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81.  シンドラーのリスト 《ネタバレ》 二度と再視聴しないだろうと思っていた映画だが、たまたまCSで放送されたのと、最近始めた趣味(レビューを書く)の為に観ることにした。20年以上前に観たっきりだが、ほぼ全編を覚えていたから驚いた。それだけ衝撃的でわかりやすく、印象に残ったんだろう。 ホロコーストを扱った映画で残酷な描写が多く、ものすごく重たい。こんな、精神異常者の衝動殺人みたいなことが、近代オリンピック後の先進国により国家主導で行われていたことが恐ろしい。 『映画ほどの善人じゃなかった。』とも言われているそうだが、彼の行なった結果は善行に他ならないし、それが出来るだけの権力を持っていた。プワシュフ強制収容所という閉鎖された空間で、共に絶対権力を手に入れた実業家オスカー・シンドラーと親衛隊少尉のアーモン・ゲート。 賃金の安いユダヤ人を使い、戦争で荒稼ぎをして金銭欲を満たすシンドラー。 下級将校でありながら強制収容所所長の座に付き、気分次第で人を殺害するなど、支配欲を満たすゲート。 シンドラーはゲートに酒や女を提供し、ゲートはユダヤ人女性とキスをして捕まったシンドラーを救う。この権力者二人は、飲み仲間で友人同士だ。 シンドラーを善行に動かしたのは会計士のシュターン。彼は常に死と隣り合わせの生活をしながら、一人でも多くの生活を向上させるための努力を惜しまなかった。 リストを完成させたときシンドラーに「このリストの外は死の淵です」と伝えるシュターン。シンドラーがこの言葉の意味ときちんと向き合えたのは、戦争が終わり自分が逃走するときだった。それだけ、奔走していたとも言える。 開放されたシュターンたちが、どこに行くでもなくその場で朝まで寝過ごしたことも、自由を奪われてきた期間の長さを物語っていて印象深い。 この映画では色んなシーンで対比が描かれる。豪邸を追い出され、雑居アパートに移り住むユダヤ人家族と、その豪邸に移り住み満足げなシンドラー。アウシュヴィッツから生還出来る列車に向かうシンドラーの女性たちと、列車で届けられたばかりの未来のないユダヤ人たち。沢山の石を積まれたシンドラーの墓石と、道路にされたユダヤ人の墓石。 対比と言えるか微妙だが、ユダヤ人を一列に並べて一発の弾で射殺するシーンがある。インディ3で、一列に並んだドイツ兵を一発の弾で倒すシーンがあったが、同じような構図で観る者に真逆の感情を与えるスピルバーグって、とんでもない監督だ。[地上波(吹替)] 9点(2021-02-24 00:10:18)(良:1票) 《改行有》

82.  ショーシャンクの空に 《ネタバレ》 ~The Shawshank Redemption~『ショーシャンク(刑務所)の債務返済』で良いだろう。銀行員のアンディはショーシャンクでやるだけのことをやったんだから。 ジメジメした雰囲気、雑な扱い、怖い刑務官、もっと怖い囚人たち、泣き出す新人…ここが丁寧に描かれているから、アンディと一緒に投獄され、刑務所生活に慣れていく感が味わえる。 食堂での談話、運び屋への依頼、シスターとの戦い…囚人生活を一つ一つクリアしていき、勇気を出してハドリーへの脱税の提案。喉を通るビールの美味さが伝わって来る。 映画を通して刑務所の生活が染み込むから、出所したブルックスの孤独がとても良く理解できて、人が求める自由って何だろうなと考えさせられる。 希望が消えた刑務所生活から、突然アンディが消える展開も見事。脱獄なんて考えがあったとは思わなかったから、何ともスカッとさせられる。 ダラボン監督は原作のラストにひと手間加えるのが好きなのかな?原作『刑務所のリタ・ヘイワーズ』では、最後レッドがアンディに会う為に旅立ち、目的地に着くところで終わる。実際アンディはいるのか?自分自身これからどんな生活が待っているのか?そんな希望やワクワク感に満ちた終わり方だった。 一方映画では再会までが描かれる。好き好きなんだけど、私は原作の終わり方が好きかも。[映画館(字幕)] 9点(2021-02-13 21:24:08)(良:1票) 《改行有》

83.  ゴッドファーザー PART Ⅱ 《ネタバレ》 実は過去に1-2を通したもの(恐らくゴッドファーザー・サガ)をテレビ録画して見る機会があったんだけど、「これは最初に観るものではない、1、2それぞれを観ないと勿体ない」と兄にアドバイスを受け、素直に従ったために今回が初見となった。 本作はマイケルの現代パートと、父ヴィトーの過去パートが交互に出てくる。 ドン・チッチオに家族を殺されたヴィトー。ニューヨークでギャングのファヌッチを殺し、イタリア系移民の後ろ盾となり、確固たる地盤を築いた上でチッチオに復習するまでを描いている。どん底の独り身から家族と仲間を作り、表向きはオリーブ会社のマフィア・ファミリーを作るまでの成長物語として、とても前向きな作りとして描かれている。ペチペチとパンチするソニーが可愛い。 一方マイケル・パートでは、いきなり寝室で襲われ、兄のフレドが内通者だと知り、妻ケイは自分の子を自ら堕胎する。家族のためにカタギからマフィアの世界に身を置いたのに、バラバラになっていく家族。ケイに見せたマイケルの悲しみと絶望と怒りの表情が物凄い。 母が死んだら兄フレドを殺すことを決め、ケイとは離婚する。家族に恐怖しか与えられない孤独なマイケル。 母の葬儀でのコニーの告白。自分を傷つけることがマイケルへの仕返しだったこと。家族を守るためだったことを理解し、マイケルを許すこと。そしてフレドを許してほしいこと。 コニーの告白と説得で、マイケルはフレドを許したんだと解釈している。(※ウィキだと違うみたいなので、いつもの妄想ということで) だけど唯一信頼できる家族と思ったコニーが、裏でケイを手引していたことで、マイケルはフレド殺害を決意したんだろう。 フレドと釣りに行くアンソニーを「お父さんと出掛ける」と連れ戻す役をコニーにさせた。当然出掛けないマイケル。 フレドの最後の祈りは、自分が死ぬことをわかっての祈りだろう。釣りのおまじないは“誰にも秘密”だから。 湖畔を見つめるマイケル。ファミリーのためを想い、家族を失ったマイケル。結婚指輪をしたまま。 家族みんな揃っての父ヴィトーの誕生会の回想。コニーとカルロが初めて会う。 そして枯れきったマイケルの思い出として、ゴッドファーザーパートⅠの、コニーとカルロの結婚式にループする。 あぁ『サガ』から観てはいけないのは、そういうことかと、あれから30年近く経って理解した。[CS・衛星(字幕)] 9点(2021-02-13 17:07:55)《改行有》

84.  ゴッドファーザー 《ネタバレ》 高校に入りレンタルビデオで借りたが、テープが古くワカメになっていて見られなかった。古い映画でそれ一本しか在庫がなく、返金は受けたけど、見るのは諦めた。そんな過去があり、今回が初見。 ~The Godfather~名付け親とか後見人って意味もあるようだ。 偉大なるゴッドファーザー、ドン・コルレオーネがずっと主人公かと思いきや、割と早くにマイケルの物語になる。カタギの生活をしていたチャラくて大人しそうなマイケルが、自分の意思でファミリーの為、ビジネスの為に手を汚していく様が壮絶。 病院の入口でパン屋と見張りのフリをする。ガクブルのパン屋だけでなく、マイケルも怖かっただろう。そんな、一般人感覚のマイケルが、知恵と勇気でマフィア界で生きていく物語かと思いきや、それもちょっと違う。 シチリア島から帰ってからのマイケルの目が凄い。ヴィトーの、厳しくも慈愛が感じられる表情と違い、冗談や言い訳なんて通じっこない冷たい表情、心の裏側まで見られてるような、感情を感じさせない渇いた目。コニーの結婚式で軍服を着ていた時と全然別人のようだ。 殺しの相手は取引先、ミスをした身内、裏切った身内…見知った人を殺す決断をするというのは、どういう気分なんだろうか。突然殺される身内の驚いた表情。これから殺されるのが解ったテシオの「昔のよしみだ、見逃してくれないか?」何とも切ない。そんな世界。 コニーにカルロの事を問い詰められ、ケイからは本当はどうなのか尋ねられるマイケル。ドン・コルレオーネは表情を崩すことなく「ノー」と言う。嘘だってわかるけど、ホッとするケイ。あの空気から開放されてこっちまでホッとした。[CS・衛星(字幕)] 9点(2021-01-29 14:47:10)(良:1票) 《改行有》

85.  機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙編 《ネタバレ》 初見は劇場公開時、人生初の単独上映観賞作品。 新規作画多数。新設定でナンバリングされたガンキャノンが2機に。ギレンに美人秘書が、ララアの軍服、セイラの入浴シーンと見どころが多い本作。 オープニングのキャメル艦隊戦、スクランブル発進の慌しさに対し静かな音楽、やけに落ち着いたアムロと鳥肌モノの演出が映える。 ただ、初期の第2次世界大戦みたいな世界観から、ニュータイプが連呼されてオカルトっぽさが増してきたのと、登場人物がほとんど軍属で、戦場が舞台になっているので、サイド6編はあるけど、一般人目線での楽しみは少なく思う。 “白い奴”。敵が恐れる程の怪物となったアムロは、行方不明だった父と再会するが、父は自分や母への関心をすっかり失っていた。 守るべき人も故郷もなく、ようやく出来た愛する人を殺してしまったアムロは、自分の能力を戦争を終わらせるため、ザビ家を倒すために使うことにする。 一方ララアを失い、アムロにも勝てなかったシャアにとって、キシリアを殺すことは目的ではなくなっていた。ザビ家を倒すことよりニュータイプの未来を見てみたいというのはシャアの本音だったと思う。 若者が社会で突出した能力を発揮すると、自分よりちょっと劣るが有能だった先輩に、突然ヤキを入れられることがある。最後にシャアがアムロに挑んだ白兵戦がそれかもしれない。『究極のセールスマンは、落ちている石ころすらも売れる』と言うが、言い換えると『商品・売り物に依存しない』と言う意味らしい。ガンダムの操縦能力だけがアムロの考える自分の存在理由だったから、それを使って世の中の為に戦争を終わらせ、ララアのもとに行く。まるで社会人が、退職後のハワイ旅行だけを楽しみに休みも取らず会社のために命を削るようなもの。戦争の元凶が滅び、アムロは父の作ったガンダムを捨て、母に会いに行ったコア・ファイターすらも捨てて、生きて帰るべき所、自分にとって本当に大事なものを見付けられたエンディング。『ビギニング』そして『めぐりあい』と、挿入歌のタイミングも神がかっている。 アムロの脱出を誘導するカツ・レツ・キッカ。戦場で能力に目覚めたという解釈が一般的だろうか?彼らはこの誘導以前に、Ⅱでガンダム工場の爆弾を全部外したり、アムロに爆発のタイミングを叫んだり、脱走するコズン少尉を先回りしてトラップ仕掛けたり、そもそもⅠのサイド7で一緒に行動していた親が死んだのに、この歳の子どもがピンピン生きていたことも、彼らこそが本当の意味(殺し合いの道具じゃない)での生まれながらのニュータイプだったからだと思う。ジオン・ダイクンが提唱し、両軍が研究している謎の新人類ニュータイプ。アムロら少年少女が、悩み苦しみながら覚醒する能力。でも次世代の幼い子どもたちは、当たり前に、生まれながらのニュータイプ(しかも無自覚)だった。というのがこの作品最大のオチだと思う。 『宇宙世紀0080、この戦いの後 地球連邦政府とジオン共和国との間に終戦協定が結ばれた』 TVと共通のナレーションが、戦争の終わりをアッサリと伝える。これでガンダムの物語は終わった。その後は戦争(グリプス戦争とかネオ・ジオン紛争とか)の無い、ニュータイプの作る平和な世界が生まれた。 …だけど再放送から爆発的な人気になり、アニメを見ない大人までも巻き込んで社会現象になる。ガンプラ、グッズ、SF考察、コスプレ集会。そんな中で作られたこの三部作映画の最後、富野監督から英語のメッセージが入る。 ~そして、今は皆様ひとりひとりの未来の洞察力に期待します~ という意味だそうだ。大人にまで広がったこのブームは、監督には予想外だったんじゃないだろうか?少年少女の成長のために作ったものを、大人の事情でほじくり返して、また作らされる。自分の意図しない売れ方は面白くなかったに違いない。 だとしたらあの英文は「みんな誰でもアムロみたいなニュータイプになれるんだよ」と言う優しい言葉というより、「さぁガンダムブームは終わったよ。アニメに夢中になるのはやめて、学校や会社で頑張るんだよ」という、歪んだ社会現象に対する監督からのメッセージに思える。 当時は今以上に英語が生活に浸透してない時代。辞書片手に英語が読める歳になったら、俺の言いたいこと解るだろう。というメッセージ。 だから、富野喜幸(本名)が作りたかったガンダムは、ここで終わり。 以降作られる富野由悠季(ペンネーム)のガンダムとは、切り離して観てください。[映画館(邦画)] 9点(2021-01-09 20:03:54)《改行有》

86.  機動戦士ガンダム 《ネタバレ》 テレビアニメに少し新規作画を加えて編集した劇場版だから、映画としての評価が難しい。けど、ガンダム三部作以外に、こんな特殊な制作過程を経た映画を評価する機会は少ないと思うのと、私自身、重度のガンダム好きなので、シリーズの広がりや、映画では描かれていない設定にはなるべく触れないで、この映画版のみを評価してみたい。 初見は小学一年の頃で、映画館で一人で見た初めての映画だった。オープニング、大画面一杯に迫るザクの顔に、かなりビビったっけ。 アムロの戦争体験は強烈で、敵による無差別攻撃と連邦軍の誤射で、ガールフレンドの母や祖父が死ぬのを目の当たりにしている。敵と戦わなければ死ぬ。自分が船を守らなければ全てを失う。15歳の少年には過酷すぎるアムロの戦争体験。 いつのまにか軍属にさせられたアムロは地球の故郷で母に会う。ホワイトベースが隠れてるポイントから約30kmの街。連邦軍の支配下で、街中には規律の乱れた連邦兵が昼間から酒を飲む。その近所の教会ではボランティアがキャンプを張っているが、そこには毎日敵のパトロール隊が見回りに来る…未来の世界なのに、戦線の距離感は戦国時代並みだ。戦争のこう着状態がずっと続いているから、こんな辺境ではたぶん両軍とも、適当に戦わずにやり過ごしていたと思う。 そんな街で敵兵を撃つアムロ。逃げる敵兵も撃つ。生き残る為に、敵を見たら殺すのがアムロの体験してきた戦争。なのに何で母は分かってくれないのか?母親にしてみたら、久しぶりに会った息子が積極的に人を殺そうとしたら、それはショックだろう。アムロは母と分かり合えない怒りを、敵の小さな前線基地にぶつける。戦争で自分が生き残る為には、敵は殺すものだから。 最後は敵軍の総帥の演説。打倒独裁が連邦軍の正義だが、アムロは何のために敵と戦うのか? 三部作で一番地味だけど、ベースとした第二次世界大戦の色が濃いのと、アムロ自身が普通の生活から戦争に巻き込まれて、自ら戦う過程、民間人から軍人(又は少年から社会人)になっていく過程が共感出来て、大人になってからは一番好きな作品。これを子供向けのロボットアニメでやってしまったのが凄いな。 作画は確かに残念。当時、今のようなDVDやBDがあれば、完全新規作画で作り直せたかもしれないけど、だけど丸っこいザクや作画の勢いとかが感じられて、これも悪くないと思える。あと『特別編』という音声取り直しのDVDが出ているけど、オリジナル版の鑑賞がおすすめ。[映画館(邦画)] 9点(2020-12-27 21:29:17)《改行有》

87.  アパートの鍵貸します 《ネタバレ》 ~The Apartment~そのまんま『アパート』。貸室という表現もあるようだ。 バクスターが部屋を貸すのは出世のためだから、金銭は求めない。だから部屋を貸すのは上司だけだし、むしろアルコールやクラッカーを用意するなど抜け目ない。出世するにはこういうゴマの擦り方もあるのか。 バクスターの部屋を4人も利用しているのが驚きだが、この映画の保険会社の名のある登場人物はみんな浮気してる。まったく、どいつもこいつも…会社のクリスマスパーティが描かれるが、あっちこっちでチュッチュチュッチュと…なんて会社だ。 シェルドレイク部長が家を追い出されたように、この当時でもやはり浮気の代償は大きい。それでも、してしまうんだな人間だから。 みんなが一目置く高嶺の花のキューベリック。笑顔も素敵だが、あのエレベーターのボタンの押し方がまた可愛い。そんな彼女も見た目とは裏腹に、結構ドロドロした人生を送っている。彼女には、自分の足を撃ち抜いた話を笑い話に出来るバクスターがどう映っただろうか。 睡眠薬を飲んだフランを助けるドレイファス先生。一番まともで一番真面目な人。こんな人がなぜ、若手社員のバクスターと同じアパートに住んでいるのか?最後バクスターから治療費を受け取らないし、お金目的じゃない本当に良いお医者さんなんだろう。 一方で手近な女性と社内不倫を繰り返し、決まったレストランの決まった席で密会するシェルドレイク。クリスマスに睡眠薬事件があったにも関わらず、大晦日にはまた部屋を貸してくれと頼む。せめて別の機会にするべきだし、少なくともほかのホテルかモーテルとかにするべきじゃないか? バクスターが重役トイレの鍵を渡すシーン。良い人バクスターが初めて見せる静かな怒り。そしてフランとの乾杯とトランプ。 テンポの良さと時代が変わっても不変のテーマ。クリスマスシーズンに見たくなる映画だ。[CS・衛星(字幕)] 9点(2020-12-21 01:29:05)《改行有》

88.  13デイズ 《ネタバレ》 “Thirteen Days”邦題まま。ギャリソン検事の記憶もまだ新しいウチに、今度はオドネル補佐官を演じるケビン・コスナー。ケネディの時代を掘り下げる、史実に基づいたドキュメンタリー映画です。 思えばこの作品が公開された時代、CGが日進月歩の進化を遂げて、色んな局面で映像に説得力を増す調味料として活かされていたと思います。ほんの一昔前だと、米ソ(そしてケネディと軍部)の駆け引きが中心の、画的にとっても地味な映画になったと思いますし、映画の冒頭、モノクロシーンを入れたりするのも『新規撮影部分に実際の記録映像を混ぜて使いますよ~』って思わせる前フリに感じました。 ところが、RF-8クルセイダーなんてマニアックな機体が、短時間だけどスピード感満点のCGで入ることで、動きの少ない事件なのに、活き活きとした映画になっていました。ここなんて別に、モノクロの前フリにならって、当時のクルセイダーの飛行映像を繋ぎ合わせても良かったのに、そうしない拘りっぷり。 振り返ると、当時の記録映像使ってるなぁってシーンが、驚くほど少ない映画だったんじゃないでしょうか?トータル5分も無いかも?ほぼ新規撮影&CGで再現。これって、ずっと昔からあった歴史ドキュメンタリー映画というジャンルの、新しい表現方法じゃないでしょうか?同じケビン・コスナーの主演のJFKから、僅か9年で、これだけ映像表現に広がりが出たんだなって感じました。カメラワークが過剰になる前のCGって、良いアクセントですよね。 夜のソ連大使館の煙突からモクモクと上がる黒煙。この歳になると、直接的な死の描写だけでなく、こういう演出に強い恐怖を感じます。これから起きることを想像する恐怖。自分の世界が壊される恐怖。 映画ならではの演出として、ソ連との戦争回避の光が見えた途端、軍部の挑発行為がブチ壊す。こんなタイミングの良さはきっと、映画ならではの演出部分…だとしても、映画的味付けの妙ですね。とても観ごたえがありました。[映画館(字幕)] 8点(2024-06-04 22:28:49)《改行有》

89.  アメリカン・ヒストリーX 《ネタバレ》 “American History X”『アメリカ史のX』。スウィーニー校長が落第寸前のダニーに課そうとした授業のタイトルです。ミスターXとかのX、つまり謎の人物Xです。この授業を通じて、ダニー個人のアメリカ史のXを解き明かしてみよう。という時事問題の討論授業で、最初の宿題が『兄弟』についてのレポートでした。兄デレクが起こした殺人事件が、ダニーや家族にどんな影響を与えたかをまとめる。というものでした。 ビンヤード兄弟の置かれた環境は、アメリカの下層市民の縮図のようです。彼らに影響を与える大人は3人。黒人スウィーニーは人種差別と真正面から戦う。白人キャメロンは裏でギャングを牛耳り、決して表には出ない。そしてユダヤ人のマーレー先生は母ドリスと付き合っていた時もあり、今はダニーの担任。 今まで最下層だった黒人の人権が確立すると、白人の中でも下層市民の立場が危うくなります。だから白人至上主義にすがるのは簡単な自己防衛手段で、キャメロンにとって好都合です。父親が亡くなり、社会的立場がより弱くなると、汚いユダヤ人が白人の家庭にまで潜り込んできます。マーレー先生にそんな気は無かったでしょうけど、兄弟には納得行くシンプルな答えでした。 刑務所の中の恐ろしい出来事。予想もしなかった救いの手。あんな経験をしないと人は変われないのか。一番近い弟だけに、デレクの考えに理解を示すダニー。やっと芽生えた希望が、あんなにも簡単に消える銃社会アメリカの奥深い闇。 この映画のおよそ9年後にアメリカで黒人の大統領が誕生し、更におよそ8年後、移民を受け入れない白人の大統領が誕生しました。そして昨日のトランプ氏有罪判決。アメリカ史のXは、未だXのままのようです。[DVD(字幕)] 8点(2024-06-01 23:00:52)《改行有》

90.  用心棒 《ネタバレ》 これは、格好良い。日本男児の格好良さが全部詰まっている。そんな気がする男の映画です。 一昔前までの、外国人が想像する日本人の男=侍。それって映像作品で言えば、かなりこの映画から来てるんじゃないでしょうか? 実際には勤勉で真面目で仕事が細かい日本人。その裏で、本作の桑畑三十郎のような日本人像も確かに存在します。 棒っ切れを投げて行く先を決める。悪党が覇権を争う街に、無関係なのに首を突っ込む。この男の行動原理が『楽しいかどうか』。居酒屋に戻っては“飯”を食い“酒”を飲む。大きな体で忍び足して、内緒話に聞き耳を立てる。自分の話題だとぺろっと舌を出す。こんなお茶目な男、女なら惚れてしまうだろう。一瞬で悪党三人も斬り殺す腕っぷしの強さ。こんな男に『おめぇ、強ぇんだってな?』なんて言われて喜ばない男が居るだろうか。ただ強いだけじゃない。寡黙な中に人間の魅力が詰まっている。 回転式拳銃と八州廻りが出てくるので、江戸時代末期の設定だろうけど、どこか異国感がありますね。女郎が踊る時の楽曲も賑やかでどこか南米風な味わいも…。米国の『血の収穫』という探偵小説を下地にしているそうで、そう考えると時代劇を下地とした西部劇『荒野の用心棒』の親和性が高かったのも頷けます。最後の見どころ、丑寅一家対三十郎。卯之助も亥之吉も見せ場もなく簡単に斬り捨てられます。日本の映画界で長年培われた殺陣の手法を廃し、徹底した現実主義を貫いた斬り合いが、時代劇の新時代を切り開いた黒澤作品らしく感じられます。[DVD(邦画)] 8点(2024-05-23 23:12:04)《改行有》

91.  その男、凶暴につき 《ネタバレ》 この映画の僅か3年前(え?たった3年前だったの?)、『たけしの挑戦状』というファミコンソフトが出ました。不良サラリーマンが海の向こうに宝探しに行く内容だったけど、ゲームを進めるには難易度が高すぎて、カラオケしたりパチンコしたりと町をブラブラするだけのゲームになってました。警官やヤクザはもちろん、無関係な市民や奥さん、子供まで、殴れます。 今思うと、たけしは“日常の中の暴力”を、ファミコンという新しい娯楽で表現しようとしたのかもしれません。ゲームバランスは滅茶苦茶だったけど、案外たけしの考えた通りの再現度だったのかもしれません。 『コドモには見せるな……』のキャッチコピーを覚えています。無抵抗な浮浪者を遊び半分で痛めつけ殺してしまう少年たち。橋の上から船のオジサンに空き缶を投げて「バカヤロー!」と叫ぶ子どもたち。自分を捕まえようとする刑事と取っ組み合いになり、バットで頭を殴る容疑者。自供させるために何発ものビンタ。日常生活でその辺にありそうな、街の片隅で偶然目にしてしまいそうな、目を背けたくなる暴力描写。『まさか自分がこんな目に遭うとは…』そんな被害者の声が聞こえてきそうな、爽快なアクション映画と違って、痛みを感じる映画でした。 暴力を振るう側が相手に対し躊躇してないこと。相手の受ける痛みを一切感じてないこと。この一方的な無感情の暴力が、観ている私に痛みを感じさせるんだと思います。また恨みや憎しみで暴力を振るっている訳じゃないのも恐怖です。そして暴力が行われるまでと、行われた後の“間”が怖い。痛いのは一瞬なんだろうけど、その前後がずっと痛い。もし私が現場を目の当たりにしてしまったら、きっと観なかったことにして通り過ぎようとするでしょう。そんな観たくもない暴力を延々と見てる気分で、何かとても生々しく感じました。 我妻と清弘。仕事仲間からも距離を置かれる2人。無機質な倉庫に指す光と深い影がとても印象的。無言で撃ち合う2人。正義も悪も無い、2人の狂気がぶつかり合う最後の対決は、延々と暴力を積み重ねた本作のクライマックスとして相応しい結末でした。[地上波(邦画)] 8点(2024-05-14 00:53:05)(良:1票) 《改行有》

92.  カメラを止めるな! 《ネタバレ》 ゾンビ映画なのに監督のゾンビ愛が全然感じられない。こういう自主制作っぽいので言えば『桐島…』の方がゾンビ愛あるかも。それらしい設定を適当にくっつけた、悪く言えばオイシイとこだけパクった、駄目シナリオじゃないでしょうか? 日本軍の実験って話はアリだけど、どうして西洋のオカルトに結びつけてしまったのかなぁ…ゾンビ発生の原因といえば、宇宙からの怪光線、科学薬品、生物兵器。このあたりがお約束です。 ゾンビ映画の起源はロメロ・ゾンビ。バタリアンやバイオハザードなんかもそうだけど、死人が蘇るファンタジーに、リアリティを持たせたから、今のゾンビ映画史があるのに、血で書いた五芒星じゃオカルトだよ。とてもじゃないけど映画好きの作ったゾンビ作品とは思えませんでした。 『ONE CUT OF THE DEAD』という番組の裏側から、日暮監督が、映画好きの延長ではなく職業監督になってしまった理由が観えてくる。元女優の奥さんは役に入りすぎるため引退を余儀なくされ、映画好きな娘はこだわりが強すぎて撮影現場をクビになる。妥協に妥協を重ねて続けてきたであろう、今の監督の仕事。職業監督は自分の“好き”を入れちゃ駄目なんですね。 イケメン俳優に自分で「作品の前に番組なんです」って言っていたのに、カメラが回ると「これは俺の作品だ!」ってアドリブ。最初の鑑賞では笑えて、複数回鑑賞後はアツいものを感じました。 このシーンをカメラ(モニター)越しに観ていた真央は、きっと神谷くんだけを観ていたんでしょう。あんな熱演を終えて戻ってきた父にも素っ気ない。 こんなどうしようもない作品の中で、監督は何故か五芒星にこだわりました。思えば本当のゾンビの起源はブードゥー教=オカルトなんですよね。日暮監督はゾンビ映画好きのお約束を敢えて入れず、コッソリとオリジナリティを入れようとしたのかもしれません。 「日暮さ~ん。作品の前に、番組なんです」機材の故障で、オチをアッサリ捨てるプロデューサーに、食って掛かる日暮監督。普段の父を知っているだけに、驚いてる真央の表情がイイんだこれが。父の番組なんてチャンネル変えてしまうくらい、どうとも思っていないのに、カメラには映らないところで繰り広げられる作品への情熱。真央が考える“戦場”で戦っている父の姿。 愛を感じないゾンビ映画の裏側に、息を殺して潜ませた監督の作品愛。トラブル続きの中、どうにか完成させるために奔走するスタッフ。そして最後に父を支えた家族愛。事前にオチを知る事もなく、また期待が高まり過ぎることもなく、無事、上田監督が観せたいものを観ることが出来ました。心から笑えて、ほっこり出来ました。そして『私は映画が大好きだわ』って、再認識出来ました。[映画館(邦画)] 8点(2024-04-10 23:58:47)(良:1票) 《改行有》

93.  ゴジラ(1954) 《ネタバレ》 日本ほど特撮怪獣が沢山創られた国はないでしょう。主にウルトラ怪獣ですが、ゴモラ、ゼットン、バルタン星人と、きっとどの世代でも名前くらいは知っているんじゃないでしょうか?そんな中で、元祖であり王者と言える怪獣がゴジラです。 私はちょうどゴジラ空白の世代でした。小さい頃、ウルトラシリーズは沢山再放送されていましたが、ゴジラ映画は観たことなくて。子供向けの雑誌などから『人類の味方として、悪い怪獣と戦う正義のゴジラ』なんてイメージがあった程度でした。そんな中“まだ白黒映画の時代、最初のゴジラは人類の敵だったんだよ。そして今度公開されるゴジラ('84)も、悪者なんだよ。”なんて聞いて、何かとても不思議な感じでした。 本作を最初に観たのは20歳くらいの頃です。街の焼ける様子、逃げ惑う人々から、まだ戦後間もない印象をとても強く感じました。公開年は、戦争が終わって僅か9年。でも僅か9年でここまで復興している日本の逞しさと、ゴジラという巨大なモンスターを創り上げた日本の受けた傷の深さが感じられました。 アメリカの水爆実験が生んだ怪獣ゴジラが、本土に上陸して無目的に都市を破壊する。令和に入った現在に至るも、唯一無二の被爆国として、当事者のアメリカ人を主要人物に出すことなく、原水爆を表現した作品と言えるでしょう。 どうしても後年のシリーズ化したゴジラのイメージに引っ張られていたため、今回始めてゴジラのデザインが理解できた気がしました。モノクロ映像のゴジラの、黒くゴツゴツしたあの皮膚は、水爆の高熱で表皮が焼け焦げてたんですね。 背中のヒレは皮膚に刺さったガラス片でしょうか。そしてゴジラは苦しみの叫び声を上げながら、自ら焼け野原にした東京の街を彷徨います。 本作公開の僅か9年前に、他国により自分の国が焼かれる地獄を観た人々が作った地獄絵図。この映画からは、他国に国を焼かれた恨み節より、日本をここまでしてしまった、原爆が落ちるまで戦争を続けてしまった、自ら国を焼け野原にしてしまった、そんな自責の念が感じられます。 山根教授のゴジラを保護し、生命力の研究をするべきだという主張は、今なお放射能被害に苦しむ被爆者たちを救うことが出来たらという気持ちからでしょう。そう考えるとオキシジェン・デストロイヤーは、例えるなら苦しみから逃れるための安楽死に思えます。 芹沢教授がオキシジェン~の研究成果ごと死を選んだ結末は、どんなに苦しくても前だけを見て生きていく。そんな日本の決意にも思えます。 本作を観てどう思うかは人それぞれですが、戦争で受けた傷を娯楽映画にしてしまう日本人のパワー。創意工夫。結果本作は、世界でいちばん有名な日本映画の一つになりました。[ビデオ(邦画)] 8点(2024-04-03 23:51:41)(良:4票) 《改行有》

94.  クラッシュ(2004) 《ネタバレ》 “Crash”『衝突』。多数の登場人物が、さっきまで自分とは無関係だった人と衝突することで、様々な影響を受ける群像劇。 こういう、誰かの行いが、他の誰かに影響を与え、連鎖していく映画ってとても好きです。点と点がどんどん結びついていく快楽とでも言うんでしょうか?そして人間は誰しも多面性を持っていて、善と悪だけでは別け切らない部分も、うまく表現できていたと思います。 この一本の映画で、登場人物の連鎖が綺麗にまとまることはなく、劇中で全てが完結していないのも、たくさんの人物の中から一部を抜粋しただけな感じがよく出ていました。 この映画を観て思ったのは、アメリカでは他人を人種で区別することでしょうか。黒人、アラブ系、メキシコ人、アジア人。怒りをぶつける時は、本人には変えようのない人種の部分を攻撃する。まぁ、日本でも職業とか学歴とかでマウント取るような人、居ますものね。公開された時代の関係もあるけど、銃砲店でのファハドへの暴言は酷い。ダニエルの入れ墨を見たジーンの反応は、過剰ではあるけど気持ちはわかるかな。 魔法のマントは2回観て2回とも泣けました。ファハドには奇跡。奇跡には理由があるけど、それを言わないドリ。ドリが銃砲店のあの短い時間で、数ある弾丸の中から“あの”赤い箱を選んだのは、彼女の職業が深く関係していたことに、2回目で気が付きました。 トムがピーターを撃つ。普段善人なトムの裏の顔とも言えるけど、善人だからこそ、ああするしか無かったとも言えるなぁって。誰も見てないんだから正当防衛になるよう、ピーターを路上強盗に仕立てる小細工とかも出来たろうに。 次もう一度観たら、また新たな気付きがあるかもしれません。[DVD(字幕)] 8点(2024-03-11 20:31:42)《改行有》

95.  エレファント・マン 《ネタバレ》 “The Elephant Man”『象男』。本作が日本でヒットした要因の一つとして、今と比べて、人権意識がまだまだ未熟だった当時の時代背景があると思います。 私が子供の頃、夏祭りのお化け屋敷の隣に見世物小屋がありました。小屋の入口の隣に、上半身裸のお姉さんが背中を向けて座っていて、マイクを持った興行主が、彼女が生きたニワトリを食べるとか何とかって、啖呵を流してました。小屋の中には牛と人のアイノコ『牛女』や、蛇を食べる『蛇女』なんかもいるそうです。興味はあったけど、正直怖いのと親と一緒なのとで、見せてはもらえませんでしたが… まだそんな時代に公開された本作。当時はホラー(恐怖)映画にジャンル分けされていたと思います。珍しいモノクロ映画。ポスターの不気味な布を被った人物。テレビでは倒されて悲鳴を上げる少女と迫りくるエレファントマンの映像(CM?)が流れ、頭巾の下にはどんな恐ろしい素顔が隠れているのか?って方向で宣伝されていたと思います。 また後年『マイケル・ジャクソンがエレファント・マンの骨を買おうとして断られた』なんてゴシップも独り歩きして、子供にも関心の高い映画でした。 初見はテレビのロードショー。思っていたのと違う内容に、下衆な好奇心は消え去り、彼の容姿の不気味さより、今まで置かれていた環境の悲惨さ、彼の豊かな感性と世間の残酷さから、「ジョン・メリック可哀そう」に変わっていきます。 彼の心の美しさと、トリーヴス先生や婦長さん、ケンドールさんの献身的な行いに暖かさを感じ、バイツや夜警の男に怒りを感じました。 当時、本作をホラーに分類するのは、メディアの悪ノリにも思えますが、ホラーだと思って観たからこそ、内容から受けるショックと感動が大きかったように思います。それは見世物小屋でトリーヴス先生が初めて彼を見て、一筋の涙を流すのに似た感覚を、私も味わえたのです。今振り返るとメディアのファインプレーじゃないでしょうか? 彼を取り返そうとするバイツにトリーヴスが言う「他の人間の不幸を利用して儲けてくれ」という台詞に、見世物小屋の小人が言う「俺たちみたいな人間には運も必要だ」という台詞が答えになっていて、とても現実的に感じました。 トリーヴスたちの行いは偽善なのか?見世物小屋に来る大衆と、病院に彼に面会に来る著名人、夜警に金を払って見に来る連中、劇場で彼に拍手を送る観客は同類なのか?世間という見えない存在が、彼をどう思うかでなく、彼自身がどう思うかが大事かも。 同じ見られる存在にしても、見世物小屋と舞台女優は違います。ジョン本人が会うこと・見られることを望むか望まないかが大きな違いです。 難しいテーマですが、彼はトリーヴスに助けられ、人間らしく生きる権利、自分で選ぶ権利を得たことが重要に思います。 でも彼は、夜警が自分を見世物にしても助けを求めない。彼が選ぶのは自分をどうするか?だけで、他人にどうしてほしいなどは望みませんでした。 そんな謙虚な彼が唯一他の人に望んだこと、駅で追い詰められた時「僕は人間だ」と叫ぶ姿が心に突き刺さります。 彼が最後に選んだのが横になって寝ることでした。聖書を愛読した彼が自死を選んだとは考えにくいですが、もし目を覚ますことがなくても後悔はない、そんな決意での就寝は、悲しくも幸せな結末でした。[地上波(吹替)] 8点(2024-02-26 12:05:56)(良:1票) 《改行有》

96.  グラディエーター 《ネタバレ》 “Gladiator”『剣闘士』。ですね。 巨大な闘技場で剣闘士が殺し合う。これもう、少年ジャンプの格闘漫画ですよね。私の世代はみんな大好きだと思います。主人公が普通の奴隷でなく立派な過去があり、暴君に家族を殺された復讐劇という勧善懲悪もの。戦いの舞台も、地方の小闘技場から中央の巨大コロッセオへ。自分や仲間もどんどんキラキラ装飾が増えていく。敵の甲冑も不気味なのから強そうなのまで。そんで戦車だ、寅だ、伝説の剣闘士だとグレードアップしていくのも、まさにジャンプの王道展開。優れた娯楽性です。 CGで表現の自由度が大幅に上がった、今からおよそ四半世紀前。本作以降、古代ローマ時代(とその近辺)を舞台とした映画が幾つか制作されていますが、この映画こそが知名度・完成度共にいちばん優れていると思います。 この年代辺りを頂点に、以降、猫も杓子もCGで創られるようになっていきます。それはそれでお金が掛かるんだろうけど、どんなに凄い映像でも『あ、これCG表現だな』って解ると、途端に安っぽく感じてしまいます。 本作ではコロッセオやローマ都市の俯瞰図といった、実物で再現できないものをCGで補っているのが解ります。そして昔ながらの実際に作られたセットに、豪華な衣装。本物の馬車に戦車に装飾品やら小物やら。つまり、メチャクチャお金が掛かってるのが感じ取れます。映画観るのにどうせお金を払うなら、CGのアニメじゃなく、ゴージャスな本物を観たいもの。本作はそんな欲求を満たしてくれます。 マキシマス将軍が家族の復讐を果たし、悪のコモドゥスを倒して、ローマに一筋の平和が訪れ、仲間の奴隷は故郷へと帰っていく。シンプルで良いですねぇ。ストーリーは創作部分がたっぷりで、本作を史実と比べるのは無意味だと感じます。本作をキッカケにイメージを膨らませて、史実に興味を持つのが正しい見方でしょうね。でもこの時代の人の名前って、長くてみんな似てて、難しいなぁ。[DVD(字幕)] 8点(2024-02-18 16:19:37)《改行有》

97.  ガープの世界 《ネタバレ》 “The World According to Garp”『ガープの目から見た世界』。ストーリーを文字で起こしてみると、かなり悲壮感漂う内容。にも関わらず、明るくて可笑しくて、不思議な映画です。 観せかたも斬新で、OPののんびりとした『ホエン・アイム・シックスティ・フォー』にのって、ゆっくり空を舞う赤ちゃん。のどかですね。幼いガープの空想で、父親がアニメーションで出てくるのもほのぼのしてます。交通事故のシーンは衝突音とと静止画。ウオルトにゆっくりズームするカメラで、何が起きたかを連想させるのも上手い手法です。 ガープの出生はかなり衝撃的で、ジェニーの話に驚くとともに、校長先生の「君は死にかけている男をレイプしたのか!?」にとても共感してしまう。こんな人がベストセラー作家になって女性解放運動の中心人物になるのは、世の中は物事の一面だけを見ているんだなって思えました。 エレン・ジェームズ運動。エレン本人が望まないのに運動を続け、自分の舌を自ら切り落とす抗議運動は、本人たちの自己満足でしか無い。女性の自立は望ましいことでも、その方法は間違ってるんじゃないの?って、そんなメッセージにも思えました。 ガープも自己中な男で、クッシーとの関係を続けながらヘレンを口説こうとします。結婚後も最初に浮気したのはガープなのに、疑われると逆ギレ。子供の寝顔を見て「最高に幸せだ」なんて、どの口が言うのか。一時停止を無視する乱暴運転の男にキレるくせに、自分は無灯火運転で事故を起こす。ベビーシッターとの一件がバレてないからって、いつまでもヘレンを許さないガープの人間性は褒められたものじゃありません。 クッシーとプーの姉妹。Poohはうんこで、Cushyは快適=快楽。音がPussyに似てるってのもある?一人はガープに快楽を与え、もう一人は死を与えた。 この映画の中では一番異彩を放つロバータが、一番マトモです。 …なんか全然まとまりが悪いですね。まとめられない所がこの映画のレビューっぽいかな?空を飛びたい少年が、人生の最後にヘリで運ばれて、何か上手くまとまった感じに思える。そういう、捉えどころのなさもこの映画の魅力かと…[地上波(吹替)] 8点(2024-02-12 18:21:18)《改行有》

98.  桐島、部活やめるってよ 《ネタバレ》 タイトルがもう、気になって気になって。『桐島くんが出てこない映画』って情報は入ってたけど、他は何も知らない状態。やっぱ永年指名手配の桐島聡から名前持ってきたのかなぁ?なんて思っていたところ、先日聡の方が出てきたので鑑賞。 同じ時間を、違う人物の目線で、何度も何度も繰り返す。なんか面白い。さっき声掛けたのはこの子達だったのか。みたいな多面的な捉え方だけでなく、あの場面をどんな気持ちで観ていたのか?とか。他人の目線では分からなかった本人の気持ちがよく分かる。上手い。 スクール・カースト上位・下位という大きなククリだけでなく、グループ内にも上位・下位があり、その表現がまた妙に生々しくて。私とは世代は違うんだけど『当時そういう気持ちになったわぁ~』と学生時代が懐かしく思い出される。 カースト下位の者が、上位の者の気持ちを汲み取り、機嫌を損ねないように気を使うところ。実果が表向き沙奈に気を使い、かすみには本音を話す。沙奈はトップの梨紗の親友ポジションを自負してるから、それを維持するための下位への行動が、まるで中間管理職。 カースト最底辺の映画部部長が、吹奏楽部部長と戦うところ。カーストの上下が曖昧どうしの戦いは、ある意味異種格闘戦のよう。その場所じゃなきゃダメな亜矢の言い分は、まるでCGアニメのピーピング・ライフのような可笑しさを感じた。 ちょっと顔が怖いのに優しい野球部キャプテン。カーストの上下がひっくり返ってる宏樹との関係も、どこか可笑しい。 桐島がキャプテンだったバレー部。戦力ダウンの責任を同じリベロの風助に擦り付け、練習名目で鬱憤をぶつける。 桐島がもたらせた衝撃。彼が並ぶ者の居ないカーストの絶対的トップなのが伝わる。自分の彼女にも親友にも事情を伝えず、突然全てを決めた桐島。本人不在のカースト下位たちが、勝手に右往左往しだす。 そして、思っていたのと全然違うスケールの結末に、この映画が大好きになった。あ、この映画の主人公は宏樹でなく前田だったんだ。 野球部キャプテンが宏樹に掛けた最後の言葉。一番に屋上を後にする風助の言葉。映画を撮り続ける前田の言葉。出来るのにやってこなかった宏樹のこれからが始まる。主題歌もまた良いんだわこれが。[DVD(邦画)] 8点(2024-02-03 19:00:11)《改行有》

99.  キャリー(1976) 《ネタバレ》 “Carrie”邦題まま。人名。'70年代はキリスト教に絡んだオカルト・ホラーの名作が多いですね。 高校生の時、私の家でホラー映画を観ることがあって、映画に詳しくない友人がレンタルビデオ屋さんに行き、店員さんにシチュエーションを伝えて、オススメされたのがコレ。夏の暑い夜、私の家(もちろん実家)のエアコンもない6畳間で、男女6人でキャリーを観る…レンタル屋の店員さんが、なぜコレを選んだのか、とても疑問。 いきなり金髪ギャルのハダカが惜しげもなくブリンブリン出てきます。当時はボカシが入ってたと思いました。そして初潮とイジメ…まだそんなに親しいというわけでもない私たちには、ちょっとハードル高かったです。ただ最後ビシッと決めてくれて、“怖い映画観たい欲”は一応満たされ、盛り上がれましたよ。 当時は血まみれで生徒を殺すキャリー(シシー・スペイセク)のビジュアル面が怖かったと思ってました。でもこの歳になって観ると、キャリー可哀想ですね。母親が熱狂的な信者なため、普通の暮らしが出来ず、虐められてしまう。変な“チカラ”も発動してしまう。それでも普通の女の子に憧れるキャリーが、いじらしいです。反省部屋のキリスト像が怖い。どういう仕組みで目が光ってるんだろう?自分の娘をぶって閉じ込める母親。どう見たって虐待だけど、街の人もあの母親と関わりたくなかったんだろうな。 さて普通の女の子になりたいキャリー。図書室で鉛筆咥えて本を探してて、急にトミーに話しかけられてふじこふじこしてるキャリーが可愛い。ちゃんと受け答えも出来るし、返事しないで走って逃げるなんて、少女漫画のヒロインの王道だよね。 ドレスアップして綺麗になって、トニーの車でプロムにいって、自分で車のドアを開けようとして『あっ』って思って、トミーに開けてもらうのを待つ時の表情がまた最高に可愛いんだ。 この映画で救いなのは、スーもトミーも本当にいい子たちで、その友人たちもキャリーを受け入れてるところ。彼女はこれから、普通の“綺麗な”女の子として、まともな暮らしをしていける。何度も観た映画だけど、あの大惨事が起きるのは知ってるけど、キャリーの幸せを願わずにはいられなくなってしまう。 全てをぶち壊した大惨事。成功して喜ぶ赤帽女と、たまたま隣りにいたトミーの友達とその彼女の表情の違いが秀逸。 パニックになったキャリーの目には、味方と思った同級生や、コリンズ先生までも自分を笑ってる幻覚を見てしまう。…でも無関係な生徒たちは、ドッキリ企画か何かだと思って笑ってる。 自分を笑った連中に復讐するキャリーがただただ可哀想。最後に母親に抱きつくしか出来ないキャリーが可哀想。そして…可哀想。 原作はS・キングの長編デビュー作です。うろ覚えですが、キャリーの起こした事件を、新聞記事や生存者のインタビュー記事で振り返る、ちょっと変わった構成になってたと記憶してます。映画も素晴らしいけど原作も素晴らしかったですよ。[ビデオ(字幕)] 8点(2024-01-30 21:33:40)《改行有》

100.  グラン・トリノ 《ネタバレ》 “Gran Torino”『フォード・トリノの一部車種の愛称』。日本だとスカイラインの、GT-Rじゃなくジャパンとか鉄仮面だと思う。 ウォルトはアメリカの輝かしい時代を生きた世代だ。'50年代に青春を過ごし、朝鮮戦争で戦ったのちフォードの工場で働き、愛する奥さんと二人の息子。郊外のニュータウンに一戸建てを持った男の余生、成れの果て。 2000年代、アメリカは様変わりしていた。ニュータウンは寂れて老朽化し、残っているのは老人とヨーロッパの移民系。金のある白人はもっと利便性の良い地域に移り住み、代わりに入ってくるのはアジア人。若者は移民や黒人のギャング。奥さんに先立たれ、息子はトヨタに勤めていて、孫はみんな馬鹿。 当時イーストウッドは78歳。いつ死んでもおかしくない年齢の男から観たアメリカの小さな街。あの街はアメリカの縮図。ウォルトは決して裕福ではない。広いとは言えない建売りの家をピカピカにして、小さな庭の芝を刈り、欠かさず国旗を掲揚している。グラン・トリノも当時大人気のマッスルカーってほどではなく、燃費の悪い中型のアメ車。ウォルトはアメリカの中流家庭の、プライドの塊のような男。 また'50年代の白人文化を過ごしてきた世代からの警告のカタチも取っている。白人中心のアメリカ社会も、アメリカ中心の世界も、今後更に変わっていく。 奇しくも公開年に起きたのが、サブプライム・ローン問題を起点としたリーマン・ショック。今の時代のウォルトのような中流以下の住宅ローン債務が焼き付いて、大手銀行が破綻するまでのダメージに発展し、アメリカ経済がどん底に落ちていった最中の公開。 この街の若い白人は、スーの友達のようなナヨナヨした白人しかいない。移民たちを受け入れて行くしかない現実がある以上、どんな人達と共に生きていくかを考えなくてはいけない。世界の警察だったアメリカは、他民族に銃を向けるのではなく、他の方法で解決をしなければいけない。 ギャングと戦う決意をしたウォルトは、白人の誇り高いスピリットは神父に残し、アメリカの輝かしいプライド(グラン・トリノ)はタオに残した。 最後ウォルトの手に残ったのはジッポーライター。これもまた、アメリカが世界に誇った古き良きアメリカ製品の象徴であり、消えゆくタバコ文化の象徴。[DVD(字幕)] 8点(2023-12-23 11:24:57)《改行有》

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