みんなのシネマレビュー |
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1181. きみがぼくを見つけた日 《ネタバレ》 自制できないタイムトラベラー能力に苦しみながら生きる男。そんな男を愛してしまった女。切なく美しい愛の物語。 というプロットは、少しばかり安直過ぎて、映画をよく見る人ならばやや敬遠してしまうだろう。 実際、ストーリーの完成度は決して高いとは言えず、設定も強引で整合性に欠ける。 つまりは、良く出来た映画ではない。 ただし、僕の中では「好きな映画」として記憶されると思う。 ハネムーンでオーストラリアに行った。その帰国便の機内でこの映画を観た。 夢のような日々から日常への帰路、映画を観ることで、ささやかな現実逃避を図りたかったのかもしれない。隣ではそうなったばかりの“妻”が眠っている。 そんな状況で選んだ久しぶりの恋愛映画だった。 先にも言った通り、そもそもの設定にやや無理はある。 いつ何時”タイムリープ”してしまう男と恋に落ち、結婚してしまうなんて、そんなこと普通の理屈では有り得ない。 でも、これは「映画」であり、人が人を愛するということに「理屈」は関係ない。 綺麗ごとであるが、それは圧倒的に正しい。 切ない運命によって別れを「覚悟」する夫婦のキスを見たとき、胸が締め付けられ、涙が溢れた。 何がどうであれ、感情を揺さぶられ涙が出る。 映画を観るということにおいて、それ以上に必要なことなんて実際無い。 そしてそれは、観る人の状態や環境によって大いにうつろう。 それで良いと思う。それが良いと思う。 P.S. ただこの邦題は最悪だと思う。原題「The Time Traveler's Wife」の方がよっぽど機知に富んでいて良いと思う。というか、これでは主眼の捉え方が変わってしまう……。 [地上波(字幕)] 8点(2009-11-24 23:21:34)《改行有》 1182. サブウェイ123 激突 《ネタバレ》 初めての海外旅行で、当然ながら初めて航空機の国際線に乗った。 せっかくなので、機内上映の映画を見ようと思い、映画のプログラムを見てしばし葛藤。 国際線ということで、いま日本では劇場上映中、もしくは上映終了したばかりの作品がいくつか見られる。 が、とは言っても鑑賞の環境はあくまでエコノミークラスの狭い座席であり、映画を観る環境としては劣悪極まりない。もし見た映画が素晴らしい映画だったとしたら、逆に“勿体ない”。 そんなこんなで思案した挙げ句、選んだ作品がコレ。 スター俳優の競演、過去の秀作のリメイク(未見)、監督はアクション映画の雄トニー・スコットと、注目すべき要素はあり、劇場に足を運ぼうかと思ったりもしたのだけれど、もう一つ鑑賞意欲がわかず、二の足を踏んでしまっていた。 結論。機内で見る“時間つぶし”には丁度いい映画だった。 地下鉄職員とハイジャック犯の「頭脳戦」を映画の最大の”売り”とし、そこに名実共に力のある二大スター俳優を配置した、そこまでは良かったと思う。 ただし、肝心のストーリーテリングが稚拙すぎる。 地下鉄職員、ハイジャック犯の両者に通じて、キャラクター性が希薄で、終始言動に説得力が無い。故にどちら側にも感情移入が出来ない。 デンゼル・ワシントン&ジョン・トラボルタというキャスティング自体は、もちろん魅力的だが、ストーリーが薄いので、それぞれが演じるキャラクターの底が浅く、容易に予測がついてしまう。 工夫に乏しいストーリーによって、何を持って「頭脳戦」を指しているのかさえ見えてこない。 もちろん役づくりなのだろうが、ワシントンもトラボルタもボテッとした体型をしており、見栄えがよろしくない。 いろんな意味で、格好悪い映画だ。[地上波(字幕)] 3点(2009-11-24 21:34:27)《改行有》 1183. アンティーク ~西洋骨董洋菓子店~ 良い。 “よしながふみ”による原作漫画は、隠れた傑作である。それを“真っ当”に映画化してみせた良い作品だと思う。 原作の持つ表面的な軽妙さと核心的な深刻さが混ざり合った独特の世界観を、映像化することで、ある部分においては見易く、ある部分においては思慮深く表現することに成功している。 とても「微妙」なテーマ性を内に秘めた作品なので、実はとても取り扱いが難しい素材だったと思うが、映画としてのエンターテイメント性も保ちつつ、作品としてまとめあげており、見事だ。 かつて同原作から、安直というかまったく「別物」のチープなテレビドラマしか生み出せなかった日本と比べると、改めて韓国の映画製作における本質的な巧みさを感じずにはいられない。 韓国俳優たちのバラエティーに富んだ演技もとても良く、決して漫画のキャラクター像に縛り付けられることなく、映画作品としての新たなキャラクターを表現していたと思う。 その辺りも、「漫画の映画化」となると、ことごとく原作のキャラクターを内面・外見ともになぞるだけの多くの日本映画とは、明らかな「差」を感じた。 非常に大好きな原作漫画の映画化だっただけに、自分の中でのハードルは高かったはずだけれど、それをひょいっと越えてみせた韓国映画の相変わらずの力強さに脱帽。[映画館(字幕)] 8点(2009-11-05 00:52:56)《改行有》 1184. クローズZEROII 原作「クローズ」の最大の魅力は、バラエティー豊かな“キャラクター性”だと思う。 決して主人公の描写に注力するわけではなく、むしろ周囲の様々なキャラクターに確固たる人間性を持たせ、様々な視点から極限の不良世界を構築したことが、この漫画の最大の成功理由だと思う。 そしてこの「映画化」が成功した理由も、まさに同じポイントを確実に抑えたからだと思う。 山田孝之が演じる芹沢多摩雄をはじめとする鈴蘭の面々、そしてトップ鳴海大我をはじめとする宝仙の面々。 映画独自のオリジナルストーリーでありながら、原作漫画に登場してもおかしくない(むしろ登場してほしい)と思わせるほど、魅力的なキャラクター造形が出来たことこそ、最大の勝因だろう。 特に、山田孝之のパフォーマンスは素晴らしい。 個人的にはそもそも好きな俳優ではなかったので、「クローズ」に出演という報を聞いた時は、彼があの漫画の世界観にどう息づけるというのかと、全く期待していなかった。 が、見事に主人公の最大のライバルというオリジナルキャラクターを演じ切り、強烈な印象を残した。時に二カッと笑いながら殴り合いをする様は、最も”クローズ的”だと感じさせる存在感だった。 この「クローズZERO」二部作は、監督三池崇史のバイオレンス性と多様性が、伝説的な不良漫画とこれ以上ない絶妙な具合で融合した作品である。 その完成度の高さは、ひとつのサプライズであったが、それは決して偶然などではなく、揺るぎない必然性の元で生まれた結果だ。[DVD(邦画)] 7点(2009-10-23 14:03:45)(良:1票) 《改行有》 1185. ウォーリー 「無機質」に魂を吹き込む。それがまさにアニメーションだと思う。 そのアニメにおける核心を、どれほどに映像技術が進歩したとしても忘れず、クリエイトし続けることが、ディズニー映画の偉大さであり、普遍的なエンターテイメント性だと思う。 荒涼と朽ち果てた地球で動き続ける無機質な掃除ロボットに対し、みるみるうちに感情を覚え移入していった。 キャラクターをいたずらに擬人化せず、あくまで“ロボット”であることに固執した設定が、これまでにない愛すべきキャラクター性を生んでいると思う。 某日本のアニメーション監督の作品では、必要以上に複雑な世界観の中で、精巧なアンドロイドが人間と同じ様に感情揺れ動く様が描かれていた。 しかしながら、いくら観ても感動を覚えない。 一方、言葉もろくに発することが出来ない作業用ロボットのアドベンチャーとシンプルな「想い」には、涙が溢れる。 つくづく、人間が感動するということは、与えられるものではないと思う。 たとえ稚拙なストーリーやキャラクターであっても、そこに観る側本人が入り込めるスペースがあって、登場するキャラクター達と同じ感情を持てるということ。 そういうことだと思う。[ブルーレイ(字幕)] 9点(2009-10-17 12:50:28)(良:4票) 《改行有》 1186. スカイ・クロラ The Sky Crawlers 《ネタバレ》 ブルーレイではじめてアニメ映画を観た。 リアルで迫力のある映像世界は、もはや“アニメーション”という範疇に入れていいのかどうかすら疑問に思える。 いやー満足した…………と言いたいところだけれど、結局到達した感想は、 「相変わらずの押井ワールドですね……」というところ。 ストーリーが分かりづらいとかそういうことは決してないのだけれど、 だから結局何なのさ? という、これまでの押井作品に共通して感じたフレーズが、再びあらわれた。 もうこれは、好き好きの問題なんだろうなと思う。 どれほど完成度が高まろうが、詰まるところは、面白いか、面白くないかということに帰結する。それが映画というものだと思う。 [ブルーレイ(邦画)] 3点(2009-09-19 14:36:57)《改行有》 1187. スピード・レーサー 自宅で、ブルーレイディスクが見られるようになって、初めて見る映画を何にするか? それは、映画好き&家電好きにとってかなり重要な問題だったりする。 レンタルショップのブルーレイコーナーに集められた作品群を前に、暫し思案した結果、見る機会を失っていた今作を手に取った。 流石にスゴイ。映像に度肝を抜かれたのは久しぶりだ。しかもそれが自宅のテレビで味わえるのだから、スゴイ時代になったものだと思う。 ウォシャウスキー兄弟が持ち前の“オタク魂”を、良い意味で好き勝手に発揮した快作だと思う。 こういう映画は「中途半端」な部分があった時点で“負け”である。 ただそこは、「マトリックス」で映画自体の常識をひっくり返した同兄弟だけあって、そう文字通りとことん“突っ走っている”。 原作は往年の日本のテレビアニメ「マッハGoGoGo」である。 日本で生まれたアニメや漫画が海を渡り、ハリウッドで映画化されるという構図は、最近続発されているが、その中ではかなりレベルの高い仕上がりを見せているとも思う。 やはりこれくらい問答無用に突っ走れるだけの、原作に対するこだわりと愛着がなければ、映画化は成功しない。 人生初のブルーレイ鑑賞にふさわしい映画だったと思う。 P.S.ただ、真田広之の役どころはもう少しおいしくしてあげて欲しかった……。 [ブルーレイ(字幕)] 7点(2009-09-19 14:16:55)(良:1票) 《改行有》 1188. G.I.ジョー(2009) G.I.ジョーの玩具で遊んだ日本人は実際それほど多くないとは思う。が、同様の人形遊びの概念は世界共通で、その“遊び”を莫大な製作費をかけてそのまんま映画化した実に豪快な映画だったと思う。 子供が好き勝手にストーリー立てるように、実際ストーリーなんてあってないようなもの。止めどなく繰り広げられるアクションとエンターテイメントを、ひたすらに楽しむべき映画で、「映画を観る」とういことで、かつての“遊び”の感覚がよみがえってくる。 俗に言うアメコミ映画ではないので、映画化において難しい部分はあったと思うが、流石はスティーヴン・ソマーズ。小気味良い娯楽性の高さと、盛り上げの巧さが光る。 「玩具」の映画化に相応しく、最大の見所は敵味方の境なく披露されるギミックの格好良さだと思う。 パリの街を所狭しと駆け回るハイパースーツから、すべてを食い尽くす最恐のナノ兵器に至るまで、諸々のギミックの性質がとてもユニークで、それを見ているだけで“男の子心”をくすぐられ充分に楽しい。 スティーヴン・ソマーズ監督繋がりで「ハムナムトラ」シリーズの面々がちょこちょこ顔を出していたり、いまやトップスターとなったジョセフ・ゴードン=レヴィットが意外な役で存在感を示していたりと、意外にキャストも多彩だった。 続編も期待。 [映画館(字幕)] 8点(2009-08-16 23:46:24)《改行有》 1189. ジャージの二人 疲れ切ったお盆休み前の日。精神的な疲れを除きたい時にふさわしい映画だったと思う。 暑さを避けて、山荘での日々をジャージで過ごす父子には、それぞれ悩むところがあって、“避けて”きたのは、本当は暑さではなく、人生の中で生じる疲弊感みたいなものなのだろう。 でも、久しぶりに会った父子は、そういったもろもろの諸事情を敢えて話そうとはしない。ただただ、山荘でのスローな日々を繰り返していく。 その何でもない情景とか、父親と息子の絶妙な距離感が、とても染み渡ってくる。 それは決して特別なものではなくて、世の中の父子、特に父親と息子の関係性の中に普遍的に存在する“つながり”を感じるからだと思う。 敢えて言葉にしなくても、敢えて伝えなくても、「解消」するものはきっとあって、それを果たしてくれるのは、時間であったり、自然であったり、自分にとってベーシックな人とのつながりなのだと思う。 映画としては、なんと言っても堺雅人と鮎川誠の「息子-父親」関係の“妙”が素晴らしかった。二人の絶妙な間合いが、そのまま映画自体の間合いとなって、独特の空気感を生み出していると思う。 質の高い映画ということでは決してないけれど、理屈ではなく、観る者の気分を軽くする映画だ。そういう映画も確実に必要だと思う。[DVD(邦画)] 8点(2009-08-14 01:35:23)(良:3票) 《改行有》 1190. サマーウォーズ ネット上の仮想世界が、現実世界のライフラインをも司るようになったごく近い未来社会。 そんな中、田舎の“おばあちゃんち”に集まった家族一同が、結束して世界を救う。という話。 “バーチャルリアリティ”の世界と、旧家の“おばあちゃんち”という相反する「場面」の融合。 このユニークな題材を、「時をかける少女」の細田守×マッドハウスがどうアニメーションとして描き出すのか。 それは興味深さと同時に、大いなる疑問符を持たざるを得なかった。 が、その疑問符は、圧倒的に高い「創造物」としてのクオリティーの前に、早々に一蹴される。 作り込まれた仮想世界のディープさと、“おばあちゃんち”という普遍的な日本の様式を見事に共存させ、映画に引き込まれるにつれ、この上のない“居心地の良さ”に包み込まれる。 ストーリー自体ももちろん面白かったのだが、マトリックス的に入り組んだ世界観を、決して小難しく表現するのではなく、日本独特の居心地の良さの中で極めて身近な感覚で表現できたことが、この映画のこの上ない価値だと思う。 仮想世界の中でのアバター同士の“つながり”を、現実世界の家族同士の”つながり”、そして世界全体の人間同士の“つながり”にまで昇華していく。 その様は、ネット上でしか繋がりを持てないでいる現代人、すべてを“数字”で処理してしまう現代社会に対する警鐘であり、同時に“救い”のように思えた。 そういうことを、難解なフレーズを並び立てて描き出すのではなく、主人公の少年をはじめ、一人の人間の心の成長の中で瑞々しく描き出す映画世界に、泣けた。 梅雨明け初日、夏のはじまりの日に見る映画として、実にふさわしい。実にスバラシイ映画だ。[映画館(邦画)] 9点(2009-08-01 12:48:58)(良:3票) 《改行有》 1191. ノウイング 《ネタバレ》 極めて「微妙」な映画だった。酷い映画ということはないが、決して面白くはない。が、独特の味わいはある。そういう映画。 ミステリアスに彩られた50年前の「予言」が、人類の災厄を次々に当てていく。そして、最終的な予言は、世界の終末を示していた。 と、よくあるような題材ではあるが、その描き方は一定のセンスをもって緻密に表現され、物語の「真相」と「顛末」に向けて、観客を惹き付けることに成功している。映像のクオリティーも非常に高かったと言える。 ただ残念なことに、導き出される「真相」と「顛末」には、一切の“捻り”がない。 それはそれで、真っ当なストーリーテリングだとも言えるし、ドストレートな展開が逆に”新鮮”と言えなくもない。 しかし、タイトルも含めて、そこかしこにそれなりの伏線をめぐらせている風に見せて、結局紡ぎ出された顛末がアレでは、やはり充足感には程遠い。 もはやこれは、個々人の趣向の問題になってくるかもしれないが、大エンターテイメントを醸し出しつつ、想像以上に「間口」の狭い作風には、良い意味でも悪い意味でも、面食らってしまった。[映画館(字幕)] 6点(2009-07-27 22:03:21)(良:2票) 《改行有》 1192. 歩いても 歩いても 暑い夏の日、亡くなった長男を弔うために家族が集まる。 どこにでもいる普通の家族の、何でもない一日。 自分自身も毎年経験していることだけれど、離れて暮らす家族が会する場というものは、実のところとても独特な空気を持っていると思う。 いつも一緒に暮らしているわけではないので、実際問題各々のことをそれほど把握しているわけではない。 にも関わらず、「家族」という微妙な関係性に縛られているから、特に改まることを許されず、努めて親密に振る舞わなければならない。 それは、互いの関係が良いとか、悪いとかに関わらず、そういうものだ。 だからこそ、表面的な会話の裏に見え隠れするそれぞれの思いにドラマが生まれる。 そのドラマ性を決して表立たせるわけではなく、あくまで個々が抱えた「感情」として描き出す。 それぞれの感情をもっと膨らませて、言動としてぶちまけたなら、荒々しい“波”のある映画になったかもしれない。 しかし、それを敢えてせず、作品全体を水面に落ちた一滴が生む波紋のように仕上げたことが、この映画の最大の魅力であり、是枝監督の流石の巧さだと思う。 歩いても、歩いても、人生が完璧に満ち足りるなんてことは、ないのかもしれない。 それは、息子を亡くした老いた母親にとっても、父親を亡くした少年にとっても、誰にとっても同じことなのだろう。 哀しいことだけれど、そういう何かしらの“物足りなさ”を抱えて生きていくことこそ、本当の意味で人間が人間らしく生きるということのような気がする。[DVD(邦画)] 9点(2009-06-20 10:10:55)(良:1票) 《改行有》 1193. ターミネーター4 《ネタバレ》 この映画は、「ターミネーター」という映画シリーズのSF性をどういう風に捉えているかによって、その是非は大いに変わってくるのだと思う。 まず理解しなくてはならないことは、この映画シリーズの各作品は必ずしも一連の時間軸上で連なってはいないということだ。 今作はそうしたシリーズのSF性を、根底に据えた上で、過去の名作に依存しないオリジナリティーをもって描き出されていると思う。 コンピューターに「自我」が芽生えたことに端を発した終末戦争のおいて、人類としての「自我」を忘れまいと戦いに臨むジョン・コナーの姿は、過去の作品において「未来からの情報」として語られつつも、決して描かれることのなかった抵抗軍指導者の圧倒的なカリスマ性を見事に表現し切っている。 そして、過去と未来、更に未来と過去を繋ぐためのキャラクターとして登場するマーカス・ライトの存在性は、まさにキーパーソン。その役割は本作のみにおけるものだけでなく、シリーズ全体をある意味において繋ぎ止める重要なキャラクター性を秘めている。 そして、崩壊し乾き切った空気の中で繰り広げられる圧倒的にメカニカルな迫力性は、明らかに独自の世界観を構築している。 シリーズの各作品それぞれで描かれる「未来を変えるための戦い」とその顛末は、結果的に幾つもの”パラレルワールド”を生じさせたのだと思う。 第一作目の「ターミネーター」で、ボディビルダー上がりのアクション俳優が、文字通りの「殺人マシーン」として過去に送られた時点で、未来のパターンは無数に枝分かれした。 美少年のエドワード・ファーロングがジョン・コナーである「T2」も、醜男のニック・スタールがジョン・コナーである「T3」も、それぞれが枝分かれした時間軸での“別世界”だと考えれば、途端に納得しやすくなる。 今作の最大の価値は、そういった一連の時間軸上に存在する様に見えて、実はバラバラの世界観を描いていた映画シリーズを、更に全く違う時間軸と、世界観を描き出した上で、繋ぎ止めてみせたことに他ならない。 密かに期待していたT-800(=?)の絶妙な登場シーンも含め、色々な意味で楽しみがいのある秀逸なエンターテイメントだ。[映画館(字幕)] 8点(2009-06-17 01:15:15)(良:2票) 《改行有》 1194. 純喫茶磯辺 本当の意味で“強い繋がり”がある人間関係というものは、時にもろくて、あやふやで、とても不安定なものだと思う。それは、そもそも人間自体の完成度が不安定で然るべきものだからだ。 「純喫茶磯辺」というタイトル、主演は芸人の宮迫博之。いかにも“イロもの”的なニュアンスの強いコメディ映画だけれど、描き出される映画の空気感の根幹には、不器用な父娘同士の等身大の親子愛があった。 へらへらした子供のような駄目親父役に宮迫がハマることは容易に想像できたが、、芸人の中では随一の高い演技力に裏打ちされて、この上ない愛すべき駄目親父ぶりを発揮していた。 娘役の仲里依紗の魅力は、その“素っ気なさ”だと思う。気怠そうに歩いたり、高いびきをかいて眠ったり、自分の足の匂いをかいだり、というキャラクターのありのままの姿を、決して違和感なく表現できる女優然としない佇まいには、逆に今後かなりスゴイ女優になっていくんじゃないかという素養を感じずにはいられない。 その二人の父娘関係の間に割って入ってくる麻生久美子のキャラクターがまた秀逸で、気立ての良さの裏に隠し持った“サイテー女”ぶりを、いかんなく演じ切っている。 3人の配役の良さとそれぞれのパフォーマンスの高さが、この映画のレベルをぐいっと上げていると思う。 描かれる人間模様は、決して美しくはないのだけれど、それは人間の“そのまんま”のまっすぐな姿で、良い悪いということではなくて、なんだかほっとする。[DVD(邦画)] 8点(2009-06-13 11:17:13)(良:2票) 《改行有》 1195. フィッシュストーリー “fish story”とは、「ほら話」という意味だということを、この映画で知った。 釣り人の手柄話から意味を成しているらしい。 細かく見れば決して完成度が高いとは言い難い映画であることは間違いないが、僕はこの映画が好きだ。この“お話”がたまらなく好きなのだと思う。 何十年も前の売れないパンクバンドの最後の一曲が、数十年後の世界を救う。 「風が吹けば桶屋が儲かる」や「バタフライ・エフェクト」など、些細なアクションが別の些細なアクションへと徐々に連なり、時間も場所も超えた世界の大きな事象に繋がるという現象は、世界中で古くから語られてきたことであり、この物語のストーリーそのものには目新しさはないのかもしれない。 けれど、このストーリーの本当の魅力はまた別のところにあって、爽快感でもあり、瑞々しさでもある“それ”は、それこそが、この鬱積ばかりが溜まる世界への“救い”のように思える。 昔々の名も無い若者たちがふいに生み出した「無音」が、「運命の出会い」と、「正義の味方」と、「世界の救世主」を生む。 もしそれが「ほら話」だったとしても、その“荒唐無稽”を信じられた方が、きっと人生は楽しいし、この世界はもっと素晴らしいものになるように思う。[映画館(邦画)] 9点(2009-06-11 16:47:17)(良:6票) 《改行有》 1196. ザ・スピリット 悪が渦巻く犯罪都市、薄汚れた街を愛する不死身のヒーロー“ザ・スピリット”。 アメコミヒーローとしては、基本的にはよくある部類のパターンと言える。 が、そのマニアックさと作品世界全体から滲み出る“禍々しさ”が、非常に特異だ。 時に奇天烈過ぎて、許容範囲を超えてしまいそうにもなるが、ギリギリのところで引き込んでくる。 この映画の最大の見所は、ヒーローの活躍による爽快感でも、センセーショナルな映像世界でもない。 エヴァ・メンデスの完璧な曲線美、そしてスカーレット・ヨハンソンのコスチュームプレイ。この二つに尽きる!というかそれしかない。 と、言うと、非常に映画自体を卑下している印象だが、そうではない。 映画という物は、良いものになるほど、そのハイライトは明確に限られてくるものだと思う。 つまりこの映画の場合、二人の美女の艶かしい競演こそが、最大のハイライトであるということで、それが作品の価値を大いに高めているポイントだ。 同監督原作の「シン・シティ」や「300」ほどの完成度は無かったことは否めないが、決して万人受けはしないであろう奇抜な世界観を、見事にビジュアル化して見せていると思う。 [映画館(字幕)] 6点(2009-06-07 12:43:56)《改行有》 1197. フロスト×ニクソン 《ネタバレ》 この映画を観て、何よりも印象強く残ったものは、「音声」だった。 米国史上最悪の汚名を持つ元大統領と野心溢れるテレビ司会者。二人の男の織りなす会話が、高級ステレオから流れるジャズのように響いてくる。 リチャード・ニクソンという米国大統領についても、彼の転落の発端となったウォーターゲート事件についても、もちろんデビット・フロストという英国人のテレビ司会者のことも、ほとんど詳細を知らない。 キーワードとしての部分的な知識しか無かったので、イメージとして、汚職にまみれた元大統領を、野心家のインタビュアーが最終的に言い負かすというような映画なのだろうと思っていた。 が、実際はそうではなかった。 米国史上初の任期中での退任を余儀なくされ、ホワイトハウスを去りゆくニクソンの一寸の“表情”に瞬間的に惹き付けられ、インタビューを申し込むテレビ司会者。バラエティー番組専門の彼にとって、それはあまりに盲目的な挑戦であったと思う。 センセーショナルなインタビューを通じて、片方は政界への復帰を目論み、片方は名声の得ようと画策する。それはもちろん正直な両者の思惑だったのだろうが、それと同時に二人の男に生じていたものは、現実に対する自身への葛藤と、それを打ち砕くための好敵手の発見だったのではないか。 己の人生に対する自信と失望。「今」から脱却し、次のステージへ進むためには、人生そのものを壊してしまうくらいに強力な起爆剤が必要。 年齢も立場も何もかもが違う二人が、奇しくも同じ思いを互いに感じたのだろうと思う。 結果として、勝利はフロストへもたらされ、ニクソンの思惑は完全に閉ざされる。 しかし、この映画が描いたのは、その勝利にまつわる痛快感などではなく、敗北者であるリチャード・ニクソンという希代の米国大統領の本質的な姿だった。 感情を吐露し、人生を憂う姿に、人間として尽きない興味深さを感じた。[映画館(字幕)] 8点(2009-06-01 00:24:47)(良:1票) 《改行有》 1198. ザ・ムーン 人類が「冒険」をしなくなって久しい。「アポロ計画」は、人類が臨んだ最後の「冒険」となっているのではないかと思う。 1本のロケットもまともに打ち上げられなかった時代、「人類を月に送る」と宣言したJFKは、その計画に対しどれほどの「確信」があったのだろう。 作品の中でも語られているが、彼(JFK)は、ヒーローだったのか、夢想家だったのか、狡猾な政治家だったのか、そのすべてだったのか。 ただ何よりも重要なのは、大国の歴史的リーダーが、自国の威信と誇りをかけて「未知」へと進むための具体的なアクションを起こしたということだと思う。 失敗も成功も、何かをしなければ得られないわけで、すべてはJFKの宣言から始まったのだろう。 月へ向かった宇宙飛行士たちが語るアポロ計画の真実、そして「未知」を経験した価値。それぞれのコメントも実に印象深いものばかりだったが、それ以上に感じたことは、彼らの「目」の輝きだった。皆、80歳前後の老齢のはずだが、その目の輝きは、おそらくかつて月へ向かったかの日のままなのだろうと感じた。 莫大な予算を投じ、多くの犠牲もあった。しかし「冒険」の価値は、そのすべてを凌駕する。 有史以降、未知に向けてのチャレンジは、人類自体の成長そのものだったと思う。 即ち、人類としての「冒険」を止めてしまうことは、人類という「種」自体の退廃に直結する。 大偉業から40年。人類は再び、冒険に向かうべきではないか。 [映画館(字幕)] 8点(2009-05-25 22:02:02)(良:1票) 《改行有》 1199. トランスフォーマー これほどまでに、「クソクソ面白いクソ映画」は観たことがない。(下品ですみません) ストーリーなんてあって無いようなものという言い回しはよく聞くが、これほどまでその文句に相応しい映画もない。 そもそもの発端の設定から、主人公のキャラクター性、他のキャラクターたちの言動に至るまで、本来あるはずの整合性はほころびまくり、ただただブロックバスター映画としての“勢い”だけで突っ走る。 ただ、その“勢い”が馬鹿馬鹿しいまでに物凄い。 「トランスフォーマー」という玩具は、自分も幼少時によく遊んだおもちゃで、持っていたのは、戦闘機からロボットに変身(トランスフォーム)するタイプだった(今作の中では悪役……)。 自分が遊んでいた時には、漫画とかアニメとかは無かったと思う。 基本的に“一人遊び”が好きな子供だったので、一人好き勝手にストーリーを想像しつつ、「ドカーン」、「バキューン」と遊んでいた記憶が、沸々と蘇ってきた。 「物凄い」のは、誰しもがやっていたであろうそういう“一人遊び”のまさに延長線上に、この莫大な製作費によって生み出されたブロックバスター映画が存在するということだ。 ハリウッドを代表するいい大人たちが、よってたかって「子供の空想」を真剣に映像化するという試み。 「理屈」や「リアリティ」なんて言葉の意味すら知らないよ、と言わんばかりの怒濤の映像世界には、感嘆を通り越し、心底ほくそ笑んでしまう。 「なんて馬鹿馬鹿しい……」と思いつつ、これほどまで楽しめてしまうその要因は、ハリウッドでエンターテイメント映画を創り続ける重鎮たちの意地とプライド、そして偉大なる“永遠の子ども心”に他ならない。 子どもの頃に遊んでいた時、何を考えていたか全く思い出せない様に、この映画を観て「何かが残るか?」というと、何も残らない。“クソ映画”と吐き捨てても仕方あるまい。 ただし、圧倒的に「面白い」がね。[DVD(字幕)] 7点(2009-05-24 01:58:02)(良:2票) 《改行有》 1200. 重力ピエロ 「映像化不可能」という文句は、もはや伊坂幸太郎の原作に対する常套句となりつつある。 今作「重力ピエロ」も、類に漏れずその常套句が掲げられたが、そのニュアンスは他の作品とは少々異なるものだったと思う。 「アヒルと鴨のコインロッカー」のような文体によるストーリー構成の妙にその要因があるわけではなく、主人公の兄弟をはじめ描き出される「人間性」の妙こそが、映像化に対する最大の難関だったと思う。 結果としてまず言いたいことは、素晴らしい映画であったということだ。 伊坂幸太郎の独特の世界観に息づく絶妙な人間性を、決して物語を破綻させることなく、リアリティをもって映画として紡ぎ出すことに成功している。 それは、原作の真意をしっかりと汲んだ上での監督の確かな演出力、そして、絶妙なキャスティングによる俳優たちの奇跡的な演技力によるものだ。 「小説の映画化」に対して総じて言えることだが、文体によって緻密に描き出されるキャラクターを、生身の人間が「映画」という制限された領域の中で不足なく表現することは、途方もなく困難なことだ。 それが、この原作の登場人物たちのように多様性と二面性を表裏に持った複雑なキャラクターであれば、その途方もなさは更に果てしないものだ。 この物語は、ミステリアスな展開に彩られながら、悲劇を越え、遺伝子を越えて、一筋縄ではいかない「親子の絆」を堂々と描き出す。 それは、まさに重力を飛び越えて空中ブランコをこなすピエロのように、飄々とした中に確実に存在する「自信」と「誇り」に溢れている。 伊坂幸太郎の文体で描き尽くされたに思われたその「最強の家族」の姿を、この映画の俳優たちは、単なる「再現」を飛び越えて、見事に息づかせてみせた。[映画館(邦画)] 9点(2009-05-24 01:04:59)(良:3票) 《改行有》
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