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プロフィール |
コメント数 |
1705 |
性別 |
男性 |
年齢 |
37歳 |
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1. 魔法にかけられて2
《ネタバレ》 大ヒットした前作の15年越しの続編はまさかの配信止まりとなった。プロデューサーらがコメントを出しているが、おそらく試写の評判が悪く再撮影したことなども影響しているのだろう。
前作はそれなりの面白さがあったものの、結局主人公たちさえ幸せになればいい(フラれたエドワード王子とナンシーが出会ってすぐに結婚するという筋書きはどう考えても酷い)という作品で、悪い意味でディズニーらしい作品だった。本作はその悪い部分がより顕著になった作品と言えよう。
都会暮らしを嫌うジゼルは、家族の反対を押し切り郊外へ引っ越し、かつて暮らしていたおとぎの国の世界を実現しようとする。その後、魔法のせいもありジゼルは嫌な魔女のような人間になってしまう。その危機を救うのは、前作でフラれたエドワード王子とナンシーである。フラれたことは何のその。自分をフッた相手に対してエドワード王子とナンシーは命がけの無償の愛を提供する。
ジゼル以外の人物の大活躍によりジゼルは魔法を解かれ、みんなが幸せに暮らして終わりを迎える。結局、ジゼルの望んだ郊外での暮らしが実現し、それに夫のロバートも、彼の娘モーガンもみんながジゼルを、そしてこの郊外での暮らしを受け入れる。魔法にかけられた主人公は何もせず、周囲の人間がただひたすらに頑張り、最終的に自分のわがままが通って映画が終わる。いい年した大人の自分勝手な物語。本当にこんな物語を作りたくて作ったのか。[インターネット(字幕)] 2点(2022-11-23 21:44:25)《改行有》
2. キャメラを止めるな!
《ネタバレ》 オリジナルと基本構成は同じだが、イケメン俳優枠のキャラクター描写がオリジナルよりも尺を割いて描かれていた。そのせいか、主人公家族3人の関係性がほとんど描けていない。
何と言ってもオリジナルは日暮一家が次々に暴走していき、それが映画を躍動させる推進力になっていたのに、本作は主人公家族の3人ともがおとなしすぎて力強さに欠ける。特に娘のキャラクターが印象薄すぎるわ。改めてオリジナルの偉大さを再確認。[映画館(字幕)] 4点(2022-07-20 17:39:35)《改行有》
3. 映画ドラえもん のび太の新恐竜
《ネタバレ》 製作者のインタビューによると本作のテーマは「多様性」らしい。であれば、本作で描いていることは「多様性の全否定」だろう。
のび太は逆上がりができずに仲間外れにされると感じている。そして、キューが仲間と思っていた動物から何の前触れもなく攻撃を受けたのをのび太は見て、「空を飛べないから」キューが仲間外れにされたと感じる(なぜかそう思ったかは分からんが)。そして、自分の姿に重ね合わせたのび太はキューに空を飛べるように強要する。ここからは完全なるスパルタ教育である。
本作には逆上がりができないことも、空を飛べないこともダメなこととして描かれ、それを受け入れるキャラクターは誰一人として登場しない。もし多様性について描きたいなら、のび太が逆上がりができないことも、キューが空を飛べないことも周囲が受け入れるべきだろう。結局、「他の子ができるんだからあなたもできるようになりなさい」という話になっている。体が小さいとか運動が苦手という理由で悩む子供は世の中にたくさんいるだろう。そういった子供たちに「他の子ができているのに君はなぜできないの?気合と根性さえあればできるでしょ。あと、練習は1人で頑張りなさい」と言っている作品になってしまっている。
のび太の友達は何人もいるのに、なぜ誰一人としてのび太に逆上がりのコツを教えたり練習に付き合ったりするという描写すら入れないのか。ここ最近のドラえもん映画って「友情」を前面に押し出していたと思うが、なぜここにこれほど無頓着になれるのか。そして、最後にのび太が逆上がりに成功して映画は終わる。本作を見ている子供で逆上がりができなくて悩む子供は「のび太ができたのに、僕(私)はできない。このままでは周囲に認めてもらえないかもしれない」と思ってしまうぞ。多様性なんて何一つ考えていない製作者のただの根性論。2020年という時代に作られたのが信じられない愚作。[インターネット(邦画)] 0点(2022-07-07 22:54:59)(良:3票) 《改行有》
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