて同調してもらえそうなあたりを狙っているのがいい。[4] 【怪談タクシー】 悪くない題名である。冷静な運転手と感情豊かな客の対比は面白い。愛すべき女性像に好感が持たれるが、最後は可哀想で切なくなる。2006年でさえなく2014年だったことの衝撃が印象的だった。ただ最後の駄目押しは聞かなくてもよかった。別の締め方がなかったものか。[7] 前作と同じくスターダストプロモーションの所属タレントが多く出演しているが、今回は女優の方に少し重心が移った感じで、タクシー運転手が主人公とも限らなくなっている。基本的に若手女優はスターダストの所属だが、「チイちゃん」だけは女優といっても子役(2005年生まれ)である。 前作と同じ企画の一部であるから水準としては変わりなく、怖いものではないが映像作品としての印象は悪くない。最底辺の安物ホラー群の中にも、結構見られるものがあるのだなとこれで少し見直した。特に「怪談タクシー」は個人的に好きな女優が出ていることもあって印象深いエピソードである。[DVD(邦画)] 5点(2016-07-03 18:52:49)《改行有》

751.  不良少女 魔子 《ネタバレ》 世代限定の映画のような気もするが、とりあえず思ったことを書かせていただく。 まず題名の「少女」が意味不明である。主人公をはじめとしてみな外見的にはオトナに見えるわけだが、あえて「少女」なのは精神的に未成熟だということか。主人公に関していえば、自由に生きたいのに邪魔ばかり多い、と当人は思っていたかも知れないが、現実にはどこまでも優しい兄の庇護があってこそのやりたい放題だったわけである。誰かに守られていながら反抗するという甘えの構造は、劇中では兄だが親に置き換えても同じだろう。これではただの駄々っ子である。 またこの映画では、主人公が盾突く相手が国家権力などではなく市井の暴力組織であり、国家が諸悪の根源だといった責任転嫁ができない設定になっている。劇中では社会の表も裏も関係なく、どんな世界にもその場その場の仁義がある、という極めて当たり前のことを若年者に突きつけていたように見えたが、それを主人公は全く認識できていなかったようで、そういう点でも人になり切れない少女ということだろう。 もしかすると当時の感覚としては、単純に若者の反抗や女性の暴力を小気味いいものとして捉えるとか、あるいは劇中人物の閉塞感と苛立ちを自分のこととして共感するような見方が普通だったのかも知れないが、世代も年代も違う自分としてはそれをそのまま肯定することはできない。普通に見る限り、どこまでも好き勝手に生きようとして周囲を巻き込んで破滅してしまい、結果的に“魔”の字にふさわしい役回りになった少女の悲しい愚かさを描いた映画に思われる。 主人公にしても、一途に妹を思う兄の苦しい立場がわからなかったはずはないのであって、劇中で自分が唯一共感できるのはこの兄だった。 なお主演の夏純子さんは当時日活の専属で、これ以前からスケ番映画の主役をこなしてきていたが、この映画の後に日活がロマンポルノ路線に転換したため松竹に移籍したとのことである。その後もしばらく各種映画に出演していたが(脇役か端役)、個人的にはこの映画の直後の特撮TV番組「シルバー仮面」(1971)でのレギュラー出演が印象深い。日活でスケ番をやっていた頃は野性的と見られていたようだが、自分としては唇を引き締めてきりっとした顔に見える方が好きだ(惚れている)。[DVD(邦画)] 5点(2016-06-28 22:13:59)《改行有》

752.  TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ 《ネタバレ》 公開初日の夜に見たが、特に待ちかねていたというわけでもなく、どうせそのうち見るなら余裕がある時に見ておくという程度のことである。 見た結果としては、やっていること自体は否定しないが全面的には乗れないという微妙な状態だった。展開が早いため咀嚼している暇がなく、直前に何があったかも忘れてしまう。ギャグ連発のため笑える観客は笑えるだろうが、自分として笑ったのは3箇所だけだった(チョーキング、フレームアウト、寒いので○○○と叫ぶ)。他の観客が声を出して笑ったのは犬の発情場面だったようで、ほかにも下劣なネタが多かったが、最近見た映画との比較では「みんな!エスパーだよ!」よりは穏健である。 ウラシマ効果のようなものが短時間で拡大していくのは本来切ない展開のはずだが、主人公がバカのため話が全く重くならない。ストーリー全体として何かを語るというよりも、個々の場面でちょっとした人生訓を軽く織り交ぜながら進める形になっている。正直少し長いと思ったが、終盤のキス(鳥と老婆)のしみじみ感からエンディングのライブに続く盛り上げなどはそれなりの感じだった。 登場人物としては、主人公はバカだがヒロインの人物像は好印象である。森川葵段階ではまだ人間性を量りかねる状態だったが、宮沢りえ段階に至ってこういう人だったのかと落ち着くところがある。赤鬼娘も強面ながらかわいいところがあって結構だった。 また出演者が豪華にもかかわらず誰がどこに出ているかわからないのは、神木隆之介も出ていた「妖怪大戦争」のようでもある。個人的にはほとんど誰にも気づかないで終わったが、「大木家のたのしい旅行」で地獄の執事だった荒川良々が天国にいたのは微妙なジョークにも見えた。 なおこの映画で改めて気づかされたのは、畜生道に落ちると次の生存期間が極めて短く終わる恐れがあるということだった(劇中ではほとんど瞬殺)。とりあえず人生を大事にしましょうということになるはずだが、地獄の方が居心地がいいというのでは教訓にも何もなっていない。[映画館(邦画)] 5点(2016-06-26 13:40:38)(良:1票) 《改行有》

753.  カルト 《ネタバレ》 この監督のフェイクドキュメンタリー路線の一作かも知れないが、今回は本人役の芸能人を主要人物として出したことで、初めから作り物と割り切って見られるものになっている。途中からフィクションの印象がさらに強くなり、後半になって登場する霊能者は明らかに役者が演じていた感じだが、今度は逆に最初からいた芸能人が現実との接点を残す形になってフェイクドキュメンタリー風味が持続する。序盤では見知った芸能人のユーモラスな会話が面白いが、後半はあからさまにマンガっぽい人格を役者が白々しく演じるのが可笑しいなど、笑いの種類でも前後半に違いがあったように見える。 またストーリーとしては、最初から最後まで一応筋が通っているようでいて、途中で微妙な齟齬が生じていた気がしなくもない。最後が唐突に打ち切りになるだけでなく、途中段階で基本設定を変えながら延長していく(話も次第に大きくなっていく)といった点でも他ジャンルのパロディになっていたかも知れない。 他の同種映画と比較すると、例えば「オカルト」が純正フェイクドキュメンタリーホラー、「シロメ」がフェイクドキュメンタリーホラー風アイドル映画だったとすれば、これはフェイクドキュメンタリー風のホラーコメディ(マンガの実写化風)というところか。複合的でなかなか整理が難しいが、さまざまなエンタメ趣向を盛り込んだサービス満載の映画と思えばいいかも知れない。 ただし最後はちょっと何とかしてくれという感じで、ここまでに一応ホラー映画の体裁ができているのだから、これはさすがに少しおふざけが過ぎる印象があった。そういうものにどこまで乗れるかという問題もあって、個人的充足感としては「シロメ」に負けているという結果だった。[DVD(邦画)] 5点(2016-06-23 19:44:59)《改行有》

754.  オカルト 《ネタバレ》 この監督のフェイクドキュメンタリー路線の一作だろうが、今回すでにこの道を極めたようにも見える。同系統の「ノロイ」(2005)にあった微妙なおふざけ感は目立たなくなった印象があり(笑ったのは近藤という人物が公園で取材中止になった場面のみ)、また見ている人間のところにまでヤバいものがはみ出して来そうな感覚も特にない。そういったことを犠牲にしてこの形式としての純度を高めたようにも見えるので、一般的な娯楽映画としては「ノロイ」の方が勝っていると思われる。 そういうものでも当方としては一応付き合う気があって見ていたわけだが、それでも特に前半で、何が起きるか起きないかわからない状態で延々と派遣労働者の日常を見ているのは結構つらいものがあった。これが本物のドキュメンタリーだったとしても、ここまでどうでもいい映像は使わないだろうと思わせるものがあり、それでこの人物に愛着がわくならいいだろうが、自分としてはそこまで心に愛がない。またラストに関しては、21年間もビデオカメラを預かっておいてあれしか撮れなかったのかと呆れるわけだが、しかし21年間あれがずっと続いていたために、長く撮っても短くしても同じだったとすればまさに地獄である。 なお今回は、フェイクのエンドクレジットで劇中人物の名前を出した後に、本物のエンドクレジットで本物の出演者の名前を出していたのが正直な態度だった。劇中の白石晃士というディレクターはこの映画の監督本人だが、栗林忍というADもこの映画の助監督本人だったようで、本物のエンドクレジットでは出演者でなく助監督として名前が出ている。この人は一時期「いちごちゃん」と呼ばれて、その世界では親しまれていた人物らしいが詳細不明である。[DVD(邦画)] 5点(2016-06-23 19:44:54)《改行有》

755.  39 刑法第三十九条 《ネタバレ》 日頃アイドル映画のようなものばかり見ている立場としてはかなりまともな映画を見た気がした。全体として重厚な印象で、映像の作り方や役者の演技など、わざとらしいところ、不快なところを含めていかにも映画的に見えて感心する。ただストーリーとしては不可解・不自然な点や作り過ぎ・やりすぎの面が目立ち、激賞する気には全くならなかった。 テーマとしては題名の示すとおりだろうが、こういう問題提起はかなり以前からなされており(個人的には昭和の特撮番組「怪奇大作戦」の欠番エピソードのあたりから)、これ自体はそれほど目新しい気もしない。しかしこの映画では犬山の遺体映像や、加害者側の弁護士が業界の常識を遺族に説明してみせたあたりで、改めてこの問題の存在を強く印象づけていたようである。 ただ自分が見た限り、この映画が本当に39条の存在自体を問題視していたのか、それとも39条を悪用することの方が問題と考えていたのかよくわからなかった。わざわざ精神鑑定を持ち出した意味としては、誤審の恐れがあるので死刑は廃止という主張と同様に、精神鑑定はいい加減なので39条を廃止せよということのようにも思えるが、その割に主人公のやっていたことは、条文の正しい運用を促すために悪用を阻止してみせただけのように取れる。しかし仮に悪用の方が問題なのだとすれば、まずは犬山の事件が悪用の事例でなければならないだろうがそのようにも見えず、かえって少年法との関係で焦点がぼやけている。 さらに主人公のいう「人権」が父親の事例から導かれるとも思われず、むしろ40条(現在はすでに廃止)との関係を示唆しているかのようで混乱する。特定の結論なしに問題提起だけというつもりならこれでいいかも知れないが、単にまとまりがつかないまま拡散して終わった印象の方が強かった。 ちなみに主人公と母親のエピソードが本筋とどう関わっていたのかもよくわからない。かなり面倒くさい感じの母子関係のため、これが最後に破綻して終わりになるのではないかと危惧していたが、途中で主人公がそれらしい解決を図ったようで安心した。この主人公には愛がある。[DVD(邦画)] 5点(2016-06-15 23:38:40)《改行有》

756.  ケータイ刑事 THE MOVIE バベルの塔の秘密~銭形姉妹への挑戦状 《ネタバレ》 4人姉妹のうち長女は出ていないが、3人だけでも十分に超豪華キャストという感じである。3人並んでみると、この時点で夏帆が一番背が高いことがわかる。だから何だというわけでもないが、3人並んだことで初めて目に見える事実ということだ。 ○夏帆がひたすら可憐である。「レレレ?」の表情もいいが「Q.E.D.」の時の口つきなどは見事だった。銭形零はカメが好き、という設定があったのかどうかわからないが、「もっとおっきな空飛ぶカメが好き」という台詞があったのは、この映画の公開と同年の「小さき勇者たち/ガメラ」(2006)のPRだったものか。 ○堀北真希は何といっても「世界のダンス」が見どころである。難度としては後になるほど高いのだろうが、個人的印象では最初のアイリッシュダンスが非常に可愛らしい。これには参りました。 ○黒川芽以はそういう意味での見どころが少ないが、「謎は解けたよワトソン君」のところで可愛くアピールしているのはよかった。この頃は顔がふっくらして愛らしい。 およそ以上のような映画だった。これで5点つける。[DVD(邦画)] 5点(2016-06-09 23:26:52)《改行有》

757.  殿、利息でござる! 《ネタバレ》 劇中では特に説明がないが、黒川郡吉岡は伊達家重臣のいわば城下町のようなもので、そのうち町人町に当たる部分が吉岡宿である。遠景で小山が何個か固まって見えるところは「七ツ森」と呼ばれており、これが景観的にこの場所であることを印象づけている(ちなみに仙台からは反対側が見える)。現実の吉岡宿が映像に出たような場所だったかは不明だが(もっと街が大きい、家々の裏手に山林はない)、最後に現在の風景など出して連続性を感じさせるようにはなっていた。 全体としては気楽に見られる内容になっており、特に序盤では、都合の良すぎる展開を笑いに転化してスピーディにこなしていたのがよかった。終盤になるとまた極端に都合良すぎの展開になって、何から何までいいことづくめで終わったようだが、主人公が数年後に亡くなってしまったのは事実らしいので、それ以外の部分が完璧ハッピーエンドであることも気分的には正当化される。ちなみに個人的に泣ける場面などは特になかった。 キャスト面では、役柄との関係で印象深かったのが松田龍平と千葉雄大で、うち大肝煎様はまるきり年齢不詳に見えるのが面白い。ほか「暗殺教室」で見たはずの山本舞香という人がどこにいるか意識しないまま終わってしまったが、自分が気づかなかっただけで実際は結構目立っていた。 ところで江戸時代でも「大名貸し」自体は普通にあったことだろうから、相談しただけで処罰というのはコメディらしい誇張ではないか。それより劇中の事例が特徴的なのは、各種事業者が共同で地域全体の共通利益のために行ったという点であって、今でいえば商店街とか温泉街の維持発展のために事業主有志が尽力するようなものだろう。劇中の例では結局、資産家の個人的な人徳に頼る形になっていたが、「無私」などとあまりご立派なことを言わずに、われ人ともに栄えるという志をみなが少しずつでも持とうということであれば、現代にも十分通用する話と思われる。 しかしこれが実際に貸付金だったのか出資金のようなものなのか、あるいは献納を条件に実質的な交付金が出るようになったのか、というあたりは何となくごまかされたような気もした。そもそも主要街道(現在の国道4号)の伝馬を運営するための対策が、伊達家直轄領と家臣の拝領地で統一的に行われていないことが真の問題だった気がするが、まあ大昔の幕藩体制に今更もの申しても仕方ないので、今も昔もやるべきことは初めからちゃんとやりましょうという話である。[映画館(邦画)] 5点(2016-05-28 14:11:06)《改行有》

758.  砂の器 《ネタバレ》 まず刑事ドラマの部分については普通に面白い。警視庁の刑事が普通行きそうにない場所を訪れて、「北の旅 海藍色に 夏 盛り」と詠んでおいて「ぜいたくな旅行させてもらったよ」というのが和む。この警部補は旅好きだったようだが、この映画での「旅」の意味づけが不明瞭なのは残念だった。「急行 鳥海」とか「山陰周遊券」を使って行ける現代(当時)と、徒歩で放浪した父子の対比を出そうとしたのかも知れないが、どうも説明不足に終わった感じがする。 一方で謎解きのポイントが方言だったことから登場人物の言葉には気を使っていたらしく、羽後亀田で川にいた中年女性の言葉などはかなりそれっぽく聞こえた。また奥出雲で若手警官が、東京から人が来たので言葉には気を付けていると言っていたのは、当時すでに世代による使い分けの能力差があったことを示していたようで興味深い。この土地の年寄衆の言葉はなるほど東北方言のように聞こえた。 ところで原作は読んでいないが、自分としてはこの映画を見て犯人の心情を思いやるのは無理だった。 確かに正義面(せいぎづら)の世話焼きが煩わしいというのはわからなくもないが、“息子に会いたい”以外に話題のない手紙を24年もやり取りしていれば、元巡査が息子を強く説得しようとするのも無理はない。一方で息子が再会を拒んだ理由といえば、自分が成り上がるためには父親が物理的に邪魔だった、というだけではないか。父親側が知らないと言い張ったことで免責されるわけでもない。 また劇中曲は芸術音楽というより映画音楽のような薄さだが、それは使用目的に合わせたことなのでまあいいとして、そもそも共感できない人間の心情を切々と訴えられても到底受け入れられるものではない。この男にとって大事なのは自分を表現することだけで、自分が孕ませた女を死なせてしまったことなどはこの曲の中で表現されてないだろう。 大体そのような理由で、自分としては犯人が一番悪いと言って終わりにしたい映画だった。ちなみに題名の意味をこの映画から読み取るのは難しいのではないかという気がする。 なお余談として、療養所の老人の嗚咽と元巡査の説得の言葉、及び警部補がハンカチを取り出す場面ではさすがに泣かされた。警部補の隣にいた刑事(丹古母鬼馬二)までが柄にもなく目を伏せていた。[DVD(邦画)] 5点(2016-05-28 14:11:00)《改行有》

759.  昆虫大戦争 《ネタバレ》 登場人物の説明によれば、劇中の「亜南群島」は「二十数年間日本の手を離れてた」とのことで、これは小笠原諸島を念頭に置いていたものと思われる。この映画の公開は1968年だが、実際に小笠原諸島は同年6月26日に日本に返還されており、劇中の黒人兵が死んだのが1968/10/19だったのをまともに受け取れば返還直後だったことになる。劇中で妙にアメリカ軍がのさばっていたのはまだ完全に影響を脱していなかったということか。そうした歴史的背景のほか、映像的にも微妙な南の島感(熱帯ではないが本土でもない)が出ており、これは撮影地が八丈島だったことによるものかも知れない。 ストーリーとしては、戦後の東西対立と日米の微妙な関係に加えて前大戦の亡霊のようなものが劇中にまとめられており、単純な二項対立の構図に終わっていないのが好印象である。その上で、昆虫の集団意思のようなものが人類に宣戦する、という大きな動きが見えて来る展開は悪くなかった。また序盤からいきなり重要人物が外人女と浮気していたり、その新妻が雇用主に乱暴されそうになったりするのはその後の月並みでない展開を期待させる。複雑そうに見えた人間関係がやがて解きほぐされていき、ラストの意外さも単なる肩透かしに終わることなく、未来にわずかな望みを託すような終幕はわりと良心的に感じられた。これ自体が面白いかどうかは別として、他の松竹特撮映画と比べると、地味ながら普通にまともな感じの映画だったのが感動的である。 ところで登場人物としては、劇中に男女の組み合わせが2つできていたが、まともな大人同士の方はいいとして若い方はいかにもバカップルに見える。誰も頼れる人がいない、というのは自分ら(特に男)のせいだろうと言いたいところだが、虫を捕る以外に生活の道がないというのも情けない話で、頼りがいのありそうな学者先生と比べるといかにも愚かな連中に見える。アメリカ軍にとっては「虫けら」同然だろうが、それでも最後に互いの愛情が本物だったのを見せたのが哀れを誘うということだろう。ここが昆虫とは違う人間の証と言いたかったのかも知れない。 新藤恵美という女優の最盛期はよく知らないが、この映画では悲しげな表情が愛らしい人だった。またキャシー・ホーランさんが今回は大活躍で、なかなか色っぽいところを見せていたのもよかった。[DVD(邦画)] 5点(2016-05-21 09:27:25)《改行有》

760.  ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 決戦!南海の大怪獣 《ネタバレ》 ゴジラ系列に属しない正統派の昭和怪獣特撮である。地味だが真面目に見ればそれなりの味わいがある。 題名の怪獣3匹が同時に大暴れするわけではなく、最初にイカ、次にカニを人間が退治して、最後にカニ(二代目)とカメをまとめて現地在住のコウモリが撃退したので計4匹が出ていたことになる。最後が火山ネタというのは日本特撮伝統の安易なクライマックスだが、南洋の火山島には噴火が付き物だといえなくはない。 出ていた怪獣は全て現地の生物が巨大化しただけのものらしく、これを普通の人間が銃や爆発物などで攻撃していたのは新鮮な印象だった。これなら旧日本軍が組織的に当たれば対抗できた感じである。最初の攻撃のとき、現地住民が旧日本軍の武器を持って来て日本人に渡していたのは、こういう場合は日本人が率先して戦うはず、と思い込んでいたようで可笑しかったが、その後は現地住民もその気になって一緒に戦っていたようである。 なお現地住民によればイカ怪獣は人の心がわかるとのことで、実際に島から逃げようとした者を目がけて襲ったような場面もある。これはその後の逃げられない恐怖感を予想させなくもなかったが、実際はそういう展開でもなかったのは残念だった。また元凶になった宇宙生物の設定は、個人的に嫌いな映画「吸××ゴ××××」(名前を書きたくない)を思わせるので好きになれない。 ところでキャストに関して、特撮ファンとしては現地住民役の小林夕岐子さんが見どころなのかも知れないが、実際はただいるだけのようであまり活躍していない。しかしこの人が突然現れて「わたし、結婚します」と宣言したところは驚愕の展開だった。また今回ヒロイン役の高橋厚子さんは特撮関係ではあまり見ない人で、明らかに美形とはいえないが昭和的に可愛らしいので和む。この人の“乙女の涙”が悪人の心を動かすのは感動的だったといえなくもない。 ほかにも東宝特撮おなじみのキャストが多いので安心する。もう佐原健二氏の悪人役も定着してきた感がある。[DVD(邦画)] 5点(2016-05-14 20:08:34)《改行有》

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