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プロフィール
コメント数 1251
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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1181.  大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス 《ネタバレ》 公開当時は見ていないが、物心ついた時にはすでにギャオスというものが世の中に確固として存在していた記憶があり、自分としては昭和を代表する悪役怪獣のように思っていた。昔は解剖図の胃の中に人型のものが描かれているだけで恐ろしかったが、実際に映画を見たのは学祭の自主上映(バルゴンと二本立て)が最初だったので、ギャオスが人を食う場面を子どもが怖がるかわからないのは残念である。外見的には鋭角的な姿が超自然的にも感じられ、平成ガメラに出るグロい生き物よりかえって怪獣らしい怪獣に思われる。 映画の内容としては、まず導入部として大規模な火山活動を想定し、その上で怪獣の出現という異常事態に導いていたのはオーソドックスな構成に思える。大がかりな都市破壊場面は少ないが、富士五湖近く?の自然景観を背景にした工事現場の風景にはそれなりの現実感と最前線の緊張感があった。前作に続いてガメラが最後に敵の首筋に噛みつくのは生物同士の死闘の雰囲気を出している。 一方ドラマ部分では、子ども向け映画でありながら用地買収のゴネ得など世間の実態そのままなのは苦笑するしかないが、「高速道路ができれば便利になる」「土地を捨てる人たちの気持ち」という複合的な住民感情にも一応配慮していたのは真面目に思えた。 ところで前2作と比較すると、ガメラが本格的に子どもの味方になったのはこの回からのようである。象徴的だったのはガメラが明らかな意図をもって少年を救う場面であり、これはそのように意識して見れば感動的だった。今回はこの少年が中心人物になって要所で大人の対策に助言(放言)し、最後はガメラの力も借りて事態を終息に導いていた。また前作に続いて欲深い大人の姿も描かれているが、この映画では少年の素直な心が大人を改心させることで、怪獣と大人の醜い心の両方を子どもが退治する形になっており、これはよくできたお話である。そのほか少年がふと目覚めると、周囲に誰もいなかったときの不安感を表現していたのは秀逸だった。 ただし、この少年がわがままで生意気でやかましく可愛気がないのは何とかしてくれと言いたい。これは昭和ガメラの子ども向け路線で生じる弊害だが、特に今回は少年が甘ったれなくせに小賢しいのが気に障る。 そういうことで絶賛するわけにもいかないのだが、昭和怪獣特撮としては結構な良作であり、個人的にも思い入れの強い映画である。[DVD(邦画)] 7点(2013-01-15 22:03:27)《改行有》

1182.  大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン 《ネタバレ》 公開当時は見ていないが、怪獣の姿には幼少時から書籍類で親しんできていた。「トカゲの怪獣」といえば身も蓋もないが、まあスタンダードな四足怪獣である。実際見ると跳躍したりして敏捷なところもあるのは意外で、また雨に降られて寝込んでしまった姿には愛嬌も感じられた。存在自体は迷惑でも本質的に邪悪な生き物というまでのことはなく、ただ無心に生きようとしていただけだったのに、最後は人間にもガメラにも目の敵にされて死んだようなのは少し哀れだった。 それで映画の内容としては、突っ込み所は多数あるが全体としては真っ当な娯楽映画である。子どもには怪獣を見せておいて、大人向けにはドラマ部分という形で、はっきり切り分けたようにも取れる(それにしては怪獣が出るのが遅いが)。 まず怪獣モノとしては、映像面の出来はいいと感じる。大阪城の場面などは横長のスクリーンをフルに使ってスケール感を出していたのが印象的で、怪獣の吐く息が見えていたり、前作に続いて建物内を走る人がいたりするのは芸が細かい。また人間側の対策としては、最初の遠距離攻撃には失敗したものの、琵琶湖まで誘い出して重傷を負わせたのはかなりの健闘であり、ガメラはその成果を引き継ぐ形になっていた。都合のいい展開ではあるが、無駄なことをやっている感じはしない。 一方ドラマ部分についても、困ったものだと思うのはニューギニア住民の描写くらいで(それも怪獣映画としては普通)、言葉づかいに気をつけろと言いたくなる場面も多いが、まあ気楽に見ていられる。悪役は徹底的に悪人で(主人公の義姉が哀れ)子どもの入り込む余地は全くないが、ダイヤを見た婦人自衛官?の反応と、博士の助手の扱いは可笑しかった。 以上、大人の目で見ればそれなりの娯楽映画だとは思うが、ガメラの位置づけが半端なためか、どうも愛着がわいて来ない。映画としてはガメラの方に肩入れしている雰囲気はあるものの、依然として世界中で大暴れしているのでは応援するにも気が引ける。このままでは以前のゴジラと同じであり、次回からはっきり子どもの味方という設定を取り入れたのは、個人的には理解できる。 なおヒロイン役の女優は、申し訳ないが個人的趣味の範囲から外れるため評価できない。キャストでも何でも、これは無条件で好きだ、と思えるものが一つでもあればよかったと思うが(無理に挙げれば怖がりやの村娘)。[DVD(邦画)] 6点(2013-01-15 22:03:23)《改行有》

1183.  大怪獣ガメラ 《ネタバレ》 突っ込み所は多数あるにしても、基本的にはゴジラ(1954)並みの本格的怪獣パニック映画を目指した感じで、大作怪獣映画の雰囲気はある。カメをひっくり返そうとする人間側の発想は自然だと思うが、それをものともせずに回転ジェットでかわす展開や、最後に出たサプライズのZ計画は、公開時に知らずに見ていれば素朴な驚きがあったろうと想像する。また大人と子どものストーリーが同時進行していて、それぞれを担当するヒロイン役が1人ずついるのも豪華といえなくはない。映像面も当時としてはそれなりで、特に東京襲撃の場面で逃げまどう人々の姿を丁寧に描こうとしているのはまともな怪獣映画として評価できる。 しかし、ゴジラが水爆なのにガメラはなぜか原爆というのはスケールダウンに感じられ、なぜか白黒映画なのも時代を遡ったかのようである(どうせあとでさんざん流用するのだから、初めからカラーで撮っておけばよかっただろう)。冷戦が原因で大惨事を引き起こしておきながら「人類愛」で締めようとするのも安っぽい。 また子ども向け映画であれば子どもが出ること自体は変ではないが、この映画を見る限り、後の“子どもの味方”という発想がどこから出て来たのかわからない。東京の悲惨な情景を見てしまえば、少年のいう「カメはみんないい奴ばかり」も説得力皆無であり、幼少時にガメラに親しんだ立場からしても共感するのは難しい。 …ただし、この少年の成長という視点からのレビューが前の方にあったのは真面目に参考になった。なるほどこの映画を単体で見ればそういうことかも知れず、それならガメラ自体の性質がどうあろうと直接関係ないことになる。これは少し反省した。 全体としては正直それほど面白くないが、後世の目から一面的に判断するのは見当違いになる恐れがあり、また少なくともガメラ第一作としての歴史的価値はあるので普通の点数にしておく。なお登場人物(築地の住民)が隅田川を「大川」と言っていたらしいのは自分も少し驚いた。江戸情緒を感じる。[DVD(邦画)] 5点(2013-01-15 22:03:19)《改行有》

1184.  リリイ・シュシュのすべて 《ネタバレ》 場所は両毛線沿線のようだが、季節の水田風景が美しい。エンディングで稲わらを乾燥させている風景は、うちの地元では見られない。 ところで個人的にはこのような苛めなり迫害なりの経験はなく、また今さら思春期の少年少女の立場にもなれないわけだが、もともと逃避的傾向のある人間だからか、現実世界から独立した精神世界を求めることには共感できなくもない。おまえいい年してこんな連中と同じじゃないだろうなと言われている気もするが、しかし登場人物が実体のないものを空虚な言葉で一生懸命飾り立てようとするのは痛々しく、たった一人の不規則発言で共同幻想が崩れてしまいそうになるのも虚しく感じる。 一方、この映画で印象的なのはやはり久野の強さである。この人には自分を支える力があると思えるが、それは本人の資質はもちろん、拠るべき普遍的価値を知っているからこそだろうと思う。劇中で冷酷無残な描写をよそに流れるピアノ曲は、現実世界がどれほど陰惨であるかに関わらず、美しいもの、価値あるものが確固としてこの世に存在することを示しており、それは何があろうと“汚された”などということもなく、超然としてそれ自体の価値を主張する。そう考えるとこの映画は、若年者だけでなく全年代に向けて、彼女にとっての芸術音楽のようなものを見つけられるかと問いかけているように思えなくもない。 以上のように、それなりに評価できる点もなくはないが、さすがにこの劇中世界を全面的に受け入れるわけには行かない。また自殺する人物が誰かによっては上記の感想は持てず(小説版は読んでない)、その場合はただ嫌悪だけが残ることになる。当然ながら自分も大人の側の人間だということである。 なお余談として、メイキング映像を見たところ、劇中で極悪女子生徒役だった女優(松田一沙)がクランクアップ直後に大泣きして「最悪でした」と言っていたので、女優本人は極悪人ではなかったらしい。当然だが。 [2019-04-13追記] クロード・ドビュッシーのアラベスク第1番は美しい曲である。このような何物によっても損なわれない普遍的価値の存在を知ることが久野という生徒の強みであり、彼女のこれからの心の支えになるはずだというようなことを上に書いたが、昨日たまたま立ち寄った高速のSAの便所でこの曲が流れていて、この映画のことを思い出してしまって非常に嫌な気分になった。見た者にどこまでもつきまとう最悪な映画だ。[DVD(邦画)] 5点(2012-12-03 20:53:26)《改行有》

1185.  問題のない私たち 《ネタバレ》 映画化に当たって原作コミック3巻のうち前2巻による2部構成とし、一応の統一的テーマでまとめたのは適切に思える。本来は深刻な問題なわけだが、映画では2部構成のそれぞれが爽やかに終わり、インターバルの夏休みムービーも微笑ましく、さらに女の子連中が基礎的にみんな可愛いので、見ていて心なごむものがある。これとは別にもっと棘のある映画を見たばかりだったこともあって、この映画ではかえってほのぼのした印象が残った。主演女優の歌もいい感じである。 この映画が扱っているのは基本的には学校内の問題であり、劇中で出ていたように集団で物理的に攻撃するなどは確かに分別のない年齢ゆえのことだろう。しかし、手前勝手な正当防衛の発動といったことは年齢にかかわらず行われるものであり、また第2部で指摘されていた思い込みの問題も、人間が生きている限りは付いて回るものと思われる。ほか、「別に…」事件を引き合いに出すまでもなく、切実な動機もなしに付和雷同してバッシングするようなことは実社会でもスケールアップして起こるわけで、そう考えると意外に社会性のあるメッセージを発しているようにも取れる映画である。 ところで主人公は、外見的には丸っこくて可愛らしいわりに必ず落とし前をつける人物ということだったらしく、2部構成のそれぞれにこの人がきっちり決着を付けていたのは見ていて気分がいいが、ただし転校生とは違って“裁定者”の立場だったのは誰にもできることではないだろう。また、筋を通したあとで必ず赦す(和解する)というのがこのストーリーの特徴らしく(何しろ原作コミック第3巻では問題の教員が失職を免れているので驚く)、この役を担った生徒の名前は無意味ではなかったようだ。実際には誰も聖人のようにふるまうことはできないので、この映画が現実の処方箋になるというわけでもないだろうが、しかしこの問題の解決に関する一つの理想像を提示しているように見えたのは、若年者に向けた原作者の良心が感じられる気がした。 なお転校生役の女優は、映画初出演とのことだが最初からいきなり はまり役で、やはりこれがこの人本来のあり方なのだろうと思える。ただ今回見たDVDの題名が「沢尻エリカ 問題のない私たち」と書いてあったのはちょっとどうかと思う。[DVD(邦画)] 6点(2012-12-03 20:53:20)《改行有》

1186.  先生を流産させる会 《ネタバレ》 「告白」を超える問題作とのことだが、見ていないので比べられない。 女子固有の問題には踏み込む気にならないので、それ以外で思ったことを書く。 まず前半では、生徒・家庭・学校と周辺社会の問題をコンパクトにまとめていた印象がある。その上で主人公の教員が、「やって許されないことがある」という方針で断固戦う姿勢を見せていたのは痛快に思っていた。家庭事情や親子関係がどうのということはあるにせよ、やはり極端な問題行動は力づくでもやめさせることを考えなければならない。 しかし、この方針が最後まで貫徹されずに終わっていたのは非常に落胆した。実行するまでは一生懸命止めても、やっちゃった後はただ放免というのでは、止めようとしたこと自体が無意味になる。あれだけ恐い顔で脅していたのは単なる方便だったということなのか。現実世界の実態はどうあれ、主人公自身が自分の行動を無意味化したように見えるのは映画のストーリーとして変である。許されないことはあくまでやらせないか、やらせるのならそれなりの報いがあるか、どちらかでなければならない。 また終盤ではスプラッターまがいの惨劇が起こっていたが、その割に最後を教育映画っぽく丸めてしまったのは整合性に欠けている。制作者の意向としては、オヤジ連中が事件報道を見てケシカランと憤慨するとか、若い連中がネット上で厳罰を求めるような感覚に迎合したくないということのようだが、あれだけのことをやらせてしまっては、見ている側もただでは済ませられない気になって当然である。穏健にまとめるのが本意だったというなら、その前の過激な場面はミスリードとしか思えない。 さらに個人的に気に入らないのは、ご立派な教育映画のように終わったことで、何が何でも学校内でくるめてしまおうとする態度を容認しているように見えたことである。学校が外の社会とつながっていることは劇中でも出ていたはずであり、この点でもっと尖った形の問題作にできなかったのかというのが正直なところだった。 以上、そもそも制作意図がよくわからないのでいい点は付けられないが、生徒役の皆さんにはごくろうさまと言いたい。よくこんな映画に出たものだと思うが、舞台挨拶で出ていた「先生を感動させる会」の話は微笑ましい。 [2015-7-1追記]「告白」(2010)を見たが、全く超えていないではないか。アホか。[DVD(邦画)] 5点(2012-12-03 20:53:16)(良:1票) 《改行有》

1187.  東海道お化け道中 《ネタバレ》 いま思えば「ガメラ対大悪獣ギロン」と併映で見たのがこの映画だった。話の筋は忘れていたが、赤く染まる杯、刃物を捨てた場面と枯木の怪は憶えており、子どもにとっては十分怖い映画だった。個人的にはこれが妖怪映画の原点である。 この映画でも妖怪は集団化してしまっているが、場所にまつわる個別の怪異として現われる場面もあり、本来の妖怪談としての味わいが出ていたように思う。また今作でも妖怪は別に人間の味方をしていたわけではなかったようで(そう見えるのはたまたま)、妖怪は怖いものという前提を基本的には崩さない姿勢が感じられた。 それで、ストーリーの方は第一作の雰囲気に戻ってまるきりの時代劇である。画面で見る限り、登場人物は東海道を藤川宿(江戸から37番目)-浜松宿(29)-由比宿(16)-蒲原宿(15)と移動していたが、子役の台詞では掛川(26)の名前も出ており、またDVDの資料によると「八ツ墓山」は岡部(21)にあったらしい。ほか「蛇骨婆」の出身地は袋井(27)とのことだが、出たのは浜松の前なので出張していたと思うしかない。浜松から富士が大きく見えるとか、最初の藤川宿を「駿州」と言うといった考証的な問題もあるが、まあそういうのは大目にみるものだろう。 また古風な人情劇でもあり、特に子役の女の子が健気で、DVDの「索引の巻」十三の題名が「古城門昌美ちゃん名泣き芝居」とか書いてあるのは笑った。主人公の博徒としては、おれも堅気で所帯を持っていたらこんな娘がいたかもな、と思って世話していたのだろうが、最後は惚れて尽くした女にあっさり裏切られたように見えていたのが可笑しい。一時の夢に終わった悲哀感もあるが、まあ親の情をしっかり見せた方の勝ちに終わったのは仕方ないだろう。もう一人の少年もけっこう誠意をもって頑張ったのに報いがない感じで、あとは残った二人だけで親交を深めてもらえればと思う。 ところで「蛇骨婆」の話では東海道の宿場ごとに妖怪の一族がいるということだったが、天地開闢以来そうだったわけはないので、これはもともと全国各地に一定密度で分布していたのが、江戸幕府の五街道整備によって人の流れが活発になり、そっちの世界でも東海道沿いに横の連絡がついたと解釈すればいいのではないか。このへんな生きものは、まだ日本にいるのだろうかと思うが、いるわけないなどと言うと、いる、と言って出てくるかも知れない。[DVD(邦画)] 6点(2012-11-12 22:03:36)《改行有》

1188.  妖怪大戦争(1968) 《ネタバレ》 前作に比べるといかにも変化球である。鬼太郎のマンガでも西洋妖怪との戦いはあったが(「バックベアード」が変に有名)、日本の妖怪に純粋な和風情緒を求める立場としては、いきなりバビロニア(当時はオスマン帝国領)では興醒めである。またこの映画だけのことではないが、妖怪の集団化というのも実はあまり感心しない。もともと妖怪は固有の場所と条件のもとで出現するものであり、その場から離して単なるキャラクター化してしまっては、怪獣総進撃とかウルトラ兄弟勢揃いとかいう企画と同じように、本来それぞれが主役だったものに対する礼を失する気がする。 そういうことから事前の印象はあまり良くなかったが、実際見てみればけっこう面白いのでまあいいかと思う。妖怪連中はほのぼのしており、特にろくろ首が意外と子どもに優しいのは感動した。なぜか土佐言葉なのも親しみを感じる(「わかっつろうが」でわざわざ検索して調べたが、ちゃんと土佐弁と書いたサイトがあった)。二面女も活躍の場が多く、人間側の清純そのもののお嬢さまと並んで二大ヒロインの趣がある。それから前作は落語だったのが今作は漫才になったようで、なんで伊豆の代官所に上方者が雇われているのかわからないが、妖怪連中のお国言葉が多様なのと合わせて全国規模のスケールをもった映画であることを示していた(のだろうか)。 なお本編を見ていても気づかなかったが、DVDの「索引の巻」三十の題名には大笑いした。 ところで、突然の外敵の襲来に対して人間の統治機構に対応能力がなかったのはともかく、権威ある神仏の力を借りても撃退できず、「神の零落した姿」とか言われる妖怪の活躍を待たなければならなかったのは情けないともいえる。この映画では、当時の怪獣映画のように妖怪が人間の味方のようにも見えているが、本来は人間を脅かす存在であって決して融和的なものではない。しかし、同じく本邦の住民として外敵に立ち向かう姿勢には素朴な郷土意識のようなものが感じられ、これには人間側の登場人物も素直に連帯感を覚えていたらしい。この映画の公開と同年にオリンピックがあったわけだが、この連中も日本が金をとれば喜ぶのだろうか(まだ江戸時代だが)。[DVD(邦画)] 6点(2012-11-12 22:02:54)《改行有》

1189.  妖怪百物語 《ネタバレ》 劇中の噺家が初代林家正蔵の晩年と仮定すれば、時は天保年間ということになる。また悪役が覚書を交わした若年寄の「本庄安芸守」は、実在の大名で美濃高富1万石の本庄道貫と名前だけは一致している。堀田豊前守というのはさすがに実在しないだろうが、寺社奉行というからには大名であり、かつ幕政の出世株だったと思われる。 それで映画の内容は、特撮とかいうよりほとんど完全に時代劇である。大人としては、子どもが見る映画にふさわしくない要素が出ると気になるわけで、町娘が悪役の屋敷に奉公に上がる意味は子どもにはわからないだろうが、実際の屋敷の場面で少々微妙なところがあって(人払いしたように見えた直後に場面転換)、これは本当に手篭めにされてしまったのではないかと一瞬心配になった。しかし危ういところでちゃんと助けが入ったのは、予定通りなのだがホッとした。子ども向けの妖怪映画でそんなことを心配している自分が馬鹿みたいである。そのほか長屋のお仙(坪内ミキ子氏)が、主人公の男に寄せる想いを表情に出していたのがちょっと見どころかと思う。 一方、妖怪映画としては大人が見るとほとんど怖くなく、百物語で始まったはずがなぜか最後は百鬼夜行になり、一度に大勢出るのでユーモラスで賑やかな印象が強くなっている。ただ置いてけ堀の話は、ちゃんと和風情緒ただよう怪談としてまとまっており、もとの本所七不思議の話より怖くなっていた。また“再度の怪”に脅かされた男が、口に出してしまったら同じことが起こる、と考えていたのも面白く、伝統的な感覚を生かした正統派の妖怪映画という面を持っているのは間違いない。 それから、最後に悪人が滅ぶ勧善懲悪的なストーリーではあるが、寺社奉行を大目付組下の武士が摘発し、町人の方を妖怪が制裁したのが連携プレーではなく全く別行動だったというのは、人間と妖怪に慣れ合いなどない、という基本線を守ろうとしていたように感じられた。 なお劇中の噺家の語り口は本格的で興味深いが(本物なので当然)、この人の「言い伝えというものはそれだけの謂れがあって…」という台詞は、現代ではもう聞くことのできない名言と思う。俗信などあまり気にしてもキリがないわけだが、それでも無視して後悔するよりは、とりあえず従っておいた方が無難、という程度の感覚は持っていてもいい。[DVD(邦画)] 6点(2012-11-12 22:02:11)(良:1票) 《改行有》

1190.  ゾンビ大陸 アフリカン 《ネタバレ》 こういう映画を見ると場所がどこなのか気になって仕方ない。主人公の台詞に出る「西経20度」は大西洋上なので真に受けないとして、相棒役のアフリカ人が所属する「セヌフォ族」というのは実在の部族のようで、主にマリ、コートジボワールとブルキナファソ、及び一部がガーナに居住しているらしい。実際の撮影場所は主にガーナとブルキナファソだったようで、劇中車両にブルキナファソの国旗らしきマークがついている場面があった。 映像面ではアフリカの景観が印象的で、最初が海、あとはサバンナから半乾燥地帯までの明るく乾いた風景の中を登場人物が移動していく。その間、原題のThe Deadがそこら中を徘徊しているのが始終画面に映り、この連中もアフリカの風土の中にとけ込んでいるように感じられる。動きが遅いのはゆったりとした雰囲気もあるが、限られた時間内に何かしなければならないスリリングな感じを出すには効果的であり、また移動中はいいが停止すると包囲の輪が狭まって来て、夜も寝る間がないという状況設定が特徴的である。肉をかじり取る習性は野生動物を思わせるものがあるが、これは人類の天敵が出現したということか。 ほか登場人物のうち相棒役のアフリカ人が篤実そうで好印象なこともあり、個人的には良質の娯楽映画として見ることができた。 ところで終盤に出た村のリーダーが「この村で生まれ、死んでゆく」と言ったのは、別にここだけではなくどこにでもある感覚と思われる。部外者の立場としては危険なら逃げろというのが普通の考えだが、土地に根差して暮らしてきた住民には受入れがたい面もあり、これは日本の災害時にも表面化することがある。劇中世界に関していえば全世界が同じ状況だったようなので、共同体単位で守りを固めるのは結果的に正しい選択だったともいえる。 その一方で主人公と相棒が厳しいサバイバルを続けていたのは自分のためというより家族(子孫)のためであって、そのような目的意識も人類存続の要因になることを示したように見える。最後は2家族分をあわせて一つになってしまっていたが、絶望的なようでもわずかな希望を残す終幕だったのは悪くなかった。 (2024-03-23文章校正)[DVD(字幕)] 7点(2012-10-28 12:56:59)(良:1票) 《改行有》

1191.  妖怪大戦争(2005) 《ネタバレ》 大映の旧作をベースにしながらも、企画に関わった作家諸氏の作品世界や稲生物怪録などを加えてごたまぜにした感じの映画で、何か仲間うちだけで盛り上がったような印象がある。「手の目」とか「震震」といった、旧作に出ない妖怪が実写化されただけで感動するようなカルト的妖怪ファンがいればともかく、一般人としてはそれだけで乗るわけにもいかない。個人的には「網顔」というのが出れば少し喜んだかも知れないが、今回は採用されなかったらしい。 またストーリーも支離滅裂で圧倒的に面白くない。何が起こっているのかわからない割に変に意味ありげな台詞が入っているが、わからせようという意志も感じられず、小説版をわざわざ読んでみる気にもならない。形の上では泣かせる場面もあったが、真面目に泣かそうとしているようにも見えなかった。ほかキャストは豪華なようだが、砂かけ婆を演じていたのが誰だったのか、エンドロールを見なければわからない映画などあったものかと思う。 ただ、川姫の太腿の魅力に関しては皆さんのいうとおりである。男児ばかり狙うのかは不明だが、一度出会ってしまうと生涯心に棲みつく胸キュンタイプの妖怪らしい。少し客観的にいえば、多くの男子の心の深層に潜む“近所に住んでいた憧れのおねえさん”のようなイメージを外部化した妖怪と解釈できるかも知れない。また父親サービスとして見れば、古きよき昭和特撮映画の伝統に倣っているといえなくもない(ただしエロすぎて不健全)。[DVD(邦画)] 4点(2012-10-15 19:11:43)(良:1票) 《改行有》

1192.  ラッキー・ガール 《ネタバレ》 見ていてひっかかるところもなく軽快でほのぼのして楽しい。ヒロインは一応大人の女性なのだろうが、キャリアウーマンにしては可愛くていい感じだし、その友達も、下手すると不幸に巻き込まれそうなのにあくまで優しいのはうれしくなる。成功者への対抗心が感じられないのは自分の可能性を信じているからだろう。ラストはハッピーエンドとわかっていても一応ハラハラさせておいて、その後のコンサートで盛り上がるのは素直に気分がいい。 それで最後は“愛とは与えあうもの”ということになったのか、運不運をぐちゃぐちゃに混ぜてしまって余った分をおすそ分け?したらしい。これで多分2人とも普通の男女になったのだろうから、あとはツイてる時もあればそうでない時もあるし、いいことをすれば果報もある。その上でヒロインの友達と同じように、いつも前向きでさえいれば幸運をつかむチャンスもあるという、そんな おはなしなのかなと思った。普通にしあわせそうな2人で大変結構でした。Good Luck.[DVD(字幕)] 6点(2012-10-15 19:10:39)(良:1票) 《改行有》

1193.  金星人地球を征服 《ネタバレ》  一つ前のレビューに微妙に心打たれてしまったので、おれもこういう見方ができないだろうか、と思って見直してみたが、初回の印象と同じだった。やはり自分は自分と思うしかない。 それで中身については、要は金星ガニの映画なわけだが、見てまず驚いたのは真面目な映画だったということである。劇中人物が夫婦愛について真剣に語るのは感心してしまったが、しかし主役と軍隊以外が全員死亡というのは何とも殺伐として救いがない。わが国では宇宙人が倒されると、操られていた人々が一斉に元に戻ってよかったね、というのが普通なのに、この映画では洗脳された人間はもう殺すしかないらしく、これには昭和特撮の優しさをあらためて感じた…というか日本の特撮は子ども向けだからだろうが。 ところで、この映画では洗脳で人間の感情を失わせることを問題視していたが、本当に問題なのは教育や宣伝で人間の感情を一方向に誘導することの方だろう。そもそも民主主義にとっては、感情というより自立した理性と意志の方が重要ではないのか(建前だが)。そういうことを考えているようにも見えず、何か平気で教宣活動をやっているようなのは天然なのか特に理由があるのかわからないが、とにかく力んだような外見の割には少しずれた感じのする映画だった。 しかし、そういう変な社会性とは無関係に、羽目を外さない程度の笑いが映画の印象を和らげており、特に洗脳されたはずの将軍が脱力系のジョークを言っていたのは笑った。これのどこが感情を失った人間なのか。また牛はダメだがニワトリは黙認というのもわけがわからず失笑してしまう。そのほか、最初のロケット打上げの映像が大昔の映画にしては斬新で、これは率直にほめていいと思う。[DVD(字幕)] 4点(2012-10-15 19:09:40)(良:1票) 《改行有》

1194.  猫の恩返し 《ネタバレ》 ジブリアニメとして期待すると落胆するというのはその通りだが、それ以前の問題として、ここまで原作を崩す必要がどこにあるのかわからない。舞台設定とかストーリー構成は原作の方がはるかにしっかりしている(けっこう泣かせる話だ)が、映画では猫の国の性質があいまいな一方、「自分の時間を生きる」という意味不明な概念が半端に出ていたりして、何がいいたいのかわからなくなっている。 しかし、そんな問題点などどうでもいいと思わせるのが主人公の存在である。普段のふるまいは のほほんとして可笑しく、ビジュアル的にも十分カワイイと思うが、特に猫になりかけの顔に萌えてしまって、個人的には日本アニメのベストヒロインに認定したくなる。問題は状況に振り回されやすいことだろうが、そこは町田君など比較にならないほど大人で知的でクールな紳士が適切にリードしてくれたことで、各種トラブルもふわりと乗り越えた感じだった。 それで、この事件を通じて主人公も何か変わったはずなのだが、どこが変わったのか正直よくわからない。ただ髪は短くしたようだし(美少女に対抗するのをやめたか)、とりあえず子どもの頃のように自然体で、自分の思うように生きていけばいいかもという感じである。別にシングルマザーを奨励するわけではないが、やはり母親の姿がひとつの見本なのだろう。ラストにかぶさるテーマ曲も軽快で、ああよかったねと気持ちよく終わるアニメだった。 ところで余計な話だが、ジッキンゲンというのはドイツに実際にいた貴族(男爵)の家系で(ただし綴りはSickingen)、一族の中では16世紀はじめに大活躍した帝国騎士フランツ・フォン・ジッキンゲンという人が有名らしいが、バロンのイメージモデルにしては少し粗暴な感じなのが残念である。[DVD(邦画)] 8点(2012-10-01 22:03:21)(良:1票) 《改行有》

1195.  となりのトトロ 《ネタバレ》 20年以上前にTVで見た時は、まずはオープニングの画面に蠢く気色悪い生物が印象に残った。通常の美化された自然描写では出ないこういうものをあえて引っ張り出し、この映画はありのままの自然に向き合っておおらかに受け入れているように感じられる。ただしメイが脇目もふらずに歩いていく前後で気色悪いのが時々表に出て来ることもあり、たまたま遭遇を免れたため気づかないでいた危険の存在を示しているようにも見えている。 また最初に見た頃は、親子向けアニメなど自分の見るものではないと決めつけていたところもあったわけだが、歳とってから改めて見るとこれが結構切ないものがある。お母さんが心配で泣き出すサツキがかわいそうでならない、などと若い頃なら絶対思わなかったろうが、これに追い討ちをかけるように劇中ではメイまでが失踪してしまい、子どもらが日常のすぐ裏にある不安や危険に常に晒されていることも示されている。そうした重層性は、実はトトロやネコバスのいる並行空間にも言えることだが、幸いおばけの世界は子どもの味方だったようである。 一方エンディングでは、秋になってお母さんが無事退院した後の様子が描かれており、幼かったメイが年下の子と遊んでやるようになったりして、少しずつ変化しながら季節がめぐって行くのが表現されている。キャッチコピーの「このへんな…」というのも、成人後のサツキが昔を振り返って語った言葉だろうから、この家族には未来につながるしあわせが約束されていることは疑いない。いくら裏のあるアニメでも、このストーリー自体をバッドエンドとして裏解釈することなどは無理だと思われる。 ただし、例の都市伝説に出る陰惨な事件がこの映画(S33の所沢市と仮定)とほぼ同年代の同地方で起きたこともまた事実である。劇中の時点では事件の被害者もすぐ近くに住んでいて、かつサツキとほとんど同年輩だったはずだが、しかしそういう暗い背景があればこそ、かえってこの映画の明るく楽しい子どもの情景がさらに奇跡のように輝いて見える気もした。子どもにそんなことを教える必要は当然ないが、この世界に現実にある不安や危険を知る大人であればこそ、この映画で描かれた家族のしあわせがどれほど貴重なものか認識できるのも間違いない。これに気づくことで、単なる子ども用アニメを超えた価値を改めてこの映画に感じることができたというのが、今回見直した後の実感だった。[DVD(邦画)] 8点(2012-10-01 22:02:13)(良:1票) 《改行有》

1196.  火垂るの墓(1988) 《ネタバレ》 20年以上前にTVで見た時は、子どもを死なせてまで人を泣かそうとする、卑怯で許せない映画だと感じた。しかし今回見直したところ、ただ淡々と兄妹の境遇を描いているだけに見えたのは意外だった。若い頃と比べて神経が図太くなったからだと思うが、アニメの見方自体が変わったこともあるだろう。しかし同時に、やはり子どもに直接見せるようなものではないとも思った。 ところで普通、こういう悲惨な話に接した場合は、自分の気持ちを整理するためにまず誰を非難すべきか明らかにしようとするものだが、この映画の中では主に次の5つが考えられる。  ①民間人を殺傷する目的で都市攻撃を行ったアメリカ  ②結果的に多数の国民を死亡させるに至る戦争に踏み切った日本政府  ③大人の事情(やっかみなど)から兄妹を疫病神扱いした親戚  ④適切な判断によらずに家出し、結果的に妹と自分を死なせた兄  ⑤その他、兄妹を放置して死なせた周囲の人々(通行人など)  この中で、自分ならまず①を大いに憎むが、通常は①②の区別なく抽象的な「戦争」を非難するのが国民的常識あるいは自明の正義ということらしい。その一方で④を強調する人も多いようだが、劇中でも家へ戻るよう諭す農夫が出ていたことからすれば、特に強調せずともこういう要素が含まれていること自体は明らかである。ほか③や⑤は鑑賞者本人にも返ってきそうな話で、これは自省すべきなのだろう。また直接の責任はないが、最後に出ていた良家の子女は現代人全般に通じる存在かと思う。 それで今回強く思ったのは、別にこの映画自体は何かを主犯に仕立てようとしているわけでもなく、ただありのままを提示しているだけではないかということである。それで何を感じるかは人それぞれというしかないが、“忘れてほしくない”という思いは強く感じられた。それとは別にテーマがあるとすれば、生命が脆く儚く、たやすく失われてしまうことの悲しみ、ということだろうか。劇中では空襲で多数の人間が死亡する一方、兄妹が一時の楽しみのために大量のホタルを死なせてしまう場面もあったが、それも含め、とにかく描かれた内容を真っすぐに受け止めなければならないと思ったのが、今回見直した後の実感だった。 なお映画の評価については、本心ではトトロと同程度なのだが、あまりにも社会的に色が付きすぎていることへの反発があるため、採点放棄の意味で0点とする。[DVD(邦画)] 0点(2012-10-01 22:01:24)(良:1票) 《改行有》

1197.  ちーちゃんは悠久の向こう 《ネタバレ》 原作は全体的に変な話だが、映画ではこれを大規模に改変し、主要部分を普通に切ない青春物語のように仕立ててあるので、その流れで見ればラストも爽やかに感じられるかも知れない。しかし青春物語というのはあくまで表層だけのことで、実は無邪気な顔で邪魔者を容赦なく排除し、恋敵の身体を奪い取って心を抹殺する天然の残酷少女を描いたという見方もできる。映画ではそういう二重の解釈が可能なように作ったのかも知れないが、それにしてもこの映画では全体として純愛ストーリーの印象が非常に強いため、ラストの違和感だけが突出して見えたというのが実感だった。映画のちーちゃんは決して嫌いでないが、ラストがこれではドン引きである。 また、先輩が理不尽な仕打ちを受ける理由が「のっぺらぼう」だからというのはまずい言い訳にしか感じられない。この映画を見る限り、この人はこのままで充分に個性的な魅力があり、かえって台詞の説明の方に説得力がなくなっている。こんなに可愛く見せておいて原作通りのラストでは、先輩があまりに可哀想ではないか。 そういうことで不満の多い映画ではあるが、主演女優が嫌いでない(それが見た動機)のと、先輩役もかなりいい感じだと思った(何かすごく可愛い)ので、極端に低い点にはできない。子役の2人も微笑ましい。[DVD(邦画)] 3点(2012-09-24 20:03:17)《改行有》

1198.  宇宙戦艦ヤマト 《ネタバレ》 「古代くんが死んじゃう…」がないのは知っていたが、「馬鹿め」の返信や、ワープ時の視聴者サービスくらいは短いので入れてくれてもいいだろう。要はTVシリーズの総集編なので映画として評価すべきものでもないだろうが、中身は一応ヤマトなので、ヤマトに関することを書いておく。 まず2世紀前の廃物を改造するのが不自然なのはもちろん、全体的にも科学考証度外視でサイエンス・フィクションとしては落第だと当時の小学生でさえ思っていた。また何かと適当な作りに思える部分が多く、ご都合主義も満載で動画としても粗い印象があり、決してベタ褒めできるようなものではない。 しかし自分にとってこのストーリーの価値は、実はそんなことには全く左右されない。悲運の軍艦大和が宇宙戦艦として復活し、大遠征の果てに目的を遂げてちゃんと還って来る、という点に激しく共感したからこそ、各種の問題点は当時から全部不問にしていたのである。また、勝利と引換えのあまりに大きな犠牲に茫然とする描写や、周囲が喜びに沸く中でひとり家族の写真を見ながら息を引き取る姿など、見るべき場面もちゃんと用意されている。個人的に忘れがたいアニメであったことは間違いなく、自分にとってのヤマトはこのTV第1シリーズだけで充分だというのが、その後の商業展開を横目で眺めて来た立場からの実感である。個人的に一定の思いもあることから、ここは総集編というよりTVシリーズに対する評価をそのまま点数にしておく。 ちなみに思い出話になるが、うちのクラスでは短いチョークを教室の天井に投げ、跳ね返らせて目指す相手に当てるのを反射衛星砲と言っていた。授業中にこれをやったら、怒った相手からチョークが一直線に飛んで来たことがあった。[DVD(邦画)] 7点(2012-09-24 20:02:21)《改行有》

1199.  ホッタラケの島 遥と魔法の鏡 《ネタバレ》 まず評判になっている女子高生のパンチラに関しては、自分が見たところスカート丈に応じて自然な範囲に収まっており、まあご愛嬌といえる程度である。それより体型や姿勢があからさまにエロい方がよほど問題だと思うが、小さい子どもならわからないだろうから、成人男子としてはあまり目くじら立てずに黙って見ておけばいいだろう。 それで内容については、見る前はもっと環境っぽい話かと思っていたが実際はそうでもないようで、消費行動はそのままにして要はリサイクルすればいい、というのは現代日本の感覚そのままである。劇中では、本人が断捨○しなくても誰かが勝手に回収してくれていたのが都合良すぎともいえるが、実際には親がだまって古いものを処分していた場合もあるはずで(主人公の友人の回想はその例)、本当に大事なら放置するなと親に代わって言ってくれているのかも知れない。 一方ストーリーとしては、まるきり子ども向けというより思春期以降向けのお話で、ベタな展開だが一応まともな話になっている。哀れなお父さんが最後に見直してもらえたのは幸いだったが、ただし仮に今回のことがなかったとしても、女の子なら結婚のときに記憶の総ざらいの機会があるだろう(最後は葬式)。このお父さんなら披露宴で泣きそうだ。 全体としてはドタバタした展開が面白く飽きないのと、主人公の表情が可愛くて目が離せなかったので、本来なら少しいい点を付けたいところである。ただし、途中でいかにもフジテレビ系らしい悪ふざけとも取れる箇所があったので、念のため減点しておく。サントラCDも感じがいいのに残念なことだ。[DVD(邦画)] 6点(2012-09-02 19:53:35)《改行有》

1200.  生きない(1998) 《ネタバレ》 最後の笑いの解釈にもよるのだろうが、何を意図した映画なのかは結局わからなかった。劇中で女子大生が言っていたことはまさに正論で、この人物でこの年齢ならそれで十分なわけだが、こういうのを叩きのめすのが目的だとすれば大人気ない。生きることの意味、存在の意味に疑念を抱く立場との間で相対化するなら納得できるとしても、ラストは結局後者のみを支持しているように見え、それなら一人で勝手にやれよと言いたくなる。あるいは単に破滅願望を満足させたいだけのようでもあり、それも世間的には一定のニーズがあるだろうが、他人を巻き込まなければ気が済まないというなら個人的には全否定する。 それから、世の中普通にしていても交通事故に遭わない人間の方が圧倒的に多いわけで、都合よく一度に全員死亡などというのは作為しか感じられず、TVの短編ドラマ並みの安易さである。これではとても世の無常などには考えが及ばず、死人の山ができて大喝采というようにしか受け取れない。シリアスな話でこれはないだろうと思うが、それとも最初からこの映画はブラックコメディだったのか? 何にせよ意図がよくわからない映画である。 以上、もしかすると優れた映画なのかも知れない(そのように取る人がいるのもわかる)が、クソ映画の懸念も払拭されないので念のため低評価にしておく。舞台版というのはまた違うのかどうか。 なお女子大生、及びその他の脇役の面々は好印象だった。映像面も音楽も悪くない。[DVD(邦画)] 2点(2012-09-02 19:52:38)《改行有》

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