みんなのシネマレビュー |
|
121. 原爆下のアメリカ 《ネタバレ》 1949年のソビエト連邦の核実験や1950-1953年の朝鮮戦争、またアメリカでの赤狩りといったものを背景にした映画と思われる。強烈なメッセージ性が特徴だが、ほか最後にラブストーリーだけが現実化していくといった構成の妙があるとはいえる。 邦題には「原爆」が入っているが、原題では「侵略」と言っているだけで核兵器は特別視されていない。劇中ではかなり気安く原爆が使われていて、まだ水爆も大陸間弾道ミサイルもない時点での核戦争はこのように想像されていたというようではある。核兵器が使われると熱線と爆風が来るといった感覚もなく(放射能という言葉は出たが)、単に強力な爆発物としか思っていなかったようだが、「核魚雷」で空母が大破して復旧に努めたが総員退去して沈没した、などというのでは普通の魚雷と違わないではないかと思う。 開戦の原因は不明だったが、要は世界征服を企む悪の勢力が一方的に侵略して来たらしく、卑劣な奇襲攻撃に応戦したところから全面戦争に発展する、というパターンができていたようだった。敵の先制核攻撃に対しアメリカは3倍返しで応じていたが、しかし攻撃対象は軍事基地・工場・鉄道・港・油田とのことで、一般庶民の居住地が対象外というのはさすが世界正義を体現するアメリカらしい人道的対応と思わせる。実写映像には朝鮮戦争のものもあった感じで、また「太平洋艦隊」という台詞も出ていたので日本も無風状態だったとは思えないが、とりあえず表面には出ないので突っ込まないことにする。 なお最後に出た言葉は普通に真理だと思うが戦後日本人に言っても意味はない。アメリカも自国で戦争などするはずがないので現代的な意義はない映画だろうが、まだ自国の資金だけで作っていた時代の純粋なアメリカ映画だったとはいえる。現代には現代の問題もあるのでこういうのを腐していれば済むわけでもない。[インターネット(字幕)] 4点(2023-08-12 11:28:55)《改行有》 122. 三大怪獣地球最大の決戦 《ネタバレ》 三大怪獣+1が活躍する楽しい怪獣映画である。 洋上で船が襲われた時に、最初はクジラか何かが来たと見せておいて、実は後にゴジラがいたというのはフェイント感を出していた。またその後の横浜で夜空にキーンという音だけがして、やがてラドン(影絵)が見えて来た場面はなかなか迫力がある。今回初登場のキングギドラは、初回は卵のようなものに入って地球に来たことを再認識させられたが、一度は横浜→東京まで行っていながら(また東京タワーが壊れた)その後にちゃんと富士山麓の決戦場に出向いて来るのが筋書き通りの印象だった。 出現時点では一応恐ろしい存在のように見えても怪獣バトルが始まるとコメディになってしまう。ゴジラはやんちゃな悪ガキでラドンも同類、モスラはいい子(東京タワーを壊したこともあるが)というキャラクターになっていて、ゴジラがモスラにいろいろ言われてフン、バーカという顔をしていたのは笑った。真面目なモスラが地球生物の共通利害を説いたことで、結果的にゴジラとラドンも共感したかのような展開だったが、実際はモスラが一方的にやられていたのに腹を立てて加勢しただけのようで、モスラほど真面目な連中でもないと思われる。なおモスラは、防衛大臣が口にした核兵器の使用を回避するため尽力した形になっている。 ラドンはどちらかというと非力なイメージだったが、この映画ではゴジラを手ひどくやっつけていたのはなかなかやるなと思わせる。また一番弱そうなモスラの糸が意外に強力で、古風な表現でいえば「ほうほうのてい」でキングギドラが逃げていったのがざあまみろだった。 ドラマ部分では主人公兄妹の馴れ合い感が可笑しいのと、金星人が何事にも動じることなく「わたくしは金星人です」で通す人物設定に好感が持たれた。ラストの趣向は知らないで見たが、まるきりローマの休日だったので正直感動した(「ローマです」と言うかと思った)。 その他の話として、鉄筋コンクリートの大阪城や名古屋城ならともかく、現存天守の国宝松本城が全壊しないで済んだのは幸いだった。今回は松本市内での撮影もあり、映像中で女鳥羽川の橋(中の橋)の向こうに看板が見えた果物専門店は、歩行者天国の「なわて通り」(縄手通り、ナワテ通り)で今も営業していて、映像では店頭に天津甘栗が見えたが、今は観光客向けにフルーツのスムージーなども出しているそうである。昔の映画でもちゃんと現代につながっている。[ブルーレイ(邦画)] 6点(2023-08-05 14:10:05)《改行有》 123. 三大怪獣グルメ 《ネタバレ》 バカ映画の巨匠・河崎実監督のバカ映画である。公開日が2020/06/06とのことで、本当にこの時期に劇場公開したのかと思うが、疫病の不安の中で見れば気晴らしになったかと思われる。 歴史的にみた三大怪獣といえば「三大怪獣 地球最大の決戦」(1964)のゴジラ・ラドン・モスラだろうが、海鮮丼という前提なら「ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 決戦!南海の大怪獣」(1970)の3怪獣のうち、カメが食えないのでタコにしたように取れる。また公式サイトによれば、もともと円谷英二監督が戦前に企画していたタコ映画の構想に触発されたとのことで、そのタコに監督本人の「いかレスラー」(2004)、「かにゴールキーパー」(2006)を加えた形になっているともいえる。 バカ映画といってもこのくらいになると特に変なところもなく、ちゃんとしたストーリーを備えた娯楽映画になっている。当初は登場人物の性格付けを不明瞭にしておいて、最終的に誰に肩入れすればいいかがはっきりさせていく形だったのは悪くない。うち悪役は、ラストに至ってもまだ「世界の破滅」を企んでいたのかも知れないが、世間では既に人間がミイラ化するという怪事件が発生しているのに同じようなことを考えるでもなく、どこまでも海産物に固執していたのはもう頭が変になっていたと思うしかない。昭和のTV番組「怪奇大作戦」の第24話を思わせる哀れで恐ろしい(笑)終幕だった。 また題名からすればグルメ映画ということもあり、登場人物それぞれ言葉を飾ったグルメ評論風の賛辞を連ねるのが空々しいが料理自体はまともなものを出している。食物だけでなく、協賛に名前の出ている「有限会社ニイミ洋食器店」(東京都台東区)のキャラクターが大活躍する展開だったのは、「プロを支えるプロの街 かっぱ橋道具街」へのリスペクトも感じられて少し感動した。同じく協賛で「岩下の寿司がり」の岩下食品株式会社(栃木県栃木市)も存在感を出している。 出演者としてはちゃんとアイドルも出ているが、例によって監督本人も顔出ししている(見なくていい)。ほか監督のお知り合いか何かわからない人々が大勢出ていて特にコメントする気にならないが、別映画で見たばかりという関係で一人だけ挙げると、「DAICON FILM版 帰ってきたウルトラマン マットアロー1号発進命令」(1983)のイブキ隊長役の人物が「イブキゲンゴロウ」役で出ていた。ちなみに主演の男に関しては「わかんなくて結構だよ」の表情がよかった(笑った)。[インターネット(邦画)] 5点(2023-08-05 14:10:03)《改行有》 124. 大きな春子ちゃん Am I too big? 《ネタバレ》 26人の監督によるバカ映画のオムニバス「フールジャパン ABC・オブ・鉄ドン」中の一編だそうで、2014年の「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」で上映されたとのことである。「鉄ドン」というネーミング自体が今となっては痛い感じだが、この映画も昔の歌から無意味に題名だけ借りて来て笑えないオヤジギャグ的印象がある。劇中の主人公が監督本人だったとのことで、制作者の年代感を恥ずかしげもなく出した映画になっている。 ジャンルとしては「バカ映画」ということになるが、そういう前提で要は特撮怪獣映画を作ったらしい。水着だったのは本来の棲家が海だったからで、最後にまた海へ去るのはゴジラなどの習性を受け継いだと思われる。 春子ちゃん本体に関しては、サイズの単位が何かと思ったらftだったのはなるほどと思った(尺でもよかったのでは)。ウルトラマン並みの高身長では本人も気にするかも知れないが、体重は軽いので安心してもらっていい。映像的には胸の柔らかさの表現に気を使っていたようだが、尻にガラスが刺さらなかったことからすると柔らかいが強靭という未知の生体組織でできていたらしい。 残念だったのは飛んできたのがアメリカの飛行機だったことだが(三沢ならまだしもテールコードのMOはアイダホ州マウンテンホーム空軍基地の所属ということになるので遠くからご苦労なことだ)、映像的な印象はそれほど悪くない。ラストの「終」は昭和の風情があり、洋上の富士も由緒正しい日本の風景といえる。 ほか春子ちゃん役は有元由妃乃という人で、尻の突き出し方などを見るとグラビアアイドルか何かかと思ったら普通に役者をしていた人らしい。前に見た超マイナー映画「サーチン・フォー・マイ・フューチャー」(2016)にも劇団員として出ていたようだが、今回はオヤジ好みの和ませる雰囲気を出していた。[インターネット(邦画)] 4点(2023-08-05 14:10:01)《改行有》 125. 心霊写真部 リブート〈web〉 《ネタバレ》 2010年代にニコニコ動画で人気の出ていたホラーシリーズの最終作に当たる。前回の「劇場版」で「続編があれば見てもいい」と書いておきながら見ていなかったので気になっていた。今回は主人公役と屋上の少女役がまた交代したが他の人物役は共通で、ほかに新キャラクターとして映画研究部の2人を入れたのはPOVの雰囲気を出すためか。二話構成のためオムニバスとしては貧弱だが「劇場版」と同じではある。 【第一話 廃墟】 「心霊写真部 壱限目」の第1話「廃墟できもだめし」のリメイクらしいが、上っ面をなぞっただけのようで一見客には意味不明ではないか。前回より時間は長いようだが中身は薄まって気の抜けた感じにできている。 【第二話 消えない顔】 新作だが話として面白くない。高校生の素人映画を見せられている部長の表情をちゃんと笑えるように見せてもらいたかった。 なお撮影場所が茨城県水戸市の中心街というのは珍しい。心霊写真部のある高校は本来「都立緑が丘高校」だったはずだが、今回は映画研究部の撮影場所も水戸市内の千波湖だったりして、実は最初から水戸の高校がモデルにされていたかのような意外感を出している。3階の窓から水戸駅北口周辺の街が見えている建物で、すぐ外に車や人が通行しているだろうと思われるのに、閉じ込められた人々が危機に陥るというシチュエーションは単純に面白かった。この前見た「シークレット・マツシタ」(2014)と似たようなものかも知れないが開放感が違っている。 全体的には前回の「劇場版」よりさらにレベルダウンした印象がある。今回もまた主人公の入部段階から繰り返しているが、その他シリーズ共通の各種設定がまともな説明もなく形だけ出ているようで実質的にファン限定映画になっている。これで「リブート」とは意味不明だが、とりあえず題名で何となく今後の期待を残しながら、実はそれとなくフェイドアウトしていくようなつもりだったと思うしかない。 ほか出演者として、今回主演の松永有紗という人は他のところでも見たことがあったようだが、レギュラー?の上野優華さんも安定的に可愛いので和まされた(もう7年も前の顔だが)。屋上の少女役の小宮有紗さんは文句なしの美少女で感動した。[インターネット(邦画)] 3点(2023-07-29 08:18:10)《改行有》 126. ラ・ヨローナ ~泣く女~ 《ネタバレ》 似た名前のグアテマラ映画「ラ・ヨローナ ~彷徨う女~」(2018)とは全く別物である。製作年ではグアテマラが先だが公開はこの映画の方が早かったらしい。 個人的にはホラーとして特筆したくなる点はなかったが、グアテマラの方と違って基本が娯楽映画のため、気合いを入れて見なくていいのは楽だった。ちなみに水の霊であるのに腕を握られると火傷したようになるのは、触れた箇所の水分を一気に吸収してしまう能力があるからかと思った。 ドラマの面では、一度は主人公を恨んでその子どもらを破滅させようとした人物が、後に自らの行いを悔いて主人公を助ける側に回っていたが、終幕時に今度は主人公の姿が水たまりに映っていたのは、全ての母性にラ・ヨローナ的な二面性が潜んでいると言いたいのか。よくわからないが児相職員必見の映画だったようでもある。 また主人公の行動様式がかなり苛立たしいところがあり、現に自分が超常現象に脅かされて神父の紹介で呪術医に頼んでおきながら、それでもなお呪法を小馬鹿にしてみせなければ済まないのは頭の働きが合理的でない。これは古い時代に西洋社会を支配していた教会の代わりに、1970年代頃は科学万能主義の支配で人々の思考が抑圧されていたとの表現か。シリーズのもとになった心霊研究家夫妻のように、この頃もオカルトとかスピリチュアルの類は盛んだったろうが、科学を信仰する人々との間では分断が進んでいたということかも知れない(適当な解釈だが)。シリーズの他の映画を見ていないのでこの映画だけの話なのかわからない。 なおラ・ヨローナの伝承は、単なる怖がらせの怪談というだけでなく社会的な意味づけもされているようで、例えばスペインの征服者に服従させられた先住民やその女性の象徴のように思われている面もあるらしい。しかしそれをこの映画では、結局は征服者のもたらした神の力で難なく撃破してしまっていたのが空しさを感じさせるともいえる。[インターネット(字幕)] 4点(2023-07-22 10:18:43)(良:1票) 《改行有》 127. ラ・ヨローナ ~彷徨う女~ 《ネタバレ》 ジャンルに「ホラー」が入っているがホラー映画だともいえない。中盤でやっとホラーらしい場面になったと思ったら、その後の展開が微妙にユーモラスなので笑ってしまった(好色ジジイが浴室を覗いたことがバレて家族に呆れられる)。また不気味なカエルが多数出現した場面でも、本当にこれだけカエルを集めたのかと思って笑った。 ただ細かい点は別として全体の流れはわかりやすいので、超自然的要素を含んだ復讐譚として見れば問題ないと思われる。抗議のデモンストレーションの声や音がずっと背景で聞こえていたのがこの映画ならではの雰囲気を出していた。 実態としてはホラーというより中米グアテマラの社会批判の映画であって、監督インタビューによれば「差別」をテーマに撮ってきた三連作の最後とのことである。今回は先住民と女性に対する差別とともに「共産主義者」というレッテル貼りのようなもの?も差別の一環として捉えたようで、前に見た「火の山のマリア」(2015)よりも敵を絞った形になっている。 題材としては1980年代にあった先住民の大虐殺(Guatemalan genocide)を取り上げているが、その責任者という設定の劇中将軍には明らかなモデルの人物がいたらしい。実際にその人物は2013年に裁判で有罪になったが憲法裁判所により判決が無効にされ、その後2018年になって死去したそうで、制作時点からみてごく最近の話だったことになる。 監督インタビューによれば(大意)いまのグアテマラでは過去を忘れて楽観的になりたがる風潮があり、さらに虐殺の存在まで否定する声も出てきていて、これに危惧を覚えたのが制作の動機になったというような話だった。それ自体はわかるとしても、しかし最近死去したばかりの人物をネタにして呪いの映画を作るのでは生々しすぎて、現地事情に通じていない他国民としては引いてしまうというしかない。 なお現実の大虐殺の背景にはCIAがいたとかいう話はこの映画では出なかったが、そういう巨悪にまでは呪いが及ばないのは空しさを感じさせるともいえる。 ほか題名のヨローナは、エンディングテーマの歌ではジョローナと発音していたようだった。これは一般的には「泣き虫」「やたらに泣いてみせる人」という単語の女性形らしいが、定冠詞つきで「ラ・ヨローナ」といえばこの映画のように、中米から南米北部にかけて広く語られる伝承のキャラクターということになる。ちなみに実際に虐殺が行われた村の名前でLa Lloronaというのもあったようだが、この映画でそういうことまで意識していたかはわからない。[インターネット(字幕)] 5点(2023-07-22 10:18:40)《改行有》 128. 火の山のマリア 《ネタバレ》 動物を殺す場面があるので要注意である。火山の雄大な風景などはそれほど期待できない。 中米グアテマラの映画とのことで、そんな国はどこにあるのかという感じだが、最近は台湾との関係で日本国内の報道でも名前が出ることがある。かつてマヤ文明の担い手だった民族が先住民として暮らす国であり、この映画も主要人物はマヤ人、台詞もほとんどマヤ語族の言語が使われている。 単純に見た限りでは、先住民の現況を淡々と描写した映画なのかと思った。先住民の社会的地位は低いようだが、その先住民自体もまだこんな生活習慣を維持しているのかということもあり、今後もっと暮らしを向上していける余地が大きいとは見える(まずは義務教育から)。失われた子がアメリカで生きているという発想は、現実の不法移民でも子どもだけ送り出す例が多くなっていることを思い出した。 主人公個人の物語としては、火山の向こうの楽園に憧れていたが裏切られ、できてしまった子を楽園(いわば天国)に送り出したところで観念して、仕方なく現実世界に回帰したという印象だった。妊娠によって火山の力を体内に宿したと思ったエピソードはどういう意味だったのか不明だが、またそのうち妊娠すれば再度火山の力を得られるはずということで、とりあえず父親が誰かは関係なく、要は母のたどった道を行くということかも知れない。 最後はエスニック調のエンディングテーマ(BOLERO DE IXCANULという曲らしい)が意外にのどかな雰囲気で、貧しく苦しいが淡々と次代に生命をつなぐ人々という印象を出していた。 ところで終盤の展開はよくわからなかったが、外部情報によれば実は子どもの人身売買を扱った映画だったとのことで、自分としてはそこまで考えていなかったのでかなり意外だった。日本では前の戦争で骨壺に石が入っていたという話があるので、棺に煉瓦が入っていても何か事情があるのだろう程度にしか思わなかった。騙し打ちをくらったようで気分が悪い。 確かに歴史的には養子縁組の形で児童の人身売買が盛んに行われてきた国ではあったようだが、この映画のように出産前の胎児を奪うのは全く別物としか思えない。これはもしかするとアメリカで2015年に問題化した中絶胎児組織の売買のようなことを、グアテマラでは本人の同意なく行っているとの問題提起ということか。そうだとすれば、序盤で動物を殺す(切り裂く)場面も胎児の処置を思わせるといえなくはなく、かなり嫌なイメージを残す映画ということになってしまった。 ちなみに各種の社会悪を告発しようとする映画という前提で見れば、要は「先住民の」「女性」以外は全部悪と思っておけばいいようではあった。そういう点を評価したい人々には素材を提供している。[インターネット(字幕)] 5点(2023-07-22 10:18:38)《改行有》 129. とっくんでカンペキ 《ネタバレ》 過度な期待はしていなかったが最後はちゃんと感動的だった(笑った)。固定的な目標に向けて単線的に修練すればいいのでなく、極限までの試行を重ねることで可能性の全体像をつかみ、その上で適切な選択をすることが最善の結果を生むということかと思った。大変よい映画でした。[インターネット(字幕)] 6点(2023-07-15 10:58:41) 130. DAICON FILM版 帰ってきたウルトラマン マットアロー1号発進命令 《ネタバレ》 今は有名になった庵野秀明氏が若い頃に関わった自主製作映画とのことで、現在は「シン・ウルトラマン」(2022)とともにアマゾン・プライムビデオで配信されている。映画というよりTVの30分番組の作りになっていて、中間あたりにCMの切れ目が入れてある。 基本的にはかなりまともな特撮怪獣物で、防衛基地の内部や装備品や街の建物などは、自主製作のミニチュア特撮としては信じられないほどよくできている。怪獣の着ぐるみもちゃんと作ってあり、顔の造作や唾液が糸を引くのが使徒を思わせる。怪獣の名前が「…エル」なのも天使イメージで使徒っぽいが、これは別の語源解説が付いているらしい。 背景音楽も昔のTV番組で聞き覚えのあるものを多用している。BGMの使い方として、TV番組では登場人物の私的ドラマで使われていたM27が、今作ではマットアローの発進場面にまで流れていたのは新鮮だったが、これは全体がハードな展開のため人間ドラマ限定の箇所がないからというだけかも知れない。 しかしどうしても突っ込みたくなるのはウルトラマンが本体・服装とも地球人仕様なことである。別に宇宙人が宇宙人顔である必然性はないにしても、全体として生真面目な作りなのにここだけギャグなのは変だろうが、これは学生時代からのシリーズとして外せない趣向だったということか。ウルトラマン以外はユーモラスな部分がないのは無味乾燥なようだが、終幕時の「こいつう!」(笑)はツボを押さえていたとはいえる。 物語について、市街地へ殊更に容赦ない攻撃が行われる展開だったのは、昭和(戦後)的にいえば一般民衆を顧みない軍組織への反感ということになるだろうが、しかしもう少し素朴な感覚でいえば、こういう怪獣モノで平気で街を壊すことへの微妙な反発の表われとも取れる。ガキの頃なら何とも思わなくても20代にもなれば、たとえ怪獣を倒すためとはいえ街が壊されれば人も死ぬだろうからまずくないか、という方向に意識が向くのは自然なことである。劇中現場がビル街ではなく住宅地が中心だったのも、一般の人々が現に住む場所が無惨に破壊されることへの心の痛みの表現といえる。 また人間ドラマに関しては、情を殺して義を立てるのを美徳とする戦前世代の硬直性や権威主義に対して、別に情を殺すこと自体に価値があるわけでもなく、誰も泣かずに済む方法を柔軟に考えるべきではないのか、と逆らってみせたのかと思った。ただし現実問題として人間にできることには限界があり、今回はウルトラマンの力を借りて最悪の事態は免れたものの、仲間1人が助かっただけでハッピーエンドともいえず、戦いで多くの人命が失われたことへの悔いは残った、ということかも知れない。当時の既成秩序や現実の中で苦闘する若い世代の姿を描写しているようではあった。 そのほか出演者の演技についてはコメントしないものとして、登場人物では隊長(年齢不詳)の顔の張り具合が北の最高指導者のようで、当時の日本人の栄養状態が良好だったことを思わせた。また防衛組織にちゃんと女性隊員がいて、防衛隊員らしい発声をしていたのは心地いい。一瞬だったが振り向いて「ウルトラマンです」と言った女性隊員は「新世紀エヴァンゲリオン」の伊吹マヤさんを思わせた。[インターネット(邦画)] 5点(2023-07-08 15:21:24)《改行有》 131. 聖ゾンビ女学院 《ネタバレ》 アイドルグループ「虹のコンキスタドール」出演のアイドルホラーである。最近少しラテンアメリカの映画を見た流れで見たが、女子グループならコンキスタドーラス(feminine plural: conquistadoras)が正しいわけで、ラテンアメリカの民が聞けば変に思うだろうが個人的にはどうでもいい。 内容としては、要は「がっこうぐらし!」のようなものかと思ったら違っていたのはいいとして、知っている範囲でいえば「京城学校:消えた少女たち」(2015韓)と似たような話だったが上っ面が似ているだけである。 物語としては、基本的にはテーマ曲の歌詞にも出るように素朴な革命志向が背景にあったように見える。しかし最後はなぜかトーキョーグールの世界の方へ行ってしまったようで、これの続編を作るとすれば、とりあえず最初に役名「ナギ」の人が頭を飛ばされて死ぬ展開が予想される。こんなのをアイドル映画でやっていいのかと呆れるが、社会への反逆でもなく単純に征服者になろうとしていたのであればグループのコンセプトにも合うことになるか。ラテンアメリカ先住民の悲劇を日本で繰り返すつもりらしい。 その他アクション面ではどうなのかわからない。ちなみに笑うところもない。当時はこれでファンが盛り上がったのなら存在意義はあったとして、ファン以外でも気楽なアイドル物としてそれなりに面白がって出演者にも好感を持てればよかっただろうがそういうものにはなっていなかった。 キャストに関しては当然ながら知らない人ばかりである。そもそも公開から6年も経って卒業した人もいるようなので今さらということもあるが、特に委員長役の人はこういう扱いでよかったのかと思った(主にメイクによる外見的印象の点で)。しかし主人公の親友役が長身で美形で、いわば佐々木希なみの印象を出しているのは目立っていた。「真・鮫島事件」(2020)にも出ていたようだがリモートでの登場のため申し訳ないが忘れていた。今後の活躍を期待したいと一応書いておく。[インターネット(邦画)] 2点(2023-07-01 14:21:01)《改行有》 132. シークレット・マツシタ/怨霊屋敷 《ネタバレ》 「戦慄の日系ペルー・ホラー」などと書かれると見ないわけにはいかなくなる。「おぞましき日本の呪い」(笑)にもそそられる。配給は一部で有名なオカルトメディアTOCANAとのことで、松下さんは鑑賞無料にしたという適当なノリも悪くない。内容としてはペルーの著名な心霊スポットを扱っていて、ホラー映画というより怪談話や都市伝説の愛好者に受けそうな映画になっている。 所在地は、首都リマの歴史地区から少し外れているが都心部の目立つ場所にあり、Googleマップでみると「Casa Matusita/お化け屋敷/24時間営業」と表示されてクチコミが書き込まれている。当時の外観は映像に出ていた通りとして、内部の撮影はどこでしたのかわからないが、2階の窓から旧アメリカ大使館を映した場面は、実際に現地からならこう見えるだろうという映像になっていた。 外部情報によれば、この場所にあった日系人の会社は1950年代から2005年まで1階を借りていただけらしく、2016年には老朽化のため2階を取り壊した上で全体の改修工事をしたとのことである。現地報道によれば、本当の所有者としてはこの映画などの公開のせいで、根拠のない噂話がますます勢いづくことに嫌気がさしていたようだった。 ちなみに序盤で出ていた精神病院は都心部から南西5kmくらいの海際にある国立病院で、松下邸とは直接関係ない。ここに関わる有名な都市伝説というのはラルコ・エレーラの幽霊の女性(La mujer fantasma del Larco Herrera)というものと思われる。 物語に関して、予告編では「これは実話です。」とされているが、劇中の具体的な出来事に関してはウソに決まっている。ただし導入部のインタビューでは実際の都市伝説を結構まともに解説していて、細部はともかくこういう都市伝説が存在することは事実である。ここに出ていた人々のうち、Percy Taira(ジャーナリスト・ライター・詩人、YouTubeチャンネルあり)とFernando Vivas(ジャーナリスト・政治アナリスト)は実在のペルー人だというのが現実感を出している。 劇中人物が撮っていたのは卒業制作とのことだが、性質としては日本にもあった心霊番組の特集で、霊能者とともに現地取材して適当に騒いで帰るようなものを想定したと思われる。ホラーとして見れば取ってつけたような和風要素はあるにしても、基本は洋モノ風の物理的なドタバタが多く独創性もあまり感じない。しかし全体的な企画としての面白味は感じられたので、結果的にそれほど悪くは思わなかった。正直嫌いでない。 [参考]エンディングの曲が気になったので本気になって調べると、和楽器の音楽ユニット「びかむ(ビカム)」が2004年に出した「今は昔、~竹取物語~」というアルバムの曲であり、「果てしなき我が問いは…」は「月白み」、「屋根に千人、築地に千人…」は「その日、月輝き」から採っている。かぐや姫と帝の恋を中心に描いた作品とのことで、こんな迷惑系突撃ホラーにはもったいないまともな音楽なので紹介しておく。[インターネット(字幕)] 5点(2023-06-24 11:22:59)《改行有》 133. 悲しみのミルク 《ネタバレ》 原題の「La teta asustada」は直訳すると「脅える乳房(乳首)」になるらしい。しかしあからさまにオッパイでもなく授乳のことだろうから、英題でmilkとしたのはわかる。スペイン語の解説を見ると、この言葉は劇中で語られる病気の名前そのもののようで、確かに台詞でも病気に関してこの言葉を使っていたようだった。日本向けの翻訳では、同じ言葉について題名と病気で違う表現をしていたことになる。 劇中年代については明示されないが、「テロの時代」に生まれた主演女優(女性俳優)が実年齢そのままの役を演じているということは、制作当時のペルーの現在を扱っていたことになる。この映画より前の2003年には、政府の調査機関が「テロの時代」の暴力や虐殺に関する報告書を出したとのことで、その内容をもとにしてこの問題に目を向けようとした映画だったのかも知れない。 自分としては主人公個人の問題に直接共感はできないが、少し離れた視点からみれば娘が母親の束縛から逃れ、新しい世界へ踏み出していく物語になっている。主人公の周辺では、貧しそうだが普通の幸せのある(=笑いがある、慶事もある)庶民が暮らしていて、「テロの時代」は一応過去のものになったように見える。しかしほんの少し前の社会に深く刻まれた傷はまだ残っていて、その傷が徐々に癒えていく過程の一場面だったのかも知れない。ほかに人種と階層差など社会に対立の根はまだあるかも知れないが、そこまで視野を広げようとしても何ともいえない。 なお最後に主人公が海へ行ったのは、棺桶屋で見た「平和を望む人用」が気に入っていたのだと思われる。重荷を下ろした解放感が出ていた。 その他雑記として、撮影場所は基本的に首都リマだろうが、最初の方で草木のない丘陵に家々が散らばる風景が見えたのは強烈な印象だった。こういう場所はリマ周縁部では珍しくないようだが、わざわざ高い場所に登って家を建てようとするのはインカ帝国時代の名残なのか。 また主人公がもといた村で塀沿いに歩いていたというのは銃撃を避けるためかと思ったが、そこで字幕に出ていた「浮遊霊」とは何のことだったのか。例えばアンデス地方で伝説的に語られてきた怪人で、人間の脂肪を抜いて死なせる「ピシュタコ」というのがいて、監督の伯父(ノーベル賞作家)の小説にも出るらしいので、そのことを言っていたのであれば兄がやせ細って死んだという話には合う。しかし原語の台詞の中からそれらしい言葉は聞き取れず(pishtaco、nakaqなど)、結局わからないまま終わった。外国映画は難しい。[DVD(字幕)] 5点(2023-06-24 11:22:57)《改行有》 134. 富士五湖奇譚 呻母村 《ネタバレ》 最初に書いておくが他人にはお勧めしない。 まず題名の村の名前がウソくさいが、これはエンドロールにロケーション協力として出る「梅久保集落」が実際の地名であって、劇中で「神社みたいな」と言われていた鈴鹿神社はストリートビューでも確認できる。ここは地元自治体の公式サイトで「ゆず」(柚子)の産地と書かれていて廃村でもないらしいが、すぐ隣の地区に似たような立地で廃墟になった集落があり(恐らく両久保/もろくぼ)、撮影はここでしたか、あるいは周辺の別の廃村でしたのかも知れない。映画紹介に出ているようにこの付近には廃村が何か所もあるようで、その方面の愛好者が写真や動画をwebに上げている。 なお監督は「制作」に名前の出ている映像制作会社の代表をしているが、2023.1.14の山梨日日新聞に山梨県出身者として紹介されていたりして、自分の地元で撮ったご当地映画という意味もあるようだった。 内容は4エピソードで構成され、EP1~3の各登場人物がそれぞれ別の形で廃村の呪いに関わることになる。それぞれの人格に対応して、バカは死のうがどうなろうが勝手にしろ/人生をかけた戦いが悲壮だ/この人が呪われたらかわいそうだ、と思わせることで変化を出している。 【EP1】突撃ユーチューバーらしく世界を舐めてかかっているが、「心霊現象なんてそうは起こらない」というのは実際そうともいえる。 【EP2】霊媒師の話が現代史の流れを感じさせる。「自粛」というのはオウム真理教事件の影響でそうなったと言いたいのか。また2001.9.11の事件に関連して「世の中から取り残されてるって気がして」というのは、同じ体験があるわけでもないが少し心に染みる述懐だった。 【EP3】インスタグラマーのようで、突撃ユーチューバーより清潔感がある。不謹慎系なようでも本心は別のところにあり、ジャーナリズムの本質にも通じる思いを真面目に語る人だった。別の目的でたまたま廃村に行きついただけなので、この人には生きてもらわなければ困る。 【EP4】よくわからない締め方だが、EP1のバカが原因で不幸の手紙的な呪いが世間に放たれたという意味か。 個人的な感覚では、一般的なホラー映画というより実話怪談集のようなものかと思った。実話怪談集では関係ありそうな話を複数集め、その背景に何かが存在すると思わせて恐怖感を出す趣向があるが、この映画も似た感じになっている。また関わった者の顛末が一様でなく因果関係もはっきりせず、理屈で割り切りにくいというのも現実味のある(または、そんなものは偶然だと言われて終わりになりそうな)実話らしい表現といえる。これと似た感じのものとしては「残穢」があるが(映画よりも小説の方)、この映画はそれを安上がりかつフェイクドキュメンタリー風に撮ったものとして理解できる。 実話怪談集と違うのは、当然ながら実話とは称しておらず明らかにフィクションであること、及び各エピソードが冗長に見えることだが、これは実話怪談でいえば話者の体験談を未編集で掲載したようなもので、実際に素人が撮った動画はそんなものということではある。ただし4エピソード中で最もバカっぽいEP1の時間が最長(23分半)なのはさすがにマイナス要因である。 なお出演者のうちEP3の人物役は瀬田佳奈子という人で、以前は妹田佳奈子の名前で「ダンスウィズミー」(2019)にも出ていたらしい。宣材写真はとぼけた顔で写っているが、動いているのを見ると目がくりっとした可愛い人で、自撮りでずっと顔が映っているので和まされる。そういう面でも悪くない映画だった。[インターネット(邦画)] 5点(2023-06-17 10:44:49)《改行有》 135. リアルお医者さまごっこ<OV> 《ネタバレ》 今の若い人はわからないかも知れないので念のため書いておくと、西暦2015年に「リアル鬼ごっこ」という映画が公開され(原作:山田悠介、監督・脚本:園子温)、その時点ではそれなりに注目されていたように思ったが、このOVはそれと同年に、題名とポスタービジュアルをパロディにして製作されたものらしい。こんなものがいまだに残って公開されているのは驚くべきことのようだが、しかし見る人間がいるからこそ存在が認知される=存在していることになるのであって、こんなものをわざわざ作品登録までしてコメントを書く自分もまた延命に加担していることは自覚しなければならない。 内容的にはパロディ元の映画と全く違うのはいいとして、これを見て何かを語ろうという気には全くならない。全く何も書かないのもあれなので特徴点として血が出る/主人公のスカートが短い/変態/バカ/人体模型がわずかに独創的(往年の「人造人間キカイダー」を思わせる)といったくらいは書いておく。笑うところは全くないので70分(実際はアマプラで66分)が非常に長く感じるが、ただしエンディングテーマだけは笑わされた(失笑)。 以下どうでもいいことだが気づいた点として、劇中で映る雑誌では次の文章を何回も繰り返して記事を埋めている。 『記事には「鬼畜医師・女性患者100人超にわいせつ行為。逮捕/山田勝二(40歳独身)医師歴15年のベテランが起こした鬼畜の数々。」とある。』 これに関して考えられることは、 ・脚本か何かで上の文章のような指定があったので、その他の記事を適宜に作り込むようなことはせず、とにかく指定された文章をコピペして手抜きした。 ・指定されていたのは上記の「」内だけのはずだが、実際に誌面を作る際になぜか『』内を全部書いたので、制作の内幕が映像に少しはみ出た形になっている。これで笑いを取ろうとしたとも思えないので意図が不明というしかない。 以上、だから何だということもないが、そういう感じで作ったという雰囲気は出している。[インターネット(邦画)] 2点(2023-06-17 10:44:47)《改行有》 136. 白く濁る家 《ネタバレ》 登場人物が3人の低予算映画である。前年公開の米ホラー映画に似ているという噂のようで、確かに屋根裏部屋とか窓に何かがぶつかるとか唐突な顔写真といった個別の要素が共通するところはある(ゲゲゲハウスは出ない)。それより題名が「黒く濁る村」(2010韓)の真似だとすれば、それと同様の雰囲気で小スケールという意味になる(見たことがないので不明)。 ホラーとしては発想の独自性があまり感じられない。怖がらせの仕掛けとしては主に背景音楽での脅しだったように思われる。 話の本筋について無理に考えると、男は母親に一生懸命歩み寄ろうとしていたが結局裏切られ、またその婚約者が「完璧な家庭」を優先して、理不尽な結末を受け入れたことでも裏切られた形になり、踏んだり蹴ったりで存在を抹消されて悲劇に終わったということか。ほかに兄弟は腹違いではなかったのかとか、父親が死んだ時の経過についてなど、想像が広がる可能性もあるだろうが特に立ち入る気にはならなかった。 いろいろ考えがあるようで緩いようでもあり、中途半端な感覚で終わる映画だったが、構想段階ではもっと長かったのを短縮したというような事情でもあったのか。とりあえず最後の覚悟の表情が大事だと思っておけばいいだろうとは思った。 出演者に関して、藤本泉という人は「通学シリーズ 通学電車」「同 通学途中」(2015)の高校生役(ユカちゃん)しか見たことがなかったが(「鬼談百景」にも出ていたが映像が暗い)、今回見ると目に迫力があって華もあり、この人の存在が映画全体の価値を高めていた気がする。その相手役も「人狼ゲーム」シリーズで見た時の印象は残っていた。今後一層の活躍を期待する。[インターネット(邦画)] 4点(2023-06-10 10:00:09)《改行有》 137. ヘレディタリー 継承 《ネタバレ》 撮影場所はユタ州だそうである。ゲゲゲハウスのようなのが目を引くが、こういうのを好んで作る人々も実際にいるらしい。 ホラーとしての見た目でいえば、大して怖くないが雰囲気は悪くない。序盤では、まずは祖母の遺影が生きているかのような気色悪さを出していた。またその後に部屋に出て来た姿が二次元的に見えたのは、いわゆる霊感のある人々の話でもそのように表現したものがあるので現実味があった。背景音や音楽でも凄味を出している。 個別の場面では、兄が「大丈夫だ」(字幕)と言ったので、大丈夫でないだろうがと思ったがなぜかそのまま帰って来てしまい、朝になってから母親がギャーと叫んだのがなかなか衝撃的だった。頭部をおいて来たのはさすがにまずい。 ドラマとしてはあまり印象に残るものがない。家族関係ではこれまでいろいろ確執があったようだが、そもそも特殊な家庭のようなのであまり突っ込む気にならない。家族のうち本当の重要人物は誰かをめぐるサスペンスという面もあったかも知れないが、別にどうでもいいので勝手にしろと思って終わりだった。 また家系に関わる心霊物かと思っていたら、結局最後はカルト教団の話になっていたのは残念感がある。古代からの由緒正しい悪魔らしいが西洋世界限定のものにしか思われず、また教団も地方のマイナーな集まりのようで、ここから世界支配を企むといった大がかりな展開になりそうもない。現に自分のいる世界との接点がないので身辺に迫る怖さを感じない。 これでアメリカ人がどう思ったかわからないが、少なくとも自分としては人類普遍のものが表現されているとは見えなかった。 なお母親の作っていたミニチュアは少し興味深いところがある。建築模型でなくドールハウスという言い方になるようだが、ギャラリーで個展をするくらいなのでアート作品として作者の精神世界を表現し、見る人を引き込む力があるものだったらしい。制作の動機としては、自分にとって好ましいとも限らない周囲の世界をミニチュアにして受け入れて、自分のものにしたい(支配したい?)という欲求があったというようなことか。よくわからないがその心理は知りたいと思った。 この家系はこれまで精神面でいろいろ問題が生じていたようだが、その精神性を芸術性に転化して社会生活に生かすことができていたと思えば、今回の件でそれが断たれてしまったのは残念ということにはなる。娘にも素質はあったらしい。[インターネット(字幕)] 5点(2023-06-10 10:00:07)《改行有》 138. 海へ行くつもりじゃなかった 《ネタバレ》 海へ行くつもりはなかったが行ったらそれなりだったという話らしい。生活圏内に海があるのはいいことだが、大阪の都心(多分)から一体どこの海に行ったのかは不明だった。 行っても大したことは起きないがそれなりに変なこともあり、逃げられて追われて盗んだバイクで走り出す(放置自転車?)とかもしていたが、途中の凧には驚きと感動があった。写真に撮りたくなるだけのものはある。 結果的によくわからない話だったが、最近は政治的・社会的な背景のある面倒くさい外国映画ばかり見ていたので、久しぶりに心安らぐものを見たと思わせる短編だった。いい雰囲気だ。 ところで映画と関係ないが仕事上、会話時に読唇を使う人が身近にいたので、この3年間マスクを強要されていたのは困った。自分がしゃべる時に外せばいいだけだがわざとらしくもあり、ちょっとした何気ないコミュニケーションが取りづらい。自分の配慮不足もあったかと思うと後悔が残る。 劇中で金髪娘が声を出す場面はなかったが、とりあえず今回は声を出さなくても気持ちが通った体験ということか。また男の方も自分の考えをわからせる/相手のこともわかろうとする点で一歩踏み出す機会になったかも知れない。パントマイムを社会生活で使うわけではないにしても、身振りがコミュニケーションに役立つこともあるとはいえる。 最後に渡された黒髪の写真はいわば生来の姿であって、そのうちこの状態に戻るので、この顔で憶えていてもらいたいとの意味かと思った。それなりの未来を感じさせるものはある。[インターネット(邦画)] 6点(2023-06-03 15:09:26)《改行有》 139. チャンシルさんには福が多いね 《ネタバレ》 いわゆる何も起こらない映画である。これまで監督が映画制作に携わった経験が主人公の人物像にも反映しているとのことで、この映画自体も映画愛を感じさせるものになっている。 序盤で主人公が男を飲みに誘った場面では、行ったのがなぜか日本語の表示しかない居酒屋で、韓国映画に日本が出るとろくなことがないので警戒感が一瞬高まった。しかしそこで主人公が小津安二郎の名前を出したのでなるほどそうだったのかと思って、変に疑ってしまってすいませんでしたという気分だった。その後の「東京物語」の話の中では、主人公が日本人戦死者の存在に触れた(※)のがかなり意外に感じられた。 また同じ場面で「何も起こらない」(※)という言葉を、観客が言うならともかく映画関係者のはずの人物が言ったのは、映画関係者でない立場からしてもかなり心外に思われた。まさにそのような映画に関わってきた主人公からすれば、まるで異次元人とか不倶戴天の敵に見えたのではないかと思ったが、しかしそれで別に対立関係になるわけでもなく、それはそれとして他に共感できる部分を探そうとする展開だったらしい。 一般に、内部をまとめるために外部に敵を作るのはよくあることとして、内部でもわざわざ対立軸を作って誰かを攻撃したり争ったりするのでは生きづらい社会になるだろうが、この映画はそういう世界からは距離を置き、人々が何となく穏やかに協調して生きる社会を志向しているように見える。はっきりしないがそのように感じさせるものはあり、実際にそう思っていたとすればその点で非常に好感の持てる映画だった。 ※字幕の翻訳が正確だという前提で。 物語としては、人生の中間点を迎えた主人公の再出発の話ということらしい。いろいろ言葉が出て来るのでまとめにくいが、話全体としてはないことを嘆くのではなく、あるものに目を向けた上で前に進めということかと思った。また捨てることは大事だが、全部捨てればいいわけでもないとも言っていたかも知れない。人生の転機にふさわしい提言にも思われる。 ちなみにエンディングテーマは祝詞の詠唱のようなものを現代風にアレンジした感じの曲だったが、これが映画の内容を端的に表現していたようで最後の締めにふさわしい。歌詞は "チャンシルは福も多い" という意味の文章を起・承・結の3回繰り返して、そのうち一行目が原題と同じ、その後は文末を少しずつ変えて変化を出している。字幕も原文を生かした邦訳になっているが、歌の最後だけ前にはない「福まみれ」にしたのは翻訳段階での悪ノリのようで、ユーモラスな人間ドラマの印象を強調していたのは悪くなかった。[インターネット(字幕)] 7点(2023-05-27 10:50:16)《改行有》 140. 英雄都市 《ネタバレ》 原題は「ロング リブ ト(タ) キング:木浦 英雄」で、英語の部分をカタカナ表記のように書いているがvとthの子音がないのは日本語と同じである。英語のLong Live the Kingは、従来の支配者に取って代わった者を讃えるニュアンスがあるようだった。 場所は全羅南道木浦市なので、前に見た「木浦は港だ」(2004)のリメイクかと思ったが別の話になっている。ただ主人公がヤクザでヒロインが法律家だとか、タコの丸のみとか郷土愛といった点で微妙に通じるところもなくはない。監督はこの前に「犯罪都市」(2017)で評価された人物のようで、その映画の主役も特別出演している(光州ヒグマ役、短時間)。 内容としてはヤクザ映画のようだが暴力沙汰は多くなく、それより政治の素人が選挙に出るドラマをメインにしてラブストーリーを兼ねている。気楽な娯楽映画という点では前記「木浦は港だ」と同様だが、15年も経っているのでかなり上品に見える(洗練されたというべきか)。性的に下品な場面はなく、排泄物関係もわずかに便所掃除の場面がそれらしいだけで現代日本人にも見やすい映画といえる。 社会的な面では、政治家が悪という設定は普通のこととして、検事が政治や悪事にまで関わって来るのはよろしくない感じだが、しかし現実にも韓国では検察が政治に多大の影響力を及ぼしている実態があるらしい。そのことへの反発としてこの映画では、検事に政治をやらせるよりもヤクザにやらせた方がまだましだ、という皮肉を込めたのかも知れない。2023年現在の大統領も元検事総長なので、現在の政治情勢にも関わる問題を扱っていたことになるか。なお全羅南道は実際に投票率の高い地域らしく、その点でも選挙映画にふさわしい舞台設定といえる。 主人公に関しては、通常の政治権力とは別次元の強さに誠実さを兼ねた人物造形にしたと取れる。警察官の支持も得ていたようで、これは日頃から最前線で接していたため「ロビン・フッド」的な義侠心も理解されていたということと思われる。現実味のある話でもないが娯楽としては悪くなかった。 ほかの登場人物に関しては、劇中の国会議員と顔の似た地方議員をたまたま知っていたので変な気分だったが映画と関係ない。また弁護士役(ウォン・ジナ/원진아 元真兒)は小柄で可愛い感じの人だったが、こんな般若のような顔をしなくても、と思う場面が多かったのは残念だ。お国柄だろうから仕方ないか。[インターネット(字幕)] 6点(2023-05-27 10:50:14)《改行有》
|
Copyright(C) 1997-2025 JTNEWS