みんなのシネマレビュー |
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1. リゾートバイト 《ネタバレ》 (映画の感想と直接関係ない話から)私はここ数年往復90分のマイカー通勤をしています。運転のお供は主にラジオ番組で「深夜の馬鹿力」と「日曜天国」が不動のレギュラーメンバー。懐かしの「パペポTV」や落語に漫才、カルチャー講演、討論番組などもよく聴きます。私の意識が高ければ持て余す移動時間を自己研鑽に充て、今頃英語のリスニングが完璧なはずですが誠に残念な話です。で、都市伝説やホラー系のプログラムも時々聴きます。某動画サイトに沢山上がっている中からチョイス。しかし人気のプログラムであっても面白い(怖い)とは限りません。というより体感7割ハズレです。「なんだそりゃ。オチ酷いな」の多いこと。「ノンフィクションだから仕方がない」かもしれませんが(ホントに?)、「話芸」あるいは「エンターテイメントとしてのホラー」を欲する私からすると、ひどく物足りないのです。然るに懲りることなくホラーを聴き続けるのは「思考や心を消費しない手軽なコンテンツであること」が主な理由。そういう意味では出来が良いホラーばかりだと視聴頻度は下がるでしょう。仕事前に精神的なスタミナは削りたくないですし、仕事後は疲労困憊で重たいものは受け付けません。ホラー映画を観る理由も同じ。ですから私のレビューにB級ホラー率が高い時は「ああ疲れているな」と思ってください。大体いつも疲れていますね。すみません。前置きが長くなりました。本作の元ネタも通勤中に聴いたエピソードと記憶しています。2chのまとめサイト系の配信だった気がしますが忘れました(かっぱ堰さん、いつも作品の丁寧な背景補足感謝です!)。でも何となく覚えているだけで十分アタリの部類。「八尺様」はキャラクターとして魅力的ですし、悪ふざけが過ぎますが何ら問題ありません。如何にも2ch発の与太話らしい軽薄さ(作り込みの粗さやリアリティ不足)は、気楽に観られるという点ではプラス査定です。B級にはB級の価値があると。例えば『ゴッドファーザー』は傑作ですが、あんな重たい映画を迂闊に観ようものなら3日は寝込んでしまうでしょう。「見応え」は正義ですが「諸刃の剣」でもあります。その点、本作は片刃のバターナイフ。切れ味は皆無ですが、ちゃんと価値はあります。どちらが優れているか比べるなんて意味ないですよね。 最後にキャスティングについて。昭和時代の芸能界と比べるとタレントに付すキャッチフレーズ文化は下火となった印象ですが、それでも「肩書」は依然として重宝されています。「元メダリスト」「元日本代表」の何と多いことか。「元〇〇」は権威であると同時に「素性」を端的に伝えるのに便利です。本作の主演を務めた伊原六花さんの場合は「バブリーダンスで名を馳せた登美丘高校ダンス部元キャプテン」。何も無いよりあった方がいいのは間違いありませんが、この肩書きから伝わるのは「ダンスが上手いんだろうな」くらいのもの。正直、世間を釣る「フック」としては小さいし弱いです。然るに彼女が映画主演を掴むに至ったのは「人並み外れたバイタリティ」によるものと推測します。多分彼女はNG無しでは?私が目にしたバラエティではいつも爪痕を残す活躍を見せていました。その貪欲さが俳優に必要なスキルなのかは分かりませんが、素直にすごいと思いますし尊敬もします。能力パラメーター「ルックス」や「演技力」がそこそこでも「ガッツ」だけ飛び抜けているとか滅茶苦茶痺れるんですが(失礼しました。でも最大級に真剣に褒めています)。将来、唯一無二の個性を持った俳優さんになってくれたら嬉しいなと密かに期待しています。[インターネット(邦画)] 6点(2025-03-15 17:28:24)(良:1票) 2. レディ加賀 《ネタバレ》 本タイトルの元ネタは奇抜な衣装でお馴染みアメリカの歌姫「レディー・ガガ」ではなく、日本の加賀温泉郷の観光PRユニット「レディー・カガ」のほう。平成23年発足で今なお継続している息の長い活動であり、私も当時ニューストピックを目にした記憶があります。もちろん「レディー・カガ」の元ネタは「レディー・ガガ」ですから、本作はいわばレディー・ガガの“孫オマージュ”作品、通称「マゴマージュ」ということになります。嘘です。そんな言葉ありません。 本作は「レディー・カガ」プロジェクトに着想を得たオリジナル脚本であり、夢破れたヒロインの再出発を描いた物語・・・と自分で書いておきながら、本当にそうかな?という気がしています。主人公は完全にタップダンサーになる夢を諦めたのでしょうか。女将業に本腰を入れるのでしょうか。イベント終演後の姿は描かれませんが、彼女は再びタップの道へ戻る気がしてなりません。主役としてスポットライトを浴びる快感は、消えかけた夢の火種を再燃させるのに十分な熱量と推測します。女将修行で得た経験はタップダンスでも活かされるでしょう。ただ失礼ながら、彼女がタップで成功するとは思えません。理由は単純です。技量不足だから。 「そんなこと言ったってしょうがないじゃないか」とえなり君なら言いそうですが、肝心のタップシーンが迫力不足だったのは否めません。特に主人公のソロパート。エンターテイメントショウはパフォーマンスの品質確保が生命線です。吹き替え、CG、各種演出。どんな手段を使っても構いませんが、観客を魅了してください。その観点で、明確に物足りないです。「手っ取り早く」「それらしい形になる」「あまり扱ってない題材」というコスパの良さで「タップダンス」に白羽の矢が立った気がしますが、気のせいですか。劇中では素人集団が僅か2週間の練習でステージに立つ設定でした。これは流石にタップを舐め過ぎでは。舐めてよいのは「飴玉」と「女王様のハイヒール」と相場が決まっています。トラブル続出なのに断行されたイベントについても、運営サイド(裏方)の労力を軽視しているようで気分が良いものではありません。少々キツイ言い方ですが総じてアプローチが軽薄なのです。軽くて薄いのが好まれるのはノートパソコンとたい焼きの皮と相場が決まっています。ちなみに主人公のタップ挫折理由として「心の弱さ」が指摘されていました。否定はしませんが気持ち次第でどうにかなる世界ではないとも思います。気持ちはあって当然。その上で「努力」「才能」「運」が試されるのがエンターテイメントの厳しい世界。もちろん『旅館の女将』だって同じ。この物語で描くべきは、己が人生に向き合う「覚悟」であったと感じます。彼女が選ぶ未来は「タップダンサー」か、はたまた「旅館の女将」か。どちらであっても素晴らしいですが茨の道です。私は彼女の「覚悟」が見たかったのです。 「成功して素晴らしい」は理想ですが実際問題なかなか大変です。ですから「覚悟を持って挑んだから悔いはない」が人生の行動指針としておススメ。なんて偉そうに講釈を垂れていますが、実践するのが難しいのは百も承知です。流されるままに生きてきた自身に問いかけると、まるで中世の拷問具にでも入れられた心地になります。「鋼鉄の処女」っていうんですか、あれ。名誉童貞が何言ってんだって話ですけども。[インターネット(邦画)] 5点(2025-03-13 00:55:12) 3. 翔んで埼玉 〜琵琶湖より愛をこめて〜 《ネタバレ》 前作を結構楽しめた私でさえ、本作のノリ(笑い)を掴むまでに相当時間がかかりました。ゆりあんの『チャーリーとチョコレート工場』を眺めている頃は心ここに在らずだった気がします。シリーズ初体験だったらと想像すると震えますね苦笑。 基本的に笑いは「慣れ」あるいは「訓練」と考えます。笑うために時に難解な「おもしろ」信号と自身の感性を瞬時にチューニングしなくてはいけません。そういう意味で「周波数」がすでに周知認知されている露出の高い芸人やベテランの方がウケ易いと言えます。なお、ご承知のように、おもしろ信号の賞味期限は短いです。強烈な刺激ほどその傾向が顕著かと。いわゆる一発屋と呼ばれる芸がこれに該当します。この前提をもとに本作の笑いについて考えてみました。 一見派手派手な高刺激で一発屋タイプに見えますが、本質的には「あるある」「郷土自虐」であり馴染みある典型ネタです。チューニングはし易いはず。前作鑑賞済みなら尚更のこと。しかし刺激過多のパッケージに惑わされ同調がままなりません。関西の空気感を理解していないことも困惑に輪を掛けました。表層部に阻まれ肝心の中身に辿りつけない感覚とでも申しましょうか。辛すぎて味が分からない激辛カレーが如し。激辛カレーは辛さに慣れていくうちに旨味に気づけるようになりますが、辛過ぎるとその前に脱落します。おそらく本作も同じ。本シリーズの旨味を知っている私でも脱落しかけました。ですからシリーズ初見の方はさぞご苦労されたと思います。関西在住経験がなければもっと大変。たぶん初見より2度目、3度目の方が楽しめる映画ですが、一般的に映画は一度観れば終わりです。よほど満足しない限り2周目はありません。本作の場合、そこまでの魅力(パワー)は無いかもしれません。これが本作のウィークポイントと考えます。 首都圏、関西ときて、次があるなら九州あるいは東北でしょうか。地元を舞台にしてくれるなら勿論有難いし嬉しいですが、共感のパイが小さくなると商業的に厳しくなるのは間違いありません。なので多分シリーズは終了でしょう。これだけの豪華メンツが正月テレビバラエティの定番だった「かくし芸大会」さながらに、ハツラツと演じてくれるのはとても贅沢で大好きだったのですが仕方ありません。たまに観返して気軽に笑うにはとても良い映画シリーズだと思います。[地上波(邦画)] 6点(2025-02-23 18:12:14)(良:1票) 《改行有》 4. まともじゃないのは君も一緒 《ネタバレ》 完全に「してやられ」ました。ミステリーではありませんが「ちょっとした仕掛け」が施されています。未見の方は下調べせずにご覧ください。良いラブコメですよ。 以下ネタバレ含みますのでご注意ください。 予備校講師と女子高生が主役のラブコメ。とはいえ2人が最終的に結ばれる結末は考えられません。そもそも受験生が勉強しないで何やってんだって話ですし、講師が生徒に手を出したらクビ。成人男性が女子高生に手を出しもアウツです。その点、実業家(小泉幸太郎)は心得ていましたね。クズですが危機管理能力はありました。『高校教師』のような破滅ドラマならいざ知らず、ラブコメは基本的にハッピーでなくてはいけません。みんなから応援、祝福されてナンボの世界。ですからラブストーリーとしての本筋は、予備校講師と実業家フィアンセが結ばれるものとばかり思っていました。女子高生にはお気の毒ですが、ほろ苦い失恋を思い出に変えて前を向くと。でもこれが大外れ。ラブストーリーの定石(定跡)どおり主役2人がくっつきました。これには娘を持つお父さん的には怒り心頭なのであります。 ところが最終盤にきて種明かしあり。女子高生はJKにあらず。20歳を超えた成人女性でした。なんとさりげないミスリードでしょう。まんまと「女子高生」だと思い込まされました。これには振り上げたこぶしをどうしたらよいか。私には五木ひろしのモノマネで誤魔化すくらいしか思いつきません。実業家も指摘していたように、成人男性が恋愛対象にできる(世間的に許される)「若い女性」の定義はシビアです。「女子高生以下なら問答無用でお縄」【越えられない壁】「大学生や10代社会人はケースバイケース」「20歳以上の社会人ならご自由に」でしょうか。当然2人の年齢差も関係してきます。お父さん的には年齢関係なく扶養家族であるうちは物申したいですが、まあ相手次第です。予備校講師の立場で生徒に手を出したならば、そいつが成田凌だろうが前澤社長であろうが容赦しませんが、本ケースではキスはおろか手さえ繋いでいません。このような現状で惹かれ合う2人を引き裂く理屈を私は持ち合わせていません。くう〜。という訳でどうぞ「お友達」から始めてください。もちろん大学卒業後に、ですが。 それにしても清原果耶が素晴らしい。私はももクロメンバーが出演していた『マッサン』と『べっぴんさん』以外の朝ドラは観ていないので、彼女をちゃんと認識したのは『霊媒探偵・城塚翡翠』からですが「賢い役」が本当に上手いです。美人で賢い。おまけに歌も上手いって無敵じゃないですか。もしかして完璧すぎるのでしょうか。よく分かりませんが爆売れしていない現状が不思議でなりません。[インターネット(邦画)] 8点(2025-02-01 17:24:01)《改行有》 5. ロストケア 《ネタバレ》 クリスチャンでもないのに聖書を読み漁る意味は「救われたい」以外にありません。キリスト教の黄金律「あなたが人にしてもらいたいと思うことを人にしてあげなさい」この一文を斯波が聖書の中で見つけた時の心情は如何ばかりでしょう。自身の罪を正当化する「救い」の可能性を感じたはずです。 ここで斯波が犯した原罪「父殺し」を黄金律に照らしてみます。「あなた=斯波」にした場合。「父に死んでほしいので自分で父を殺しました」あれ?黄金律に当てはまりません。では「あなた=父親」にしたらどうでしょう。「もう楽になりたかった。だから息子に殺してもらった」こちらも黄金律ではありません。そう黄金律で「父殺し」は正当化されません。そこで斯波は考えたのです。黄金律で「自らを救う」方法を。それが「黄金律を実践する」でした。「天命をうけた」とはこのこと。斯波自身の経験(心情)を黄金律にあてはめ、要介護者を殺すことで介護に苦しむ家族を救っていく。家族が介護から解放され「良かった」と世間で認められた時、はじめて彼の「父殺し」も正当化されます。ですから一人や二人ではなく出来るだけ多くの事例を用意する必要がありました。遺族の心境を確認するために積極的に葬儀に出席しました。この斯波の「身勝手な犯行」は「介護で苦しむ家族にとってはまさに救い」でありました。目的はどうあれ、斯波の行為は問題解決方法として「芯を食っていた」わけです。介護の大変さは、経験者は勿論のこと、未経験者でも想像に難くありません。これが斯波を安易に断罪できない理由であり、善悪の判断を惑わせる最大の要因です。 問題が複雑な時は出来るだけ単純化することが肝要と考えます。本事件の骨子をみれば「自身の犯した罪を正当化するために別の罪を重ねた」になるのでは。どうですか。こう書くと斯波に同情する余地など無くなりませんか。特にキリスト教黄金律を持ち出し、実に41人を殺めたことは大罪です。おそらく法廷で遺族から「人殺し!」と罵られたのは相当堪えたはずです。自身の行為が介護家族を救っていなかったら「父殺し」も正当化できなくなってしまいます。大体において「良かれと思って」は「勘違い」か「自己満足」と相場が決まっているのですが。 もっとも法廷で叫んだ女性が本心を口にしているとは限りません。彼女が重介護から解放されたのは事実であり、彼女自身も当初感謝の言葉を口にしていました。でも実は殺されたと知ってしまった以上、父の死に安堵した自分は酷い人間に思えてしまう。だから彼女は自身の良心を守るため斯波を非難したのでしょう。また一方、斯波の犯行を知ってもなお「救われた」と感じる女性もいました。新しい人生を踏み出せたのは斯波のおかげ。多分どちらの感覚も間違っていません。長期に渡る重介護は人の心を病ませ狂わせます。この世で一番幸せな言葉が「ぴんぴんころり」なのは間違いありません。 なお斯波に同情の余地なしと書きましたが「父殺し」については違います。刑法的には「嘱託殺人」だそうですが私には「正当防衛」としか思えません。あの状況での父殺しを罪に問うのはあまりに酷な話。でも悪法でも法は法です。ですから検事にはプロとして自身の感情を押し殺し、斯波に粛々と対峙して欲しかったと感じます。事件の背後に横たわる社会問題に対してどう対処するか。大きな変革の原動力となるのは、同情ではなく怒りであると考えます。[インターネット(邦画)] 7点(2025-01-28 19:53:24)(良:1票) 《改行有》 6. 蛇の道(2024) 《ネタバレ》 (1998年のオリジナル版の感想から続く)オリジナルの感想を踏襲するなら本作を料理、当然「フランス料理」に喩える流れですが、フレンチもイタリアンもざっくり「洋食」にしか括れない庶民ゆえ頓珍漢ご容赦ください。 セルフリメイクである本作。舞台をフランスに変え、新島の性別職業を変更しています。オリジナルを「フグの塩丸焼き」とするなら、本作は「フグのポワレ」といったところでしょうか(ポワレってどんな料理でしたっけ?)。これはこれで悪いとは言いませんが、オリジナルという「正解例」を知っている以上「物足りなさ」は否めません。胸糞は「アク」なので不要ですが、不条理は「苦み」「エグ味」であると同時に「旨味」でもあります。観客に配慮するあまり黒沢映画の味まで失っては本末転倒な気がしました。そう本リメイクのキーワードは「配慮」です。その最たるポイントが舞台をフランスに移したことでしょう。登場人物がまるで「無味無臭」でした。設定(背景)を知っているから「そのつもりで観る」だけで、彼らの言動で感情は揺さぶられません。これは被害者も加害者も同じ。役者の技量の問題というより、もっと根本的な部分で「コミュニケーションの壁」を感じました。 映画レビューサイトでドラマの話をして恐縮ですが、今期『ホットスポット』というTVドラマがあります。バカリズム脚本。市川実日子と東京03角田の掛け合いをみると「日本人にしか伝わらないだろうな」と痛感するのです。例えば100%言っている「言ってません」。表情、口調、仕草、間。各種情報が瞬時に真相を伝えます。これを「機微」と呼ぶのでしょう。演技力は勿論のこと、カメラワークや演出が素晴らしいのは大前提ですが、心情を受け取る側にも技量が求められます。といっても日本人なら普通に身に着けているスキル。こう書くと「差別」云々言われそうですが、そんなつもりは毛頭ありません。単純に「慣れ」や「経験」の話。ひよこの雌雄鑑定が素人には無理ですよと同じ。外国人でも長年日本で暮らしていれば機微を感じ取れるでしょうし、日本人でも子どもでは無理です。舞台をフランスに移した理由も多分これかと。外国人俳優を起用することで「わざわざ感情を伝わり難くした」。胸糞ぶりは最高峰クラスの物語。直撃すると心がやられます。設定や表現同様、人物に配慮を加え「観易くした」と感じます。それはエンターテイメントとして正しい姿勢でしょう。ただし匙加減は間違えました。カレーから重要なスパイスを抜いたような。あれ全然フランス料理の喩えじゃないですね。 さらに補足するなら「夫婦」の視点を付加したこともセルフリメイクの意義と感じます。オリジナルは「父親」の話。「母親」は欠片も出てきません。その「不手際」を補い「夫婦」の話に落とし込んだのは流石だと思います。新島最後の台詞が「監督が一番言わせたかったこと」では。採点は6点。オリジナルは7点なので1点しか違いませんが、胸糞マイナスの8点満点中の7点に対し、本作は10点満で6点です。点数以上に満足度には差があります。[インターネット(字幕)] 6点(2025-01-23 18:14:36)《改行有》 7. 蛇の道(1998) 《ネタバレ》 韓国映画で如何にもありそうなお話。ないですか?観たことある気がしますが。ただし韓国映画ならばもっと「どぎつい」はずです。キムチ味?ヤンニョム味?どう喩えたらよいか迷いますが、いずれにせよ胸焼け必至。あるいは園子温監督の作風に同じ。その点本作は和食でした。というより味付けは最低限の塩だけ。簡素なもの。でも腕利き料理人・黒沢清の技が光ります。素材の味がダイレクトに伝わってくる分、これはこれでキツイ。むしろ濃い目の調味料による誤魔化しがない分「しんどい」かもしれません。 物語上不可解だったのは1点のみ。「誰が宮下(香川照之)の娘を殺したのか?」ということ。状況証拠は新島(哀川翔)を犯人と示唆しています。しかし彼にそんな蛮行が働けるでしょうか。普通の感覚なら、いや人の親ならば、出来るはずがありません。その一方、彼は「捉えどころのない男」でもある。思考回路が常人と違うのは明らかです。ならばやはり新島が犯人?いやいやそんなはずがない。じゃあ組織の仕業?宮下の娘が狙われたのは意趣返し?偶然?でも・・・。思考は堂々巡りするばかり。まるで2匹の蛇が互いの尾を飲み込み合っているような感覚に陥ります。「狂気」と「我欲」2つの蛇。食われているのはどちらでしょう。 本作の見どころは新島のキャラクター造形に尽きます。秀逸でした。前述したとおり捉えどころがありません。この謎めいた男を哀川翔が好演しています。いやこれを好演と呼んでよいのか躊躇します。演技云々の話ではないような。哀川がナチュラルに身に着けている「胡散臭さ」こそが、本作唯一の味付け「塩」の役目を果たしていた気がします。「は・か・た・の塩」ならぬ「や・か・ら・の塩」。おっと悪ふざけが過ぎましたが、冗談でも皮肉でもなく最大級の誉め言葉のつもりですのでご容赦ください。哀川翔のベストアクトは『ゼブラーマン』でも『DEAD OR ALIVE』でもなく本作の新島であると無責任にも断言します。あれ『DEAD OR ALIVE』は観てたかな。さて、これから2024年制作のセルフリメイク版を観ます。そのために本作を先に鑑賞しました。正直役者としての技量は、哀川翔より柴咲コウの方が上だと思いますが、この役に限定するなら柴咲に勝ち目はないと感じます。リメイク版の感想に続く。[インターネット(邦画)] 7点(2025-01-20 18:12:37)《改行有》 8. Cloud クラウド 《ネタバレ》 黒沢清監督と言えば邦画界きってのホラー上手であり難解映画クリエイター。その語り口は『黒沢清節』とでも呼びたい特徴ある演出技法にあり、ホラーとの相性が抜群です。また「台詞ではなく映像で語る」を旨とし「観客の想像力」を最大限活用する脚本を用いるため「親切」「丁寧」とは無縁の監督と言えましょう。ゆえに黒沢作品は(しばしば)難解映画にカテゴライズされるものと考えます。そこで本作。現代日本社会の闇を切り取った寓話的サスペンスでありました。そう、本作は本質的に「寓話」です。設定や展開は寓話らしく単純化されていますし、リアリティは担保していません(というよりリアリティを必要としない)。キャラクターの言動は合理性を欠きます。一般的なサスペンス映画のつもりで鑑賞すると「なんだこりゃ」になりかねません。リアリティ至上主義の岸部露伴先生なら白目を剥くかと。しかし寓話と認識してしまえば問題ありません。ネット世界を中心とした破滅の道程が「むしろ生々しく」描かれていました。 なお本作は「難解」ではありませんが「解釈」したくなる物語ではあります。そこは流石の黒沢印。例えばラーテル配下の青年。獅子身中の虫か、簀の子の下の舞か。劇中「転売屋の仕事はババ抜きのようなもの」という台詞がありましたが、彼はまさしく「JOKER」の象徴でしょう。ババ抜きならば最後まで持っていたら負け。でもポーカーや大貧民なら最強のカードでもある。転売屋という商売におけるババ=JOKERは紛れもなく商品で、大化けして富をもたらす物もあれば、利益ゼロどころか厄災を連れてくる品もある。いずれにしても自分の意思で手放すことは叶いません。ほんと転売はババ抜きに等しい。今回の騒動では最強カードJOKERの特性により窮地を脱することが出来た主人公ですが、ババ抜き人生は依然続行中です。富と憎悪の先にあるのは負けた時破滅が確定している未来。JOKERと共に生きるより選択肢がなくなった人生を「地獄」と呼ぶのに違和感はありません。[インターネット(邦画)] 8点(2025-01-18 16:43:00)《改行有》 9. あのコはだぁれ? 《ネタバレ》 本作はホラーシリーズの続編です。1作目『ミンナのウタ』から順に鑑賞することをお勧めします。 恨み辛みで呪い殺すのではなく、純粋な好奇心と探究心で人を殺める高谷さな。呪いを解かなければ必ず死に至る貞子に対し、さなの呪いはさほど致死率は高くありません。実は助かる人の方が多いのです。しかし感染力は半端ありません。貞子の場合は某病原ウイルスを由来としていますが、さなの呪いはまるでコロナウイルスのよう。要するに「風邪」です。マキタスポーツがいう「厄介だ」とはこのこと。頑張れば無害化できる貞子の呪いの方が対処し易いとも言えます。「風邪は万病の元」ならぬ「さなの呪いは万死の元」。さなの呪いはこの世界から消え去ることはありません。まさに新型コロナウイルス=COVID-19の如き厄災でした。もっともCOVID-19の予防法が「人と距離を取る」であったのに対し「さなの呪い」の対抗策が「手をつなぐ」なのは何とも皮肉な話でありますが。 呪霊「高谷さな」のポテンシャルは相当に高いと感じます。呪いの媒介はキャッチーなメロディ。事務所いや家族総出で嫌がらせをしてくる点は相当に悪質です。上手く育てれば(?)貞子、伽椰子に次ぐ新たなホラーヒロインになりうる逸材では。にも関わらずなぜこんなにもパッとしないのか。これは偏にリアリティの欠如が問題と考えます。例えば冒頭の自動車事故。動転して救急車を呼べないのであれば硬直してください。それがリアリティ。頭部を強打している人間を躊躇なく抱き起こすのは不自然過ぎて見ていられません。終盤に仕込まれている大ネタにしてもそう。漢字は同じで読みだけ変えていたら素直に感心出来たのに。「改名はそんなに簡単じゃねえぞ」ですし「そもそも改名する意味ねえぞ」とも思います。おフザケは結構ですが、いい加減なのは困ります。いくらトンチキホラーだとしてもです。折角の優れたアイデアが脚本の不手際で殺されてしまうのはホラー以上にホラーな話という気がします。[DVD(邦画)] 5点(2025-01-01 00:00:01)《改行有》 10. お坊様と鉄砲 《ネタバレ》 実はほんのりサスペンス風味あり。ネタバレしていますのでご注意ください。 白状すると最後僧侶が鉄砲で無茶苦茶すると思ってました。選挙担当の役人を撃ち殺すか、さもなくば決闘を申し込むか。そのための鉄砲2丁。AK47で地獄絵図ですよ。逆に仏教ぽい。そんな物騒な映画でないのはポスターを観れば分かりそうなものですが、直前まで『ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち』と本作どちらを劇場鑑賞するか迷っていたため変な先入観があったかもしれません。こんな戯言黙っていれば済む話ですが、そんな殊勝な人間が長文レビューを投稿するはずもなく。いらん前置き失礼しました。 で感想ですが、シンプルにとても良かったです。ブータン初めての選挙。それは勝ち取ったのではなく与えられた民主主義。選挙担当の役人に対して選挙運動が原因で家庭不和に悩んでいる母親が放った「私たちが民主主義を望んだわけじゃない」という言葉に痺れました。民主化、近代化、貨幣価値。善って何?物事の値打ちは誰が決める?問い掛けは実に単純です。でも「当たり前」に染まっている身では気づけない。気づけるはずもない。私にとって有益な学びがある映画でした。かといって説教臭さは一切ありません。ウイットに富む軽やかな社会風刺が実に小気味よく、ハートフルなのに意外とサスペンスなドラマに合っていました。派手な展開こそありませんが(もしかすると序盤は退屈するかも)、しっかりお出汁の効いた旨味たっぷりの物語だったと思います。後味もスッキリで良いオチ。誰も不幸になっていません。流石幸せの国ブータンですね。観られる映画館は限られると思いますが、日本人にこそ是非お勧めしたい映画です。[映画館(字幕)] 8点(2024-12-22 10:00:28)《改行有》 11. 唄う六人の女 《ネタバレ》 ハイセンスお洒落系不条理サスペンスの装丁ですが、中身は典型的な寓話でした。時代設定さえ変えれば「まんが日本昔ばなし」の一編でも違和感はありませんし、ジブリ映画と言われても気づかない。さしずめタイトルは『もののけ森の神隠し』。おっと内容は意外とハードなのでファミリー向けではありませんね。 寓話ですから教訓が付き物ですが、本作の場合は何でしょう。「自然を守ろう」ですか?あるいは「親と仲良く」ですか?いいえ違います。「ここぞという時、判断を誤るな」です。 主人公は奇跡的に迷いの森から生還し恋人と再会できました。それは森の住人の意思を汲む姿勢を見せたから。道義的に彼は森を救う努力義務を負いますし、彼自身の意向にも沿うので不都合はありません。しかしタイミングを測る必要はありました。 恋人は主人公に懇願します。一旦家に帰りましょう。大事な話もあると。しかし彼は固辞し再び森へ向かってしまいました。この展開は映画として当たり前です。戦闘員とひとしきり戦ったのち、一服してからボスと戦う仮面ライダーなんて居ません。公共の利益のために我が身を投げうつ様は『宇宙戦艦ヤマト』のヒロイズムに通じます。しかしこれは昭和の価値観に基づく正義では。今時流行りません。ワークライフバランス。デジタルトランスフォーメーション。私は主人公には一度冷静になって頂き、家に帰って欲しかったと思うのです。それじゃあドラマチックじゃない?知らんがな。 その場の勢いで無茶するのがカッコよく思えるのは精々20代まで。不惑どころか知命に差し掛かる大人の分別の無さに閉口します。適齢期の女性と付き合う覚悟に欠けるのも同じこと。そういう意味で彼は"大人になりきれていない"と感じました。これは武田玲奈と付き合える50男にやっかんでいる訳ではありません。ええ、断じてありません。 教訓は基本的に反面教師や失敗例なので"正しい"寓話の姿ではあります。ただし現代劇ならば、現代らしい教訓を入れては如何でしょう。ラストで「車両保険に入っていて本当に良かった」なんて一人語りを武田が始めたら、映画としては0点ですが私は満点を付けます。[インターネット(邦画)] 6点(2024-12-21 16:11:10)《改行有》 12. トンネル 闇に鎖(とざ)された男 《ネタバレ》 トンネル崩落事故で生き埋め。必要最低限の前フリのみで、すぐさま本題に入るのは有難い。サバイバルアイテムは500mlの水2本とバースデイケーキ、スマホ、懐中電灯くらい。展開らしい展開は無く、じっと耐え忍ぶ時間が大半を占めました。サバイバルの観点で言及されていたのは「水」と「食料」でしたが、この2つだけでは命を繋ぎ止められません。「空気」そして「明かり」はどうでしょう。地中とはいえ密閉されていないのなら窒息は大丈夫?問題は「明かり」でした。暗闇の中で正気を保つために欠かせない要素であり、光無くしては3日と持たなかったでしょう。車載バッテリーが大容量で懐中電灯が高機能だったとしても30日以上の耐久性は疑わしい。何時までも消えない明かりに違和感が消えませんでした。これは物語を楽しむ上で不要な懸念。例えばトンネル設備の非常灯がたまたま点いていた程度の奇跡に文句を言う観客は居ないでしょう。物語を成立させる上でも、リアリティを担保する上でも、そしてドラマに集中させるためにも、必要な「ご都合主義」は迷わず使えばいいと考えます。さらにスマホについて。通信手段はまさに命綱でした。当然バッテリーには限りがある訳で、切れた後の意思疎通策を講じていなかった時点で詰んでいます。スマホの充電池が切れた時点で主人公の命運も尽きたのです。にも拘わらず奇跡の生還を遂げたのは偏に「救助システムの機能不全を個の力で打開したから」に他なりません。まるでサッカーの解説者のような口ぶりですが、救助隊長の実直な人柄には素直に感動しました。地面に落ちた目玉焼きを笑って食べてくれた作業員も然り。一部人でなしも交じっていたものの、概ね救助隊員の質は高く、彼らのような優秀な人材がこの現場に配属されたのが最大の奇跡だったと言えそうです。 同類のサバイバル映画と比較した場合、生き残るための苦渋の決断にドラマがある『127時間』の方が見応えがありますし、限定的な状況下で幾つもの展開を披露した『フォール』の方がエンターテイメントとして優れていると感じます。そう、サバイバル映画としての出来はいまひとつ。ただ報道や政府に対する社会風刺のキレ味は良く、人物造形も魅力的です。個人的にはペ・ドゥナを久しぶりに観られて嬉しかったですし。総評としては「トンネル崩落事故生き埋めという刺激的な題材を、サバイバル方面で掘り下げず、社会風刺に落とし込んだことの是非」になりましょうか。このアプローチを否定する気はありませんが、個人的な好みを言えば真っ当なサバイバル映画を観たかったという気がします。[インターネット(吹替)] 6点(2024-12-19 20:31:31)《改行有》 13. ミステリと言う勿れ 《ネタバレ》 ネタバレしています。ご注意ください。 テーマは「幼少期の重要性」です。整くんは少女が抱えるトラウマに対して「子どもの心は固まる前のセメント。どんなものを落とされたのか」と嘆いています。確かに彼女は心に深い傷を負っていました。しかしカウンセリングである程度の修復は可能でしょう。それが救い。しかし犯人の方はそうはいきません。常軌を逸した犯罪を自身の使命として疑わない。洗脳等という生易しい代物ではなく、アイデンティティに根ざした異常な価値観が形成されていました。更生は不可でしょう。そんな刷り込みを与えた親の方が自身の犯罪を理解している分「まとも」というのが何とも遣る瀬無い。後味の悪い結末でした。 『ミステリと言う勿れ』はTVドラマは録画を繰り返し観るほど好きですが、原作は未読です。そのような私が常々感じているのは「この作品は嘘(無茶な設定)が多い」ということ。代表的なのが「ライカさんの数字会話」ですが、本作の「動機」も相当無理がある。例えばこれが戦前の話であれば納得出来ます。閉ざされた村。家族の中で異常な概念を刷り込まれたら、そりゃ狂って当たり前です。しかし現代日本では様々な情報や価値観にさらされる。勿論基礎教育もしっかりしている。正直、ここまで反社会的な、というより荒唐無稽な価値観が形成されるのか疑問です。いやアルゴリズムで一面的な情報を吹き込まれ、陰謀論が幅を利かせてしまう現代日本の方がむしろ危ないのかも。 設定上の不具合は当然マイナスですが、整くんの言葉が魅力的なためマイナスを帳消しにして上回るプラスがありました。シリーズの本質は確かに「ミステリ」ではなく「整くんの説教」だったと思います。寓話的な楽しみ方と言っていいかもしれません。この観点でこの映画を見返すと、整くんの説教がやや不足していた気がするのです。これが映画に対して感じる「なんとなく物足りない」の正体では。整くんが反論するに値しない異常な犯罪であったとも言えますが。[ブルーレイ(邦画)] 6点(2024-12-05 10:54:47)(良:1票) 《改行有》 14. 変な家 《ネタバレ》 原作者の雨穴氏はイントロダクションで「本は4章構成。映画は例えるなら第5章。小説と映画2つ合わせて初めて【変な家】が完成する」と言っていました。私はYouTube動画しか観ていないので断言は出来ませんが「第5章」ではなく「蛇足」【変な家】ではなく【変な映画】の言い間違いだったと確信しています(あっ断言してる)。[ブルーレイ(邦画)] 4点(2024-11-28 22:59:49) 15. 先生!口裂け女です! 《ネタバレ》 高校の教室で生徒の口から表題の台詞が発せられます。つまりタイトルの「先生」が指したのは「教師」でした。もちろん世間一般で「先生」と呼ばれるのは教師に限りません。医師、弁護士、代議士、小説家、漫画家などなど。そう、本作の「先生」にも「教師」以外の意味が含まれていたのです。格闘技の師範を称して「先生」と呼ぶ。その相手が「口裂け女」でした。分かり易くタイトルを補足するなら『先生は口裂け女です』。観ていない人には「なんだそりゃ」でしょうが、本作では「口裂け女」が仲間となり、主人公に格闘技を教えました。予想だにしなかった展開。そんな口裂け女は、アパート住まいの単車乗り。都市伝説の怪物ではなく、「走るのが異様に早く」「格闘が滅法強い」「口が裂けている一般女性」というオチです。このアプローチに感心しました。散々擦られてきた「口裂け女」にこんな切り口があったとは(おっと、この切り口は駄洒落とかではありません。なんか恥ずかしいわ)。しかもこの設定がフェイクで二度びっくり。「口が裂けているだけの一般女性」と思わせて、やっぱり「怪物」だったとは。そうじゃなきゃ、平気で何人も殺したりしないでしょうよ。いやはや、見事な脚本、そしてアイデアの勝利でした。何気に格闘シーンも見応えありで、主人公が口裂け女から習った技を繰り出すシーンなんてジャッキー・チェン映画ばりのカタルシスがありました(ちと褒め過ぎ)。 怪物が正義の味方という観点では『妖怪人間ベム』や『デビルマン』の流れを汲むものであり、昭和のヤンキー漫画のテイストを令和で再現したという点では『今日から俺は』に通じるものもあります。と、結果的に絶賛レビューとなってしまいましたが、見た目通りB級映画である事に違いはありません。役者さんの演技含め安普請であることは否めません。ただ、前述のとおり「よく出来ている」のです。喩えるなら知らないコンビニの500円弁当が800円くらいの価値があった時の嬉しさというか。ですからデパ地下の1,500円弁当には負ける訳です。でも好感度は高いでしょって話。何だか取り留めのない感想になってしまいましたが、現場からは以上です。[インターネット(邦画)] 7点(2024-11-20 18:28:00)(良:1票) 《改行有》 16. ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ 《ネタバレ》 ネタバレ含みます。ご注意ください。 「シリーズ最高傑作」なんて言葉を使うと逆に信憑性が疑われそうですが(失礼。他意はありません)率直に言って最高でした。『ベイビーわるきゅーれ』が「完成」した気がしました。二作目は「洗練されたけど逆に物足りなくもない」と感じましたが、本作には満足感しかありません。同じく二作目の感想から引用するなら、マジで170kmの豪速球なのに制球力抜群の投手に育った印象です。中でもアクションの進化と深化が止まりません。もともとジャッキー・チェンとUWFのハイブリッドでしたが、更に桃太郎侍と昭和のロボットアニメ最終回もトッピング。"リアリティなんてクソ喰らえ"(暴言失礼)なファンタジームーブは圧巻の一言で、アクション映画におけるエンターテイメントサイドの頂を極めたようにも感じられます。これは単に「格闘シーンの見栄え」を称賛しているのではありません。「気持ち」と「ドラマ」を乗せたアクションだからこそ心が揺さぶられたのです。プロレス的と言っても構いません。そういう意味で本作の殊勲賞は圧倒的な存在感を見せつけた池松壮亮で間違いなく、技能賞は伊澤彩織に、敢闘賞は髙石あかりに差し上げたい。とくに髙石は俳優として一皮も二皮も剥けたと思います。ベビわるファン(そんな略し方はしないですか?)は基本的に深川まひろに魅了されている気がしますが(もしかすると勘違い?)、本作の杉本ちひろに惚れないファンなんて居ないでしょう。コメディエンヌとしてもアクション俳優としても申し分なく、NHK朝ドラヒロイン抜擢も何ら不思議ではありません。これから髙石あかりという逸材が世間に見つかる訳です。胸熱ですな。 「勝利」「友情」「お仕事大変」が三本柱のエセ少年ジャンプのような本シリーズは、アクションだけでなく青春ドラマもコメディパートも素晴らしく、こと本作に至っては欠点らしい欠点が見当たらない「無敵映画」となりました。いや、1点だけ注文を。個人的な好みを言わせてもらうなら最終盤居酒屋での台詞が引っ掛かりました。「らしくない殺し屋」がコンセプトではありますが、二人に『深夜高速』みたいな台詞は言って欲しくなかったなあと。「ボロは着てても心は錦」ではありませんが「ケーキを頬張っても気概は殺し屋」であって欲しいと願います。重箱の隅を突くような言い掛かり、申し訳ありません。 それにしても前作の駆け出し殺し屋ブラザーズといい、本作の最強野良殺し屋といい、愛すべき良キャラクターが1作限りで退場とはなんと贅沢つくりでしょう。作品の性質上仕方ありませんが、本当に勿体無い話です。救いは前田敦子と沖縄マッチョが生き残ったことでしょうか。次回以降も必ず出演してくださいね。 シリーズ続編映画に本サイトの最高点を付けるのは『エイリアン2完全版』以来であり、中毒性は『キック・アス』にも負けません。『チョコレートファイター』で「一食抜いてでも観るべき映画」と書きましたが本作でも同じ事を言わせてください。これらは私の中で最上級の褒め言葉です。[映画館(邦画)] 10点(2024-11-09 22:12:34)《改行有》 17. イエスタデイ(2019) 《ネタバレ》 ネタバレしています。ご注意ください。 「もし〇〇が無い世界で、自分だけが〇〇を知っていたら」なんて、子どもの頃よく夢想したものです。過去に遡るタイムスリップ映画でよく見られるパターン。本作では〇〇に『ビートルズ』が入りました。ただし時間旅行ではなく(多分)並行世界に飛ばされたお話。昨今SFで流行中の「マルチバース」という概念です。元の世界で仕入れた知識を異なる世界で披露して大儲け。ある意味、情報の並行輸入と言えましょう。ノーリスク・ギガリターン。まさに夢物語でした。しかし主人公は確約された「富と名声」を手放しました。これは偏に「良心の呵責」に耐えられなかった為と推測します。勿論この世界のジョン・レノンは異議申し立てしませんし、真相を知る元の世界のビートルズファンも主人公に感謝こそすれ責めたりしません。そう「良心の呵責」とは自分自身の問題。そんな理由で莫大な富と名声を手放せるの?偽善が過ぎない?と皆さんは思われますか。自分はそうは思いません(あばれる君風に)。むしろ「富と名声」の規模が大き過ぎたのが問題でした。称賛に耐えうる器が主人公には備わっていなかったとも言えます。「過ぎたるは及ばざるが如し」。例えば定食のご飯大盛は嬉しいサービスですが、超特盛は嫌がらせに等しい。喩えが庶民的で恥ずかしいですが、構造的にはこういう事かと。もちろん彼が本物のビートルズファンであった事が罪悪感をこの上なく大きくしました。音楽クリエイターとしての矜持も少なからずあったでしょう。 良心の呵責とは心に刺さる棘です。甘く見てはいけません。なかなかどうして抜けません。きっと誰しも「良心の呵責」に限らずとも「後悔」や「負い目」といった心の棘と共に生きているでしょう。普段は忘れていても、ふとした瞬間にチクリです。これがビートルズの偉業を奪った罪悪感に由来するならば、傷の深さや大きさが分ろうというもの。忘れる暇さえ与えられぬ鈍い痛みが一生続く。小林玉美のスタンド「ザ・ロック」を引き合いに出すまでもなく、致命傷となり得る棘でした。【注意】小林玉美が誰か分からない方は「ジョジョ 第四部 パンチパーマ お前の身長何センチやねん」で検索してみよう! ですから主人公は偽善者でも何でもなく、実に賢明な判断を下したと考えます。ジョン・レノンの最期が頭を過ぎった可能性もありそうです。いずれにせよ「健康」は「富と名声」に勝りました。これはこの世界線のジョン・レノンにも言えることかもしれません。本作のテーマは「健康第一」でありました。違う? (以下余談) 並行世界に存在しなかったもの。「コカ・コーラ」「タバコ」「ハリー・ポッター」その他諸々。きっと調査すれば幾つも見つかるでしょう。こういった事例の中で自身が「発明者」となって富を得ても心が痛まないものはあるでしょうか。例えば「タバコ」も巨万の富を生むことが確約されていますが、ノーベルのような十字架を背負い込むのは勘弁願いたい。「ハリー・ポッター」の再現はそもそも無理。「コカ・コーラ」は再現する意味が無い。そこで私が夢想したのは「ラーメン」です。もし「ラーメン」が存在しない世界だったら・・・。極めてベーシックな「醤油、塩、味噌、とんこつ」を皆さんに紹介したい。これなら誰かの業績を奪うことになりませんし、どうぞ中本さんは蒙古タンメンを、山田さんは二郎を開発してください。みんな大喜びですよね。いや、ボクサーとかボディビルダーには恨まれるかな。ああ相変わらず発想が貧相で泣きたくなります。[インターネット(吹替)] 7点(2024-10-30 18:15:17)(良:1票) 《改行有》 18. あまろっく 《ネタバレ》 ネタバレあります。ご注意ください。 本作のハイライトは【私があんたのあまろっくになってやる】です。優子にこの台詞を言わせる為の物語でした。なんと感動的な言葉でしょう。私は撃ち抜かれました。しかし同時に「でも自分の人生を犠牲にするのはあかんやろ!」と猛抗議せずにはいられません(口調は関西弁で)。結末についてはあえて言及しません。未見の方はご自身の目でご確認ください。 本作についてはやはり「リアリティ」に触れざるを得ません。①20歳女性と65歳男性の結婚は許されるのか。②39歳無職女性に同年齢の商社マンは釣り合うのか。③20歳継母と39歳義理の娘との同居は可能なのか。常識的に考えれば全てNOです。お花畑が過ぎます。私自身3人娘の父親なので①については仮に相手がビルゲイツやキムタクであっても論外です。②は「そんなケースがあっていい」とは思うものの、確率はかなり低いと思います。39歳橋本環奈が24歳の牧野ステテコに勝てないのが婚活市場では。③については何でしょう。地獄絵図しか思い浮かびません。今は無き昼メロドラマの呪いでしょうか。しかし本作は愛の物語。あらゆる障壁が無効化される強力魔法が掛けられています。だから常識を持ち出しても意味がありません。これは現実世界も同じ。そういう意味で「愛」は無敵です。 あるいは「多様性を認める社会」という切り口で本作を解釈することも可能でしょう。この概念もまた愛には敵わぬまでも十分強力な魔法です。八百万の神を認める日本人気質にも本来「多様性」は合っている気がします。もっとも本作が上質なのは、これら魔法を物語上の免罪符として利用していないこと。あくまで正攻法で観客の理解を得るよう努めています。好感度オバケの鶴瓶師匠。鯖以上にサバサバしている江口のりこ。キャラクター造形は文句なしで、夢物語に最低限のリアリティを担保しています。ただ一点だけ異を唱えたい箇所あり。それは年の差カップルの馴れ初め。男女を入れ替えれば即訴訟案件なのは間違いなく、コレが許されると思う感覚が古いと思います。[インターネット(邦画)] 7点(2024-10-09 22:58:02)《改行有》 19. リトル・エッラ 《ネタバレ》 表層は王道のキッズコメディで愉快に楽しく。しかし根底には「親からの愛情不足」に起因すると思われる「特定人物への執着」=「放置子」の典型例がエッラの言動に見受けられました。イタズラの程度も度々常識の一線を越えており、場合によっては「問題児」のレッテルを貼られ兼ねないと感じます。彼女は思いの外シリアスな問題を抱えていたと思います。甘いコメディの底に苦味あり。そう本作はまるで「プリン」のようなお話でした。イメージカラーまで同じ。ただご注意頂きたいのはカラメル部分に気を取られ、お話を「わざわざ難しく」観る必要はないということ。プリンの主役はあくまで甘く黄色いプディング部分です。エッラの可愛い嫉妬(?)を優しい気持ちで見守ってください。彼女はちゃんと成長してくれます。エッラの主語が「わたし」から「あなた」に替わる瞬間をどうぞ見逃さないでください。「友達は人生の庭に咲く花」水を撒き栄養を与えることで花は咲き人生に彩りを与える。もちろん異議などありませんが、庭にもいろいろありまして「枯山水」も乙なものであります。要は自分に合った庭を造ればいいのです。幸いにもエッラの周りに美しい花が一人咲きました。どうか健やかに育ち、また育ててください。[映画館(字幕)] 7点(2024-10-04 10:39:56) 20. タコゲーム 《ネタバレ》 パロディ邦題を日本配給時に付けたパターンかと思いきや、原題が『The Oct Games』。つまり元から「柳の下のどじょう」を狙った映画だったようです。日本配給会社はこの類の映画ならお任せ、ご存じアルバトロス。作品のビジュアルイメージは彼の作品を想起させるものの“本編で登場しない”服装や状況であり、要するにパッケージ詐欺です。悪質っちゃあ悪質ですがアルバトロスのやる事に目くじらを立てても仕方ありません。こういうポジションを獲得すると得ですな。 さて物語を要約しますと『集められたプレイヤーに8種類の子ども遊びに挑戦してもらい、最終的に勝ち残った一人に豪華賞品を進呈する』というもの。勿論敗者には死が待つデスゲームです。このタイプのホラーは履いて捨てるほど量産されていますが、特筆すべき点が一つありました。優勝者に約束の報酬がきちんと支払われたのです。フォロワー数1億1千万人のアカウントの譲渡。ちゃぶ台返しがデフォルトの有報酬デスゲームでなんと誠実な対応でしょう(元ネタの方は観ていないので知りません)。「犯罪に使われたアカウントは使えないでしょ」という至極真っ当な疑問はこの際無視してください。それより深刻なのは、肝心のデスゲームが壊滅的に面白くないこと。やる気が微塵も感じらないというか、子供騙しにすら達していないというか。このような安易な企画がよく通ったものだと逆に感心します。ちなみにゲーム運営側のひとりが最後に意味ありげに顔を晒しますが、主人公はもちろん観客の誰もが「お前誰だよ!」と心の中で突っ込んだはずです。少なくとも日本語吹き替え声優はTAIGAさんにすべきであったと本気で思っています。[インターネット(吹替)] 2点(2024-10-01 18:58:58)《改行有》
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