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861. アンダルシア 女神の報復 映画の終盤、心身ともに疲弊し、化粧が薄れていくほどに顔立ちがよりシャープになり、エッジが効いた美貌が露になる黒木メイサが印象的。 彼女のルックスは、日本人女優の中ではやはり異質で、それ故になかなか雰囲気にマッチする映画に恵まれてこなかったと思う。 そんな彼女の美貌が違和感なくマッチするロケーションを実現し、映画世界に息づかせたことが、この国産娯楽映画が一定のクオリティーまで達していることを示す顕著な例だと思う。 何せ前作「アマルフィ」があまりに酷い映画だったので、それを観た殆どすべての人が、この続編の公開に対して冷笑を禁じ得なかっただろう。 明らかな“駄作”の二番煎じをして、一体誰が得するのだろうかと、この国の映画製作システムの奇妙さに辟易してしまっていた。 同じ製作スタッフに、当然同じ主演俳優、前作同様に某キー局のプロモーションの過剰さばかりが目につく“ザ・テレビ映画”としての存在感の強さ。この流れで、まさか一寸でも「面白い」と思える映画が生まれるなどとは夢にも思わなかった……。 そう、この映画、なんだか意外と「面白い」。 突き詰めていけば、前作同様に大味な展開の中に突っ込むべき「粗」は尽きない映画ではある。 けれど、そういう粗に対して目をつぶっても良いと思える程に、映画として面白い部分も充分に在る。 意味不明な程に冗長で陳腐だった前作に対して、演出的な巧さは劇的に向上していて、映画ならではの巧みさも所々で見られる。 更には冒頭に記した通り、ヒロインの美しさもきっちりと映画の中に組み込まれている。 部分的だったとしても、良いアクションシーンがあって、主人公のキャラクターにも愛着が備わって、映画的な面白味もあって、女優が美しいのならば、娯楽映画として何の問題もないじゃないかと思える。 決して「良い映画」だとは言わない。ただ間違いなく「悪い映画」ではない。 完璧な駄作からの見事な“巻き返し”。このあまりに想定外な製作陣の「成長」は、日本の映画ファンとして嬉しく、賞賛に値する。 このクオリティーをキープし超えていけるのならば、シリーズ化も大いに結構![DVD(邦画)] 6点(2012-10-15 23:48:48)(良:1票) 《改行有》 862. ボーン・レガシー アクション映画として“見所”は確実にある映画だとは思う。しかし、あまりに"巧くない”映画であるということも確実に言え、故に著しく面白味に欠ける映画に仕上がってしまっている。 “ボーンシリーズ”は好きだったし、主人公に抜擢されたジェレミー・レナーは昨今の再注目株だし、レイチェル・ワイズは大ファンだし、エドワード・ノートンの絡みにも期待していた。 が、終わってみると、すべてが「中途半端」という言葉に尽き、“本筋”には遠く及ばない「番外編」という印象に終始した。 敗因は色々あろうが、序盤から最も気になったのは、テンポの悪さだ。 “ボーンシリーズ”は、決してド派手なだけの描写に頼らないスピーディーでリアルなアクションシーンが魅力だったが、アクションシーンの質そのものは一定の水準を保ってはいるものの、全体的なテンポがあまりに鈍重で間延びしてしまっている。 更には、組織に追われる主人公がヒロインと共に逃避行を繰り返すという、お決まりであまりに工夫の無いストーリーテリングが、退屈さに拍車をかける。 アクションシーン自体も、他の映画で何度も観たことがあるようなシーンが繰り返されるばかりで、目新しさがまるで無かった。 そしてストーリーそのものは単純なのだろうが、作戦名等の専門用語が無駄に羅列されたり、所属がよく分からない存在感の薄い登場人物が続々と登場したり、ふいに過去の描写が挿入されたり、“ボーンシリーズ”とのリンクが無意味に強調されたりと、ストーリー構成をいたずらに難解にしているように思えた。 脚本家出身の監督なのだから、アクションシーンの多少の劣化はまだしも、ストーリーそのものがあまりに稚拙なことには、言い訳の余地はないと思うし、“ボーンシリーズ”を描き出した人だけに残念な限りだ。 もしこのまま再シリーズ化しようというのならば、再び脚本家に専念することをお勧めする。[映画館(字幕)] 4点(2012-10-06 17:03:19)(良:2票) 《改行有》 863. アウトレイジ ビヨンド 《ネタバレ》 冒頭から小日向文世演じる悪徳マル暴刑事が小蠅のように方々に飛び回っては、「ケジメ、ケジメ」と五月蝿い。 その描写が象徴するように、この続編作品は前作「アウトレイジ」から持ち越された「ケジメ」をひたすらに取ったり、取らされたりする映画だ。 前作において、”甘い汁”を吸った者、“煮え湯”を呑まされた者、各々が再び入り交じり、血で血を洗っていく。 その仰々しいまでの“愚かしさ”が、前作同様に極上のエンターテイメントとして画面一杯に映し出され、きっちりと締めくくられた。 非常に満足度は高い映画であることは間違いない。 それを前提にして敢えて言うならば、前作程の“アク”の強さはなかったかなと思う。 「全員悪人」と銘打たれて揃った面々が入り乱れ、一体誰がどうなるのかとストーリーの顛末自体に見通しがきかない面白さに溢れていた前作に対し、今作ではわりと予定調和的に各キャラクターに対しての“おとしまえ”がつけられていくため、ヒリヒリするような緊迫感が薄れていた。 また、前作では、ビートたけし演じる「大友」がこの映画世界の一応の主人公ではあったが、それぞれの思惑と野心を持った極道たちの群像劇色が強く、それがこの映画世界独特の面白味だったと思う。 しかし、今作では「大友」がいかにもな主人公然とした立ち位置で描かれるため、それ以外のキャラクターの印象が弱まってしまった。 同時に、その主人公自体も前作の流れを経て、表面的な荒々しさが薄れた描写が多く、狙い通りではあるだろうが全体的な迫力不足に繋がってしまっていることは否めない。 新たに登場する西田敏行ら“関西勢”は良い味を出していたけれど、"切った張った”の中心には絡んでこないので、トータル的なインパクトに欠けてしまったと思う。 と、前作とそのまま比較してしまうと、どうしても物足りなさが先行しがちな感想が出てきてしまうが、このジャンルの娯楽映画として水準を大きく超えている映画であることは言うまでもない。 五月蝿い小蠅に対して、望み通りきっちりと「ケジメ」をつけて締めくくられたラストカットに、高揚感は極まった。[映画館(邦画)] 8点(2012-10-06 16:19:19)(良:3票) 《改行有》 864. 大奥(2010) 驚いた。まさかこんなに“ちゃんとした映画”になっているとは思っていなかった。 「二宮和也主演はないだろう」という違和感が、実際に鑑賞に至るまでずうっとつきまとっていた。 このアイドル俳優の演技力を認めつつも、原作漫画とのビジュアルのあまりのかけ離れ具合を受け付けられず、人気取りだけを見込んだ安直なキャスティングだと思わざるを得なかった。 結果として、「映画化」を熱望していた原作ファンにも関わらず、相反する失望を恐れて劇場に足を運ぶことはなく、今の今までスルーしてきた。 詰まる所、非常に「後悔」している。予想通りに一般の評価は極めて低いようだが、はっきり言って見事な「漫画の映画化」だ。原作ファンだからこそ自信を持ってそう言いたい。 よしながふみが描き出す原作漫画の画風に対して、人物のビジュアルが乖離してしまっていることは確かだ。 特に主人公の「水野」はもっと分かりやすく美男秀麗であるべきだとは思う。はっきり言ってしまえば、二宮くんは明らかに“チビ”すぎる……。 しかし、そういった表面的なキャラクター描写については、わりと早い段階でどうでも良くなった。 主演の二宮和也をはじめ、俳優たちの演技がそれぞれ与えられたキャラクターに対して的を得ており、“正しい”演技を見せてくれるからだ。 「吉宗」役の柴咲コウも大きな不安要素の一つだったけれど、気丈で明晰なこの物語ならではの吉宗像を見事に体現していた。発声や目線に至るまで、細かい演技にまで説得力があったと思う。原作漫画には特に描かれていなかった、城内を“早足”で闊歩する様などは、このキャラクターの決断力を如実に表す良い演出だったと思う。 その他の俳優もパフォーマンスがことごとく良かった。 そして、それぞれのキャラクターにおいてきちっと“見せ場”を作る演出も的確だったと思う。 所々、原作漫画には無いエピソードや細かい描写も付与され、それらが効果的にドラマ性を高めていた。 そもそもが荒唐無稽な設定の上にエグさやタブー的な描写を多分に含んだ物語なので、好き嫌いが大いに分かれる原作である。故にこの映画においても“拒否感”を拭えない人も多いと思う。 が、この映画の方向性は圧倒的に正しい。その意外な真っ当さに対して驚きと喜びを感じずにはいられなかった。[DVD(邦画)] 8点(2012-10-05 23:12:03)《改行有》 865. タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密 “ちゃんと面白い映画”だった。 この映画の感想としては、それ以上もそれ以下もなく、その表現に尽きる思う。 フルCGアニメーションでのキャラクター造型に対して尻込みしてしまい、劇場鑑賞は二の足を踏んでしまったが、この怒濤の映像世界はやはり大スクリーンで観るべきだったと思った。 スピルバーグ流の「娯楽」が、上映時間いっぱいに並べ立てられた映画であり、そういう映画が面白くないわけが無いということは、そもそも明らかだったと思う。 フルCGアニメの映画ではあるが、そのまま「アニメ映画」という区別が正しいかどうかは疑問だ。 常に新しい“映画世界”に挑戦し続ける大巨匠が、“フルCG”“3D”という新しい手法を用いてまた新たな世界観を追求した、ある意味での「実験映画」としての印象が強い。 彼の頭に渦巻く、現時点で実写では困難なイマジネーションを、アニメという表現を使って実現したということだと思う。 綴られるストーリーは極めて単純だ。シンプルというよりも面白味に欠けるストーリーに対して不満が出ることは理解出来る。 「インディ・ジョーンズ」的な冒険活劇が大好きな人ならば、文句なしに楽しめる映画だろうが、そうでない人にとっては“乗り切れない”ということは否めない。 ただし、今作においてスピルバーグ監督は、敢えてそういうストーリーの緻密さは「無視」したのではないかと思う。 ストーリーは原作漫画に即したシンプルに徹し、映像世界の緻密さのみで勝負しようとしたのだと思う。 例えば、台詞の音声なしで鑑賞したとしても、この映画の面白さは変わらないようにすら思う。 それくらい、この映画における映像世界の試みは圧倒的で凄い。 圧倒的な映像世界に対してストーリーの面白味が伴わないことで、映画自体の面白さが激減してしまっていることは確かだ。 しかし、それでも良いと開き直って、新たな試みに挑んだ大巨匠の“エゴイズム”こそ、この作品における最大の見所かもしれない。[ブルーレイ(吹替)] 7点(2012-10-03 23:50:15)(良:1票) 《改行有》 866. 未知との遭遇/特別編 《ネタバレ》 想像以上に“いびつ”で、“混沌”とした映画であったことに驚いた。 もっと大衆向けの感動映画なのかと思っていて、それがこれまで今ひとつ食指が伸びなかった理由でもあったけれど、想定外の映画の世界観に心が掴まれたことは間違いない。 この映画は、スティーブン・スピルバーグのイマジネーションと深層心理が混ざり合った、ある意味極めてパーソナルな作品なのではないかと思う。 映画の序盤からラストに至るまで、「不可解」という言葉が常に寄り添う映画だった。 解消されるものも、解消されないままのものもあり、壮大なエンドロールを経て、「一体、何だったのだろう?」という思いがポツンと残った。 きっとそのことが、望んだ娯楽性に合致せず、この映画を嫌う要因になっている人も多いだろう。 ただ僕は、その「不可解」さこそが、スピルバーグがこのSF映画に込めたかったものだと思えてならない。 “科学的に説明のつかないもの”を不可解と認め、追求し続けることこそが、「科学」なのだと思う。 したがって、最後まであらゆる状況や言動に対して明確な「理由」を示さなかったことこそが、この映画が「科学」に対して極めて真摯であることの証明だと思えた。 “いびつ”で“混沌”としたストーリーに「粗」は多い。個人的に主人公の言動には終始共感出来なかった。 けれど、泣ける。 分かりやすい涙は流れなかったけれど、主人公が選んだ道、いや選ばざるを得なかった道に対して、心がさめざめと泣いていた。 壮大で感動的な映像と音楽に彩られているが、この映画のラストは、決して“ハッピーエンド”ではない。 人生に拭いされない違和感を感じ続け、結局自分のことも家族のことも幸福に出来なかった寂しい男が、唯一の“よりどころ”を盲目的に追い求め、そこにすがらざるを得なかったという話だ。 「希望」はもちろん描かれているが、代償となる「喪失」も確実に存在している。 この物語から滲み出ているものは、描き出したスピルバーグ監督自身が抱える葛藤なのだと思う。 自分自身も含め、"ある種”の人間の本質を生々しく切り取った映画であるからこそ、多くの人の心に吸いついて離れない作品に成ったのだろうと思う。 正体不明の物体が靄の中に見え隠れする映像が象徴するように、観た者の心にも靄を残す映画だ。 故に傑作であることも間違いない。[ブルーレイ(字幕)] 9点(2012-09-29 16:03:44)《改行有》 867. モンスターVSエイリアン 往年の東宝特撮映画、もしくは往年のアメリカモンスター映画を沢山観てきた人たちにとっては、楽しい映画であることは間違いないだろう。 主人公自体のキャラクターや、味方となるモンスターたち、悪役エイリアン、そして司令基地のデザインに至るまで、過去の特撮映画のありとあらゆる要素が詰め込まれている。 特に、日本の怪獣映画ファンにとっては、クライマックスのあるシーンはいやがおうにも“アガる↑”ことだろう。 特撮映画マニアのスタッフが、子供と一部の特撮映画マニアの大人たちのために作った映画であり、その部分が楽しければ問題ない映画だとは思う。 ただし、正直“それだけ”の映画であることも間違いない。 過去作に対してのリスペクトを込めたオマージュ作品であることは明らかだが、悪く言えば既存のアイデアを組み合わせただけで、目新しい“工夫”の無い映画だとも言える。 個人的には特撮映画ファンではあるけれど、オマージュ的要素を生かした上でのストーリー的な“新しさ”が無かったことは、最後の最後まで今ひとつ乗り切れなかった要因となってしまった。 主人公も含め、あらゆる“モンスター”たちが、徒党を組んで地球防衛に献身するという構図は楽しいものだったけれど、それぞれのキャラクターの中身が乏しく、行動の理由があまりに軽薄だったと思う。 “アメリカ人”に一方的に捕らえられ、半永久的に閉じ込められているにも関わらず、何の疑問も示さず彼らの言いなりになっている姿は、とても安直に見えた。 主人公においては、結婚を目前にした普通の人間の女性である。そんな女性が、隕石がぶつかって突如巨大化したからといって、その瞬間に捕縛され、強制的に“生物兵器”扱いされるのは、あまりに非人道的だし、三週間やそこらでその現実を全て受け止めて「これからも地球を守ろう!」なんてことになるわけがない。 そういう基本的な人間描写においては、あまりにも“乙女心”が分かっていない製作スタッフの“オタク魂”が過剰に出過ぎてしまった結果だと思った。 まあ、そういったあからさまな“ほつれ具合”も開き直って「味」として認めれば、全然問題はないのかもしれないけれど。[DVD(字幕)] 6点(2012-09-28 15:29:41)(良:1票) 《改行有》 868. フェア・ゲーム(2010) エンドロールで流れる役名の一部が塗りつぶされていた。 この映画の主人公である実在の元CIAエージェントが綴った原作も、CIAの検閲の上で大部分が黒く塗りつぶされたまま出版されているそうだ。 それは、この物語が紛れもない事実であるということを如実に表しているもので、その“塗りつぶし”こそがこの作品の価値を揺るぎないものに高めている。 ブッシュ政権下におけるイラク戦争の勃発。その裏側に確実に存在した数人の権力者の「嘘」と「思惑」が、実に生々しく描かれる。 「ボーン・アイデンティティー」において、リアルなスパイアクションを撮ったダグ・リーマン監督が描くからこそ、“現実”のスパイの実像を描いた今作は、対比的に際立っていたと思う。 「大量破壊兵器は無い」ということを諜報活動によって導き出したCIAの報告が、時の政府によってねじ曲げられるという様には、「恐怖」という言葉では足りないおぞましさが満ちていた。 その絶対的とも言える巨大権力に対して真っ向から立ち向かい、自らの存在を貫き通した主人公夫婦は、勇気ある行動という表現ではおさまらず、やはり「無謀」に見えた。 この映画は、自分たちの“在り方”を守り通すために、敢えて「無謀」に走った夫婦の物語だと思えた。 ナオミ・ワッツとショーン・ペン演じる夫婦の関係性に焦点が絞られてくる後半においては、マクロ的な事の顛末よりも、彼らが夫婦としてどういう道程を選んでいくのかという事の方が気になってしまった。 往々にして、優秀過ぎる妻を持つ夫は、時に愚かな程身勝手に暴走してしまうものだ……。 クライマックス、妻に許しをこうショーン・ペンの情けない表情が、個人的に身に染みた。 そういった具合で、大局的な社会派ドラマの中に、パーソナルな人間ドラマを盛り込んだ構成は、映画的にも非常に巧みだったと思う。 多大な紆余曲折を経てきたとはいえ、実際にこれが映画として公開されている以上、この映画の中で描かれていることのすべてが「事実」であるという認識は間違いかもしれない。 本当に隠さなければならないことは、本当に隠されたままなのだとは思う。 しかし、たとえ真実のほんの一片であれ、当事者らが人生をかけてそれを明るみに出した行為と、映画というエンターテイメントの力で世界中に知らしめた事実は、賞賛に値する。[ブルーレイ(字幕)] 8点(2012-09-27 14:29:18)(良:1票) 《改行有》 869. ランゴ(2011) アニメーションと実写の“境界線”はいよいよあやふやになってきている。 砂漠に生息するありとあらゆる生物をデフォルメしたキャラクターたちが、縦横無尽に動き回る明らかにアニメーションでしか表現が出来ない映画世界を観ながら、「ほんとにアニメ?」と圧倒的な映像に唖然とした。 “渇き”と“潤い”、この相反する二つの要素が、この作品における核心で、その表現のクオリティーの高さが圧巻だったと思う。 ストーリーとしては、ある意味真っ当な「西部劇」であり、映像世界の革新さに反して目新しさがあるわけではなかった。 序盤の世界観の説明的なくだりは、やや冗長な感じもあり、全体的にもう少しタイトにまとめてくれた方が観やすかったとは思う。 主人公のカメレオンは、“カメレオン俳優”気質というキャラクター性も含め、声を担当したジョニー・デップそのものだった。 昨今のアニメーションの技術は凄まじいので、声を演じる俳優の“演技”が、そのままアニメのキャラクターに反映されるということを改めて感じた。 監督が、「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズの監督ということもあり、主人公のキャラクターが“ジャック・スパロウ”と似通い過ぎているとも感じたが、徐々に今作ならではのキャラクターとして成熟していき、魅力的になっていったことは良かった。 充分に面白い娯楽映画に仕上がっていることは認める反面、あと一歩乗り切れない感じが残った。 それは、「西部劇」という映画のジャンルそのものが、アメリカ人の精神に深く根付いているものであり、よほどそのジャンルに精通していなければ異人には完全に理解し難い要素が多分になるのではないかと思えた。 最後にもっとも残念だったのは、“西部の精霊”について。 あれほど“モロ”なキャラクター描写をするならば、何とか「ご本人」の出演を実現させてほしかった。 大きなリスペクトを伴ったパロディなのだから、出演交渉はそれほど難しいことではなかったと思うのだが……。[DVD(字幕)] 7点(2012-09-25 16:32:47)《改行有》 870. メカニック(1972) 《ネタバレ》 リメイク作品であるジェイソン・ステイサム版を今年観たばかりだった。 オリジナル版を鑑賞し、何より強く思ったことは、想像以上に先立って観たリメイク版が洗練されているということだった。 ストーリーや諸々の細かい描写において、オリジナルである今作を踏まえつつ、より理にかなった改修がされていたということを知った。 詰まる所、殺し屋アクション映画の隠れた名作として名高い今作よりも、リメイク版の方が圧倒的に面白かったと言える。 数多いオリジナル作品とリメイク作品の関係性においては、それは非常に珍しいことだ。 このオリジナル版がリメイク版よりも劣っていた点は大きく二つ。 一つは、物語の発端となる暗殺依頼、主人公の恩人であり友人のハリーを組織の指示通りに殺すくだりの軽薄さ。 依頼の忠実な遂行のためとはいえ、長年の友人である人物を殆ど疑念も抱かぬまま、淡々と殺してしまうのは如何なものか。 このハリーの息子が、この後のストーリーの主軸に絡んでくるわけだから、ハリーというキャラクターとその暗殺シーンの軽薄さは、ただただ主人公の人間的魅力を削ぐだけだったと思う。 二つ目は、ラストの顛末。 大筋の流れはオリジナルもリメイクも変わらないが、プロフェッショナルとして主人公が、結局最後まで生き残る様を描いたリメイク版に対して、オリジナル版ではそういう描写が無いので、「え、それで終わり?」と非常にフラストレーションが溜まる結末になってしまっている。 どちらも、主人公の魅力そのものに大いに関わる要素だけに、映画自体の優劣に非常に関わっていつと思う。 ただそれでも、今作の映画としての面白味は充分ではないがきちんと備わっている。 その大きな要因は、何を置いても主演のチャールズ・ブロンソンの魅力そのものだと思う。 実はチャールズ・ブロンソンの主演映画を鑑賞するのは初めてだったが、無骨な佇まいの中に時折垣間見せるチャーミングさが、多くの映画ファンから愛された理由であることは、この一作品を観ただけ明らかだった。 是非、他の主演映画も観てみたいと思う。 そして、この往年の名優の魅力は、アクション俳優というジャンルの現在唯一の“生き残り”と言っていいジェイソン・ステイサムの魅力と極めて似通っている。 そういう部分も、リメイク作品が優れたアクション娯楽に仕上がった要因の大きな一つだと思う。[DVD(字幕)] 6点(2012-09-23 22:05:11)《改行有》 871. 白夜行-白い闇の中を歩く- 韓国映画特有の“痛み”の表現の重さは、この物語に非常に合っていると思った。 身体的な痛みも、精神的な痛みも、この映画は濃厚に、説得力をもって描けている。 その部分は、とても良かった。 4年前に原作小説を読んだ。ふたりの男女が、長い長い年月に渡り、一筋のか細い光を必死に辿りながら果てしない闇の中を突き進む壮大な「悲劇」だった。 単なるミステリーの枠には収まり切らない“真相”とそれに伴う濃ゆい人間ドラマが見事だった。 今作では、原作の物語構成にかなり大幅なアレンジが加えられており、諸々のエピソードに相違はあった。 しかしそれは、原作ファンであっても、映画作品として、とても有意義だと思えるアレンジだった。 望まない性行為と、望まない殺人、この映画はいきなり主人公二人の“苦しみ”を如実に表す描写が折り重なって始まる。 主人公たちの人生が苦悩に満ち溢れたものだということを、ダイレクトに伝えてくる印象的なオープニングだった。 そういった映画的な表現の巧さは、さすが韓国映画だと思えた。 2年前に日本の映画版(堀北真希主演)を観た。映画化作品として良く頑張っていたとは思うが、あと一歩物語の本質的な部分での物足りなさを感じた。 今作は、前述の通り韓国映画ならばではの説得力で、日本版より優れている部分は多い。 しかし、残念ながら、日本版と同じような部分で物足りなさを禁じ得なかった。 それは即ち、物語の中心に存在するふたりの男女の「覚悟」の描写に対しての物足りなさだと思う。 あまりに悲痛な「過去」を共有し結びついたふたりが決めた「覚悟」。その深淵こそが、東野圭吾が紡ぎ出したこの物語の核心だと思う。 それは一般人には理解し難いほどに研ぎすまされた「愛」の形であり、映画化にあたってもそこに妥協や曖昧さがあってはならなかった。 “あの日”、「目的」を達成するまで「会わない」と決めた二人が、直接対面したり会話をする場面は極力描くべきではなかったと思う。せめて目も合わさずすれ違う程度、距離を置いて存在を感じる程度に留めるべきだった。 原作小説を読んでいなければ、手放しで満足できる作品だった。実際良い映画だとは思う。 そういう映画的なレベルの高さを備えた作品だからこそ、あと一歩の核心への踏み込みが足りなかったことは、非常に残念。 [DVD(字幕)] 7点(2012-09-23 08:58:29)《改行有》 872. ステルス 《ネタバレ》 多かれ少なかれ確実に反米感情を持っている各国(実名)に対して、阿呆なくらいに一方的に“戦争の口実”を与えまくり、主人公達が暢気に愛を語り合うラストシーンの同日には、きっと第三次世界大戦が勃発しているだろうと想像するしか無い馬鹿過ぎる映画だった。 ただただドンパチが売りの娯楽映画なので、その馬鹿さ加減も一笑に伏して楽しむべき映画だということは分かっているが、それにしたって酷い。 人工知能を備えたスーパー戦闘機が暴走し人間に攻撃を始めるというプロットは、安直ではあるが、SF的要素も含んでいそうで魅力的には思えた。 「地球爆破作戦」のようなコンピューターの反乱が、人類への警鐘も含めて描かれるのかと思ったが、実際は想像以上に馬鹿な人工知能が何でもかんでも“表面的”に学習して、ただただ暴走するだけだった。 それならそれで、主人公らトップガンたちとスーパー戦闘機の攻防がシンプルに描けばいいものを、実は馬鹿な人工知能以上に大馬鹿な上官が諸悪の対象と移り変わり、結局は主人公とスーパー戦闘機との間に友情めいたものが芽生えるという始末。 そもそも期待も何もないので、残念に思うことも全くないのだけれど、これほどまで全編通して爽快感がなく、むしろ居心地の悪さを感じる娯楽映画も珍しい。[地上波(吹替)] 2点(2012-09-23 01:30:24)《改行有》 873. スマグラー おまえの未来を運べ 石井克人というクリエイターの作品は嫌いではない。 「鮫肌男と桃尻女」を地元のミニシアターで初めて観た時の感覚は鮮烈だったし、「茶の味」の和みと辛辣が混じり合った独特の世界観は忘れられない。 彼がかつて日本の映像界のトップクリエイターであったことは間違いないことだと思う。 しかし、スタイリッシュでセンセーショナルな映像世界は、時間の流れとともに見古されてしまうのが世の常。そこに時流とともに「進化」がなければ、見栄えのしないものになってしまう。 残念ながら今作は、過去からの進化を伴っていないクリエイターの特に見栄えのしない映画にしか見えなかった。 スピード感が重要なストーリーの筈だが、くだらない描写が所々に挟み込まれるせいか、展開が酷く愚鈍に感じて仕方なかった。 原作漫画も読んだが、特に好きになれなかったので、そもそも個人的な趣向に合わないだけかもしれない。 突き詰めれば至極単純なストーリーなのだから、映画的にはもっとタイトにまとめたほうが印象は良かったと思う。 伝説的な殺し屋を運送するというのが、この話のキモなわけだから、その部分に焦点を絞り、主人公と殺し屋との掛け合いを主軸にした方が、クライマックスの拷問シーンも際立ったと思う。 随所に“やり過ぎ”なキャラクター描写も鼻に付くばかりで、無意味だった。 ほどよく豪華なキャストが揃っていて、それぞれ一生懸命パフォーマンスをしているが、それらがバラバラでチープに見えてしまうのは、ひとえに監督の責任だろう。 安藤政信演じる殺し屋“背骨”が、エクソシストばりに“奇怪”な動きをする様には「本気か?」と呆れてしまった。 高嶋政宏の懸命な怪演にもただただ失笑。[ブルーレイ(邦画)] 3点(2012-09-21 23:52:51)《改行有》 874. DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on 少女たちは傷つきながら、夢を見る すべてを観終えて、「少女たちは傷つきながら、夢を見る」というタイトルが痛烈に突き刺さった。 “彼女たち”は、自らの夢を追い、それを達成するために必要な「喪失」に対する「覚悟」が半端ないと思えた。 文字通り「身を削りながら」彼女たちは、ステージに立ち続け、笑顔を見せ続けているということを、このドキュメンタリー映画は想定を超える濃密さで、ファンであるかどうかなど全く関係ない次元で、観ている者にぶつけてくる。 今をときめくアイドル達の等身大の姿、なんて言い回しが非常に生温く思える。 そこに映し出されていたのは、"アイドル”という人生を生きる少女たちの「生身」の姿だった。 ドキュメント映像の大部分において彼女たちは笑っていない。慟哭し、怒り、憔悴している様が延々と羅列される。 前田敦子は払拭できない孤独感の中で倒れ、大島優子は凛とした立ち振る舞いのすぐ裏側で打ちひしがれ、髙橋みなみは次々に倒れていく仲間たちすべてを引っぱり満身創痍で突っ走る。 華やかな大ステージの舞台裏は、「戦場」という比喩が決して大げさではないほど悲愴感と混沌が渦巻いていた。 “アイドル”という「綺麗事」を大衆に売る彼女たちが、もっともその生き方が「綺麗事」ではないことを知っている。 汗にまみれ、涙にまみれ、世間のおびただしい視線にまみれ、どのようなスタンスで、どのようなプロセスを経たとしても、“センター”に立つ者が「正義」であるということを、全員が本質的に理解している。 汗も涙も悲しみも怒りも、時にはスキャンダルまでもが自分自身の「売り」になるということも、 震災で荒れた被災地を巡ることも“大人たち”の戦略の一部だということも、 自分たちの存在のすべてが“つくられたもの”だということも、 そしていつかはそれに終わりがくることも、 すべて、彼女たちは知っている。 そんな「リアル」さえ、彼女たちは踏み越えて堂々とステージに立ち続けているのだ。 大人たちの思惑や、世間の蔑みや批判なんてどうでもいい。 訪れた被災地の子供たちが、一瞬であれ悲しみを忘れ、心から喜び熱狂している。 彼女たちにとって、その“事実”以上に価値あるものなどきっとない。[DVD(邦画)] 9点(2012-09-21 23:24:22)《改行有》 875. 北海ハイジャック 《ネタバレ》 ロジャー・ムーアの「007」映画を観ようと物色していたら、今作のパッケージが目にとまり、イントロダクションを読む限り面白そうだったので鑑賞に至った。 女嫌い+猫好きという主人公のキャラクター性の妙だったり、作戦実行に至るまでの心理戦を映画の大半に渡って展開させる等、特徴的な面白味はあったと思うが、残念ながらそれらが娯楽性に直結していない印象を受けた。 全体的に説明不足だったり、結局は場当たり的な展開が、興を冷ましてしまったことは否めない。 クライマックスに至るまでずっと百戦錬磨の知将ぶりを誇示する主人公だが、結局お前の作戦“穴”だらけじゃん!と突っ込みを入れたくなってしまった。 自分の部下に敵と間違えられて襲われ、その部下を海にたたき落とすシーンには笑ってしまった。 その他にも、そもそも主人公の私設部隊が、黙々と訓練を繰り返してきた理由は何だったのか?など、根本的な設定に対しても説明がなく、腑に落ちない部分が大きい。 ラスト、実は主人公は犯人一味だったとか、逆転的な展開を用意してほしかったと思う。 主人公の窮地を助ける“少年”役の女優が可愛かった。彼女のキャラクターは、この手のアクション映画において、現場に居合わせた女性キャラが主人公を手助けする活躍を見せるという定番要素の走りだろうか。 また悪役を演じるアンソニー・パーキンスの存在感があり、良かったと思う。 見るべき部分がある映画であることは確かだが、総合的には褒められた映画ではなかった。 さてこのままでは、ロジャー・ムーアに対する印象が悪いので、当初の意向通り「007」を借りに行こう。[DVD(字幕)] 4点(2012-09-20 15:16:33)《改行有》 876. 愛のむきだし 《ネタバレ》 いやあ、困った映画だ……。 というのが、鑑賞直後の率直な感想。“何”を重要視するかで、褒めちぎることも出来るし、どこまでも蔑むことも出来る。そういう映画だった。 タイトルが示す通り、「愛」そのもののあまりに無防備な“むきだし”の様を延々4時間見せ続ける。 それだけで、一言「凄い」と言えばその通りで、他のあらゆる映画とも似通わない“天上天下唯我独尊”的映画だと言っていい。そのオリジナリティと絶大なエネルギーは、もちろん賞賛に値すると思う。 しかし、観賞後しばらく時間が経過して、個人的には拭いされない「違和感」が先行していることに気付いた。 人間の本質的な雑多さと下世話な様に満ち溢れた映画であることは間違いない。 過剰な“エログロ”描写が、鑑賞者の好き嫌いを大別することも明らかだろう。 ただ自分が感じた「違和感」は、そういう部分のことではなかった。 端的に言えば、「宗教観」だと思う。 難しく微妙な宗教描写にも、この映画は堂々と土足で踏み込んでいく。僕は無信仰なので、それらの描写もこの映画のエネルギッシュな娯楽要素として受け入れることはできた。 しかし、よくよく考えれば、この映画の宗教描写はあまりに乱暴過ぎるのではないかと思った。 主人公は、明らかに怪しい新興宗教に陥っていくヒロインに対して、「あの新興宗教でなければ、他のどの宗教を信じてもいい」というようなことを言う。 無信仰な者の台詞であれば、べつに違和感はない。しかし、主人公が生まれた時から敬虔なクリスチャンの家庭で育った人間であることを踏まえると、ちょっとあり得ない台詞なんじゃないかと思う。 そして、この映画では、信仰の深い人間が徹底的に危うく脆い者として描かれる。 「宗教」がテーマの核心に存在しているが、この映画はどこかで、信仰を軽蔑しているように見えて仕方がなかった。 そういう“立ち位置”を今作に感じてしまうと、みっちりとエグい描写が羅列する程に、致命的な軽薄さが垣間見えてしまった。 ただし、このあまりに特異な映画世界に息づく演技者たちはすべて素晴らしい。 特に物語的な主人公と言っていい“3人”が凄い。 西島隆弘、満島ひかり、そして安藤サクラ、この若い3人の俳優が凄まじい存在感を全編に渡り放ち続けていた。 さて、結局面白かったのか、面白くなかったのかどっちなのだろう。 ああ、困った……。[DVD(邦画)] 6点(2012-09-19 23:11:55)《改行有》 877. バイオハザードV リトリビューション アリスの“半裸”拘束衣の復活、ジル・バレンタインの“胸チラ”コスチューム、エイダ・ウォンの“美脚”スリット……それらの要素があるだけで、このシリーズ最新作は少なくとも前作は超えていると言っていい。 敢えて大真面目に言わせてもらうが、ストーリーの整合性とかアクションのありきたり感以前に、前作に欠けていたものは、「エロさ」であった。 長い映画史においても、女性が主人公のホラー映画やアクション映画の傑作には「エロさ」が欠かせない。 このシリーズの第一作「バイオハザード」では、“脱ぎたがり”のミラ・ジョヴォヴィッチを主人公に起用したに相応しく、彼女の“半裸”で始まり“半裸”で終わるからこそ、素晴らしい娯楽映画に仕上がったと言っても過言ではない。 語弊を恐れず言わせてもらうならば、「エロさ」即ち「女性の美」は、それだけで映画の「娯楽」になり得る要素だと思う。 だから、そういう要素が部分的であれきちんと組み込まれている今作は、娯楽映画の方向性自体は間違っていないと言える。 しかし、だからと言って手放しで褒められる映画ではないことは、前々作くらいから明らかで、粗や突っ込みどころを挙げればきりがない。 整合性などは端からなくて、そういうことを気にしていると観られたものではないし、それに憤慨することが目に見えているのならば、観るべきではないだろう。 ここまできてこのシリーズの最新作を映画館まで観に行く人なんていうのは、もはや“ジャンキー”であり、面白くないことは分かっていても、映画館で観なければ気が済まなくなっているのだろう。 せめてもう少しカタルシスを感じられれば、手放しで喜べたとは思う。 あまりに工夫がなく、そもそも破綻してしまっているストーリー展開には呆れるばかりだが、そういうことは容易に予想できたにも関わらず映画館に足を運ばせ、こうなったら続編も観に行くと心に決めさせるこのシリーズの“麻薬性”は大したものだ。続編をどうせ作るんなら、来年くらいにさっさと公開してほしい。 取り敢えずは、最低限備えた「エロさ」に対して及第点。 あ、それと、復活したミシェル・ロドリゲス嬢の相変わらずの腕っ節と、あまりに珍しい女子大生演技のギャップには、もちろん萌え。[映画館(字幕)] 6点(2012-09-18 23:59:20)(笑:1票) (良:4票) 《改行有》 878. ホット・ファズ/俺たちスーパーポリスメン! 馬鹿馬鹿しいことを、しっかりとお金と労力をかけて覚悟をもって貫き通すこと。それが良いコメディ映画を生み出すための条件だと思う。 この作品の製作スタッフは、そういうことを誰よりも理解しているからこそ、世界中に受け入れられるコメディが作れるのだと思う。 エドガー・ライト監督&サイモン・ペッグ+ニック・フロストの主演コンビの「ショーン・オブ・ザ・デッド」、そして監督は異なるが同主演コンビの「宇宙人ポール」を既に観ていて、それぞれ映画ファンなら殊更に爆笑必至の素晴らしいコメディ映画の世界観を堪能していた。 前述の二作品がそれぞれ「ゾンビ映画」と「宇宙人映画」のパロディを存分に詰め込んだ作品だったのと同様に、今作の“対象”は、もちろん「刑事映画」。 「刑事映画」、その中でも特に“バディ映画”におけるベタと王道が、可笑しみと愛着をもって見事に散りばめられている。 中でも、「ハートブルー」をパロディの中心に据えていることが、非常に局地的なツボを突いていて良い。 この手の映画としては、120分という上映時間は正直「長い」と感じる。中盤において若干の中だるみ感を感じてしまったことは否めない。 しかし、ラストの怒濤のクライマックスは、そういうマイナス要素を吹き飛ばしてくれる。一見滅茶苦茶で何でもアリな展開に見えるけれど、それまでの人物描写が何気なくも人物それぞれの異質さを表しており、用意周到な伏線となっている。 だから、滅茶苦茶に見える展開にも妙に説得力があり、「娯楽」として見事に高まっている。 ついに最後にはモンスターパニック映画から東宝映画オマージュまで加わり、映画ファンのカタルシスを一気に高めてくれた。 充分満足できる映画であることは間違いない。が、"彼女”がケイト・ブランシェットだということに気がつけなかったことは、この大女優のファンとして情けない。[DVD(字幕)] 7点(2012-09-17 22:35:09)《改行有》 879. スーパー・チューズデー ~正義を売った日~ ジョージ・クルーニーという映画人は、相変わらずプライベートはフラフラしているくせに、それに反するかのように、地に足着いた骨太な映画を生み出しやがるな。と、思った。 アメリカの大統領選の「裏側」で確実に巻き起こっているだろう“現実”を、真正面から切り取った佳作だった。 自らの政治に対しての「理想」が、甘く幼稚な「幻想」に過ぎないということを目の当たりにして、打ちひしがれる主人公。 絶望的な現実に対して、彼がついに“売った”正義とは何だったのか。 安直なヒロイズムに走らず、物語の結論そのものが、政治における現実に対しての痛烈な皮肉である着地点が面白い。 すべてを悟った主人公が、黒い瞳でテレビカメラに向かう印象的なラストカットは、彼の心情における闇と、この先も歩み続けるだろう過酷な運命を如実に表しているようで、意味深長だ。 舞台劇を礎にしているだけに、焦点が絞られた登場人物のそれぞれのキャスティングが素晴らしかった。 若き選挙参謀を演じるライアン・ゴズリングは、自身が売り出し中の俳優としてノリに乗っているということもあり、心揺れ動く理想主義で野心的な主人公を見事に演じ切っていた。 主人公の上司役でベテランのキャンペーン・マネージャーを演じるフィリップ・シーモア・ホフマンも、本音と建前を巧みに使い分ける役柄を抜群の説得力をもって表現していた。 そして、カリスマ性を備えた大統領候補の政治家を演じたジョージ・クルーニーは、決してオイシくはない役柄において、絶対的な存在感をもって体現し、まさに実在しそうな政治家像を自らの演出によって巧みに導き出していた。 過剰な派手さがないことが、現実社会におけるリアルな不穏さに直結している。 いまアメリカでは、今年11月の大統領選を目の前にして、まったく同じようなことが水面下で繰り広げられていることだろう。 この作品はもちろん娯楽だが、それがそのまま現実に起きているということを想像すると、禍々しいおぞましさに包まれる。[ブルーレイ(字幕)] 8点(2012-09-16 00:48:17)《改行有》 880. 踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望 《ネタバレ》 絶望感しか覚えなかった「3」、そしてやはり失笑することしか出来なかった先だって放送された「THE LAST TV」を観て、決して“希望”なんて持たずに“事故り”に行ったのだから、怒りなんかしない。 ただただ、面白くなかった。それだけのこと。 と、このシリーズのファンでなければ端的に割り切れられるのだけれど、やっぱりそうもいかない……。 冷静に振り返ろうとすればするほど、あまりのお粗末さに怒りと呆れを禁じ得ない。 シリーズを通じて15年の長きに渡り、同じ俳優が同じキャラクターを演じ続けているのに、「3」も含め、揃いも揃ったキャラクター達に、かつてあった「魅力」を微塵も感じることが出来なかった。 シリーズが長い年月に渡った故の、俳優達の必然的な老いや喪失が、影響していることは仕方が無い。 ただ問題はそういうレベルのことではない。キャラクターに魅力が無いのは、俳優達のせいではない。 間違いなく、監督と脚本家とプロデューサー、この3人のせいだと断じてしまって構わないと思う。 「3」の時にも大いに感じたことだが、このシリーズを生み出したのはこの3人であり、このシリーズを味がなくなるまで噛んで吐き捨てたのもこの3人である。残ったのは、悲劇的に無惨な食べカスだった。 少し踏み込んで言及するならば、“犯人”となる3人のキャラクターが可哀想なくらいに祖末過ぎる。 犯人役を演じたこの3人に限ったことではないが、演じた俳優が可哀想に思える程に見せ場が無く、薄っぺらなキャラクター描写が、この映画における最大の「敗因」であり、それを通したシリーズの“創造者”たちが諸悪の根源であることは間違いない。 ああ、ほんとうにきりがない。 ラストの阿呆みたいな仰天シーンや、室井にギャグ的台詞を連発させる愚かさ等、他にも言いたいことは尽きないけれど、そろそろ終えて、この最後の2作品の存在を忘れて、15年前のテレビシリーズから今一度見直したい。 今作における唯一のハイライトは、過去作のシーンを羅列したオープニングタイトルの高揚感のみだ。 「踊る大捜査線」の大ファンだからこそ敢えてはっきり言う。 きっぱり「駄作」、「希望」はない。[映画館(邦画)] 0点(2012-09-11 00:46:39)(良:3票) 《改行有》
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