みんなのシネマレビュー |
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1541. 恋の門 得体の知れない恋愛模様にどうやったって笑いが止まらない。いや、元来、“恋”なんてものは可笑しさを多分に含んだものなのだ。それまで何の交わりも無かった2人が、ふとしたことで出会い、惹かれあう。なんだか当たり前のように言うけど、こんなに不思議で言葉にならない可笑しさを含んだ現象は他にないのではないか。たぶん、そのことを松尾スズキは誰よりもよく知っている。だって、そうでなければ、こんな最高に奇天烈で幸福で可笑しな映画作れるわけがない。9点(2004-11-07 04:07:56) 1542. 地球で最後のふたり 正直、“足りないもの”は非常に多い映画だ。そのことがストーリーを展開していく上で、分かりにくさにつながる部分は確かにあり、曖昧な空気感が退屈に感じることも無いとは言えない。でも同時にその物足りなさが、なんだか心地よかったりする。日本人の男とタイ人の女の“片言の対話”が不思議だけれど、とても純粋な人と人との交わりに見えてくる。この監督の前作「シックスティナイン」の印象が強いので、日本ヤクザの登場による抑揚の強い展開を期待したところはあるが、期待を裏切り、美しい映像によってあくまで淡々と終始する映画世界は、洗練された世界の果てを想像させる。7点(2004-11-06 18:22:23) 1543. キャットウーマン “女+猫+ヒーロー=キャットウーマン”この構図は映画の素材として非常にユニークで巧いと思う。 男のヒーロー映画が蔓延している中、「女のヒーロー映画を作ろう!」というのはとても正当な論理であろう。 しかし、そのヒーローをひたすらに正義に没頭させては何の意味もない。 言わせてもらえば、脇目もふらずに正義を貫けるのは、無邪気で幼稚な“男”しかできない発想であろう。 ムカつくヤツは叩きのめし(猫パンチ)、恋もすれば、泣きもする、 そして何よりも“自由”を求める。女がヒーローになるというのはそういうことだ。 この映画はその真理を徹底して表現している。 そして、艶かしいボディを惜し気もなく見せつけるアカデミー賞女優のヒーローっぷり。なんだか大げさだけど、この単純な娯楽映画の中に、荒れ狂う厳しい世の中を己の体ひとつでのし上がっていく強い女の現代像を見た気がする。[映画館(字幕)] 8点(2004-11-05 00:03:53)(良:3票) 《改行有》 1544. コラテラル なにか描かれるストーリー以上のものを観客に伝える映画だったと思う。単純にストーリー展開だけを見たならば、なんだかクールというよりもあっさりし過ぎているように感じるかもしれない。しかし実際に生きている人間たちがみなそうであるように、“一夜の出来事”の終焉は決して夜明けともに来るわけではない。翌朝も、翌々朝もずっとその人間の中に残っていくものだ。それは映画の住人たちにとっても変わりなく、タクシー運転手の人生はその後も続いていくし、死んだ殺し屋の人生を一晩だけで完全に理解するのは無理だ。なんだか、上手く言えないけど、そういう彼らの“一夜の出来事”の前後の生き様を考えさせられる映画だった。そして、最後の最後まで続いた彼らの思想の対立が、心の中をぐるぐると駆け回って、苦しい。[映画館(字幕)] 6点(2004-11-01 22:36:36) 1545. 笑の大学 もちろん笑える。それは間違いない。そしてそれと同時にこの映画もとい脚本には、喜劇作家三谷幸喜のプライドと意志がダイレクトに表現されている。「笑い」とは何なのか?必要なのか?不必要なのか?自分自身がそれを描き続ける意味は何なのか?三谷幸喜が日々思い悩んだ答えが、そのままこの話であり、喜劇作家椿一のキャラクターなのだと思う。得意の“密室コメディ”の形式だったので、映画的にもっと徹底して密室のみで描くことができれば、さらに面白さは凝縮されたのではないかと思う。しかしそれでも、喜劇作家と検閲官の対話によってのみ紡ぎだされる“笑い”には見応えがあったし、映画化されることによって更に力量が問われる役柄を主演の二人は見事に表現してみせたと思う。[映画館(字幕)] 6点(2004-11-01 22:19:58) 1546. 茶の味 この映画は奇妙だ。そしてそれと同時に、とても身近でとても深遠な“幸福”を備えたファンタジーだと思った。突飛なアイデアと抜群の色彩に彩られた映像世界もさることながら、この映画の成功は、何と言っても俳優たちが醸し出すユニークで自然な“鬱積”とそれに対する“解放感”の見事さによるところが大きい。その中でも特に幸子役を演じた若干6歳の女優・坂野真弥のたたずまいは、浅野忠信、三浦友和ら名だたる名優たちを抑えて抜群だったと思う。 “人の生”は「茶の味」だ。いろんな要素がごった返して混ざり合って、苦い旨さが、ほっとする。そしてそれは、宇宙の壮大な混沌とも類似するほど、深く、果てしない。10点(2004-11-01 21:59:26)(良:1票) 《改行有》 1547. SURVIVE STYLE5+ 怒涛のごとく押し寄せてくる奇怪な人生の“スタイル”。冒頭の浅野忠信のモノローグの通り、彼らのスタイルは、この映画を呑気に映画館で観ている僕たちにはあまりにかけ離れた世界のように思う。しかし、彼ら自身は決して自分たちが奇妙な世界に生きているとは微塵も感じていない。奇奇怪怪な生活を送りながら、もちろん苦悩はするが、彼らの息遣いは実に普遍的なものだ。だから、そんな特異な人生であっても、彼らが日々に感じ取る事は、僕たちのそれと何も変わらない。家族愛、夫婦愛、同性愛…、ひたすらにその中心にあるものは“愛”なのだ。その至極シンプルなテーマをCMプランナーらしいアイデアの羅列の中に描き出す、その画期的な趣向に引き込まれる。 豪華すぎるキャスト陣が揃わなければ成立しなかったであろうこの映画。個人的には、大陸を越えてやってきたヴィニー・ジョーンズの怪演、そして橋本麗香の可愛すぎる“狂気”にぐうの音も出なかった。[映画館(邦画)] 8点(2004-10-25 18:31:24)(良:1票) 《改行有》 1548. ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS 《ネタバレ》 東宝の「ゴジラ」シリーズは大好きで、1954年の第一作目をはじめとしてその殆どの作品を観てきた。 それを踏まえた上で、敢えて言っておかなければならないことは、この日本映画史に残る特撮映画シリーズは、その殆どの作品が「駄作」であるということだ。「ゴジラ」シリーズ全28作品中、「良い映画」だと呼べる作品は、本当に一握りしかない。 そんな中で、第27作目である本作は、意外に良い映画だと思っている。 「ゴジラ」シリーズにおける“良い映画”に共通する特色が一つある。それは、"ゴジラ”と対峙する(闘う)のが、「人間」であるということ。 「駄作」と断言できるゴジラ映画の多くは、ゴジラが登場し、そしてまた別の巨大怪獣が登場し、両者の対決ばかりを延々と繰り返す。 必然的にそこには人間ドラマなどなく、ストーリー性なんてあってないようなものになっている。当然ながら、映画として面白いわけがない。 娯楽映画であろうと、特撮映画であろうと、そこに確固とした人間模様が描かれるからこそ、観客は感情移入し、より一層にエンターテイメント性が際立つものだと思う。 そういった「ゴジラ映画」である前に「映画」として不可欠な要素を、本作はきちんと組み込んでいる。 人間が対ゴジラ用の最終兵器として生み出した“メカゴジラ”=「機龍」の整備士を主人公に配し、人間とマシーンの狭間に生まれる思いを軸に展開するストーリー性は、これまでのゴジラ映画にはない新しさだったと思う。 だからと言って、ストーリーの完成度が高いなんてことはないのだが、少なくともストーリー展開に整合性はあり、白けるようなことはない。 注文をつけるとすれば、成虫・幼虫(双子)と大サービスで登場する“モスラ”の存在性はあまりに無意味だったと思う。 モスラと、この怪獣とセットの“小美人”の存在のせいで、リアリティが大いに損なわれたと思う。(まあ、ゴジラ映画にリアリティなど求めること自体がナンセンスかもしれないが……) あともう少しキャスティング力にパワーがあれば、更に人間ドラマが際立ったのになあとも思う。 エンドロール後の“バイオハザード”的な更なる続編への煽りも個人的には大好きで、次作にも期待したのだけれど、続いて公開された最終作は、本作とは全く繋がりのない超絶駄作となってしまったことは有名な話。[DVD(邦画)] 8点(2004-10-25 02:47:09)《改行有》 1549. デビルマン 《ネタバレ》 まったく……。一番目のレビューとして申し訳ないが、言わせてもらいます。 これほどまでに“胸糞が悪い”映画は観たことがない。 日本映画でヒーローものの娯楽映画だから“くだらない”だけならまだ許せるだろうが、娯楽映画としてこれほどの醜悪さはまさに憎むべきものだ。 もう何が悪いどこが悪いと指摘するのも虚しい。まともな神経で作ったとは思えないし、観る側もまともな神経では耐えられないものだ。 上映前の暗がりの中、一人の老人がおぼつかない足で劇場に入ってきた。 そして彼は、クライマックス前もっとも下劣なシーンのところでさらに足元をふらつかせながら途中退席していった。 もちろんぼくはこの映画に何の関係もないが、何だかその老人に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまった。 まあ、とにかく、映画としてのあらゆる罪を犯した今作を許すことはできない。 そして、もし「この映画は庇護るにたるべき存在か」と聞かれれば…そんな愚問には答える気にもならない。[映画館(邦画)] 0点(2004-10-12 18:49:52)(良:7票) 《改行有》 1550. ヘルボーイ 現役俳優の中では最も「怪優」という言葉が似合いそうな俳優=ロン・パールマンを主演に起用したことも含めて、“ヘルボーイ”というマンガ魂爆発のキャラクター自体は非常に良かったと思う。そのインパクトの高いキャラクター性のおかげで全体的に飽きのこないヒーロー映画には仕上がっている。がしかし、手放しで盛り上がれる映画かと言えばそうではないというのが正直なところだ。何と言っても、ヘルボーイ以外のキャラクター(敵キャラも含めて)がイマイチ立っていないのが致命的だ。多弁な半魚人や苦悩する人体発火ヒロインなど面白味の高いキャラがせっかく周りを固めているのに、彼らの活躍はいたって地味なまま終わってしまう。それはそのまま展開の地味さにも繋がっているように感じ、結果的にストーリーの粗が最大限に目立ってしまっている。なかなか憎めないキャラ、憎めない映画だけに、惜しいと思う。6点(2004-10-10 21:55:22)(良:1票) 1551. イノセンス “モノ”を創り出す上で、「凝る」ということは非常に大切だし、作品の価値が高まるほどに不可欠になるものだろう。この映画も「凝る」ということに関しては、極限まで突き詰められている。細部にいたるまでその力の入れようには圧倒される。しかし、だからと言って今作が凄い映画かと聞かれると、そうだとは言えない。これはもはや価値観の違いなのかもしれないが、凝るというその方向性自体が逸脱しているように感じてならない。膨大な専門用語や造語、加えて古文や古い諺の引用によるセリフ回しは、物語を紡ぎ出すにはあまりに混沌としすぎているし、製作者の独りよがりとも言えるのではないかと思ってしまう。描かれるテーマ自体は、濃厚ではあるが実はとてもシンプルなものだ。圧倒的な映像世界の中にもっと単純にその秀逸なテーマを描き出すだけでもこの映画は見事に完成するのではないか。5点(2004-10-08 14:35:39) 1552. ダークシティ 前述の評価にもあるが、「マトリックス」三部作を物語の核を電子から精神に変えて100分というコンパクトな枠にまとめ上げたという印象が残る。それをそのまま好評へとすることもできるが、悪く言えばやはり、これほどまでに奥行きのあるアイデアをこの枠で留めるには説明不足な感も拭えない(かと言って、大風呂敷を広げた「マトリックス」がストーリー的に完成していたとは言えないが…)。まあとにもかくにも、期待以上の世界観の壮大さには驚きがあったし、それを描ききった圧倒的なヴィジュアルセンスにも舌を巻くことは間違いない。[ビデオ(字幕)] 6点(2004-10-03 15:07:26) 1553. 太陽がいっぱい 周知の評価の通り、ラストが素晴らしい。主人公リプレーが一瞬の満足感の末得たものは何だったのか?思惑と異なりすべてが転覆してしまったことを知らないラストの笑顔が何とも愚かしく切ない。しかし、彼は決して何も失ってはいない。なぜなら彼には元々何も無かったからだ。そう思うと、「太陽がいっぱいだ」とつぶやいたあの一瞬こそ彼があらゆる罪を犯してでも得たかったものであり、その瞬間で彼の本望は遂げられたのかもしれない。 何と言ってもアラン・ドロンの美貌とその裏に垣間見せる屈折した感情を抱えた存在感がスゴイ。こういう俳優のことをスターと呼ぶのだとしみじみ思った。今の常識からするとサスペンスとしてのストーリーは安易であるが、偽り、交錯する人間の感情が実にサスペンスフルだ。名作の名にふさわしい傑作。9点(2004-10-03 13:05:09)(良:1票) 《改行有》 1554. 半落ち 当たり前のことだが、人の価値観は様々で、その思惑や行動はその人によって違う。それなのに、それらすべてを社会というたったひとつの価値観で裁かなければならないという現実は、どうしようもないことだけれど非常に愚かなことなのかもしれない。行き着く先を見出せない真実に対する“こたえ”が登場人物らの脳裏を静かに渦巻く。と、物語のテーマ性自体は濃厚であるけど、映画としてはどこか稚拙だ。テーマに対してストレートに描き出そうとする試みは分かるが、工夫のない演出と映画つくりをするには俳優陣の力がやや不足していたように思う。特に誰が悪いというわけではないが、一言で言えば全体的に華がないということになるだろうか。ベストセラーの原作は読んでいないが、おそらくは原作以上のものはこの映画にはないのだろう。感動はするが、その感動が後には残らず次第に薄れていく。[DVD(邦画)] 4点(2004-09-27 03:22:00) 1555. スウィングガールズ 思い切り開き直って「ウォーターボーイズ」の二番煎じを描き出すその潔さが見事だ。そしてその強引さも、男子高校生の何倍ものパワーを持つ女子高生のエネルギーによって許さざるを得ない雰囲気に持ち込まれる。明らかに「ウォーターボーイズ」と比べるとストーリーの完成度には欠ける。しかしそんなものどうでもよくなる。彼女たちの底抜けの明るさと奔放さを前に「完成度」など何の意味も無い。“踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らりゃな損損”うーん、まったくその通りズラ。8点(2004-09-22 18:49:52)(良:2票) 1556. アイ,ロボット 「ロボットの叛乱」、それはもはや使い古されたプロットかもしれない。しかし、この映画は明らかに新しく、映画としてのひとつの進化さえ垣間見せることに成功している。特筆すべきは何と言っても“生々しく”襲い掛かるロボットの驚異的なインパクトだ。ロボットに対する“人間らしさ”をテーマとするこの物語において、革新的であるこのロボット像は、不可欠であり最大の功労であると思う。研ぎ澄まされた機能美に溢れた世界、破滅的な危惧を備えた新たな未来像が、人間の五感と精神を刺激する。[映画館(字幕)] 8点(2004-09-22 02:29:12) 1557. ピーター・パン(2003) 子供の頃、家にはディズニー映画「ピーター・パン」をダビングしたビデオテープがあり、僕と妹はそれを本当に言葉どおり繰り返し繰り返し観たものだった。今考えると、それは僕にとっての一番最初の映画体験であり、映画に対するすべての基盤かもしれない。それから20年後、新たに僕の前に現われた「ピーター・パン」は、再度素晴らしい映画体験をさせてくれた。僕にとっての永遠のおとぎ話の実写化には、いささかの抵抗があったことは否めない。しかしそんな不安は見事に打ち消された。“完璧ではない”映像世界は、まさにおとぎ話にふさわしく、とても居心地が良かった。 僕はもうとっくに子供ではなくなり、自分でも気づかないうちに大人になってしまった。ふとそのことに気付くと、なんだかとても寂しい。だからせめて、「ピーター・パン」を観るときだけは、遥か遠い純粋さを取り戻そうと思う。[DVD(字幕)] 8点(2004-09-19 04:02:37)(良:1票) 《改行有》 1558. 座頭市(1989) 勝新太郎の「座頭市」として今作だけを観たのであれば、存分に満足できる時代活劇であっただろう。しかし、第一作「座頭市物語」で誕生した“座頭市”というキャラクター、その初期作群の“彼”と比べると、どこかキャラクターとしてのキレがないように感じた。分かりやすく言い換えると、今作の座頭市は貫禄がありすぎるという印象だ。それはもちろん十数年ぶりにこのキャラクターを演じた勝新太郎自身の変貌による影響が大きいのだと思う。この時の勝新太郎の演技や風貌が悪いということではなく、当初の座頭市とのギャップが大きいということだ。厳つい巨漢の盲目の按摩師が凄まじい居合い抜きを見せる様は非常に迫力がある。ただ「座頭市物語」にあった洗練された一瞬の静寂さ、その瞬間の殺気は、感じることができなかった。4点(2004-09-19 03:41:07)(良:1票) 1559. シモーヌ これほどまでにブラックなユーモアに爽快感を感じたことはない。虚構と真実の狭間で翻弄されている群集の様は、すべての現代人が抱えるもはや病的とも言える滑稽さであり愚かさであろう。完全なるバーチャル女優の存在を映画的に無理なく通してみせた完成度の高い映画世界がまず見事である。そして何よりもこの映画の質を高めたのは、もはや現役最高俳優であるアル・パチーノのウィットに富んだ演技力と存在感だ。シモーヌという虚構とそれに群がる大衆に板ばさみになる老映画監督を演じると同時に、シモーヌの内面までも演じ出してみせたその巧みさには手放しで賞賛できる。「ガタカ」の映画監督が描き出す秀逸な近未来像を堪能した。8点(2004-09-17 16:48:52) 1560. NARC ナーク 期待していたよりも、ストーリーとキャラクターの設定がありきたりだったという感は否めない。あまりにもストーレートな展開には、“隠された真相”を探る秀逸なサスペンスを期待していた者としては少々物足りなかったというのが正直なところ。しかし骨太な刑事ドラマを最初から想定していたのなら、その圧倒的な重量感には満足できたであろう。レイ・リオッタの好演者ぶりは予想できたが、驚かされたのはジェイソン・パトリックである。全米で最もセクシーな俳優として(ほんの一瞬だけ☆)騒がれ、あわよくばスターダムにのし上がろうとした瞬間に見事にその階段を踏み外し、転落していったこの俳優のこれほどまでの豹変ぶりを誰が予想しただろうか。もしかしたら、彼の俳優としての怒涛の反撃をこれから先、幾度となくあびることになるのかもしれない。[ビデオ(字幕)] 6点(2004-09-17 02:17:25)
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