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【製作年 : 1940年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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81.  愉しき哉人生 まるで安部公房の「友達」の設定を、皮肉でなくそのまま描いたような作品で、だから戦後の今見ると、「友達」と同じようなグロテスクなものに見えてくる。柳家金語楼の不気味さが遺憾なく発揮された映画に見える。冒頭なんか垢抜けてる。狂って鳴り出した時計を合図のように、風が起こり、主人公たち相馬一家の引っ越し荷物が向こうから現われてくる。全体としてアメリカ映画のスモールタウンものの味がある。中ごろでは桶屋のリズム、タンタンタンタン、タタータータタン、に合わせて唐突に山根寿子が歌を歌ったり、主婦たちのおしゃべりを、処理した音声でやってみたり、成瀬の奇妙な面をたくさん見られる。しっとりした成瀬ではなくて、乾いた成瀬。テーマは「気の持ちようで明るくなるさ」という、いかにも戦局が悪化している背景をうかがわせるもので、この登場人物たちの朗らかさがカタストロフの近づきをかえって動かしがたいものに感じさせてくれる。[映画館(邦画)] 6点(2009-04-11 11:59:23)

82.  化粧雪 この監督はほんの数本しか見てなくて、代表作と言われるものもまだ残ってるんだけど、見た中では『夜の鳩』っていうのとこれが気に入っている。『夜の鳩』は酉の市の飲み屋が舞台だったが、こっちは節分の寄席。どちらも寒い季節のさびれた場所。物語よりも、そのさびれた雰囲気の味わいが絶品なの。成瀬が撮るはずだったのが、回ってきたのだそうだ。ラジオからエンタツ・アチャコの「早慶戦」が流れている。寂しい寄席。新しいものに押されている古いもの。大阪弁に押されている江戸ことば。息も白い。全体に何かうずくまっているイメージがある。新しいものに抵抗するというより、しのいでいる感じ。ヒロインを支えているのは、意地と孝行。とにかくおとっつぁんが生きてるうちは寄席を閉じたくない。それは空しいことかも知れないが、でも元いいなずけの手切れ金をピシッと断わり、さっさっと場内を斜めに横切っていく山田五十鈴はやはり美しいわけで、ピンと張りつめた快感がある。時代の流れに反抗はしないが、うちひしがれもしない。金をせびる兄、鋳物工場で働いている弟なども絡む。俯瞰の構図がしばしば現われ、それは見下ろされている惨めさにも通じるが、肩を寄せ合っているニュアンスにもなる。下足番の藤原釜足との図、ライティングもいいのかも知れない、そこだけ明るく隅が暗くなってて。舞台に残る豆の描写など的確。もっとたくさんこの監督の映画を見てみたいのだが、なかなか機会がなくて。[映画館(邦画)] 7点(2009-04-02 12:11:10)

83.  望楼の決死隊 後の反戦左翼監督も戦争中はこういうのを作っている。考えてみればまったく西部劇と同じ構造なわけだ。勝手によその土地にやってきて居座り、現地の人が襲ってくるのを匪賊として撃退する話。地元の人たちを身体検査する場面など、今から見れば、こういう辱しめを平気で与えていたんだなあ、という正直な記録に見えるけど、おそらく製作側の意図としては、こういう危険きわまりない土地で同胞の兵隊さんたちは日夜苦労しているのだ、という文脈であっただろうし、また当時の観客にとってもそうであったろう(こういうズレは映画受容ではけっこうあり、今井監督が戦後反戦映画のつもりで撮った『海軍特別年少兵』を、右翼の赤尾敏が激賞したこともあった)。活劇ものとして見ると、はずみかけると精神訓話が入り込んで停滞してしまうところが、まどろっこしい。母の死を隠してサッパリと笑っている高田稔とか。また戦友の家族的な仲間意識のステレオタイプの描写。だいたいヒゲ面の熊ナントカって豪放な性格のが一人くらいいる。川が氷ると歩行可能になり危険が高まる、その氷る音が銃声のように響く、なんてあたりはいい設定になるんだけれども、どうも活劇演出がまどろっこしい。丁寧にワンカットで一人ずつ倒れる。まあそうして“騎兵隊”が救援に駆けつけてくるわけだ。[映画館(邦画)] 6点(2009-04-01 12:05:37)

84.  信子 「坊っちゃん」の女性版であるけど(先生も生徒もほとんど女性)、東京と地方が入れ替わっている。夏目漱石では、維新の敗者であった直情の江戸っ子が、因習の地方に向かっていたわけだが、獅子文六のこれでは、直情の地方から軽佻浮薄・事なかれの東京に向かう。明治と昭和での地域世相の違いか。モダンな高峰三枝子に、「…ちゅうですけん」と九州方言を言わせるおかしみ。最初は国語教師のはずだったが、体育に回される。音楽の先生は松原操。問題児えい子さんがドラマを動かす。ハイキングのときいなくなるえい子さんをみんなで呼ぶところ、「え~子さ~ん」の反響、こういうところをタップリとる。最後のほうでもみんなが寄宿舎で「え~子さ~ん」と探し回るとこで、時間を充分にとる。緊張を持続させるためというのでもない。監督がこういう時間が好きなのだろう。人を心配する気持ちが満ちている空間・時間。心優しい監督なのだ。昔の映画は堂々と照れずに“明朗”をやれていいな。[映画館(邦画)] 6点(2009-03-22 12:13:43)(良:1票)

85.  四谷怪談[前篇/後篇](1949) 《ネタバレ》 おそらく当時の観客には『愛染かつら』のコンビによる四谷怪談というふうに意識されたんだろう。木下が撮った時代劇は、これと深沢七郎の二作品のみか。冒頭、塀沿いに引いていく雨中の脱獄シーンはなかなかの迫力。木下は作品ごとになんか趣向を凝らすが、今回は俯瞰の多用で押していく。見下ろす者の視点。木下の実験性は、田中絹代の二役による会話シーンにも見られ、けっこう手間をかけている。伊右衛門は気が弱く決断を先送りしているうちに悪に勝手に入り込まれる、というような解釈だ。それに自分が足手まといかもしれない、と思いがちなお岩の不安が添う、やたらメソメソする。あの敗戦直後の失業者の家庭はこんなでもあったのだろう。佐田啓二の小仏小平がお岩を抱えてゆっくり歩む場に、鬼気迫る美しさがあった。ラストの炎の場も大変美しい。全体としてこれは「怪談」というより「事件」の扱いで、伊右衛門の気の弱さゆえの妄想とも言える。[映画館(邦画)] 7点(2009-02-02 12:10:29)

86.  素浪人罷通る 刀を振り回すことを禁じられていた敗戦直後期の時代劇。天一坊のもとに、ひとつ当ててやろうという有象無象が集まってくるところなんか、このころの世相を映していたのではないか。阪妻の豪放な大芝居が楽しい。大岡越前との翳りゆく部屋での談判。暗くなると障子の向こうの廊下を手燭の灯が入ってくるあたりの味わい。天一坊の出立の声を耳にしつつ寺子屋の教授をしている場のリズム感も、大ぶりで良い。全体が大ぶりで骨太の味わいなの。ラストの瓦屋根の大きな構図に青空、御用提灯の場でも爽快である。時代劇の灯を絶やさせまいという決意、というほど大袈裟なものではないかもしれないが、とにかく時代劇のおおらかな気分が溢れていて、立ち回りができないという禁止がかえって作品を練り上げた。封建制を批判してるんだよ、という文章が頭と終わりに付くのは、進駐軍への確認のアピールか。[映画館(邦画)] 7点(2009-02-01 12:14:55)

87.  小原庄助さん 《ネタバレ》 このもと封建地主、保守的なのではない。ミシン教室も開き野球もする。農村文化の振興おおいにけっこう、ただその旗振りは勘弁してくれ、というところ。ダンス教室もいいが自分は踊らない、柔道していたころを回顧する。和尚の娘を連れ戻すことを頼まれても、まあこういう生き方(ヤミ)もあろうと帰ってくる。村長になる気はない。時代に対するこのスタンスに、とても共感できた。家が重しになって働けなかった、でもこれで自由になれた、というラスト、「終」ではなく「始」と出る。古い拘束に対するヤンワリとした批判、これは新東宝の映画で、おそらく当時の東宝だったらもっと戦闘的に封建的なものを槍玉に挙げていただろう。でも裏を表に返しただけの民主主義演説映画よりこっちのほうが実感がこもってるし、名画として残ったのもこっちだった。家を横切る長い移動撮影が印象的だが、借金取りを見かけてロバだけを家に帰すあたりの、のどかな詩情も捨て難い。[映画館(邦画)] 8点(2009-01-30 12:20:52)

88.  そよかぜ 戦争終わって、さてなんか映画撮ろうというとき、軽音楽バンドの話にしよう、ってなった気分は分かる。あの戦争時の固い気分の正反対といったら軽音楽であろう。禁止されるちょっと前までは盛んだったわけだから、勝ったアメリカに迎合するというより、元に戻れたって感じ。上原謙がトランペット、佐野周二がトロンボーン、斎藤達雄がサックスという楽団。上原が「花も嵐も…」を吹く場面もある。照明係からスターになっていくという戦前パターンの踏襲も、とにかく元に戻れたって感じだ。けっきょく戦争の数年間が異常な時間で、昭和ヒトケタと戦後は気分としてつながっている。戦争を思い起こさせるものは壊れた橋が出るくらいで、中盤は戦災のなかった田舎に話が移る。都会の観客には、傷ついていない田舎の風景が希望に見えたのではないか、ちょっとの妬みも含んで。舞台で並木路子が「リンゴの唄」を歌うところ、「り~ん~ごの気持ちは~」ってとこで、テンポを落としてゆっくりになるのが、正調らしい。軽音楽の響きに、時代のホッとした気分が満ちている。まだアメリカの検閲や指導は本腰を入れてないころで、かなり正直な反映と思っていいだろう。人々はついに吹かなかった神風のかわりに、そよかぜを求めたわけだ(新聞の検閲が始まるのが10月9日、映画の検閲もそのころに始まったらしい。翌年になると佐々木監督が『はたちの青春』でキスシーンを入れるように情報局に強要されるまでにうるさくなる)。[映画館(邦画)] 6点(2009-01-27 12:17:21)

89.  獄門島(1949) 映画の中では誰もが「ゴクモンジマ」と発音していた。ついでに言うと“分鬼頭”は「ブンキトー」。これは同時代の物語だったのだ。引揚者のゴタゴタがまだ生々しかった時代。ラストに封建的なものへの批判が付いているのも、いかにもである。崑映画のノスタルジー的な味が入り込む余地がない。現実そのものだった。横溝ミステリーって、けっこう発表時ではリアリズムだったんだな。それにしても奇妙な気分である。崑作品のイメージが強いので、往年の名優たちによるリメイクを見ているような倒錯感。金田一が時代劇禁止中の片岡千恵蔵(いたってダンディ)。警部が大友柳太朗(何言ってんのかわかんない)。いい娘は三宅邦子で、島の警官が小杉勇、和尚が斎藤達雄、一番びっくりしたのは白痴三人娘の一人が千石規子だったことだ。やっぱりこの白痴三人娘はいいなあ。絢爛としたものが暗い風土の中を狂って駆け抜けていくってイメージは、横溝世界の芯であろう。海のギャングとの銃撃戦などで、壁に隠れてバキューンとピストルを撃つときの、片手で脇に低く構えたあの格好が懐かしい。実録やくざ映画あたりから、腰を落として両手で構えるリアリズムになってしまったが、昔の探偵はスタイル重視、反動もなんのその、片手でかっこよく撃っていたのだった。縁側のマムシを撃ったところでは場内が沸いた。犯人指摘の場で金田一が大笑いするのは、多羅尾伴内と混ざってる。[映画館(邦画)] 6点(2009-01-14 12:18:37)

90.  虎の尾を踏む男達 腹のすわった立派なサムライと卑屈な庶民の関係って、師弟関係とは別に、黒澤が好んだ設定で、たとえば後年の『隠し砦…』にも通じていく。その最初の登場が本作だ。また「平家物語」の映画化を生涯の夢にしていた監督が、けっきょくその時代近辺を描くことができたのは、この短い一編だけだったわけで、その点でも貴重な作品。富樫がになう役割りを、富樫と梶原の使者との二人に善悪で分割しすっきりさせている。善悪というより、人情的と官僚的か。勧進帳読み上げのシーンは、梶原の使者に登場させ、カットを畳み込んでサスペンスを盛り上げる。ここらへんはホントうまい。富樫の山伏問答ではロングで引き、セリフと音楽で盛り上げる。同じ手を続けない。後段、エノケンは酔って踊り、これまでずっとビクビクしていた庶民の彼が、ここで初めて「立派なサムライたち」に溶け込む。しかし目覚めてみれば独りぼっちで置き去りにされていた。立派なサムライたちの仲間には入れてもらえなかった。サムライたちの末路を暗示しているような、また庶民にとってああいう立派さがそもそも一場の夢であるような、そんなエンディング。以後も黒澤作品ではこの断絶がしばしば描かれ、なにかと引っかかるところではある。大きな夕景のなかに一人でたたずむってのも、これから何度か目にするモチーフ。[映画館(邦画)] 7点(2008-11-13 12:17:57)

91.  歓呼の町 どこに行っても日の丸の下ということで同じじゃないですか、だからみんな明るく疎開しましょう、という戦中の時局PR用映画。疎開を渋る四家族が「心を入れ替えて」疎開に応じるまでの話、あくまで庶民レベルで進行する。シーンが変わるときに人物の出入りを重ねて、スムーズに群像劇を進行していくあたりの手腕が見どころか。いいところのお嬢さんさえ郵便配達をして働いている時局だから、わがままはいけない、というあたりの論理に日本人は弱いんだ。事故死という犠牲者が出ても、だからこそ頑張ろう、になっちゃう。安部徹が、洟をかんでは顔を拭こうとするのを若妻が嫌がる、なんてスケッチが木下らしいと思ったが、脚本にはタッチしていなかった。町会長の勝見庸太郎って『秀子の車掌さん』の社長の人か、この役者さんいいなあ。[映画館(邦画)] 6点(2008-09-19 12:18:56)

92.   たぶん木下の最も短い作品。顔のアップを多用し、時には口元のみと、未来の劇画を思わせる構図。小沢の“いかにも”の歪んだ笑いには閉口させられる。別にどうというシーンではないのだけれど、流しの歌の場に変な緊張があった。敗戦直後の人々の顔、何ら楽しそうでなく歌う人々、ただ一つのコードだけを繰り返すギター、すごく時代を感じた。オールロケ作品の強みか。すべて戦争のせいなんだと言う小沢。そこに昼火事が起こる。あたかも戦争の空襲のように再現される。二階から投げ落とされるフトン。こういう場で人を裏切ってはいけない、それは許されない悪だ、という信念のようなもの、戦争はもうまっぴらだが、あの悪い時代をともにやり過ごしてきた者同士の連帯意識は、これからも忘れないでやっていこうじゃないか、といった強いメッセージが感じられた。腐れ縁の男女の演出なら成瀬のほうが断然うまいけど、こういう素朴なメッセージが入る木下の生真面目さも、嫌いじゃないのだ。[映画館(邦画)] 6点(2008-09-11 12:16:09)

93.  山猫令嬢 脚本は依田義賢だ。この題は山猫のような母親にも令嬢の娘ってことか。母親の醜業によって学校へ通える娘、自分の存在そのものが娘を不幸にしていると気づく母、負い目と負い目がジメジメと不幸感を盛り上げていく、という戦前からある型だが、戦後らしいところは、身を引こうとした三益愛子を、学生服を着た(!)小林桂樹が「そんな悲劇はもう古いですよ」とたしなめるとこか。でも本作をきっかけとして、その古い「母もの」が量産されていくわけで。対比がくっきりしたドラマ。田舎の青空・自転車・セーラー服・農業で育った三條美紀が、京都・車・キンキラの服・花街へと移し替えられていく。一方に女声合唱があり、一方に“さのさ”がある。先生の高田稔が実は…、ってとこでは場内に少なからぬ笑いが起こった。若き朝比奈隆が関西交響楽団を指揮した「エグモント序曲」が、けっこう長く収められているので、日本クラシック演奏史にとっては貴重な映像資料になるだろう。[映画館(邦画)] 6点(2008-04-18 12:18:35)

94.  ヘンリィ五世(1944) 総天然色映画。原色のまぶしさがこういう作られた世界では味わい。当時のロンドンのミニチュアからグローブ座へ入っていく。ここらへんは歌舞伎役者が地方の古い小屋で芝居やりたがるのと同じ気持ちなんでしょう。映画の観客だって、グローブ座みたいな狭いところで同じように想像力を働かせて見てるわけだし。港からしだいにカキワリのセットになっていく。シェイクスピアやるのにリアリズムでやってもつまんない、舞台的な制約があってこそ空想がはばたくいうのは、やっぱローレンス・オリヴィエ、根っからの舞台人の血ですか。後のケネス・ブラナー版は、ややリアリズムに足を取られてしまっていた。夜のモノローグからパッと明るいアジンコートへの転換、馬が走りますなあ。だんだん速さを増して。こればかりは舞台じゃ出来ない迫力。[映画館(字幕)] 7点(2008-04-09 12:20:52)

95.  浜辺の女(1947) 《ネタバレ》 アメリカ時代のルノワールって興味で見た映画だったが、印象に残っているのはジョーン・ベネットのやたら妖しい雰囲気。心理分析ふう趣きがまじるのは、当時の傾向なのか(ヒッチコックの『白い恐怖』が前年の作)。盲目の亭主ってのが、もしかすると見えているのじゃないか、女に疚しさを与え続けるためにそんなふりをしてるんじゃないか、ってあたりがサスペンスなの。海のそばの崖で散歩したりする。目の前でタバコを渡したり火をつけたり。細部ではよくわかんないところも残るのだが、嵐の海・燃え上がる家と派手に持っていかれると、それで何となく納得させられてしまう終わり方だった。[映画館(字幕)] 6点(2008-03-20 12:17:30)(良:1票)

96.  色彩幻想 画面に縦線が出てきて、それがそよいだり、きらきら輝いて砕けたり、遠退いたりする抽象画アニメ。言ってること分かってもらえるかなあ。「ファンタジア」にちょっとアイデア似てるのあるけど、ずっとデリケート。最も純粋な映画とは、って考えるとき、必ずこのノーマン・マクラレンのアニメが思い浮かぶ。この人には、動かないアニメ「灰色の若い牝鶏」という傑作もあって、空がいつのまにか野原になり、月が卵になり、それらが星になり、と画面が静かに変容し続ける世界。動きの美としては「パ・ド・ドゥー」というこれまた傑作がある。洒落た感覚の「ドッツ」。「隣人たち」は人間のコマ撮りアニメ。「いたずら椅子」での物体への感情移入。「天体」では、奥へ奥へと向かう前後の動きを平面のスクリーンで表現する。映画を一番音楽に近づけた映像作家だろう。/「天体」(フィルムセンターで上映されたときの邦題)は本サイトに登録されている「球の配列」とたぶん同じだと思うが、こちらにまとめて書かせてもらった。[映画館(字幕なし「原語」)] 9点(2008-02-04 12:25:56)(良:1票)

97.  インド行きの船 《ネタバレ》 原作ものでベルイマンは脚色だけなんだけど、登場人物たちが恐れに支配されている、すっかりあの人の世界。自分の生に忠実であろうとすることからくる他者への過酷さ。愛人と外国に行こうと思っていることを妻に淡々と告げる船長も船長なら、妻は妻で、旦那の失明が決定的になって自分の保護下に置かれる時を待っている。せがれは父親の圧倒的な支配を恐れ、また自分の背骨の曲がり具合が他人の目にどう映るかを恐れている。せがれと船長の愛人が舟遊びをするシーンの、水のきらめき、空の雲、風車、清潔だけどなにか希薄な世界の美しさが、唯一ホッとする場面。でクライマックス、せがれが潜水しているとき、父親の船長が潜水服へ空気を送っていたポンプを止めてしまうところが怖い。ポンプを押す手が次第にゆっくりになっていく、あたりを見回すと誰もいない、ドライヤーの「吸血鬼」を思わせるシルエットがついに動きを止める。人が魔になる瞬間を、圧倒的な静けさの中で説得力を持って描ききった。[ビデオ(字幕)] 6点(2008-01-28 12:15:01)(良:1票)

98.  ハナ子さん 《ネタバレ》 戦時下のミュージカル。ひたすら明るい。ムキになって明るい。5年後に「酔いどれ天使」でニヒルなやくざを演じることになる山本礼三郎すら明るい。歌われるのは「隣組」やら「おつかいは自転車に乗って」やら、ほとんど軽快な長調の曲ばかり。東宝舞踊団はボールを持って皇帝円舞曲を踊るし、出てくる兵士はおもちゃの兵隊だ。賞与が国債でもニコニコだし、応召されても朗らか。灰田勝彦・轟夕起子の新婚夫婦がかくれんぼしてて、そこに灰田の妹高峰秀子がからみ、赤ちゃんまだ? まーだだよー、なんてコントもやってる。プロパガンダの要請を、なんとか娯楽に還元しようという職人技が随所に感じられるが、全編を覆う過剰な明るさがかえって痛々しい。[映画館(邦画)] 7点(2007-12-11 12:27:07)(良:1票)

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