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プロフィール
コメント数 2644
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 44歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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821.  フライト 《ネタバレ》 いきなり映し出される或る女性の乳房。そして、その女性と一夜を共にしたらしい主人公は、元妻からの電話に叩き起こされ、苛立ち億劫に応答しながら、真っ裸でうろつく女性の下半身を凝視する。 おおよそ“ロバート・ゼメキスの映画らしくない”そのアダルティーで、どこか退廃的なムードが漂う描写に「おや?」と思う。どうやらこちらの想定外の映画が展開されるらしいということは、この冒頭数分の映像で明らかだった。 機体トラブルによる旅客機墜落を奇跡的に回避した機長。「英雄」となるはずだった彼の血液からアルコールが検出されたことから生まれる疑惑。主人公は「英雄」なのか「犯罪者」なのか。 ストーリーの大筋はこのイントロダクションの通りである。しかし、この映画は、そこに隠された真実を追っていく類いのありふれたサスペンス映画ではない。 冒頭のシーンで明らかな通り、デンゼル・ワシントン演じる主人公が決して“清廉潔白”な人間ではないという事実からこの物語は始まる。 詰まるところ観客は、映画の序盤において、「英雄か?犯罪者か?」という問いに対して、「そのどちらも当てはまる」という答えを知ることになるのだ。 すなわち、この映画が伝えようとしているものが、主人公の社会的顛末などではなく、彼の人間としての「決断」の物語であることに気付く。 人間は、歳を重ねるにつれ、自分の非を認めるということが困難になる。 それが内省的なものであればあるほど、曝け出し、悔いること自体に多大な勇気が必要になってしまう。 この映画が描くことはまさにそういうことだ。 大事故に遭遇し自らの功績により生き残った主人公が、強制的に自分自身を省みなければならない日々を経て、最終的にどのような道を選び取るのか。 そういうことが、非常に巧みな映画づくりの中で表現されている。 一見すると、無駄に思えたり、やけにまどろっこしく思えるシーンの一つ一つが、この映画が伝えるテーマに繋がっていき、上質なドラマに昇華される。 ロバート・ゼメキス監督の映画を久しぶりに観たが、安定した演出力もさることながら、齢60歳にして非常に精力的に新境地を開拓してみせたと思う。[映画館(字幕)] 9点(2013-03-02 16:59:33)(良:2票) 《改行有》

822.  レミーのおいしいレストラン “動物もの”のファンタジー映画として不足はなく、ピクサーならではの映像完成度と娯楽性によって充分に楽しめる佳作に仕上がっていると思う。 しかし、この映画には致命的な難点があって、もうそれはこの物語の構成上致し方ないことだけれど、やはり最後までその部分が引っかかり続けてしまった。 それは詰まるところ、ネズミが料理を作るという不衛生さに対する拒否感だ。 この映画の製作陣やファンは、それを言っちゃあ元も子もないと言うのだろうけれど、どう取り繕ってもネズミがレストランの厨房に我が物顔でのさばり、自ら料理を作っちゃあいかんだろうと思ってしまった。 しかもこの映画の主人公でもあるネズミは、どんなに愛らしくキャラクター化していても"ドブネズミ”にカテゴライズされるタイプのネズミであり、綺麗事をいくら並べ立てたところで「不潔」であることは揺るぎようも無いのである。 主人公のネズミは、自身の不衛生を気にし申し訳程度に手を洗ったりはしているけれど、「いやいや、そういうレベルの問題じゃないから!」と突っ込まざるを得なかった。 個人的な話をすると、若い頃に地下街の飲食店でアルバイトを始めたことがあった。 しかし、閉店後の片付けの最中に巨大なネズミが走り回る現状を目の当たりにして、耐えきれず一週間で辞めてしまった。当然その後、その店には客としても決して行く気にはなれなかった。 これはもはや、ほぼすべての動物映画の根底にある博愛主義をいくら盾にしたところで、無意味な類いの問題であろう。 すべての生命と共存しようとすることは素晴らしいことだと思うし、決してネズミたちに罪はないけれど、世界中の飲食店の裏側に潜むネズミが病原菌を媒介してしまうことは現実であり、そういう部分をあまりにも無視してただファンタジックに仕上げてしまっているこの映画の在り方には疑問を禁じ得ない。 ただし、そういうことをすべて見て見ぬ振りしてしまえれば、楽しめる映画であることも事実。 単純に“動物”+“料理”のファンタジー映画として捉えれば良いのかなー……、でもやっぱり大量のネズミ(主人公ファミリー)が露呈するシーンにはユーモラスというよりも“おぞましさ”が先行してしまったな……。[DVD(吹替)] 5点(2013-02-27 17:34:57)(良:1票) 《改行有》

823.  SR3 サイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者 シリーズ通してひたすらに貫かれた“ワンシーンワンカット”という手法(意気込み)。登場人物たちの生々しい姿を切り取ったその手法と効果は、3作目にして極まったと思う。 主人公がイベント会場にこっそりと立ち入る場面から始まる十数分に渡るクライマックス。気が遠くなる程に延々と緻密に組まれたロングテイクが物凄かった。 まずこれまでのシリーズ作品とは明らかに一線を画す程にハードな映画世界に面食らった。 想像を遥かに超えたバイオレンス描写から物語は進み、主人公をどんどんと奈落の底へ叩き落とす。 「もうどうしようもないじゃないか……」と愛着のあるキャラクターの転落劇に、思わず気が滅入ってしまった。 入江悠監督の方向性はシリーズ通して終始一貫している。 日本語ラッパーの現実とそれに伴うであろう悲喜劇を真摯に捉え、主人公たちに決して安直な帰着は許さない。1作目、2作目同様、映画が終わっても主人公が抱える問題は一切解決してない。 ただ、それでもその先を生きていかなければならない。彼らに与えられるのは、その一筋の光とも言えない現実的な一つの「道筋」だけだ。 でもその厳しさこそが、このシリーズがラップという音楽に対する造詣に関わらず多くの人に勇気を与え、愛される理由だと思う。 と、映画としての価値の高さを認める一方で、個人的には一抹の不満も残る作品でもあった。 意欲的に描かれたハードな世界観は、実際の現場の人たちからするとある程度「リアル」な描写らしいが、知らない者にとってはどうにも「非現実感」を拭うことが出来なかった。 ハード描写そのものに現実感が無かったというよりも、その世界とこの映画シリーズのレギュラーキャラクターたちが絡むということに現実感を見出せなかったように思う。 主人公にのしかかる悲惨な現実の一つ一つが、何だか取って付けたように見えてしまったことは否めない。 クライマックスのロングテイクは素晴らしかったが、それだけにその後のシリーズにとってのある種お約束とも言える“場違いな”熱いラップシーンが、少々蛇足に感じてしまった。 ただし、そういった「難色」は、シリーズ全作品を認めた上で「2」が大好きという個人的な趣向によるものであろう。 したがって、このシリーズ完結編がエネルギーに溢れた凄い映画であるということに異論は勿論無い。[DVD(邦画)] 6点(2013-02-25 11:45:17)(良:1票) 《改行有》

824.  モダン・タイムス チャールズ・チャップリンの映画を初めて観た。 と言うと、映画ファンとしての見識を我ながら疑ってしまうが、事実なので致し方ない。 自分自身、何らかの作品は観ていた“つもり”になっていた。 が、どうやらその曖昧な記憶は、数々の映画において“引用”されるチャップリンの映像によって刷り込まれていたものらしい。 言い換えれば、それくらいチャールズ・チャップリンという映画人は、世界中の映画ファンの記憶の中に最初から埋め込まれているような存在なのだと思う。 そうなると、初めて観るチャップリン映画を何にすれば良いのか?ということを悩まざるを得なかったが、何となく感覚的にこの「モダン・タイムス」を選んだ。 常に揺れ動く社会において、「仕事」とは何なのか?「働く」とは何なのか?ということをひたすらに描いた今作は、今まさに「仕事」に対して思い悩む日々を過ごす自分にとって相応しく、運命じみたものを感じた。 資本主義社会の中で、文字通り機械的に働き続ける男の姿を発端として、世知辛い世の中を風刺した今作。 働けども働けども光明が差してこない厳しさを、チャールズ・チャップリンによって笑い飛ばすこの映画は、きっと公開以来現在に至るまで世界中の“働く人々”に様々な影響を与えてきたことだろう。 素晴らしいと思うのは、人間味が薄れた厳しい社会情勢を下敷きに物語を展開させつつも、この映画は決してそのすべてを否定しようとはしてないことだ。 主人公の言動が終始一貫表しているように、たとえ世の中がどんな状況であろうとも、それでも人は働かなければならないし、働けるということに喜びを感じなければならないということを、きちんとこの映画は伝えている。 だからこそ、主人公は常に前を向いていられるし、ヒロインが打ちひしがれるラストでも、“スマイル”を促し彼女の手を引いて進み出せるのだ。 辛い世の中だからこそ、すべてを否定するのではなく、肯定すべき部分に目を向けなければならない。 この映画が長きに渡り世界中の人々に愛されているのは、そういった“力強さ”に溢れているからだと思う。[CS・衛星(字幕)] 9点(2013-02-17 01:48:23)(良:1票) 《改行有》

825.  ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還 - スペシャル・エクステンデッド・エディション - 長い長い旅の果て、極限まで憔悴した主人公たちの意識が乗り移ったかのように、観ているこちら側も確実に疲弊していることに気付く。 もちろん映画が長過ぎて疲れたということではない。これほどまでに深遠な物語を、これほどまでに完璧に映し出した映画世界を体感して、“疲れ”を感じないわけがない。 そう断言出来るくらい、この映画の完成度は物凄く、あらゆる否定を寄せ付けない絶対的な存在感を誇っている。 劇場公開以来2度目の鑑賞。劇場公開版でも充分にこの作品の凄さは感じていたけれど、今回初めて“スペシャル・エクステンデッド・エディション”を観て、映像構成から人間描写までこの映画世界のあらゆる緻密に裏打ちされた奥行きの広大さに驚嘆した。 主人公はもとより、彼を支える仲間たちの一人一人、そこに集う人物の一人一人、そして対峙する“悪”の存在の一人一人に至るまできめ細かい描写がきちんとされ、その一つ一つのドラマ性がこの深遠な物語を象っている。 そういうことを映画という表現の中で、余すことなく創造しきったピーター・ジャクソン監督をはじめとする製作陣には、ただただ敬服するしかない。 一つの指輪をめぐる冒険の果ての、世界の平穏と、主人公の喪失感。 ファンタジーに関わらず、世界中の数多のストーリーが、この"行きて帰りし物語”をベースにしているのだろうが、この映画の絶対的な存在感は、この先時を経ても決して揺るぐことはないだろう。 ただし、個人的にはこの物語に唯一対抗し得る作品があると思う。 「風の谷のナウシカ」の原作漫画である。 もちろんこれも、宮崎駿がJ・R・R・トールキンの「指輪物語」に影響を受けていることは明らかだ。今回、「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズを見直してみて、「風の谷のナウシカ」が類似する要素が数多いことに気付いた。 「風の谷のナウシカ」の原作漫画の大ファンにとっては、その実写映画化は禁断の夢だ。 ただもし、その禁断が破られるのならば、それを託せるのはピーター・ジャクソンをおいて他にいない。[DVD(字幕)] 10点(2013-02-14 16:56:55)《改行有》

826.  ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔 - スペシャル・エクステンデッド・エディション - “5日目の朝日”と共に白い魔法使いが軍勢を引き連れて戻ってくる。大軍勢が一挙に斜面を下り、待ち受ける敵方の大軍勢とぶつかり合う。 起死回生のこのシーンの迫力は物凄く、劇場公開時に初めて目の当たりにした時の興奮は忘れられない。 個人的には、この「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズが、ファンタジー映画の範疇に留まらずエンターテイメント映画として唯一無二のものとなっているのは、この第二作の圧倒的なクオリティーによるところが大きい。 シリーズの前日譚「ホビット」の公開、鑑賞を受け、この“スペシャル・エクステンデッド・エディション”を初めて鑑賞。 本当はもっと早く観ておきたかったけれど、何せ上映時間が223分もあってはなかなか機会を見出せず、結局今回のタイミングに至った。 エンターテイメント映画としてのクオリティーの高さは、先述の通り言うまでもなく物凄い。 長ーーいエンドロールが、この映画に携わった人間とそれに伴う情報量の膨大さを顕著に物語っている。 今作はメインキャラクターはもちろん脇役も含めた登場人物たちの群像劇としての趣が強く、映画世界に息づくキャラクター達の緻密な人物像とそれに付随するドラマ性も見所だと思う。 その分、逆に主人公フロド周辺の描写は少なく、彼においてはそれほど大きな進展もないのだが、周辺キャラクターの魅力が深まる今作があるからこそ、この三部作は強固な娯楽性を持ち得ていると思う。 さあて、この勢いのまま「王の帰還」の“スペシャル・エクステンデッド・エディション”に挑むかな。[DVD(字幕)] 10点(2013-02-13 16:53:56)(良:1票) 《改行有》

827.  ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日 《ネタバレ》 美しい動物たちを背景にして、オープニングクレジットのフォントが軽やかに、踊る。 その秀麗で愛らしいオープニングを目の当たりにした時点で、「ああ、これは良い映画だな」と確信めいたものを感じるとともに、この映画は長い年月に渡って多くの世代に愛されるべき映画となるだろうとまで思えた。 やはりまず特筆しなければならないのは、圧倒的に美しい映像世界。 今回初めて「IMAX 3D」で映画を観たが、この環境で初めて鑑賞した映画が今作で本当に幸福だったと思う。 映画として素晴らしいのは、その“美し過ぎる”映像世界そのものに、ある明確な意図が存在するということ。 嘘みたいにリアルに息づくトラの造形、嘘みたいに美しく壮大な自然の姿、そして嘘みたいに奇跡的な冒険譚……。そのすべてに、この物語が語るべき本当の意味が含まれているのだと思う。 鏡面化する水面では空と海との境界が無くなり、映画世界に放り込まれた自分自身が一体何処にいるのか分からなくなる。 海面に映る自分を見つめる主人公は、次第に実像と虚像の境界を見失い、溶け込み、あらゆる生命と入り交じり、共に漂流するトラと一体化する。 旅の中で突如嵐に遭い、家族を失い、一頭のトラと共に果てしない漂流生活に突入した主人公。 その壮絶なサバイバルというエンターテイメントの果てに描かれていたことは、「信仰」というものの本質だった。 それは、宗教的な概念に留まるものではなく、数多の神々の存在を等しく信仰して成長した少年が、己の生命をかけて辿り着いた真理だったのだと思う。 「生きることは、失うこと」と、自分の人生を顧みた主人公は言う。 そこには特別な悲観も楽観もなく、達観した彼の瞳には何の迷いも戸惑いもないように見えた。 この映画は、「何を信じればいいのか?」という人間が持つ根本的な“惑い”に対して、「あなたが信じたいものは何なのか?」ということを真っ向から問いかけてくる。 きっとそれに対する答えは人それぞれで、きっと何度観てもべつの答えが導き出されるだろう。 重要なのは、何が正しいのかということではなく、“何を信じるのか”ということなのだろうと思う。 冒頭にも記した通り、この映画は老若男女問わず様々な年代の人間が様々な価値観において楽しめる作品だと思う。 我が娘はまだ1歳半だが、彼女にもいつか観てほしいと思った。[映画館(字幕)] 10点(2013-02-09 21:02:52)(良:4票) 《改行有》

828.  トータル・リコール(2012) 「アンダーワールド」シリーズのレン・ワイズマン監督による映像世界は流石に流麗で、アクションシーンにもメリハリがあり良かったと思う。これが、何のバックボーンもない新作SFアクション映画であれば、もう少しシンプルに好評を得ることも出来ただろう。 しかし、この映画が「トータル・リコール」のリメイクである以上、そういうわけにはいかない。 22年前にポール・バーホーベンが描き出したあの“特異”な映画世界と比較せざる得ない状況では、やはり今作に対しては「凡庸」という言葉が常に先行してしまう。 オリジナルとの大きな違いとして、今作の舞台は火星ではなく、荒廃した地球の表と裏という設定になっている。 貧富の格差をあからさまに表したこの舞台設定を結ぶ通勤電車“フォール”の存在は剛胆で良かったけれど、オリジナルの広大な世界観に比べてしまうと、どうしてもこぢんまりとした印象を覚えてしまう。 詰まるところ描かれているものは、圧政に対しての小規模な反乱に過ぎず、SF映画としての迫力に乏しかったと思う。 完全に「ブレードランナー」を意識した街並や小道具の造形は秀麗ではあったものの、バーホーベンの毒っ気溢れた世界観に比べると「フツーだな」と思ってしまう。 あの“顔面割れおばさん”を演じた女優に「二週間よ」という台詞を言わしたり、売春婦の"三連おっぱい”などバーホーベン版を彷彿とさせるオマージュ的描写が随所に挟み込まれていたことは、オリジナル作品に対してのリスペクトが感じられて好感は持てたけれど。 監督のリアルな奥方でもあるケイト・ベッキンセールが、オリジナルでシャロン・ストーンが演じた“鬼嫁”役を演じ、彼女にとっては珍しい“悪役”を楽しんでいた。 相変わらず美しいので、しつこく主人公を急襲する悪役ぶりをずっと観ていたい気もしたが、さすがに最後まで引っ張り過ぎなような気もした。おかげで敵ボスの存在感が薄れてしまっている。 だいたい、ベッキンセールの役は結局のところ職務に意欲的な公務員であり、よく考えれば決して悪党ではないというキャラ設定も中途半端だったと思う。 今思えば、オリジナル作品主演のシュワルツェネッガーは、あの馬鹿っぽさが適役だったんだなあと思い知った。[ブルーレイ(字幕)] 5点(2013-02-06 13:50:30)(良:1票) 《改行有》

829.  ザ・レイド 「痛ッッッ!!」 と、思わず鑑賞者に言わせる回数は、アクション映画における重要な評価の指針になり得る。 唯一無二の目的として、相手を“殺す”ために殴り、蹴り、刺し、撃ちまくるこの映画のアクション性は、ひたすらに“痛い”。 ほぼ全編通して映し出されるその鮮烈なアクションとそれに付随する痛々しさは、紛れもないこの映画のオリジナリティであり、世界が熱狂したことも頷ける。 麻薬王が支配する30階建ての集合住宅に20人のスワット部隊が乗り込み、死屍累々の激闘を延々と繰り広げる。 まるでストーリーが無いように見えるが、実はそうではない。この映画の場合、見せたいアクションを突き詰めた結果、ストーリーが極限まで削ぎ落とされ、アクションそのものがストーリーと化しているのだと思える。 ひたすらに延々とアクションシーンが繰り広げられるため、いくらそれが鮮烈だと言っても、それなりのアクション映画ファンでなければだれてしまうことは否めない。 ただ、「それの何が悪い?」とこの映画は堂々と開き直っている。 インドネシアの映画産業がどれほど栄えているかは知らないが、決して潤沢な資金があったわけではないだろう。 しかし、そんな中でも、自分たちが世界に誇りたい格闘を世界に通用する映画の中で表現したいという強い思いが、今作には溢れている。 その意識の強さこそが、もっともエキサイティングなものだと思う。 こいつらこそまさに誇り高きエクスペンダブルズ(消耗品軍団)だ。[ブルーレイ(字幕)] 7点(2013-02-06 00:09:45)(良:1票) 《改行有》

830.  BRAVE HEARTS 海猿 「海猿」シリーズもなんだかんだと第4作目。もはや毎度のことではあるが、これでもかと「奇跡」という言葉を連発する予告編に興ざめしてしまい、映画館へは二の足を踏んでしまった。 が、これももう毎度のことなのだが、いざ本編を観ると映画作品としての精度は別にして熱くなる。 それは、奇跡、奇跡と安直にのたまう海上保安官たちのことをあざとく感じる反面、こういう仕事をする人たちにはそういうことを言い続けていてほしいという願望がきっとどこかにあるからだと思う。 そうして、映画としての出来が良かろうが悪かろうが、シリーズ通じて結局目頭を熱くする自分が居た。 ただ今作においてはっきり言えることは、そういう個人的な趣向は別にしても、間違いなく及第点の出来映えを誇っていいパニック映画に仕上がっているということだ。 エンジントラブルを起こしたジャンボジェット機が決死の海上着水を試みるというプロットは、航空パニックと海難パニックの見事な合わせ技を見せ、往年のパニック映画の名作「エアポート」+「ポセイドンアドベンチャー」の図式を彷彿とさせる。 これまでのシリーズ作は、頭に馬鹿が付くほど愚直な主人公がただただ自らの精神論を武器に無闇矢鱈に人命救助に望むという構図が全面に出過ぎてしまっており、それがリアリティを著しく削ぐ大きな要素になっていた。 しかし今作においては、そういった主人公のこれまでの言動そのものをバックグラウンドに敷き、一定のリアリティと説得力をもってストーリーを進めることに成功している。 そこに3・11以降の「結束力」に対する価値が加味され、我々日本人にとっては特に感慨深いドラマ性を孕ませられていたと思う。 ラストの顛末など、相変わらずの御都合主義はあるけれど、それを分かった上で映画の中の保安官たちを応援してしまう。じゃあそれで充分だと思う。[ブルーレイ(邦画)] 7点(2013-02-05 23:44:55)(良:1票) 《改行有》

831.  LOOPER/ルーパー 《ネタバレ》 主人公の殺し屋は、射程の短いラッパ銃を終始携帯している。 未来から送られてくる“ターゲット”を抹消するためだけの目的のその銃は、非常に不格好で何の希望も生み出さないように見える。 しかし、堂々巡りの憎しみの螺旋を断ち切ったのは、そのラッパ銃だった。 想像以上に独創的な映画だったと言っていい。突っ込みどころも多いが、それらも含めてこの映画ならではのオリジナリティだと思える。 ジョセフ・ゴードン=レヴィットとブルース・ウィリスが時空を超えて邂逅した同じ主人公を演じるわけだが、その二人が人間的に重なるわけではなく、むしろ全くの別人格として対峙する構図がとても独特だった。 ある人生を経てきた「自分」と、それを経る前の「自分」、時間とそれに伴う経験の違いが人間としての価値観の違いとして対立する様は、非常に興味深いエッセンスを映画に加味している。 タイムパラドックスを描いた映画としては、ストーリーの“綻び”は確かにある。 ナノマシンの進歩で秘密裏な殺人が出来ないから、過去に殺したい人間を送って抹殺するという設定にそもそも無理は生じている。 その手段であるタイムマシンの使用自体が犯罪という設定だし、大体が巨大な犯罪組織なのだから殺人をそこまでひた隠しにする必要などなかろうと思う。そんな手間のかかることをしているわりに、主人公の未来の妻はあっさりと殺されちゃうわけだし……。 ただそういう“綻び”を補って余りある独特の味わいを携えたストーリーでもあった。 あくまで利己的だった若き主人公が見せる確固たる人間としての成長はドラマ性に溢れていた。 そして、愛した妻の死を防ぐために過去に遡ってきた老いた主人公は、目的を遂行していくにつれ自分が何のために過去にやってきたのかが曖昧になってくる。 過去を変えることが、必然的に自分自身の歩んできた人生も変えるということになるからだ。 終盤において老主人公に残っていたのは妄信的な狂気のみだったのだろうということに気付くと、とても哀しくなった。 それらすべてを悟って、若き主人公は短い射程のラッパ銃で"一つの未来”を断ち切る。 その哀愁漂うラストは、とてもSF映画らしくもあり、同時にジャンルを超越した様々な感情を刺激する映画に相応しい帰着だった。 P.S.主人公の同僚への時空を超えた“痛くはないけど痛々し過ぎる”拷問があまりに惨かった……。[映画館(字幕)] 9点(2013-01-12 23:37:24)(良:4票) 《改行有》

832.  ホビット/思いがけない冒険  「壮大」というよりは「膨大」な映像の“物量”に気圧された。 それがそのままエンターテイメント大作の質としてのパワーに直結して感じられたなら良かったのだけれど、鑑賞日は三が日の最終日、年末年始の疲労の蓄積がピークに達した状況では、正直呆然と眺めるしかなかった。 コンディションを整えられていなかったことに対しての自責を感じつつも、"見慣れた”映画世界に「退屈」を感じてしまったことは否めない。    「ロード・オブ・ザ・リング」(以下「LOTR」)三部作が映画史に燦然と残るファンタジー映画の傑作であることは間違いないと思っている。 その“前日譚”を同じピーター・ジャクソンが描き出すということに対しては、大いなる期待と同時に、「二番煎じにならないのか?」という危惧はどうしたって拭いされなかった。 結果として言えることは、やはり危惧した通り、何だか見慣れた映画世界がまた一からスタートしたのだなという印象に帰結してしまったということだ。 世界観の作り込みは当然ながらもの凄い。ただし、そこに前三部作を超越した何か“新しいスゴさ”があるかというと、そういうものは感じられなかった。 ガンダルフをはじめとしてお馴染みのキャラクターが登場するシーンは、かつての高揚感が彷彿とされ確かにアガる。ただそのアガり方も、あくまでスピンオフ的な盛り上がりに過ぎず、「前日譚」である以上「LOTR」を越える程の物語性は望めまいという固定概念が先行するため、今ひとつ高揚感に浸ることが出来ない。 またキャスティングの地味さも厳しい。俳優の名前で客を呼ぶタイプのエンターテイメント作品ではないということは分かっているが、新キャラクターの殆どが無名俳優ばかりで印象が薄いので、登場人物の多さがただの雑多さに繋がってしまっている。 たとえ現時点での知名度は低くとも、たとえばヴィゴ・モーテンセンやオーランド・ブルームクラスの実力やスター性を備えた俳優を起用してほしかったところだろう。 とはいえ新たな“三部作”は始まったばかり。顧みてみれば、「LOTR」の一作目を初めて観た時の印象もそれほど良くはなく、二作目、三作目の盛り上がり方で一気にシリーズ全体が昇華していった。 とりあえず前三部作を観直しつつ、次作「スマウグの荒らし場」の公開をじっくり待つことにしよう。[映画館(字幕)] 6点(2013-01-03 22:24:53)(良:1票) 《改行有》

833.  フランケンウィニー(2012) 「映画づくり」において、独自の世界観を貫き通すクリエイターは多々居るが、ティム・バートンという人ほどその特異な世界観を貫き通した上で、商業的な成功に長けた作品をコンスタントに生み出し続けているクリエイターは中々居ないと思う。 この15年ほどのティム・バートンの監督作品はほぼ漏れなく劇場で鑑賞してきている。 当然、作品によって好き嫌いはあるが、どの作品においても“ティム・バートン印”と言えるような「個性」が確実に存在し、どんな形であれそれが貫かれている以上、無下に否定することは出来ない。 そして、今作もまたそんな“バートン印”がこれでもかと押されている作品に仕上がっていると思う。 ティム・バートンらしい徹底した“悪ふざけ”の炸裂ぶりは、「マーズ・アタック!」を彷彿とさせる。この“ふざけかた”に免疫があるかないかで、この映画に対する許容は大いに変わってくるだろう。 得意のゴシックホラー調の気味悪くもポップな映画世界に彩られたストップモーションアニメのクオリティーは秀逸という他無く、もうそのアニメーションの動きだけで一定の満足度は得られる。 ただし、同時に物語の帰着点に若干の不満は残った。 主人公の少年が巻き起こした騒動の発端となる「行為」に対しての戒めと、それに伴う彼の成長が、今ひとつ曖昧に映ってしまっていることは否めない。 途中、科学教師からストーリーの核心に繋がり得る“教え”が主人公に伝えられるが、それがラストにきっちりと回収されていない。 今回ティム・バートンは、そういうある種正統なテーマ性を少々無視してでも、“悪ふざけ”によるB級映画ノリを徹底したのだと思うが、もう少しストーリーテリング自体に説得力が備わっていた方が、個人的には好感が持てたと思う。 しかし、前述の通り、もうそれは個々人の好みの問題であり、このティム・バートンという異才の極めてパーソナルな部分を貫き通した今作に対して不満を突きつけるのはお門違いだとも思う。 想像以上に暴走していく映画のテンションに、面食らいつつも、ほくそ笑んで楽しむべき映画だろう。 あと、そもそも“犬好き”な者にとっては、“フラン犬”スパーキーの愛くるしい動きとけなげさに対して、どうしたって涙腺は緩んでしまう。ズルい。[映画館(吹替)] 7点(2013-01-03 22:19:47)《改行有》

834.  ベルフラワー 日が変わり、クリスマス・イブとなった深夜、この映画を見終えた。 妻子持ちのため、クリスマスというイベントに「恋愛」が直接的に絡まないとはいえ、この頃合いにこの映画を観たということには、アンバランスさを感じはしたが、もう一つ踏み込んでみたならば、逆にクリスマスのど真ん中で観てこそ、この映画の持つ激烈な味を骨の髄まで楽しめるのではないかとも思えた。 そういう風にこの映画を観て、発狂とカタルシスの絶妙の合間を行き交うという楽しみ方が出来る“ボンクラ男子”は、想像以上に世界中に溢れているのではないかと思う。 良い意味でも悪い意味でも、とんでもない映画であることは間違いない。 運良くどっぷりハマらなければ、糞味噌にこき下ろすしか観賞後の行き場を見出せない人が大半だろうとも思う。 非常にコアでマニアックな映画ではあるけれど、その映画世界がある意味においては普遍的な「青春像」に直結するのだから不思議だ。 この映画は、すべての“男子”がきっと経てきたであろう幼稚で情けない「落胆」と、それに伴う「自暴自棄」を、良識的な遠慮をすべてかなぐり捨てて描き出した“失恋映画”である。 僕はあの子のことをこんなにも愛して、信じて、尽くしてきた!なのにあの子は僕をあまりに簡単に裏切り、捨て去り、他の男に走った!もう何も信じられない!あの子も世界も自分自身も爆発して炎に焼き尽くされてしまえばいい! という妄想を、程度の差こそあれ誰しもが脳内にめぐらせた経験はあるはずだ。 それは経験や時間を経れば、あまりに幼く滑稽で、恥にすら思える妄想だけれど、その時の「僕」にとっては、その妄想がすべてであり、その中に存在するしか無かった。 だからと言ってその妄想を実行する人はまず居ない。自分の脳内で極限まで行き着き、果てるのだ。 都合の良い自己完結ではあるけれど、その自己完結こそ幼稚でボンクラな男子が、ほんの少しずつ大人になっていくための通過儀礼であり、避けては通れない。 この映画は、まさにその通過儀礼の映像化だ。 その映画世界はあまりに強烈で毒々しく、現実と妄想が行き交うカオスに溢れているけれど、この「混沌」こそがすべての男どもの青春であったはず。 悪い夢のような映画を観た直後就寝し、本当に悪い夢を見て起きたクリスマス・イブの朝。 このインパクトはそう簡単には拭いされない。[DVD(字幕)] 9点(2012-12-24 00:57:40)《改行有》

835.  ミッドナイト・イン・パリ 主人公の婚約者を演じるレイチェル・マクアダムスの腰のラインが、さりげなくも妙に色っぽい。他にもマリオン・コティヤールをはじめ幾人か女優が出てくるが、どの女性もそれぞれ印象的に映る。 ウッディ・アレンという人は、相変わらず女好きで、だからこそ女優の魅力を最大限に引き出してくる。数々の女優が、彼の映画にこぞって出演したがるわけだ。 このところのウッディ・アレンはヨーロッパづいているらしく、ヨーロッパの各国の主要都市を舞台にした作品を連発し続けている。バルセロナに続いてロンドン、今作のパリ、来年にはローマを控えているらしい。 まるで一年ごとにバケーションで転々としながら、そのついでに「映画でも撮っておくか~」的な感覚でさらっと作っているようにも見える。ただ、そのくせ集まるキャスト陣はあまりに豪華で、作品自体もしっかり面白いのだから小憎らしい。 そのウッディ・アレンらしい小憎らしいほどの軽妙さが、この映画にも溢れている。 結婚を控えた主人公は小説家志望の売れっ子脚本家。敷かれた人生の行く末に揺らぎつつ、深夜のパリを徘徊する。そこに待っていたのは、憧れ続けた1920年代のパリ。 めくるめく懐古の深みの中に陥りながら、主人公は自分の進むべき道を見出していく。 タイムスリップものなのか、ファンタジーなのか、はたまた主人公の妄想劇なのか。 決して映画の世界を一方向に定めず、敢えてどうとでも捉えられる曖昧な世界観を構築し、夜な夜な徘徊する主人公の心理の如く“ふらふら”としたストーリーテリングが絶妙。 ウッディ・アレンの遊び心に促されるままに、束の間、主人公同様に古き良き深夜のパリを堪能すべきだろう。[DVD(字幕)] 7点(2012-12-23 15:59:33)《改行有》

836.  レ・ミゼラブル(2012) 2012年、年の瀬。たぶん、今年一番泣いた。 生命をまっとうした人物たちが、人生の讃歌を高らかに歌い上げるラストシーンに涙が止まらなかった。 こんなにも泣くつもりはなかった。「レ・ミゼラブル」という物語については、原作も読んだことがあるし、過去の映画化作品も観ていたので、描き出されるストーリー自体に感動こそすれ号泣などはすまいと思っていた。 実際、涙が止まらなかった直接的な理由は物語に対しての感動によるものではなかったと思う。 映画の持つ素晴らしさ、音楽の持つ素晴らしさ、芸術という表現そのものが持つ果てしなく大きな「力」に対して、感動し、むせび泣いてしまったという感じだった。 この物語に本質的な意味で“間違っている”人物は登場しない。 すべての人物は、ただただひたすらに“生きる”ということに執着しているだけだ。必死に生き抜こうとしている彼らを誰も否定することなど出来ない。 ただ、だからこそ人間同士はぶつかり合い、すれ違い、「人間」であるが故の悲喜劇が生まれる。 この物語が、時代と国を越えて愛され続けているのは、そういう人間そのものの本質的な葛藤とそれに伴う壮大なドラマが、決して色褪せるものではないからだと思う。 その色褪せない人間ドラマが、音楽、歌唱、映像、演技、それらすべてをひっくるめた「光と音」で彩られる。 スクリーンいっぱいに繰り広げられるその映画世界は、もはや奇蹟的で、神々しさすら感じた。 そんな映画にこれ以上言葉など必要ない。 今この時季にこのミュージカル映画を観られたことへの多幸感に対して、立ち上がって拍手を送りたくなった。 いつか必ず舞台版も観たい。[映画館(字幕)] 10点(2012-12-23 00:57:58)(良:3票) 《改行有》

837.  メリダとおそろしの森 巨大な熊と熊がぶつかり合うクライマックス。場合によりゃ最高に盛り上がるポイントに見えるのかもしれないが、「自分は一体何を見ているのだろう?」と理解不能な異次元に放り出されたような気分になった。 この映画には、全編通してそういったどうしても“違和感”にしか感じられないストーリーテリングが羅列されていて、面食らうというよりも肩透かしを食らってしまった。 もちろんこの映画が、無名のアニメーションスタジオで制作された作品だったならば、映し出される映像世界の秀麗さだけを捉えて、手放しで賞賛することもできよう。 しかし、これが「ピクサー」の映画である以上、そういうわけにはいかない。 観賞後にトレーラーを見ると、本編のテーマとの本質的な相違に呆れてしまった。 ただ、国内の関係者がこのようなプロモーションをしてしまったこともある部分では理解出来る。 武に秀でた姫、馬上から放たれる弓矢、森の精霊、暴走する野生……、この映画の彩る要素の数々のモチーフは、間違いなく「もののけ姫」であり、それはもはや表面的には模倣に近い。 ピクサーが新たに描き出した映画世界には、人間と自然との対峙における大スペクタクルが繰り広げられるに違いない。と、無闇矢鱈に「期待」してしまうことは、“日本人”としてある意味仕方のないことかもしれない。 が、この映画が描くテーマは、そもそもそのような大スペクタクルなどではない。 終始中心にあるものは、母と娘のあまりに普遍的でこじんまりとした物語だ。だから、「思ってたのと違う」と大多数の人が感じることも当然だ。 しかし、それでも結果的に「面白い!」と感じる映画は山のようにある。 描こうとしているものは母娘の普遍的な物語なのだろうが、それに対してのストーリーの“考え方”自体が、あまりに稚拙で、ある部分では明らかに破綻してしまっている。 主人公をはじめ、キャラクターの言動に深みもなければ説得力もなく、なぜそういう結論に至るのかという疑問符が消えることが無い。 「ピクサー」が作り出すアニメーション映画が、賞賛される最大の理由は、必ずしも最新技術による秀麗な映像世界のみではないはずだ。 そういった世界最高峰の映像技術に彩られた、文字通り世界中の老若男女が心から楽しみ感銘を受けることが出来る卓越したストーリーテリングこそが、最大の理由であったはずだと思う。[ブルーレイ(字幕)] 5点(2012-12-18 00:03:05)(良:1票) 《改行有》

838.  ヘッドハンター(2011) 限られた時間の中で限られた数の映画を見続けて何度も感じてきたことだが、こういう決して有名ではないけれど間違いなく面白い映画の“情報”を得ずに、見過ごしたまま人生を終えてしまうことを考えると、ゾッとせずにはいられない。 そして、某ラジオ番組における某映画評論家の紹介で、このノルウェー映画の情報を知り得たことを幸運に思わずにはいられない。 企業間の“ヘッドハンティング”の仲介を生業にする主人公。潤沢な資産と名声、そして美しい妻を持つ彼は人生の成功者に見える。 しかし、そんな男が抱える“コンプレックス”と“裏の顔”を発端とし、突如として“ヘッドハンターたち”による壮絶なサバイバルゲームが繰り広げられる。 まず述べたいのは「娯楽映画」としての完成度の高さ。 決して難解でもなければ、大風呂敷を広げるわけでもないシンプルなストーリーの紡ぎ方が巧い。 笑えるシーンも、バイオレンスシーンも極めてバランスよく配置され、それぞれ馬鹿らしくなりすぎず、凄惨になりすぎない絶妙な平衡感覚でエンターテイメントのラインを渡り切ってみせる。 ストーリーがシンプルな分、ほんの少しバランス感覚を違えると、まったく違った印象の映画になってしまっていたかと思う。娯楽映画としての最良のラインを導き出した“つくり”は、見事としか言いようがない。 そうして描き出される映画の顛末の巧さがまた素晴らしい。 単純な“巻き込まれ型”のアクションサスペンスで終わるのかと思いきや、クライマックスでは主人公の男の虚栄心を抱いた悲哀をきちんと描く。妻を愛するが故に己を偽り続けた主人公が心情を吐露する様は、“普通の男”の一人として思わずグッとくる。 公私においてどん底まで落とし込まれ、心身ともにあまりに大きなダメージを受けた主人公が、「証拠を消さなきゃ」と力なく言い妻の元から逃げ出したように見える「巧さ」。 そこから見せる小気味良い展開と、「それで満足だ」というラストの主人公の表情が爽快すぎる。 低予算で作られた地味なノルウェー映画であることは確かだ。 ただし、きっと50年後も「面白い!」と言われるだろう傑作。[DVD(字幕)] 9点(2012-12-12 23:10:35)《改行有》

839.  007/スカイフォール 《ネタバレ》 良い意味で非常に「懐古的」な作品に仕上がっていることは間違いない。 今作では、時代の流れと共に「スパイ」という役割の時代錯誤感が問われ、存在そのものが追いやられる立場となるというストーリーが描かれる。 そして、今一度「スパイ」という存在の意義と必要性、そして“格好良さ”を「007」シリーズが培ってきたパターンを存分に生かして見せてくれている。 シリーズファンに対してのサービス精神が旺盛な分、往年の過去シリーズ作品の幾つかを観ていないと、面白味が半減してしまう部分が多々あることは否めない。(特に「ゴールドフィンガー」の鑑賞は必須!) アストンマーチンの“赤いボタン”などは、往年のシリーズファンにとっては最高のプレゼントだったに違いない。 そういった全体的にとても懐古的な「007」らしい映画世界は、ジェームズ・ボンドというキャラクターが、「成熟」しつつあるという表現と直結しているように思えた。 このダニエル・クレイグ版「007」シリーズの最大の醍醐味は、ジェームズ・ボンドという絶対的主人公の“未成熟さ”にあると思っている。 一流のスパイと称されるにはあまりに未成熟な故、この新シリーズにおけるジェームズ・ボンドは、あらゆるものを「喪失」してきた。この最新作においても、結果として彼はあまりに“大きなもの”を失ってしまう。 その「不完全さ」が、良い意味でも悪い意味でも「007らしくない」という評価を生んだことは明らかだろう。 ただ、今作ではそんな主人公ジェームズ・ボンドが、徐々に「007」らしさを見せ始める。それは即ち世界最高の諜報部員に相応しい「余裕」が垣間見えてくるということだ。 主人公に徐々に備わってきた「007」らしさ、それはまさに数々の過酷な「喪失」からの「誕生」であり、そこから「成熟」に至るプロセスこそが人気シリーズを「リブート」することの最大の価値だということを高らかに物語っているように思えた。 史上最高齢の“ボンドガール”との別れに惜別の念を感じつつも、新M、新Q、そして新マニー・ペニーの相次ぐ新登場には、もう問答無用にニヤニヤしながらエンドロールを迎えるしかなかった。 さあて、喪失からの誕生、そして成熟までの準備は整った。次作では、ダニエル・クレイグ版ジェームズ・ボンドの“集大成”を見せつけてほしい。[映画館(字幕)] 9点(2012-12-06 12:26:34)(良:1票) 《改行有》

840.  メランコリア はっきり言って、非常に感想の表現が難しい。 とてつもなく深遠な映画のようにも思うし、至極退屈で浅はかな映画のようにも思える。 監督自身が“鬱病”を患い、その自身の内情をそのまま映し出したかのような“悪い夢”のような映画だった。 自分自身の中に「鬱」がまったく存在しないのなら、何の迷いも無くこき下ろすことができたのかもしれない。 しかし、世の中の大部分の人がそうであるように、現代人のはしくれとして、自分の中の「鬱」と寄り添い折り合いをつけながら何とか生きてきた者としては、この映画が描き出す“果てしない憂鬱”を無視することなど出来るはずもなく、ただただどう向き合っていいものかと呆然としてしまった。 荘厳な終末感を描いた後半に対して、ただただグダグダな結婚式の模様を描いた前半が退屈過ぎるという評が多いようだが、僕はむしろ、幸せな風に見えた結婚式が徐々に確実に破綻してく様を描いた前半の方に、よりこの監督独特のおぞましさが溢れていたと思った。 冒頭の地球滅亡シーンは、恐ろしいまでに美しく、圧倒的な光景を見せてくれる。 ただそれよりも印象強く残ったことは、何と言っても主演女優の表現力だ。キルスティン•ダンストのパフォーマンスが物凄い。 映画は、彼女の恐ろし過ぎる表情を画面いっぱいに映し出して始まる。その表情には、実は怒りを伴っていないということに、殊更の恐怖を覚えた。 監督のラース•フォン•トリアーは、主演した女優の潜在能力を限界以上に引き出すことを強いる過酷な映画作りで有名だが、今作においてもその特徴は遺憾なく発揮されたようだ。 その“強要”に応えた若き実力派女優はやはり本物で、見事だった。 と、あらゆる側面で印象深い映画であったことは間違いない。ただ、だからと言ってイコール「面白い映画」だと断言できないのが映画の難しいところだろう。 結局、詰まるところ最初に記した感想に尽き、語弊を覚悟で表現するならば「鬱病患者の夢」のような映画だ。 非常に魅力的で興味を引かれるテーマではあるが、「他人の夢の話ほど、実際聞いてみてつまらないものはない」ということなのかもしれない。[ブルーレイ(字幕)] 5点(2012-12-04 23:29:51)(良:2票) 《改行有》

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