みんなのシネマレビュー |
|
1321. つばさ 《ネタバレ》 とにかく視点が自由に動ける、ってことが映画の獲得した喜びのなかでも重要なものだったということがよくわかる。ブランコといっしょに揺られ、向こうから来る男が上下しながら近づいてくる。テーブルを越えてぐんぐんシャンペンに近づいていくカメラ。そして何と言っても飛行機からの眺め、兵隊がワーッと散っていくところなど、そのまま『地獄の黙示録』へつながっていくノリ。空中戦でちっぽけな飛行機が雲海に沈んでいくのなんかも、なかなか哀切で、当時の観客のショックは大きかっただろう。せいぜい車や列車のスピードを実感するぐらいの生活だったのだろうから。ラストは反戦っぽいけど、どちらかというとアメリカ魂の謳歌のほうに主点があった。隊での上官の雰囲気とか、クララ・ボウの一途さなんかもアメリカの理想像。控え目なようでいて積極的。友情の皮肉な展開、「俺だよ、俺だよ」とパニックになるところが怖い。爆弾投下のシーン、落ちていって家を爆破するところまでワンカット、あれは迫力あった。教会の尖塔の天辺が崩れてきたり。疲れて一服してた兵士が、爆片を浴びてその姿勢のまま死んでしまってるなんてのもあった。第一次世界大戦てのが、まだつい最近の出来事で、それに関するあれこれが、まだまだニュース的に新鮮だったんだな。ちょい役でゲーリー・クーパーが出てきたとき、場内に拍手が起こったのは驚いた。20世紀末の日本で観たんだけど。[映画館(字幕)] 7点(2010-07-29 10:38:55) 1322. 未来は今 時代はフラフープの58年ということになっているが、空気は20~30年代。アールデコ調の美術、それとキャプラタッチのせいだろう。冒頭のリズムなんかなかなかよろしく、運命の求人広告につくカップのワッカが後のフラフープを予告したり。でもストーリーは美術的興味へ奉仕するだけに提供されていて、いやそれでもいいんだけど、やっぱりなにかキャプラの伝統に対する批評もほしいところ。伝統を継ぐってのは、批評精神を持って生かせるものを生かしていく、ってなかにあるんじゃないか。落ちた主人公が助かる展開などパロディとしての批評なのかも知れないが。実際に存在したフラフープを使って、ここまで話を作っちゃうってのは、素直にすごいと思う。でもやっぱりポール・ニューマンの副社長室の秒針の影など、美術のほうがこの映画の命。[映画館(字幕)] 7点(2010-07-28 10:02:25) 1323. あんにょん由美香 ほとんどの証言者は男であり、彼らが口を揃えて言うのは、由美香の男性性についてだった。ゴーケツだった、とか。男のスタッフに囲まれて女性性を売り物にする仕事をしていた彼女は、オヤジ化して対さざるを得なかったのか。女性関係者では銚子でひとり登場しただけで、彼女はいたって影が薄く、男性の陰に隠れるように「女性的」にふるまっていた(この銚子の寂れたシーンはいい)。たしかにこういうエロ業界では、女優はうたかたのように通り過ぎる者であって、過去の証言者を探すのは難しいだろうし、探し当ててもインタビューに応じない可能性も高い。だから非常に男性に偏った証言になってしまう。そのなかで、今はもういない由美香だけが、どんどんオヤジ化されてイメージされていく。そこらへんが面白かった。男たちのイメージの中で、彼女はある種の祭司に祭り上げられていくが、それでいいのだろうか。彼女はほかのうたかたのような女優とは違った、っていうことが強調されていくが、小遣い稼ぎでチョコチョコっと業界を通過していった女性群たちのエネルギーこそ、もしかするともっと注目すべきものだったのかも知れず、うっかり業界に残ってしまいオヤジとなって死んでいった由美香さんは、こう祭り上げられるよりも、別の視点で見るべき犠牲だったのではないか、という気持ちもちょっとする。この映画が男のみの視点になってしまったことからくる単純さを感じた。もっとも男にもドラマはあり、子どもの出産の日が撮影日だった、という男優の話など面白かった。子どものためにも仕事に精を出さねば、とセックスシーンに励む。セックスと出産と子育てという本来哺乳類として密接に繋がっているものが、ずいぶんややこしい遠回りな関係になってしまっているおかしさ。そして「ラストシーン」。以上のような理由で、これは男だけの身勝手な祝祭でしかないと醒めて思う一方、関係者一同が揃ってくるとそれだけで、映画ならではの「たむけ」として心動かされてもしまうのだった。[DVD(邦画)] 6点(2010-07-27 10:49:29)(良:1票) 1324. パルプ・フィクション 三すくみの好きな監督だが、これにもあり、またこの映画そのものも、支え合っている三つのストーリーの三すくみ状態と言えなくもない。人間の面白さへの興味よりも、人の世の面白さへの興味が、こういう形式を作らせるのだろうか。面白いことはとても面白いが、材料を十分に見せられて、チャッチャツと料理を簡単に済ませられた気分もある。話の突発性はやはり楽しく、こうなるとこれからの展開はどうなるんだ、ってなスリルがしばしば訪れる。ユマ・サーマンにカウ・ガールと言い、トラボルタに踊らせた。あとクリストファー・ウォーケンをベトナム帰りにしてたっけ。旧作への挨拶を忘れない律儀さというよりも、単にユーモアと取るべきだろう。フェイド・アウトにもとぼけた味がある。そういった笑いのなかに、負け犬の最後の復讐というか、男意気のドラマがあって芯になっている。[映画館(字幕)] 7点(2010-07-26 10:05:22) 1325. アブラハム渓谷 ナレーションに語らせる、つまりこれ弁士付き映画として徹底された世界。ま、ポルトガルに弁士付き無声映画はなかっただろうが。そこで登場人物すべてが何者かによって見透かされている感じになる。真正面から捉えるが、実体のない影のような人々。音楽も徹底して流す。一楽章まるまるとか。徹底すると言えば、みながエマに惹かれていくってのも徹底していて、下男や執事さえも。なんか『テオレマ』をちょっと思った。ヒロインの持っている軽蔑、男社会へ対してなのか、もっと広く現実すべてに対してなのか。ただそれを深い謎として展開するには、彼女若すぎた。表情も一本調子で、長い作品を持たせるには弱かったと思う。[映画館(字幕)] 6点(2010-07-25 09:46:47) 1326. ラウンド・ミッドナイト 《ネタバレ》 親切とか友情とかいうよりも、もうこれは献身ですな。身を滅ぼして創造していく芸術家、それにインスピレーションを受ける生活人。この男がイラストレイターってのが、うまい設定。芸術家と生活人の境界にいる。彼の親たちのような「調和のある暮らし」をしてるわけじゃないし、また奏者のように確固とした自分の芸術世界を持っているわけでもない。その両者の間で宙ぶらりんになってるんだけど、ひたすら献身と保護で、芸術家と調和のある関係を生み出してしまう。彼が献身する主人公のサックス奏者のオッサンがいいんだ。デクスター・ゴードン。ボーッと立っててゆっくりゆっくり歩くの。表情はほとんど変化なしで、でもその分、酒をやめると決意するあたりはジーンとしてしまう。あと誕生会のとことか。ただボウゼンと座ってるだけなんだけど、味わいがある(演技の素人を使って味のある芝居を引き出すってのは、イタリアのネオ・リアリズムやら、清水宏やら、ブレッソンやら、映画史で繰り返されてるんだけど、これは映画ってものが「演劇」の発展したものでなく、あくまで「記録」の精神から出発してることと関係があるんだろうな)。日が射す海辺を少女と遊ぶ場面以外は、ほとんど夜か曇天の世界で空気がこもってる感じ。人と人が理想的な組み合わせで出会う、ってのにしみじみ感動させられてしまうのは、そういうことが現実には滅多にないからなんだろう。後を追いかけていったらオレンジジュースを注文していてほっとするところ、などジンワリ。[映画館(字幕)] 7点(2010-07-24 10:06:12) 1327. 盗まれた飛行船 レトロ感覚の人。ときどき挿入される大衆読み物の挿絵ふうの画像に対する愛着。子どもたちが猛獣に襲われているかも知れない、という場面で何枚かパラパラと綴られるやつ。そして銅版画ふうの線描世界。きっとこの人は、こういう時代に暮らしたかったという憧れを持ってたんだろうなあ。なんか寺山修司と共通した嗜好があるみたい。過去へ引きずられがちな傾向。プラハのほうの話でのいちいちのセット・建造物もいいし、少年たちのほうでは洞窟の中の入り江ね(これ『悪魔の発明』のときにも使った図柄じゃないか?)。とにかくとても面倒なことやって、自分の世界にしちゃってる。その特別なシーンだけが浮いてしまうことなく、一編の映画そのものがトリップしてしまう。新聞記者に発砲する家族がおかしかった。ただ筋立てが二つに分かれたぶん、『悪魔の発明』よりはいくぶん物足りない。[映画館(字幕)] 7点(2010-07-23 10:04:50) 1328. ロボゲイシャ 《ネタバレ》 『愛のむきだし』における渡部篤郎が、どこか演技に自信なげで、こんな感じでいいのだろうか、と自問しながらラジオ体操をしていたのに比べ、こちらの志垣太郎はさすが、堂々と悪役を迷いなく演じきり、年季の違いを見せつけた。そして生田悦子、私は随分久しぶりにお会いしたが、ほとんど草笛光子になっていて粛然とさせられた。で作品内容ですか。んー、竹林で看護婦が唐突に迫ってきたあたりなどに、この監督の匂いを嗅いだな。とりわけ看護婦がやられた後で肩車して二段になった天狗女らがゆっくりと手を水平に広げていくあたり(観てない人には何のことか分かるまい)。芸者カツラのヒロインが三味線をジャジャ弾きしながら戦車になって走り出すあたり(観てない人には何のことか分かるまい。観てたってよく分からないのだ)。まあそういう映画なのだが、前作のセーラー服には監督の熱烈な執着を感じたのに対し、こちらの芸者は取り敢えずの題材という気配で、もひとつ製作者側のノメリコミが欠けていたような気がする。さして必然性なくヒロインたちにルーズソックスのセーラー服シーンを与えていたっけ。まあほとんどのシーンに必然性はないんだけど。[DVD(邦画)] 4点(2010-07-22 10:06:34) 1329. 世にも怪奇な物語 中世ヨーロッパを一番感じさせない女優に演じさせることで、ハンバーガーの香りのする奇妙な味を狙った、という訳でもなさそうで、こりゃ単に監督の個人映画と思えばいい1作目。馬小屋が焼け崩れた向こうに夕日が見えるなんてのはちょっと美しかった。2作目になると、ひどい奴をやらせるとアラン・ドロンの冷たい目つきは良く、勝ってたバルドーがフッと表情を強ばらす瞬間など、ヨーロッパの俳優のほうがポーはいい。つまりポーのころはアメリカ文学も実質ヨーロッパ文学だったってことか。でもこのオムニバスの価値は3作目。フェリーニの世界が凝縮されている。といっても本道をいく作品ではなく、異色作ではある。いつもの猥雑な幻想は人肌の温度を持っていたが、これは冷たい(後年『ジンジャーとフレッド』でもテレビの世界を扱ったが、あれは陽性だった)。それと製作費の関係だろうが、美術=セットにそれほど金を掛けてるようでなく、ロケの比率が高い。しかしその分、人物の顔のフェリーニ的カットがじっくり楽しめ、監督のやりたいことの手つきが認めやすい。人間はマネキンのようになり、疾走する車の道には人間のようなマネキンが立つ。疲れきった主人公。人々の喧騒から逃れるためには、車の爆音に包まれなければならない。休息を求める人々ってのが、フェリーニが一貫して描いたモチーフ。爆走の合い間に静寂が入るのが効いている。変な酔っ払いの表情も不気味なんだけど、ああいう表情が不気味になるって、どうやって発見したんだろう。橋の向こう側に少女を見て、ヒステリックな笑いが決断の表情に変わっていくとこがポイント。安息としての悪魔。テレンス・スタンプって『コレクター』と『テオレマ』とこれの強烈3本で、“こういう人”専門と頭に叩き込まれたもので、後年『プリシラ』でオカマ役を観たとき、へー、普通の人の役もやるんだ、と思ったものだった。[映画館(字幕)] 8点(2010-07-21 10:02:01) 1330. アバター(2009) 《ネタバレ》 水面や波のCGなんか随分うまくなってるなあと感心したけど、ナヴィの世界が人間世界に切り替わるときの質感の違いは、やはり気になる。同一地平で起こっている出来事という共通感が得られなかった。CGの進化は、どうしてもアナログ的な実写からは遠ざかる方向にあるようだ。だからそれを生かす筋立てならいいのだろうが、この話の場合どうだっただろうか。その質感の違いは、車椅子の人間が元気に動き回れる夢としてのナヴィの世界として一番感じられ、自然保護テーマの物語としては、加害者側と被害者側がうまく噛み合ってくれなかった。そしてアメリカ映画の原型のような話の展開、無邪気なのは分かるけど、悪意がないからといってすんなり受け入れるわけにもいかない。インディアンが蜂起するとしても、その中心にWASPを置かないと落ち着けない大前提がある。それでラストでは主人公は敗北の側からスルリと抜け出してしまう。また、竹槍で近代兵器に対抗しようとし最後は神頼みで敗れていった歴史を持つ国の住民としては、あの展開はかなり鼻白む。エイワの神が助けに来た! って言われても、なかなか神風は簡単に吹いてくれないことを、あなたの国にいやというほど教え込まれたもので、理想を描いたオハナシだよとは思っても「なんだかなあ」である。住民たちの祈りのシーンは東宝にやらせてほしかった。ああやってただ祈ることに関しては、ハリウッドより年季が入っている。宙に浮く岩山って、すでにパン兄弟の『リサイクル』で目にしてるけど、あっちはただ浮いてただけで登ってはいなかったな。[DVD(吹替)] 6点(2010-07-20 11:04:48)(良:1票) 1331. 未来世紀ブラジル 《ネタバレ》 たとえば、拷問の記録をタイプにとっているところ。担当のオバサンが打ってるタイプを主人公がちらっとのぞくと「HELP!」と悲鳴が並んでいる。話しかけてオバサンがイヤホン外すとじかに悲鳴がもれてくる。あるいは食事の場でのテロ爆弾の炸裂、それでもせっせと食事を続ける人たち。ドンパチやってる脇で掃除を続けるオバサン。デ・ニーロが情報用紙に絡みつかれていく脇をゆく通行人。なにか切迫した大音声の世界と、静寂の事務的な世界がつながっている。事務の静まりのほうが大音声を圧倒し包み込んでいく。これは単にギャグと言うだけでなく、現代社会そのものといった納得を感じた。そういった大音声への無関心を導く社会の果てに、ラストの「ブラジル」を口ずさむ呆けた夢の世界が待っているのだろう。そしてこれはスクリーンを観ている私たちを皮肉っているのか、という気にもなってくる。カフカ的な暗い未来社会もの、って映画はほかにもあるが、とりわけこれは笑いと戦慄の振幅が大きくて好き。オタフクの笑顔もそうとう気味悪い。この後に観たフランス映画の『デリカテッセン』てのでもラテン音楽が暗い未来社会に流れていた。一番「自由」を感じさせる音楽なので皮肉に響くのか、あるいは世界が北方的に陰鬱になってしまったので皮肉に響くのか。ラテン音楽が皮肉に響くようになったら、その社会は要注意ってことだ。[映画館(字幕)] 9点(2010-07-19 10:57:20)(良:2票) 1332. 平成狸合戦ぽんぽこ 《ネタバレ》 ちょっと話を複雑にしすぎたか。ワンダーランド社長や狐が絡んでも尻すぼみで、いっそプロパガンダならプロパガンダに徹したほうがスッキリした。そして戦う相手が茫漠としている。作業員三人を殺してどうなるものでもない。この相手のはっきりしないところが、現代のポイントなのではあるけれど。だからこれと対になるように玉砕したわけか。絵としては、狸が三段階になる、リアルな狸・マンガ狸・デッサン狸で、この簡略化されたデッサン狸になるのが、よく意味は分からないが、なんか面白い(群衆だとなる、ってんでもないんだよな)。妖怪パレードのシーンが楽しい。市民社会と幻想とが混在し、市民が楽しんでしまうの。懐かしむというか。屋台の背後での行進、小さな阿波踊りなど、この小ささに味わいがある。消え去った後、ガードレールなどに腰掛けて、あたかも花火大会が終わった後のような気分のカットがいい。その点、ラストの田舎の幻想は、あくまで現在のニュータウンと画面の中で混在させなければならなかったんじゃないか。ナレーションを語らせ続けるのは、そう悪い試みではなかったと思うけど、ときに自然保護運動のチラシの中にあるような固い言葉になる。[映画館(邦画)] 7点(2010-07-18 10:53:21) 1333. 地下鉄のザジ なんか育ちのいい子が、無理にイタズラッ子ぶってる、っていうような感じ。フランス映画って、戦前の人情喜劇の伝統がドンとあるわけで、でもなぜかアメリカ的なスラプスティックにも憧れを持っている(ルネ・クレールはうまくスラプスティックを使えたが)。ああいうのやってみたいなあ、と憧れ続け、しかし残念ながら「育ち」の違いはなかなか乗り越えられない。出だしのタクシーにぎゅうぎゅう詰めになってるあたりは、なかなかいいかなとも思ったんだけど、だんだん醸されてくるフランス風軽妙さと、トムとジェリー的アメリカマンガのタッチとのズレが気になり出す。はしゃぎっぷりに神経質なものが加わってしまう気がする。自作のパロディふうにブラームスを流したりするのも、なんかちょっとこの映画のトーンとは違うんじゃないの、というか、本来そっちの洒落っ気のほうが地なんじゃないか、とか。でもフランス風人情喜劇を(当時の)現代に再現するとなると、こうならざるを得なかったのか、という時代の苦さでもあるのかも知れない。[映画館(字幕)] 6点(2010-07-17 10:06:36) 1334. イヴォンヌの香り 《ネタバレ》 波を追っていたカメラがゆっくり上昇し、船、甲板の女の脇に移っていく出だしは結構ドキドキしたんだけど。けっきょくこの監督は女には興味がないのね。女にうつつをぬかしている男の心理が好きなんだ、ヘンなの。世の中から逃げてる無職、いうのも『髪結い』に同じ。ドンファンの対極というか、いい大人たちが少年のように憧れるの、この人の映画では。でもそういう話では『髪結い』という傑作があるんだからもういいんじゃない、と思ってしまう。この人の映画ではレコードが回ると、物思いに沈んでいく。若い日は帰らない、っていうようなシャンソン。役者があんまり良くなかった、とりわけ女、危なっかしさが感じられない。スタッフがカメラに写らない脇で、一生懸命スカートに風送ったりしてたんだろうけど。「だから目を離すなといっただろ」「離さなかった、見つめすぎたんだ」だって。[映画館(字幕)] 6点(2010-07-16 09:49:44) 1335. リア王 《ネタバレ》 世界の終わり、ってのが実感できた。善玉でも生き残ってるのもいるし、人民は焼け跡から立ち直ろうとしてたりするんだけど、でももう「世界の終わり」は覆らない、っていう荒涼感が支配している。これが古典悲劇の大きさなんだろう。中世的荒野、石が屹立してたりするとこに、木の匂いもするのがロシア的。木の柵や木の車があって英国より土臭い気配が漂っている。嵐のシーン、天からの視点で捉えるって意図、分からなくもないが、もうリアは十分惨めなわけだし、あそこぐらい晴れ舞台にしてやりたいのが人情。天から見下ろさず、最後の運命への抵抗を(抵抗っていうより愚痴かもしれないけど)、互角にさせてやりたかった。シェイクスピアって悪党の使い方はうまいけど、冒頭のほうでリアが愚かに見えちゃうとこが、この話の難しいところだな。けっきょくあの三人娘と親父はみんな同じ日に死んでしまうわけか。[映画館(字幕)] 6点(2010-07-15 12:17:14) 1336. 忠臣蔵外伝 四谷怪談 風に吹き散る桜で始まる。はらはらと散る情緒に対抗するように。また琵琶の響きを入れたことで、話に一歩退いた地点を作れた。少し離れることが出来た。とにかく一つの解釈にはなっている。忠臣蔵と女の争いを対比し、後者のほうにマットウなものを見ようとしている。ドラマを動かすのはお梅、彼女がここまで重要に扱われた四谷怪談はほかにないだろう。荻野目慶子の痴呆ぶり、ちょっとやりすぎかとも思うが、まあ見てて楽しい。この一家をほとんど魔物として描いたわけだけど、ラストで、でも彼らのほうが浪士らよりはマシと見えてくる。本当なら岩は武士のすべて、赤穂がたにも悪さをするべきなのだが、そこまでの裁き手にするとカレンさがなくなってしまうか。前半の伊右衛門のケダモノぶりは、ふと『仁義の墓場』などを思い出させた。決起の宴と結婚の宴とをヤマに持ってきたのは正しい、男の狂乱と女の狂乱、琵琶の響きが二つをつなげる。ラスト、実像となった伊右衛門と岩が、透き通る虚像の浪士たちを眺める場になるのではないか、とちょっと想像してしまった。忠義の世界のウツロさを映像で駄目押ししてもらいたかった。[映画館(邦画)] 7点(2010-07-14 12:03:58) 1337. 水玉の幻想 おっとこんな映画も登録されていたのか。これ『盗まれた飛行船』の併映で公開された短編。ガラス製のアニメーション。すごく面倒なことやってるんじゃないか。油絵のアニメってのもあったけど、こっちのほうがさらに手間がかかってるだろう。タンポポの男がパッとガラス=氷の壁にさえぎられるとこ、それが割れて流氷のように流れ出す、なんてのがよかった。一滴の水玉の中にも小宇宙、という発想。いまはCGの全盛、たしかにどんどん進歩していて、布の質感や肌の質感もかなりきめ細かく表わせるようになった。しかしそれはいいことなんだろうか。CGは、そのノッペリした質感が必要とされるときに一番生きている。変わった素材を十分生かしてそれぞれに合った新たな作品を作るという試みが、CG万能になるとすたれてしまいそう。シンセサイザーが生まれても、オーケストラはなくならなかった。こういう「ガラスでアニメ」なんていう無茶な試みをする人も、アニメ全体の表現を維持確保するためには、必要なんだと思う。[映画館(字幕)] 7点(2010-07-13 11:58:56) 1338. 愛・アマチュア 《ネタバレ》 ゴタゴタを全部切り捨てて一からやり直せたら、っていう再生への夢は、記憶喪失願望になっていく。酷薄だった男もイノセントになれる。イザべルのほうも「修道院ではどうも違う」と15年間思い続けポルノを書いてるってのも、なにか一種の記憶喪失的断絶を経た再生を待っているようなもの。この二人がやや受け身の転身願望なら、ソフィアは自分で男を突き落としてるんだから積極的。金を騙し取ろうとするのも、転身への準備ということか。それらの邪魔をするのが、悪の組織・あるいは警察ってところが物足りない。それは本来「世間」そのものであるべきで、それを相手とするのが大変なので、悪として処理しやすいものを引き出してきた、って感じ。つまり、はっきりした悪を相手とすることで、三人の連帯がたやすくなっちゃう。そこでドラマが弱まる。ラストは『ラストタンゴ・イン・パリ』の裏返しのような感じで、あちらは究極無名同士の関係を見事に語ったのに対して、こちらは認知する。「名前はトーマスよ」なんてセリフでもよかった。[映画館(字幕)] 6点(2010-07-12 12:03:26) 1339. オリーブの林をぬけて これは何て言うんだ、恋愛映画じゃなくて求愛映画ってのか。映画内映画という枠組みで、演じることと本心とが曖昧にされ、つまり娘の無関心が本心か演技かというスリルがあって、その限りなくややこしい状況の中で、ストレートにひたすら求愛する。その求愛の「ややこしくなさ」、「ストレートさ」が気持ちいい。やたらしゃべるのに、ほれぼれと聞きほれる。車からの視点が前作に続いて光る。バスを追いかける冒頭のとことか、サイドミラーも構図に入れたシーンとか。二つの動きが一つの画面に混在するめまいのような気分。随所にペルシャンブルー。物分りの悪いおばあさん、この人の映画では年寄りはあまりいい役を振られない。[映画館(字幕)] 7点(2010-07-11 11:53:19) 1340. 酔拳2 場所と小道具にいかに工夫を凝らしてヴァリエーションを展開出来るかが、この手の作品の命。たとえば列車、屋根かと思わせといて車両の下に潜ってみる。そうか、列車とか工場とか、活劇の舞台ってのは20世紀的機械の世界を背景にすると映えるんだな。映画と同時に誕生した機械の世界同士。小道具としては例えばハンドバッグ。相手の顔に一度預けて殴ってから戻す、などが楽しい。あるいは酒ビンであり、竹であり。竹がササラになってて、膨らませたとこに相手の手を突っ込ませて戻す、とか。敵の武術家の足がまっすぐ天に伸びるキレのよさ。たぶんこのころだって、ジャッキーはもう40なのにたいしたもんだなあ、と言われていたはずだ。[映画館(字幕)] 6点(2010-07-10 11:54:37)
|
Copyright(C) 1997-2024 JTNEWS