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【製作年 : 1930年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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101.  ジェニイの家 《ネタバレ》 新派悲劇のような風俗ものに、ふと古典劇の奥行きが見えたりする。なにげないものに格調が寄り添う。詠嘆なり、失意なり、幻滅なりが、ひときわ味わいを持ってしまう。ラストでフランソワーズ・ロゼーが、娘が見舞いに来たのを隠れて見知らぬ他人のとこに座る、アメリカ映画だったらもしかするとギャグにしてしまうようなところ、こんな些細なところにも「私は誰も見舞いに来ないんです」と患者に言わせて、ある種の人生の翳りを付け加えていく。やはりシャンソンの国である。母の店の秘密をカーテンの隙間から覗いてしまう娘のアップ、見ないほうが良かったものを見てしまうときのアップ、そういう大事な部分が情緒に流れずしっかりと描かれるのが古典的。街の小悪党さえ司祭の崇高を帯びる。カルネのデビュー作。[映画館(字幕)] 7点(2009-01-10 12:15:55)

102.  モンパルナスの夜 《ネタバレ》 犯人役は“陰気ジノフ”という名に似合った性格俳優で、ニヒルな魁三太郎といった感じ(魁三太郎って知りませんか)。ちょっとクサくなるかというギリギリのところで芝居する。この時代のこういうドラマには、少しクサいくらいでちょうど似合う。犯人のニヒルぶりが見どころで、メグレが自分を狙っていることを知りながら、からかうような振舞いをするあたり。オトリ青年から逃れるために、わざと無銭飲食をして警官に守られて出ていく小憎らしさ。このニヒル男の隠れた炎としての純愛もあるんだけど、それはあんまりドラマの中ではイキていなかった。この時代のフランス映画は、街角のシャンソンで始めるってのが、一つの型だったんだろうか。酒場で歌ってるのがダミアだそうだ。[映画館(字幕)] 7点(2009-01-08 12:10:11)

103.  女だけの都 この映画で一番うらやましかったのは、17世紀初頭の風景をロングで撮れる、ってところで、江戸時代の始まりのころでしょ、日本じゃちょっとできない。フランドル絵画ふう、って言うんですか。昔の風景がちゃんと残っている、というか、残してある。うらやましい。おろおろする男としっかりものの女、というパターンの小喜劇で、“女は弱いもの”というタテマエがなくなった現在から見ると、もひとつ面白味がピンと来ないけど、全体のおおらかな気分は悪くない。もっと古典の型にはまった味にしても良かったんじゃないか、あるいは女たちの一夜のバッカス祭という感じで、もっとドンチャン騒ぎがあってもいいんじゃないか、などと思うのも、やっぱり現代人からの目であろう。向こうの人が見れば、衣裳の時代考証なども楽しめるのであろうな。[映画館(字幕)] 6点(2009-01-07 12:12:10)

104.  巴里祭 《ネタバレ》 最初のころは、クレールはコメディがいいんじゃないかと思っていたが、だんだんとこういうのの良さも分かるようになってきた。キレよりもコク。これなんか、映画で物語を語ることの最良の成果なんじゃないでしょうか。ほとんどの出来事や脇の登場人物が反復され、あんまりそういうことがキッチリしていると息苦しくなりそうなのに、それを感じさせないようにフランス映画は洒落た感覚を洗練させてきたんだなあ。そういうことを堪能できる映画。スリ一味の場などさながら良質のコントで、しかし彼らもちゃんともう一度、悪役に出世して登場してくる。無駄がない。しかもその変貌には悪女が関係しているので、不自然でない。あるいは小道具としてのジュークボックスの使い方。あるいは窓ぎわのライティングのうまさ。堪能、堪能。[映画館(字幕)] 8点(2009-01-04 12:13:19)

105.  ドン・キホーテ(1933) ドンキホーテって、周囲の迷惑を受ける側から見ると、サイコ・ホラーになるな。『タクシー・ドライバー』は、かなりはっきりドンキホーテ物語だった。でもこの映画は、彼を怪物視しているわけではない、全員が騎士道時代の風俗に扮するあたりのシーンはワクワクし、それは何から来るのかというと、周囲は狂った老人を騙しているつもりでも、しかし老人の妄想の世界が伝播してしまっているようにも見え、そういう妄想力にこの映画の観客も少なからず共感しているからだろう。ラストでは焚書された本が逆回しで蘇ってくる、妄想する自由を封じ込めるなんて、できっこないという表明だ。[映画館(字幕)] 7点(2008-12-15 12:06:40)

106.  ル・ミリオン 《ネタバレ》 当たったのに失くしてしまった宝くじをめぐるドタバタ。警官たちが列をなして屋根の上をビクビクしながら渡っていくとこや、借金取りが列をなして階段を上がっていくとこなどに、トーキーだけどもサイレントコメディの味を残している。サイレント経験した監督は、映画としてのリズム感がいいんだな。劇場に舞台が移ってますます快調、上着の取り合いから、メデタシメデタシかと思うところでひょいと悪漢に奪われたりと、緩急織りまぜ一気に見せていく。しかしこの悪漢もルパンの国の悪漢だから、単に金目当てでないことが分かるの。そして一同おおはしゃぎの群舞に合唱。「金こそすべて。金だけが人生じゃないと言うけど、それはお金持ちの言うこと」って歌詞が痛快。『ジャイアンツ』でジェームス・ディーンに似たような意味のせりふがあって、ハリウッドはさすがうまいせりふ作るな、と思ってたんだけど、もっと昔にフランスにあったんだ。人が出入りするということがどうしてこんなに面白いんだろう。追いかけられつつ追いかけるということが、どうしてこんなに面白いんだろう。[映画館(字幕)] 8点(2008-04-28 12:24:44)

107.  はたらく一家 プロレタリア文学の原作を成瀬が撮る、なんて珍品の予感のある映画だったが、これがちゃんと成瀬の映画になっている。時代の変化と世代の交替との微妙なズレの中で生まれてしまう摩擦、それがときにぶつかり合いはするけれど、でも何となくズルズルして、回避できれば回避したいというニュアンスが滲むところが、いかにも成瀬。社会の貧困には直接の関心は向けないで、貧困によって困惑する庶民への共感の方が前面に出てくる。相談に乗ってはくれないが、愚痴は聞いてくれる、って感じ。成瀬の映画ってだいたいそうでしょ。徳川夢声が同僚に「これがグレてるんなら意見のしようもあるんだが」って愚痴るあたりなどいいし、子どもたちがかたまって歩いているのを、親が後ろから見るシーンもいい。原作は知らないが、自分の得意な世界にうまく脚色していったのだろう。ラストのでんぐり返しは、あれは若い力の発露と見るべきなのか、それとも屈折と見るべきなのか。[映画館(邦画)] 7点(2008-03-19 12:19:59)

108.  たそがれの維納 辛辣さに優しさが隣り合っていて、人の弱点をとがめだてしない。ヒロインだって積極的に社交界を告発するわけではなく、憧れたりもする。色男も純情を持つ。すべて批評的ではあっても批判的ではない。そこらへんの程度のわきまえが心地よい。もちろん20世紀前半のヨーロッパを描く以上、かすかな腐臭は漂う。でもたとえば「地獄に堕ちた勇者ども」のように、程度をわきまえずその腐臭漂うなかをごろごろ転げ回るほど不健全にはなってなくて(あれはあれで大傑作ですが)、いたって健全におさえている。冒頭のテープが投げ散される中を後退していく移動の華やかさ、夜会で色男とダンスする田舎娘のときめきを伝える横移動など、その上品さが身上。そして最後はかすかな腐臭も消し去るように雪で清らかに締めている。この年、ヒットラーが首相に就任した。[映画館(字幕)] 7点(2008-02-21 12:26:05)

109.  人生のお荷物 斎藤達雄に吉川満子という「生れてはみたけれど」のゴールデン・コンビ。そう思えばあれのアンサーみたいな映画でもある。子どももつらいが、親であることも大変、って話を別サイドから照らして。失敗で出来ちゃった末のせがれ、なんとなく父親としては鬱陶しい。別にそれで子どもがいじけてるわけではなく、すすきを帽子に挿して乃木さんになって遊んだりしてる。松竹の小市民映画だから、深刻にはならない。娘をすべて嫁がせ、やれやれと思う父親の視線になったカメラが、のんきに眠ってる息子に寄っていき、ああまだあいつがいる、というガックリ感になるところがおかしい。で、小僧にでも出してしまえ、となって別居騒動になるのが本筋だが、斎藤達雄は、なにかクサってる風情が実に似合いますな。ブツブツぼやきながら、でもけっきょくそんな程度の不満で日々を送れている新しい階級として、斎藤達雄に代表される小市民が発見されたのが、この昭和最初の10年なのでしょうか。[映画館(邦画)] 7点(2008-02-12 12:26:32)

110.  子宝騒動 《ネタバレ》 かなり昔に見たのだが(封切時ではない)、傑作のわりにしょっちゅう見られる映画ではないので、日記に記録してあるいくつかのギャグをここに披露しておくのも無駄ではあるまい。子沢山で貧乏人の主人公、家には「律義者の子沢山」という習字が貼られている。不払いがかさみついに電気も切られ、文字通り電灯を切り取られ持ってかれてしまう。いろいろ金策をめぐる展開があってのち、ついに隣家に忍び込む。金庫のダイヤルを回していると、そのすぐ脇でその家の主婦が繕いものをしている、なのにお互いがなぜか気がつかない、針立てやアイロンなど小道具を使ってはらはらさせ笑わせる展開だったと思う。ここでその主婦が産気づき急きょお産の手伝い、水道の水を出しっぱなしにしたので家が水浸しになり、台所を泳いで往復する、というギャグもあった。その後メインの、報奨金つき豚を捕まえんとする騒動になる。ラグビー場にまぎれこみ、豚をタックルしていく痛快さは、ロイドやキートンに劣らなかった。トンカツ屋、結婚式場、墓地などへと追っかけが続き、墓石が倒れていくのが凄かった。そういう躍動シーンで押していった後で急に静かな場面になり、大家さんが竹垣の道を散歩してるところ。問題の豚を見つけポイと放り投げると、その竹垣が倒れて豚を追う群集がワーッとなだれこんでくる静から動へのタイミングの妙。そして泥田でのドタバタの頂点に至る。とにかくスラプスティックとしての純度が高く、20年代末ごろからこのころまでで日本映画が喜劇の文法を完璧にマスターしているのが分かった。なお斎藤寅次郎のサイレント喜劇はもう一本「石川五右衛門の法事」いうのも前世紀末に発掘されたが、それはこれより劣る。[映画館(邦画)] 9点(2007-12-21 12:33:06)

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