みんなのシネマレビュー |
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1101. 情婦 「情婦」という言葉の意味を、辞書で調べてみた。 辞書によると、“男の情人である女”、“色女”とあり、あまり良い意味合いではない。 アガサ・クリスティの原作の原題が「Witness for the Prosecution(検察側の証人)」であることに対して、この邦題が作品にふさわしいかどうかには、いささか疑問が残る。 ただ、この映画で描かれる“女”の愚かしさ、そして儚さを何とか表現しようとした時、「情婦」という言葉は、決して意味合いが一致するとは言えないが、ある視点から捉えればあながち外れてはいないのかもしれないと思った。 ビリー・ワイルダー監督が、エンドクレジットでわざわざ結末の「他言無用」を掲げていることが、この上なく理解出来るほど、ラストの顛末が総てだと言える映画だった。 古い映画らしく、全編通してカメラワークの動きが少ない淡々とした法廷サスペンスが展開される。 この淡々とした法廷サスペンスに、どれほどの“驚き”が含まれるものだろうか。 疑心暗鬼な思いが大いに膨らんできた頃、ビリー・ワイルダーが他言を禁じた「結末」が訪れた。 いや参った。素晴らしい。“驚き”に対して充分に構えた上で、それでも驚かされた。 素晴らしいのは、その衝撃の展開においても、映画のテンションが劇的に転じるというわけではなく、一貫して淡々としたままであるということだ。 場面も変えず、登場人物の台詞のみでこの作品の核心である衝撃を表現し切っている。 「結末」を得ると、それまでの淡々とした展開も、敢えて観客に感情の焦点を絞らせない深い計算によるものだったのだと思い知る。 アガサ・クリスティの原作の高尚さもさることながら、ビリー・ワイルダーの卓越した映画術が如実に表われた結果だと思う。 「真実」の表と裏、男と女の愚かさと切なさ、そして、それらを総て含めた人間の感情の妙に溢れた結末に身震いした。 中盤、深夜の鑑賞には堪え難い眠気に包み込まれそうになったが、用意されていた顛末によってそれは一気に消し飛んだ。 更には、観終わった直後に再びクライマックスを観直してしまった。 ようやく涼しくなってきた秋の夜長、襲ってきた睡魔を見事に返り討ち、「映画鑑賞」の本質的な充足感と幸福感を与えてくれたこの映画は、「名作」の名に相応しい。[DVD(字幕)] 10点(2010-09-12 10:25:22)《改行有》 1102. 仁義なき戦い 代理戦争 現在(2010.9)放映されている某ビール会社のCMで、御年77歳の菅原文太が、物凄い風格を携えて立ち飲み屋でビールを飲んでいる。 ただのCMだが、菅原文太という大俳優のスター性を改めて感じた。それと同時に、昭和の日本映画史を彩ったスター俳優も、自然の摂理の中で徐々に少なくなってしまったことに一抹の淋しさを覚える。 そんな思いもあって、菅原文太の映画を観たくなった。彼の代表作と言えば、一にも二にも「仁義なき戦い」だろう。数年前に第一作目を観て、その溢れ出る映画のエネルギーに圧倒された。 番外編と評される第二作目を飛ばして、深作監督作品のシリーズ中、最も評価の高い第三作目の今作を観た。 「代理戦争」という副題が表す通り、やくざの組織対組織の思惑がぶつかり合う”かけひき”の様が色濃く描かれた作品だった。 菅原文太演じる広能昌三も、やくざ組織の中の愚かしい欲望の乱立の中で鬱積する場面が多く、一作目のような強大なエネルギーとインパクトは得られなかった。 やくざ映画らしい抗争シーンは何度か挟み込まれるが、トータルすると、どこの世界でもあり得る“政治劇”を観ているような印象を持った。 菅原文太の憤りが溢れる苦悩の表情で映画は終わってしまうので、観ている方もカタルシスが満たされぬまま苦悶してしまう。 どうしてこの作品がシリーズ中、最高評価を得ているのかは理解出来なかったが、シリーズを転換させていくための作品としては重要な人間模様を描いていると思う。 そして、単純に血で血を洗いのし上がっていく様だけを描かず、今作で描き出されたようなやくざ社会の中での“政治”の様や、盃の取り交わしと裏切りが表裏一体であるこの世界の異様なまでの愚かしさまでを、徹底して描き連ねたことが、この映画の孤高の価値に繋がっていると思った。 飛ばしてしまった第二作目も含め、この際、全シリーズ作品を観てみようと思う。[DVD(邦画)] 6点(2010-09-10 16:25:37)《改行有》 1103. ナイル殺人事件(1978) 《ネタバレ》 数多のミステリー作品のもはや「礎」とも言えるものが、アガサ・クリスティのミステリーだと思う。それは「王道」であり、ありきたりに感じようが、展開が強引で腑に落ちないと感じようが、否定出来る術は無い。 ただその「王道」に対して、敢えてというか、改めて苦言を呈することができるのならば、一つだけ言いたい。 現場となる遊覧船に同乗しながら、3度の殺人を繰り広げられ、挙げ句犯人の死も食い止められずにいて、よくも「いい推理だった」なんて言えたものだ……。 これまで他の作家の作品でも大いに感じてきたことだが、物語を冷静に振り返ると、その違和感はいつもつきまとう。 ただし、そういう違和感を感じたからと言って、この映画が面白くないなんてことは断じてない。 それは、アガサ・クリスティーのミステリーにおける「王道」ぶりは、その違和感さえも含むからだ。 一見すると、ミステリーの主人公は「謎」を解き明かす“名探偵”のように思える。 でもそれは間違いで、ミステリーの主人公は事件の発生によって巻き起こる「謎」そのものであり、そもそも「謎」が生まれそれが解き明かされない限り、主人公は登場すらしないことになる。 エルキュール・ポワロをはじめとする名探偵は、物語の狂言回しに過ぎないのだ。 入り組んだ「謎」を物語の中で優雅なまでに繰り広げ、狂言回しの名探偵がその正体を浮かび上がらせ、犯人の死によって締める。 そのすべてが、ミステリーに許された「美学」であり、それを如実に反映したこの映画もその優雅な美意識に溢れている。[CS・衛星(字幕)] 7点(2010-09-09 14:53:27)《改行有》 1104. スネーク・フライト 《ネタバレ》 ギャングが証人抹殺のため、獰猛な毒蛇の大群を飛行機に忍び込ませ全乗客ごと墜落させてしまおうとする。 その滅茶苦茶な設定の段階で、このB級映画の成功は確約されたのかもしれない。 数年前にレンタルが開始された時点で、サミュエル・L・ジャクソン主演ということもあり、「一見の価値」はあるだろうと確信していたのだが、ようやく鑑賞に至った。 良いね。予想通りに良い「B級パニック映画」だった。 ヘビ嫌いの者にとっては思わず目を背けたくなるようなヘビの大群の問答無用に“ウジャウジャ”な様が、まず容赦ない。 それが完全密室の飛行機内を席巻するわけだから、その恐怖感は他のモンスターパニックとは異なり、リアルな分精神的に怖い。 むかつく脇役キャラがお約束のように酷い殺されたり、意外な脇役が窮地を救ったり、思わぬ恋模様や感動が生まれたり……。 ストーリーに内容なんてあってないようなもの。 でもそれが、この手の映画の「王道」であり、それを貫き通しているこの作品の価値は高い。 惜しむらくは、「犬」が生き残っていなかったこと……。最後の最後で飼い主の元へ戻ってくるシーンを期待したのだが。それがあれば更に痛快感がプラスされていただろう。[DVD(字幕)] 6点(2010-09-08 15:30:16)(良:1票) 《改行有》 1105. M:i:III 《ネタバレ》 映画を始めとする作劇上の用語に「マクガフィン」という言葉がある。 何かしらの物語を構成する上で、登場人物への動機付けや話を進めるために用いられる仕掛けの一つ。登場人物たちにとっては重要なものだが、作品の構造から言えば他のものに置き換えが可能で重要なものではないものの総称である。(Wikipedia他調べ) この人気スパイ映画シリーズ第三弾は、この手の映画の常套手段である“マクガフィン”を、敢えてただの“マクガフィン”としてのみ存在させることで、スパイ映画の王道を踏んでいる。 初見時はその企みに対して、ただ単にベタなだけに見えてしまい、マクガフィンの正体が説明されないことに対しても納得がいかず、不満足に繋がってしまっていた。 だが、改めて見返してみると、敢えてストーリーに膨らみを持たせず、むしろ薄っぺらなものにした製作陣の意図が明らかになった。 この映画はストーリーの妙を楽しむものではなく、スパイ映画らしい豊富なガジェットや作戦の裏側をつぶさに見せることによる娯楽性を楽しむべき映画なのだ。 そういう意味では、往年の映画を愛するJ・J・エイブラムスらしい映画愛に溢れた作品だとも思える。[ブルーレイ(字幕)] 7点(2010-09-06 15:43:57)(良:1票) 《改行有》 1106. 処刑人II 《ネタバレ》 前作「処刑人」を観てからもう10年も経つ。 先ず思ったのは、あのスタイリッシュな映像センスと冒険心に溢れたアクション映画の続編が、何故このタイミングまで公開されなかったのかということだった。 “万年ネタ不足”に悩まされる今のハリウッドであれば、とうの昔に続編が製作されていて、下手すりゃ「3」とか「4」まで作られていてもおかしくはない。 どうやらその答えは監督のトロイ・ダフィーにあるらしい。 かなりの問題児らしく、前作の製作の段階でも大手製作会社ともめにもめて、結局ほとんど自主製作のような形で撮ったとのこと。 とにもかくにも、根強いファンからの待望論も手伝ってようやく日の目を見た続編。 10年という年月は流石に長くて、前作が「想像以上に面白かった」というインパクトは確実に残っているのだけれど、実際どんなテンションの映画だったかということに対する記憶が正直薄れてしまっていた。 そんなわけで、10年前の記憶を思い起こすように手探りで映画を観始めた。 冒頭から何となくテンポの悪さと、過剰なバタ臭さを感じ、居心地の悪さを感じた。 「何かが足りない」と思い、蘇ってきたのは「彼」の存在だった。 前作で、超個性的な敏腕刑事役として登場したウィレム・デフォーが居ない。 「出演交渉がうまくいかなかったのか……」と残念に思いつつ、中盤に差しかかった。 すると、一転して映画のテンションが加速する。 そこまでどこか遠慮していたようなテンポの悪さが無くなり、前作を彷彿とさせるインパクトが映画を包み込んだ。 そうしてクライマックスまで突っ走り、最後の最後で、唯一欠けていた“ピース”もちゃんとはめ込んでくれた。 過剰で無意味な演出やムラも感じられたが、トータル的には前作のファンも満足できる続編だったと思う。 [ブルーレイ(字幕)] 6点(2010-09-06 00:10:19)《改行有》 1107. 天然コケッコー 登下校の何気ないひと時、遠い昔の記憶は、いつも奇跡のように思い出される。 それは、全校生徒が数人しかいない田舎の小中学校に通っていなくても、誰しもが持つ経験だと思う。 この映画は、単純に田舎の純朴さや雰囲気の良さを描いているのではなくて、そういったすべての人が持ち得る「遠い記憶」の何にも代え難い「価値」を描いていると思った。 主人公の中学生たちは、決して人間として完成なんてされていない。当たり前だ、中学生なのだから。 そんな彼らが、まわりの人間や自分自身の言動によって、喜び、傷つく。 全編通して、それほど大きな事件が起こるわけではない。むしろ「何もない映画」と言えるかもしれない。 しかし、日々の生活の中のたった“一言”が、彼らに生活の中では大事件であり、心は大きく揺れ動く。 きっとそれは誰しもが経験し、成長とともに徐々に薄れていく感受性なのだろう。 でもそれは全く無くなってしまうわけではなくて、それぞれの人間の奥の方に、ずうっと残り続ける。 そんな感覚をそっと思い起こさせる映画だった。[CS・衛星(邦画)] 7点(2010-09-05 08:54:02)《改行有》 1108. 特攻野郎Aチーム THE MOVIE 「特攻野郎Aチーム」のテレビ放映を観ていたのは、どうやら4、5歳の時らしい。 具体的な内容はほとんど覚えていないけれど、大好きなテレビ番組であったことだけははっきりと覚えている。 たぶん、自分の意志で観ていた生まれて初めての海外テレビドラマだっただろうと思う。 今なお人気の高い往年のテレビシリーズを、今になって映画化することは、リメイクブーム全盛の映画界であっても非常に困難なプロジェクトだったと思う。 多くの人たちに愛されたシリーズとそのキャラクターたちを、もう一度観てみたいと思うと同時に、新たに描き直されたものに対して違和感を覚えないはずが無いからだ。 実際、違和感は確実にあったと思う。 が、そんな違和感は早々に吹き飛ばされる。 映像技術の進歩により、ド派手なアクション映画なんてものはもはや溢れ返っている。 あらゆる映像表現が可能となった今、単にアクションの派手さなどで驚くことは、実際少なくなってきている。 そんな中にあって、久しぶりにアクションシーン自体に心から興奮した。 ただのド派手なアクションシーンではなく、“馬鹿馬鹿しいほどにド派手なアクションシーン”に高揚するあまり、映画の中の“特攻野郎”たちと同じように、笑いが止まらなかった。 あの高揚感こそが、この映画のすべてだと思う。 正直なところ、遠い昔に観ていたテレビシリーズの愛着を汚されるのではないかという危惧もあった。 しかし、純粋に追求されたこの映画の娯楽性は、まさしく「特攻野郎Aチーム」のそれであり、映画を観終わる頃には、すっかりリーアム・ニーソン率いる現代に蘇った「Aチーム」が大好きになっていた。 あの懐かしいテーマ曲と共に流れるエンドロールを観ながら、何よりも悔やまれたのは、売店で買ったポップコーンを上映予定作品の予告編が終わるまでに食べ切ってしまったこと。 この最上級の“ポップコーン・ムービー”を、ポップコーンを食べながら観られるチャンスをみすみす逃してしまった。(小銭が無かったのをケチってMサイズにしたのが間違いだった……Lサイズにするべきだった……)[映画館(字幕)] 9点(2010-09-04 01:14:19)《改行有》 1109. 月に囚われた男 月世界の静寂の中で響く繊細な旋律が印象的な映画だった。 美しく響き渡る音色が、殊更に映画世界に満ちる“孤独感”を際立たせた。 月の裏側で唯一人、貴重な地下資源の採掘業務に従事する男。 孤独と望郷の念に耐え続け、3年間の任期終了まであと2週間に迫った時からストーリーは始まる。 主要キャストは、主演のサム・ロックウェル“一人だけ”だということは認知していたので、果たしてこの性格俳優の「一人芝居」でどのように映画を転じさせていくのか。 もしかすると、物凄く地味で独りよがりな映画なのではなかろうか、という疑念も持ちつつ、映画の「試み」に対して非常に興味深かった。 しかし、その想定は数奇なSFスリラーの展開により、良い意味で裏切られた。 アイデア自体は「奇抜」という程では無いのかもしれないが、“驚き”への導き方と見せ方がとても巧い。 一人の男の淡々とした描写から、突如スリラーの渦に放り込まれる感覚。そのストーリーの転換を、決して映像や音響の急激な変化に頼るのではなく、一つの「視点」の変化のみでさらりと、だが劇的に成している。 そして、このSF映画が素晴らしいのは、ストーリーにおける“驚き”が映画のハイライトではないということだ。 “驚き”はスパイス的な一要素に過ぎず、そこから始まる悲哀に溢れたドラマこそが、この物語の核心となる。 主人公に課せられたあまりに残酷な運命。 それを受け入れる様、それに抗う様、相反する“二つの姿”の在り様こそが、この挑戦的なSF映画の深さであり、面白味だと思う。 SFとは科学的空想であり、だからこそ、そこには人間の心理描写が不可欠だと思う。 人の精神と科学が結びつき交じり合い、無限なる世界が創造される。 手塚治虫の「火の鳥」や、藤子・F・不二雄のSF短編漫画を彷彿させる、広大な奥行きを備えたSF映画だ。[ブルーレイ(字幕)] 8点(2010-08-30 00:05:23)(良:2票) 《改行有》 1110. 戦場でワルツを 戦争を描いた映画や小説の評において、「戦争の狂気」なんて言葉は、もはや常套句で、自分自身も何度も使ってきたように思う。 だが、実際問題、自分を含め多くの人々は、その言葉の意味をどれほど理解出来ているのだろうか。甚だ疑問だ。 「パレスチナ問題」は、ほとんどすべての日本人にとって、“対岸の火事”である。 重要なことは、先ずその自分たちの認識の低さを認めることだと思う。知ったかぶりでは、何も生まれない。 そういう「無知」な状態で観た映画であり、そうである以上、その視点からの映画の感想を述べるべきだと思った。 感じたことは、あの遠い国で繰り広げられ、今尚くすぶり続ける戦争において、人々の心を蝕むものは、もはや「狂気」などではないように感じた。 長い歴史の中で、繰り返される憎しみの螺旋、それを断ち切れない人間そのものの「業」だと思う。 だから、敢えて言わせてもらうならば、映画の主人公が抱えていた”心の傷”に対して、今更何を言ってるんだというような不自然さを拭えなかった。 問題は今この瞬間も決して解決していなくて、血を血で洗っている。そんな中で、この映画の表現は、本質的に非常に浅いように感じてならない。 特徴的なアニメーションは、映像表現としては素晴らしかったと思う。 ただし、最終的に「実状」を現実的な映像で見せてしまうのは、メッセージ性は別として、表現方法としてフェアではないと思った。[DVD(字幕)] 3点(2010-08-28 13:45:34)(良:1票) 《改行有》 1111. 西の魔女が死んだ 大切な人の死に面した時、「ああしておけばよかった」「あんなことしなければよかった」と後悔しないことなんてないと思う。 その後悔は、時に自己嫌悪に陥るほどに大きくなり、自身を苦しめる。 でも、もし「西の魔女」からのようなメッセージが届いたなら、どれほど救われることだろう。 ラスト、そのあたたかさに涙が溢れた。 映画作品としては、決して完成度が高い作品とは言い難い。 原作は未読だけれど、おそらく、文体で表現された世界観を充分に表現出来ているとは言えないだろうと思う。 それはこの物語が、あまりに繊細で理屈ではない人間同士の心の交じり合いを描いたものだからだ。 映画を観ていて、そのテーマ性自体は伝わってきたけれど、映像表現や演技がそれを伝え切れているかというと、疑問は残った。 “おばあちゃん”を演じたサチ・パーカーが、女優シャーリー・マクレーンの娘だということを、今作の観賞後に知った。 先日、「アパートの鍵貸します」を初めて観て、若かりし日のシャーリー・マクレーンの魅力に触れたところだった。親日家の彼女が、娘の名前に「サチコ」とつけたということを思い出した。 面白い偶然に何だか感動し、この奇遇は、母と娘と孫娘の関係を描いたこの映画にふさわしいようにも思えた。[CS・衛星(邦画)] 6点(2010-08-27 12:17:34)(良:1票) 《改行有》 1112. ノートルダムの鐘 ディズニー映画として、あまりに毛色の違いを今作には感じていた。 加えて、古典文学を題材にしたヨーロッパ文化向けの作品だろうという印象を無意識に感じており、何となく敬遠していた部分もあった。 確かに、他のディズニー映画に対して明らかな毛色の違いはあった。 しかし、だからこそ他の映画には無い深い面白味があったと思う。 原作はヴィクトル・ユーゴー。「レ・ミゼラブル」の原作者らしく、善と悪の両者の存在性の内面部分までをじっくりと描いた物語だと思った。 醜い出で立ちで生を受けた主人公、彼を大聖堂の鐘楼に閉じ込め鐘衝きとして育てた独善的な最高裁判事、ジプシーの美しい踊子、正義感に溢れる警備隊長、それぞれがそれぞれの立場において苦闘し、全うする姿には、善と悪という単純な構図を越えた人間の業が表われていた。 今作のハッピーエンドは原作小説とは異なるらしいが、ディズニー映画にである以上、それは仕方の無いことだろう。 それよりも、ダイナミックで美しいビジュアルはとても印象的だった。 また、他のディズニー映画がテンポの軽いミュージカル調のものが多いのに対して、今作は全編通してシリアスなオペラを見ているような重厚さがあった。 題材が題材だけに、アニメーションだからこそ描けた部分もあったかと思ったが、実写版もかなり古くに製作されており、その実写作品のビジュアルにこのアニメ作品が忠実だったことは驚きだった。 機会があれば、実写版も観てみたいものだ。[CS・衛星(吹替)] 7点(2010-08-24 13:44:44)《改行有》 1113. アラジン(1992) 5歳のとき、幼稚園のお遊戯会で「アラジンと魔法のランプ」の劇がクラスの出し物で、僕は主役のアラジンを演じた。 ターバンとテカテカの派手な衣装を着て、セリフと音楽に合わせて踊り、ボール紙に金の色紙が全面に貼られたランプをこすった。 今思い返すと、非常に気恥ずかしいが、良い思い出だ。 そんなわけで、この千夜一夜物語(アラビアン・ナイト)の一説とされる物語に対しては、とても愛着があって、当然このディズニー作品もとっくに観たものだと思っていた。 が、ふと振り返ってみると、どうやらちゃんと観たことが無かったようだ。 観たことは無かったが、登場するキャラクターたちは、魔人のジーニーにしても、ヒロインのジャスミンにしても、あまりに有名なので、目新しさは無かったものの、終始安心して観られた。 何と言っても、ランプの魔人ジーニーのキャラクター性が抜群だ。 アラビアン・ナイトの世界観を超越したあの破天荒なキャラクター性は、ディズニー映画史に残る名プレイヤーだと思う。 あまりに有名なお伽話なので、ストーリーに特筆するようなインパクトはないが、そんなことをディズニー映画に求めるのはそもそもナンセンスだ。 突如繰り広げられるミュージカルと、青い魔人のテンションの高さに、必死についていくべき映画だと思う。[CS・衛星(吹替)] 7点(2010-08-23 14:06:08)《改行有》 1114. アパートの鍵貸します 主人公は大手保険会社のしがないサラリーマン。上役の不倫の場所として自らのアパートを提供し、出世の口利きをしてもらっているという設定は、少々強引だし、かと言ってそこにインパクトがあるかというと、そうでもない。 ストーリーのプロット自体は、「安いラブコメ」と言ったところだ……。 ただし、圧倒的に素晴らしい映画だった。「名作」の名にふさわしい。 主人公も含め、登場するキャラクターの人間性が魅力的だというわけでもない。 むしろ、揃いも揃って、狡くて、愚かで、滑稽だ。 でも、そういう部分こそ、すべての人間が共通して持つ“人間らしさ”だと思う。 その決して格好良くない人間の有りのままの姿を、きっちりと描写していることが、この作品の最も素晴らしい部分で、多くの人たちに愛される映画である所以なのだろう。 気まぐれで意地悪な人間関係の中で、右往左往する主人公にふいに舞い降りるハッピーエンド。 それはあまりに唐突のようにも見えるけれど、人生の転機なんてものはそんなもので、喜びも哀しみもいつだってふいに訪れる。 人間の営みの儚さと、だからこそ生まれる素晴らしさを巧みに描いた傑作だと思う。[CS・衛星(字幕)] 10点(2010-08-22 23:49:25)《改行有》 1115. 金環蝕(1975) 報道番組では連日のように国内政治の「弱体化」とそれに伴う社会情勢の不安定さが伝えられている。 「弱体化」と言うが、ならば過去の政治が今と比べて優れていたのかと言うと、決してそんなことはないだろう。 戦後の混乱からたとえ強引にでも劇的な復興を成したことは認める。ただその内幕では、真っ黒な混沌が渦巻き、幾重にも膿が蓄積され続けたのだろう。 その深くこびりついた膨大な膿が、時代が変わりゆく今になって徐々に表面化している。 詰まりは、この国の政治は「弱体化」しているのではなく、元々それほど強大な力なんてなくて、長きに渡って覆い隠してきた混沌が目に見えるようになった今、一体どうすれば良いのか分からない状態なのだと思う。 そういうことを、この映画で一部始終描かれる数十年前の日本政治の混沌の様を見ていて思った。 この映画に善人は出てこない。政治の内幕を描いた物語でありながら、登場する人物は揃いも揃って“悪い奴ら”ばかりである。 各々が「甘い汁」を吸おうと躍起になり、それらの行為に良心の呵責などは微塵も無い。当然、善が勝るというようなカタルシスは得られない。だから怖い。 悪行が公然とまかり通り、混沌は闇の中に埋められた。この国には、そんな時代が確実にあって、その上に今の社会が成立している。もちろん、その名残は方々で残っているだろう。 その現実を一般人がもっと認識し、何が善で何が悪なのか、その一つ一つを考えなければ、この国の先は無い気がする。[CS・衛星(邦画)] 7点(2010-08-19 14:42:50)(良:1票) 《改行有》 1116. ハゲタカ 《ネタバレ》 「人生は金がすべてだ」、「金が人生の悲劇を生む」それらはすべて正しい。 ただ、自分自身も含めて、日本の、いや世界のその「現実」を、どれだけの人が本当の意味で理解しているのだろうか。 ということを、「ハゲタカ」のドラマシリーズとこの映画化作品を通じて思い続けた。 数年前、この国で立て続けに表立った某IT企業や某投資ファンドによる企業買収劇は、記憶に新しいところだ。 ただし、連日連夜報道されるその様を、一体どれほどの日本人が、自らが息づく国の経済危機を踏まえて見られていただろか。 自分自身もまさにそうだが、一連の騒動を全く別世界の“ショー”でも見るように、無責任に楽観視していた人がほとんどだと思う。 その国民の反応こそが、この国の抱える「危機」そのものだということを、この作品は具現化したのだと思う。 まさにタイムリーな社会性を如実に反映した設定、そこに映画ならではの娯楽性を加味した世界観は巧みだった。 経済情勢に全く疎い者でも、作品の中で巻き起こる顛末と現実の社会での出来事がみるみるリンクしていき、リアルな危機感と焦燥感に繋がっていく骨太な作品だったと思う。 玉山鉄二が演じた中国系ファンドマネージャーの悲哀が、この映画化作品の最たるポイントだった。 世界の底から生き抜き、憧れ続けた日本車メーカーの買収に心血を注ぐ様、そして、最期の最後まで金を拾い続ける様には、ドラマシリーズを通じたこの作品の「真意」が表われていたと思う。 金にまつわる人間の業、そして、罪と罰。 それは、決して否定することが出来ない人間の宿命なのかもしれない。[CS・衛星(邦画)] 7点(2010-08-18 12:07:01)《改行有》 1117. ナイト・オン・ザ・プラネット 自分自身もすっかり大人になってしまい、深夜のタクシーに乗る機会も度々あるようになった。 大概の場合酔っ払っていて、繁華街から自宅までのせいぜい20分間程度の道のりなので、特に何があるということはないけれど、タクシーの中というものには独特の雰囲気があると思う。 その雰囲気は、全く見ず知らずの運転手と客との間に生じるその場限りの「空気感」によるものだと思う。 地球という惑星のあちこちで、全く同時刻にひっそりと織りなされたタクシー運転手と客らによる5つのショートストーリー。 ジム・ジャームッシュらしい淡々とした語り口で繰り広げられるこのオムニバス作品には、本当に何気ない人間同士の関わり合いにおける素晴らしさが溢れている。 それぞれのストーリーの登場人物たちが、その束の間の出会いによって、何かが変わったということは決してない。 ただそれでも、その一つ一つの出会いが、次の瞬間の人生を築いていくということを、この映画は、深夜の静寂の中でしっとりと伝えてくる。 とても良い映画だと思った。[DVD(字幕)] 8点(2010-08-13 13:02:33)《改行有》 1118. デストラップ/死の罠 《ネタバレ》 映画におけるサスペンス作品は、舞台設定と登場人物が限られる程、「上質」になると思っている。 そもそも“サスペンス”とは、ある状況における「不安」や「緊張」といった心理描写を描いたものであり、設定に制約がある程に、その緊迫感は高まることは必然だと思う。 ただし、もちろんそこには、限られた映画世界の中で、緻密な人物描写と研ぎ澄まされた台詞回しが絶対不可欠なわけだが。 この映画は、そういった「上質なサスペンス映画」に不可欠な要素を充分に備えた傑作と言える。 落ち目の舞台作家が、ある日届いた作家志望の青年の作品が引き金となり「殺人」を画策することから物語は転じ始める。 以降、ストーリーの舞台となるのは、作家の豪邸内のみ。後はほぼ作家と作家の妻と作家志望の青年ら限られた登場人物たちが織りなす会話劇で展開される。 二転三転……いや四転五転とするストーリー展開の中で、互いが見え隠れする心理を探り合い、あぶり出そうとする掛け合いこそが、この作品のハイライトだ。 観ている側は、まるで登場人物たちの滲み出ては覆される心理の裏側を、覗き観ているような感覚に陥り、思わず息を呑む。 中盤以降の心理戦は、同じくマイケル・ケインがジュード・ロウと共演した「スルース(2007)」を思い起こさせた。 (というよりも、原作は同じなのではないかと思わせる程だった。少なくとも今作に対するオマージュが含まれていたことは間違いない) 「スルース」は、マイケル・ケインとジュード・ロウの男同士の“妖しさ”が印象的な映画だったが、今作のクリストファー・リーブとの絡みにも独特の緊張感と妖しさが溢れていた。 今作は、クリストファー・リーブが「スーパーマン」になってからの作品であるから、彼がキャラクターに頼らない確かな演技力を持ち合わせた良い俳優であったことを改めて認識させられた。 もちろん、25年の月日を経ても変わらぬ魅力を放ち続ける、ナイトの称号を持つ英国俳優に対する尊敬は尽きないが。[DVD(字幕)] 9点(2010-08-12 12:39:19)(良:3票) 《改行有》 1119. オリエント急行殺人事件(1974) アガサ・クリスティ原作の「名作」というこの映画に対する評は随分と前から認知していて、10年以上前にレンタル落ちのビデオテープも購入していたのだけれど、なかなか食指が動かず、観る機会がなく、ビデオもどこかにいってしまっていた。 食指が動かなかった最大の理由は、“ストーリーのオチ”を知ってしまったからに他ならない。 原作も映画もあまりに有名な作品なので、どこかしらからミステリーの顛末が耳に入ってしまったのだ。 オチを知ってしまったミステリーほど魅力減のものはないわけで。 満を持して鑑賞に至ったわけだが、なるほど面白い。 何たってアガサ・クリスティのミステリーなので、そのストーリー展開はもはやミステリーの「定番」といったもので目新しさはない。 しかし、描き出される映画世界にはもちろん時代は感じるが、往年の娯楽映画によくある“古臭さ”は全くなかった。 それは名匠シドニー・ルメットの卓越した映画創りによるものだろうと思う。 前述の通り顛末は知ってしまっていたので、ミステリーに対する“驚き”は少なかったが、それでも思わず唸りたくなるような「真相解明」は、流石に上質だった。 [DVD(字幕)] 8点(2010-08-08 10:53:47)《改行有》 1120. ソルト 《ネタバレ》 アンジェリーナ・ジョリーというハリウッド女優の魅力は、その美貌であり、その体躯の曲線美である。 それは彼女が、「17歳のカルテ」でアカデミー助演女優賞を受賞したれっきとしたアカデミー女優だということを踏まえても、揺るがない。 どんなにシリアスな映画に出演しようとも、そこで好演しようとも、彼女は“演技派”などではなく、唯一無二の“セクシー女優”だ。間違いない。 そんな女優が、コスチュームを目まぐるしく替えつつ、ハードアクションを繰り広げる女スパイを演じた時点で、この映画に致命的な失敗は生じるわけがない。 事実、面白い映画だったと思う。 年始早々からこの作品のトレーラーを見続けてきた限りでは、二重スパイ容疑をかけられた主人公が自身の疑いを晴らすために奔走するというような「北北西に進路を取れ」的な展開が繰り広げられるのだろうと想像していたのだが、結構序盤から”想定外”な展開に突入し、驚くというよりも面食らってしまった。 正直なところ、ストーリー的には粗は目立つし、整合性には欠けている。少しネタばれになってしまうが、キーマンとなるキャラクターの隠された存在性も容易に想像がついてしまう。 ストーリー的にも、映像的にも期待に対して凡庸という印象は拭えない。 ただし、繰り返しになるが、これがアンジェリーナ・ジョリーの映画である時点でハズレはない。 当初この映画はトム・クルーズ主演で企画が進行していたらしい。金銭面で折り合いがつかず、アンジーへと脚本共々キャラクターの性転換を行ったそうだ。 たらればになるが、そのままトム・クルーズで映画が完成していたなら、「ミッション:インポッシブルの二番煎じ」と酷評されていたことは、恐らく間違いない。 たぶんシリーズ化は既定路線だろう。次回作は主演女優のパフォーマンスだけに頼らなくて済むようなクオリーティーの高いスパイ映画を期待したい。 (水面下ではトム・クルーズ&ベン・アフレック出演による“イヴリン・ソルト×イーサン・ハント×ジャック・ライアン”という企画もあるとかないとか……実現するのであれば、それぞれこれ以上歳を食う前にやったほうが良いと、一映画ファンとして思う……) [映画館(字幕)] 7点(2010-08-07 10:48:44)(良:2票) 《改行有》
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