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プロフィール
コメント数 73
性別 男性
自己紹介 映画をいっぱい観るようになったのは、大学生になってから。
映画を創作できること自体とてもすごいことだと思うので、
なるべく誠意のあるレビューを書こうと思っています。
好きな映画のレビューだけ書こうと思っていたのですが、
ちょっと個性が埋没してしまいそうなので、おいおい酷評も
入れちゃおう。

☆好きな監督☆

黒澤 明
山中貞雄
溝口健二
エルンスト・ルビッチ
フランク・キャプラ
ビリー・ワイルダー
アルフレッド・ヒッチコック
ミロス・フォアマン
チャン・イーモウ

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【製作年 : 1950年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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1.  山椒大夫 安寿と厨子王で有名な小説を、溝口作品としては割と原作重視で、映画化した作品と言えるのではないでしょうか。溝口独特の「女の物語」に加え、原作の持つヒューマニズムが色濃く反映されているところがこの映画の特徴のひとつでしょう。ただ、この映画を世界的名画たらしめたのは、原作の持つヒューマニティたっぷりのストーリーなどでは断じてなく、圧倒的な映像美にあることは一見すれば明らかだろうと思います。もっと言ってしまえば、キャメラ。そしてそれがもたらす「構図」の美しさでしょう。フレームの一番手前の端に大木や建造物の一部を入れ込んで狙った奥行き重視の構図。この縦の構図の連続でこの映画の映像は成り立っています。キャメラはほとんど引いたままで、しかも奥までしっかりピントがあった見事なパンフォーカス。クレーンは多用しているものの、無駄にキャメラは動かさない。引いたキャメラのおかげで、お芝居の対象物がすっかりフレームに収まり、おまけにピントまであっているのでお芝居の区切りまで一切キャメラを動かす必要がないのです。ここでカットを入れたりキャメラを振り回すのは野暮ってものでしょう。結果的に長回しになり、崩れること無く、長時間保たれた美しい縦の構図の数々が、観るものの脳裏に焼き付き、そのままこの映画の印象となっています。そして、ここぞというお芝居の区切りでゆっくり、おもむろにキャメラが動き出す。キャメラによってここがお芝居の区切りですよと見事に物語を語っています。この瞬間はまさに芸術であって、この理にかなった律儀なキャメラワークは圧巻の一言。これは職人芸。ただ、同じ溝口の1930年代の傑作群ではお芝居の区切りでさえもカットを割らずに移動やパンでシーンをつなぐケースが多々あります。それに比べれば大映時代の溝口のキャメラは実に律儀で、いかにも「円熟期」といった感じがします。若さ溢れる30年代の溝口が好きか、それとも50年代の円熟期の溝口が好きか。これは好みの分かれるところでしょう。30年代と50年代。いずれも溝口の全盛期ですが、これが日本映画の全盛時代とぴたりと一致することを忘れてはならないと思います。ちなみに僕は30年代が好きです。9点(2004-09-26 13:31:42)(良:5票)

2.  見知らぬ乗客 死ぬほどとか、殺すぞなんて言葉が比喩でなく、現実になっていく恐さ。この映画の恐さは、私見ですが、『ミザリー』のキャシーベイツの恐さと似た感覚があるような気がします。クレイジーな雰囲気がなんとなく似ていて、心理的に何か近いインパクトがあるのではないでしょうか。編集技法もヒッチ監督の独自の技法が確立された作品と評されるだけあって、観るべきものが多いです。これについてはInVincibleさんが仰られている通りで、靴や眼鏡などの小道具の使い方はもちろんですが、特にガイのテニスの試合と、ブルーノが落としたライターを拾おうとする場面のカットバックが素晴らしい。それを追っていく警官までを含めて、遊園地のメリーゴーランドに集結していく3者が平行してモンタージュされていく編集は、まさにサスペンス技法の教科書と言えるでしょう。遊園地に流れる明るい効果音が対位法となって緊張感を盛り上げているもの見逃せません。ところで、最後のメリーゴーランド暴走を止めるシーンでは、本物のメリーゴーランドの下に潜っての撮影だったんですよね。ヒッチ監督も、よくあんな事ができたものだと、後年に回想しているそうで、「おれに任せろ」と言って老人が潜っていく姿を観るとついそんなことを思いだして目を凝らして観てしまいます。9点(2004-02-01 22:32:57)(良:1票)

3.  十二人の怒れる男(1957) 12人が議論していくシーン以外は、ほとんど映像として示されないにも関わらず、殺人現場や、目撃者の様子、裁判官や弁護士の態度など、映っていないはずのものが次々と頭に浮かんできて、いつの間にか勝手に映像を作り上げてしまっている自分に気付きました。そのためか、キャメラがほとんど狭い陪審員室から出ないという退屈さは感じられず、むしろ、時間的にも空間的にも広がりのあるドラマとして印象に残ります。唯一示されるのは容疑者の少年のクローズアップ。これが仕掛けなのか、時折、この少年の顔が頭をよぎり、それを手がかりにしてどんどんイマジネーションが広がっていって、ついには「うん。ノットギルティだ。」と、思わず自分も13人目の陪審員としてディスカッションに参加していました。陪審員もそれぞれ個性的で、彼等の人間性はディスカッションの中で巧みに知らされていき、最後にはそれぞれの持つ人間性の戦いに発展していきます。人間性の紹介、そして人間性の衝突。これが繰り返される度に、一人また一人と票がひっくり返っていくところがこの作品の醍醐味でしょう。特に、有罪派にとんでもない偏見を持った個性や、極端に投げやりな個性を配したところがポイントで、この大胆なキャラクター設定がドラマの盛り上がりに大きな貢献をしています。ただ、彼等の存在は、こんな人がいて大丈夫かという陪審員制度に対する不安を感じさせてしまうのも事実です。恐らくこの作品では陪審員という「制度」そのものに対して否定する意図はなかったでしょうから、これについては多少代償を払った格好になるのでしょうか。陪審員室からキャメラが出るのは冒頭とラストだけ。これらを俯瞰のロングを使ったことで、バストショットが多い中間の陪審員室とは好対照で開放感と清々しさを演出しています。良い意味で「計算高い」傑作だと思います。 ちなみにリメイク版も好きですよ。9点(2004-01-28 23:55:50)(良:1票)

4.  ローマの休日 《ネタバレ》 人間の業を描く重厚な作品が得意なウイリアムワイラーにしては、異色の作品と言えるのではないでしょうか。フランクキャプラの『或る夜の出来事』を連想させるストーリーですが、この作品も当初はキャプラが監督をするルートも存在していたとのこと。なるほど、系譜から言えば、キャプラの作品群にあった方が自然でしょう。「何も言わないで」と言うオードリーヘップバーン、目に涙を溜めながらも微笑むグレゴリーペック。「ままならぬのが人生」と言い、お互いの立場を尊重し合う配慮。キャプラが監督をしていたらどうであったかはともかく、随所に見られるこうした「抑制」が、絶望的でない切なさとともに、安心感を与え、多くの観客を納得させる結末を演出しています。「ローマです。この地での思い出を忘れないでしょう。」。最後の最後で全編を支配してきた「抑制」の中から懸命に出てきた、この台詞の爽快感はやはり特筆ものでしょう。この作品がこれほどまでに人気がある国は日本だけだそうですが、どちらかと言うと「抑制」された物語の方が日本人の遺伝子に響くのでしょうか。この作品を神聖化するつもりはないのですが、観終わった後のいつまでも残る余韻は、まぎれもなく傑作の証だと思います。9点(2004-01-12 12:52:33)(良:1票)

5.  生きる 《ネタバレ》 「生きる」とはどうゆうことか。この難解なテーマを内包した映画は多くあるけれど、ここまで明白にこの難問に取り組んだ作品は数少ないのではないでしょうか。その意味で黒澤監督が稀有な作家であることを証明する作品と言えるでしょう。小田切や小説家との出会い、さらには息子夫婦との関係の中で、主人公の老人が「生きる」までの心情を時間をかけて描き、見事に「ゴンドラの唄」に集約させていきます。冒頭では、胃のレントゲン写真にナレーションを付けて、物語のあらすじをほとんど教えてしまい、途中でまたしてもナレーションによって主人公の死を唐突に告げる大胆な構成。この構成によって、観客はこの老人の生き様をより客観的に見つめることになり、「生きる」というテーマを強制的に考えさせられるはめになります。市民課から始まって、公園課、ついには市会議員にまでに及び、最後にまた市民課に戻されるという、たらい回しのシーケンスの長さ、しつこさ、描写の上手さは、まさに出色の出来映え。さらに葬式の後、姿勢を改めたと思われた後任職員が舌の根も乾かぬうちに相も変わらずたらい回そうとする、この説得力。役人への強烈な批判とともに、真に「生きる」ことの難しさを巧みに指し示しています。ラストで、黒澤監督は子供たちの声を公園に響かせ、少しでも「生きる」ことができた老人へ賞賛を送ると同時に、あなたは「生きる」ことができますか、と静かに問いかけてきます。黒澤ヒューマニズムが最も如実に現れている傑作です。9点(2004-01-11 18:42:38)(良:2票)

6.  幕末太陽傳 《ネタバレ》 落語の「居残り左平次」を下敷きにした時代劇で、とてもテンポがいいです。短いショットを効果的に挟んで、場面の展開も早いし、台詞も軽快。左平次、こはる、おそめなどはもちろん、全ての登場人物のキャラクターが個性的に描かれているのでみんなちゃんとした存在感があります。人間の中にある強欲とか、思い込み、強がりといったものを喜劇として面白おかしく表現していて、映画を観てる側はそんな人間の弱さが自分の中にもあることを知りつつも、客観的に見せられると思わず笑ってしまう。でも、登場人物の中でこの人間の滑稽な弱さを客観的に見られるのは左平次だけなんですよね。ここが面白いです。しかも、左平次も胸を患っていて、要領よく立ち回るその裏で、時折、自分の死期を悟ったような台詞を吐く。この設定が実に川島監督らしく、笑いの中にこうした暗い影を描き出すことで作品の深みが増しています。9点(2003-10-31 00:06:40)(良:1票)

7.  羅生門(1950) 《ネタバレ》 傑作たるゆえんはやっぱりキャメラになると思います。鮮烈な光と影のコントラストの美しさもさることながら、森の中を走り回る三船の躍動感はまさにキャメラワークによってもたらされたものでしょう。特に終盤の森と三船の立ち回りは素晴らしい出来です。爽快さや格好良さとは無縁の立ち回りですが、刀を手に土の上を這いずり回る「必死さ」を見事に表現しています。9点(2003-10-14 23:19:46)

8.  どん底(1957) 言われたら言い返す、またやり返す。黙っているやつは出てこない。台詞のやり取りがとっても面白くて、リズミカルな言葉のアンサンブルに見事に引き込まれました。黒澤監督の演出力はもとより、役者の芝居のレベルの高さは一級品。個人的には、いわゆるマルチキャメラ撮影が、黒澤作品において一番効果を発揮している作品だと思います。9点(2003-10-14 21:10:13)

9.  死刑台のエレベーター(1958) 《ネタバレ》 ルイ・マル監督が25才で放ったデビュー作ですが、いきなりこの面白さですから、これはもう素晴らしいの一言です。映画史的にみれば、これはフィルムノワールの傑作とも言えます。ただ、このフィルムノワールの持つサスペンスフルな展開をベースに、都会的ラブストーリーを乗せたことで、次世代、ヌーベルバーグの香りが漂います。個人的には、フィルムノワール、つまりは犯罪映画というよりは、むしろラブストーリーとしての印象の方が強いです。その第一の要因が、全編にわたるマイルス・デイヴィスの甘いトランペットの旋律。次に、ファーストカットです。ジャンヌ・モローの大写から始まり、「愛してる」「愛してる」「君の声が頼りだ」「臆病なのね」「愛は臆病だよ」とくれば、これはもう完全に正真正銘のラブストーリー。そう、これは愛の物語。そして「愛は臆病」であって、それゆえに、愛ゆえの「完全」な犯罪などは到底不可能なのです。実のところ、この冒頭のシーケンスで、この物語の結末が暗に示されていると言っても過言ではないでしょう。若いカップルが車を盗んで、モーテルに駆け込むあたりはヌーベルバーグ。エレベーターという密室の圧迫感と、ラストで現像液から証拠写真が浮かび上がる様はフィルムノワール。そもそもヌーベルバーグと言っても、それこそ様々な古典から影響を受けまくった監督たちが多種多様の映画を生み出しているので、これがヌーベルバーグの草分け的作品であるという位置づけは、正直微妙なところだと思います。ただ、この映画が作成された時期が、フランス映画の一つの「流行」の転換期であったことをこのフィルムが教えてくれるのは確かでしょう。もちろん、こうした映画史的な位置づけ云々を別にしても、非常に完成度の高い、「面白い」映画であることは間違いないと思います。名作です。8点(2004-10-11 15:35:27)(良:1票)

10.  近松物語 個人的には長谷川一夫はあまり好きではないのですが、ここでの彼は別格です。もっとも、おさんを演じた香川京子はそれ以上。ラストの馬上での、あの堂々とした表情。あれはまさに「女の強さ」に他なりません。あまりにもいい顔をしているので感動しました。スタッフワークも素晴らしく、特に宮川一夫のキャメラは絶品。残念ながら、劇場でこの映画を観たのは一度きりですが、モノトーンのグレーの階調の細やかさには驚きました。「水墨画」の様にと言いますが、この映画の映像はまさにそれです。画調に関して言えば、大映時代の溝口作品は日本映画史におけるモノクロ映像の到達点なのかも知れません。 構図も「おさんと茂兵衛が結ばれるまでは、二人の間に障子や柱、襖などの縦の線を入れた」と宮川が語っている通り、脚本の流れに沿っていて実に的確です。意図は完全に達成されていると感じます。そもそもワンシーンワンカットというスタイルも、芝居の途切れを嫌ったことから多用したものであって、溝口監督のキャメラワークは常に芝居本意。キャメラが勝手に動くことなく、あくまでも芝居に合わせて動かす。キャメラワークにしても、構図にしても脚本に沿っているからこそ、印象に残ります。画と脚本が合ってないと、迫力がなくなったり、情緒が消え失せたりと、メチャクチャになってしまうのが映画ですから、その意味では、単に奇麗で美しい画作りではなく、キャメラワークや構図によって物語を巧みに語る溝口監督の映像はやっぱり超一流です。撮影設計のほとんど全てをまかされていたと言われる宮川の功績も多大。「画が整い過ぎている」と評されることもある本作ですが、それもどこかこの物語の抑制の効いた脚本自体に起因しているのではないでしょうか。ただ、ラストはおさんのクローズアップで終わらせて欲しかった、という思いもあります。往復移動を用いてキャメラが引いてしまいますが、『祇園の姉妹』のように極めて主観的な「大写」で終わらせても溝口監督らしくて、より感動できたような気がします。なにしろこれは「女の強さ」を描いた女の映画であって、主役はおさんなのですから。8点(2004-03-07 20:51:45)(良:2票)

11.  サンセット大通り チャールズ・ブラケットと共同でシナリオを書いていた頃の作品で、いわゆるラブコメディーの傑作群とは系譜が違います。映画界の内幕をパラマウント、20世紀、ザナックなどの実名を盛り込んで、セシル・B・デミルやキートンまでもが自身の役で出演しているとは驚きです。サイレント時代の大スターを演じたグロリア・スワンソンもはまり役で、彼女のグロテスクな存在感はハリウッドという映画社会の歪みを強烈に風刺しています。召し使いの男も同様で、この二人の狂気の様がハリウッドの象徴だとするならば、そこから出て脚本を書くこともできなければ、死んでもそこから抜け出せなかった売れない脚本家は、もともと脚本家から身を起こしたビリーワイルダー監督自身の投影でしょう。ラストシーンにおけるスワンソンの狂気迫るクローズアップには、映画界の恐さと共に、どうあがいても結局はハリウッドという奇妙な社会からは抜け出せない、という自身の覚悟が込められているのではないでしょうか。いずれにしても、忘れられない残像を残す強烈なラストカットです。8点(2004-01-25 03:33:28)(良:1票)

12.  雨月物語 《ネタバレ》 強欲に取り憑かれた男の姿と、そんな愚かしい男に尽くしていく女の姿を平行して描くことで、人間の業が浮き彫りになっています。特に、男を世に送り出す為に自分をぼろぼろに傷つけてまでも尽くしていく女性というテーマは溝口監督が終生描いてきたもので、本作もその系譜を代表する作品です。男の為にとことん自分を犠牲にする女性と言ってしまえば、女性の自立が著しい現在では、多少古くさい感じもしますが、逆を言えば、男の方が女性から自立できていないとも言えるわけで、こちらの方は現在でも十分通用するテーマではないかという気がします。亡霊となって現れる宮木のシークエンスや、とりわけラストで源十郎がふらつきながら外へ出たあとの宮木の墓を映す滑らかなショットは、いつまでも女性に取り憑かれるように離れられない、男の業を象徴するシーンとして心に残りました。宮川一夫のキャメラも秀逸で、湖上シーンも見事ですが、若狭と源十郎のからみで、岩風呂から溢れ出る湯の流れを移動でとらえて、オーバーラップしながらなだらかに草原の遠景に移るシーンは絶品です。朽木屋敷のセットも素晴らしく、当時の大映のスタッフのレベルの高さがうかがえます。8点(2004-01-17 01:41:33)(良:2票)

13.  東京物語 新しい家族を形成する過程の中で、旧家族が崩壊していくのは必然のこととは言え、そこには様々な感慨があってしかるべしです。旧家族を守ってきた人、新しい家族を守らなければならない人。もちろん、新しく形成された家族でさえもやがては崩壊していきます。愛情や憎悪といったものに関係なく、必然的に繰り返される別れ。この永久的に続くと思われる輪廻転生の流れを、父母が息子を訪ねるという場面に限定することで輪切りにし、家族を構成している一人一人の思いををわかりやすく提示しています。すべての人が家族と言う枠組みになんらかの形で取り込まれている以上、この物語は、観客の置かれている様々な立場によって、それぞれの視点を生み出し、不安、怒り、孤独感や連帯感、さらには死生観や無常観といったものまでを内包するボリュームのある作品になっています。もちろん、主人公はあくまでも旧家族を守ってきた老夫婦であり、家族は彼等との関係の中で描かれ、彼等に対する同情的な眼差しが全編にわたって存在しています。その意味で、「年を重ねないとわからない映画」という思いは、この映画には必ず付きまとうことになるでしょう。小津監督の俯瞰や移動を徹底的に排除した独特のローアングルによる画創りについては、語り尽くされた感がありますが、時折挟み込まれる静物画のような人物のいない静かなカット。いつもこれにやられてしまいます。 8点(2004-01-12 17:55:14)(良:1票)

14.  情婦 個人的には見事に術中にはまってしまいました。殺人事件の法廷もので、結末を2転3転させて驚かせようとするなら、シリアスで一辺倒になりそうなものですが、弁護士のおじさんのキャラクター描写が素晴らしく、コミカルな印象もふんだんに与えています。ビリーワイルダーっていうとラブコメディっていうイメージがありますが、一方で『サンセット大通り』なんかに代表されるようなシリアスな心理ドラマもうまいです。サスペンスという形を重視したことでこの作品はちょうどそれらの中間に位置しているように感じました。8点(2003-10-18 22:36:14)

15.  ジャイアンツ まず、ドラマの舞台をベネディクト一家という一つの家庭に限定しながらも、これを親子3代、実に壮大なスケールに仕立て上げた試みに拍手を送りたいと思います。とは言っても、これはなんというか、やはり失敗作なのかも知れません。まず、こうした大河ドラマの命とも言えるプロットですが、これが致命的に弱いような気がします。語りではなく、映像の切り変わりによって、スムーズに時の経過を知らしめるあたりは、実に映画的なのですが、何しろ長尺なので、この流れ一辺倒ではどうしても飽きがきてしまいます。回想などを多用して、時間軸を操作するなど、ある程度プロットに工夫が必要だったのではないでしょうか。時間を順送りせず、もう少し荒削りで乱暴な編集をしても面白かったと思います。どうにも単調すぎて入り込めず、途中、何度も単なる傍観者になってしまっている自分に気付きました。ドラマとしての盛り上がりも、もう一つといったところでしょうか。この映画が内包するテーマは実に多彩。恋愛、結婚、出産、教育、死別、貧困、差別、権力など。しかし、こうしたテーマは、結局のところ、全て「アメリカの光と影」という、一つのありふれたテーマへと集約されてしまっているような気がします。アメリカの精神を描いたベストセラー小説の映画化ですので、これが狙いなのかも知れませんが、人物描写の甘さという大きな犠牲を払ったことは否めません。テキサスという風土は見事に描写されているものの、それを強調するあまり、そこにいる登場人物の肉付けが強引過ぎ、リアリティが欠落してしまっています。風土の中に人間の個性が埋没してしまっては、ドラマとしては面白くないでしょう。唯一の救いがジェームズディーン。特に権力と酒に酔いしれ、そして飲まれてしまった男、ジェットの最後の演説は出色。ラズがジェットを「磨かれていないダイヤモンド」と賞する台詞がありますが、これはまさに演じたジェームズディーンそのものではなかったかと思います。彼の演じたジェットのみが、リアリティを持つことを許され、彼のみがその個性によってアメリカを語り得ました。そして彼は一人で「アメリカの光と影」を演じてしまった。その意味ではこの映画はまさにジェームズディーンの映画。彼がダイアモンドになった姿をスクリーンで観たかった。失敗作と思いつつもなぜか愛すべき映画の一つです。7点(2004-04-13 01:36:38)(良:1票)

16.  生きものの記録 精神病患者となってしまった老人を、家庭裁判所の男と老人の妾が見舞いに訪れるラストがとても素晴らしい。このシーケンスにこの物語の全てが集約されていると言っても過言ではないでしょう。妾の背に抱かれた赤ん坊の寝顔がほんとうに印象的で、「何も知らん赤ん坊を水爆なんぞに殺されてたまるか」と言う老人の台詞に素直に共感させられ、「狂っているのはあの老人なのか、それとも正気でいられる我々なのか」という最後の問いかけには思わず言葉に窮してしまいました。登場人物の中で、老人の理解者として印象づけられるのは、血縁関係にある妻や息子達ではなく、見舞いに訪れた家庭裁判所の男であり、妾という、いわば他人である人物です。実際、彼等の立場は非常に弱く、実に無力な存在として描かれ、黒澤監督は、ここに「正しきもの=無力」という図式を作り出し、社会に対する怒りとも言うべきメッセージを全面に打ち出しています。原水爆反対という社会的な大テーマを家族ドラマの中で訴えようとしたことでかなり無理が生じている部分もありますが、メッセージは徹底的に強く、娯楽は徹底的に面白くというように、作品のコンセプトがはっきりしているところが黒澤監督の魅力。作品の中でとことん突っ走ってしまう黒澤監督は良い意味でとても「不器用」な監督だと思います。これは娯楽大作でも同じだと思うのですが、実にわかりやすく明確なテーマを持って突っ走った本作は、特にその「不器用」さがまともにでている作品と言えるでしょう。原水爆というものに対する知識や理解については、現在では随分変わってきていると言えども、この映画で黒澤監督の発したメッセージはとても重要だと思いますし、強く共感できます。マルチキャメラ方式を採用した最初の作品であり、早坂文雄の遺作となった作品。ちなみに興行成績は黒澤作品中で最低らしく、こんなところもまた良かったりします。7点(2004-02-21 23:55:10)(良:1票)

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