みんなのシネマレビュー
かっぱ堰さんのレビューページ[この方をお気に入り登録する

◆検索ウィンドウ◆

◆ログイン◆
メールアドレス
パスワード

◆ログイン登録関連◆
●ログインID登録画面
●パスワード変更画面

◆ヘルプ◆
●ヘルプ(FAQ)

◆通常ランキング◆
●平均点ベストランキング
●平均点ワーストランキング
●投稿数ランキング
●マニアックランキング

◆各種ページ◆
●TOPページ
●映画大辞典メニュー
●アカデミー賞メニュー
●新作レビュー一覧
●公開予定作品一覧
●新規 作品要望一覧照会
●変更 作品要望一覧照会
●人物要望一覧照会
●同一人物要望一覧照会
●関連作品要望一覧照会
●カスタマイズ画面
●レビュワー名簿
●お気に入り画面
Google

Web www.jtnews.jp

プロフィール
コメント数 1251
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

投稿関連 表示切替メニュー
レビュー表示レビュー表示(評価分)
その他レビュー表示作品用コメント関連表示人物用コメント関連表示あらすじ関連表示
コメントなし】/【コメント有り】
統計メニュー
製作国別レビュー統計年代別レビュー統計
要望関連 表示切替メニュー
作品新規登録 / 変更 要望表示人物新規登録 / 変更 要望表示
要望済関連 表示切替メニュー
作品新規登録 要望済表示人物新規登録 要望済表示
予約関連 表示切替メニュー
予約データ 表示

評価順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
4142434445464748495051525354555657585960
616263
投稿日付順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
4142434445464748495051525354555657585960
616263
変更日付順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
4142434445464748495051525354555657585960
616263

161.  振り向いたらそこに<TVM> 《ネタバレ》 台北発メトロシリーズ(台北愛情捷運系列)全7作の一つである。駅名は忠孝復興駅だが、舞台になった街は解説によると「東区」とのことで、題名の駅の東側にあるデパート・オフィス・飲食関係などの集積する地域らしい。 原題の「奉子不成婚」とは、かつて皇帝の勅命による結婚を意味した「奉旨成婚」という慣用句から、現代において子ができちゃったために否応なく結婚するのを「奉子成婚」と表現するようになり、そこからさらにこの映画で、できちゃったから結婚するのではないという意味で作った言葉と思われる。英題の“The Thin Blue Lines”は昔の映画の題名に引っかけたのかも知れないが、実際はタイトルのところと劇中で全く別のそれらしいものを見せていた(青でなく赤?)。 映画の紹介文には「おとなのラブコメディ」と書いてあるが、特に前半は大人というよりアダルトなギャグで笑わせる。変に日本関係の事物が多出するのは煩わしい(壁ドンの解説などしなくていい)が、これは原案/監督が台湾で役者・監督をしている日本人だからということか。音楽としてはflumpoolの「証」という曲が使われていた。 物語面では父親の存在が中心テーマになっていたらしい。「奉子成婚」との関係でいえば、世間体はどうでもいいとしても、子どものためには父親が必要だと母親としても思わされ、またその父親も自分なりの覚悟で父親になろうとしているのが見えた段階で成婚に至ったという話かと思った。男の性格付けがカクテル・コーヒーと映画撮影では盛り込み過ぎで整理がついていない印象もなくはなかったが、最後はラブコメにふさわしく幸せ感満載の終幕だったので、結果的に悪くない映画だと思わされた。 個別の場面では終盤の「帰るな」に少し泣かされた。また字幕の「マジですか」を原語でどう書くのか知りたいと思った。 演者としては、主演の蔡淑臻 Janel Tsaiという人は顔や体型からしてヒロインにふさわしい姿を見せていたが、その友人の静香ちゃん(演・范時軒 Amanda Fan)が極端に可愛いので、個人的にはこの人が重要人物だった。ブライズメイド姿がキレイでかわいい。 ほか他のエピソードにも出ていた莫允雯 Christina Mokという人が「明星孕婦」役で、過剰メイクの沢尻エリカのような顔を見せていたのが面白かった。 [2022.4.2追記] 本文には「カクテル・コーヒーと映画撮影では盛り込み過ぎ」と書いたが、これは監督の北村豊晴という人物が、実際に台北で飲食店の経営をしながら映像関係の仕事もしていることの反映と思われる。気づくのが遅れてすいませんでした。[インターネット(字幕)] 6点(2022-01-22 10:31:10)《改行有》

162.  淡水河の奇跡<TVM> 台北発メトロシリーズ(台北愛情捷運系列)全7作の一つである。駅は淡水駅、街の名前も淡水(新北市淡水區)で、台北市から流れて来る淡水河の河口に近い港町である。19世紀には台湾島の主要な貿易港だったとのことだが、この映画ではそういう歴史的なことは関係なく、そもそも街の風景もあまり出ない。主人公の母親が「魚団子」の食堂を経営していたのがかろうじてそれらしい。 なお原題の「鮮肉老爸」は漢字だけ見ると意味不明だが(鮮魚ならまだしも何で肉?)、これは「美少年父さん」というような意味かと思われる。 全体的にはタイムスリップをテーマにしたSFコメディであり、あまり深みを感じさせるものでもないが娯楽映画としてよくできている。コメディらしくそれなりに可笑しいところがあり、序盤ではかなり下品だと思っていたが、プロポーズの背景で歌う場面でまずは失笑させられた。中盤のTV番組やエンディングの楽曲「野性的青春」もふざけている。 映画のジャンルとしてはコメディ/ロマンスとされているが、基本は家族の物語のはずなのでどこがロマンスかと思っていると、終盤の見せ場に至って初めてそういう意味だったのかと納得させられる。途中で一度は邪魔されたキスシーンも、最後にちゃんと実現(情熱的!)していたのは正直感動的だった。ほかにも観客の意表をつくところのある作りだが、個人的にはここが最も意外な展開だった。 なおSF的にいえば、過去を変えたらどうなるかという大問題があったはずだがあえて回避する結末になっていた。 登場人物としては、主人公の彼女(演・方志友 Beatrice Fang)がなかなか可愛いので好きだが、若手の科学者だったようで主人公には向いていない。また主人公の母親(演・苗可麗 Miao Ke-Li)は、Wikipedia(中文)では「淡水公認第一美魔女」と紹介されており、確かに少しカワイイ系の入った美女にも見える。ちょっと体型的に厳しいところもあったが、終盤の見せ場では役どころにふさわしい姿を見せていた。これは同年配の女性が見て心ときめく(羨む)展開だったかも知れない。 ほかどうでもいいことだが、劇中のTV番組に出ていた「命理大師」役は、このシリーズのプロデューサーで7作中2作の監督もしている葉天倫という映画監督である。他の回にも出ていたが、今回も個性的な容貌に合ったしょうもない人物役を芸達者に演じていた。[インターネット(字幕)] 6点(2022-01-15 14:47:48)《改行有》

163.  西門に降る童話 台北発メトロシリーズ(台北愛情捷運系列)全7作の一つである。駅は西門駅、街は西門町という台北有数の繁華街らしい。現在は渋谷にたとえられる若者文化の街らしいが、昔は浅草のような場所だったという話もある。交差点の地面に ”Xi-Men Walker” と書かれていたのは「西門町徒步區」という場所のようだった。 劇中の台詞では、西門町の三大名物といえば映画・金・変人だと言っていたが、うち金と変人はともかく「映画」に関しては、実際に映画の街として知られていた時期があったらしい。そのため劇中でも何かと映画を物語に関連付けようとしていたようだが半端な印象だった。また映画以外にも町の歴史を匂わせるもの(人物)を出していたようだが、日本人が見て自ずとわかるほどのものはなかった。 全体的にはいい雰囲気の映画であって、現代的な都市景観の裏に庶民の住処が混在し、上下の立体感もある劇中世界を見せている。主人公が始めた街頭スタイリスト?の業態も若者の街らしく?面白い。また街区の奥に人知れず「太陽と緑、都会のオアシス」の異世界ができていたのもファンタジックな印象だった。 しかし雰囲気はいいとしても見て単純にわからないことが多い。例えば1999.9.21の建物倒壊は「921大地震」によるものだろうが、それで変人男が今の境遇に至ったという字幕の説明が理解できない。また黒スーツの男が主人公をどう思っていたのか、何をしようとしていたのか結局不明だった。 また物語に関しては題名の「童話」の意味がよくわからないが、感覚的にいえば童話の中に自分が閉じこもって出て来ないのではなく、童話(または幼時の記憶?)を自分の中で大事にしながら現実を生きろということか?? ラストもどうなったのか不明だが、少なくとも親子一組は再出発できたのだろうからハッピーエンドのようではあった。 ほかに登場人物の人間模様も描かれており、それぞれの物語(断片的なものも含め)については連関が見えなかったが、これは各種ばらばらな人間像を詰め込むことで、総体として西門町という場所を表現しようとしたのかとは思った。 登場人物について、特に主人公が小柄で可愛いのは大変結構だった。演者の郭書瑤 Kuo Shu-yauという人は2013年の第50回金馬奨で最優秀新人賞を受賞したとのことだが、10代の頃には“「童顏巨乳」等特色”によってグラビアアイドル的な人気があったようで、この映画でも確かにそういう感じは出ている。映画としてはわけがわからなかったが、この人の印象がよかったので悪い点数はつけられない。[インターネット(字幕)] 6点(2022-01-15 14:47:46)《改行有》

164.  まごころを両手に 《ネタバレ》 台北発メトロシリーズ(台北愛情捷運系列)全7作の一つである。新北投駅に近い「北投温泉」の話とのことだが、ほとんどは主人公の住む旅館内で進行する。 北投温泉というのはもともと日本統治時代に発展したとのことで、主人公の旅館も板敷の廊下に畳敷の部屋で宴会しているなど、まるきり日本風の造りに見える。この温泉街は1970年代まで”色情業”のおかげもあって繁栄したらしいが(それで日本人も多かったのか?)、その全盛期も昔のことになり、今は代わりに健全な温泉街になったということらしい。 邦題は適当に付けてあるが原題は「5つ星の干物女」であり、内容的にも題名にふさわしいコメディになっている。最初から最後まで大笑いというわけでもなく、登場人物がカメラ目線で語る手法もそれほど面白くはないが、評価員が上から何か取る(返す)のが少し可笑しいのと、旅館に「笑いが渦巻く」表現として意味不明な大笑いをしているのは失笑した。奇怪なブタのほかキノコが重要キャラなのも悪くない。 物語の面では、主人公の祖母と昔の日本人との関係がまるで「海角七号」(2008)のようで、生の日本語の台詞が多かったのも似ている。その映画で男女が別れたのは戦後に台湾が日本統治下から離れた時だったのに対し、この映画での1972年は日本が中華民国と断交した年なのも意味ありげだったが、別に政治的なことは関係なかったらしい。日本の男が責任放棄したのは倫理的に大問題ではないかと思ったが、そこはうまく決着をつける一方、別の人物を悪役にしてしまったのは気の毒でもあるが、それも最後は丸く収めた形になっていた。 最後は祖母と主人公だけでなく、ふしだらな関係に見えた男女までもがしあわせ感に浸る終幕だったので、結果的には悪くない映画だと思わされた(結構好きだ)。 登場人物としては、特に葉星辰 Stars Yeh という人が演じた1972年の祖母が可愛い(結構好きだ)。主人公役の柯佳嬿 Alice Koという人は顔だけ見ると美形でクールな印象だが、この映画では可愛いとも断言できないが愛嬌のあるコメディ役者になっている。 ほか人気モデル役で出ていた莫允雯 Christina Mokという人も、本来こんな安いイメージのタレントではなかったらしい。劇中この人気モデルのPR映像は笑いどころがよくわからなかったが、これは本人が出演した新発売のオシャレな魯肉飯(時尚滷肉飯 新上市)のCM映像を、本人の紹介として無造作に転用した想定だったと思えばいいか。[インターネット(字幕)] 6点(2022-01-08 14:06:01)《改行有》

165.  この街に心揺れて 《ネタバレ》 台北発メトロシリーズ(台北愛情捷運系列)全7作の一つである。駅名は大橋頭駅だが、地名としては河港のある「大稻埕」(だいとうてい)という地域の「迪化街」(てきかがい)とのことで、レトロな洋風建築と近所づきあいの残る古い市街地のようだった。なお邦題は雰囲気で適当に付けてあるので気にしなくて構わない。 物語的にはもう若いともいえなくなってきた男女のラブストーリーだが、特徴的だったのは原題と英題のとおり、恋物語に数学を結びつけたことである。相手の男は数学者だが視野の狭い専門バカでもなく、一見無関係な技術や数理に即して人間界の真理を語る特性というか能力があったらしい。最終的に重要だったのは「オイラーの等式」なるもので、これは文系の立場からすると忌避感を催す言葉だが、要はそれ自体が一見無関係な全く別のものをつないで調和させている点で、「縁」を象徴するものと意味づけたのがこの映画としての工夫らしかった。 ちなみに主要人物のほかに、世間の男女間をやたらに繋ごうとする変な若い男が出ていたが、これはシリーズ全体に関わる存在のようで、今回限りでは意味不明だがとりあえず大目に見ておく。 ところで別に台湾映画に詳しいわけではないが、どうも他の映画で見た要素が多く使われていた気がする。なぜか日本人が出るのは「海角七号」(2008)など、幼時の記憶は「トップガイ」(2014)、外国在住で帰郷を迷うのは「幸福路のチー」(2017)を思わせたが、これはいちいち真似しているというよりも、向こうでよくあるパターンだということか。ラストが空港だったのも、少し前に「風が踊る」(1981)を見たばかりだったのでまたこれかと思わされたが、今回なりの決着の付け方としては悪くなかった。 ほか個別の場面で結構いいところがあり、「女性が不機嫌なときは…」というのは先人の知恵を思わせる(魯肉飯5杯食いたい)。また家系が敵同士?だというのをロメジュリで茶化したのは、些細なことでも創意の働く基礎的なレベルの高さを感じさせる。即興でキラキラ星の変奏を連弾していたところでは、こんな特技があるとは聞いてなかったので反則だと思ったが、このあたりから主人公も可愛く見えて来た。 主人公男女以外では男の叔母が感じのいい人物で、甥が物事を数学で語ろうとするのに対し、歴史を語ることで対抗していたのは笑った。「肝心な時に決断しないと…」というのはその通りだ。向こうの人はちゃんとわかっている。[インターネット(字幕)] 6点(2022-01-08 14:05:59)《改行有》

166.  今日もわれ大空にあり 《ネタバレ》 戦時中は海軍航空隊にいたという古澤憲吾監督が、「青島要塞爆撃命令」(1963)に続いて撮った飛行機映画である。時代的には「ゴジラ」(1954)で鮮烈デビューした(ただしミニチュア特撮)航空自衛隊のF-86戦闘機が早くも引退の時期にかかり、新鋭のF-104戦闘機に主力の座を譲ろうとしていた頃の話である。 実際にF-104が出るのは序盤と最後くらいのもので、ほとんどはF-86ばかりだが、円谷特撮ではなく実機映像が基本なので迫力がある。ほかに隊長機・訓練機としてT-33練習機も見えており、また極端に古風な黄色いプロペラ機が出ていたのは、戦前から世界的に使われていたT-6練習機というものらしかった。 本編は序盤からブルーインパルスなみ(乗員は多分本物)の曲技飛行で始まるので見とれてしまう。しかし劇中の隊員があまりに放埓でいい加減な連中で、こんな映画を許容する航空自衛隊は大らかなものだと思わされる。途中の訓練では何を訓練していたのかよくわからず、最後だけ必然性もなく無理やりな緊迫場面で盛り上げていたが、結局単なる根性論で終わったようなのは残念感があった。あるいはこれが「勇猛果敢・支離滅裂」といわれる航空自衛隊気質の表現だったのか(違うか)。 ドラマとしてはパイロットの人間模様も入れていたが、恋の結末に関しては全く納得できない。キャストとしては夏木陽介+星由里子で順当だとしても、こんなパワハラ気質+男尊女卑の旧人類で大丈夫なのかと花嫁が心配になる。結婚式ではとんでもない大失言をしていたが、本人は失言とも思っていないだろうからどうしようもない。 まあこの時代の大衆娯楽映画としてはこれで普通なのだろうが、それよりF-86映像が満載という点が最大の価値ではある。ラストの場面では、F-86の限界をこえて高く上昇するF-104が新しい時代を表現していたようで、お勤めを終える飛行機も人もお疲れ様でしたと言いたくはなった。 ほか個別事項としては主に最年少の三尉との関係で、自分で自分を縛らず自由になれということが語られていたようで、日記をやめろという端的なアドバイスは新鮮な気がした。また隊長の戦時中の話は残念なことだったが、その娘が父親を大事にしろと言われていたのはちょっと泣かせる場面だった。ちなみにどうでもいいことだが、農家の庭にニワトリがいるのはいいとして、屋内にまで1羽入り込んでいたのは気にしないのが普通なのか。 [雑記] 劇中飛行隊が九州まで遠出した場面では、途中で日本各地の空撮映像を見せていたが、その中で見えた「若戸大橋」(北九州市)は、この映画と同年の東宝映画「宇宙大怪獣ドゴラ」(夏木陽介主演)で怪獣に破壊されてしまっていた。その映画にもF-86が出演している。[DVD(邦画)] 6点(2022-01-01 10:53:42)《改行有》

167.  トップガン 《ネタバレ》 2022年に続編が公開予定だそうだがそれとは無関係に、他国の類似映画で「スカイ・イーグル」(2011トルコ)、「TOP GUY トップガイ」(2014台湾)というのを見たついでに本家戦闘機映画として久しぶりに見た。 この映画のいいところは、何といっても今はなきF-14艦上戦闘機が大活躍なことである。グラマン社のニャンコシリーズの最後になってしまったが、後のVF-1 “Valkyrie” のデザイン元になったものでもあり、かつて多くの男子が憧れた飛行機だったことは間違いない。CGに頼れない時代のため実機が飛ぶこと自体に迫力があり、敵と高速ですれ違ったりするのがスリリングに見える。格闘戦中心の映画なので主翼を大きく展開する場面が多いが、後退角を大きくして全体が三角になる場面もあり、またその中間の状態も見えていたようなのは興味深い。なお訓練場面での相手役がA-4だったのはいいとして、本物の敵の「ミグ」(MiG-28?)をF-5が演じていたのは、F-86に対するMiG-15やF-4に対するMiG-21のイメージかも知れないが、F-14の相手としては大小差がありすぎて貧弱に見えた。 話の内容として特に心に残るものはないが、ただ前の方の人々も書かれているように、昔見たときは主人公のライバルが傲慢で嫌な奴だと思っていたところ、今回見ると結構まともな男だったというのは意外だった(首席卒業にふさわしい)。また最後に主人公が最前線での戦いを志向せず「トップガン」での活躍を希望したのは、常にどこかで本物の戦争をしている印象のあったアメリカにしては穏健である。 音楽面では、もともと洋楽にあまり関心はなかったが、"Danger Zone"や"Take My Breath Away"は当時さんざん聴かされたので当然憶えている。 ちなみに最近、続編との関係で話題になっていたのは、この旧作で主人公の私服の背中に日章旗と青天白日滿地紅旗がついていたということだった。これは1963~64にミサイル巡洋艦ガルヴェストンが日本と中華民国を訪問した際の記念物らしく、それならパイロットというより船乗りの持ち物だろうと思ったが(古着屋で買ったのか)、とにかくアメリカの友邦がどこなのかということが当時のハリウッド映画にも反映されていたとはいえる。 それより今回気づいたのはSundownという男のヘルメットが旭日旗デザインに見えたことだったが、これはrising sunではなくて日没だ、という洒落(謙遜?対抗?)だったのか。ミラマーというのはカリフォルニアにあるらしいので西海岸っぽいとはいえる。[DVD(字幕)] 6点(2021-12-25 11:23:15)《改行有》

168.  スカイ・イーグル 《ネタバレ》 トルコ空軍のパイロットの話である。邦題はいい加減につけてあるが、原題の “Anadolu Kartalları”(Anatolian Eagles)は実際にトルコで行われている国際合同演習Anatolian Eagleに由来している。トルコ空軍の協力により実機の見える場面が結構多い。 戦闘機映画として売る思惑もあるのだろうが、実際は訓練生の段階から始まるので前半はほとんど練習機であり、主人公の乗機がT-41(台詞だけ映像なし)~KT-1T(プロペラ機、なんと大韓民国製)~T-37(初等ジェット練習機)~T-38(高等ジェット練習機、F-5戦闘機の原型)と移行するのが訓練の高度化に対応していた。訓練校を卒業してからは、主人公のF-16戦闘機、同窓生のF-4戦闘機なども映っており、また曲技飛行チームTürk Yıldızları(Turkish Stars)のF-5も見えていた。 構成としては、冒頭がF-16のスクランブルで始まるがすぐ終わってしまう。現代トルコの映画なのでやたらに戦闘場面があるわけもなく、終盤の合同演習が実戦代わりだったのだろうがそれほどの迫力もない。笑えないコメディとか唐突に死去する人物とか唐突に鳥さんたちがかわいそうな展開になったりするのは感心できないが、基本的に娯楽映画なので仕方ない。 全体的にはラブストーリーのようでもあるが、戦闘機乗りの物語としては凧の話が重要だったらしい。最初に教官が語った言葉自体はほとんど意味不明だが、そのうち主人公がその意味を自ら悟って自分のものにしていく展開になる。主人公にとって恋人の存在は中途半端に思われたが、最終的にはっきりした位置付けができ、戦闘機映画とラブストーリーの統合もなされていた。ちなみに整備士も彼女と同様の立場であることをアピールしていた。 なお最後がデモンストレーションチームへの配属を喜ぶ場面で終わったのは、戦うことよりパイロットとしての高みを目指していたということらしく安心できる。国の守りを固めるのは重要としても、やたらに戦争しないことが望まれるのは当然である。 登場人物としては、特に主人公の幼馴染は愛嬌があって世話焼きで感じのいい人物だった。卒業式で司令官に声をかけられている顔が可愛かったが、首席卒業だったとのことで侮れない。この人が一番好きだ。 [以下雑談] テーマ曲はサビの部分で「ギュレギュレギッチョヌーン」と聞こえるのが耳につくが、これは “Güle güle git canım” であって、愛しい人に別れを告げて送り出す言葉のようである。曲の題名は “Güle Güle”(さようなら)らしい。[DVD(字幕)] 5点(2021-12-25 11:23:12)《改行有》

169.  TOP GUY トップガイ 《ネタバレ》 台湾の空軍パイロットの話である。これより少し前のトルコ映画「スカイ・イーグル」(2011)と似た感じがある。 無名の外国映画の邦題が全く信用できないのは当然として、この映画に関しては英題の “Dream Flight” は正しい(原題の「想飛」も同じ意味か)。半分は訓練学校での話なので、トップを目指すどころかまずは一人前になるため奮闘している印象がある。 戦闘機映画として売る思惑もあるのだろうが、前半ではT-34練習機(プロペラ機)が主役であり、ほかにAT-3練習機(ジェット機)が少し映る程度である。その後は主人公の乗機になった国産戦闘機IDFが前面に出るが、映画宣伝に名前の出ているミラージュ2000は実機が少々、またF-16は申し訳程度の出番だった。 全体構成としては、前半はラブコメ風の青春物語、後半は主人公と妻が夢をかなえるまでの話になっている。病気とか死亡事故とか食器が落ちて割れるとかのありがちな展開もあり、またオズの魔法使いと星の王子様のどっちが大事かわからないといった統一感のなさもあるが、最初から軽目の娯楽映画(男女兼用)と思っていればそれほど問題ない。個別の場面としては、主人公が屋上でシミュレーション飛行する背景にピアノ曲が流れる場面は好きだ。また唐突な「紅の豚」には失笑させられた。 音楽面では主に“Over The Rainbow”が耳に残るが、ほかに序盤のラブコメ部分でChappieというキャラクターの歌「Everyday」(Monday 早起きはいつだって苦手なの...)というのが流れたのがこのパートの雰囲気を反映していた。 ドラマ的には“心の目で見る”というのが一貫していたらしい。終盤のDream Flightは思い切りファンタジックな場面だったが、かえって戦闘機映画の出来損ないなどと言わせない確信犯的な意志が感じられ、結果的には悪くないと思わされた(正直少し泣かされた)。またラストで冒頭と同じ時代の回想場面に戻ったのは、この時から二人の未来が運命づけられたという意味らしく、子ども時代からの素直な空への憧れが感じられたのも悪くない。世間の評判がどうかは別として、個人的感覚としては結構しあわせ感に浸れる映画だったので、少しいい点を付けなくては済まない気分だった(少し長いが)。 なお登場人物では、特に主人公の妹の笑顔にかなり和まされた。主人公には台湾の空を守る任務があるにしても、この家族や妻のためにもとにかく無事でいてもらわなければ困ることになる。要は敵が攻めて来なければいいわけだが。[インターネット(字幕)] 6点(2021-12-18 10:31:45)《改行有》

170.  風が踊る 《ネタバレ》 1981年製作とのことで、街の風景や背景音楽などに(日本でいえば)昭和っぽさがある。基本的にはラブコメ風の映画だった。 撮影場所としては澎湖島、南投県鹿谷郷と台北である。澎湖諸島は亜熱帯と熱帯の境界付近で温暖な気候のはずだが、劇中では寒風の音まで入れて妙に寒々とした印象を出していた。また鹿谷という場所は変に霧が出ていて見通しがきかないと思ったら、主人公男女が子どもらと一緒の場面では日も照っていたりして、これは登場人物の気分の変化も表していたかも知れない。 物語的には自由恋愛を志向したものだそうで、実際そのように見える。相手の男が、当初は辺境の漁村に寂しく住む視覚障害者のように見えていたが、実は正体が全く違っていて視力もすぐに回復した、というのはかなり都合のいい展開に思ったが、このことで男の地位や女の美醜と関係なく、人間の本質的なところに惹かれ合ったことが表現されているらしい。 また途中までは主人公が平気で人を騙すのは困ったやつだと思っていたが、その上に婚約者を捨てて別の男に走るのでは倫理的に大問題ではないかと思っていた。しかし婚約のことは古風な父親に言われていただけで、それよりも「きちんと約束した」方が大事だというのは、古いしきたりに縛られない本人の主体性と誠実さを示している。なお当初、主人公は香港の男と同居しているのかと思ったが、実はそうではなかったと考えられる。 終盤は少し意味が取りにくかったが、男が来るかどうかで結婚自体が左右されるわけではなく、主人公としてはもう心を決めていたということらしい。その上で、旧世代のように結婚に縛られるのか、結婚しても自分として生きられるのかが問われていたのだと思われる。 ほか社会的なことに関していえば、当時の台湾はまだ一党独裁の戒厳令下にあったわけだが、主人公が学校の規律にあえて従わないなどは、社会的な束縛にこだわらない自由な気風があったことの表現かも知れない。主人公が「仰げば尊し」(「靑靑校樹」)に適当な歌詞をつけて子どもらに歌わせていたのは笑った(注:「前途は はるかに、人生は洋々と…」からは元の歌詞でちゃんと歌っていたらしい)。 そのようなこともあって、自分の世代的な感覚からすれば、ほどよいリベラル色の出た映画で悪くないと思った。なお最後の「恭禧發財」は、字幕に書かれた観客向けの言葉というより二人への祝いの言葉ではないかと思ったが(不詳だが)、何にせよ悪くない趣向だった。[ブルーレイ(字幕)] 6点(2021-12-11 11:04:45)《改行有》

171.  High Flash 引火点 《ネタバレ》 映画紹介によれば「環境問題を深くえぐる社会派ミステリー」とのことで、そこに男女の人間関係をからめた構成になっている。場所は「熱帯魚」(1995)や「天空からの招待状」(2013)でも見えた西南部の海岸地方が中心になっている。 物語としてはミステリー調の展開だが、最後がありきたりな決着の付け方になっていたのは感心できない。ちなみに最初から胡散臭く見える奴は怪しいと思って間違いない。 環境問題に関しては前記「天空…」でも思ったことだが、日本人の感覚では20世紀的な印象のある公害問題と、どちらかというと21世紀的な環境活動団体が同時に存在するのは変な気もするが、それが現地事情の反映であれば仕方ない。あからさまな公害などは環境規制をちゃんとやってもらえば済むことである。 また社会的な面では、政財界を中心に今も存在する社会悪を告発しているようでもある。しかしエンドロールには台湾映画でよく見る「文化部 MINISTRY OF CULTURE」の名前が普通に出ており、また戦後日本の感覚だと権力側になる各地の市政府や警察局なども協力しているので、あまり尖った社会派映画という感じはしない。ちなみに解説によると現地の司法制度は国民にあまり信頼されていないとのことだが、マスコミはまだしも信用があるということらしかった。 登場人物については残念ながら誰にも共感できない。既にあっちの方へ行ってしまった感じの人物に、観客として惹かれるものが全くないのは困る。ラストは感動を誘う場面だろうが、自分としてはちゃんと前を見て運転しろと言いたくなった。なおむやみに残酷な殺され方をする人物がいたりするので、そういうのを好む観客には受けるかも知れない。検察官だけでなく新聞記者など、命知らずの人間ばかりで困ったものだと思わされた。 全体的に真面目な映画ではあるが通り一遍な印象で、正直それほど心に刺さるものはなかった。 ところで題名は意味不明だが、英語のHigh Flashとは引火点が高い、つまり引火しにくいという意味らしい。引火させるには温度を上げて点火する必要があるわけだが、社会も人もいわば引火点が高いので、人が死ぬくらいのことがなければ何も動かない、という皮肉だとすれば、確かにそれはそうだと思わせるものがある。またラストの空撮が冒頭と同じに見えたのは、それでも何も変わらないとすればそれでいいのか、という問いかけかも知れない。何にせよ民主主義だからこそ作れる映画ではある。[インターネット(字幕)] 5点(2021-12-04 09:26:06)《改行有》

172.  幽幻道士2 《ネタバレ》 前作の続きらしく登場人物はほとんど共通である。時代はやはり近代のようで、警察署とされていた場所の看板に「××鎮? 自治保安隊」と書いてあったのは正体不明だが(治安維持兵力か)、そういう近代軍隊のように見えるものとキョンシーが戦う戦争映画のような場面もあった。 今回はアクションに力が入っているが、コメディとしてはそれほど笑えない。しかし白人女性の後にキョンシーがついて来て、その後のドタバタアクションにも巻き込まれた場面はかなり笑わされた。またその女性が素肌を見せるなど保護者向けらしいお色気場面は今回も入っているが、しかし8歳くらいの女児が襲われて着物が破れて脚があらわになって隠そうとするなど、こんなロリコン趣味が許されるのかという場面もあった。 お話としては「変な外人」で変化も出しているが他愛ないもので、前回は人間味もあった親方が完全にバケモノ扱いなのは救いがない。また呆れたのはなぜか最後が悲劇になっていたことで、コメディだったはずなのにこんな場面で劇終なのか???と唖然とさせられた。デブキャラが美少女の気を引くには死んでみせるしかないというのも救いがないが、自分など美少女に見向きもされない立場と思う多くの観客が深く感情移入できる物語ではあったかも知れない。 しかし理不尽だったのは劇中人物が、自分が殺されそうでも他人に被害が及んでも、師や兄には絶対に逆らえない意識があったらしいことである。他の全てに優先する絶対規範など現代の日本人には理解不能というしかないが、ただ劇中少年は義と愛に引き裂かれて死んだのだと思えば、最終的には一定のドラマができていたと思えなくはない。 登場人物としては、テンテンちゃんはなぜか前より面長に見えるが、普通に子どもらしく可愛い姿を見せている。またベビーキョンシーなるものがいじめられて「あーん」と泣く声を聞くと、かわいそうだと親心を刺激されるところがあるわけだが、そのせいか縁もゆかりもなかったはずの親方までが完全にパパになり切ってしまっているのが変だった。 【参考】鳩ポッポの替え歌の歌詞は、ポッポッポのところを「爸爸爸」(パッパッパ)として、その後に「我愛爸爸」(好きだよパパ)と続けることでベビーキョンシーの歌にしているらしい。[インターネット(吹替)] 5点(2021-11-27 11:27:50)《改行有》

173.  新・幽幻道士 立体奇兵 《ネタバレ》 本来は3D映画として制作されたそうで、原題の「立體奇兵」とは終盤に出た赤青の連中がそうだったらしい。確かに、3Dの効果を出すためかカメラに向けた前後の動きが目立つようだった。 今回は設定が初期化されたようで、金爺爺がもともといた「義荘」(第3話冒頭場面のナレーションで説明があった)に最初から少年2人と美少女がいる形になっている。親方と孤児連中の旅という設定はないものの、町内でキョンシーによる殺人事件が起こって疑いをかけられるなど、このシリーズとしてはオーソドックスな印象がある。 内容としてはちゃんと子どもら主体の物語ができており、前回とか前々回のように大人が悪ノリしている印象はなく、コメディ要素にも抵抗なく笑える映画になっている。ベビーキョンシーが敷居につまずいたのに笑わされ(子役は痛くなかったか)、また痒みの素?とか八卦ボックスのようなアイデアも面白かった。最後は残念ながら悲劇に終わっていたが、まずは笑って泣いてという普通の娯楽ドラマの範疇と思われる。 また決戦時の人形の館がファンタジックな作りなのも楽しい。伝統色ある異形の兵団が次々襲って来るのはイマジネーション豊かで、小さい子ならこういうのを喜ぶのではないかと思った。獅子舞が出現したのは変だったが、幇間のようなキャラの坊主頭が青いのがまた可笑しい(気色悪い)。奇兵が消える時のワオンという効果音も面白かった。 このシリーズは初回が好評で第二作を作ったあたりが頂点で、三作目からは低落するばかりというパターンかと思ったが、この新作は子ども向けという基本姿勢を守ったことで、かえって大人も安心して見られる(笑える)佳作になっている。大人の立場としても、子をもって初めて人の道の何たるかを知る、という程度のドラマはできていたかも知れない。 登場人物としては、前回の孤児役5人が少し役どころを変えてまた出ており、前回はグループ中の一人だった美少女が今回はテンテンの地位に昇格したのは順当に見える。もとのテンテンより少しきつい顔に見えるが基本的にかわいいので問題ない。また前回の監督の娘も再登場しており、かなり特別扱いの役をやっている。前回と違って大人の女性の面での見どころはなかったが、子役が微笑ましいので結構だ。ベビーキョンシーも相変わらず愛嬌のある顔を見せている。[インターネット(吹替)] 6点(2021-11-27 11:27:46)《改行有》

174.  幽幻道士4 《ネタバレ》 冒頭で映る水平線が左に傾いているのがわざとなのか雑なのか気になるが、続いて変に残虐な場面を見せつけられるのは気分が悪い。ホラーだからといって妊婦まで脅威にさらすのが子ども向け映画にふさわしいとも思えない。 本来は子どもら主体の映画だと思えばこそ少々のことは笑って許せていたわけだが、今回やたらに下ネタだらけなのは誰に見せるための映画なのかわからない。原語はともかく吹替のせいで下品になっている面もあるかも知れないが、美女の寝所の場面などからすればもとからこういう姿勢で作っていたことになる。 コメディとしても笑えるところがほとんどなく、わずかに笑ったのは「見なかったことにしよう」「別々に恋人作って...」という台詞と、終盤で特殊霊魂が敵の頭に桶か何かをぶつけた場面くらいのものだった。吹替に出る70年代のフォークデュオの懐古などは鬱陶しいというしかない。 最後の対決場面はアクションに加えて光線技まで出る派手な戦いで、危機につぐ危機で手に汗握る展開といえなくもないが、個人的にはいつまで見ていれば終わるのかと延々待たされる感じだった。東映戦隊シリーズ並みに、ドラマ部分を含めて全体を30分番組ぐらいに詰めれば見やすくなったかも知れない。 ただし最後の絶体絶命の場面で突然救いの神が降臨したのは、なるほどこういう手があったかと少し感心した...最初からいたのはわかっていたはずだが存在を忘れていた。 登場人物としては、新顔の保安隊長が「ジョー隊長」というのは宍戸錠に似ているからかも知れないが、それをいえば大人テンテンは志穂美悦子のようでもある。宿屋の主人は誰にたとえるのが妥当かわからないが、個人的趣味でいってしまえば川島なお美?を思わせる現代的美女だった。ちゃんと大人の女性で見どころがあるのは悪くない。 また子どもテンテンはほとんど出ないが、孤児連中のうちの女児2人(特に年長の方)がこれに相当する存在だったらしい。この2人が白塗りメイクで大人テンテンに捨て台詞を言ったところの表情は可愛かった。ちなみに年少の方は監督の娘だったとのことである。 ほか余談的に少し真面目なことを書くと、今日は15日で満月だという台詞があったのは太陰暦というものの基本を思い出させられた。[インターネット(吹替)] 3点(2021-11-27 11:27:44)《改行有》

175.  幽幻道士3 《ネタバレ》 今回は広州という地名が出ている。これが広東省の広州だとすれば、カンフー/キョンシー映画の都・香港に近いということ自体は物語の中身と関係ないわけだが、それとは別に孫文の出生地(現在の中山市)にも近く、創建当初の国民党とも縁の深い土地と思われることから、製作当時の感覚にふさわしい場所設定という納得感がある。 ちなみに以前からの登場人物であるデブ署長というのが今回は「大隊長」を名乗っており、上司の「司令官」に媚を売る立場だったというのは、大陸各地に割拠していた軍閥の部隊指揮官のようなものと思えばいいか。部隊の根拠地に尋問用の責め道具が常備されているのは物騒な雰囲気を出していた。 今回は最初に1、2話を回顧するパートが入っているが、前回が悲劇的な結末だったことを受けて変に陰鬱で悲しい物語のように語られており、そこから始まった第3話でもいきなり大人世界の暴力を見せつけられるので殺伐とした世界に感じられる。その後になって笑いを取ろうとした場面もあったがこの流れでは笑う気にならず、面白いとも思わないまま時間が経過するので大人としては正直つらい。必然性不明の新キャラクターがやたら登場するのも戸惑わされる。 終盤は8人組のスーパー戦隊のような展開で盛り上げて、最後だけ唐突なハッピーエンドで能天気路線に回帰したようだったがもう遅いという感じだった。こういう半端くさいコメディ映画に真面目につき合うのも限界がある気がして来たが、これで当時の児童が喜んだのであれば自分として言うことはない。 ちなみに序盤で出ていた「玉蛙」は、国立故宮博物院にあるという白菜のような高級美術品なのかと思って期待したが、大して役に立たないまま出なくなったので落胆した。また「マーボおばさん」役の尤美芳(尤美方)という人は、おばあちゃんというには若く見えると思ったが、「蘋果新聞網」台湾版の2020.6.28付け特集記事の時点で72歳(喫茶店経営)とされているので、当時は30代末期頃の年齢だったと思われる。それをいえばおじいさん役の役者も50代だったわけだが。[インターネット(吹替)] 4点(2021-11-27 11:27:42)《改行有》

176.  幽幻道士 《ネタバレ》 テンテンちゃんがかわいいという噂は知っていたが実物は初めて見た。 まずこれはいつの時代のことなのかが気になるが、劇中の町では映画興行などもしていたので近代なのは間違いない。警察署に五色旗のようなものが見えており(色と縦横が本物と違うが)、児童の保護育成の方針なども近代国家を思わせるので、例えば1912年の中華民国成立から20年代頃までの大陸のどこかと考えれば、製作当時の台湾にも連続性のある設定ということになる。ちなみにどうでもいいことだが、警察署の中にいろいろ掲示されていた標語のようなものは、後に別映画で見た現代の警察署にも似たものがあったので、実際にこういう習慣があるらしい。 なお鳩ポッポは文部省唱歌であるから本来は日本の歌なのは間違いない。これは現地の観客にとっても違和感なく受け入れられる歌だったのか。 物語としては適当な作りで、ドラマらしいものがあるのかないのかわからないが、それでも90分もあるのが大人にとっては正直長い。昭和の邦画に出るような肉付きのいい女性の下着姿などは本当に子どもに見せたのかと思うが、こういうのは保護者向けのサービスと思えばいいのか。 ホラーといっても子ども向けなので怖くも何ともないが、キョンシーというものの性質がいろいろ語られるのは勉強になる。要は火葬してしまえばいいらしいが、あえて故郷で埋葬するための運搬方法として考案したというのはなるほどと思わされた。なお「殭屍」とは硬直した死体の意味だろうが、それにしては動きが柔軟過ぎる場面もある。 テンテンちゃんに関しては、かわいいというより高慢な美少女かと思ったが、賢そうでいて分別が足りずに自ら面倒を起こしたところもあって完全無欠でもない。終盤の対決でも頼れそうに見せておきながら、突然の危機に驚いてキャーといって逃げ出したところは可愛かった。この美少女とキスした奴には嫉妬したが、その後に爺さんとキスする展開には笑った。 ほか今回は、これが現代の老人が子どもらに語った物語だったことを示す短い映像が前後についている。最後のオチへの子どもらの反応が微笑ましい(失笑)。[インターネット(吹替)] 5点(2021-11-27 11:27:41)《改行有》

177.  夏時間 《ネタバレ》 宣材写真からは昔懐かしい田舎の風景を想像するが、撮影場所の家は仁川にあるとのことで、実際は大都市圏の邸宅の話である。ただ庭に対して開放的な家の造りとか、菜園とか蚊帳(ピンク色!)とかが郷愁を誘う雰囲気なのは間違いない(蚊取り線香は見えなかった)。祖父の代にはかなり余裕のある一家だったように思われる。 物語としては、主人公の夏休みに起きた家族の出来事が淡々と表現されている。現実に起こりうることの範囲で作られていて“小さな奇跡”も何もなく、極端に作為的な展開もないので反発を覚えることもない。 全体的に受取りの自由度が高いようには見えるが、一般的には大人の事情や他者の動向に左右される主人公の心情に着目する観客が多かったらしい。しかし自分としては年齢性別のせいもあり、どちらかというと解体しかけてなお家族というものが持つ包容力や、癒しの力や伝える力といったものを感じた。 個人的事情としては自分の立場に近い(次第に近くなって来た)祖父に目が行く。衰えてはいるが家族の和を気にかける人物だったようで、今回たまたまながら家族に看取られたのは幸いだったと思われる。若干意味不明だったのは昼夜の逆転ということで、夜中の3時半に音楽を聴くなど高齢のせいとも思えるが、息子にしたという悪戯の話を聞けば、元からそういう変な遊び心のある人物だったのかも知れない。壁にかかっていた記念写真の時以降、この家で積み重ねられた家族の歴史を思わされる気はした。 もう一つ印象的だったのは、思いがけず優しい映画だったということである。主人公はいろいろな相手に反発していたが特に悪人はおらず、身内は家族思いの人ばかりで一緒の時間を大事にしている。叔母の夫が悪魔というのも恐らく誇張があり、また主人公の彼氏というのも善良な男のように見える。全体的に見ても、表立って誰をも傷つけようとせず、静かに思いを語ろうとする映画のように感じられた。 ほか登場人物に関して、主人公は整形を考えるよりも今のままで自信をもってもらいたい。またその弟はなかなか愛嬌のある奴だったが、御霊前でダンスを始めたのはいいとして(祖父も笑って見ていただろうが)、歌詞がひどいのは笑わされた。[インターネット(字幕)] 7点(2021-11-20 10:43:39)《改行有》

178.  あなたを、想う。 《ネタバレ》 監督は台湾出身で主に香港で活動した著名な女性俳優、主演(妹)はマカオ出身、母親役はマレーシア出身(華人)とのことで、中華圏的な広がりはあるが映画自体は台湾限定の話である。撮影は東海岸の緑島と台東、及び台北の3か所にわたっているが、現地の風景として個人的にはそれほど印象に残るものはなかった。 物語としては、青年期の後半になった兄と妹と妹の恋人の3人が、それぞれのきっかけで親へのわだかまりを解消する話のようで、夜の幻影とか白昼夢とかでファンタジックな印象を出している。原案(脚本)は日本人だったとのことで、この映画のように、一般的な人間ドラマに心霊現象とか超時空展開を平気で入れ込むのが台湾でも普通なのかはわからない。 解説によると本来3つの短編だったとのことで、3人の男女それぞれの物語を1本にまとめた形になっているが、しかし1人だけ親が別なので、構成上の均衡を失している感はある。ラストは4年後くらいだったようだが、その間に目の治療とか仕事をどうしたのかといったことは捨象され、また兄の心の変化も不明瞭だったため、3人それぞれの物語としては不全感が残った。また終盤を(バス以降)適当に都合のいい展開にして、取ってつけたような結末に飛んだのも感心できない。 ほか単純に意味が取りにくいところもあり、特に台北にいた金髪オヤジに関しては、父親が娘と息子に言いたいことがあって来た、という意味かと思ったが(妹の恋人の方はそうだったと思うが)、演者(※)が違うのでそうともいえないのは変だった。あるいはこれが母親の語った天使かも知れないが、何にせよ超自然的なものに頼りすぎではないかという気がした。 ※酒吧調酒師:瞿友寧、役者というより映画監督・TVドラマ演出家らしい。 個別の場面としては、台風の夜に兄が実家で「母さん」と呼びかけたところは感動的だった(ホラーっぽいが)。また妹の恋人が突堤で出会った釣り人がニヤリとしたのも悪くない。終盤では、妹がたまたま立ち会った出産が本物のように見えたのが強い印象を残した。大事な場面の直前で、過去の記憶を断片的な映像として蘇らせるのは効果的だったかも知れない。 自分としても、当日の夜に見た夢がこの映画の影響だったらしいので、心を動かされる映画だったというのは間違いない。[インターネット(字幕)] 6点(2021-11-13 09:29:24)《改行有》

179.  生き人形マリア 《ネタバレ》 フィリピン映画である。場所についてはヴァレンズエラ市というところが協力していたほかケソン市の表記も見えており、要はマニラ首都圏での撮影である。言語はFilipinoだそうだが(タガログ語ベースの標準語?)、ときどき文章単位で英語が混じって聞こえたのは普通にあることなのかどうか(上流階級だけか)。ちなみに「人形」は「manika」だったらしい。 なおパクシウpaksiwというのは一般的な家庭料理らしいが、酢で煮るものだそうで個人的には苦手かも知れない(食わず嫌いはよくないが)。 内容的には、序盤の大仰で能天気な軽さ(バス事故の場面を含む)など見ていると、現地のTVドラマはこんな感じなのかと突き放した気分だったが、そのうちちゃんとホラーらしい雰囲気も出るので安心する。死んだ少年の性格付けなどよくわからない点も多々あったが、普通に娯楽として見られる映画ではあった。 物語的には、特にまとまったテーマのようなものは読み取れなかった。保護者3人は子ども/人形への態度に違いがあったようで、そこにドラマ的な意味があったかも知れないがよくわからない。一つ思ったのは、レオノーラの養父は養女を溺愛していたようで、本当に養女(幼女)を生きた人形のように思っていたことが結末の差になったのかも知れない(不明だが)。 ホラーとしては人形が主役だが、まつ毛の付け方などは観客の突っ込みを誘う意図としか思えない。怖さを追求しようとしたものでもないようなので、笑って見ているのが妥当な態度と思われる。ちなみに原題がマリア・レオノーラ・テレサの順なのがなぜかは不明だった(所得順ではない)。少なくとも日本人的には、マリア・テレサ・レオノーラの方が語呂がよさそうに見える(所得順にもなっている)。 なお監督はTV・映画界でかなり活躍していた人物らしいが、2016/2/29に死去されたそうで(49歳)、同じ監督で続きは見られないことになる。 登場人物としては、マリアの母(の体型)よりもテレサの母の方に目を引かれた。また悪気のなさそうなマリア家のメイドの人はかわいそうだったが、この人が寝る時に、枕だかクッションだかを股に挟んでいたのはどういう習慣なのかと思った(朝まで同じ格好)。しかし別に性的な意味があったわけでもなく、腰に負担がかからないとかよく眠れるという理由で、日本でもこれをする人々が結構いるらしい。映画に出すからには現地でも普通のことなのかも知れない。[インターネット(字幕)] 5点(2021-11-06 10:42:04)《改行有》

180.  屍憶 SHIOKU 《ネタバレ》 台湾と日本の合作ということになっている。台北市の警察が出ていたので場所は普通に台北らしい。 ホラー要素としては、台湾で有名な(多分)「冥婚」という風習を使っている。これは日本にもあると書いてあったが、しかし山形県内陸地方にある「むかさり絵馬」は亡くなった人物に架空の相手を結び合わせる形なので、この映画のように生きた人間を犠牲にするものではない。劇中で過去に事件のあった1930年は日本統治時代であり(映画「セデック・バレ」の霧社事件と同年、映画「KANO」の前年)、また何か日本がからむのかと思ったら何も関係なかった。関係なくて結構だ。 物語としては中心人物の男と女子高校生の話が別々に進んでいき、最後に一本にまとまって終結する。途中の展開が緩くて長いと思ったが、終盤に至ってまとめにかかり、それまでの断片が次々つながっていく展開は意外感があった。 また日本が参加しているだけあって邦画ホラーっぽい雰囲気もある。しかし貞子でも伽椰子でもないゾンビ風の亡霊が、霊能者の前でしおらしくかしこまってうなだれる姿は珍しい。またその霊能者が「他に方法がない」と新人らしく自信なさげに言っていた様子も好感が持たれる。 ほか女子高校生を水泳部の設定にして水着姿を水中撮影するなどは、日本でも以前に盛んだった(今も?)ロリコン趣味丸出し映画のようだった。ただし出演者は20代だろうから未成年者はいないと思われる。 出演者としては日本人も二人出ており、うち田中千絵という人(「王依涵」役)は他の台湾映画にも出ている有名人である。もう一人の池端レイナという人も日台両方で活躍中とのことで、今回出番は多くなかったが、かわいいまま終わる役でよかったとはいえる。 ほかの登場人物として、中心人物の女子高校生は16歳(昨日まで15歳)の設定で、見た目は素朴で幼い感じの普通に可愛い少女だったが、演者のVera Yen/嚴正嵐という人は実は1989年生まれだそうで、この映画の頃には26歳くらいだったことになる。10歳ごまかしても通用するのは元がよほど童顔で可愛い人だということらしく、この人にもちょっと意外感があった。特に病室で見せた情けない顔は極端に可愛い(かわいそうだ泣くな)。 また中心人物の男に「イーハン」と呼ばれていた女性役(Nikki Hsieh/謝欣穎)も忘れがたい魅力的な風貌だった。出演者の面でも見どころがあるのはいい映画というしかない。[DVD(字幕)] 6点(2021-10-30 13:27:37)《改行有》

0110.88%
1272.16%
2614.88%
3987.83%
418214.55%
532826.22%
628722.94%
717814.23%
8614.88%
9171.36%
1010.08%

全部

Copyright(C) 1997-2024 JTNEWS