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プロフィール
コメント数 730
性別 男性
年齢 34歳
自己紹介 初心者です。7点を中心に見事な二次曲線を描く点数分布。しかし映画の評価は点数に還元しきれぬもの。点数と心中の差をいかにレビューで表現できるか。とはいえ適当なレビューも多数(笑

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【製作年 : 2010年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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61.  ミッドナイト・イン・パリ ニューヨーク大好きなウディアレンがパリ大好きってひたすら言いまくる映画。全体的にウディアレン節が炸裂なので、その意味での安定感はある。ただ、あまりにメッセージが分かりやすくないだろうか。説教くさくないのは彼の最大の美徳だが、なんだか子どもに向けて説明しているかのよう。婚約者も全く魅力がないように描かれていて、ちょっと違和感。[映画館(字幕)] 7点(2012-06-02 09:08:34)

62.  パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々 うん。と一度頷いて終わる映画。[DVD(字幕)] 3点(2012-05-21 23:47:28)

63.  アーティスト 《ネタバレ》 フィクションであることの自覚がこの映画を支配している。無声映画も所詮演出に過ぎず、実は無声映画ということへの言及をメタなレベルで行っている。ラストシーンが象徴的であるが、映画を撮影しているところを撮るというある種ありきたりになってしまったメタ的演出によって、この映画のフィクション性を強調し、「結局はトーキーなのだ」という印象を余計に観客に与えてしまう。サイレントを装ったトーキーは、意図しているかどうかはともかくとして、最終的にはサイレントへの決別を提示している。[映画館(字幕)] 6点(2012-04-12 23:25:56)(良:1票)

64.  ヒューゴの不思議な発明 スコセッシのシネフィルぶりが遺憾なく発揮されていて、これ作っている間楽しかっただろうなぁ、と想像する。[映画館(字幕)] 7点(2012-04-11 07:33:55)

65.  ヘルプ 心がつなぐストーリー 非常によく出来た映画。黒人差別を題材にする映画は数あれど、黒人メイドに着目したのが素晴らしい。スパイク・リーに代表される、スラムや貧しい黒人に注目するよりは、黒人メイドが白人上流階級の家で働いている点、すなわち完全に分離されてはいない(業務的な会話はするし、白人の子守もする)が、そこには確実に壁があるというところに注目したのが白眉。人間を決してステレオタイプに描かず、人間をよく描いている。この映画で象徴的なのが「トイレ」である。勿論これは見ればわかるが、今までにない視点であり、それがこの原作が売れた理由でもあるだろう。ユーモアに溢れていて、感動的でもある。[映画館(字幕)] 8点(2012-04-04 00:12:14)(良:1票)

66.  シャーロック・ホームズ/シャドウ ゲーム なるほど。ホームズじゃなくてもいいけど、知名度としてはホームズの名前を使いたいという映画。だからホームズにこだわる人は観ない方がいいだろうけど、ロバートダウニージュニアの、ジョニーデップ演じるジャックスパロウとジャッキーチェンの中間あたりのキャラクター、アクションが面白い。この具合をちょうどいいと感じるか、中途半端だと感じるかは相当大きいと思う。くすりと笑えるところもあり、アクションもそれなりに面白く、エンターテイメントとしてけっこういい出来だとは思うのだが、やはりあと一歩驚きがほしい。香港アクションらへんの影響があるように思うが、それに留まらない何かを。[映画館(字幕)] 6点(2012-04-01 21:29:55)

67.  ドラゴン・タトゥーの女 基本的なストーリーはありきたり過ぎてどうしようもない。勿論フィンチャーのスタイリッシュさは健在で、オープニングは鳥肌モノ。しかしハッキングのステレオタイプなイメージに、いまひとつピンとこない家族関係など、不満は多い。やはりこれはドラゴン・タトゥーの女を描いた映画だと考えるべきだろう。ミカエルは言うまでもないが、リスベットの魅力は素晴らしい。その点、もう少し彼女に焦点をあてるべきだったように思う。そしてこの映画を通低している女性への性的暴力、コミュニケーションの歪みなどが注目される。主人公がミカエルなのもなにかの暗示だろうか。いずれにせよ次回作が待たれる。[映画館(字幕)] 6点(2012-02-19 12:58:23)(良:1票)

68.  ヒミズ 園は画面、音を埋め尽くす。そこにはまるで空白があって、それをぐちゃぐちゃに絵の具で塗りつぶしているかのようだ。隅田が顔を絵の具で塗るシーンは象徴的だ。気狂いピエロのように爆死せずに済んだのは、勿論裏切らなかった恋人が居るからだ。まるで中学生のようないわゆる「演技」や「言葉」はむしろ清清しい。このオーバーさはいつものことだが、それに巻き込まれるのはもはや心地よい。震災映像は必要ないが、沈みかけた廃屋は会心の画だろう。自慢するかのように何度も出てくる。前作「恋の罪」で示された「肉体を持つ言葉」というテーマがまた繰り返される。教師の空疎な言葉がラストに繰り返される。その言葉がやはり肉体を持つように聞こえるのは、人物の具体の極限まで迫ったからだろう。[映画館(字幕)] 7点(2012-02-05 23:40:26)

69.  J・エドガー とってつけたような特殊メイクは残念。当時のアメリカの状況を知らないとあまり楽しめないかもしれない。「市民ケーン」へのオマージュが所々に感じられたが、一人の一生を時間軸をずらしながら追いかけていくという手法は、考えてみると市民ケーンそのものだ。しかしフーバーの描き方は誰がどう見ても表面的なものに写る。イーストウッドが描きたかったものはフーバーというよりも、当時のアメリカなのではないか?リバタリアンのイーストウッドらしく、フーバーの強烈な自由主義(とそれに伴う弾圧)とそれが修正を迫られていく過程はアメリカの盛衰を思わせるものがある。しかしそれにしても見所が少ない。時間軸操作も、あれほど複雑なものはイーストウッドは不得手なのではないか?[映画館(字幕)] 6点(2012-02-03 10:46:52)

70.  吉祥寺の朝日奈くん タイトル通り、吉祥寺人のための映画といっても過言ではないが、それを無視しても、一ひねりしたストーリーと、小気味よい演出がこの映画を単なるローカル映画に陥ることから救っている。私は吉祥寺周辺に住んでいるので、どこもかしこも吉祥寺ばかりで、そういう人が観るとそれだけで満足できるかもしれない。しかし注目したいのはほのぼのとした雰囲気に似合わぬ毒があることだ。これは身構えて観るとすぐに分かってしまうと思うので、身構えない方が賢明だろう。「あれ?どういうことだ?」と思うシーンが氷解するラストはなかなか秀逸である。キネマ旬報など映画、演技関係の本がラストに本棚に戻っているのは上手い。献血から子ども、そして鼻血という「血」のつながりも洒落ている。観終わってから、「あの場面ではどういう気持ちだったのだろう」といろいろ考えると面白い。90分にしてはそれなりに満足できる映画であった。ところで、遠野とはやはり武蔵野市の友好都市である岩手県遠野市からとっているのだろうか。なかなか凝っている。[映画館(邦画)] 7点(2011-12-07 10:59:16)

71.  恋の罪 《ネタバレ》 「愛のむきだし」を2009年のベストに挙げるほど園にやられた私としては相当期待していた作品であったため、ハードルがあがりすぎてしまったのだろうか。一言でいえばAVのような映画だった。書いている私自身が男であるという視点の限界は、ここで描かれている女性たちに、「女性として」共感することができないということである。しかしそれは私に留まらず、園自身にもあてはまるのではないだろうか?そこがひとつ、私としてはいまひとつこの映画に乗れなかった理由である。細かいところでは面白い撮り方や相変わらず強烈な禍々しさ、毒々しさがあるのだが(特にあのおばあちゃん)、「城」や「肉体を持つ言葉」の比喩はあまりにも幼稚というか、安易だろう。いずみが客に馬乗りになり、詩を暗誦するシーンは「愛のむきだし」を思い出しニヤリとさせられたが、満島ひかりがコリント書を圧倒的な迫力で吐き出すあの「身体性」には遠く及ばないだろう。そして説明的、より悪くいえばクサい演出が相当に多い。過剰な演出は園の特徴だが、正直ここまで説明的な映画はこれまで無かったように思う。詩の解説などくだらないことはやめて映像で表現してもらいたかったものだ。また、吉田の最後のシーンは完全に不要だろう。前半に出てきた小話を再現させるとは「いかにも」な演出。そして「ノルウェイの森」を思い出させるような「居場所がわからない」というラスト。後輩刑事が言ったように、あそこで彼女がこれまでのぼーっと生きてきた人生を思い返しているとでもいいたいのだろうか? そんな説明的な描写はかえって興ざめである。ところで映画のタイトルは「恋の罪」であり、guilty of romanceである。愛の罪ではない。ということはどこか抑圧されてきた女性たちが恋(のようなもの)に衝動的にのめりこんでいくというのがこの映画の主題だろう。ただし恋が目指しているものが何かは、彼女たちには、そして私たちにも分からない。少なくともそれは愛ではないことだけは確かだ。「不思議なことに、ただでやらせる女より、金をもらってやらせる女の方を男は軽蔑する」というような独白があったが、これにはハッとさせられた。なぜかと考えたが、それは金が介在していなければ、そこに愛が存在すると錯覚するからだろう。あるいは実際に愛が存在するのかもしれない。その僅かな望みに、あるいは幻想に男は憑かれている。[映画館(邦画)] 6点(2011-12-01 09:37:37)

72.  ヒア アフター 《ネタバレ》 多くの人が指摘するように、この作品において来世はさほど重要なファクターではない。「何か人と違う」という点を持っていること、あるいは何か傷を持っていること、という誰にでも当てはまるポイントであるに過ぎない。全ての映像が安定しており、かつイーストウッド独特の暗さも見られるが、あまり「イーストウッド節」のようなものは感じられない、素直な映像になっている。とはいっても官能的な料理教室のシーンはこの映画の白眉だし、オープニングの津波映像も強烈だ。それぞればらばらに傷を持った登場人物たちが一箇所に集まり、それぞれの拠り所を見つけていくのは必然だとしても、その構成がやはりうまい。ラストシーン、マットデイモンの妄想はかなり実験的ではあるが、彼のイメージにおいて、手を握ったときにヒアアフター(来世)の映像が思い浮かんでいないところが重要だ。その前に彼は、彼女が本当に死後の世界を体験し、また辛い体験を抱えていることに気付き、それに惹きつけられている。二度目に遭うときの手のふれあいは、死後のイメージではなく、暖かい幸せであった。形容しがたいほどの心地よい幸せがあふれ出てくるラストシーンは感動的である。[DVD(字幕)] 8点(2011-10-29 21:48:51)

73.  モテキ 《ネタバレ》 結局この映画はモテないセカンド童貞、もしかしたら本当の童貞の妄想に過ぎない。だが、だからこそこのストーリーはもっともらしい。妄想とはえてしてそんなものだ。酔っ払って友達を呼んで終電なくして家に泊まってキスをする、といういかにもありそうな展開で(これに共感できるかできないかは相当感想を左右するはずである)、そこからうだうだして、うまくいきそうだと思ったら無様な格好を見せてしまい、気まずくなる。そこにちょうど良く現れたもう一人の女と寝るが、好きではないという事実とそれによる罪悪感に苦しむ。これも現実によくある展開だ(自戒を込めて)。重要なのは「よくある展開」をそのまま描き出しているところにある。この「よくある」展開は現実によくあるものであって、映画のストーリーにおいてよくあるものではない。映画の主人公はそんなに即物的ではあってはならないし、セックスしたいセックスしたいと考えているような男であってもならない。そしてその過程は全て受動的である。主人公が「こうであったらいいな」という受身の発想が如実に現れている。本当かどうかは別にして、いわゆる「現代」の若者の状況を表しているとも解釈できる。しかしラストを見よ。デパルマのような回転ショットに、「ゴースト」のように泥の中で抱き合う二人。好きな人を走って追いかけて追いかけて追いつく。嫌がっても何度もキスをして、結局受け入れる女。急にまるでどこかで観たような光景が繰り広げられる。男は受動的ではなく、「まるで映画のような」アグレッシブな男になる。ここに至って現実的な妄想は映画的な現実へと昇華(あるいは減退)しているのである。いかにも真実らしい妄想は、次第に嘘っぽい映画に変わっていく。うまくこの映画はPV風の演出やミュージカルなどを挟んで「映画らしさ」を出そうとしているが、それらを除外して考えると、前半に起こっていることは現実的過ぎてドラマにすらならないようなことだ。そして全編を通してこの映画は観ることを強制する。画面にはほぼ一定のものしか映らない。そういう意味でこれは非常にテレビ的な映画だ。何を観ればよいかが決まっていて、その通りに観客は運ばれることになる。それが良いか悪いかは別として、これは結局主人公の思想を反映しているということだ。彼は見たいものしか見ず、それ以外は全てキラキラとした背景へと後退させる。ラストが最も象徴的だろう。 [DVD(字幕)] 8点(2011-10-05 00:47:34)(良:3票) 《改行有》

74.  ブラック・スワン 《ネタバレ》 ニナの母親が叫ぶ。「ニナ、あなたは病気よ」と。そしてこの映画はその通りの映画で、その過程を描くものだ、といったら身も蓋もないが、白鳥がブラックスワンになる、というモチーフをうまく利用して映像効果を使っておりおもしろい。この奔放なカメラワークはやはりバレエだからか。ナタリー・ポートマンのほぼ一人芝居のような演技も言うまでもなく素晴らしい。「perfect」の言葉をあれほどまで痛切に感じさせる演技はほかに無いだろう。と、ここまで誉めておきながら7点なのは、やはり「ニナ、あなたは病気よ、病気なのよ」としか言えない点にあるのかもしれない。[DVD(字幕)] 7点(2011-09-18 19:08:21)(良:1票)

75.  アウトレイジ(2010) 面白い。あっさりとした殺し方、凄惨なバイオレンスも程よく、組織の抗争が繰り広げられる。テンポがよく、飽きさせない。椎名と加瀬がかなりハマっていていい。[DVD(邦画)] 7点(2011-09-11 15:01:38)

76.  コクリコ坂から 肩の力を抜き、心地よく観られた。いつもより音楽が雄弁で、説明は寡黙だった。そういう意味でこの映画は子供向きでは決して無いし、全てに納得のいく説明を求める人向きでもない。カルチェラタンといいメルといい、フランス語の影響が垣間見えるが、これは何故か少しだけ気になる。カルチェラタンのわくわく度といったら最高で、ジブリおなじみのモチーフである掃除も単に古いものを残す懐古趣味ではなく、きちんとした検討や改良を施すことを前提にした懐古趣味であることを示唆しているようで興味深いし、何より楽しい。この映画はラブストーリーであるところが良い。お互いが惹かれあう過程などあの程度で十分だ。人を好きになる理由をくどくどと説明するのは野暮であるし、そもそもあの恋は海原や父親たち、そして何よりメルが毎朝上げる旗が引き寄せた運命なのである。これを解さずして説明不足との批判は妥当しまい。何より説明せずして説明する手腕、説明しないことをしすぎないそのバランス感覚は非常に良かったと思うし、メルの人柄がよく伝わってきて心地よい良作であった。[DVD(字幕)] 7点(2011-08-20 01:28:56)(良:1票)

77.  ツリー・オブ・ライフ 《ネタバレ》 あまりのつまらなさに驚愕した。元々テレンスマリックは説教くさい映画ばかり撮っていて評論家ウケはするけど自分とは相性が悪いとは認識していたが、ここまで好き勝手にやるとは思わなかった。これは単なるキリスト教のプロパガンダ映画。スピリチュアルな方向は全て神に向かい、自らの内面や人間関係の実相は結局何かよくわからない光の中に集約されてしまう。それなら何を描いても同じではないか。一体何を描きたかったのか、何をあの家族から引き出そうとしたのか。私はそれが「生きること」とか「生命の枝葉としての方向性」なんて漠然としたものでは納得できない。最初の30分は何だったのか。宇宙の誕生、地球の形成、生命の誕生。その悠久のときを幻想的に描くという意図であるなら(自分はそう解釈したが)あれだけの時間をかけてそれだけしか表現できないのは無能であるとしか言いようが無い。高評価には正直驚くが、無内容であるからこそ高く評価できる余地も生まれるのだと思う。勿論この無内容は比喩的な意味で、テレンスマリックのキリスト教的祈り、思想の吐露であるに過ぎないという意味である。観る側に自由を与える、とか解釈の余地を与える、とよく言われるが、これは自由に解釈させているわけではなく、無内容なだけである。これを観てどうしろというのか。極度に宗教的な世界観、歴史観を延々と見せ付けられるのは苦痛でしかない。やはりテレンスマリックの自己満足的な思想表明に共感できるかどうか、受け入れるかどうかがこの映画の評価の分かれ目になると思う。それにしてもタイトルのわりに「水」のモチーフが圧倒的に多いこととか、予告編はもう詐欺のレベルであることとか、いろいろ不満はあるけれど、きつかった。[映画館(字幕)] 1点(2011-08-18 01:51:31)(良:1票)

78.  奇跡(2011) 《ネタバレ》 走る。この動作をこの映画は描き続ける。決して類型化された逃走や疾走ではなく、愚直なまでの走るという動作をここまで徹底して描いた映画は他に無いだろう。カメラも一緒になって走っているように画面は揺れる。少年たちの無邪気な走りをカメラも完全に把握することは不可能だ。走る彼らの手や足がこの画面の枠に収まらず、そこからはみ出すような感覚こそがこの作品を躍動感あるものにしており、それこそがいみじくも原田演じる祖父が「あの火山は生きている。だから時々エネルギーを外に出さないといけない」という趣旨で言ったように、灰の正体なのである。「わけわからん」と灰の意味をずっと問うていた兄は、まさに生きることの意味を問うていたのであり、それが「世界」であるという解答を得るきっかけが新幹線であった(勿論「世界」とは何か、などという野暮な疑問は無用である)。彼が授業中に朗読した詩が「生きる」であったことは偶然ではない。その意味でこの映画は紛うことなきロードムービーであり、帰るべくところに帰るストーリーは必然的で自然であった。アニメやいかにも映画「らしい」演出など、ドキュメンタリータッチの是枝風と呼ばれていたものは影を潜めているが、時折インタビューのようなぶつ切り編集(勿論わざとであろうが)や光の透明度など、随所に「らしさ」がみえた。といっても光や花火やらダンスはまるで岩井俊二だと思ったのは自分だけであろうか。良作。[映画館(邦画)] 7点(2011-06-12 21:45:57)

79.  マイ・バック・ページ 《ネタバレ》 学生運動と60年代、70年代初頭を描くという強烈な「わかりやすさ」が物語の推進力となり、映画をエンターテイメントとして成立させている一方で、果たして彼らが目指していたものは何だったのか、あの時代はどこに向かおうとしていたのか、なぜ、そして何に対して彼は泣いたのか、というような強烈な「わかりにくさ」が映画を奥深いものにしている。沢田のキャラクターや唐谷と梅山との対比、映画のポスターや放浪生活など、脚本の妙にうならされる一方で、さまざまな技法や構図を駆使した山下監督の確かな画が、この映像を映画たらしめている。梅山をただのインチキ思想家だと非難することは簡単そうだが、沢田をインチキジャーナリスト呼ばわりする者は誰も居ないだろう。しかしそんな梅山に共感してしまった沢田自身は自分をジャーナリストとして合格だとはまったく考えていない。彼もまた自らの拳を通して語りうる思想を持ちえなかった、行動しえなかったという点において敗残者であるが、最後の一線(取材源秘匿)だけは守った。それは主体的な行動ではありえず、沢田は種類は何であれ、思想の先頭に立ち、それに殉じたかったに違いない。梅山もそれは同じで、ひとかどの人物になりたいという出世欲がうまく時代の潮流に沿わなかったのだろう。時代に合わなかった人物という点で彼らは同種の仲間である。総合的には、山下監督のエポック、ここまでの集大成としての代表作になりえている。もっと簡単にいえば、彼は「山下の映画」というだけの一種のブランドを確立したといえると思う。それだけこの映画には無数の仕掛けがあり、奥行きがあり、素晴らしく完成されている。まとまりのないまま書いてしまったが、一度観ただけではこの映画は測れそうもない。もう一度観てくることにしよう。[映画館(邦画)] 9点(2011-05-30 00:28:59)(良:1票)

80.  まほろ駅前多田便利軒 《ネタバレ》 瑛太と松田龍平がかっこよくって、久々に観たあとにミーハー気分になった。特に松田龍平は素晴らしい持ち味を発揮しており、仰天をもっともっと観ていたい、と思わせる演技。何でも屋が何でもやっていくうちに自分の抱えた傷と向き合っていくというストーリーなのだが、相棒となる仰天に自分が小指に怪我をさせてしまったという事実がうまい。これは後々まで引っ張り、ラストに大きな意味を持つことになる。構造としては親子の愛情を描いているのだが、そのさまざまな在り方が、親子の多様性と許容性の広さを暗喩している。多田は幼い子供を亡くしており、しかもその子供は血がつながっているかどうかわからない。仰天は同性愛のカップルに人工授精の精子を提供している、すなわち血だけはつながっている子供がいる。そして親に虐待を受けていたことがわかる。山下は、血のつながっていない母親と二人暮らし。駅前の弁当屋も詳しくはわからないが、幼児と二人で暮らしているようだ。ゆら公は母親と二人暮らしだが、ほとんど母親にかまってもらえない。親に関心を向けてもらえない。これらの親子関係というものが、次第にほぐれていく。重要なのは多田と仰天のエピソードだが、他のエピソードも単なるサイドストーリーに終わらず、しっかり二人の話に絡んでくる。多田はゆら公に「生きていればやり直せる。愛を与えられなくても自分が与えることはできる」と断言し、フランダースの犬のラストシーンをハッピーエンドだという仰天を否定する。しかしその段階では彼もその言葉に確信を持てていない。だからこそ自らの過去を仰天に話した後に、仰天に出て行ってくれ、と言う。それに対して仰天は、「多田が言ってたじゃん」と多田につぶやき、自分の小指を多田に触らせる。かつて多田が傷つけた小指は元通りになっている。演出の妙である。子供を亡くしてしまった事実はやり直しようがないが、これから愛を与えることはできる。彼らの絆もまた修復される。くすりと笑えるところも多く、仰天のキャラクターがおかしい。特に多田がトラックのガラスを粉々にされたときの「なんじゃこりゃー!」、松田龍平の「誰それ? ぜんぜん似てないよ」というくだりには爆笑。原作にはきっと入っていないだろう。松田龍平だからこそできる演出である。そして優作といえば走る姿だが、松田龍平の走り方はぺたぺたとしていてコミカルだ。その対比を楽しむのもおもしろい。[映画館(邦画)] 7点(2011-05-09 00:20:03)(良:2票)

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