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Web www.jtnews.jp

プロフィール
コメント数 73
性別 男性
自己紹介 映画をいっぱい観るようになったのは、大学生になってから。
映画を創作できること自体とてもすごいことだと思うので、
なるべく誠意のあるレビューを書こうと思っています。
好きな映画のレビューだけ書こうと思っていたのですが、
ちょっと個性が埋没してしまいそうなので、おいおい酷評も
入れちゃおう。

☆好きな監督☆

黒澤 明
山中貞雄
溝口健二
エルンスト・ルビッチ
フランク・キャプラ
ビリー・ワイルダー
アルフレッド・ヒッチコック
ミロス・フォアマン
チャン・イーモウ

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【製作年 : 2000年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
評価順1
投稿日付順1
変更日付順1

1.  下妻物語 これはなんとも困った映画です。だって面白いんだもん。でも、これは映画じゃなくて、漫画ですよね。カットが多過ぎる上に、カット割りが映画のそれとは違うし、この独特のモンタージュには多少戸惑いました。おまけに、何の躊躇もなく役者がキャメラ目線で観客に話しかけるという、こうゆう文法はとても苦手。アニメーションのインサートに違和感はありません。でも、正直に言うと、これもちょっと苦手。水野晴夫が登場するシーケンスでは僕も大爆笑。でも、このシーケンスは単なる「笑い」以外に奉仕しているものは何もないのではないでしょうか。映画における「笑い」とは、そこにウェットがあったり、反語的な意味が含まれていたり、あるいは人物の個性を表現したり、映画を色づけるもっと広意義なものでなくてはならないのではないでしょうか。つまり、このシーケンスはどこにも繋がらず、そして何も残してはくれない。これでは単なる「お笑い」です。僕が本当は傑作である本作を見誤っているのかも知れませんし、大事な部分を見逃しているのかも知れません。あるいは単にこの文法が体質に合わないのか。云々。確かに思いっきり笑わせてもらいましたので、それが狙いだと言われれば、これは納得するしか仕方がありません。そうゆう映画なんだと。そしてこれは才能なんだと。でもやっぱりこれでいいんだろうか?という疑問も脳裏をよぎります。笑えなかったら思いっきりブッタ斬るのもよかったのですが、僕は思いっきり笑ってしまいました。でも、なにか釈然としない。なんとも困った映画です。映画ってこれでいいのだろうかって言う意味において。斬新な映画とは、映画ではなくなることでは決して無いのです。素晴らしいお手本がいっぱいあるのにどうしてそれを真似しないのか。こうゆう映画はレビューなどせず、放置しておくべきとは思ったのですが。。。とりあえず、中途半端に4点ということで。。。ダメ?。おまえ思いっきり笑ってたじゃないかって?。やっぱダメか。。。じゃ、5点。これ以上は無理かなって気がします。5点(2004-12-26 22:43:24)(良:4票)

2.  いま、会いにゆきます 中村獅童。この人が大好きで大好きでしょうがなくて、劇場まで足を運びました。感動!感動!です。特に、ラスト近くで、「僕のせいでママは死んじゃったんでしょ?」という佑司君がつぶやくように語るこの言葉には、胸が締めつけられるような思いがし、涙を禁じえませんでした。悲劇の中に希望を描き出し、まさに心が洗われる、そんな感動作に仕上がっています。必見です。しかし、冷静になって考えてみれば、これは明らかに原作小説の力ということになりはしないでしょうか。本作に限らず、現在の純愛映画の流行は、原作小説の活気に引っ張られているような感があり、ゆえに、現在、話題を取っている純愛映画のほとんどが、原作重視の構えを崩せずにいるような気がします。「語り」が多い構成は、まさにその象徴で、これが演出家にとってもっとも無難な選択肢ということになるのでしょう。もちろん、原作の雰囲気を損なわないということも、これはなかなか容易なことではなく、本作においても、秋穂夫妻を演じた二人の抑制の利いたお芝居がなければ、原作の雰囲気がこれほどまでに継承されることはなかったと思います。原作が良ければ良いほど、原作に人気があればあるほど、映画でコケた時の派手さは目を覆わんばかりです。このリスクを考えれば、出来るだけ原作の雰囲気を損なわないという、小説主導型の無難な映画づくりからなかなか抜け出せないという状況はしばらく続きそうな予感です。ただ、そろそろ原作に映画作家独自の解釈を加えた「映画的」な作品を待望しても良い頃ではないかと思います。丹下左膳をコメディにして原作者の怒りをかったり、忠臣蔵を「女の物語」にするなどして、古典を冒涜したと言われた巨匠もいましたが、原作に解釈を加えて、独自の世界に観客を導くには、映画作家自体に固有の文体、作家性が必要になってきます。小説の魅力に頼り切りでは、結局のところ、この作家性の消滅に繋がりかねません。つまり、誰が撮っても同じという危惧を持たざるを得ないのです。これでは映画の娯楽性は保たれても、芸術性は消滅してしまいます。頑張れ、映画!小説に負けるな!。8点(2004-11-21 20:29:35)(良:2票)

3.  ヴァン・ヘルシング ヴァンパイアにフランケンシュタインということで、是非とも観ておきたい映画の一つでしたが、ある意味何やら非常に嫌な予感がする映画でもあったので、遅ればせながらやっと鑑賞の運びとなりました。結果としては、この嫌な予感が見事に的中。冒頭から効果音と音楽がひっきりなしに鳴り響き、あまりの仰々しさに思わず閉口してしまいました。テンションが上がったまま、上がりっ放しで、壊れちゃった映画です。映画は物語を自由に創作していくものなので、辻褄が合わないとかそうゆう部分を突っ込むのはあまり好きではありません。でもこの映画はそれいぜんにストーリーらしいストーリーがほとんどありません。つまるところ、食材は豪華なのに味が全くしない料理を食べているかのようです。こっちまで壊れそうでした。映画に入り込める一つの要素としては、この次一体どうなるんだろうとか、最後はどうなっちゃうのかな、といったモチベーションがある程度必要だと思いますが、この映画には「別にどうなってもいいや」としか思えないほどの薄っぺらなプロットしか存在していません。何しろ、全編ほとんど決闘、対決シーンなんですから。おかげで何度も途中退場を申し入れようとしましたが、結局、最後までこのけたたましい作品にお付き合いしました。そんなにこけおろすなら、最初から観るなと言われそうですが、ほんとその通りです。これは観るべきではなかった。選択した自分がダメダメ君だったとしか言い様がありません。というわけで、これはヴァンパイアとフランケンシュタインの味のないフルコース。もう少しで倒れそうでした。個人的にはあまりお勧めできない映画です。2点(2004-10-03 04:05:20)(良:1票)

4.  マッハ!!!!!!!! これ、ほんと面白かったです。自分ってこんなの好きなんだなーってつくづく思ってしまいました。もちろん、映画を創る上で、CGを駆使したり、ワイヤーを利用したり、早回しを使ったり、もしくはスタントマンなどを使うことは全然邪道だとは思いません。ですから、これらを禁じ手としたという事実自体は、この映画を評価する上で全く考慮する必要はないと思います。ただ、小津が「俯瞰」や「移動」を自らの禁じ手としたように、作家の個性とは、自らに禁じ手を多く課せば課すほど明確になってくるものではないでしょうか。あるいはルビッチが猥褻表現の規制をかわすために独特のユーモア表現を生み出したように、作家性とは自由からではなく、むしろ不自由さの中から滲み出てくる個性のようなものでしょう。クラシカルな映画において巧みな映像表現が数多くみられるのも、今ほど映像技術が発達していなかった「恩恵」であるという見方も可能でしょう。そう考えると、幸か不幸か、この映画には強引に課せられたこの不自由さが存在していて、明らかに他のアクション映画とは違った個性を映像にもたらすという効用を生んでいます。個人的にお気に入りなのがカーチェイスのシーケンスです。この生々しさは、まさに不自由さの「恩恵」。スローモーションはちょっとわざとらしいのですが、観たことも無い「新鮮」なアクションシーンはまさに圧巻です。ただ、このトニー・ジャーという男。コメディーのセンスが。。。。ない!プロットがプロットだけにこの路線で行くならどうしてもコメディーセンスは必要でしょう。そうでないときっと「飽き」という、作家として最大の難敵にぶち当たるような気がしてなりません。7点(2004-09-20 18:04:10)(良:4票)

5.  デイ・アフター・トゥモロー 《ネタバレ》 いやはや、エメリッヒ監督の愛国心にはさすがに頭が下がります。これは「アメリカ人のアメリカ人によるアメリカ人のための映画」と言い切ってしまってもいいのではないでしょうか。この映画の骨格を成しているのは地球温暖化?環境問題?それとも父子の親子愛か?いやいや、どうも違うような。。。そうではなくて、この映画の主題はまさに孤立してく現代アメリカへの警告でしょう。襲いくる大津波や凍りついていく大地。そして約束を果たさんとする父の勇姿と息子の信頼。これらのスリルや感動は見事なアミューズメント。でも、こうした「前振り」を楽しんでしまったあとに残るのは、国境を越えて南の国に逃れる「おごれる北の人々」の無惨な画であり、見事に北半球だけ凍り付いた地球の姿です。エメリッヒ監督は、この「おごれる北の人々」に警告を発すると同時に、世界の中で孤立していきそうな現在のアメリカの姿をここに提示しているのでしょう。しかも、大統領がいとも簡単に消されてしまうプロットに至っては、まさにこの憂いがアメリカ人の民意なのだと言いたげです。そして、ラストシーケンスでは「アメリカは孤立しない」という無邪気でストレートな物言い。CGは世界最高峰で文句なし、その意味ではハリウッド大作なのですが、このエメリッヒという人、あくまでも「庶民派」の監督さん、いつもアメリカの民衆の味方なのです。「アメリカ万歳」でいいじゃない。日本も「日本万歳」の映画をもっと作ったらいいのです。7点(2004-07-05 23:16:45)(良:1票)

6.  座頭市(2003) 驚いたのは色彩です。「銀のこし」処理なのか、デジタル補正なのか解りませんが、ここまで色を落とす必要はなかったのではないでしょうか。これは好みの問題なのかもしれませんが、本作の作風からすればもっと色を強調してやった方が絶対によかったと思います。プロットはまずまず。相変わらず行き当たりばったりの即興的なストーリーであることは明白なのですが、これがなかなか面白くて、結構楽しめました。これはもう完全に北野監督の持ち味。ご都合主義的なお話で、3段落ち、いやラストカットまで含めれば4段落ちの結末ですが、エンターテイメントとしては十分成功しているように思います。もちろん勝新の座頭市とは全くの別物。もっとも同じ勝新の座頭市でも大映シリーズと後の座頭市(89)では、すでに趣を異にしていますので、勝新だってこれくらいは許してくれるはずです。タカの剣術稽古のシーケンスは大爆笑。TVドラマなどの時代劇で見られる殺陣の形式主義を見事に皮肉っていますね。言ってみれば、お約束的な笑いなのですが、わかっていても思わず吹き出してしまう笑いの数々。流石です。タップシーンも圧巻。ただ、これらを「斬新」と評するのはちょっと早計のような気がします。すでに戦前においても、伊丹万作、山中貞雄などが時代劇にこうしたユーモアをちりばめた傑作を残していますし、マキノの時代劇『鴛鴦歌合戦』(39)に至っては完全にミュージカルです。これを初見した時の驚きに比べれば斬新という印象はやっぱり薄いです。この映画に対する斬新という形容詞は現在のTVドラマの時代劇に対して当てはまるものであって、映画史的にみれば、決して斬新なものではないのではないでしょうか。伊丹万作、山中貞雄、稲垣浩らの残した傑作時代劇。TVドラマはいざ知らず、映画史的に見れば、これこそ斬新な時代劇だと思うのです。一方ではリアリティを求め、他方ではそんなものは切り捨てる。そして、あらゆるものを詰め込もうとしたこの映画に漂う妙なアンバランスさは、決して観客に対する迎合(サービス)のみに起因するものではないでしょう。勝新の座頭市からは逃れることはできても、北野監督は、日本の伝統的な時代劇の枠組みからは決して逃れることはしなかった。これは斬新な時代劇などではなく、北野監督が愛した先人へオマージュの塊が生み出した映画でしょう。何しろ、北野監督は時代劇の大ファンなのですから。7点(2004-04-17 01:28:28)(良:2票)

7.  ノー・マンズ・ランド(2001) 戦争映画は数あれど、なかなか独特のアプローチで興味深い作品です。実際の戦争には「英雄」は確かに存在すると思いますが、映画にする際には、この「英雄」の取り扱いには極めて注意が必要。一部のプロパガンダを除いては、戦争映画=反戦映画ですが、この「英雄」の取り扱いを一歩間違えると、戦争映画が反戦の意を示さないという危険を孕みます。それならば、むしろ「英雄」などは描かない方がよいのかも知れません。実際、この映画には「英雄」は存在しない。愛情や友情などの人間の情をねじ曲げてしまう戦争。そんな中で、彼等の死は、全く無意味で、滑稽で、馬鹿げていて、惨じめに映ります。きっと理解し合えたはずの人間同士が殺し合わなければならず、地雷を背に、身動きすることも許されないまま見捨てられていく弱き兵士。生々しい残酷な描写。こんな死に方はしたくない。こんな場所には行きたくない。絶対にいやだ。国の為であろうが、なんであろうが戦争には行きたくない。そんな思いが強烈に込み上げてきます。この戦場への嫌悪感こそ反戦映画の命であることをつくづく思わされます。「正義の為の戦争なんてない」というこの姿勢こそ真の反戦映画。「英雄」の苦悩をドラマにするのもいいのですが、戦争の存在自体を真向から否定したこのアプローチは秀逸だと思います。8点(2004-03-13 00:24:45)

8.  HERO(2002) 《ネタバレ》 偽りの証言を繰り返しながら、20歩、10歩と徐々に秦王に近付いていく剣士。否応にも緊張感が高まりそうな見事な設定ですが、ここでスリルやサスペンスを追い求めることに固執しなかったところがいかにもチャンイーモウ監督らしい。と言うよりも、これらの設定は単なる「おとり」で、この映画で彼が求めたのはスリルやサスペンスではなく、彼本来の人間ドラマでしょう。さらに言ってしまえば、この映画では、アクションまでもがイメージとも言うべき印象の集合体と化しています。ワイヤーに吊るされているのは人ではなく、人の魂。血もなく、あくまでも優雅で圧倒的な映像美をもって示される決闘シーンは、感情の衝突や心のふれ合いなどが印象として現れた人間ドラマそのもの。人工的に作り出された情景がまるで絵画のような情緒をもたらしますが、ラストで剣士が手厚く葬られている様は強いインパクトを残します。アクションでもスリルでもサスペンスでもない、骨の太い人間ドラマこそ、この映画の真髄でしょう。7点(2004-02-11 00:57:28)

9.  アマデウス ディレクターズカット 《ネタバレ》 ディレクターズカット版は、つい最近になってDVDで鑑賞しました。追加されたのはモーツアルトが弟子を取れなかったことを暗示する場面と、コンスタンツエがサリエリに嫌がらせを受ける場面です。モーツアルトが弟子を取れなかった理由を暗示させる場面はともかく、コンスタンツエがサリエリに嫌がらせを受ける場面は、ラストにつながる非常に重要なシーケンスではないでしょうか。なぜ、ここをカットしなければならなかったのか。ヌードになるという表現の俗っぽさは気になりますが、それを踏まえてもこのシーケンスのもつ意味は大きいような気がします。商業主義を否定するつもりは全くありませんし、3時間を超える映画ともなると及び腰になるのも確かでしょう。さらに、それではどこをカットすればよいのかという質問には言葉を窮してしまうので、これぐらいにしておきますが、ちょっと驚いたというのが正直な感想です。出来れば最初からこちらを見せてほしかった。ディレクターズカット版はオリジナル版を上回る傑作だと思います。9点(2004-01-13 00:10:53)

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