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プロフィール
コメント数 1251
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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121.  ハーモニー・オブ・ザ・デッド 《ネタバレ》 スペイン・ハンガリーの合作映画ということになっている。主要人物としては母親役と後半に出る女性役がスペイン系で、また端役の人々やスタッフなどにはマジャル人っぽい名前も見える(イシュトヴァーンとかゾルターンとか)が、主役級の男2人と子役はなぜかアメリカ人で台詞も英語である。 撮影場所はブダペストと、スペインのVielha, Lleida(カタルーニャ州の山の方)だとエンドロールに出ているが、劇中の場所設定としてはアメリカのような感じで、摩天楼のある大都市の近郊で雪原や雪山が見えたりするので場所感覚が混乱されられる。いろいろ混成状態の国籍不明映画だが、ほか登場人物が唐突に東洋の大国への憧れを語る場面があったりして(陽の昇る方角)、製作資金の出所に媚びたのかと思わせるのが興を削ぐ。とにかく南欧風の雰囲気が期待できる映画ではない(寒々している)。 内容的には、自分が見た範囲でいえばアイアムレジェンドを思わせるが、それほどの映像的な見せ場は当然ない。邦題はゾンビ映画を予想させるが、序盤と終盤にスリリングな場面があるだけで、ほとんどは人間ドラマとして展開する。ストーリーはそれなりにできており、意味は大体わかるが心に染みるものはなく、表面だけさらった感じで正直かなり退屈だった。無線の声とか後半の新たな人物なども形ばかりで半端な存在感しかなく、結果的には単なるアイアムレジェンド劇場公開版の安易な焼き直しに終わったようでもある。 物語で見せようとしていた割にその物語面での充足感がなく、ハリウッド娯楽大作志向の軽薄な印象だったので点数は厳し目につけておく。ちなみに邦題はともかくとして原題(英語)も実態を表現している気はしない。 登場人物としては、中心人物の子役は2002年生まれで当時12歳くらいだろうが、芸達者すぎて小賢しく見えるので好感が持てない。また後半に出た黒髪のクララ・ラゴという人(マドリード出身)は「スターシップ9」(2016)でも見たことがあり、今回も期待していたが役として半端なのは残念だった。役名がWomanとしか書いてなかったので、もしかしてゾンビ役かと思ったがそうでなくてよかった。[インターネット(字幕)] 3点(2022-10-15 10:34:18)《改行有》

122.  便座・オブ・ザ・デッド 《ネタバレ》 日本国内向けの宣伝で、"BENZA OF THE DEAD" と書いてあるのは英題ではなく英語にもなっていないがそれなりに格好がついた題名に見える。本物の英題はニュアンスがよくわからないが、要は主人公が現にいる場所、及び人生の行き詰まりを意味するということかも知れない。または牛馬を入れておく仕切りの意味もあるとすれば、ヘザーという人物が「牝牛」と呼ばれていたこととも符合する。 登場するゾンビは普通のゾンビだが、便所がごった返すほど押し寄せて来る理由は不明である。特徴的だったのはサニタリーボックスの中身を好んでいたことで、個体差もなく全員群がっていたからには今回のゾンビ共通の特性だったらしい。これはレディース用レストルームだからこそ明らかになったことで男便所ならわからなかったはずだ。 またエンドクレジットによると、便所ゾンビの連中にはそれぞれ役柄があったようで、サンタゾンビとかジーザスゾンビは見た通りとして、マーケティングゾンビとか経理ゾンビとか人事ゾンビなどは各々それなりの役柄を演じていたのかどうか(経理っぽいのはいた)。"Bi-curious Zombie" というのはどういう演技をしていたのか探して見た方がいい(見落としたが)。 ほか性的に下品なところは多かったが排泄物は映らない。また映像面では、特に前半はクールな青をベースにして赤がアクセントになる色彩感がよかった。外の廊下は黄色系だったらしい。 ストーリー面では人間ドラマもちゃんとあり、様々な意味で行き詰っていた男が思いがけず励まされて前に踏み出していく物語ができていた。イブの初デートのあと一緒に帰れなかったのは切ないが、25日中には何とか母のもとへ帰りつくのだろうと思った。 コメディとしてそれほど笑うところはなかったが、ネズミ関連の夢オチ2回は嫌いでない。また先月(9/19)葬儀があったばかりなので、女王が便器の中からハローというのは不敬に思われたが、このように国民に親しまれた女王様だったのだろうとは思った(イラストと声が若い)。なおエンドロール最後の免責事項で、登場人物が実在の人物と似ていたとしても偶然だ、としたところで "real persons, living, dead or undead" と書いてあるのはよくある程度の軽いジョークだろうが、存命の人物なら女王も当てはまるかも知れないとして、real undeadというのも該当者がいるのかどうか。[インターネット(字幕)] 5点(2022-10-15 10:34:17)《改行有》

123.  王の願い ハングルの始まり 《ネタバレ》 15世紀に朝鮮国の世宗王が自国語の固有文字を作った話である。冒頭のテロップでフィクションと明示されるので、具体的に誰が何をしたかのレベルで史実と思わない方がいい。 まともに習ったことはないので細かいことはわからないが、劇中の文字製作過程はなかなか興味深い。ゼロから国王が考えたわけでもなく、表音文字の先行例である梵字や大陸諸民族の文字を参考にしたというのは現実味がある。最初に言語自体の音素がどれだけあるかを整理して、次いでそれぞれに当てる字母を考えていたが、点と直線でシンプルに作ることにしたのが記号的な外見の理由になっている。 先に子音が決まった状態では、若い僧とツンデレ宮女のメッセージ交換も子音だけのようだったが、その後に母音をどうするか一生懸命考えて、できた母音と子音を並べて書いた場面ではアルファベットと同じ音素文字の状態らしかった。そこからさらに視認性を高めるため「合字」して現在のような音節文字になり、最終的に「ㅇ」に新たな役割を与えて画竜点睛的な印象を出していた。本当にこういう順序だったかはともかくとして、音の種類で系統立てて作るといったポイントも押さえていたように見える。ただ使用方法として漢字との関係をどう考えたかは説明がなかった。 この文字が公的に使われるようになったのは19世紀末頃とのことだが、その頃すでに一般民衆の間では使われていたとのことで、劇中王が「諺文」という名前に込めた願いはかなえられたことになる。なお字幕で王都の名前が「漢陽」と書かれていたが、現名の서울(ソウル、漢字なし)を発音のまま書けるのも世宗王のおかげということだ。 ところでこの映画では文字製作が仏僧の功績だったことにして、儒教に対する仏教の存在を大きく扱ったように見える。しかしだからといって仏教が全面的に正しいわけでもなく、少なくとも他人様の門前で迷惑なデモンストレーションをして金品をせびるタイプの托鉢は否定的に扱われていたらしい。劇中僧侶が「物乞い」を蔑んでいたのも、自分らがそのように扱われていたことへの強烈な反感があったからと思われる。 しかしその「物乞い」の役をわざわざ外国人にやらせる必然性があったのかは疑問である。特に歴史を扱う場合など、まずは隣の島国を貶めてみせなければ済まない特殊事情でもあるということか。ちなみに映画本来のテーマである文字に関していえば、わが国の仮名文字は劇中文字ほど理屈っぽく作られてはいないが、開音節の言語としては十分に実用的かつ美的な表音文字として9世紀頃にはできていた。 ほか「先代王の約束を守れぬとあらば文明国の名折れ」という台詞は全くその通りで笑った。これは反論できないはずだと思ったら結局適当にごまかされて終わっていたが、筋を通して言うべきことは言う、という態度はこの映画に学ばなければならない。[インターネット(字幕)] 5点(2022-10-08 10:23:21)《改行有》

124.  木浦は港だ 《ネタバレ》 変な題名が気になったので見た。邦題は原題の直訳らしい。 木浦は港だ、といきなり言われると、だから何だ、と言い返したくなるが、これはもともと木浦出身の李蘭影(이난영)という歌手が1942年(昭和17年)に発表した歌の名前のようで、序盤でタクシー運転手が歌っていたのがそうらしい。いわゆる日帝強占期の歌だが別に軍国色もなく、木浦出身者の望郷の思いを素直に歌っている。 映画では、序盤からエイの刺身とタコが名物だとか、ヤクザの町だというのをコメディ調で見せている。その後も多島海風の風景が見えていたり、登場人物の地元へのこだわりが語られたりしてご当地映画の雰囲気を出していた。茶畑・竹林・蓮が見えたのはどこか不明だが、同じ全羅南道の中だと思っておく(宝城郡・潭陽郡・務安郡か)。 ちなみに沈没船の引き揚げの話が出ていたのは、1975年に木浦の近くでお宝満載のまま発見された14世紀の「新安沈船」からの発想と思われる。ほかセウォル号沈没事故も同じく全羅南道だがこの映画より後である(2014年)。 映画としては基本的にコメディで、本気で笑える場面もなくはない。ヤクザ映画だろうが酷薄な雰囲気などもなく、後半からはラブコメ風になるのが意外だったが、終盤になるとアクション場面も若干あって総合的なエンタメ映画の風情がある。最後もそれなりにハッピーエンド感があって悪くなかった。 ただ大衆映画らしく性的に下品な場面も若干あるので子どもには見せられない。また排泄物の関係では、急いで入った便所で便器の蓋が閉じてしまった場面が特に汚いので潔癖な人には向いてないかも知れない。コメディ映画ではとりあえず糞便を映さなくては済まない風潮でもあったということか(今はどうか知らないが)。 その他の関係では、字幕で「ナワバリ」と書いてあるところ(3か所)では、原語の台詞もナワバリと言ったように聞こえた。また刺青がヤクザの証というのは本当かどうかわからないがそういうことになっていた。[DVD(字幕)] 5点(2022-10-08 10:23:19)《改行有》

125.  杉沢村都市伝説 劇場版 《ネタバレ》 乃木坂46のメンバーが主演するホラー映画シリーズ3作の3つ目で、主演は伊藤寧々という人である。「劇場版」とあるが、ほかにOV版とかTV版とか小説版があるわけでもないらしいのは、同シリーズの「死の実況中継 劇場版」「デスブログ 劇場版」と同じである。 シリーズ3作はみな都市伝説を扱っているが、この映画の「杉沢村伝説」は本当にあった都市伝説であり、看板とか鳥居とか岩など結構忠実に見せている。もとの話では青森県にあったとされているが、それをこの映画では「噂で終わった」ことにしていたので別の場所ということになる。ちなみに登場人物が村へ行く途中で見えた看板の「高山・市民の森」は静岡市葵区の山間部にあり、山の斜面に茶畑らしきものが見える場面もあった。近年いわれるオクシズ(奥静岡)での撮影だったかも知れない。 内容的には、ホラーとしての密度はあまり高くない。主人公が村に行くまで全体の半分くらいが経過し、その間に怖さの演出もあるが雰囲気だけである。 村に行ってからの出来事は、もとの都市伝説に「津山事件」(1938)のイメージが含まれているので似た感じになるのは仕方ないとしても、殺人鬼の扮装まで「八つ墓村」(1977)や「丑三つの村」(1983)だったのはどうかと思う。同じく昭和初期の事件が廃村の原因だったという意味かも知れないが、しかし昭和初期にしては民家の柱にエアコンか室内照明のリモコンが取り付けてあったりして、撮影に使ったお宅の様子がそのままなところが見えたりする。屋外でも道がタイル張りだったりカーブミラーがあったりして、この世のものでないはずの村も時代に合わせて変化しているのかと思わせた。基本的に真面目に作ったようではあるが、何かと突っ込みどころの多い映画だった。 なお少しよかったのは女性2人が村へ行く途中の雰囲気で、道の近くに少し険しい山がそびえる風景は異界に踏み込む緊張感を少し出している(送電線は邪魔)。と思ったら交通量の多い道路に行きついたりして、現実との境界が入り組んだ様子を見せていた。 登場人物としては、主演の人は149cmとのことだが、同行した兄の彼女(演・美紀乃)もそれに合わせたのか小柄な人で、この可愛らしい女性2人が馬鹿な男連中のせいで危険に晒されるのが痛々しく見えた。兄がいなくなれば妹の自立が促されるはずとの発言もあったが、優しいお姉さんが一緒にいてくれれば全てうまく行ったのではと思うと少し悲しい。[インターネット(邦画)] 4点(2022-09-24 09:44:53)《改行有》

126.  デスブログ 劇場版 《ネタバレ》 乃木坂46のメンバーが主演するホラー映画シリーズ3作の2つ目で、主演は中田花奈という人である。「劇場版」とあるが、ほかにOV版とかTV版とか小説版があるわけではないらしい。監督はTVで「熱いぞ!猫ヶ谷!」「もっと熱いぞ!猫ヶ谷!!」といったものを撮っている人で、キャスト配列順の2番目にいる秋月三佳という人(ミキティ役)はこの番組との関連で出たものと思われる。 内容としては、当初はコメディ調でガールズトークが面白く、また登場人物の超素朴なやり取りに爆笑させられたりもするが、短い場面をあまり掘り下げないで次々つないでいくうちに、これはやはりホラーだったのだと思わされる展開になっている。ほのぼの感の中に微妙な不安を織り交ぜながら進める形になっており、これで途中までは結構面白いと思って見ていた。 しかし中盤以降、疑惑の対象が次々変わっていくようなのはいいとして、最後の収めどころがどこだったのか全くわからないのは困る。加えて主人公の感情表現が延々と続く場面が多く、特に呼吸が荒いのと、よろつく演技がくどいのには閉口した。これはさすがに演者のせいとばかりはいえないだろうと思われる。 そういうわけで、決して嫌いではないが褒められない映画になっている。 なお前記2人以外の出演者は宮原華音、高橋優里花、青木梨乃、森田桐矢といったところであり、自分としては知らない人ばかりだが(主演も同様)、このうち誰かに関心があれば見てもいいかも知れない。個人的には高橋優里花という人(「まど」役)が、やかましいがなかなか面白かった。 [2022/9/24追記] 8年も経って見返すようなものでもないが、同シリーズの「死の実況中継 劇場版」「杉沢村都市伝説 劇場版」を見たついでに再度見た。ほとんど初見時の印象そのままだが、学園ラブコメの雰囲気から入るホラーというのはユニークかも知れないと改めて思った。 事件の元凶が絞り込まれず拡散して終わったように見えるのは、当面のストーカーが逮捕されたとしても、似たようなのがそこら中に蔓延しているので全く安心できない世の中だという意味か(??)。それだとネットで個人情報を晒すことの危険という、当初の問題提起から逸れた形で終わったようでもあるが、しかしそんなことはこの時点で既に常識だった気もするので、それだけでは不足と思ってヒトコワ要素を補強したということか。何にせよ最後はひどい締め方で、主演の人はお疲れ様だった。[DVD(邦画)] 3点(2022-09-24 09:44:49)《改行有》

127.  死の実況中継 劇場版 《ネタバレ》 乃木坂46のメンバーが主演するホラー映画シリーズ3作の1つ目で、主演は能條愛未という人である。「劇場版」とあるが、ほかにOV版とかTV版とか小説版があるわけでもないらしいのは、同シリーズの「デスブログ 劇場版」「杉沢村都市伝説 劇場版」と同じである。 劇中の都市伝説は架空のもののようで、映画の冒頭から主人公(が演じる劇中ホラーの登場人物)が殺されるまでの一連の部分がそうだとすると、①まず人が死ぬ映像を見たことで呪われ、②その後に来たメールのアドレスを開くと「メリーさんの電話」風の展開になる、という順序になる。うち②で本人が普段使う道を何かが走って来る動画付きなのは悪くない。また“あなたの後にいるの”的な演出は少し怖かった。 ただ①②がスムーズに融合しておらず、題名の「死の実況中継」と、別の“赤い服の女”とでもいうべき話を無理に接合したように見える。またラストでこれが別の形で再現され、観客のところにも“赤い服の女”が来るという感じにしたかったようでもあるが、途中のメール受信が省かれていたのが半端な印象だった。動画チャンネルに貼られたリンクをそのままクリックする形ならよかったか。 当方としては気楽に見られる安手のアイドルホラーを期待していたわけだが、ストーリーは意外に面倒くさく作られている。理屈がよくわからないので適当にまとめると、主人公は進学後の新しい友人と先輩のおかげで高校時代の記憶の呪縛から逃れられるかと思ったが、旧友のせいで先輩と友人を失ってしまい(多分)、改めて自分の意志で立ち向かおうとしたにもかかわらず、結局は旧友との「共依存」関係に引き戻されて終わったように見える。呪縛はかえって強まってしまい、主人公が憎んでいた「理不尽」が続いたまま今生も来世も生き続けなければならなくなった、ということか。かなり真面目に作ったようで、同監督の「デスブログ 劇場版」よりはいいかと思ったが、褒めるには微妙な印象の映画だった。 キャストとしては、主人公役のアイドルは悪くない。序盤で錯乱する場面などはいきなり経験不足にも見えたが、登場人物の息を荒くして変な印象になるのはこの監督の特徴のようでもある(前記「デスブログ 劇場版」と「黒蝶の秘密」(2018))。なお劇中の映像サークルの人物像を結構作り込んでいたようだが、申し訳ないが見る側にとっては関心ない(全員まとめてバカ)。[インターネット(邦画)] 4点(2022-09-24 09:44:46)《改行有》

128.  スプートニク 《ネタバレ》 ソビエト時代の宇宙開発を扱った映画としては「ガガーリン 世界を変えた108分」(2013)、「サリュート7」(2016)、「スペースウォーカー」(2017)といったものがある。この映画の「スプートニク」は、原義としては旅の道連れといった意味のようだが、世界最初の人工衛星の呼び名でもあり、これも新手の宇宙開発映画なのかとミスリードする意図があったかも知れない。 実際は荒唐無稽なSFモノであって実話系でもないわけだが、それでも日本国内向けの宣伝にある「SFサバイバル・アクション」というよりは、上記の宇宙開発映画の延長上の印象がある。栄光の歴史の暗部を扱ったのがこの映画だ、と断言するほどではないかも知れないが、事故の隠蔽や作られた英雄像など明らかに批判的な姿勢を見せている。 物語としては、浮ついたところのないサスペンス調の展開でじっくり見せる感じになっている。SF的な独創性はあまり感じないが悪くはない。 ドラマ部分のテーマは親子関係ということかも知れない。添い寝するとか玩具を与える場面では、宇宙生物を人間の幼児と似た感じに見せており、このまま成長を続けるとすれば、飛行士は持てるものを子に与えて死んでいく父親のようだともいえる。主人公は自分が孤児だったこともあり、この男を生体兵器の育ての親でなく、孤児院にいる本当の子の父親にしてやりたいと思ったのだろうが、しかし父子の両方を助けるのは無理であり、せめて自分が親代わりになって子を助けようとしたらしい。 結局「皆を助けようとする」主人公の理想が否定された話にも見えるが、それなら何が優先なのかを問う話ともいえる。具体的には宇宙生物か飛行士か孤児院の子かの選択が迫られていたが、さらにいえば体制の維持強化か個人の栄達か、あるいは親子愛が守られる世界のどれが大事なのかということかも知れない。終盤では、ガガーリンが言ったとされる(劇中飛行士も言っていた)“神はいなかった”を否定するかのような台詞も出ていて、これが主人公の進む道を照らしていたと思いたい。 登場人物では、孤児院にいた子どもは役名が「Child in Orphanage」となっていてはっきり誰とは書いてない。子役のVitaliya Kornienko(2010年生まれ)は性別が女子である。 ほか雑談として、英雄は戦車に乗っているもの、と主人公が語っていたが、向こうで英雄といえば戦闘機乗りなどよりT-34戦車とかで爆走するイメージなのかも知れない。また「陸軍元帥ロバート・デュヴァル」とは何の冗談か(TV「将軍アイク」1979か)。日本なら三船敏郎元帥だ。[インターネット(字幕)] 6点(2022-09-10 09:11:31)《改行有》

129.  サイレント・ランニング 《ネタバレ》 時代は不明だが、アメリカン航空という会社がまだ存続している未来である。 設定としては地上の自然環境が全て失われてしまった世界のようで、これは昔の未来予想画で描かれていたように、地球全体が都市化されて地表が人工物で覆われたイメージと思われる。ただ2022年現在の感覚でいえば、今はやりのSDGsにも関連項目があるからにはそうなることは当面ない。 ファンタジックな印象のあるSFだが、見た目としては特に宇宙船のデザインが秀逸で、90年代に現実化した人工生態系「バイオスフィア2」を思わせる複数のドームが、軸線の周囲に別角度で設置されている(6個を6角形に)のがいい。こういうものは日本には作れない。 なお技術的な設定はわからないがエネルギー源は原子力だったのか。最後に設置した電球はいつまで保つのかと思うが、これは永遠だと思うのが観客に期待された鑑賞態度と思っておく。 主人公の思いとして、当初は自分が「森」を守る使命を負った特別な存在と思っていたが、結局は自分もその他人類と同類でしかないことを思い知らされたのではないか。同僚を死なせた罪悪感からか、苛立ってカートを暴走させて腐葉土?をぶちまけてしまったり、最後は大事な「森」の面倒さえ見なくなって荒らしてしまい、僚船から連絡があった時点では一瞬ほっとしたのではと思ったりする。またDroneと言われていた連中にとってもいい仲間とはいえず、主人公にとっての同僚3人と似たようなものだったかも知れない。そのような不完全な生物に「森」を任せられないというのは本人も自覚していたと思われる。 最終的な決断としては、地球緑化計画が実現不可能ならもう主人公の役目は終わっているが、次善の策として「森」を無期限で保存するために、いわば最後の責務として1号に後を託した形と思われる。主人公は海に流す瓶に例えていたが、本当に地球の生態系が完全に失われる間際になれば、こういう方舟的なものを残そうとする人間がいても変でないとは思った(共感可能)。 なお主人公の最後の行動には、同僚に対する贖罪の意味も当然あったと思われる。こうならなくて済むように、現実の地球では自然との共生に向けた努力が現に行われているわけである。結果的にはラピュタ風の終幕(こっちが先)と、今となっては古臭く聞こえるテーマ曲もけっこう心に染みたので悪い点はつけられない。[インターネット(字幕)] 6点(2022-09-03 10:03:12)《改行有》

130.  吸血怪獣 チュパカブラ 《ネタバレ》 配給会社によればグロテスク・ホラーだそうだ。チュパカブラとは南米で有名なUMAらしい。 原題は「チュパカブラの夜に」であって、午後に始まり翌日の朝で終わるが、その間の一晩に壮絶な殺し合いがあって登場キャラクターがほとんど死滅する。動物の死骸とか緑色の吐瀉物とかシチュー状の血液とか人体損壊とか内臓を焼いて食う(肝臓か)とか汚い・グロい場面が多いので、苦手な人は見ない方がいい。 話としては人間同士が延々と殺し合うだけで怪物は脇役のようでもあり、そこに貧相な殺人鬼まで絡んで来るのでまとまりなく見える。しかし本筋に見える家族間抗争と怪物が全く関係ないわけでもなく、さらに例えば今回帰省した男が、怪物の出現を含めた全ての発端に関わっていたと思うべきではないかという気もしたが、考えるための材料が揃っているかいないかわからないので面倒臭い。実際それほど暇でないので未解明で放棄する。 なおチュパカブラは最初の目撃例が90年代でわりと新しいものらしいが、この映画の時代設定は現代というより近代のように見える。あえて昔の話にした意図もわからないが、昔はこの程度のことはよくあった、という雰囲気は出ていたかも知れない。今はないともいえないだろうが。 その他の事項について、 ・エスニック調のテーマ曲が特徴的だが、軽薄なBGMがうるさいところがある。 ・チュパカブラは昭和の仮面ライダーに出た怪人のようで、着ぐるみの人間が中腰になってケモノらしく見せようとするのが間抜けくさい。 ・唐突に出た殺人鬼は役名が「Velho do Saco」(袋の老人)になっている。これはもともと悪い子を袋に入れてさらって行く怪人のことで、英語でいうブギーマンと同様に、聞き分けのない子を親が脅す際に使う言葉のようだが、それをこの映画では下世話な感じでリアル化してみせたらしい。本筋と関係あったのかはわからない。 ・動物の死骸が目立つ映画だが、エンドロールでは“撮影中に動物を虐待したり怪我をさせたりすることはありませんでした”(Nenhum animal foi maltratado ou ferido durante as filmagens)と書いてあり、本当はどうだったか別として一応気を使ったようには見せている。カエルは殺されなかったので無事かも知れない。[インターネット(字幕)] 4点(2022-08-27 11:46:02)《改行有》

131.  蜂女の実験室 《ネタバレ》 蜂女といえば、わが国では「仮面ライダー」シリーズのキャラクターとして記憶されていてファンもまだ一定数いるだろうが(多分)、それよりこの映画に出たのが人類史上初の蜂女である(多分)。しかし映画としては前年の「蝿男の恐怖」(1958)の二番煎じ的な感じもあり、その後の「蛇女の脅怖」(1966)などと比べても地味ではある。 話としては、社長本人の美貌を売りにしてきた化粧品会社が、社長の容色の衰えとともに業績が落ちて来たため、変な研究者の推すローヤルゼリーのようなものを使って見た目の若返りを図ったが、そのせいで社長が蜂女になってしまって大変だ、というだけの映画である。蜂女の登場場面はそれほどショッキングでもなく、そもそも黒いのでよく見えない。 発想の原点になったローヤルゼリーというものは今もあるだろうが、この映画の直前の1958年にあった出来事で世界的に有名になったようで、後の1966年には日本のTV番組「ウルトラQ」第8話「甘い蜜の恐怖」でも元ネタとして使われていた。この映画ではミツバチではなくスズメバチを使ったのがまずかったことになっているので、通常のローヤルゼリーを悪者にしているわけではない。 登場人物では、美貌の社長は薬を使う前後で容姿にちゃんと差を出していたが、主演の人はこの時点で32歳くらいのようで、会社創業時の若い頃と劇中時点の中間あたりということになる。また電話口で社名を言うのが主な仕事の?爪とぎ女が、「フラットブッシュ区(ブルックリン区の一部)のオランダ系」と言われていたのはニュアンスがわからないが、17世紀にオランダ人がニューヨークに入植した際の移民の子孫ということではあったらしい。ほか個人的には主要人物の社長秘書が愛嬌のある顔でけっこう好きだ。なお劇中研究者が入院した病院の医師役は監督本人とのことで、けっこう見た目のいい男だったのは意外だった。 ちなみに映画自体に関係ないが、今回見たネット配信サービスの字幕には誤記が多い。「それならもっと強力なローヤルゼリーま?」といったあからさまなものは呆れるしかないが、「世紀の発見をお見せてきますよ」などという微妙なのもある。漢字の字体が変なのがまたいかにもという感じだが、文章自体はまともなので、日本人が作った字幕の映像をもとにしてテキスト化を外注したようでもある。世界企業なわけだが日本人が見てチェックする体制がないということか。[インターネット(字幕)] 4点(2022-08-20 19:27:49)《改行有》

132.  4/猫 ねこぶんのよん 《ネタバレ》 「一匹の猫が住みつく、とある駅を利用する市井の人を描く」という条件で若手監督4人が作ったオムニバスである。製作は「埼玉県/SKIPシティ 彩の国ビジュアルプラザ」とのことで、前に見た「埼玉家族」(2013)と同様の埼玉映画ということになる。なお「とある駅」とは明らかに西武秩父駅であって、撮影場所も秩父が多かったように見える。 登場する「駅猫」は同時期の映画「猫なんかよんでもこない。」(2015)に出演したのと同じネコとのことだが、結果的にネコ成分は薄いので、ネコ映画としては期待しない方がいい。 【ねこぶんのいち/猫まんま】 突然終わるので困惑する。ここで思い切りよく清算して決別したというだけでは単純なので、次の展開に向けて仕切り直しと仕込みをしたのかと思ったがそうでもなかったか。木南晴夏という人がかなりいい感じに見える。 【ねこぶんのに/ひかりと嘘のはなし】 意味不明で終わってしまう。変な男と話が通じた(物語を一緒に作った)体験をもとにして、自分の人間関係を主体的に構築していく気になった、と思えなくもなかったがそれでわかった気もしない。柴田杏花さんはこの少し前から役者として出ていた人だが、この映画では“いいこと思いついた!”の顔がよかった。ネコは後姿がよかった。 【ねこぶんのさん/一円の神様】 制作目的が不明瞭な終わり方だが、要は母の愛が信じられれば子は育つということ自体を表現したのかも知れない。終盤で母親が逃げるのは、同じ監督の「口裂け女VSカシマさん」(2016)を思わせたが関係ないか。役者としては山田キヌヲ+栞那(かんな、子役)のペアで見せているが、朝倉あきさんはあまり顔の見えない役で残念だった。 【ねこぶんのよん/ホテル菜の花】 結末がありきたりに見える。夫の考えはそれ自体として間違っておらず、「可哀想」とは確かに言い過ぎだが、しかし別にこの映画として正しい結論を決めていたわけでもなく、夫婦が真剣に悩んで納得したことの方が重要だったと思っていいか。ちなみにどうでもいいことだが夫は埼玉りそな銀行にでも勤めているのかと思った(根拠なし)。 時間は全部同じくらいなのでそれぞれ1/4ではある。理解困難なものが多いが雰囲気は悪くない。最終話だけそれらしい結末をつけたのは全体構成上の意図かも知れないが、個人的には菜の花畑の演出が過剰に見えて、前の3つが投げっ放しだったことの方がかえって清々しく感じられた。[DVD(邦画)] 6点(2022-08-06 09:41:04)《改行有》

133.  こねこ 《ネタバレ》 ネコだらけの映画である。主人公ネコの子猫らしい動きに和まされ、うちの♂♀もこんなだったかと思い出す。子猫の時期などほんの一瞬なわけだが、しかしそれなりに年を経てもなおその存在自体に愛嬌を感じさせるのがネコというものである。ラストの哀愁漂う場面で、下のネコが上のネコにネコパンチをくらわせていたのは笑った。 劇中時期は12月で、積雪はそれほどないようだが寒さは相当のものだろうと思われる。飼いネコでも昔は家を自由に出入りさせていたのは日本だけではなかったようで、行方不明のネコを呼んで歩くとか張り紙を貼るとかいう行動様式は、日本でいえば「うちのタマ知りませんか」という言葉を思い出す。 劇中ネコが街の人々に厚遇されていたのはネコ映画なので当然としても、やはりネコを愛する人々はどこにでもいるという気にはさせられる。満ち足りた一家でも孤独な男の家でも、それぞれにネコが人の心を和ませるからこそ、ネズミ退治の役目を超えてネコが世界で必要とされているわけである。人がネコ(や犬その他)に対して優しい気持ちを持てるようにするためにも、まずは人間社会の平和が保たれていなければと思わされる。 ネコ以外で特徴的なこととして、クラシカルな背景音楽が流れていると思ったら劇中音楽だったという場面が多かった。夫は音楽家で妻は設計士だったらしい。 ほか人間社会のことに関して、ペルシャ猫につけた「10万」という値段は、たまたま持っていた紙幣2枚で済んだのをみるとそれほど高額でもなかったと思われる。この頃は急激なインフレが起きていたとのことで、1998年には1/1000のデノミが行われている。 また夜に街灯が消えるという父親の発言が否定されていたのは意味不明だったが、これも時代の変化を表現したエピソードだったのか。昔はどうだったか知らないが、現代の大都会では深夜も明かりが絶えることがなく、日頃から早く寝ろと言われている子どもらもちゃんとそれを知っていたというのは、どちらかというと社会の自由化や解放感の表現かも知れない。今の世の中何が起こるかわからないという台詞(字幕)もあったが、世界が変わっていくのは当然として、できればいい方へ変わってもらいたいわけだがそうとも限らない。[DVD(字幕)] 6点(2022-08-06 09:41:02)《改行有》

134.  亡霊怪猫屋敷 《ネタバレ》 ホラー映画というよりは、予告編に書いてある「怪談映画」がふさわしい。個人的感覚としてはそれほど怖いところはなく、ネコもそれほど邪悪な感じではなく、気楽に見られる大衆娯楽映画になっている。 劇中年代としては昭和30年代と20年代、さらに江戸時代(17世紀初めか)の三段階で、時間を遡ってからまた帰って来る。江戸時代がカラーなのは意外感もあったが、ここからがメインの物語だという雰囲気も出していた。現代部分も単純な白黒ではなく、青みをかけた深みのある色調なのがいい。 江戸時代パートは有名な鍋島化け猫騒動をもとにしていたようで、大村藩(実在の藩名)という設定は場所が若干ずれているが、殺された若侍の「竜胆寺」という家名はそれらしさを出している。囲碁の勝負で喧嘩するなどは大人気なく、また飼いネコに向かって末代まで祟れと言い聞かすのは荷が重そうで無理があると思った(そもそも人の話を聞いていたように見えない)が、これは原話からしてこういうものだったらしい。なお壁の死体は有名なエドガー・アラン・ポーだった。 悪役の家老が好色なのはお決まりの設定だろうが、若い腰元はともかく若侍の母親(眉を剃ってお歯黒をつけている)から手籠めにしたのは意外感があった。凌辱場面では刺激的な描写を避けていたようだが、帯を解いて着物を脱がすという定番の展開を別の場面で見せていたのは代替措置のようなものか(?)。化け猫の犠牲者が曲芸のような動きをさせられていたのが目についた。 伝統怪談の部分は当然救いのない感じで終わったが、現代に戻ってまた新たな展開があり、終盤は一気に文明世界の話に戻ったようでほっとさせられる。最後の最後にまた新手のネコが出現したのも悪くない。ちなみに悪気のなさそうな看護師の人がやられ役にならなかったのもよかった。 以下は個人的感想として、300年にもわたる呪い疲れでもうネコも人も成仏を望んでいたところ、子孫が来た機会にやっと供養してもらえて感謝したのではないか。最初のうちは、わざわざこんな屋敷に来て療養するなど意味不明と思っていたが、終わってみればちゃんと療養の効果が上がったらしいのは「猫の恩返し」だったのかも知れない。最終的にはネコ嫌いの人もネコ好きになる映画で大変結構だった。[DVD(邦画)] 6点(2022-08-06 09:41:00)《改行有》

135.  犬鳴村 《ネタバレ》 地元PRに使えるネタではないはずだが、現地の自治体が実名を出して特別協力していたのはかなり驚いた。県警名と車のナンバーも実在であるのに電力会社だけ架空になっているが、ちなみに現実の犬鳴ダムは県営である。 ストーリーはかなり説明不足に見えるので、欠落部分を勝手に補うと次のようになる。 ***** 村人は昔から周辺住民に忌避され恐れられてきたと想像される。ダム建設なら金と脅しで立ち退かせれば済むはずが、皆殺しにまで至ったのは会社の意向というよりも、この機会に忌まわしいものを一掃したい、という周辺住民の集団意志があったからではないか。その先頭に立った旧家に主人公の母が嫁に来たのは、憎むべき家系の廃滅または乗っ取りの意図が背後にあったと思われる。また今回の事件がきっかけで、それまで知らぬふりをしていた周辺住民も、まるで全てが旧家のせいだったかのように責任転嫁を始めたようだった。 事件のあと、旧家は家庭崩壊を免れたようでもあったが、しかし村人の子孫は確実に社会に紛れ込んでおり、その異能はやがて周辺住民の脅威になっていく恐れもある。そうするとダム建設時の虐殺も、社会の多数派たる周辺住民にとっては一理あったことになるか。あるいは大した脅威でもなかったものを、脅威のように言い立てて差別し迫害した多数派への復讐が始まるということかも知れない。 ***** 家単位で見ると憑物筋の特徴も出ていたようだが、村単位ではネット発祥の怪談「コトリバコ」や、欧州でのポグロム(イェドヴァブネ事件など)を連想させられた。ちなみに実在した犬鳴谷村はこれとは全く違うものであり、上記はこの映画限りでの解釈である。 個別の場面としては、若年女子が股間を黄色くして歩くのが衝撃的だった。白い服に映る映像を振り払おうとする演出も悪くなかったが、終盤のトンネル内の揉め事は早く終わらせろと言いたくなった。なおラストのトンネル映像が本物だったとすれば、ここが一番怖かった。 人物関係では、三吉彩花嬢は長身で美形の医師かと思ったら臨床心理士だそうで、女性っぽさは抑えていたがすらりとした姿には終始見とれていた。ちなみに劇中の子役はこの人の子役時代とは似ていない。また村娘役の宮野陽名という人は撮影当時まだ中学3年生だったとのことで、若いのにプロ根性があるようなのは感心した。ほか突撃バカ役の大谷凜香という人は、「ミスミソウ」(2017)でも悪役だったが今回またひどい役だったので、今後もどうか頑張って演技者として大成してもらいたい。逆さになった一瞬の表情は輝いていた。 [2022/7/23変更] 突っ込みどころの多い映画だが、「牛首村」までのシリーズ3作の中では最も総合的なエンタメホラーになっていて悪くないと思ったので点数を+1にしておく。エンディングの空撮とテーマ曲が心に残る。[インターネット(邦画)] 6点(2022-07-23 09:49:17)(良:2票) 《改行有》

136.  牛首村 《ネタバレ》 「恐怖の村シリーズ第3弾」である。 今回は「坪野鉱泉」と「牛首トンネル」という2つの心霊スポットを取り上げているが、題名のとおり牛首関係の方が中心で、廃ホテルとはエレベータなど“落ちる”場面で本筋とのつながりをつけている。「村」に関しては実在の地区名があるようだが(江戸時代は牛首村)、八坂神社(祇園社)の祭神である牛頭天王に由来するのであれば別に呪われた地名などではない。ほかに牛首つながりとしては“そんな怖い話は誰も聞いたことがない”という「牛の首」説話とか、予言獣「件」(くだん)とかいうネタを出しており、また「七つまでは神のうち」など各種要素を積極的に(やたらに)取り込んでいるのが特徴的ともいえる。 この映画に何かまともなテーマがあるとすれば牛というより双子に関することのようで、昔あった「畜生腹」という言葉と、具体的な動物としての牛を無理やり結び付けた形かと思われる。現代日本で双子を忌み嫌う風潮などはさすがにないだろうが、それでも多胎児家庭は虐待リスクが高まるため支援が必要という声もあり、また世界的にはなぜか多胎児の多い地域があるようで(食物の関係?)、それが人権問題につながっている場所や時代もあったのかも知れないが、そういう社会的な問題提起のようなものがこんな映画に込められているわけもなかろうという気はする。 以上に関して無理にいえば、関連性の曖昧な各種要素を逐次投入して観客を眩惑させておき、最終的に真のテーマに導く意図だったと取れなくもないが、単にまとまりがないだけのようでもある。さらに今回は邦画ホラーらしい怖さも特になく、適度にふざけた部分もないので真面目に見えるが面白味がない、というのが素直な感想だった。 ほか今回は地元PRにも気を使っていたようで、Aクラスの蜃気楼が出た時は実際に魚津市役所がアナウンスするとの噂もある。映像面では魚津駅の大雨が印象的だった。 登場人物に関しては、芋生悠という人が全く可愛くない役だったのは残念だ(本人がよければいいが)。またレギュラー化した突撃ユーチューバーが「オカルト特集第3弾!」と言っていたので、この人が犬鳴村と樹海村から無事に生還できた世界での話かも知れない。せっかくなので、この人のYouTubeチャンネル「アッキーナTV」で定番だった「ハロー!アイムアッキーナ!世界の皆さんこんにちは〜!ども、アキナです!」をフルバージョンでやってもらいたかったがそうでもなかった。同行のミツキちゃん(演・莉子)も愛嬌があって可愛いので、次の機会にまた生き返って出てもらうのもいい。[インターネット(邦画)] 5点(2022-07-23 09:44:01)(良:2票) 《改行有》

137.  風鳴村 《ネタバレ》 原題は“風車の大虐殺”だろうが、日本国内向けには邦画ホラーの「恐怖の村シリーズ」を思わせる題名とイメージ画像(顔付き)を作っている。内容としては観光バスツアーに参加した客が殺人鬼に順次惨殺されていく展開になるが、見るからに作り物なので嫌悪を催すほどの残虐さは感じない。腹部から出た腸を胸部に戻そうとするなと劇中の外科医には言いたくなった。 オランダ映画ながら登場人物は外国人ばかりで台詞は英語だが(一部は日本語)、一応オランダらしく風車小屋が出て来て、そこへ行くまでの干拓地の風景も見られるのは有意義だ(チューリップは出ない)。水路沿いに丸い池が2つあって堤防上の道路が迂回していたのは何だったのか知りたい。ちなみにアムステルダムは売春宿の栄える頽廃の都のイメージなので地獄行きの出発地にふさわしい。 一応最後まで飽きずに見ていられる作りだが、風車以外はそれほど特徴的な点もなく、悪くはないが平凡な印象の映画ではあった。よかった点としては、オランダから逃げればいい、と子連れの男が言ったのがちょっと意表をついた発想で、これは本人が隠していたものが図らずも外部にはみ出てしまったことの表現として効果的だった。 ほか背景設定には不明な点が多いが、個人的に興味深かったのは悪魔と契約した男が、「風のない日も風車が回るよう」にして財を成したが周辺住民に殺されたという昔話だった。ここで風車はオランダ独自要素としても、同様の話はヨーロッパの別の場所にも伝わっているとのことだったが、日本でも憑物筋と言われたのは地域社会で富裕な家系だったという説もあり、それと似たようなものとすれば悪魔というより周辺住民の妬み嫉みがもとになった話とも考えられる。この辺は意外に邦画「犬鳴村」にも通じるところがある。 また拙い日本語を話す変な東洋人は日本語だったからには日本人と思うしかないが、この男が真言を唱えただけで悪霊が退散したのは、東洋の神秘的な力が欧州では無敵だというようで感心させられた。どうせこんなのは二番目くらいで無惨に死ぬだろうと思っていたらそうでもなく、祖母との関係性や終盤の行動を見ると、わりと肯定的に扱われた登場人物だったらしい(子ども・女性・有色人種を優遇)。最後は日本でいう「ほんとに怖いのは人間」的な結末だったようである。[インターネット(字幕)] 5点(2022-07-23 09:43:59)《改行有》

138.  ブラックホーク・ダウン 《ネタバレ》 初見は2000年代のTV放送だったが(たまたま出先の札幌で見た)その時に思ったのは、何でこの連中はアフリカにまで来てこんな目に遭わなければならないのかということである。どこが自国のためなのかわからない戦いで、現場の兵隊が次々に死んでいくのが痛々しい。内輪で殺し合っている連中など放っておけばいいではないかというのが当時の感想だった。 加えて虚脱感を覚えたのが終盤の「仲間のために戦う」という言葉だった。現代の米軍では戦うための目的意識も大義もなく、戦う理由が軍隊内部で自己完結してしまっているということなのか。「一人も残さない」のは士気の維持のためには重要だろうが、それでさらに死者が増えていくのも虚しく見えた。 今回改めて見直したが、実録風の原作のある映画とのことで、実際に戦闘に加わった人々も製作に協力していたことからすると、基本的には苦難の中で勇戦した軍人を顕彰し記憶にとどめようとした映画かと思われる。 現地がこういう状況になった経緯は知らないが、この時点で国連平和維持軍も出ていたことからすると、米軍だけが極端に条理に反した行動をしていたわけではなかったようである。数字としては最後の1000対19が目立っていたが、単純な数の比較でいえば、最初に「30万もの民間人が餓死」と出ていたこととの関係をどう捉えるかということになる。 ここでアメリカの独善性に反発して、民兵リーダーの言った「この国の流儀」というのを認めてしまうと、例えば国内の特定集団などを弾圧する国家があっても内政問題と言われれば止めさせられないことにならないか。あるいは序盤で将軍が言ったようにgenocideといえば放っておけなくなるということか。簡単に善悪を分けられるものではなく、文字通り考えさせられる映画にはなっている。 何にせよ国家たるものに一般庶民的な善意などありえないわけで、どうせ何かの思惑や利害で動いているのだろうとは思うが、どちらかというと一般庶民に属するこの映画の主人公に関しては、当初思っていたような世界秩序の守護者たるアメリカの役割をもう信じられなくなっていたらしい。死んで英雄になろうとも思っていなかったようで、自分としても(戦争したことはないが)同感というしかない。 以下雑談として、その後のアメリカは世界の警察官をやめたのかと思っていたら、今年の5/16には一度現地から撤退していた米軍を再度駐留させる決定をしたとの報道もあった。それまでも周辺国やアフリカ連合などとともに関与を続けていたようだが、現実問題として過激派組織の活動には隣国ケニアも苦慮していたらしい。[インターネット(字幕)] 7点(2022-07-09 10:04:37)《改行有》

139.  M★A★S★H/マッシュ 《ネタバレ》 ポリコレ絶対主義の現代でもまだこんな映画の存在が許されているからにはよほどの名画であるらしいが、しかし全編通じた悪ふざけのため製作意図をわかってやる気に全くならない。世評によれば反戦映画だそうなので、これが反戦の表現と受け取れる雰囲気が当時はあったのだろうと思っておく。それにしても手前勝手で傲慢な連中だ。[DVD(字幕)] 2点(2022-07-02 09:07:12)

140.  トコリの橋 《ネタバレ》 朝鮮戦争中の空母艦載機のパイロットを主人公にした映画で、海軍の協力により発着艦や飛行中の場面は実写が使われている。攻撃の場面は特撮だろうが、結構リアルなのでこれは特撮だと自信をもって言い切れない出来になっている。 登場するのは主にジェット戦闘機のグラマンF9Fパンサー、ヘリコプターのシコルスキーHO3S-1である。F9Fは戦闘機ながら対地攻撃用に使われていたようで、劇中でも題名の橋の攻撃を行っていた。またHO3S-1は救難が主任務とのことで、発着艦の際は常に滞空して待機し、また敵地で孤立した友軍兵の救出に向かったりしていた。 空母に関して、艦橋に34と書いてあるのはCV-34(またはCVA-34)の「オリスカニー」であることを意味するが、劇中では「サボー号」(字幕)という設定になっている。この名前は、かつてアメリカがした戦争での激戦地の名前を空母につける伝統からすれば、太平洋戦争の激戦地だったソロモン諸島の島の名前(Savo Island)と思われる。劇中でこの空母がいたのは冬の日本海だったらしい。 なお「トコリ」は原作者が作った架空の地名とのことだが、少なくとも「リ」は「里」かと思った。場所としては港湾都市の元山の近くのようである。 この時期にも、大戦後期の主力だったエセックス級空母はまだ現役でいるが、既にジェット機やヘリコプターも搭載して時代が急速に変わりつつある印象を出している。少し前まで敵国だった日本も、戦後速やかに友邦になって人々も親和的であり(戦勝国に媚を売っていただけだろうが)、かつてアメリカ人が生命をかけて戦った敵はどこに行ったのかと思わされる。 その中で、本業は弁護士だという主人公は、前の大戦をせっかく生き延びたのに今どきまた戦地に駆り出されてしまっている。妻子を守るために戦うというならまだしも、自国が脅威にさらされている危機感など本国のどこにもなかったとすれば、この主人公が死地に赴くことの理不尽さは確かに感じられる。アメリカのやる戦争で、職業軍人は別としても一般国民が死んでいくことについて深刻な疑問を提起した映画なのかとは思った。「朝鮮にいるから戦う」とは、いなければ戦わずに済んだはずという意味だったか。 ところでアメリカ映画に出る日本人はヘンな連中ばかりというのは常識だが、この映画で特に呆れ果てたのが「御家族風呂」だった。素っ裸で居並んでお辞儀する一家など想像を絶するが、裸を気にしない子どもらが先に仲良くなったという展開は悪くない。戦争があっても人間同士が仲良くできるのはいいことだ。[DVD(字幕)] 6点(2022-07-02 09:07:10)《改行有》

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