みんなのシネマレビュー |
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【製作年 : 2000年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
1. ハッピー・フライト(2003) オスカー受賞と『アイアンマン』や「カントリーストロング』以前のパウトロー映画が好きなのですが(駄作ではないが、決して突出しておらず、どこか一カ所どうにかすれば化けそうな映画群)、これまた同じような品質。完成されているのに未完成な映画が好きです。あと、細部ですが最初の航空会社のドン・キホーテで売ってるかのごとき、ぴらぴらの制服がツボでした。鑑賞中ずっと幸福。[DVD(吹替)] 10点(2012-11-11 22:30:04) 2. 倫敦から来た男 映画の冒頭から、鋭い明暗の対比と、ゆったりとした船の運動が挿入され、ドキドキ。まるで、サイレント映画のようなセリフの少ない展開と、もったりとしたカメラワーク。さらに、わくわく。音楽で持たせるワンシーン、ワンショットは、本当にサイレント映画的だけれど、波の音や時計の音、食器にスプーンが触れる音などの環境音の演出に、感動した。これは、すごい映画ではないか![DVD(字幕)] 5点(2011-10-26 14:30:37)(良:1票) 3. フォーガットン 《ネタバレ》 アルフレの吸引シーン(世間では、逆バンジーや、ズバコーンと呼ぶ)は、本当に素晴らしい映画的発明で、それだけでこの映画が大好きになる。映画館で鑑賞したのだが、何だかすごく心が豊かになった気がした。物語が全くなっていないけれど、映画はお話ではないし、ジュリアン・ムーアの演技力と、手堅いミステリーがとても感じがいい。繰り返しになるけれど、本当に大好きな映画です。[映画館(字幕)] 10点(2011-07-27 01:41:45) 4. 月に囚われた男 《ネタバレ》 事故車にもう一人の自分を見つけた後の、状況のわけのわからなさがたまらない。これがどういうことで、どうなったんだ、っていう自問自答の数秒間は、幸福な映画的快楽だった。その後の展開は、奇妙に新しく感じ、クローンの自分と友情を築くという展開も、面白いうえに、教訓的であった。今日から自分も、自分のことを友人のように扱ってあげようと思う。[DVD(字幕)] 5点(2011-07-27 01:37:13)(良:2票) 5. ネスト(2009) 父子家庭という珍しい家族形態を表象しているわけだけれど、それと家庭を脅かす敵との相関関係ができていないと思った。『鳥』であれ、『エクソシスト』であれ、家庭を脅かす外敵と、家庭内の問題は美しい比喩関係で結びついていなければならないと思うんだ。的に関しては、「男だけの種族で……」みたいなことが述べられていたけれど、それと、家庭の関係性をひねり出すには、ちょっと不自然な思考を必要とする気がするんだ。それって、この手のホラーでは致命的な欠陥だと思う。ただ、ラストの写真立ての反射を利用したカットは、たまらなくきれいだ。[DVD(字幕)] 5点(2011-07-25 03:34:00) 6. CODE46 サマンサ・モートンは、どうしてこう面白い映画ばかりに出るのかな。審美眼が確かなんだな。尊敬。[DVD(字幕)] 10点(2011-07-25 03:21:41) 7. うつせみ 理想のコミュニケーションが描かれており快適だった。[DVD(字幕)] 6点(2011-07-24 09:13:05) 8. 犬猫 落ち着いた色の布地に、タイトルロールや配役を表記。うん、小津安二郎への自己言及。たしかに、食卓を映した固定ショットや、ロングショットは小津的ですな。そんな映像が、監督の感性豊かな温かい絵でもって描かれる。とても、感じが良い。そして、小じんまりした邦画にありがちなことで、会話は聞き取れないわけだけれど、全く重要なことを話してないから問題なし。というか、映像の中でも、「重要」なシーン(同棲相手の男を捨てるところとか)が描かれていない。さらに、ショットとショットの編集が、つながりを持っていない。家に帰るヒロインのショットの後、別のヒロインが家に帰ってきたりする。物語映画における空間的な連続性も、時間的な連続性を、監督は全く意識していない。小津にオマージュを捧げつつも、小津映画のなかにあった時間イメージを崩壊させている。ちょっと映画史的にすごいかもしれない。[DVD(字幕)] 5点(2011-05-18 14:37:10) 9. ゾンビランド 芸も細かい、ツボも押さえている、ノリもよい、下品でもない。特に文句のつけどころはないけれど、何となく乗れない映画だった。[DVD(字幕)] 5点(2011-05-16 03:35:59) 10. 愛を読むひと 《ネタバレ》 たまらない。前半のひと夏の恋はまあいいとして、後半の「朗読者」(語り手)と「読者」(聞き手)を映像化した編集がたまらない。『めぐりあう時間たち』でも、読者と作者、そして、登場人物という構図を用いつつ、巧みな人間関係のドラマを展開したこの監督ですが、今回でもその構図を利用して、すばらしい映像を作っていました。作者と読者、あるいは、この映画の語り手と聞き手は、距離的に離れていて会えないにもかかわらず、モンタージュという媒体によって、距離も時間も超えられるという妙。そして、何より精神的には近いという妙!これって、D.W.グリフィスが作った「海岸ロマンス」(恋人が海で遭難、女は陸で待つ。距離が二人を引き裂く要素となっている。)というジャンルのある種の変奏ではないかと思ったりします。1910年代の原初的な映画の基礎を流用しつつ、きちんと進化を遂げているダルドリーはすごい![DVD(字幕)] 9点(2011-05-14 02:44:46) 11. アンナと過ごした4日間 《ネタバレ》 なかなか始まらない映画だなと思った。通常映画も人生も、「自分は絶対的な視覚の持ち主だ」と思っている万能感溢れる地点から、「この資格という能力は誰でも持っていているんだ」という認識にいたってから始まる。だって、相手が視覚っていう能力を持ってないと、コミュニケーションが始まらない。見つめあう二人を交互に映す切り返し編集なんてその際たる例だよね。(ちなみに、『シェーン』もこの「気付き」から物語が始まる。鹿を銃で狙う少年が、実はシェーンに見られていたことで、二人の交流が始まるのだから)しかし、この映画、とことんコミュニケーションが存在しない。アンナは寝てる、面会でやっと会ったと思ったら、映画は終わる。開始一分で終了する映画って、なかなか奇をてらっていていいと思う。[DVD(字幕)] 5点(2011-05-14 01:07:54) 12. 17歳の肖像 《ネタバレ》 退屈ですが、面白い映画でした。ステレオタイプなようで、変則的のようにも感じる。少しぐっときたのが、復学の要望を出すのにキャリー・マリガンが、校長室のソファーにちんまり座っているところ。彼氏とその仲間及び、学校という両方の社会から切り離されて心細い感じと、ちんまり座っている感じの映像と物語の調和、そして、切り離されたからこそ感じる彼女自身の存在感(それがまあ、ちんまりしているわけですが)にやられました。好きな映画です。[DVD(字幕)] 5点(2011-05-14 00:02:47) 13. ファイナル・デッドサーキット 3D 私はこの映画を非常に高く評価している。この作品は、ハリウッド映画のひとつの達成である。ハワード・ホークスは、農具を銃撃戦のための遮蔽物として描いた。これにより、農具は西部の雰囲気を醸し出すという役割から解放された。神話や歴史的意味から、物それ自体を解放したのである。これは、二十世紀初頭に交流したモダニズムの特徴である。ファイナル・ディスティネーションシリーズでは、ハワード・ホークス的な演出を踏襲する。「物」がその歴史的、神話的文脈から解放され、殺人マシンと化すのだ。車、天井のファン、芝刈り機、排水溝は、本来の役目を放逐し、殺人という目的のみに奉仕する。純粋に殺人という機能に還元された装置!こうして、「物」はオブジェと化すのだ。まさに、モダニズム!あの抽象性!二十世紀初頭、たモダニズムは一部のインテリにしか広がらなかった。しかし、二十一世紀の今、ファイナル・デッドサーキット3Dにおいて、モダニズムはエンターティメントへと昇華された。モダニズムは、百年の時を経て、今ここで開花したのである!素晴らしいとしか言えない![映画館(吹替)] 10点(2009-10-31 23:32:59) 14. わたしのグランパ 《ネタバレ》 不良が学校の窓ガラスを割るシーンが、非常に印象的です。なかなかきれいな映像でした。[地上波(邦画)] 5点(2009-10-31 05:17:58) 15. 譜めくりの女 各シークエンスに力があり、怪しげな緊張感が漂っている。この監督の演出力に、並々ならぬものを感じた。多くを語らないデボラ・フランソワの不気味な存在感、またチェロを足に落とすシーンにおける完璧なモンタージュにやられた。時間を置かずに、思わず二度見てしまうほどの傑作だった。[DVD(字幕)] 9点(2009-01-16 16:35:43) 16. ブラインドネス 《ネタバレ》 カンヌ映画祭で苦戦を強いられたという本作。たしかに、登場人物を突き放した視線で眺める演出は不愉快。しかし、僕はこの映画を大いに楽しむことができました。それはジュリアン・ムーアが非常に感情移入しやすい女優だったからです。この点は『フォーガットン』の監督、ジョセフ・ルーベンも同様の意見です。そのため、登場人物を突き放した演出手法なのにもかかわらず、僕はジュリアン・ムーアに感情移入することができ、上映中常にはらはらどきどきしていました。 僕がもっとも恐れていたのは「ジュリアンが失明する」ということです。この白の病の原因は不明で、ジュリアンが病気にかからないという保障はどこにもありません。だから、スーパーの暗闇で、スクリーンが真っ暗になった時、僕は尋常じゃない恐怖を覚えました。あぁ、ついにジュリアンも失明したのだ、と。 感情移入の対象が失明するのは、それが死ぬことよりも恐ろしいことです。別に感情移入の対象が死んでも、観客が死ぬわけではないのですが、感情移入の対象が失明したら、観客も失明します。少なくとも、映画はそれをする力がある。スクリーンに何も映さず真っ暗にするという演出方法など、映画は観客の視覚を操作できるのです。 だから、映画のラスト、伊勢谷友介が視力を回復した時の安心感といったらなかったです。本当に「重荷から解放された」といった感覚です。 しかし、このような「感情移入の対象が失明するかもしれない」という不安を与えるには、メイレスの突き放した演出は不適切だといます。〈追記〉やっぱり、これは傑作です。劇中ジュリアン・ムーアが失明することはありません。しかし、「ジュリアン・ムーアがいつ失明するか否か」という点が、やはりこの映画を引っ張るサスペンス要素になっています。スーパーの地下室及び、収容所で時計が止まった場面、加えてラストシーンの演出において、あたかもジュリアンが、視力を失ってしまったかのような演出がなされます。その度に、僕は「あぁ、ついにジュリアンも失明したのだ」と思いました。それは勿論、監督によるトリックであったわけです。その視力を奪われてしまうかもしれないという不安感が、「ブラインドネス」の醍醐味であり、最高スリリングな点です。だから、10点!映画観に来た観客を失明させようとする映画なんて、前代未聞![映画館(邦画)] 10点(2008-12-11 15:19:28)(良:1票) 《改行有》
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