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プロフィール
コメント数 731
性別
自己紹介 奥さんと長男との3人家族。ただの映画好きオヤジです。

好きな映画はジョン・フォードのすべての映画です。

どうぞよろしくお願いします。


…………………………………………………


人生いろいろ、映画もいろいろ。みんなちがって、みんないい。


…………………………………………………

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【製作年 : 2000年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
評価順123456789
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61.  神の子たち ドキュメンタリー作品を見ていて、どんなに悲惨な情景であろうとカメラを向け続ける作り手たちの“勇気”や“覚悟”に感嘆すると同時に、心のどこかでそんな「他人の不幸」を直視することの“やましさ・うしろめたさ”を感じずにはいられない。ましてや、その「不幸」に涙することなんて、許されるのだろうか…と。 フィリピンの巨大なゴミ山でくず拾いによって生計を立てる3組の家族。だが、山の崩落事故によってゴミの搬入が止まってしまい、彼らは生活の糧を失ってしまう。 もともと貧しかった彼らを見舞う、さらなる困窮の日々。近所で米を分けてもらい、塩だけで食べる夕飯(父親は幼い娘に、「おかずがなくてゴメンよ」と詫びる…)。ゴミ捨て場の片隅にイモを植え、「泥棒するくらいなら、飢え死にする方がいい」とつぶやく少女。汚染された中で生活するゆえ障害児や未熟児も多く、せっかく産まれてもすぐ死んでいく赤ん坊になすすべもない両親。そして、水頭症で寝たきりの少年を、それでも懸命に育てようとする家族たち。 …そんな、あまりにも苛酷な日常を、カメラはただただ追い続ける。 それを、何て無慈悲な行為だと思うだろうか。カメラを向ける前に援助したらどうなんだ! と。 けれど映画を見ているぼくたちは、彼らが生死ギリギリの生活のなか、親がどれほど子どもたちのことを想い、子どもたちもそんな親の想いをしっかりと受けとめているかに、いつしか心からの敬意を抱くようになる。家族の、人間としての、真の尊厳と愛を彼らのなかに見出していく。 そして気づくのだ、このぼくたちの、彼らに対して抱く敬意と賛嘆の眼差しこそ、この映画の作り手たちのものだったのだと。監督やカメラマンたちがこの3組の家族を通じて、人間の本質がやはり〈善〉だったことを知っていく過程こそ、この映画の主題だったことを。 映画の最後、水頭症の少年アレックス君が、笑顔のままひと粒の涙を流す。その涙の美しさは、間違いなくぼくたちの魂こそを“救済”してくれるだろう。同情や憐れみだなんて、とんでもない! ぼくらの方こそが、彼らに「救われる」のだ。 こんな世の中だからこそ、ぜひこの映画をご覧になってください。10点(2004-07-14 19:35:20)(良:1票) 《改行有》

62.  21グラム う~ん…。 前作では、まだ主人公の生(と性)と死を“再構成”するという意味において、何とか「納得」できた時系列をバラバラにするあの手法。しかし今回は、人間の「生と死」という極めて重い主題を、まるでたんなるクロスワードパズルの“パーツ”のように軽く(それこそ“21g”程度の!)扱うことになってしまったように思う。 監督は、それをショ-ン・ペン扮する今まさに死に瀕した男の「意識の流れ」として、つまり彼の脳裏に浮かぶ過去の想念を映像化したというのだろうか。 なるほど、人の意識はこういったとりとめのない、過去と現在が同時に浮かび上がってくるものではあるだろう。けれど、愛する者の死は、そして残された者の悲しみや怒り、苦悩、その果ての救済は、決してこのような小手先の才気走った展開によって“断片化”できないものじゃないか。たとえ「映画」だとはいえ、それを描くことは作り手にそういったすべてを「受けとめる」覚悟を強いるものじゃないのか。 …残念ながら、この映画の監督にはそう言った「覚悟」が決定的に欠けていると思う。さもなければ、この物語を、決してこのようには語れなかったはずだろう。 もはや神々しくさえあるベニチオ・デル・トロを筆頭に、役者たちが素晴らしかっただけに、なおさらこの作り手の「軽さ」が残念でならない。 人の「人生」とは、結局のところ、確かに「21g」ほどの重さでしかないのかもしれない。けれど、誰の人生(たとえ、映画に描かれたものであろうとも!)にしろ、それを“目的”じゃなく単なる“手段”にできるほど、軽くはあるまい。 4点(2004-06-21 13:18:27)(良:1票) 《改行有》

63.  デイ・アフター・トゥモロー エメリッヒの映画の本質は、その「生真面目さ」にあると思う。いや、「優等生(おりこうさん)」だというんじゃなく、どこか“バカ”がつくほど「一本気(まっすぐ)」なところがあるのだ。 たとえばH・G・ウェルズの古典SF『宇宙戦争』を現代にリメイクしたなら(『ID4』)、やはり「タコ型(イカ型?)」風のエイリアンを登場させてしまう。あるいは、ファンのひんしゅくを買おうとも、あくまでゴジラの造型に生物的なリアリティを優先させる。さらに『パトリオット』みたく、善玉・悪玉をマンガチックなまでにはっきりと区別するのも、むしろ彼の「真面目さ」ゆえだろう。 その上で語られる「世界観」も、これまたボーイスカウト的(!)な単純さ・一本気ぶり。そこではアメリカ大統領が自ら戦闘機に乗って空中戦を演じ、(スパイク・リ-監督には「黒人奴隷の歴史を美化した」と批判されたが)黒人だけのユートピアめいたコミューンが、奴隷制のアメリカに存在しているのだ。いずれもエメリッヒにとって、「かくあらねばならぬ」という大上段の啓蒙的説教くささとはちがった、「かくあってほしい」という“まっすぐ”な理想として。 今回の映画においても、彼のその「生真面目さ」はいつにもまして発揮されている。ここでエメリッヒは、何よりも“寒さ”をいかに面白い映画に仕立て上げられるか、という一点においてひたすら「真面目」に取り組む。そして人類の危機に直面したとき、国家や人々は「どうあるべきか」ではなく、「こうであってほしい」と謳うのだ。…大国はエゴを捨て、人は最期まで愛と気高さを失ってほしくないという。 それを、あまりに単純すぎると失笑するのはカンタンだろう。というか、今どきそんなナイーブな「生真面目さ」など、ほとんど“バカ”扱いされるにちがいない(事実、エメリッヒ作品を「バカ映画」呼ばわりする風潮が、確かにある)。 けれど、“おりこうさん”ばかりがはびこる中、こうしたひたすら“まっすぐ”な人なり映画なりが存在していることは、少なくともぼくにとっておおいなる「救い」に他ならない。何だかんだ言われても、エメリッヒ作品にかくも観客が集まること自体、きっと多くのひとびともその「すがすがしさ」に惹かれてのことなんだ…と、ぼくは勝手に思うことにしている。 ローランド・エメリッヒ(の映画)は、理屈じゃなく、ただただ愛おしい。8点(2004-06-19 18:31:41)(良:5票) 《改行有》

64.  クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦 幼なじみ同士で、秘かにお互い好意をいだきあっている武将と姫は、相手のことになるとふたりともすぐに赤くなって、うつむき、口ごもる。こんな風に“はにかむ人”というのを、映画のなかで本当に久しぶりに見たような気がする。…そう、かつての日本映画には、こういう“はにかみ”が溢れていたのではなかったか。男も、女も、誰もが何かあると恥ずかしげにうつむき、赤くなる。そんな、今やすっかり忘れかけていた日本人の、そして映画の美しい「表情」に、まさか『クレしん』で出会えるとは…。確かに、もはやこの長篇アニメーションを、テレビの『クレしん』ファンである大多数の子どもたちは理解しきれないかもしれない。けれど、又兵衛がいつしか未来からきた幼稚園児と対等に心開いたように、観客である子どもたちを相手にこんな世界観…というか“死生観(!)”をぶつける作り手たちの誠実さを、ぼくは信じる。それは、きっと何かを幼い心に残すはずだ…と。ともかく、この作品は、この近年でも最も「日本映画」らしい日本映画だ。素晴らしい!   10点(2004-05-28 21:39:26)(良:6票)

65.  トロイ(2004) 伝説的な戦士アキレスを主人公とした映画を撮ることになった時、ペ-タ-ゼン監督には、かつてフリッツ・ラング監督が映画化した『ニーベルンゲン』二部作のことが脳裏に浮かばなかったんだろうか…。あの第一部『ジーグフリード』において、竜の血を浴び不死となった主人公は、確か一枚の葉が背中に付いていた部分だけが不死身ではなかった。ちょうど、アキレスにおける“アキレス腱”のように…。 ラングはその後、ナチス・ドイツ政権下のドイツからアメリカへと亡命する。そしてハリウッドの「御用監督」として、娯楽映画を撮りまくったのだった。同様にペーターゼンも、(亡命じゃないけれど)ドイツからアメリカに招かれ、エンターテインメント大作の監督として重宝がられている。しかし、彼の前作『パーフェクトストーム』には、間違いなく〈運命〉というものへのゲルマン民族的(!)な感受性というか、眼差しがあったとぼくは信じているのだ。それが、あの映画を現代における《叙事詩》的なるものを、奇蹟のように実現してみせたのだと。…人は、どんなに抗おうとも自然(=神)の前に破れ去る。しかし、その抗う姿にこそ人間の「偉大さ」があることを描き、称えるのが《叙事詩》なのだから。 だからペーターゼンが、ホメロスの神話的叙事詩を映画化すると聞いて「やっぱり!」と期待していたのだったけれど… たぶん、「エンターテインメント」としては申し分のない映画ではあるんだろう。ブラッド・ピットは文句なしにカッコいいし、エリック・バナは儲け役だし、ローランド・ブルームだって損な役回りを懸命に演じているし。戦闘シーンも、どこまでがCGなのかぼくなんかには判断がつかないほど精巧で、スケール感において大したものだ。しかし、それだけのことだ。一瞬でもラングの名前を思い浮かべ、『ニーベルンゲン』を重ねようとした自分が、ひたすらバカだった… 見終わってその期待が、「やっぱり…」という嘆息に変わったことを、ここにご報告しておきます。映画が悪いというんじゃなく、ぼくが悪いんだろうけど。…嗚呼ペーターゼン 、本当にアンタは“この程度”のカントクなのか?5点(2004-05-28 13:50:10)(良:2票) 《改行有》

66.  キル・ビル Vol.2 その過剰なまでの「趣味性」や「遊び」ばかりが語られるタランティーノだけど、彼の最も本質的な「才能」は、常に役者たちを“輝かせる”ところにあるのだと思う。彼の映画では、トラボルタやロバート・フォスター、パム・グリアーなど「あの人は今」みたいな“過去”の役者をこれまでも見事に再生させてきた。というか、それぞれのスターとしての魅力を最大限に引き出し、あるいはあらためて発見することに成功してきた。今回も、特にこの『vol 2』におけるデヴィッド・キャラダインやダリル・ハンナ(その怪演は、ハッキリ言ってユマ・サーマンすらも食った)、マイケル・マドセンといった面々を、一見コミックすれすれの設定や描写のなかにあっても、驚くほど「映画」そのものとして画面に定着させている。タランティーノは、彼なり彼女なりの持つ個性や魅力を、演じさせるキャラクターに“同化”させることにおいて天才的な演出家なのだ。だから、どんなに荒唐無稽な映像世界にあっても、人物たちは確固たる「リアリティ」(「リアル」ではなく、だ)を持ってぼくたち観客に感情移入をせまる。というか、感情をわしづかみにする。…繰り返そう、映像遊びに凝ったただのオタク監督のようで、その実この男は役者の魅力にこそ映画の“本質”を置く、その意味で最も正統的(!)な「演出家」なのである、と。その1点において、ぼくはこの映画(とタランティーノ)を支持したい。8点(2004-05-19 21:32:40)(良:1票)

67.  ピーター・パン(2003) この手の映画にあれこれ理屈をコネるなど、野暮って言われそうなんで、代わりに「10点」満点を献上して、ぼくがこの映画から受けた感銘に応えたいと思います。何なら、「今年のベスト作品(のひとつ)」と言い切ってもいい。ビジュアル面では明らかにディズニーのアニメ作品に追従しているかもしれないけれど、この映画には、いかにもディズニー的な「アメリカン・」ヒーロー然としたピーターはいない。永遠に「子どものまま」でいるとは、「時のとまった者」のことであり、それは「死んだ者」のことだ。そして、ネバーランドとはまさしく「黄泉の国」にほかならない…という、深い、深い、深い悲哀の感情と感傷こそを、ぼくは本作から受けとめる。そう、12歳で死んだ子どもは、永遠に12歳のまま彼を知る者の心の中で“生き”続ける。それが、ピーター・パンだ。その透明な孤独を、純粋な哀しみを、それゆえの愛しさを、ぼくはこの映画とともに共有し、慈しみたいと思う。…ピーター・パンが「死んだ子ども」だって? そんなこと原作にだってどこにも書いていないじゃないか! とおっしゃるだろうか。あまりにも強引なこじつけだと。…ならば、こう言い直させていただこう。この、一見するとただ可愛らしいファンタジーには、少なくともそういった、見る者の感情を揺さぶり、内省へと導き、切ないまでの感動で打ちのめすエモーションが満ち満ちていると。美しい、本当に、心から美しい映画だ。(…理屈はコネないと言いながら、長々とスミマセン。) 10点(2004-05-10 20:17:11)(良:1票) 《改行有》

68.  クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ!栄光のヤキニクロード サザエ・ドラ・しんちゃんが大好きな息子(8歳)が録画していたビデオで拝見。…あれっ、スティブ・ブシェミ(?)が出てるぞ。れれっ、ロバート・デュヴァル(?)やんけ! な、なんとフランシス・コッポラ(?)まで…。監督が替わってどうこうおっしゃる向きもあるようですが、劇場版『クレしん』、ますますあなどれませんなあ。ただ、あまりにも「内輪(オタク)受け」を狙いすぎるきらいがなきにしもあらずですが… 。とにかく息子にも受けていたし、よかった、よかった。7点(2004-04-07 19:15:47)

69.  チャック&バック う~ん、「コメディ」というカテゴリーに分類してしまったけど、本当のところどうだろう。例えば、アナタがこの映画を見て、はたして「笑える」だろうか? …ちょっと、自信ありません。だって、かくいうぼくも思わず「引いた」のだから。少年時代から心の成長がとまってしまったチャックと、かつての親友で、今は映画会社のヤング・エグゼクティブであるバック。久しぶりに再会したチャックは、何とかバックの「愛(!)」を取り戻そうと、彼につきまとう。このあたり、チャックはバックの家に侵入して、彼と婚約者のセックスを覗いたりと“ストーカー”そのものと化すチャックを、たぶん大多数の観客は「ブキミな奴」と思うに違いない。…けれど、一方でこの映画はあきらかに「アメリカ人」そのもののメンタリティをカリカチュア(戯画化)したものであり、チャックとは「孤独に苛まれ、実は傷つきやすい」アメリカ人の肖像そのものじゃないか。そう、たとえるならチャックとは大人になったハックルベリー・フィンであり、バックとはトム・ソーヤーに他ならない。そんなふたりの確執めいた、ねじれた「関係」を、しかし映画はやはり「コメディ」として、「笑い」によって説き明かし、解きほぐそうとする。だからこそ映画は、最後にホロ苦くも爽やかな「結末」を迎えられたのであり、そのことでアメリカ人たちは、きっと“救われた”。と同時に、ぼく(たち)もまた“救われた”思いで主人公2人を祝福できるのだ。…「自己」を直視することをおそれず、しかもそれを「笑える」ことこそが最高の〈セラピー〉に違いない。だから脚本・主演(チャック役!)のマイク・ホワイトと、監督のミゲル・アルテタは、少なくとも本作において真に偉大な、本物のセラピストたり得たと言えるだろう。素晴らしい!10点(2004-04-07 15:39:31)

70.  悪霊喰 ホラーというよりは、カトリック異端史というか、バチカン陰謀ものというか…。教会から「破門」された者の魂を救う“罪食い”の存在をめぐる、むしろ「薔薇の名前」に近い、一種の形而上学的ミステリーといったところか。「恐怖」度は↓の方がおっしゃっている通りほとんどないし、カトリックの教理だとかに縁のないぼくたちにとって、「いったい何がオモロイねん?」てな声も聞かれそうだ。が、宗教的な部分を超えて、これを「主人公が、愛する者のために、自ら異端の刻印を受ける(ケガレ)存在となるまで」のドラマとして見ることも可能じゃあるまいか。そして、そうすることで、この映画は、ひとつの「(アンチ・)スーパー・ヒーロー誕生譚」であり、何より「宿命」の残酷さ悲しさを隠喩としたミステリーとして、極めて知的かつ興味深い作品たり得ていると思う。映像的にも、廃虚然とした教会内部の1階と2階をひとつの画面で捉えた構図など、かなり面白いことをやっています。消してすべてに成功している映画ではないけれど、ぼくは高く買いたい。8点(2004-03-27 13:00:36)

71.  ペイチェック 消された記憶 まったく何の関連も脈絡もないんだけれど、この映画を見ながらなぜか思い出したのが、『キラー・エリート』という映画だった。サム・ペキンパ-監督の信奉者ですら忘れたがっている(?)あの映画は、ハリウッドがペキンパーの才能ではなく、あくまで「ペキンパー・タッチ」のアクションにしか期待していないことを、ハッキリと告げていたものだとぼくは思う。その時、もはやそこにペキンパーは存在しない。ひとりの〈不器用〉な御用監督がいるだけだ。それとまったく同じ意味で、この映画にも、ジョン・ウーを「ジョン・ウー」たらしめていたものが決定的に欠如している。あるのは、ペキンパーよりかはいくぶん〈器用〉な、しかしいたって平凡なアクションと物語のみだ…。アメリカの業界で生き抜くためには、こう言った「仕事」も仕方ないのかもしれない。が、単なる「自己模倣」でしかない銃撃戦やアクションばかりの、あの「男たちの情念(↓キノスケさん言うところの「男気」)」を喪失したジョン・ウー作品ほど、ぼく(たち)を「不幸」な思いにさせるものはない…。ウー、ウーよぉ~…5点(2004-03-19 15:29:00)

72.  マスター・アンド・コマンダー 混乱の極致といった海戦シーンで、しかし、当時の戦い方がどんなもので、乗員たちはどう行動したのかをきっちりと描いているあたりに感心。物語の時間軸が今イチ分かりにくいという難点はあるものの(いったいラッセル・クロウ扮する艦長の船は、どれくらいのあいだ敵のフランス艦と追いつ追われつしていたんだろう…)、この手の「海洋戦記もの」としては、ベストの出来でしょう。一方で、自分の“弱さ”ゆえに海に身を投げた青年将校が、ゆっくりと暗い海の中を沈んでいく姿や、ガラパゴス諸島でのシークエンスに見られるほとんど「崇高さ」に達した詩情は、やはりピ-タ-・ウィア-監督ならでは。この人、限りなく「芸術(アート)」に近く、しかしあくまで『娯楽(スペクタクル)」としての“矜持”を失わない商業(エンターテインメント)映画の担い手として、おそらく現代屈指の監督でしょう。そう、ウィアーならどんな題材でも、素晴らしくハイブロウな、そして「面白い」映画に仕立て上げられる。この〈作家性〉と〈職人〉の完璧な均衡が、逆に彼の才能を見えにくくしている面は確かにあるかもしれない。そう、この監督は「物語」や、時には「映画」すらも超えてしまうような「天才たち」のひとりではないでしょう。が、今のハリウッド映画の水準(!)を真に支えているのは、同じ“ピーター”でも決して『ロ-ド・オブ・某』の監督じゃなく、このオーストラリア出身のピーター・ウィアーの方だってことを、ぼくは声を大にして言いたい。…興行的に失敗し、アカデミー賞でも完全にアテ馬扱いにしたことへの憤りを込めて、満点献上。10点(2004-03-19 14:39:25)

73.  チョコレート(2001) 正直、ハル・ベリーはミスキャストだと思う。あんなに美しい女性なら、ソーントンならずとも(どんな人種差別主義者でも!)コロリとまいっちゃうよなあ。あれが、せめてアンジェラ・バセットくらいの器量なら、もっと二人の孤独や切実さがひしひしと伝わってきたのに。あと、あまりにご都合主義的な展開も、安っぽいメロドラマ以外の何物でもない。監督はかなり頑張ってそこに生気を吹き込もうとしているものの(その映像感覚は、確かに見るべきものがあったとは思う)、及ばずって感じか。そしてあのラスト、…どうも「ハッピーエンド」という解釈が一般的みたいだけど、どう考えてもあれは決定的な”破局(カタストロフィ!)”を予感させるものでしょ? …すみません、文句ばかり並べたみたいで自分でもイヤなんだけど、こういう作為にまみれた作品にはどうしてもガマンならないもので。見るべき部分も多いんですけどね、ヒース・レジャーの屈折ぶりとか、ざらりとした映像の質感とか…。《追記》先日、友人夫婦宅でこの映画を再見する機会があり、見方を改める部分が多々ありました。どうもぼくは、この映画の上っ面しか見えていなかったようです。恥ずかしい…。ただ、やはりハル・ベリーは(素晴らしい女優であることは承知しているものの)、この映画にふさわしくなかったという思いは変わりません。あきらかに彼女の「美貌」が、あのヒロインを演じるにあたってマイナスになっている。そしてラストも(友人夫妻ともここが最も意見の分かれるところだったのですが)、ぼくにはどうしても「ハッピーエンド」を予感させるものには見えなかった。それどころか、あのラストの直後、きっとふたりは決定的なカタストロフィーを迎えたという気がしてしかたがないんです…。それは何も、自分の夫を「殺した」からというんじゃなく、夫の死刑執行人だったことを黙っていたという“裏切り”ゆえに(その前に、ヒロインは男に対して「私を傷つけないで、大切にして…」と言っていたのではなかったでしょうか。それを、結果的に彼は裏切ってしまった…)。そういうヤリキレナサが、今回もぼくの、この映画に対する見方を大きく喪失させるものでした。ゆえに、作品の評価は改めますが、点数は変えません。ヒロインの息子の死だとか、この映画はあまりに「運命」というものを安易にもてあそびすぎるという、その一点において。3点(2004-03-05 15:45:35)(良:2票)

74.  ミリオンダラー・ホテル 決して全てに成功しているワケじゃないけど、ここしばらくのヴェンダ-ス作品では最も愛しい、そして美しい映画じゃないでしょうか。あまりにナイーヴな眼差しの中に語られる、「人間とは生きるに値いするか、そんな価値のない罪深き存在か?」という問いは、おいおいそんな恥ずかしいメッセージをわざわざ映画にすんなよ、と赤面させられもする。が、こんな時代であり、こんな世界だからこそそんな“問い”を自問し、本気で考察することも、きっと必要なのだ。ペシミスティックではあっても、決してニヒリズムには陥らないという、まさに『ベルリン・天使の詩』以降のヴェンダースの決意がひしひしと伝わってくる。やっぱり、彼って「天使的存在」なのかもしれないなあ。そして間違いなく「天使」に他ならないこの映画でのミラ・ジョヴォビッチ、最高です。9点(2004-02-16 15:29:48)(良:1票)

75.  ウェディング・プランナー こんなこと書くと、いかにも映画マニア的でイヤラシイんだけど、夜の公園での野外映画上映会で、突然雨が降り出すシーンが本当に美しくて…。それだけでカネ払って見る値打ちがあったと思いましたです。ほんと、上質のイタリア映画を見ているようでした。《追記》TV放映で再見。やっぱりステキな映画だと思うけどなぁ~。まあ、ここまであからさまに1950・60年代のロマンチック・コメディの感覚を 蘇らせたってことが、かえってストーリーの“ご都合主義”を際立たせることになった感は否めない。けれど、それこそがこの映画の最大の魅力であり、「美質」じゃないですか! それにこの映画の監督には、間違いなく“うたごころ”とでもいうべき映画のツボを心得たソフィスティケーションがある。いつか本格的なミュージカル映画を撮ってほしい才能です。断固支持!!!9点(2004-02-03 18:29:21)(良:2票)

76.  アバウト・シュミット 今年(2003年)公開された映画の中でも、今のところ1、2を争う秀作。生きることの切なさ、やるせなさ、愛しさが、実にひょうひょうと描かれていて、まだ若い監督のくせにもはや名人芸のごとき巧さ。ジャック・ニコルソンはこれまでのキャリアでも最高の名演です。まだまだ脂ぎった彼が、ほとんど笠智衆(!)のように見えてくるなんざ、ビックラこいちまっただ。作品自体も、ほとんど日本映画のような撮り方で、この監督は今後とも要チェックと断言しておこう。 《追記》やはり2003年度公作品では、ぼくのベスト作品になりました。冒頭、主人公シュミット氏の会社がある高層ビルを映すカット割りは、まさしく小津安二郎作品そのもの。それも、単なるモノマネや青臭いオマージュなんかじゃなく、はっきりと自分の「スタイル」にしているところがスゴイです。一見地味だけど、これは本物の“滋味”あふれる秀作だ。10点(2004-02-03 14:26:08)(良:1票)

77.  ザ・コア 小生の周囲じゃイマイチ評判が悪く、事実アメリカでも批評・興行的にコケたとか。…か、悲しい。でも、往年の我が東宝SF映画(『妖星ゴラス』とかね)を想いださせる良い意味でのノーテンキさとか、人類の危機だってのに何か軽~い雰囲気が、個人的にはマルです。特に、会話のウイットに富んだセンスが、実に、実によろしい。あのすべてに野暮の極致といった『アルマゲドン』とは、どうぞ一緒になさらぬよう。逆に、あの映画が好きな皆さんはご遠慮された方が賢明でしょう。 ただ、こういう往年のハリウッド映画が持っていた「粋」なスマートさを、観客の側がもっと理解しつつ楽しめるという風潮が、最近どんどん失われているように感じる…日本でも、たぶんアメリカでも。別に映画マニア風に見ろというんじゃないけれど、映画にもかれこれ100年以上の「歴史」があるということ、その“重み”の上に成立している面白さがあるということに、ちょっとでも思い巡らせると映画ってもっともっと「楽しい」と思いますよ。……なんて、ナマイキでしたかね。スミマセンね。8点(2004-01-30 12:47:23)

78.  プラットホーム 1980年代の中国において、若者たちはいかに生きたか。そのクロニクルを4人の巡業劇団員を中心とした群像劇として物語っていく。とにかく、彼らの日常たるや「ダサい」し「暗い」し、彼ら自身もまったくもって冴えない。そんなダウナーな面々を、あまりにも広大な中国大陸的な風景のなかにポツンと置き、ゆるゆると長回しのキャメラで追うばかりの映像は、ほとんどテオ・アンゲロプロスの『旅芸人の記録』の“縮小再生産”みたいだ。…と思わせつつ、この映画が、1989年の天安門事件に至るまでの10年間の物語であること。あの、結局は若者たちの挫折に終わる天安門での出来事を、まったく描かないからこそ逆説的に思い起こさせること。この2点において、ぼくはジャ・ジャンク-監督の「政治的・人間的」な気魄(ガイスト)を見る。ここに描かれた主人公たちは、あの天安門で殺された学生や市民たちと同世代だ。彼らが「あらかじめ挫折を運命づけられた者たち」の哀しさと無力こそを象徴し、その心情が映画全体のトーンを決定していることに思い至るとき、ほとんど圧倒的な「感動」がわき上がってくる…。それゆえ、この映画は現代において最高の「政治」的映画になり得たし、最高の「青春」映画になり得たのではないか。何故なら、政治とは常にこうした過酷な運命を若者たちに強いるのだし、青春とは常にこうした挫折の連続なのだから。…正直、テレビのモニターでみるのはしんどいかもしれない。でも、素晴らしい映画です。スパッツ(?)姿の双子の娘はちょっとイケてますし、ね(とは、蛇足でしたか…)10点(2004-01-29 15:21:15)

79.  ミシェル・ヴァイヨン クルマの免許も持っていない者としては、「俺、何でこんな映画見てんだろ…」と、ぼう然自失の数十分(泪)。でもまあ、ヒロインも、悪役のねーちゃんコンビも、思わずヨダレじゅるじゅるの超べっぴんさんだったし。それに、どなたかもおっしゃっておられたように、ストーリーは「ギャフン」ものなんだけど、単なるグラフィックなだけじゃない映像センスがところどころに感じられたあたり、この新人監督、(ベッソンなんぞと組まなきゃ!)まったくダメってワケでもないかな。…ま、それもこれも、主人公の親父の誘拐とその救出劇のいい加減さを筆頭とする、脚本のアタマの悪さがすべてを台無しにしてくれたけれど。5点(2004-01-20 11:58:38)

80.  ラブストーリー 身分違いの恋、夏の日の雨、別離と再会、そして母娘二代にわたる純愛! …ここまで“大時代(クラシック)”なラブストーリーでありながら、しかも相当に強引な展開でありながらも最後まで見せきってしまうあたり、小生的にはクァク・ジョエン監督の前作『猟奇的な彼女』以上のストーリーテラーぶりじゃないかと。確かに少女マンガ風かもしれない。でもこの映画の監督は、「運命論者」であると同時にその運命に“救い”を与えようとする「楽天主義者」だ。素晴らしいじゃないか。8点(2004-01-17 19:01:53)(良:1票)

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