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1. ブラックバード、ブラックベリー、私は私。 《ネタバレ》 本作の監督、主演、原作者は全て女性 (ジョージア人) 。そして、物語の舞台もジョージア。 「一人は好きだが、独りは寂しい」そんな48歳の独身女性エテロと、その結婚感にまつわる物語。 まず、閉鎖的な田舎町で、彼女の未婚を蔑む年増女たちがいる。その他は、女性カップルがいて、パンク風の女の子も登場する。だからどうしても、製作・出演の女性たちによる、女性の生きづらさ (フェミニズム) の声が聴こえてはきます。唯一、ムルマンだけが男性ですが、このテーマからは蚊帳の外で、あくまでエテロの恋愛対象としての存在。まるで、男は仲間はずれにされているようだけど、本作を普通の「恋愛映画」として楽しめた、、そんな私 (男) もきっと蚊帳の外。 脚本としては、エテロが体調に異変を感じたあたりから、バッドエンドを予感させつつも、全くそうではなくて、予想外の展開が秀逸。 それと、お店やお家を彩るパステルカラー、彼女たちが着ているカラフルなお洋服、、これが視覚的に楽しめるもので良かったと思う。[映画館(字幕)] 7点(2025-02-14 22:36:01) 2. 陽光桜-YOKO THE CHERRY BLOSSOM- 《ネタバレ》 新種の桜作りにその生涯を捧げた、実在の農業家である高岡正明氏の映画です。本作を観るかぎりでは、かなりの変人ではあるが (失礼) 、その屈託のない人間性が人を惹きつける好人物、、そのように描かれていた。 ストーリーが「奇跡のリンゴ」によく似ているが、実はその映画で主人公のリンゴ作りを邪魔する敵対キャラとして出演していたのが、笹野高史さん。その二年後に本作のキャスティングとは、なかなか面白い巡り合わせと思う。 前半はコメディタッチですが、背景に戦争が見えてくると、映画に漂う空気と、正明氏に対する見方 (印象) も変わってくる。氏は戦争で苦い経験をしながらも、他国への敵対心を燃やすことなく、桜によって外国との友好を目指したところ、そこに深い信念を感じました。 やや、NHKの連続テレビ小説のような映画でしたが、立派な志を後世に伝えていく、、という意味では、価値のある一作と思えます。[インターネット(邦画)] 6点(2025-02-09 14:09:00) 3. ひと夏の隣人 《ネタバレ》 これを言ってしまうと元も子もないけど、千織 (山口まゆ) は、まるでカルピスのCMのように爽やか溌剌なイメージで、登校拒否中の引きこもり女子にはまるで見えない。なんかこう、、人間不信を感じさせるような、もう少し陰のある役作りがほしいところ。 最終的にその千織が復学し、隣人 (田口トモロヲ) は逮捕されて、全て一件落着、、のようには見えるけど、、彼女が女教師に行った数々の所業は立派な殺人未遂であり、この映画がそれを看過していることが、どうしても納得できない。 一方の、隣人さん。千織との交流によって過去を悔い改め、そして自首することを選んだ、、この展開を私は期待したが、普通に「お縄を頂戴」で見事にズッコケさせてくれた。 さも二人が前に進んだような終わり方だけど、この出会いによって二人が反省したり成長したようには見えないんだよなあ、、。 困ったことに。[インターネット(邦画)] 3点(2025-02-07 22:42:56) 4. 花椒の味 《ネタバレ》 異母の三姉妹、父の死をキッカケに香港の火鍋店「一家火鍋」に、ご集合。 それぞれ、香港、中国、台湾に暮らしていた、、という設定ですが、そこにはもちろん、「難しい関係の国家同士、仲良くやりましょう」という、壮大なメッセージが込められていますかね。 内容としては、三姉妹の生い立ちにこだわるあまり、厨房の仕込みや調理、そして「火鍋」そのもの、、そのあたりの描写が少なかった気がします。特に、中華料理の厨房は汗と油まみれで、それこそ「きつい」「汚い」「危険」の過酷な力仕事なんです。だから、ユーシューさん、、厨房でキレイなお洋服 (ニット) はありえないでしょ・・(笑) あと、料理を題材にした映画で、ゴキブリを何度も登場させるのはセンスを疑ってしまう。[インターネット(字幕)] 5点(2025-02-05 22:43:17)(良:1票) 5. ブルーベルベット デビッド・リンチ監督による作品群の系譜からすれば、本作と、ロスト・ハイウェイ、マルホランド・ドライブで、同系統の三部作といったところか。 全て、不条理であり、難解である。しかし、理由や答えを求めることなく、人間たちの倒錯した世界、そしてそれを彩る映像美と音楽に身を委ねて、その世界観に陶酔していればいいのかも。そう、これこそが、魅惑の「リンチ・ワールド」というやつだ。 強いて言うなら、監督の作品群においても、特にこの三作は「女性」が妖艶な美しさを放っていた。 先日、そのデビッド・リンチ監督が亡くなった。映画界としては、「デビッド・リンチ」という、一つの映画ジャンルが喪失したに等しい。それほどの、唯一無二の個性であったと思う。 長い間、もう一作を心待ちにしていたが、、今は、多くの映像体験にただ感謝と、さらばリンチ、、そして安らかに。[DVD(字幕)] 8点(2025-01-17 23:25:48) 6. PERFECT DAYS 《ネタバレ》 音楽、写真、観葉植物、、といった「趣味」。 銭湯、飲み屋、古本屋、、といった「場所」。 そして、少しのお金と、それを得るための仕事。 平山 (役所広司) の「ルーティン」は、まるで私のことのように当てはまり、だから、とても居心地良く、安心して観ていられた。 その平山が案内人となり、渋谷や下町あたりの、普段あまり気にも留めないような風景が美しく撮られていた。それは毎日同じ風景のようでいて、時間、天候、季節によって全く違う顔を魅せる。 つまり、トイレ掃除も、日々の「ルーティン」も、毎日が劇的なドラマであり、およそ退屈とはほど遠い、完璧な日々ということになるのだろうか。 ・・・PERFECT DAYS。[インターネット(邦画)] 8点(2025-01-06 23:07:02) 7. いつか晴れた日に この豪華キャストはよいけど、、エマ・トンプソンに、ヒュー・グラントに、アラン・リックマンって、、これは「ラブ・アクチュアリー」と被りすぎ。(公開はこっちが先だけど笑) 鑑賞中、あの映画が頭にチラついて仕方ないッス。ついには、ケイト・ウィンスレットがキーラ・ナイトレイに見えてきたッス・・・。 でも、エマ・トンプソンのしゃくり上げ号泣には感動しました、はい。個人的には、これだけ心を打つ涙は「シンドラーのリスト」のリーアム・ニーソン以来かな。ん、リーアム・ニーソン? 確か、あなたもラブ・アクチュアリーよね・・・。 って、今日はクリスマスイブじゃないか!! 今から「ラブ・アクチュアリー」でも観よう~っと (笑)[インターネット(字幕)] 7点(2024-12-24 21:28:40) 8. 悪人 《ネタバレ》 成り行きで、悪いことをしてしまった者。(祐一) 悪いことをしている、という自覚のない者。(増尾クン) 悪いことをしている、という自覚のある者。(ぼったくり商法のオッサン) 「誰が本当の悪人なのか?」を視聴者に考えさせる群像劇であり、出演者のほぼ全員による熱演も手伝って、たいへん観応えのある内容となっていた。 悪人の定義づけは難しいが、犯した罪を後悔しているか否か、そこが重要であると私は思っていて、そういった意味では、祐一は根っからの悪人ではなく、不運に見舞われた "被害者" のようにも見えるのが、本作の救いがあるところ。ラストカットの、祐一を再生へと導くように照らす朝日の美しさ、、そして、それに涙する彼の表情が多くを物語っていたと思う。 そもそも、被害者の佳乃 (満島ひかり) を見ると、SNSで男漁りに明け暮れて、自ら破滅していったような印象すら受ける。悪人なんて、そこら中にいる。すぐそこにもいるし、会社にも、電車の中にも、特にネット上なんてウヨウヨと潜んでる。だから、善人と「悪人」を見極めて生きていくことの大切さ (難しさ) 、、本作は被害者側や視聴者 (=第三者) の視点からも、改めて今の生き方や人間関係を見つめ直させるような、教訓的な内容にもなっていた。 話がそれるが、昔はネットで男女が出会う映画と言ったら、幸せなストーリーが多かったが、、時代が経つにつれて、まるで世情を映し出すように、荒んだ内容の映画が増えた気がする。 昔なら例えば、森田芳光監督の「(ハル)」、あれは本当に良い映画だった。たんなる偶然とは思えないが、同じく深津絵里が重要な役どころで、やはり本作と同じように、寂しい日本の片隅から、メール通信でひっそりと幸せを探していた。もしかしたら本作は「(ハル)」の姉妹編なのかもしれない。 SNSという画期的な出会いの手段は、多くの出会いを生み、そして多くの「悪人」を生む温床になるとは、あの頃は誰が予想できたであろうか?[DVD(邦画)] 8点(2024-11-27 21:20:11)(良:1票) 9. 侍タイムスリッパー 《ネタバレ》 大ヒットを嗅ぎつけての鑑賞。 何しろ「タイムスリップ」&「侍」ですからね。どう撮っても、そこそこは面白くなりそうな気がします。いやいや、実際に面白かったし、近年の時代劇コメディの中では、出色の出来だったと思えます。 しかし、私が思うに、たくさんの年配リピーターを生んだのは、高坂新左衛門、このおサムライさんの「お人柄」に尽きると思ってます。素朴で、純情で、はにかむ人。好きな娘を前にすると、ポッと赤くなる人 (笑) 最近の日本映画では絶滅危惧種のような人物であり、こちらが昭和時代の映画館にタイムスリップしてしまったのかと。きっとリピーターのみなさん、彼にまた会いたくて、映画館に戻って来てるんだな。 最後の殺陣では高坂新左衛門の勇ましさが際立ちますが、間違いなく "はにかみ屋さん" とのギャップ萌えによる効果もあったと思う (笑) 思えば、時代劇の "斬られ役" にここまでスポットを当てた映画もあまり記憶にありません。でも本作って決してそこにとどまらず、全ての端役、脇役、斬られ役、助監督、武術指導、衣装、カチンコ、、そして撮影所、、古今東西の映画 (時代劇) 制作に携わってきた全ての人や舞台への愛ある「裏方賛歌」となっていて嬉しいかぎり。[映画館(邦画)] 8点(2024-11-07 22:35:24)(良:1票) 10. パーフェクト・ケア 《ネタバレ》 一応は「後見人制度」のお話ですが、それは一つのモチーフにすぎなくて、本作はとにかく、マーラ (ロザムンド・パイク) のお話と思って観るべし。何しろ彼女は、人間性の破綻した、美貌のワンダー「キャリア」ウーマン。彼女のその存在感だけで、最後まで魅せる内容となってますから。ツカツカと女王様気取りで、特にクレオパトラを意識したその髪型に私はなぜかドキドキしっぱなしでした (笑) 展開としては、手堅い社会派サスペンスにしておけば良かったものを、裏社会の権力者のような類いが絡んでくると、やはり予想した通りの安っぽいアクション映画に陥ってしまった。カースタントとか、彼女の完全無欠ぶりを示したいのでしょうが、そもそも、女医は瞬殺しておきながら、マーラは事故死に見せかけて殺そうとする、その意味が理解できません。 もちろん、彼女の人間性を踏まえると、最後は「それ見たことか」と感じたことを誰しも否定できないでしょう。 「人間は2種類に分かれる。奪う者、奪われる者」「捕食者とその餌食」 冒頭の、彼女の言葉です。 そして最後には、"命" 奪われる者になり、捕食者の餌食になり、映画の構成 (オチ) としては完璧な気もしますかね・・・。[インターネット(字幕)] 6点(2024-11-05 13:52:11)(良:1票) 11. 釣りバカ日誌 《ネタバレ》 本作の公開日は、1988年12月24日。つまり、「昭和」時代に公開された、唯一の「釣りバカ日誌」ですね。この時点で、長いシリーズの中でも、特別な一作であることを物語っている気がします。 シリーズを通して、大企業の社長 (スーさん) と万年窓際族の平社員 (ハマちゃん) の二人が、釣りという「趣味」によって、まるで上下関係が逆転したような姿は喜劇的であり笑えます。 ・・・でもね、この姿は本当は「普通」なんですよ。休日を返上してまで、早朝からお偉いさんや取引先の自宅までお車でお出迎えして、一日中、釣りやゴルフでゴマすり接待。そういう関係が常態化した日本の会社社会、この二人の関係が目新しいと思うこと、、むしろそれが "異常" なのかもしれません。 批判覚悟で言ってしまうと、長いシリーズのなかで、本当に良かった、と言えるのは本作だけです。もちろん、大きな理由があります。スーさんがハマちゃんの正体を知り、ハマちゃんがスーさんの正体を知ったこと。二人は驚愕し、悩み、、そして、それでもなお「釣り仲間」として今までの (対等な) 関係を続けたこと。シリーズ全てを観てはいませんが、これ以上に心打たれて感動するエピソードは、この先にはないと確信したから。 先日、西田敏行さんが逝かれました。 長い間、本当にお疲れさまでした、そして、邦画界にもたくさんありがとう。 どうかそちらでも、スーさん (三國連太郎さん) と、思う存分、釣り三昧してください。[地上波(邦画)] 8点(2024-10-18 22:22:03)(良:2票) 12. ある日どこかで 《ネタバレ》 まず、スーパーマン x ボンドガール x ジョーズ2 (の監督) 、という、無茶苦茶な組合せにして、この内容である。だから映画は作ってみるまで、どうなるかわからない (笑) この映画は、始めから最後まで、一部の隙も無く美しい。その映像美もそうだが、もちろん主演二人の容姿もそうだ。ジョン・バリーやラフマニノフによる旋律も、甘く切なく美しい。アンティークな美術品の数々は、「時間」の流れが優雅で美しいことを感じさせてくれる。本作を、まるで過去の恋人のように、忘れられない大切な映画の一つ、という人も多いようだが、それも頷ける内容である。 なお本作は、タイムトラベルもの、として認知されているようだが、私の考えは違った。私はこのストーリー全て、リチャードの「Running light」(走馬灯) 、と思う。彼が死ぬ間際に一瞬だけ脳裏をよぎった、永遠の愛の話。ある日どこかで、愛した人がいるなら、きっと最後にまた逢える、、。 最後の旅は、(最も美しかった) 過去へと時間を旅することに近いのかも知れません。 誰にとっても。[DVD(字幕)] 8点(2024-08-15 23:42:41)(良:1票) 13. 猫は逃げた 《ネタバレ》 かわいい猫ちゃんの映画だし、あの今泉監督だし、ユルめの恋愛コメディと思っていたら・・・。その予想に反して、思い切った "濡れ場" の数々に驚かされた。 そこで、近年は世間 (映画界) を賑わせることも多い、映画監督による出演女優への性加害問題について。本作にも、まさにその騒ぎを予見するようなエピソードがあり、私は苦笑いをしながら眺めていた。自ら心当たりのある監督さんが、あえてこのようなエピソードを撮るはずもないので、そういう意味では、今泉監督はうまいこと "予防線" を張っていたわけだ。(ほめ言葉です) もう一つ、女優のラブシーンを撮るにあたり、近年は「インティマシー・コーディネーター」という職種が注目されている。それは、演出側と演者側の間に入り、間違いが起こらないよう演者の尊厳を守り演出を調整する、とされている。要するに、監督の監視役であり、女優のボディガードみたいなもん。その抜擢については監督の判断に委ねられるらしいが、今泉監督は本作でインティマシー・コーディネーターをおくことを選択し、その大役をどうやら「カンタ」にお願いしたようだ (笑) あれなら、きっと女優さんも安心するのではなかろうか。つまり、今泉監督はここでも、先手を打つように "予防線" を張っていたわけだ。(また言っちゃった) ・・・おっと、かなり話が脱線してきたので、ここまでにしておこう。 本作に登場する河川敷は、うちのすぐ近所で、私のいつものジョギングコース。映画の中の、見慣れた日常の風景に1点だけ加点。[インターネット(邦画)] 7点(2024-07-30 22:45:43)(良:1票) 14. ぜんぶ、ボクのせい 《ネタバレ》 松本まりかママは、優太クンに虐待はしていなかった。いやむしろ、愛情は少なからずあるが、自分に子育ての裁量がないことを理解していて、あえて子育てを保護施設に任せている、私にはそう映った。そういうことであれば、一緒に住んでいて育児放棄するよりは、よっぽど健全かもしれない。 ちょっと脱線したが、、本作は育児放棄を描いた社会派ドラマの体を成しつつ、優太少年の心の成長記、といった内容になっていた。 特に重要なことは、この境遇でありながら、少年が道を踏み外さなかったこと。私なら、、きっとグレてたと思う (笑) ・・・そう、この映画は、少年を非行へと走らせない。名古屋に行こうとしたら、「車」が燃やされた。次は「電車」で行こうとしたら、警察につかまった。まるで、名古屋へは行くな、と、何か見えない力が少年を引き留めているようだ。オダギリも、詩織少女も、気のいい人たちだったが、素行の良くない面もあり、少年が正しい人生に向かいたいなら、行かなくて確かに正解だったのだ。少女と少年が二人で見知らぬ地へ逃避行では、映画的にはロマンチックだけど、現実的にはそれは「非行」だから。 詩織が歌った「夢で逢えたら」は、刹那的に美しく、まさに夢のようであった。二人はあの瞬間を大切にして生きていけば、それでいいと思う。 全体的に、出来事に対して答えをハッキリと見せず、意図して視聴者に考えさせるような展開が多かった。 ママが育児放棄する理由。(さっき考察してみましたが) ウサギが死んだこと。(自然に死んだ?殺された?誰に?) 車を燃やした犯人。(本当にあの不良たち?) 象徴的に登場する「一路橋」。(ネットで検索してね) そして「ぜんぶ、ボクのせい」の意味。 最後は人生のドン底に落ちきった感じで、そういう意味では実は前向きな終わり方ですかね、、なかなか複雑な気分。[インターネット(邦画)] 7点(2024-07-22 23:36:16)(良:1票) 15. SOMEWHERE そのむかし。 酔った勢いでキャバ○ラで数時間豪遊して、終電が無くなり、始発まで漫画喫茶で数時間を潰す。 そして次の日、二日酔いの寝不足でふらふらとデートの待ち合わせに向かう。 そして現れた、聡明でイノセントな彼女の姿を見て、僕は「ハッ」となった。 オレは一体何をしていたのだろう? その時の虚しさ、後ろめたさ、何より大切なものに気づいたこと・・・ クレオが画面に登場するたびに、その瞬間を思い出さずにいられない映画だった。[DVD(字幕)] 7点(2024-07-16 22:29:29)(良:1票) 16. 海辺の家 とにもかくにも、サム (ヘイデン・クリステンセン) のファッションが残念。彼の姿だけがこの美しい海辺の風景に全く調和してなくて、家どころか映画全体の雰囲気をぶち壊してる。 あれなら、いっそのことダース・ベイダーのコスプレの方がよかったかな。[インターネット(字幕)] 6点(2024-07-16 22:25:22) 17. ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ 《ネタバレ》 真夏に季節はずれのクリスマス映画を鑑賞。 1970年、アメリカはボストン近郊の寄宿学校が舞台。冒頭、クリスマス休暇前、浮かれた学生たちでごった返す学校の喧騒がある。学生たちは次々と帰省してゆき、帰り損ねた生徒がたったの数名になる。その後、とうとう問題児が一人取り残され、問題教師と女料理長と合流し、いよいよ (本当の) 本編の始まり・・。ここまでが、ちょっと長い。しかし、段階を踏んだことにより、三人の "取り残された感" がより強調されていた。おまけに、人数が減るたびに、学校がだんだんと広くなり、対象的に人と人との距離は近くなっていくような不思議な感覚があり、そこが狙いだったようにも思う。 ストーリーの根幹は、人生の停滞者たちが、家族以外の出会いによって前進してゆく、、というもので、その描き方は温かくもあり、けっきょく人生は孤独でほろ苦い、、という、実にアレクサンダー・ペイン監督らしい人生賛歌となっている。 なお、及第点の映画として終わりそうな本作であったが、最後のハナムとタリ―の別れの場面が、本作を私にとって特別なものとした。交わした言葉は少ないが、二人の固い握手と、タリ―の後ろ姿を見つめるハナムの表情が、彼らの出会い (の意味) と、これからの人生を雄弁に物語っていた。 思えば、ハナムには子がなく、タリ―には父の不在があった。その背景は、親子ほど歳の離れた二人の関係に深みを与えていたように思う。 クリスマスのお話なので、できれば、コートにマフラーを巻いて映画館を出たかったが、、今回は真夏にしばし心の避暑地に行ってきた、そう思うことにしよう。[映画館(字幕)] 8点(2024-07-14 12:29:05) 18. ブータン 山の教室 《ネタバレ》 良くも悪くも、ブータンという国を世界に発信する「PR」映画、といった内容です。ただし、作られること自体にとても意義のある映画とは思いますし、見たことによって得られたもの、私がブータンの人々に教わった「こころ」の価値を考えて、この点数とさせていただきました。 道中の、コイナ村 (と言っても人口3人) 。貧乏なので裸足で暮らす父親、その幼い息子はピカピカの靴を履いている。これは端的に、ブータンという国を私に教えてくれたエピソードでした。 標高4,800メートルのルナナ村から眺める絶景、生徒たちの純朴な瞳、、全てが忘れ難いものです。当然、この環境では、食べ物、物資、、その一つ一つの有難みも、全く違うでしょう。 見ていて、「二十四の瞳」を思い出しましたが、青い大空の下、小高い緑の丘、ギターを持った先生、そして生徒たち、、「これは、このシチュエーションは、、あれが来るに違いない・・・」 ビンゴ! サウンド・オブ・ミュージック!! ですよね? (歌は違うけど) なお、国民の幸福度が高く「幸せな国」として有名なブータンですが、残念ながら近年は下方修正しているそう。情報の普及により、色々な世界を見て知ってしまったから、、でしょうけど、、それならば、ルナナ村のように外界から僻地で情報に乏しいこと、これも幸せの一つの在り方なのかと考えさせられます。[インターネット(字幕)] 7点(2024-06-24 22:43:36)(良:1票) 19. Helpless 《ネタバレ》 本作につき、健次 (浅野忠信) が着ていた、ニルヴァーナの「Nevermind」Tシャツが妙に気になりませんか? このアルバムが発売されたのは、1991年の9月。そして、本作の時代設定は、1989年の9月。・・・ はい、つ、じ、つ、ま、が、合、い、ま、せ、ん。 青山監督。これがうっかりミスならば、さすがに救いようがない。 (まさに、Helpless) しかし、あれほど "PR" しているわけだし、あの名盤の発売日を監督が知らないはずがない。(よね?) であれば、、実は、監督はニルヴァーナ「Nevermind」の "アンチ" なのか。(つまり、単なるTシャツの絵、程度の扱いとして、わざと間違えてやった) それとも、健次があのTシャツ着て登場した以降は、1991年以降の設定だったりして。(二年ほど早送りされていた) あるいは、映画は芸術性 (映像・音楽・空気感) でこそ評価されるべし、という強い自己主張の表れなのか。 まあ、、全ては私の考えすぎかもしれません (笑) こんなことは、大したことではない、あまり気にするな、ということ。(まさに、Nevermind)[インターネット(邦画)] 5点(2024-06-23 18:03:30) 20. 台北暮色 《ネタバレ》 冒頭の列車内、携帯をかけていたフォンが、ワンカットでリーに切り替わる。まず、その鮮やかさに唸らされる。そのリーは、車内にシューを見つけて、声をかける。この二人は他人と思いきや、実は知り合いであることに驚かされる。その微妙な距離感を維持したまま、二人は同じアパートへと歩いてゆく。やがて、導かれるようにフォンが合流し、三人のドラマが交差していく・・。 本作は、この三人の、近すぎず、そして離れすぎない関係性が、なぜか不思議な安心感を与えてくれる。 逃げたインコの、捕まりそうで捕まらない、その距離感のもどかしさ。 シューの元に「ジョニーはそこにいますか?」という、他人からの電話が何度も鳴り、片や、彼女には、ほとんど電話をしてこない、実の娘の存在がある。 シューとフォンは、恋人のようでもあるが、その一線は越えない。 このいくつかのエピソードや、「距離が近すぎると、愛し方も忘れる」という忘れ難い台詞に要約されるように、この映画は、人と人との、「距離感」を描いた物語である。心、住まい、人間関係、、ありとあらゆる距離感によって、人は無意識のうちに生かされもするし、時には行き詰まったりもする。 本作は、フォンが動かなくなった車を諦めて、乗り捨てる場面から始まる。しかし、例え故障していても人が力を合わせて押せば、少しずつ前進してゆけることを示唆して終わる。これは、リーの行き詰まった人生を後押しすることを予見させるものである。 やがて、カメラは俯瞰的な視野に変わり、街灯にライトアップされていく「台北」という大都会の夕暮れが美しい。 台北で暮らす若者の現代を的確に描いている、といった評価の本作であるが、私の感覚ではどこか懐かしい空気を感じさせるものだった。その風景が、どことなく東京に似ているからかもしれない。 一見しただけでは、嵐の前の静けさのごとく平穏、しかし長い年月を経て私の中で大きく存在感を増していくならば、この黃熙 (ホアン・シー) という監督は、楊徳昌、侯孝賢といった台湾の巨匠たちに、いずれ肩を並べる予感がするのである。[インターネット(字幕)] 8点(2024-05-08 23:53:19)(良:1票)
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