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【製作年 : 1940年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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1.  ダンボ(1941) 《ネタバレ》 ディズニーの長編アニメでは、これが一番好き(『ファンタジア』は別格扱い)。『白雪姫』は初の長編という意気込みゆえか、なにか改まった感じがあり、力作ではあるがチト固い。『ピノキオ』ではだいぶほぐれてきているが、この『ダンボ』に至って、短編で培ってきた精神とつながった長編になったのではないか。なにしろ『白雪姫』『ピノキオ』と違い、絶対実写では描けない世界を描いている。アニメであることの喜びが全編に満ち渡っている。主人公がサイレントというとこに、映画の本道を再確認しようという意志が感じられなくもない。とりわけ凄いのが、酔っ払ったとき見るピンクの象の幻想シーン。「象」という与えられたモチーフをとことん展開していく。その長い鼻をラッパに見立てて始まり、「象=重い」からピラミッドに連想が移り、それを「軽さ」に反転させて、踊る・滑る・走ると目くるめく変貌させていく。しかし「飛ぶ」が慎重に排除されるのは言うまでもない。朝焼け雲に収斂されていく見事さ。この幻想シーンには唸らされる。その前の七頭のオバサン象によるピラミッドもかなりシュールなイメージで、幻想シーンを先取りしているような出来映えであった。話そのものも好きで、“魔法の羽根”を失って狼狽するダンボがネズミの励ましを受けて飛行に移る瞬間は、いつもジーンとしてしまう。[CS・衛星(吹替)] 9点(2011-04-03 10:09:55)(良:3票)

2.  ファンタジア これはまさにファシズムの脅威のさなかに作られた作品なんだ。ラストの「はげ山の一夜」から「アヴェマリア」の祈りに移っていく構成は、おそらくそれを意識したものだっただろう。しかしそれだけでなく、おそらく意識しないで表われたところ、たとえば繰り返される洪水のイメージなどに、時代の空気をより感じることができる。「春の祭典」、壮大なスケールを持った作品で、地球の誕生から恐竜の滅亡までをナマの体験のように繰り広げてくれる。しかしここに哺乳類は現われない。恐竜が滅亡に向けて行進した後、不吉な日蝕が始まり、地震が襲い洪水が地を覆う。このイメージが浮かんできたとき、時代の影響はまったくなかっただろうか。肉食恐竜が暴力で支配したあと死に絶え、次の哺乳類の時代を暗示させることもなく幕が閉じられる。この暗さ。進化論の世界に天地創造神話が割り込んできたような大洪水は、過去のものとしてではなく、近未来のものとして切実に予感されていたのではないか(洪水はあと「魔法使いの弟子」があるし、「田園」でも葡萄酒が)。『ファンタジア』中の最高傑作「花のワルツ」、咲き乱れる花を描いた春ではなく、滅びへ向かう秋から冬が描かれる。落葉も、さやから出てくる種も、それを吹き飛ばす風も(映画館で観たときここで泣けた)、氷結する水面もどれもこれも実に美しいが、その美しさはどこか鋭角的な手ざわりのある美しさで、春に向かう気分はどこにもない(「春の祭典」に哺乳類が登場しないように)。すべてが厳しい冬へなだれ込んでいく。こんな美がほかのディズニー作品にあっただろうか。あるいは深読みに過ぎるかも知れないが、「魔法使いの弟子」で次第に増殖し、一つの命令だけを守って行動する顔のないほうきたちの群れに、ファシズム社会を見ることはできないか。この曲の映像化はディズニーの若い頃からの夢だったそうで、だからこの楽しい音楽物語を政治的な連想で汚してしまうのは不本意なのだが、あのほうきの切れ端が立ち上がってくるところの怖さは、当時の時代の雰囲気とまったく無縁に作られたとは思えないのだ。さいわい現在の私たちはこの傑作を純粋に音と映像のアニメーション作品として楽しむことができる。ささいな動きにまで気が配られている丁寧さに感嘆していればそれでいいので、野暮なことに頭を回す必要はないのだが、時代の記録としてもやはり傑作だということを言っておきたくて。[映画館(字幕)] 9点(2009-07-13 12:31:38)

3.  色彩幻想 画面に縦線が出てきて、それがそよいだり、きらきら輝いて砕けたり、遠退いたりする抽象画アニメ。言ってること分かってもらえるかなあ。「ファンタジア」にちょっとアイデア似てるのあるけど、ずっとデリケート。最も純粋な映画とは、って考えるとき、必ずこのノーマン・マクラレンのアニメが思い浮かぶ。この人には、動かないアニメ「灰色の若い牝鶏」という傑作もあって、空がいつのまにか野原になり、月が卵になり、それらが星になり、と画面が静かに変容し続ける世界。動きの美としては「パ・ド・ドゥー」というこれまた傑作がある。洒落た感覚の「ドッツ」。「隣人たち」は人間のコマ撮りアニメ。「いたずら椅子」での物体への感情移入。「天体」では、奥へ奥へと向かう前後の動きを平面のスクリーンで表現する。映画を一番音楽に近づけた映像作家だろう。/「天体」(フィルムセンターで上映されたときの邦題)は本サイトに登録されている「球の配列」とたぶん同じだと思うが、こちらにまとめて書かせてもらった。[映画館(字幕なし「原語」)] 9点(2008-02-04 12:25:56)(良:1票)

4.  素晴らしき哉、人生!(1946) 《ネタバレ》 これ、スモールタウンでくすぶっている若者の鬱屈が底に流れている。世界に出たいけど、この町にとどまっていて、弟は軍で栄光を浴びている。そこらへんの隠し味の苦みが、終盤で金を紛失したおじさんを口汚くののしる緊迫の場の下地になっているんだろう。そういう薬味が理想主義の甘味を締めている。自分がいなかった世界の夢が映画の眼目で、映画ならではの楽しみに満ち、面白くはあるんだけど、でもちょっと…とのめり切れない。鬱病の人だったら、自分がいなかった世界がパラダイスになっている夢を見て、やっぱり僕なんかいないほうが…とさらに鬱をこじらせるだろう。そう嫌味に見てはいけない映画で、あくまでファンタジーとして評価すべきだろうが、戦前の『スミス都へ行く』では、大衆からの電報の束という薬味がゾクッとするほど効いていたのに、こっちでは大衆がニコニコと寄付金を募らせてきて、いささか甘味料過剰に思える。大恐慌の記憶がまだ生々しかった戦前と、戦勝直後の気分の違いが出たのか。悪の駆動がバリモア一人に集中してしまっているのも弱い。…などとブツブツ言いながらも終盤で号泣している自分が許し難いのだが。[CS・衛星(字幕)] 8点(2013-12-28 10:04:09)

5.  ドイツ零年 廃墟のベルリンをそのままセットで使うって、考えてみればずいぶん贅沢な映画です。露出の不安定さが変にリアル。ニュースみたいだからだろうか。突然カッと光があふれるショック。狭い室内ではカメラが人物を追いまわし、目まぐるしく往復する。父殺し以降の充実感がすごい。社会派ドキュメンタリーだったものに、不意に神話的な風が吹き込んできて、罪と救済のテーマが躍り出てくる。さらに子どもの孤独の描写、これは敗戦国に限らないかもしれない。いままでの登場人物たちに少年を拒絶させていくの。突如鳴り響くオルガン、ヘンデルのラルゴ。町並みにたたずむ人々。前半のヒットラーの演説と対照させる。しかし教会も救済してくれない。このラストの少年への密着がすごくて、淡々と戦後風景のルポやってたのが、グッと奔流に飲み込まれる。社会が悪いんだ、とは言えるが、なぜその報いがこの少年に集中するのか? そのシステムの由来は? なんてことを考えてると、神の問題に近づいてしまうのだった。[映画館(字幕)] 8点(2013-12-18 12:33:14)

6.  戦火のかなた ほとんどのエピソードについて言えることだが、言語の複数性、各国語が交わされ通じにくい状況が描かれる。米兵とシチリア娘のほそぼそとコミュニケートが取れていた状況に、不意の銃弾のショックが来る。さらにジョーのために銃を取った娘が独軍に殺され、しかも米兵にはジョーを殺したと思われてしまう。すべての理解から遮断されて、崖下に落とされている一個の死体の孤絶。戦争の残酷さをこれからこういう切り口で見せていくぞ、という姿勢を第一話から明らかにする。少年と黒人兵、社会の弱者同士がかろうじて話し合うが、連帯のような深いつながりには至れない。英会話教本を読む娘も同じ。映像が張り詰めているのは、フィレンツェの市街戦。影がくっきりと浮かび、煙もなく人影もほとんど見えない世界で、ロープに引かれた台車だけが、街角と街角を細くつなげている。修道院で泊まることになった従軍司祭のなかに、ユダヤ教やプロテスタントがいることを知っておろおろするユーモア。ロッセリーニの後の世界につながっていくテーマだ。ここでは缶詰の文化と500年の修道院とがコミュニケートする。そしてラストで、穏やかな川の流れに残酷な死を畳み込んでいく。これまでいくつかのコミュニケーションの可能性の情景を綴っていったラストに、戦争とはつまりコミュニケーションの可能性の放棄なんだ、ということを文鎮のようにドンと重く置く。[映画館(字幕)] 8点(2013-09-28 09:35:02)

7.  落ちた偶像 なんといってもかくれんぼのシーンの怖さ。もう一人がうろうろしてるんだもん。足が見えてたり、ドアが閉まったり、隠れてると思われる部屋へカップルが入って衝立の後ろを覗こうとしたり。大きな家で留守番してる子どもの幻想と通じるものがあります。誰かもう一人いるんです。子どもが夜道を逃げ回るシーンは『第三の男』の二番煎じかと思ったら、こっちが先か(監督のサスペンス3作は、『邪魔者は殺せ』→本作→『第三の男』の順になる)。二つの秘密の板ばさみで、どういう風に嘘をつけばいいか困る実感。子どものいちいちの発言が警察を刺激するところのおかしさ。あるいは紙飛行機を巡るハラハラ。滞空時間が長いんだもん。[映画館(字幕)] 8点(2013-04-11 09:53:05)

8.  風の又三郎(1940) 賢治ものってとかく解釈が加わって矮小化しちゃうのが多いんだけど、これはそれが少なかった。家畜や森の生きものたちの効果がよかったのかな。カタツムリやフクロウのほかにも教室の中にカエルや鶏、病床にもチャボがはいってきて、外のものが自然に内へ内へと流れ込んでくる。これ賢治のユートピアですな。そして風。映画にとって風ってのは重要なモチーフのようで、舞台ではざわざわ揺らぎだす瞬間の緊張ってのは出せないもんな。風についてやり込める「それからそれから」のシーンで、一つ一つその映像を入れるユーモア。風車の仕掛けのアニメーションが出たのには驚いたが、あんがい科学者賢治の精神を受け継いだ手法かもしれない。大泉滉がかわいかったのにはびっくり。[映画館(邦画)] 8点(2012-12-03 10:14:38)

9.  アモーレ これはバーグマンでは無理な映画。アンナ・マニャーニの一人舞台。第一話は、ちょっと感情露出が派手目かなと思うところもあったが、第二話とのセットで女優の凄味を分からせる。この監督は長い話に興味がないらしく、いつもエピソードの連鎖になるが、これは堂々と最初から二つの話と割り切っている。個人的には第二話に堪能。何かを切実に求めて走り回るってのは『ドイツ零年』の再現で、迫害とからかい。丘の上の修道院(清浄さ)への憧れ。第一話の閉じた愛から、こっちは開かれた神々への愛、子への愛となる。丘の上まで追い詰めていく、というか追い上げていく力が圧倒的。もともと斜面てものがエネルギーを蔵しているんだな。冒頭も山羊の斜面で始まっていた。フェリーニが出てくるのも楽しい。私が観たのでは空き缶が階段を落ちるカットが繰り返されたが、あれは斜面のモチーフの変奏で深い意図があるのか。単なる編集ミスだろうと思うんだけど。 [映画館(字幕)] 8点(2012-11-22 09:53:11)《改行有》

10.  青い山脈(1949) そりゃ観てて気恥ずかしくなるところはありますよ。でもその恥ずかしさも込めて、日本と民主主義の蜜月の空気が伝わってくるじゃありませんか。理想を単に空中に掲げるだけでなく、それを実現させていこうという熱気がみなぎっている。以後の学園ものだと、多くの生徒が簡単に熱血教師側につくのじゃないか。しかし本作の愛校精神を叫びヒステリックに泣く生徒にリアリティがある。旧弊な社会の陰湿さやそれに対する無力感に実感がある(これが当時の多くのGHQお墨付きの民主主義啓蒙映画と比べて、優れているところ。ただ上から与えられたテーマを語っているのではなく、本当に当人たちが新しく始めようと願っている)。それがあって初めて、それを越えようとする理想が歌えるんだな。自転車に乗って。自転車ってのがまたなぜか希望にふさわしい乗り物なんだ。引っかかるところはたくさんありますよ。理事会に送り込んだニセモノがばれそうになるのが、先生のプライバシーをほのめかしてチョンになるのは、良い筋運びとは思えないし、直接ボスには手が届いていないのもサッパリしない。にもかかわらず全篇を覆う民主主義への渇望にすっかり胸熱くなってしまった。当時の心性のドキュメンタリーになっている。若山セツ子がかわいいが(この時代ならこんなにも健康でいられたんだ)、演技賞ものは校長だね。[映画館(邦画)] 8点(2012-06-05 10:25:18)

11.  秀子の車掌さん 《ネタバレ》 これ初めて見たのが動労がやたらストをしていたころで、労働問題方面から眺めることになった。単純に資本家対労働者の図式でいくと、このころの国鉄のようにどうしようもない状態に追い込まれていっちゃうな、なんてことを思っていたときだったので、おこまさんがいろいろ工夫する楽しさを見いだしていくのが至って健全に見えた。でもけっきょく職場を能動的に楽しくするそういう工夫ってのが、最後は資本家を肥やすだけなのもこの映画のとおりなわけで、うむ、難しい問題だ、などと、詩情豊かな傑作をかなり特異な角度から眺めることになり、それはそれであとから思ってもユニークな体験だった。それだけ豊かな傑作だったということだろう。人物の描き方が一歩退いているのがよく、社長もどことなく愛嬌があり(この勝見庸太郎って、豊田四郎の『冬の宿』が記憶に残る名演だった)、作家もただの正義漢ってだけでなくヒョウヒョウとした味がある。ラスト、いざ案内をしようとするとコーラスが止まなかったり、美男の登山家がズラッとこちらを見てて照れてしまうなんてユーモアもいい。バスを停めて、下駄を履き替えに家に寄ったりするの。[映画館(邦画)] 8点(2012-05-08 10:22:11)

12.   かまくらやなまはげといった風物が織り込まれているってだけじゃなく、その扱いに詩情がある。落とし穴に落ちて雪を投げる子どもたちのシルエット、なまはげがくつろいで面を取ったのを盗み見て「インチキ」と呟くところなど、その扱いに懐かしさを含んだ詩情がある。仔を思う母馬が朝焼けのなかを駆け回る、高峰が病気の馬のために青草を探しに行く、弟を馬に乗って見送る、など、ここらへんのストーリーは常套的と言えば常套的なんだけど、それが繰り返し語られてきた物語を聞いているような、まるで時がたてばそのまま民話になってしまうようなファンタジーになっている。カメラが人物に近寄らないのも、民話の不特定の人物らしくなっている。顔のアップはラストの泣き顔だけだったんじゃないか。馬が仔を生んだときの家族のソワソワが一番いいシーン。小さな家族が一つの心配事を中心に寄り添っている光景のいとおしさ。詩情豊かではあるが、底には農家の貧困があり、馬を家族と見れば「離散もの」と言えるだろう。そして常に日本の少女は明るく健康でけなげなのであった。[映画館(邦画)] 8点(2012-05-04 15:38:17)

13.  失われた週末 《ネタバレ》 サスペンスには何も殺人が必要なのではなかった。人殺しなしでも作れるサスペンス映画の傑作。とりわけ前半は「アルコール依存症はいかにして酒を得ようとするか」というモチーフだけで、グイグイ見せていく。冒頭の窓辺に吊り下がった酒瓶だけでもう観客の心をつかむ。回想の中でのオペラシーンも傑作。ほかの観衆は「乾杯の歌」に聴き入っているのに、主人公だけはステージ上の乾杯の酒そのものに魅入られている。そしてステージ上のコーラスたちの揺れ動く姿が、外套の中に忍ばせていたラム酒を強く喚起していく幻想。セリフなしで彼の心中の動きが伝わってくる。ピークは酒場で隣席の客のバッグを盗むあたりから、タイプライターを質入れしようと街を彷徨するあたりまでのシークエンス。酒の代金を盗めてホッとしたあとトイレから室内に戻ってくるときのほかの客たちの視線で、ジワジワと発覚を知らせてくる緊張の高めかた、惨めさのどん底の室内でライトの上の酒瓶が神の顕現のように(あるいは悪魔の魔法のように)光っているとこ、シャンと立ち直ろうとする気持ちがどんどん崩れていく怖さが圧巻である。田代まさしもこんな心理的体験してたんだろうな、としみじみ思う。おそらく監督はサスペンス映画を作る楽しみで前半突っ走り、原作がどうなっているのかは知らないが、最後で映画の啓蒙性に考慮したような落着をとりあえず付け加えた。尻すぼみにはなってるが、映画にはそういう社会的使命も当時あったのだろう。看護士が依存症の幻覚について「ピンクの象は出ないが…」と言っていた。あちらでは過度に酔うとピンクの象が見えてくるという言い回しがあったんだな。ダンボが酔っ払ったときの幻想シーンがピンクの象から始まるのは、その通言に乗っかってたんだと、いまさら納得した。[CS・衛星(字幕)] 8点(2012-03-20 12:29:30)

14.  元禄忠臣蔵 前篇 2カット目で刃傷になる空前絶後の松の廊下。まずセットのすごさを見せて、ついで柱越しに捉えてゆるゆる移動するカメラ、吉良が浅野の悪口を言ってて、こちらに歩いてくるとその後ろのほうで座ってた内匠頭が立ち上がってこちらに走ってきて切り付ける。この緊迫感、文句ないですなあ。知らせを受ける浅野家での部屋を越えていく横移動、あるいは裁きへの不服を訴えるナントカのあとを追いかけていくカメラ、いずれも新鮮。構図美では屏風囲いの中での内匠頭を俯瞰で捉えたカット、障子ごとに座っている侍たちがアクセントになって実に美しい。切腹シーンは俯瞰で始まりゆるゆると下降していきながら、内匠頭が何かにハッとしてカメラが地上に降り立ったときに、家来が画面に入ってくる。内匠頭が中に入ると同時にまたカメラが上昇して、中の儀式と外の家来の嗚咽を同時に収める寸法。あるいは城受け渡しのときや、山科閑居の母と娘が去っていくときの駕篭を追うカメラ、など移動撮影の美の極致を見せてくれる。構図がどんどん変化していくことのサスペンス。俯瞰は権力志向だと言われるけど、クレーンで下降してくると、観客の視線が登場人物の高さに下りてくる、って感じもある。本作は溝口の映像テクニックを堪能するだけのためなら、一番ふさわしい映画。[映画館(邦画)] 8点(2011-06-08 12:16:01)

15.  或る夜の殿様 《ネタバレ》 だいたい敗戦直後の邦画は民主主義啓蒙のメッセージ性が強くて、当時の雰囲気を知る面白さはあるものの、あんまり楽しくないのが普通なんだけど、これは違った。こんなシャレたコメディが、この混乱期に作られていたとは。ヨーロッパ的で、なにかタネ本でもあるのかな。山田五十鈴の存在がさらに膨らみをつけている。いいシーンとしては、長谷川一夫がわざとコップの水を飯田蝶子に引っ掛けるとこ。そのあとの女中の顔が実にいい。アリガトウゴザイマスと驚きとがうまくミックスされた感じ。階級的恥辱感とでも言うのか、ああいう細やかさが日本映画のいいところなんだよね。観てるほうでもスカッとするし。ニセモノを作った志村喬ら三人組のワルガキぶりもなかなか面白い。舞台から下がってから笑い合うあたり。画面の奥のほうでほかの人の表情を見せるのもうまい。吉川満子が渋面作ってたりする。三人組がバレそうになって慌てるあたり。長谷川がいちいちカワしていくおかしさ。「私は一介の浮浪児ごときものと申し上げたはずです」。そしてすべては額縁から始まって額縁に収まっていくという趣向。シャレてるなあ。[映画館(邦画)] 8点(2011-05-09 09:56:31)

16.  荒野の決闘 アープがクレメンタインを連れて教会建設地へ連れて行くとこ。日向と日陰のコントラストが美しいし、そのあとの踊りを誘いかけるとこや踊ってるとこも、もちろんすごくいい。アープにとって一番楽しかった思い出になるであろう、という、今から回想しているような、懐かしさやらかけがえのなさやらが満ちている。もともと映画って、そういうものだし。決闘そのものより、そこまでの人の動きの緊張のほうが見せ場なの。アープがバーテンに「おまえ、恋をしたことあるか?」って尋ねると、「ありませんよ、ワシはバーテンだもん」ってとこも好き。西部劇のバーテンは、実存より本質が先行しているのだった。[映画館(字幕)] 8点(2011-02-28 09:18:56)

17.  ピノキオ(1940) 《ネタバレ》 無生物と半生物と生物の描き分けが、芸の見せどころ。『白雪姫』で滑らかな動きを見せた後で、こういうギクシャクした人形や時計をやってみたくなったのだろう。星の女神の動きなんかは、モロ白雪姫の線。人形小屋のシーンなんか、ピノキオと人形の動きを絡ませてなかなか憎い。でもこの映画の目玉は、玉突きしている仲間がロバになってしまうホラーシーンだ。後ろ向きで耳が飛び出し、尻尾が生え、顔が変わり、気づいた本人がピノキオに助けを求める手がヒヅメになっていく。これはそうとう怖い。アニメならではの成果。鼻が伸びるのもそうだな。あれ、嘘をつくといつかこのように覆い隠せなくなってしまうという、教訓比喩付だったのね。そして怪物クジラの量感。はたしてピノキオは今度は学校へ行けるのだろうか。[映画館(吹替)] 8点(2010-12-19 09:47:01)

18.  チャップリンの独裁者 あんなにもトーキーに抵抗しパントマイム芸の優位を説いていたチャップリンが、ただ顔のアップだけでしゃべり続けること。そのことの衝撃も、広い意味での「芸」であろう。おどおどしたものが勇気を出す、という、キートンやロイドとも共通したアメリカ理想の型を使って、演説に持っていった。なにより感心するのは、このときアメリカはまだドイツと戦争していないのだ。そしてドイツは一番威勢のいいときなのだ。もしこのままドイツがヨーロッパを圧伏したら、アメリカはドイツと外交交渉によってその後の世界を探っていく可能性もあった。そのときこんな映画を作っていた作家は、困難な立場に追い込まれたことだろう。それでも発言した勇気、これは開戦後に「安心」して量産された反ナチ映画と一緒にしてはならない。この勇気の前には、作品としてどうこう言うのもはばかられ、とにかく映画史が持った偉大なフィルムであることは間違いない。ただ映画芸術史の流れで捉えると、なんか、音楽史におけるベートーヴェンの「第九」に相当するんじゃないかと思うことがある。純粋な律動を楽しむ芸術であった西洋の器楽曲、しかし第九のラストに演説のように登場する合唱で、不純な言葉=意味が入り込んできた。そしてバロック・古典派という、天上の世界を写し取って頂点に達していた音楽史は、ロマン派という作曲家個人の心の内面を歌う地上の世界に下降してくる。映画史も、このラストの演説を切り替えどきにしたように、天上のパントマイム芸から地上のセリフ芝居へと移ろっていく。もちろんそれでいいのだ、歴史とはそういう変化を受け入れ展開していくものなのだから、それでいいのだけれど、あの無垢な無声の時代がやたら懐かしくなるときも当然あるわけで。[映画館(字幕)] 8点(2010-12-16 10:03:43)(良:1票)

19.  飾窓の女 《ネタバレ》 もう不安がいっぱい。唐突な殺人から雨あがりの街へ。死体を運び出そうとすると帰ってくる住人、公園の入り口の料金所、ザザッと降ってくる木の露、信号がストップになって笑いかけてくる警官。しかしホントに怖くなるのは死体が発見されてからで、友人から捜査の進展が逐一報告されてくるの。女を突き止めたそうだと言われたとこで話が中断されたりするジラシ。ラジオのニュースの前に胃薬のCMが入るジラシ。こうやってジラすのがうまい。つい喋りすぎてしまう、というパターンは少し使いすぎたか。現場検証の場が一つのヤマ。「何の缶詰でした?」。尾行がついていたはずだ、とまず会話でユスリ屋を登場させるのもいい。このユスリ屋が部屋の中を探し回るのが次のヤマ。やけにきれいだねえ、とテーブルをなでたり、クネクネした動きが実にいやらしい。最も甘美な夢は、実は悪夢である、ということ。[映画館(字幕)] 8点(2010-11-10 10:08:10)

20.  小原庄助さん 《ネタバレ》 このもと封建地主、保守的なのではない。ミシン教室も開き野球もする。農村文化の振興おおいにけっこう、ただその旗振りは勘弁してくれ、というところ。ダンス教室もいいが自分は踊らない、柔道していたころを回顧する。和尚の娘を連れ戻すことを頼まれても、まあこういう生き方(ヤミ)もあろうと帰ってくる。村長になる気はない。時代に対するこのスタンスに、とても共感できた。家が重しになって働けなかった、でもこれで自由になれた、というラスト、「終」ではなく「始」と出る。古い拘束に対するヤンワリとした批判、これは新東宝の映画で、おそらく当時の東宝だったらもっと戦闘的に封建的なものを槍玉に挙げていただろう。でも裏を表に返しただけの民主主義演説映画よりこっちのほうが実感がこもってるし、名画として残ったのもこっちだった。家を横切る長い移動撮影が印象的だが、借金取りを見かけてロバだけを家に帰すあたりの、のどかな詩情も捨て難い。[映画館(邦画)] 8点(2009-01-30 12:20:52)

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