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【製作年 : 2010年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
1. 思い出のマーニー 《ネタバレ》 内向的で自己嫌悪の強いローティーンのあまり可愛くない主人公の女の子には好感が持てました。 自分に通ずる所が少なからずあったからだと思います。 彼女がどの様に、また、どの程度変わっていくのかという話なのは明白なのでその辺りに注目しながら観ていました。 杏奈の自己嫌悪による孤独、孤独を受け入れる事での対人否定、それによる苦悩等は痛みとして伝わってくる程の描写だったと思います。 マーニーが出てくる世界と現実の世界のあやふやな境界の表現などは良かったと思いますし、マーニーと会っているうちに少しずつですが杏奈に表情が戻り、他人と自然に言葉が交わせるようになっていく行程は丁寧に描かれていたと思います。 しかし、置いて行かれる事にトラウマとも言える程の拒絶感を持っている杏奈がサイロでマーニーに置いて行かれた事を何故許す事が出来たかという心理的描写や論理的理由が無かったように思えます。 『ふとっちょブタ』と罵られた相手が手打ちにすると言ってきた提案を許す事が出来なかった彼女が、それとは比にならないくらいの事柄と大事な相手に対して許したのなら『ふとっちょブタ』事件からのそれに見合った大きな成長がなくてはいけないと思いますが、そのような大きな成長過程は描かれていない為に、杏奈と作品自体にかなり重要なターニングポイントとなるこのシーンに全く説得力を感じる事が出来なくなってしまっています。 この辺りから不安定な10代の主人公を繊細な描写で描いていた前半の良い雰囲気は姿を隠して杏奈とマーニーのドラマティックな関係を紐解く事に軸足が移ってしまいます。 また、肉親関係にした為に2人が出会う事に運命的な必然性が生まれて遅かれ早かれ、なるようにしてなったという予定調和的な話になってしまい、物語としての不確定要素による緊張感が薄れて、閉じた世界の他人の家(ひとんち)の話になり最終的には客観視で捉えてしまう割合が大きい作品になってしまった印象で私としては残念でした。 個人的には杏奈とマーニーは似たような境遇を違う立場で経験した他人の方が良かったと思います。[地上波(邦画)] 7点(2015-12-29 21:26:59)(良:2票) 《改行有》 2. 桐島、部活やめるってよ 《ネタバレ》 前半の同じ状況を異なった視点から見せる幾つかのシークエンスではマルチカメラで撮っているかのように俳優さん達の細かなアクションを再現している演出は、若くて繊細な登場人物達の内面を丁寧に描いているようで好感が持てました。 社会人の人間には友達が部活を辞めて周りの仲間がドタバタと必死で走り回っている姿に「平和だな~」とか「学生は良いよな~」とか思ってしまうかもしれませんが、学生時代を振り返ってみるとこれはこれでかなりの重大事件なのは理解も出来てしまいます。 20代には「渡辺、現金でマンション買ったってよ」だったり、40代には「吉田課長γ-GTP300超えたってよ」って感じなのかもしれません。 学内のヒエラルキーを部活や運動神経、容姿等に基準を置き、それらの高い者に迎合するのが普通で、そうでない者はマイノリティーとして独自のコミューンの中で過ごしていく描写も説得力が有るように思いました。 見ようによっては社会の縮図とも写ってしまいます。 そんな中で野球部キャプテンの飄々としたキャラクターは良かったです。 きっと彼は運動神経抜群であると同時に、進むべき方向を見失っている宏樹が野球部に戻って来るのを見届けてから引退を考えていたのではないかと思いますし、それを彼に緩く導く事が最後の仕事であり、それが野球部と宏樹の為に自分が出来る事と考えていたのかもしれません。 個人的なキャプテン贔屓の解釈でも有りますが…。 そんな想いを隠して「ドラフト発表まで引退しない」と、はぐらかして言える彼はやはりキャプテンの器ですし、学生の頃の一学年の違いの大きさを思い出さしてくれる所にもまた説得力を感じてしまいます。 桐島と前田というヒエラルキーの対極にいる2人が周りの迷惑を顧みずに取った行動の結果、桐島の描写はないので判りませんが前田が事後に見せる輝いた表情は間違いなく勝ち組のそれですが、逆に桐島一派の混乱は彼への依存度の大きさと彼等の主体性の無さを表していて話の中心である彼等がその他大勢以外の何者でもないといった見せ方は良かったと思います。 丁寧な演出で展開されていたと思いますが、前田と宏樹の屋上での会話に象徴されていた様に全体を通して抽象的とまではいかない迄も具体的表現はあまり無いですし、ラストも8回サスペンデッドでいきなりアナウンス無しでゲームセットのような淡白な感じの終わり方なので、それ程印象には残らない作品になってしまったようにも思えました。[CS・衛星(邦画)] 7点(2015-12-29 02:24:10)《改行有》 3. ステキな金縛り ONCE IN A BLUE MOON 《ネタバレ》 話の内容も笑わすポイントも詰め込みすぎのインフレ気味になっていていたように思います。 その割には話の展開自体が盛り上がらずにダラダラと平坦に進んで行き、その場凌ぎのようなぶつ切りのギャグが被さってくるので質より量と言った感じの散漫とした作品に仕上がってしまった印象で、スケール感の小ささを感じてしまいました。 そして音楽は典型的というか在り来たりという枠を出ていないので鑑賞していても入り込めないのは当たり前だったという感じですし、本来ポテンシャルの高いであろう俳優さん達を使っていても彼等自身の数の多さと脚本の質の低さで作品に埋没してしまったようにも思えます。 ラストカットの纏まりの無さはそんな本作の悪い所を象徴している様でした。 『落ち武者の幽霊を証人にする』という思いつきはそれ以上のものにはならずに、話の辻褄を合わせる事に終始してしまって、その作業が話の本筋となるとやはり面白さというものは感じられずに中途半端で何処にもフォーカスの合っていないという残念な印象の作品でした。 『ノリ』のようなものは大切だと思いますが、本作のような『ノリ』は夜中にやっているようなTVドラマなら良いのかもしれませんが2時間超の映画となるとそれだけでは当然満足は出来なくなると思います。[地上波(邦画)] 4点(2015-12-23 01:48:53)《改行有》 4. あなたへ 《ネタバレ》 食堂の多恵子の旦那が南原だったとは最後まで判りませんでした。 私だったら多恵子に言われた通りに写真を海に流して「良い事したなぁ」等と思いながらまっすぐ富山に帰っていたでしょうから、誰の気持ちも汲めずに彼等をがっかりさせていたと思います。 気が付かなかった自分の事を頭が悪いと思いたくないのでポジティブに考えると写真を渡した時点で大体判ってしまうと最後のシーンでの感動が半減してしまう為にわざと判りづらくさせている演出と考える事にしました。 局留めの手紙が「さようなら」だけですが、その言葉の本当の意味が判った時には、英二の洋子への依存の大きさが理解できるのと同時に手紙を認めた時の洋子の気持ちを想像すると切なくなりました。 しかし、彼等2人の思い出は作中何度か出てきますが、2人の関係性がそこまで深いものだと感じさせてくれるシーンがないので感動が半減してしまいました。 このプロットが作品のテーマだと思いますのでここの演出はしっかりと機能するように判りやすく描いて貰いたかったです。 移動中に挿入される洋子との過去のシーンによって時間軸に幅が出来たり、各登場人物が健さんに追いついたり追い越したりしながら話が進む事により相対的な移動感覚の効果で実際に健さんが移動した距離と時間よりも変化に富んだロードムービーとなっています。 健さんのキャラクターを考慮すると彼自身がバタバタ動くよりも、健さんも動くけれども周りが彼以上に動くという本作の見せ方は良かったと思います。 しかし、ジャニーズと吉本が絡むと宣伝効果が有るとしても作品的にはあまり良い事が有りません。 また、長崎に着いてからの健さんの落ち着いた佇まいや大滝さんとのやり取りはやはり彼が演じた事によって説得力が有りました。 控え目で自己主張をしないという日本人の属性を主役としてスクリーンの真ん中で存在感と共に演じるという相反する事を見事なバランスで毎回こなして、見ている側を納得させてきた健さんには感謝します。 作品の中で英二は洋子の希望通り死んだ彼女の思い出を乗り越えて自分の時間を生きて行くのに対して、私自身が自分の時間を生きて行くのに色々な映画の色々な健さんに今だに依存しているのは皮肉とも取れますが、逆に映画スター高倉健の存在の大きさを感じさせてくれます。[CS・衛星(字幕)] 6点(2015-07-08 21:52:00)《改行有》 5. ミッション:8ミニッツ 《ネタバレ》 最近見た映画でここ迄面白い作品は他に思い当たりません。 質量が0に近づけば近づく程その事象の振る舞いの不確定性が増大する量子力学の法則では、ショーンの記憶というほぼ質量0の世界では彼の記憶という範疇を飛び越えてコルターによる無限の選択肢が取れるのは自然な事ですが、同時に古典物理学の及ばない世界という事にもなるので鉄道警備員に掛けられた手錠も腕をすり抜ける事も可能ですし、極端に言えば8人のコルターが同時に存在して事件解決にあたる事も出来た筈です。 映画なのでそんな事まで言ってしまえば身も蓋もないのですし、上記の解釈もあくまで半分はSF世界での理屈です。 SFとしてもそれをベースとしたドラマとしても非常に良く出来た面白い作品だと思います。 量子力学と死生学というまだ解明されていない分野の要素をリンクさせている所も興味を唆られます。 爆破テロ犯が誰なのかという事やコルター自身が何故本件に関わっているのかという事が徐々に明らかにされていく過程も楽しめますし、コルターとグッドウィンの会話がプログラム越しだと分かってからは切なくなってしまいますし、そんな2人に信頼関係が生まれ最後のダイブを許可して貰った時のコルターの晴々しい表情などは感動的です。 また、コルターとクリスティーナがハッピーエンドを迎えられたのも素直に喜べました。 コルターの脳内世界とショーンの記憶世界を行き来する狭間で何度もクラウド・ゲートにいるクリスティーナが出て来ます。 それはラストでの2人の姿に繋がり科学では説明のつかない運命のようなものを感じさせてくれます。 しかし、最後がコルターの死によって新しく生まれた平行世界での研究所に対する解説といったような印象で、映画のラストシーンとしては疑問に感じてしまいました。 この世界ではコルターとグッドウィンの関係性が生まれていないので彼等2人を映しても弱い印象しか残りません。 上記のシーンとクラウド・ゲートのシーンをひっくり返して後者をラストシーンにしても良いですし、個人的にはキスシーンのストップモーションが動き出し2人もコメディアンの輪に加わってみんなで笑っているカットからオープニングの様な俯瞰で捉えた電車のカットで終わって欲しかったです。[CS・衛星(字幕)] 10点(2015-06-27 20:47:28)《改行有》 6. おとなのけんか 《ネタバレ》 自分の子供が友達に怪我をさせた(させられた)という事象だけで、その原因を知る前に話を始めれば拗れるのは当然です。 議題がはっきりしていないのに会議をしても要領を得ずに時間だけが過ぎていくのと同じです。 加えてその原因を自分達で勝手に補完しても結論に至るはずもなく想像によるものなので否定も出来ずに話は広がっていくと言うより散らかっていくのもまた当然です。 時間も短く演劇的なほぼワンシチュエーションの本作は箸休め的な作品といった感じですし、映像的な工夫もリビングの逆側に掛けられていたB全くらいの鏡の効果だけです。 しかし、これらの「程度」が流石という位に調度良かったです。 ゲロとお酒で話に拍車をかけていきます。 それらのシーンを挟む様にエレベーターホールが2度出てきて、見ている側にロングストリート家からの舞台転換が起こり新たな展開が有るのではないかと思わせる効果と同時に話全体の抑揚にもなっています。 2度目の出戻りで舞台は此処だけだという事を理解させられつつ、この惨劇を腰を据えて見る覚悟をさせてくれますが、お酒が出てきた時点でそれぞれが顧みられない様な展開になるのだろうと予想がついてしまいますし、正直意識の半分くらいはエンディングの纏め方をどの様にするのだろうかと考え始める程に客観的な視線で見てしまっていました。 彼等が酔えば酔う程シラフの私は冷めてしまいますし、それは現実でも映画を見ていても同じ事です。 ゲロを吐くケイト・ウィンスレットに女優としての彼女の気概を感じます。 正直吐いた瞬間は私の口の中も酸っぱくなる程に最悪でしたが…。 ナンシーという役を彼女のものにしているのと同時に彼女自身も作品の1つの要素でしかないという割り切った潔さはカッコ良ささえ有りますし、ジョディ・フォスターの酔って顔を紅潮させて吃音気味にアフリカについて捲し立てる興奮した演技等はそれだけでも舞台劇を映画という媒体にして見せて貰った価値があると感じました。[CS・衛星(字幕)] 6点(2015-06-24 20:26:22)《改行有》 7. ファミリー・ツリー 《ネタバレ》 コメディを軸にしたホームドラマはハリウッドの得意分野ですし、日本人も含めて需要は高いと思います。 私自身も肩の凝らないこの様な作品は嫌いじゃありません。 コメディとハートウォーミングの比率を序盤では前者に終盤にかけて後者に比重を高めていくのも平常運転だと思います。 定番と言えますが畳み掛けやアップテンポな展開にはせずに舞台をハワイにした事でレイドバックして見やすい印象になっています。 スコッティの友達に謝りに行った時のマットの態度で彼のダメ親父っぷりは直ぐに分かります。 家庭を顧みない彼をはじめ娘達や昏睡状態の妻も自分勝手に過ごして来ました。 鉢植えの花を誰も気にしなければ枯れてしまうのが当然の様に、家族が好き勝手にやっていれば家庭はバラバラになってしまいます。 もしエリザベスが事故にあっていなかったらどうなっていたでしょうか。 キング家は勿論、スピアー家も巻き込んで崩壊していたのは確実でしょう。 しかし、皮肉にも事故をきっかけにキング家は纏まって行きます。 要因は弱音を吐いたり感情的になりながらもマットをはじめ娘達も家族に視線を向けた為でしょう。 マットやアレックスが意識のないエリザベスに対して罵倒します。 また、アレックスのバカ彼氏シド(愛すべきキャラクターです)とフラストレーションを募らせながら会話したり、妻の尊厳死の報告に義父を訪ねに行ったら容赦無く罵られたり、妻の浮気相手をみんなで探しに行ったり等の数日間の彼の行動は数年間家族を放っておいたツケにより散々な結果ですが、真剣に家族とその周辺を含めた問題に向き合っているシーンにもなっています。 死に直面しているエリザベスがいるキング家の絆が深まるのに対してスピアー家がボロボロになって行ったのもまた皮肉です。 そんなブライアンへの複雑な感情もあったのかもしれませんが、受託者であるマットは先祖から託された土地の売却を辞めてしまいます。 いとこのヒューに「家族だろ」と言われますが、壁に掛かっている会った事もない様な何人もの先祖達の何枚もの写真を見て彼等先祖達と未来の子孫達を含めてハワイに住んでいる全ての人々が自分の『家族』なのではないかと感じたのかもしれません。 ですからマットには一族だけの私益に応える選択は出来なかったのではないでしょうか。 自分達一族だけが好き勝手にやっていればハワイという『家族』がバラバラになってしまうという事を妻の事故による今回の件から学んだのかもしれません。 エリザベスの散骨のシーンを挟んで、一度失ってしまったら二度と取り戻せない美しいこの島の財産とも言えるハワイの風景の数カットと、戻っては来ない彼女の死によって繋ぎ留められた3人の家族が一枚のブランケットと2つのアイスクリームをシェアしている光景を対比させています。 双方から穏やかな美しさと静かな希望を感じさせてくれる一連のシークエンスはとても印象に残りました。[CS・衛星(字幕)] 8点(2015-06-22 18:22:14)《改行有》 8. ソーシャル・ネットワーク 《ネタバレ》 見始めて少し経ってから、「フェイスブックの映画だ」と気付きました。 フェイスブックそのものに興味は有りませんが、ジェシー・アイゼンバーグの演技に説得力を感じて作品に引き込まれていきました。 主役の彼が演じるマーク・ザッカーバーグがフェイスブックを立ち上げるきっかけや拡げて行く理由の殆どは負の感情から来ています。 物事の行動原理は主に欲望や感情に起因していますが、天才が世の中の新しい常識を創るような発明も凡人と何ら変わらない理由がきっかけとなっているのは面白い所です。 バーニングマンというアートイベントも彼女に振られた男の行動がきっかけで始まったという話も思い出しました。 そんな天才マークが作中唯一表情を緩める相手は友達のエドゥアルドでも彼女のエリカでもなく、ナップスターを立ち上げた山師のショーンです。 エドゥアルドがフェイスブックを単なるビジネスツールと考えていたのに対して、ショーンはフェイスブックを『クール』なものとして捉えています。 マークにとって彼のプライオリティの頂点に位置するフェイスブックを肯定し、その本質とも言える部分を見抜く事の出来るショーンは最高の理解者と言えたのではないでしょうか。 また、マークにとっての『クール』とは彼の最大のコンプレックスで、フェイスブックに『クール』を見出したショーンに無意識のうちに傾倒していくのは極めて自然な事だと思います。 ショーン・パーカーは欲しがっている相手に最も欲しがっている物を与える天才として描かれています。 彼の周りにいつも女の子が居るのも納得です。 物語はフェイスブックの成功の過程と並行して、この3人にウィンクルボス兄弟を加えての醜い人間ドラマを描いています。 フェイスブックを立ち上げた理由がもっと社会的に意義の有るものだったらここまで酷い事にならなかったのではないか等と甘い理想論の様な考えを抱かせる程に彼等の争いは虚しく映ってしまいます。 ジェシー・アイゼンバーグの演技や編集、音楽、タイムリーな話題性等の優れた要素を軸にテンポ良く色々なイベントを矢継ぎ早に見せてくれますが、正直内容的には見終わってからも印象に残るものは余り有りませんでした。 脚色はされているものの実話という事で話に惹きつけられますが、もしフィクションだと仮定してしまうと物語自体はそれ程魅力のあるものではないように感じます。 作中では上記の登場人物の中でもエドゥアルドが最も好意的且つ良心的に描かれていると思います。(マヌケな部分はありますが) マークと彼の間の示談条項は非公開で彼は本作の監修に携わっているとの事です。 条項内容に映画製作等があった場合、他の関係者を除外しての単独検閲権限も含まれていたのではないかと勘繰ってしまいます。[CS・衛星(字幕)] 8点(2015-06-15 19:06:26)(良:3票) 《改行有》 9. マイ・バック・ページ 《ネタバレ》 話自体はまあまあ面白いのですが、作品の核となるテーマが掴みづらいので長尺で抑揚の余り無い本作は、話が展開していっても客観的にしか見られないので少々ダレ気味になってしまう箇所も有ります。 作品を俯瞰的に見ている観客には梅山も前園も『本物』でない事は簡単に看破できます。 目的は自己顕示で、思想は空っぽで、行動はノリです。 過激な思想家というより打算的な夢想家という感じに描かれています。 その時代を代表する様な連合赤軍の実録本等を読み彼等の内情を理解すると、革マル派等とうそぶいていた左翼を平均化した人間が、梅山という中身の無い無駄に言論武装したキャラクターの様に感じます。 東都出版の先輩記者達が梅山を『偽物』と見抜くのに対して、CCRの曲を一緒に歌う事で共通のアイデンティティを見出し、その程度で沢田が梅山にシンパシーを感じてしまう表現等は大人と子供の間にある壁や、沢田の幼さを上手く描いていると思います。 しかし、沢田も徐々に梅山の人間性に疑問を抱く様になり「君は誰なんだ」と問い詰めます。 結局、梅山にとって沢田は都合の良い道具でしか無く、騙され、利用され、裏切られ、それが原因で沢田の青春の1ページであったマスコミでの仕事も辞める羽目になれば、沢田の悔しさは計り知れないものだったと思います。 月日が流れて沢田は居酒屋のカウンターを挟んで偶然タモツと再開し、彼と過ごした日々を思い出しながら語り合い、そして気付いたのではないでしょうか。 潜入取材という利己的な目的で自分の素性を偽りタモツに近づき彼を利用して、罪悪感を感じつつも記事を書いた事を。 ウサギを真剣に売っているタモツの横で彼のしている事とその状況を笑いながら傍観していた事や、ウサギを死なせてしまった事をお金で解決しようとした事を。 結果こそ違うが自分がタモツに対してとっていた行動は、マスコミという世界と真剣に向き合っていた青春の1ページの中で、梅山という身勝手な人間が青臭い自分に対してとった侮辱にも値する行動と同じだったのではないか、という事を。 そして今までその事に気付かなかった自分の浅はかさを。 勿論そんな事を当時も今も知らないタモツが、キリストにあげたスーツを本当は沢田にあげようと思っていたと言われれば彼が泣いてしまうのは当然だと思います。 大人の男が泣く事の伏線をもう少しぼかして気付くか気付かないか、このシーンを見て思い出す程度に上手く張って貰えれば私も一緒に泣く事が出来たであろうし、泣きたかったので残念です。 重要なシーンへの伏線を明確にさせ過ぎると逆に冷めてしまいます。 私自身も今まで気付かぬままに、『青春』や『若さ』という未熟な思い込みの特権で、『我武者羅だったから』とか『周りが見えていなかったから』等の言い訳にもならない様な理由で、他人の世界を踏み荒らしたり、その人自身を傷つけたりして来たのではないかと、鋭く問い質される様なラストのシークエンスは泣き崩れる主人公に自分を重ねずにはいられませんでしたし、作品的にも瞬間的に引き締まったものにして切ない余韻を残しつつ上手に纏め上げられていると思います。[CS・衛星(邦画)] 8点(2015-06-12 19:06:38)《改行有》 10. ボクたちの交換日記 《ネタバレ》 「夢を諦める時は、その夢を諦めてでも幸せにしたい人が出来た時で、それは父にとって母と私と田中さんです。」 田中の才能を伸ばす為ではあるが、それ以上に自分が彼の足を引っ張っているのを認める事は、彼をお笑いの世界に誘った本人としては諦めろと言われても諦めきれない様な決断だったと思います。 島田紳助さんがM-1グランプリは売れない漫才コンビの解散のきっかけを与える為に作ったと言っていましたが、内村さんも同じ事を大好きな映画で表現したかったのではないでしょうか。 残酷な様で必要な優しさだと思います。 監督が業界内の人間だけあって、悪戯に大袈裟にはならずにいきいきと主役の2人とその周辺が描けていたと思います。 伊藤さんと小出さんの演技もよくいるお笑い芸人以上のキャラクターを登場人物へ与えていたと思います。 また監督の人間性がそのまま作品に表れ、売れない芸人さんへの慈愛に満ちたメッセージと共に利他的な登場人物で溢れた心温かいものになっていた印象です。 本作の様な心の綺麗な登場人物になりたいといつも思いますが、残念ながらまだまだです。無理っぽいです。 上手く纏まっていましたが、スケールの小さな話を小さく纏めている印象が強かったです。 交換日記という手法は面白かったですが、話もスタンダードで内容も濃くはないのでTVドラマで十分な気もしました。(決してTVドラマを悪く言っているのでは有りません) また、音楽の使い方やそれ自体が終始軽くて安っぽく感じましたが、鑑賞後に思い返しても作品とそれ程かけ離れてはいなかった様に感じたので、作品自体がやはりそのようなものだったんだと再認識してしまいました。 毒にも薬にもならないと言ったら言い過ぎかも知れませんが、見終わった時に一番感じたものは少々の「物足りなさ」でした。[CS・衛星(邦画)] 6点(2015-05-11 21:58:26)《改行有》 11. 少年H 《ネタバレ》 原作は瀬能河童さんの少年時代の回顧録で私は未読ですが、終戦の日に笑顔で「戦争が終わって本当に良かった。」と中学生の瀬能少年が言ったり、外国人のお客さんが居たとはいえ彼の父親が妙に時勢を達観していたりと、戦中・戦後を経験していない自分でも少々疑問に感じてしまいます。 毛の生えた大人が真剣に語ってはいけない様な作品に思えてしまいます。 大人である私ですが、精神年齢や前頭葉の中身の関係で子供向けの映画やゲーム等もビザ無しで受け入れ可能ですが、本作を見終わった時には残念ながら感想という様なものはほぼ無く、レビューを書く為に思い返すと体の内側が痒くなるような居心地の悪さを感じてしまいました。 無理矢理に結論付けるならば、主人公ほどの少年少女が見てもいいし、見なくてもいいし、どんな感想を持っても良いと思いますが、そこには余り長い間留まっては居ないほうが良いのかなぁ…、なんて勝手に思ってしまいました。[CS・衛星(邦画)] 4点(2015-05-01 20:13:36)《改行有》 12. はやぶさ/HAYABUSA 《ネタバレ》 お年寄りからお子様まで楽しめる映画という印象でした。 その為かデフォルメの仕方が偏り過ぎたキャラクターがいたのが気になりましたし、その割には上手く使い切れていない感じがしました。 「こういう人物はこんな感じでいいだろ。」みたいに上から目線でカテゴライズしている様で快く思えませんでした。(更にその上から私はレビューを書いているのですが…) 水沢が綺麗過ぎるのは主役なので仕方無いとしても、坂上を奇抜に描いてもそれに繋がるものが何も描かれていないので完全に空振りしています。 はやぶさ君の絵日記などは非常に解りやすくて助かりました。 竹内さんのアテレコも本編の水沢役より良かった気がします。 その様な効果もあって、大気圏で燃え尽きてしまうはやぶさには目が潤んでしまいました。 トラブル続きの満身創痍で帰ってきて最後に大気圏での機体焼却は計画通りなんて…。 何年も放浪していた放蕩息子が帰ってきた時に親の言いつけを思い出して、困っているおばあさんの荷物を持ってあげたら荷物の中から出てきたマムシに噛まれて玄関先で死んじゃったみたいです。 2時間位の付き合いで感情移入してしまうのですから、何年も参加していたプロジェクトスタッフの気持ちを想像すると更に切なくなってしまいます。 最後に前々から思っている事ですが、やはり宇宙開発の国家予算が少なすぎると思います。 今日まで技術大国と自負して、その恩恵を受けてきたのですから、それに見合った額の予算を割いてもらいたいです。 献身的な技術者に支えられていても限度があると思いますし、それでは未来は有りません。 声を大にして言いたいのは、私は税金を今以上取られたく有りません! なので、無駄に使われている予算や、役人や議員の懐に入るお金をきちんと調べ上げて適切に配分して貰いたいです。 映画とは関係なくなっちゃいました。ごめんなさい。[CS・衛星(邦画)] 6点(2015-04-28 18:52:12)《改行有》 13. はじまりのみち 《ネタバレ》 木下恵介という名前は聞いたことが有るといった程の認識で鑑賞しました。 陸軍省後援で作られたという「陸軍」のラストシーンを10分程挿入しています。 それ以外のシーンを見ていないので詳しい事は言えませんが、私でも反戦とまではいきませんが、戦意高揚を謳っている映画とは感じる事は出来ませんでした。 日の丸の旗を振っている人混みの中を出征して行く息子を追う母親の姿は、戦争という大河の流れに逆らう小さな魚の様で、それが如何にも弱々しくて、無機質に行軍して行く軍隊に対して追い縋る彼女の姿は、切なさを通り越して悲痛にも映りました。 この様な感傷的なシーンを批判するのなら、「女々しい」という言葉がピッタリだと思います。 しかし、戦時中に陸軍省後援でこの様な「女々しい」映画を撮ることで逆に木下監督の気骨を感じられるのは皮肉です。 どちらが本当の意味で女々しいんだと問われれば軍人さんは下を向いてしまうでしょう。 しかし、この映画は上映されたという事を考えると、陸軍の検閲官も何か感じ入る所があったのか、他のシーンが彼等の要求を満たしていたのか判りませんが、便利屋さんの様な人に見て貰えて、あのように感じた人は実際にも結構居たのではないでしょうか。 そして彼の気骨は本作の中でもリヤカーで50kmの起伏のある道を病床の母親を疎開先まで運ぶというエピソードで表されています。 そのような母親への深い愛情を持った木下監督が「楢山節考」を撮っていると本作の中で知ったので、ぜひ見てみたいと思いました。[CS・衛星(邦画)] 6点(2015-04-25 18:26:19)《改行有》 14. 横道世之介 《ネタバレ》 鑑賞後、レビューを書く前にここの評価を見て自分のそれとかなり差があるので驚きました。 自信が無くなりもう1度見ました。 気負わず見られたという事も有りましたが、評価は上方修正されました。 日和った形になりましたが、2度見た事は結果的には良かったです。 話の展開や構成は俊逸でしたし、登場人物が皆、役者さんの演技を含めて魅力的でした。 高良さんと吉高さんは単体でも良かったですが、彼等2人の関係性は見ていてとても心地良かったです。 空気を読めない世之介と彼に輪をかけてマイペースな祥子は、ボケ役の芸人の前にもっと強烈なボケ芸人が現れ、最初の芸人が突っ込まざるを得なくなっているようで面白かったです。 登場人物の台詞や所作の間(ま)や、演出は独特の雰囲気で非常に好感が持てました。 一方でノスタルジーという要素に少し頼りすぎている感じがしました。 現在のシーンではそれぞれの登場人物が世之介に対するノスタルジーを、過去のシーンでは観客に向けてのそれを表していましたが、前者はストーリー上の事ですし悪くもないと思いましたが、後者のそれはあざとく映りました。 ステレオタイプに80年代を表現した映像は、それらの要素を詰め込みすぎて説明的になり過ぎていましたし、広い画で記号的に配置された演技の出来ないアルバイトであろうエキストラがそれらに絡むと、作品からの集中力を欠いてしまう程でした。 製作者側のこだわりだとは思いますが、本来、話の背景でしかない筈のそれらに焦点を当てすぎると、見ている側は映画ではなく単なる製作者の自己主張を見せられている様で一気にしらけてしまいます。 そんなシーンが複数あったのは残念でしたし、それが1度目に見た時の評価が低くなった要因です。 ある程度年齢を重ねた人に対しては、ノスタルジーは感傷的にさせる道具としては極めて有効だと思いますが、安直に使いすぎると逆効果だと思います。 話が良いだけに勿体無く感じました。[CS・衛星(邦画)] 7点(2015-04-20 17:32:22)(良:1票) 《改行有》 15. アウトレイジ ビヨンド 《ネタバレ》 面白かったですが前作に比べると、少し張り切ってしまいガチャガチャした普通のヤクザ映画という印象でした。 元気に水中を泳ぐ魚より、水底で蠢いているドジョウやウナギの様な前作の雰囲気が良かったので少々残念です。 花菱会と、水原と、木村の下に着いていた若い2人がその要因だと思います。 花菱会の3人組は、もろステレオタイプの関西ヤクザと言った印象ですが、配役、演技は良かったです。特に塩見さんは引くほど怖かったです。 彼等をトーンダウンさせる必要はないと思うので、寡黙で不気味な第4の人物を花菱会の中に立てて、バランスを取って欲しかったです。(勿論、喋る時は関西弁) 水原は前作での雰囲気が良かった為にがっかりしました。 小物感を出す為だと思いますが、中尾さんを始めとする周りの組員の演技に対して、加瀬さんのあのヒステリックな演技は上手いとは思えませんでしたし、小物感に対する演出、演技の程度や方向が違っていたように思います。 重要な役どころだったので、1人だけビー・バップ・ハイスクールになってしまったのは残念です。 それに対して、清廉性はあるが口と態度が悪いマル暴の繁田は説得力が有り、演じている松重さんも役にハマっていました。 脚本は前作同様、設定や話の筋におかしな所が無かったのでストレス無く見る事が出来ました。 音楽が唯一前作を超えていたという印象でした。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2015-04-16 16:06:41)(良:1票) 《改行有》 16. アウトレイジ(2010) 《ネタバレ》 理数系監督の作品といった印象です。 閉じられた空間の中に「暴力上等」を伴った複数の因子を配置して、それらの一部にストレス(軋轢)を与え、各因子の相対的な反応を見ているようです。 空間内の視点から見れば因子同士の行動の目的はストレス問題の解決ですが、空間の外から見れば、単なる自滅とも取れる連鎖的因子崩壊です。 因子自体が持っている暴力的な特性上、極めて自然な結果です。 そして地球に人間が蔓延っている様に、最後に残るのは「知性派の謀反上等」の因子です。 ヤクザ社会のエントロピーの法則と進化に於ける自然淘汰論とでも言った所でしょうか。 話自体は難しくはなく、テニスのラリーのようにヤクザの報復戦の応酬が淡々と進んでいきますが、映像表現の迫力や、配役、役者さんの演技などのお陰でかなり見入ってしまいました。 特に椎名桔平さんのヤバい感じや、小日向文世さんの下衆っぷりは見ていて気持ち良かったです。 派手な画を撮ろうとして興醒めなCG映像に成ってしまったり、劇的な展開を目指し整合性のない脚本に陥ってしまう作品が目立つ中で、一方的な襲撃で銃撃戦(撃ち合い)は殆ど無かった事や、エキストラを多用した広い画のカットなども無く、話も単純かつ自然な流れでまとまっているので、作品的に広がりが余り感じられませんでしたが、失敗する要素を極力カットして出来る事を丁寧に撮っている印象があり、映像、脚本に隙がなったのでストレス無く見る事が出来ました。 作品をきちんと一本にまとめ上げる北野武さんの監督としての力量を感じました。 [CS・衛星(邦画)] 9点(2015-04-15 17:45:50)《改行有》 17. アーティスト 《ネタバレ》 HDの中に録画されていたので取り敢えず予備知識などは全くなしで見ました。 モノクロサイレントは映画の導入部で、いつ色が付いて音が出るのかと思っていたのですが、そうではないと気がついた時には作品にかなり入り込んでいました。 とても可愛らしい作品でした。フランス映画とのことですがハリウッド映画の様に脚本、映像に高い整合性が感じられ、時間も約100分という事も有り、手の中にすっぽりと収まる良く出来た工芸品のようでした。 サイレントという事で、主人公の少し大袈裟な演技も作品に合っていましたし、脇を固める犬とヒロインも良かったです。出演者全員の演技やストーリーに、ほぼ重たい所がないので軽妙に進みます。 また、音がないという事で映像は丁寧に作っている印象でした。当時の町並み(ヒロインが車を運転して主人公の所まで行くシーンの派手ではないカーアクションや、カット割りも含めて俊逸でした)や、〇〇町のみなさんと言ったエキストラではなく、演技の出来ているエキストラは見ていてストレスがなかったです。 音も色も無く、加えてシンプルですが、良質のラブストーリーでした。 [CS・衛星(字幕)] 9点(2015-04-13 15:27:39)(良:1票) 《改行有》 18. カラスの親指 《ネタバレ》 「出来過ぎてる…。」主人公の台詞の通りコンゲームやサスペンスとして鑑賞すれば、成り立たないほど出来過ぎていますし稚拙なところも多々あったと思います。 しかし、カラスのお父さんがカラスの娘達やカラスの仲間の過去の傷を精算し、その過去に縛られて日陰の中にいる現状から脱却させ、まっとうな未来を彼等に送って貰いたい為に仕組んだ筋書きを、神様が余命いくばくもなく過去の過ちを改心した彼に奇跡として叶えてあげたと見れば(あまあまだが…)、コメディ-タッチのヒューマンホームドラマとして大いに楽しめました。 もし隙のない計画で小狡く詐欺を成功させていたら、カラス達への好意はかなり低くなっていたと思います。詐欺の様なコンゲームとヒューマンドラマを相反するテーマと考えると、前者を稚拙でかなり都合の良い展開にして表現する事で、最後まで主人公達への感情移入もしやすくなったと思います。 入川と河合姉妹が親子だと分かってから物語を振り返ると、みんなで一つ屋根の下で家族のように過ごした日々、チンピラ事務所でまひろが咄嗟に機転を利かせた嘘をホテルで「だってテツさんは父親くらいの歳だから…」などは何とも切なくなってしまいます。 また、最後に人の信用を食い物にする詐欺は最低の行為だ、武沢とは詐欺をしていなかったなどの設定も安っぽいですが、それらを入川に言わせた事で物語としては納得いくものになったと思います。 阿部寛さんの演技力は本当に安定していて上手でしたが、その他のメインの役者さんは場がしらける程に下手ではないにせよ、皆一様に上手くは無いように感じました。 村上ショージさんの抑揚のない台詞回しや、ぎこちない所作は「アジがある」、「へたうま」等のレベルでもないと思いましたが、あの役を彼が演じる事によって作品の価値や物語の説得力が数段上がったと私は思います。お笑い芸人の彼の大ファンであることを差し引いても、彼自身が持っている物事に対する誠実さの様なものが、この映画自体の大きなプラスのウエイトになっていたと思います。 逆の意味で言うと出てきてすぐに「あっ、この人は絶対にいい人ではない!」と思わせるユースケ・サンタマリアさんの彼自身が絶対に持っているであろう不誠実さも分かり易すくて良かったです(ごめんなさい)。 「カラス」ではなく「親指」をテーマにして見ると色々許せてしまう映画でした。 [CS・衛星(邦画)] 7点(2015-04-08 16:38:16)(良:2票) 《改行有》
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