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プロフィール
コメント数 1251
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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141.  君のためのタイムリープ 《ネタバレ》 邦題の「タイムリープ」からすると時をかける少女かと思うが、台詞によれば「ターミネーター」「バック・トゥ・ザ・フューチャー」だそうで、全体的には後者に近いが邦題の「君のための」は前者のイメージである。2017年で38歳の男が20年前の高校時代に戻る話になっている。 原題の「帶我去月球」(Take Me to the Moon)は張雨生というシンガーソングライター(1966~1997)の楽曲名で、劇中年代もこの人物が事故で死去した年に合わせている。仮にその事故がなければ映画のストーリーは成り立たなくなるが、それでも主人公が無理に警告しようとした姿に結構心を打たれたことからすれば、当時の若者にはこれがかなり衝撃的な事件であって(日本でいえば尾崎豊?)、観客の心情にも訴える場面だったのかと逆に思わされた。 ほかにも当時の社会描写らしいものが多く、登場人物と同じ30代末期にかかる人々が、自分の青春時代を回顧する映画かも知れない(よくあるタイプの)。 物語としては主人公の男が、自分の恋した相手が死ななくて済むよう過去を改変する話である。最初はとにかく死なないことだけ考えていたが、結果的には単に死なないだけでなく、相手の人生が輝く未来が実現でき、ついでに自分の未来も輝かそうと決意したということか?? よくわかっていないが悪くない話ではあった。 日本との関係では、冒頭いきなり日本語で始まるのは「悲情城市」か「海角七号」かと思わされる。1997年時点では日本の存在感が変に大きく、それはかつて文化面でも日本が台湾をリードしていたということだろうが、ラストの段階ではすでに台湾が台湾自身の安室奈美恵を生み出しており、若くして没したアーティストの後を引き継いでいたらしい。エンドクレジットに「特別感謝 魏德聖」とあったことから想像すれば、日本から受け入れたものと、台湾が生み出したものの融合が表現されていたとも取れる。 出演者として、宋芸樺 Vivian Sungという人は今どきまだ高校生役なのかと思ったが、18~35歳を幅広くカバーできる役者という意味なら変ではない。高校時代と現在が同じ演者なのは「私の少女時代」よりも著しい改善点といえる。今回は歌がうまいので感心した。 また「まるで男」と言われていた「小八」役は、「屍憶」で童顔が印象的だった嚴正嵐 Vera Yenという人である。中学生にも見える容貌だが弁護士志望という役柄は悪くない。今回はバンドでドラムを叩いていたのが目を引いた。年齢不詳のユニークな女優(兼シンガーソングライター)のようで好きだ。[インターネット(字幕)] 6点(2022-04-30 13:59:22)《改行有》

142.  52Hzのラヴソング 《ネタバレ》 ダンスはなく歌が主体のミュージカル映画になっている。主な出演者は役者ではなく歌が本職のようで、台詞よりも歌で語らせて物語を進めていく趣向らしい。視覚効果もあってか色彩豊かでファンタジックな劇中世界ができている。 内容的にはバレンタインデー(2/14)のラブストーリーになっており、全部数えて6組12人の幸せな日を描いている。同性婚の2人が里子を迎えたのは今回のタイミングに合わせた形だったらしい。 基本はラブコメ的に気楽に見ればいいのだろうが、作り物感のせいでいま一つ乗れないでいるうちに、晴れやかなはずの合同結婚式が変に心騒ぐ場面になっていて冷めてしまう。主人公の一人である公務員にとっては落ち込む一方のイベントだったらしく、せめて法的に認められない同性婚を祝福させようとして市長に花束を渡したのかも知れないが、そこで一輪返されたのは、他人より自分を心配しろと言われたようでさらに落ち込んだということか。 多くの登場人物が物語を通じてプラス方向に動くのに対し、この公務員と彼氏の関係は最初からマイナス続きで、最後はもうこれは駄目だと思わせるところまで落ちていく。それでいて最後に逆転する形式だったのは、うまく同調できれば大感動なのだろうが、終盤の展開に納得感が全くないので勝手にしろと突き放したくなった。それ以外はまあお幸せにという気分にはさせられた。 なお合同結婚式で台北市長が、産めよ増やせよ的な発言を平気な顔でしていたのは危なっかしいので気が気でなかった。日本ならこの手の発言をした政治家などメディアに総叩きされるだろうが、ただこの柯文哲市長は実際に自由な発言で失言王のように言われた人物らしく、それを前提にしたブラックジョークのようなものと思えばいいか。 ほか登場人物としては、同じ監督の「海角七号」(2008)の出演者が大挙出ていて見た顔が多い。劇中で最も普通に可愛く見えるのはレストランの若手スタッフだったが、この人が海角のひねくれ少女の成人した姿だったのは感動した(昔から可愛かったが)。また「セデック・バレ」(2011)の主役が渋い顔で出て来て、今回もちゃんと歌を歌っていたのも感動的だった。 ちなみに台北なんてクソ食らえとかギターを叩きつけるぞとかいう脈絡のない台詞は、海角のセルフパロディなので笑った。また花屋の店主(小心花店的老闆娘)が年齢をごまかしていたのも可笑しい。この人が歌ったネコの歌(トゲの歌)は結構よかった。[インターネット(字幕)] 5点(2022-04-23 11:47:32)《改行有》

143.  1秒先の彼女 《ネタバレ》 前に見た同じ監督の「ラブ ゴーゴー」(1997)に比べて、映像的な洗練度や娯楽性(大衆性)がさらに向上したように見える。 原題にある「情人節」とは、本来は2/14のValentine's Dayの意味のようだが、近年はなぜか七夕をこれに当てるという風潮があるらしい。前半の「消失的 人 」が消えた人というのはわかるとして、後半の「消失的情 節」の「情節」は、実際にplot、storyといった意味があるようだった。 全体構成としては、前半の郵便局員パートで各種の疑問を提示しておいて、それを後半のバス運転手パートで解いていく形になる。変に日焼けしていたのはUFOに拉致されたせいかという想像が広がらなくもない。 特に前半ではラブコメ風味が強い。こんないかがわしい男を相手にして大丈夫かと心配すべきところだが、本人の言動や表情が微笑ましいというか笑わされるので和む。後半は少ししんみりさせられるものがあり、少女に救われた記憶というのは「ラブ ゴーゴー」のパン屋かと思ったが、今回はちゃんと望みを果たす結末になったようだった。 謎の出来事の真相に関しては、利息という説明はよくわからなかったが、とにかく人によって1日増える場合と減る場合があり、それが主人公男女の運命を変えたということらしい。ただ郵便局員の心変わりの理由が不明瞭なのは残念だった。「大切な記憶」が共有できない寂しさ(男)に対し、「あなたを愛する人がいる」(女)と気づいて応えようとしたということかも知れないが、後者はあまり説得力がない気がしたということである。今回はドラマ的な面で不満が残ったかも知れない。 なお相合傘の下に人名を書く習慣の世界的分布がどうなっているのかは気になった。縦書きできる言語でないと難しいはずだ。 映像面では街の人々が停止していた場面が見どころかと思われる。人形を置いたのかと思ったら、終盤で一斉に動いたのは生きた人間だったことがわかる(犬は違うか)。また浜辺でのおふざけは「熱帯魚」(1995)のようだったが、生きた人間を相手にできないようなのは切ない気分だった。冠水した道を走るバスが千と千尋を、また車内がエヴァンゲリオンを思わせたのがアニメの実写化のようで目を引く。 登場人物としては、郵便局の若手同僚もかなり目立っていたが、何といっても主人公(演・李霈瑜/Patty Lee)が愛嬌があって可愛いので好きだ(かなり好きだ)。この人あってこその映画だった。またヤモリに親和的な態度も悪くなかった。[ブルーレイ(字幕)] 6点(2022-04-16 08:51:26)(良:1票) 《改行有》

144.  ラブ ゴーゴー 《ネタバレ》 台北に住む若者の群像劇のようなもののようで、前に見た「熱帯魚」(1995)よりは都会的でポップな印象がある。解説によれば「3つのストーリーが結晶する感動のラスト」だそうだが、何が「感動のラスト」なのかはわからない。とりあえず「3つのストーリー」とは以下の3つと思われる。 1.パン屋 いわゆるイマジナリーフレンドが、単なる夢想ではなく実体があったという感じの設定らしい。この男自体は全く好きになれないが、相手への思いが単なるスケベ根性ではなく、純粋なものだとわかったところは感動的だった。これで恋愛成就につながるのか不明(疑問)だが、今回の件で創造性を刺激されて仕事に一層励む気にはなったらしい。 2.かわいいゾウ(自称) この人は不運というしかない。勝手に夢想を膨らませていたのはお互い様らしいが、あんな男と縁がなかったのはせめてもの幸いだ。最後はポケベルから携帯電話に移行していたが、近年の邦画で「スマホ拾っただけなのに」(2019)というのもあったように、変に拾うとろくなことがないのは今回もうわかっただろうと思われる。なお「ゾウさんゾウさん」というのは台湾の歌なのか。 3.若い営業マン ゾウさんに「乳離れしてない」と言われたタイプの男。地図を見て、つまり飛行機や高架鉄道の視点から街を見て、そこに住む人々を想像するというのは浮世離れした夢想家ということらしい。終盤の屋上の場面が長かったのは、地べたよりも空に近いこの男の意識(別世界)の表現ではないか。これまで世間とは接触不良だったようだが、今回一人の人間の存在を実感したことが、これから現世とのつながりを作っていく過程の一段階になったと思われる。 なお屋上での散髪の様子を多方向から映していたのは少し手が込んでいた。この男と一緒の時間を過ごしたことで、美容室の店主にとっても少し新しい視野が広がったかも知れない。 そのほか音楽クリエイターが台北を去ったのを含め、最後は全部同じ日の出来事だったらしい。同じ日といっても出来事自体は別々であり、題名から予想される恋愛物語にも見えないが、それよりは「熱帯魚」のような、夢想から現実へ移行していくエピソードの集合体と思えばいいか。また美容室の店主にしても、男連中の人間像に触れたことが少し救いに感じられたかも知れない。 なおこの店主が片脚を少し引きずるようにしていたことの意味はわからなかった(訳あり?)。[ブルーレイ(字幕)] 7点(2022-04-09 09:26:17)《改行有》

145.  妖婆・死棺の呪い 《ネタバレ》 邦題は長いが原題は単純にヴィーである。宣材ポスターの真ん中にでっかく「ВИЙ」と書いてあるのが不気味だ。 原作者の出身地と劇中設定、及び撮影場所はウクライナとのことで、原作を読むと劇中の神学校は現在の首都(※注)にあったことになっている。ちなみに神学校の課程は(文法級・)修辞級・哲学級・神学級の順番で進級していく形だったらしい。 主人公が自分はコサックだと言って強がっていたが、原作を読むと村人もみな実際にコサックの民だったようである。村の有力者は役名が「ソートニク」(Sotnik / Сотник、百人隊長または百人長)だが、これはコサックの地区単位の軍指揮官兼行政官のような立場らしい。村人や主人公がいい声で歌ったり踊ったり、また素朴な女声合唱が聞こえたのも地元風ということか。考証的なことはよくわからないが、ウクライナ・コサックということに焦点を当ててご当地色を強く出した映画になっていたのかも知れない。ちなみにヒマワリの花も見えた。 ほか細かい点として酒場のコウノトリ3羽は絵になっていた。また酒場でドアが3つ開いたのは、村人が妖術を使ったのではなく主人公の酩酊状態の表現だったらしい。 ※注:原作和訳「キーエフ」、2022.3.31日本政府発表「キーウ」、ほか「キイフ」「キーフ」「キーイフ」「クィイヴ」 全体的には、日本でいえば60年代の大映の妖怪映画のようなものかと個人的には思った。子どもが見れば結構怖いかも知れないが、基本的にユーモラスな作りなので大人なら笑って見ていられる。いきなり黒ネコが何匹も横切るとか、古典的マジック風に祈祷書から鳥が出るといった趣向は好きだ。 全体が1時間強の中に3日3晩を収めるので、毎晩ほとんどすぐ一番鶏が鳴くのがとぼけた感じである。終盤の妖怪大集合もファンタジックで賑やかで楽しめるが、邦題の妖婆と原題のヴィーが別物だったのは意外だった。最初に壁から湧いて出た異形の連中が、最後は壁に入り切れずに伸びていたのは面白い(ミミズが干からびたイメージ)。 ドラマとしては素っ気ない終わり方だったが、こういうとんでもない事件も記録に残るわけでもなく、やがて人々の記憶も不確かになって日常の中に埋もれていくような雰囲気は出ていた。ラストのクラリネットのメロディが、日本でよくある昔話の結句のようにも聞こえる。日頃から強面で不愛想だったソビエト連邦にしては、万人が楽しめる映画を作ってくれたものだと思った。[DVD(字幕)] 6点(2022-04-02 09:47:33)《改行有》

146.  戦艦ポチョムキン 《ネタバレ》 ソビエト連邦の映画である。戦艦の名前は日本人には変に聞こえるが(淀川長治氏も言っていたが)、もとが人名なので変だといっても仕方ない。皇帝エカチェリーナ2世の寵臣としてロシア帝国の南下政策に深く関わった人物なので、黒海艦隊の軍艦にはふさわしい名前かも知れない。 見たのはいわゆるショスタコーヴィチ版のようで、わかる範囲でいえば背景音楽の多くを交響曲第11番から採っていたようだった。これはまさにこのロシア第一革命を描写した曲であり、日本でも知られた「同志は倒れぬ」とか「ワルシャワ労働歌」といった革命歌のメロディが使われているので世代によっては懐かしいかも知れない。ほかに第5番の最初と最後を映画の最初と最後で使っており、途中で第2・3楽章も出ていた。うまく合わせていたとは思うが、場面によっては曲の方に映像を付けたようにも感じられたのは、映画を見る上でかえって邪魔になっていると思うべきか。 ストーリーとしては別に史実に忠実なようでもなく、当時の体制に都合のいい展開を適宜に作った国策映画である。ただし今どき革命の勝利を讃えようとする人々も多くないだろうから、政治色など現代ではほとんど無意味化しているともいえる。この映画では最後をバンザイで盛り上げていたが、歴史的経過としてはこの後まだ続きがあるわけなので、これより上記11番の終わり方が正しいかと思った。なお唐突にユダヤ人に関する台詞(字幕)が出ていたのは、この時期に起きていた反ユダヤの動き(オデッサ・ポグロムなど)と関係あるかと思われる。ここは多民族の集まる都市のためユダヤ人もかなり多かったらしい。 映画史的には先駆的な表現で知られた名画とのことで、有名な階段の動的な映像などには目を引かれる。戦艦が劇場を砲撃した場面では、主砲でなく副砲を撃った、などということばかり見ていて、寝ていたライオンさんがびっくりして起きた場面を見過ごしてしまい、映画の後でネット上の世評を読んで初めてなるほどと思わされた。こういう映画はちゃんと映像を見ていなければ駄目だ(反省)。 ほかに個別の場面では、港で死者の傍らを犬が通り過ぎたり、釣り人の側にネコが控えていたりするのが少し和ませる。全体的に深刻な雰囲気の中で、ヨットの場面の爽やかさは際立っていた。また階段の場面で両足のない男が身軽で逃げ足が速かったのは、走る技能と体力が半端でないようで感心させられた。[DVD(字幕)] 5点(2022-03-26 09:25:21)《改行有》

147.  ひまわり(1970) 《ネタバレ》 2022/2/24撮影の動画で、ウクライナ人の女性がロシア兵に対し、ヒマワリの種をポケットに入れておけ、と言ったのを見てこの映画を思い出した。 実際にヒマワリ畑の映像はウクライナで撮影したとのことだが、しかしこの映画自体はウクライナのことなど全く意識していない。字幕を見る限りは「ロシア」としか言っておらず、映像的にもモスクワ周辺が映っている場面が多かったらしい(ネット上のロケ地紹介記事によれば)。物語の設定上も、主人公の夫が「ドン河」で戦ったのだとすれば、現在のウクライナより東のロシア領の話だったかも知れない。現下のウクライナ情勢を受けて、今こそ見るべき映画として全国各地で上映する動きもあるようだが、ウクライナという国に注目して見ようとするとちょっとずれた印象を受ける恐れがある。ただ最低限「戦争反対!」とはいえそうだ。 ちなみにヒマワリは別にウクライナ原産でもなく、ロシア帝国時代の18世紀?に持ち込まれてから現在のロシアとウクライナに広まったとのことで、現時点でのネット上ではロシアの国花と書かれている記事もある。これをロシアではなくウクライナだけのシンボルとして位置付けるのは不自然であり、両国共通に親しまれている植物と思うのが妥当ではないか。今回の戦乱によって両国のヒマワリが分断され、ウクライナのヒマワリが国際的に公認されてロシアのヒマワリが否定されるとすれば変なことになる。国で分けるのではなく人々の連帯のシンボルにでもなればいいだろうが。 ドラマに関しては、基本的には共感しづらい人物が多く、どうも外国の映画は馴染めないものがあると思わされる。ロシア人妻が可憐に見えたのはよかったが、心が乱れてしまって子どもに当たっていたのはよろしくない。 主人公は冷戦下のソビエト連邦に入ったわけだが、現地のソビエト市民は平和で友好的でそれなりに満ち足りた暮らしをしているように見える。まるで社会主義の成功をアピールするPR映画のようでもあるが、それはそもそも合作映画なので当然としても、もともとイタリアは西側の中でもソビエト連邦と友好的だった関係もあるかとは思った。主人公をヒマワリ畑へ案内した役人は、親切そうに見えて実は監視役だったのではないかと皮肉を書いておく。 なおどうでもいいことだがイタリア語で蚊はzanzare(単数zanzara)というらしい。ロシア語は知らないがНе знаюだけはわかった。[DVD(字幕)] 5点(2022-03-19 09:57:04)(良:2票) 《改行有》

148.  サーチン・フォー・マイ・フューチャー 《ネタバレ》 同じ監督の「七子の妖気」(2012)に続けて見た。今回は山形県の庄内地域を中心に撮影しており、地元の地方銀行が支援する形になっていたらしい。ちなみに田園に孤立するタワーマンションは庄内ではなく内陸地方の上山市にあるが、山形駅からわざわざここに行くのは「ミクに近づいた」どころかかえって遠くなっている。 上記「七子…」はいかにもマイナー映画だったが、今回は時間も少し長く、2015年の第9回「田辺・弁慶映画祭」で受賞もしたとのことである。その映画祭自体がマイナーなようでもあるが、“インディペンデント映画の登竜門”として扱われていたのは間違いなく、一つ前の第8回では「ひとまずすすめ」「天使の欲望」「独裁者、古賀。」「ファンタズム」といった、見たことのある映画が多く出品されていたことに改めて気づいた。第10回の「ポエトリーエンジェル」も見たことがある。 物語としては、要は主人公の男が同行者に引率されて元彼女を探す話だが、同姓同名の人物がいたりして少し意外感のある展開ではある。主人公には全く共感できないが、それまでの閉塞状態から抜けて視界が一気に開けたところまでで終わりになり、取ってつけたようなハッピーエンドでなかったのは悪くない。主人公が探していた元彼女の名前が題名と関係づけられていたことは、エンドクレジットの漢字を見るとわかる。 劇中で主人公が見た単館系映画というのは上記「七子…」だったようで、それを「お客様」の目からすればクソ映画だと主人公がけなしていたのは、そういいたくなることの意味はわかる。しかしそこで同行者が、そういうことしか言えないのはつまらない奴だ(意訳)と主人公を評していたのには共感した。映画限定の話とすれば内輪ネタのようでもあるが、悪いところでなくいいところに目をつけろというのは、人間の生き方全般に広げて考えてもその通りだと思うものはある。 登場人物としては、主人公の男はどうでもいいとして(見なくていい)、同行者の劇中監督(演・山本真由美)の方は、視界が一気に開けたところで目に入った人物として非常に魅力的に見えた(少々わざとらしいが)。また個人的には、百間堀端とナイトスポット白ばらにいた「もう一人のミク」(演・近藤奈保妃)も好きだ(少し惚れた)。ほかエンドクレジットの「スペシャルサポーター」として、上記「七子…」に妖怪役で出演していたユウコさん(チャンベビユウコ)の名前が見えたのは嬉しい。[インターネット(邦画)] 5点(2022-03-19 09:57:02)《改行有》

149.  七子の妖気 《ネタバレ》 10年前に岐阜県の下呂温泉で撮った妖怪映画(違うか)である。 撮影のあった旅館「望川館」(ぼうせんかん)は当然いまも営業しており、現時点では「まん延防止等重点措置」(1/21~3/21)の期間中のため制約も多いが、宿泊に関してはガイドラインを守りながら通常営業をしているとのことである。ちなみに映画と関係ないが下呂温泉には「温泉むすめ」の下呂美月(げろみつき)というキャラクターがいるようで、「日本の各温泉地に宿る下級の神さま」であるから妖怪ではないらしいが、下級といってしまうとほとんど妖怪だ。 映画としては、面白いかというとそれほどでもなく個人的には笑えるところもない。やたらに男連中の裸体を見せられるのが煩わしく、その点「お湯かけ婆」には一瞬期待したが可愛く見せようという気もないらしかった。最後の打開策もかなり適当だったがそういうのにいちいち突っ込んでも仕方ない。 物語的には、異質に思われたものをただ排除するのでなく、共通点を認め合って理解し合い共感し合い、互いに尊重しながら共存できる関係を作ることが大事であって、その中で個人の自己変革も促されるという話か。そのためにも温泉という場が役に立つという意味だったかも知れないが、そうだとしてもそんなことにまでこの映画で思い至る人間がどこにいるかということではある。 一応は温泉PRという目的を果たしながらまとまった形で作ってあり、それほど悪くもなかったが、どこを褒めればいいかわからない映画だった。 出演者としては、最初に出た全裸の男が監督だったかも知れないがそれはどうでもいいとして(見なくていい)、男湯を占拠していた妖怪サビナシ役のユウコという人は「チャンベビ」という女性音楽ユニット(3人女子バンド)のメンバーである。このバンドは現在も活動中のようだが、YouTubeを見るとこの映画の前後らしい動画がいろいろ上がっていて、「新潟県粟島のテーマソング」「帯広の豚丼ソング」その他いろいろ聞ける。岐阜市の柳ヶ瀬の商店街でユウコさんがこの映画のPRをしている動画に和まされたので、他の人々には申し訳ないが、今回の出演者の中ではこの人が一番好きになった。その点では見てよかったと思った。[インターネット(邦画)] 4点(2022-03-12 10:26:08)《改行有》

150.  リコーダーのテスト 《ネタバレ》 長編映画「はちどり」で評価された監督が8年前に撮っていた短編で、今はその映画の前日談のように扱われている。原題は直訳すると「リコーダー 試験」である(そのままだ)。 劇中年代は1988年とのことで、教室に貼られたオリンピックのポスターにマスコットキャラのトラが見えていた。当時はTVでマラソン風景など見ていて、日本と似たような国がすぐ隣にあったのだと初めて気づかされた気がしたが、しかしその後は共感よりも違和感の方が拡大していったというのが、当時から生きている日本人としての素直な印象である。 内容的には家族構成や役割が「はちどり」とかなり似ていて、これが前日談とすると6年後にもまだ同じことをしている懲りない人々(特に姉)という変な印象になってしまうが、「はちどり」がこれのリメイクまたは発展形だと思うのが正しいらしい。父母の言動などから後作よりさらに殺伐とした雰囲気が出ているが、それでも最低限のところでつながりが保たれている家族を描いたように見える。 物語の結末としては、主人公がいろいろ悩んだにも関わらず、学校側にとっては大勢の中の一人でしかなかったのが理不尽だったようでもある。しかし、主人公がリコーダー試験を頑張ろうと思ったそもそもの動機は父母に注目されたいということであって、それは事前にある程度実現されてしまっていたので、発表の結果自体はもうどうでもよかったとも取れる。喧嘩したと思った友人もちゃんと主人公を応援してくれていて、こんな世の中にも救いがなくはないといいたいようでもあった。 なおその友人は裕福な家庭の子だったようだが、主人公とは隔絶した上流階層というわけでもなく、そのうちみんながその程度の暮らしを実現でき、社会全体も優しい方へ動いていくかも知れないという希望が見えていたようでもある。個人的には、日本の高度成長期の始まりを描いた「キューポラのある街」(1962)を思い出したが、国も劇中年代も制作年代も違うので、そういう受け取り方は変かも知れない。 キャストに関しては、主人公は当然「はちどり」とは別の子役だが、けっこう美少女なので学校内で目立ちすぎるのではないか。美少女でないと映画にならないのだろうが。 ほか雑談として、茶碗の米飯をスプーンですくっていたのも「はちどり」と同じだった。箸は何かをつまむためのものという感覚かも知れない。[ブルーレイ(字幕)] 6点(2022-03-05 09:41:17)《改行有》

151.  はちどり 《ネタバレ》 1994年の話である。この年にあった聖水大橋の崩落は、個人的には翌年の三豊百貨店の倒壊とセットで憶えているが、昨年6月と今年2月にも光州で同じ建設業者による建物の崩壊事故で死者が出たとの報道もあり、旧来の悪弊がいまだに残っているということらしい。 主人公の周囲で見ると、父親は一般庶民らしく人格的には洗練されていないが、一般庶民らしく普通に情の濃い男には見える。しかしそういう個人レベルの問題とは別に、儒教風?の長幼や男女による上下関係と強すぎる規範意識、また科挙制度に由来するといわれる学歴偏重などの社会的圧迫が全体的な息苦しさを生んでいるように思われる。日本でも似たようなところはあるが圧力の高さが違うのではないか。主人公の言動など見ていても、日頃からストレスの多い社会を生きているらしいとは思わされた。ちなみに家族の間でも罵倒語はきつかった。 なお自分を守るために立ち向かえというのは確かにそうだが、自衛の範囲を超えて他者への攻撃自体を志向/嗜好するようになってしまうと、生きづらい社会の形成に自ら加担することになるので自制すべきである。 物語としては、この年代にとって大人よりはるかに長く感じられるはずの数か月間に、主人公が直面した様々なことが描写されていたようで、緩く見えるがけっこう高密度らしい。個別の場面では、まずは病室にいた一般庶民のおばさん連中が可笑しかった。また漢文講師が歌う場面はいろいろな意味で印象的だったが、その後に再開発地区(もとが不法占拠?)を見て言った言葉がこの人物の醒めた精神を表現していた。 結末の意味は不明だったが、例えば人間関係は永続的なものではないと悟った上で、その時々に相手から受け取れたものの方を心にとどめて生きようということか。背景事情を知らないまま関係が断たれてしまったことで、かえって純化された人間像が14歳の人間の心に刻まれたということかも知れない。年齢性別が違うので直接共感はできないが、いろいろ受け取れるもののある映画ではあった。 ちなみに愛らしい少女は小鳥に喩えてもらえて幸いだ。鑑賞側の見苦しいオヤジの方が自己否定感を催す映画だった。 以下雑談として、劇中の塾で教えていたのは現代語ではなく古典であり、日本で「漢文」と言っているものに当たるらしい。現代ではハングルしか使わないことになっているので漢字言葉は隠されているが、現に自国語の基盤の一部(かなりの割合)をなすものを知っておくのはいいことではないか。 漢文講師が解説していた「相識滿天下 知心能幾人」に関して、劇中で漢字をそのままハングルで表記していたのは、日本語だと「そうしきまんてんか ちしんのういくにん」と経文風に音読みした形になるので、これでどれだけ意味がわかるのかと心配になる(日本なら読み下しというのもあるわけだが)。同じ漢字文化圏でも事情が違ってしまっているが、「能」は可能の能だと特に説明していたのは似たような感覚だなと思った。[ブルーレイ(字幕)] 7点(2022-03-05 09:41:15)《改行有》

152.  箪笥 《ネタバレ》 原題の「薔花,紅蓮」とは、19世紀初めの古典小説「薔花紅蓮伝」に出る姉妹の名前である。もとの物語は中朝国境に近い平安道(現・平安北道)の鉄山という場所で、継母のせいで死んだ姉妹の亡霊が官衙に訴えて処罰させる話らしいが、この映画では継母と姉妹という設定だけ借りて別の物語を作っている。姉妹の名前も薔花・紅蓮とは違っているが、ちなみに漢字で書くとスミ:秀美、スヨン:秀妍になるらしい。 内容的には陰惨な心理劇のようなもので、台詞に出ていた「本当の恐怖」から逃れられない残酷な現実が最後に明らかになる。ゾンビとか貞子のようなありきたりなホラー要素はかえって不要ではないかと思ったが、致命的な事故に気づきながら結果的に見過ごしにした人物が罰せられるという、もとの小説にあった勧善懲悪的な(というより懲悪的な)趣向には生かされている。 また映像面や音響面でのこだわりがあったらしいのは悪くない。タイトルバックの花柄模様は古風なだけでなく、いろいろ変なものがこっちを見ているかのような気色悪さがある。屋内の場面は日本風の家屋(外観は別?)にして古い雰囲気を出したとのことで、こういうことなら極端に地味な邦題も生きるという気はした。 最後に真相がわかってみると辻褄が合わないところもなくはなかったが、あまり詰めて考えずに、要は主人公の妄想が展開していく過程だったと思っておけばいいかと個人的には思った。もとの小説は1924年(大正13年)以来何度も映画化されたとのことだが、今回は現代的なホラーに寄せた形で作ったということかも知れない。テーマ曲が最後に物悲しい余韻を残す映画だった。 個別の場面では、序盤で朝になってから怖いことが起きたのはタイミングとして斬新だと思ったが、ここは実は心霊現象でもなく、本人の体調変化を知らせる明け方の悪夢ということか。また終盤で“見ざるの像”(仮称)を壊したのが結果的によかったのかはわからなかった。 登場人物に関しては、特に継母が憎悪を発散する表情や口調が恐ろしく、こういう場面には一生居合わせたくないものだと思わせる。晩餐時の狂気じみた独り語りとか、その後の発作か何かの壮絶な様子など、役者で印象づけられる場面が多かった。 また姉妹も一見愛らしいようでいて、特に姉役が激昂する顔など見ると可愛いとも何ともいえなくなるので困る。ちなみに妹役はこの頃「国民の妹」の扱いだったそうである。[インターネット(字幕)] 6点(2022-02-26 09:47:35)《改行有》

153.  怪談新耳袋 劇場版 《ネタバレ》 8話オムニバスである。[]内は点数。 【夜警の報告書】 冗長。要は気の持ちようだ、というのはこの手の現象の本質の一面ではあるかも知れないが、それだけでいいともいえないということだ。[3] 【残煙】 単に意味不明。不可解な出来事を表現したいのなら、不可解な出来事だったと納得できるよう作らなければならない。車中の3人はみな見たことのある人ばかりで豪華キャストに見える。最年少で長身の人は「なぞの転校生」(1998)で宇宙人役だった人だ。[2] 【手袋】 手袋だけというのは映像的に格好悪い。なお「夜毎」を「よまい」と読むのは正しいか。[3] 【重いッ!】 だから何だ、とは思うが母親の顔を見ていると気の毒にはなる。[2] 【姿見】 だから何だというのか。そもそも予告編でネタバレしているではないか。[2] 【視線】 脈絡のない話。主人公は10年後に女優になっていたいと言っていたが、堀北真希という人のその後の経過を思うとそれなりの感慨がある。この頃はまだしょうもないホラーなどに出ていたわけだが(可愛いが)、この13年後に引退した時点では最高に存在感のある女優(女性俳優)になっていた。[3] 【約束】 怪人物のビジュアルと、本来の住人がそれをどう思っていたかの説明が感覚的に整合せず納得感がない。ラストは不要だ。[3] 【ヒサオ】 和服と黒電話がわざとらしい。関西弁もわざとらしいが悪いともいえない(京都の話か、深泥池を思わせる)。締めのエピソードらしく、泣かす気満々で作っているのはかえって反発を感じるが、役者が作り出す人物像のせいで否応なしに引き込まれてしまうのは仕方ない。見ているのがつらい話なので褒める気はしない。[6] 特に怖いところはない。原作は一通り読んだはずだが元ネタを思い出すものがない。本来は実話系怪談だが、とても実話とは思えないほど脚色されているようで、特に2話目は実話ではありえない話に見えてしまっている。ちなみに実話怪談では「死ねばよかったのに」タイプのオチがあってはならないことは常識だが、だからといってエピソードとしての締めもなく、ぶった切って終わりでいいともいえないわけで、その意味で特に4、5話目はまともな出来とは思えない。 なおキャストに名の知れた役者が多いので、その後の新人タレントばかり出る安手オムニバスホラーよりは金がかかっていたように見える。[DVD(邦画)] 3点(2022-02-19 09:19:39)(良:1票) 《改行有》

154.  着信アリ Final 《ネタバレ》 前回は台湾だったが今回は半島方面に進出している。結果的には東アジア3国にわたる国際展開を意図したシリーズだったことになるが(大日本帝国か)、当時の風潮からすれば今回のが本筋で台湾は枝葉だったようでもある。場所は釜山なので半島の隅をかすっただけだが、それなりに名所やホテルも見せていて観光宣伝的ではあった。ちなみにロケ協力で国家情報院の名前が出ていたのは何だったのか。 ストーリー的にも、最後にネット民とネチズン네티즌が協力して主人公を救うなど両国民の共感を誘う形に作ってある。また序盤で死んだ男の着衣がASIAN CAN CONTROLERZというブランドなのもアジア重視の表れのようだが、デザインが旭日旗なのはまずいのではと思った。ただ現地で旭日旗が問題化されたのは2011年以降とのことなので、この頃は特に何とも思われていなかったらしい。 今回は悪役が次々死んでいくのがわかりやすく、転送すれば死なないという新設定もドタバタ展開に生かされている。しかし後半は主人公のドラマがかったるい上に、もともとのアメちゃん少女や手話の男との関係も付けなければならないので面倒臭くなり、また最後の海など取ってつけたようでかえって後味が悪い。そもそも10歳だったはずの少女がPC内に潜んで情報通信ネットワークを悪用するなど当初の性格づけがどうでもよくなっている。 これまで3つ連続で見たが(※本来の動機は2のテンテンちゃん)、この程度に見せておけばそれなりに受けるだろう、という思惑で作った低位安定シリーズという印象だった。Finalといいながらいつでも復活可能にできていたようだが、実際これで終わったのは穏当というしかない。なお3作共通の着信メロディは単調なので憶えやすいが、単純に単調で無味乾燥なのが低位安定ホラーを象徴している。 出演者に関しては、堀北真希という人が可愛いのはわざわざ書くまでもないとして、黒木メイサという人は時代を遡ってもあまり印象が変わらないようだが、実は堀北真希と同年で、この頃まだ17歳くらい?だったらしい。 また童顔女子(真理)役の上脇結友という人は子役時代からの役者で、現在は一児の母とのことらしい。劇中ではこの人の役柄が恐らく最も普通の人の位置付けであり、序盤で悪役が死んでいくのが痛快だと思った展開も、この人が危なくなったあたりで微妙になったかも知れない。[インターネット(邦画)] 4点(2022-02-12 09:47:43)《改行有》

155.  着信アリ2 《ネタバレ》 「幽幻道士」シリーズのテンテンちゃんが出演しているのは知っていたが、今回は映画全体が台湾との関連で作られていて、話に出るだけでなくちゃんと台湾ロケを敢行していたのが意外だった。映像的には猥雑な東南アジア的イメージで見せているようだったが、完成直後の「台北101」という当時世界一の超高層ビルもちゃんと映っている。山際の傾斜地にある「虎林街272巷」という寂れた街は実在のようだった(台北市信義区)。なお劇中の老婆が日本語を話していたのは戦前生まれの設定だからと思われる。 内容的には、最初の陰鬱な雨の場面には期待させられたがその後は別に怖いところはない。中盤で台湾に行ってからは普通のサスペンスドラマのようだったが特に旅情を誘う場面はなく、終盤の炭鉱場面(北海道で撮影)はやたらに出たり入ったりで大してスリリングでもない。薄っぺらい人間ドラマも白々しいので泣く気にならず、アクセサリーを落として拾って落として拾う展開も大概だった。 設定に関しては、かかってきた電話を取った他人も被害者になる、という法則を新たに加えてラストに生かしていたが、しかしそもそも携帯電話を呪いに使う必然性がいつまで経っても感じられない。携帯電話の前は固定電話(公衆電話)だったのはいいとして、さらに遡って戦前の台湾(伝染病の後)では何か別のものを使っていたのかも説明されていないのではないか。何にせよ小学生くらいの児童が普通に使える通信手段でないのでは基本設定に無理があるというしかなく、どこまでも適当感のあるシリーズである。 ちなみに序盤で主人公がコンタクトを外してからの出来事は何だったのか。また前回の洗濯物(回想場面でまた出ていた)と似た印象の場面として、主要人物の前面をホールスタッフが横切ってお辞儀したのが目立つ割には意図不明だったが、こういうのも原作では何か意味があったのか。 出演者について、テンテンちゃんは当然もう美少女ともいえないが昔の面影は残している。この人が無惨に殺されるのは日本国民が受け入れがたいだろうという配慮があったのか、代わりに日本人役者のオヤジが死んでいた。ちなみにブタも安らかな顔で死んでいた。 ほか台湾で出た子役がコミカルな演技をしていたのは笑った。[インターネット(邦画)] 4点(2022-02-12 09:47:41)《改行有》

156.  着信アリ 《ネタバレ》 今回初めて見たが、出演者の顔ぶれなど外観的にはまともな映画に見える。初めは単にオーソドックスだがありきたりな邦画ホラーと思ったが、しかし言われてみれば「リング」によく似た構成で、公開時点なら皆さんすぐそれを思っただろうというのはわかる。最後のひっくり返しには意外性もあるが、小学生の仕業だったにしては手が込み過ぎていて基本設定が破綻したようでもある。 また終盤が変に難解になっていたのは面倒臭い。ここは小説版を読めとか言っていたらしいが、それで真相がわかったからといって何の得にもならない予感があるので真面目に考えること自体がアホくさい。当時はマスメディアにも取り上げられてそれなりに話題になっていたような気はするが、今になると大して名作扱いもされていないらしいのは納得だった。その時だけ売れればいい消耗品のようなものだったと思っておく。 個別の場面としては、警察署の窓の向こうで洗濯物を取り込んでいる人物がいたのは何だったのか。こういうのも小説版に説明が書いてあったのか。またTVの生放送時に渋谷の街頭風景を映していたので、何が大きなことが起こるのかと期待していたが結局何だったのかわからない。悪徳プロデューサーの無惨な最期とかが見られるわけでもなく、TVとか映画とか俗悪メディアのはびこる俗悪日本という印象だけを残した。なお大阪のおばちゃんが「アメちゃん」をコミュニケーションツールにしているというのを思わせる場面もあったが特に関係なかった。 ほか出演者に関して、吹石一恵という人が若い・可愛い・長身・脚がきれいというのはよかった(大変結構だ)。また江口のりこという人が一瞬登場して変な印象を残していなくなる映画は他にも見た気がする。[インターネット(邦画)] 4点(2022-02-12 09:47:38)《改行有》

157.  返校 言葉が消えた日 《ネタバレ》 ゲーム原作だそうだがやったことはない。ホラー風に見せているが、ホラー慣れしている立場として特に怖いところはない(提灯憲兵は何なのか)。ミステリーとしては、出来事の真相は正直よくわからなかったが、他の映画レビューサイトでネタバレ解説している人々がいたので大体わかった。 物語のメッセージとしては生きろ、そして忘れるな、といったことか。さらにいえば密告者にもそれなりの動機があったわけだが、そもそも人は善悪をあわせ持つものであり、誰でも密告者になりうるのだから心せよ、ということかと思った。 ちなみに劇中の古い歌は「雨夜花」(昭和9年発表、台湾語)だった。いかにも禁止されそうだ。 ところで劇中の読書会に関して思ったのは、人を一か所に集めてしまうのでは危ないのではないかということである。分散はリスク管理の基本であり、単に本が読みたければ別々に隠れて読めばいいだろうが、あえて集まるのはそれ自体に政治的意図があると思われても仕方ない(あると思うのが普通)。純粋な読書欲求だけで参加する者がいたとすればナイーブすぎることになる。 またわからなかったのは、この映画に糾弾されるべき悪役がいるとすれば誰なのかということである。事実としては当時の国民党政権がやったわけだが、国民党が悪なら共産党が善とはならないのは当然として、その国民党は今も現地の有力な政党であって支持する国民も多いはずであり、これを悪と断じてしまうのは政治的な問題に関わることになる。 さらに中華民国の国旗の前で残虐行為が行われるなどの場面があったのは、まるでこの映画として中華民国という国自体を悪と位置づけているようにも見えた。しかし現在の蔡英文総統も中華民国の総統なわけで、いまの台湾が拠って立つ国家の枠組までを否定しているとも思えない。あるいは国家というより国民党の定めたこの旗を嫌っていたとすれば、いわゆる独立派の感覚だとそうなるかも知れないが、何にせよ同じ自主独立の民主主義国の日本人として、他国の特定の政治的主張に簡単に同調するのは憚られることになる。 そのようなことで、現地の政治がらみで考えてしまうと素直に見られない映画だった。 なお日本では、表現の自由のもとで自国を悪と表現するのは普通に行われていることであり、また劇中の思想統制が戦前の日本を思い起こさせ、現代の体制批判にも結び付けられるという点で、どちらかというと高齢層が賞賛しそうな映画ではある。ただ実際にこの手の映画を見るのは若年層だろうからずれがあり、そこで素直に全体主義の統制社会は恐ろしいという方に意識が向くとすれば、ジョージ・オーウェルの「1984年」をイメージしたというゲーム当初の発想に沿う形にはなる。次に同様のことが起きるとすれば誰が起こすのか、ということは考えていかなければならない。[インターネット(字幕)] 5点(2022-02-05 11:04:36)《改行有》

158.  白頭山大噴火 《ネタバレ》 中朝国境の白頭山(2744m)が大噴火して半島に壊滅の危機が迫る映画である。日本でいえば「日本沈没」を思わせるので、最後は半島が救われた代わりに日本が沈没した、などという話だったら笑ったが、そういうタイプのおふざけはなかった。なおトンガで火山の爆発があった時(2022/1/15)にこんなのを見るのは不謹慎だろうが、見たのは爆発前(1/14夜)だったので許してもらいたい。 前に見た「韓半島」(2006)と同じく基本的には南北統一を志向しているが、近年の情勢変化を反映しているようなのは興味深い。もう北を対等な協力相手にはできなかったようで、この映画では南主導で米中のうち主にアメリカを悪役にし、核保有国の立場を保ったまま統一を果たす形を作っている。一方で日本が全く表に出ないのは、近年の日本政府が冷淡だったせいかも知れないが大変結構なことだった。日本人には見やすい映画になっているが、アメリカ人なら腹立たしいところもあるかも知れない。結局どこかにしわ寄せがいく。 なお「科学忍者隊ガッチャマン」が出てきた意味はわからないが、これは台湾のアニメ映画「幸福路のチー」(2017)でも印象的に使われていたので、東アジアの民に共通の視聴体験かも知れない。 派手な映像としては予告編にも出る都心崩壊のあと、中盤で漢江?の橋、終盤で大噴火の様子なども出るが、ほか基本的には南北の主人公コンビがやらかすコメディじみたドタバタアクションで楽しませる。咸興や平壌といった都市の映像もそれらしく見せていた。 主人公2人がTVドラマについて話す場面では「愛の不時着」が出なかったが、どうもこの映画自体が似た性質のものらしい。ラブストーリーでは当然ないとしても、おっさん同士が抱き合って気絶している場面があったりして、南北の心理的距離が縮まる過程も描かれている。両人とも国家への忠誠心は不足のようだったが、国はどうでも人間同士がわかりあうことが統一への近道だということらしい。 最後は首都の復興が進んでいるのも見えており(その金はどこから出たのか?)、非常に清々しいラストになっている。加えて日本が出ないのが極めて好印象だったので悪い点はつけられない(ガッチャマンだけ余計だったが)。 登場人物としては、主演俳優の名前の「イ」とその役名の「リ」は同じ「李」だろうが、発音に南北の違いが出ているのは意図したことなのか。 個人的にはミン中士(閔中士Sergeant Min、白鳥のジュン相当/演:옥자연 玉子妍)の頑張りを応援していたが、途中でいなくなったのは残念だがほっとした。また青瓦台の民政首席秘書(演:전혜진 全慧珍)も結構好きだ。この人を守った警護官も格好いい。こういう役になりたい。[インターネット(字幕)] 7点(2022-01-29 11:28:30)(良:1票) 《改行有》

159.  ハロー、グッドバイ。<TVM> 《ネタバレ》 台北発メトロシリーズ(台北愛情捷運系列)全7作の一つである。今回はシリーズ最後の「終点」であり、これまでの6作に出た街や出来事を振り返りながら今回の新しい物語を作っている。その上で、メトロの始発点と終点を「你好」と「再見」とし、その間に生起した「出会い」(または縁)を描いたシリーズだったという形でまとめている。なお駅は主に北投駅が映っていた。 物語としては以前から散発的に出ていた変な男女が主役になって、それぞれの肉親の欠落を埋めていこうとするドラマを描いている。これまでの出現場面では人間離れした存在に見えていたが、変な点は実は今回の「並行世界」に係るファンタジー設定に起因するものであり、生身の人間としては別に変ではなかったらしい。 今回独自の趣向としては、変な女子の父親が台北捷運公司の職員という設定で裏方の司令室風景などを見せており、構内の監視カメラが父親との通信手段になっていたのは印象深い。本人もメトロには思い入れが深く、シリーズと同じ題名の画集を出版したのが劇中の重要な出来事になっていた。また地下鉄路線図を星座に見立てて、その関係で大稻埕のキラキラ星が再現されていたのは感動した。 そのほか各所にシリーズ全体とのつながりができており、例えば花一輪を手に取って謝謝と言った場面のような、本編で意味不明だった出来事の真相を見せたりしている。登場人物への個人的な思い入れで感情が左右されてしまうところもあり、西門町の小虎ちゃんが大泣きした場面はつられて泣かされた。最終作にふさわしく、これまで見てきた人々の哀歓をまとめて想起させる内容になっている。 なお主人公男女が観光案内ボランティアをしていたところに変な外国人が来て、「ホエア・イズ・ベイトウおんせんはくぶつかん」と言ったのは、さすがにもう少しましな聞き方があるだろうがと呆れたが、そこで男が返した言葉もかなり適当だったのは笑わされた。ここは日台の観客が一緒になって笑える場面に思われる。 日本人が台湾に行ってみて好きになったという話はよく聞くので、いいところなのだろうと前から思ってはいたが、自分は行ったことはなくてもこのシリーズを全部見たことで、初めていま現在の台湾に対する親愛の情が持てたというのは収穫だった。点数はこのエピソード単独の数字というより、全体を通して集積された思いの表現ということである。全部見てよかった。[インターネット(字幕)] 8点(2022-01-22 10:31:16)《改行有》

160.  隠し味は愛<TVM> 《ネタバレ》 台北発メトロシリーズ(台北愛情捷運系列)全7作の一つである。駅は中正紀念堂駅とのことで、周辺には駅名の由来になった蔣介石総統を記念する施設があるはずだが映像には出ず、主に「國家戲劇院」という国立劇場(表と裏)が映っていたようだった。また別の回の舞台だった淡水の浜辺の場面などもあるが、ここは「デートのメッカ」だそうである。 今回はシリーズ中で最も娯楽色の薄いエピソードで、邦題から感じるような和み系の映画でもなく、特に女性の怖い顔などは目を逸らしていたくなる。主人公が料理教室を主宰していることから料理映画の性質もあるが、料理映像というより調理方法に託して人間関係を語る趣向になっている。また主人公のグループ4人に関しては、青年期を過ぎようとする人々(少なくとも1人は1982年生まれ)が、少女時代を回顧して現在を再確認する意味もあるようだった。 物語としては正直よくわからなかったが、既婚者同士の不倫未遂を契機として、隙間が生じていた2組の夫婦に変化が生じた話ではあるらしい。なおTVドラマ放送時の「傻瓜與睡美人」という題名は、解説によれば「愚か者と眠り姫」だそうで、うち「睡美人」はそのままSleeping Beautyと読める。 以下解釈例として、まずお姫様の方は愛がないと言われたりもしていたが、これは何が愛なのかわかっていなかったということか。異性に心惹かれるのも愛だろうが、これまで自分を支えてきた祖母や親友や夫を大事に思う心も愛だと気づいたのかも知れない。結果的には淡水の浜辺で再出発し(王子様のキスに上書き?)、新しい愛の物語を始めたのだと思っておく。 また王子様に関しては、これまで自分がしたいことを自分のためにしてきたのを、今回初めて誰かのために何かすることを学んだのかも知れない。それならそれが夫婦の関係修復にも役立つはずだったと思えるが、早々に妻の側が切り捨ててしまったということか。この王子様は金持ちの息子で覇気はないが善良で細かいところによく気のつく男で、これこそ主夫業に向いた男ではなかったかと思うが、夫はそれでよくても妻の側が耐えられなかったかも知れない。仮に妻も夫も同じ上昇志向タイプなら、子を育てる気でもない限り、夫婦でいること自体に意味がなかったとも思われる。 以上により必ずしも話の全部を読み取れた気もせず、また背景事情の設定などに不明瞭・不自然な点もあったが、このシリーズにしては時間が長い分、多くのものを詰めようとした印象の映画ではあった。 その他のこととして、少女時代の回想場面では、さすがに日本のようなルーズソックスは出なかったが、同じ役者のままでスカートの短い制服姿になるのが今回のわずかなギャグ要素かも知れない。ただ特に「玉娟」という人物が、年齢に関わらず昔からこういうイメージだったことの映像的表現といえなくはない。 ほか料理教室の生徒だった低身長女子2人が屈託ない感じなのは安心させられた。[インターネット(字幕)] 6点(2022-01-22 10:31:13)《改行有》

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