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プロフィール |
コメント数 |
31 |
性別 |
男性 |
ホームページ |
http://ouiaojg8.blog56.fc2.com/ |
自己紹介 |
某光学メーカーの宣伝部に所属 通勤の地下鉄の中で、ポータブルDVDプレイヤーで映画鑑賞し、モバイルPCでレビューを作成。全てを通勤の地下鉄内で実施しております 。
在学中に制作した 「LAST FESTA」 という名の8mm映画が ’84 ぴあ・フィルム・フェスティバルに入選。 映像作家を夢見て 3年ほど映像の現場に、根性無しの性根が露呈して途中断念。 方向転換して レディースファッションの宣伝部に、その後、専門学校の広報部に、そして今、光学メーカーの宣伝部におります。
1000文字の限度内ではではどうしても、映画に対する思いを伝えにくく、こちらには一言感想のみに控えさせていただきます。
↓ 正式HPはこちら、長文の完成版はこちらにあります。どうぞお立ち寄り下さいませ!
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1. ショーシャンクの空に
《ネタバレ》 刑務所限定の、非常に特徴的な“ピンポイント大河ドラマ”となってい
ました。空間的な広がりを<横展開>、時間の推移を<縦方向>
として、映画を敢えて彫刻のような「立体物」として捉えてみる
と、この特異性が明確になります。
この映画は、面積や距離という<横展開>が全く期待できない刑
務所という“点”が、20年という長い時間軸を<縦方向>に移動
した結果生成される、“針のように細長い”実に奇妙な“カタチ”
をしているのです。この極細な外観を形成する「刑務所の壁」
が、結果的には「経験」という人間の内面的な広がりをも否定し
てしまう悲劇に、強く心を動かされました。「刑務所の壁」は長
期の隔離により、“娑婆(シャバ)”での常識(日常慣習・対人関係・
社会システム)を脳内から一掃し、刑務所だけでしか通用しない
「非日常的で非常識的な常識」に囚われた、“廃人”を量産していたのです。仮釈放者の人生は、この映画と同じ脆弱な極細形状を
成し、彼らの消え入りそうな存在感は、高層の針(極細の<縦方
向>)のテッペンで、爆発的に膨張する<横展開>(“娑婆”で
の常識)という重い十字架を背負い、危なげなバランスを取る道
化師になぞらえます。偏見・差別・疎外感という強風により、今
にも転落しそうな情況にあったのです。
(ロープを首に巻き付け、極細の人生から飛び降りたブルックス
という存在もいました...。)
主人公達が目指す場所はこの危険なアメリカ社会ではなく、“記
憶の無い海”なのです。“娑婆”の致命的な点は、刑務所での偏
重した極細の<縦方向>が、危険な“位置エネルギー”へと転換されることですから、「記憶の無い→過去が問われない→時間軸<
縦方向>の極細形状がリセットされる」と解釈するならば、“記
憶の無い海”は彼らの危機状況を構造的に是正できる、聖なる場所
だったのです。
ラスト近く、この映画の全貌が、実は極細ではなかったことに驚
愕します。極細の<縦方向>から、直角に横方向に伸びる、見す
ぼらしく、しかしながら強い意志を持つ“抜け穴”が水面下で形
成されていたのです。それは一瞬だけアメリカ社会に通じ、遥か
“記憶の無い海”へと直結。
穏やかに広がる<横展開>と豊かに熟する<縦方向>。
忌まわしき過去を払拭するべく、今、人生がこの海から再生して
いくのです。7点(2004-03-28 00:39:09)(良:2票) 《改行有》
2. ブラス!
《ネタバレ》 ブラスバンドが、あの街・あの共同体にとって、何らかの前向きな感情を与える
「求心力」に昇華して欲しかったと強く思いました。
一瞬そのような雰囲気にもなるのですが、監督の自制が良く効いており、
感情の発露は望むべくもありませんでした。
「優勝・恋愛・家族の再生」という晴れがましい表面上の結末と、
「炭鉱閉鎖・集団失業」という絶望的な境遇。この落差が、「痛い」映画となっていたのでした。
ロンドンの街をオープンバス(?)に乗って「威風堂々」を演奏するラストに至っては、
まるで「威風堂々」がこれから始まるコミュニティ解体の葬送行進曲のように、
オープンバスが経済的破綻の末の「巨大な共同棺桶」のように思えてなりませんでした。
先日、「三井三池炭鉱」の廃坑以後を丹念に追いかけた写真展に行ってきました。
炭鉱という、たった一つの産業が崩壊した点で、「ブラス!」のあの街と同じであり、
いわば「ブラス!」以降のあの街を擬似体験してきたわけです。
写真展に、こんな作品がありました。
「見晴らしの良い丘にたつ墓地。その背景に広がる大規模工場。」
工場はかつて、全面的に石炭に依存し、その供給を支えたのがこの墓地に眠る人々だったのでしょう。
無情にもシステムを乗り換えた工場は今なお稼動し、片や時代遅れの墓がポツンと置き去られている。
写真家はこんなコメントを残しています。
「炭鉱で繁栄していたことを恥じるように、この街は死んでいった。炭鉱で働いていた過去を
消し去るがごとく、人々は姿を消した」。
そうなのです。「ブラス!」の街は「三井三池」の街と同じく、社会的インフラを剥奪され、
人的コミュニケーションも崩壊し、経験や感情が継承されない「共同体の廃墟」へと
朽ち果てていくことになるのです。(その象徴的な存在として「忘却された墓」が僕の脳みそを
直撃したのでした。)
このコミュニティ解体による惨状を写真家は凄まじい執着で訴えかけてきます。
そう。彼もこの街で生まれ、多感な少年時代を過ごし、出ていった一人だったのです。
「ブラス!」と「三井三池」。九州とヨークシャー。時空を超えて感情が「バチバチ」とリンクした。
《遠く離れた地で、少年たちはこの「街」を思い出すことがあるのだろうか?
ダニーが「眠る」墓は、はたしてどんな風景を見おろすことになるのであろうか......。》 6点(2003-11-13 00:35:10)(良:2票) 《改行有》
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