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コメント数 85
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自己紹介 映画を観る楽しみ方の一つとして、主演のスター俳優・演技派俳優、渋い脇役俳優などに注目して、胸をワクワクさせながら観るという事があります。このレビューでは、極力、その出演俳優に着目して、映画への限りなき愛も含めてコメントしていきたいと思っています。

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【製作年 : 1960年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
評価順12
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変更日付順12

1.  ハッド 《ネタバレ》 この映画「ハッド」の監督マーティン・リットは、赤狩りで辛酸をなめた映画人の一人としてよく知られていますね。 その時、彼は才能ある人々の裏切りを目の当たりにして、人と社会への厳しい目を培ったのだろう。 そんな彼の体験が、以後も一貫して反骨精神を貫き、「寒い国から帰ったスパイ」「男の闘い」「サウンダー」「ノーマ・レイ」などの映画で、特定の時代における人間の孤立と闘争を描き続けてきた原動力になっているのだと思う。 このマーティン・リットが監督した「ハッド」は、アクターズ・スタジオの縁でポール・ニューマンと6本ものコンビ作を生み出したうちの1本なんですね。 近代化の波に押しやられた、テキサスの荒涼とした風景の西部で、牧場を営む三代の男家族の確執と離散を通じて、現代アメリカの荒廃を浮き彫りにする秀作だと思う。 ポール・ニューマンが演じるハッド・バノンは、酒と女以外、人生に興味を示さず、心の中に闇を抱えた虚無的な男だ。 そんなハッドが、15年ぶりに故郷のテキサスの牧場へ帰ってくる。 酔っ払い運転で兄を死なせたハッドは、兄の遺児ロンからは慕われるが、老いた父ホーマー(メルヴィン・ダグラス)との断絶は解消できず、反目し合ったままなのだ。 ここに、離婚をして中年にさしかかった流れ者のアルマ(パトリシア・ニール)が住み込みの家政婦として雇われ、束の間、男だけの家庭に安らぎが訪れるが---------。 この映画の原作は、西部小説の名手と言われているラリー・マートリーの短篇小説で、彼の描く人々は、いつも物憂げで、他者のみならず自らをも肯定出来ないのが常なんですね。 マーティン・リット監督は、この原作を映画的に膨らませることで、アメリカという国の未来を憂う、彼自身の心情を吐露しているのではないかと思う。 父の大事にしている牛の群れが、疫病を患い次々と倒れていく。 そこには、かつて西部劇が描いた開拓精神や男のロマンなど微塵も見られない。 ハッドは、アンモラルなエゴイストで、彼は病気が証明される前に、牛を売ることを提案するのだが、そんな彼の無情の背景には、父への憎しみがあるからなのだ。 父親はそれに耳を貸さず、結局、手塩にかけて育ててきた牛たちを屠殺処分せざるを得なくなり、生きる意欲を失ってしまう。 ハッドは、父ホーマーの開拓者としての誇りを踏みにじり、口論の末に荒れて、アルマを強姦しようとするが、アルマは身を許さない。 大人の女のぬくもりも男たちの崩壊を救うことはできなかったのだ。 こうして、アルマは去り、そしてホーマーは落馬して夜道に倒れ、「わしが長生きすると迷惑だろう」と言い残して息を引き取るのだった。 ハッドの哀れな本性に嫌気が差したロンは、「あんたが生きる力を奪った」と言い放ち、故郷を捨て、ハッドはひとり寂しく取り残されることに---------。 ポール・ニューマンの自己破壊性、メルヴィン・ダグラスの威厳と孤高、そして、パトリシア・ニールは、アルマの瞳に根を張ることの叶わぬ、女の諦念をにじませて官能的だ。[CS・衛星(字幕)] 8点(2023-11-08 00:13:04)(良:1票) 《改行有》

2.  黒衣の花嫁 《ネタバレ》 ヒッチコック心酔者のフランソワ・トリュフォー監督が挑んだミステリ映画「黒衣の花嫁」 フランソワ・トリュフォー監督は、アルフレッド・ヒッチコック監督の心酔者だけあって、この「黒衣の花嫁」の他にも、「暗くなるまでこの恋を」など、ミステリ映画を撮っている。 フランスは、コート・ダジュールのアパートで独身生活を楽しんでいる一人の男がいる。 友人宅のパーティーに訪れて、妖しいまでに美しい女性に出会う。 女性は、その男をテラスに誘う。その直後、その男は、テラスから落ちて死んでしまう--------。 そこから、ほど遠くない町に、銀行員が住んでいた。その銀行員の手元に、音楽会の切符が届く。 心を弾ませて銀行員は、音楽会に出かける。 桟敷には美貌の女性が待っていた。そして、彼女は、翌日、銀行員のアパートを訪れる約束をした。 約束どおり、その女は来る。 しかし、銀行員は、青酸カリで殺される--------。 三人目の男。若手政治家だ。この男も女の毒牙に。女は男の「なぜ?」という質問に答える。 その女の結婚式の日。五人の狩猟仲間が、ふざけて、教会の風見鶏を狙って撃つ。 その弾が、誤って新夫に--------。 思えば、似たような映画があった。日本映画の「五瓣の椿」だ。 似ているはずで、両作品とも原作が、コーネル・ウールリッチだからだ。 「五瓣の椿」は、コーネル・ウールリッチの小説を、実に巧妙に江戸の世界に、山本周五郎が移し替えたのだ。 私は、二度目に、この「黒衣の花嫁」を観た時、トリュフォーが、いかに、お師匠さんのヒッチコックの手法を、取り入れたか、という視点で入念に観ました。 そして、トリュフォーは、師匠を乗り越えたか、という視点でも観ました。 その答えは「NO」。ヒッチコックに及ばざること遠しだ。 ただ、この「黒衣の花嫁」でも「五瓣の椿」でも、主演女優の出来はなかなかのものだった。 ジャンヌ・モローの妖しい殺人者、演技開眼の力演が素晴らしかった岩下志麻。 そういう意味では、両作品とも成功作だろう。[DVD(字幕)] 7点(2022-05-01 09:30:12)《改行有》

3.  夕陽に向って走れ 《ネタバレ》 この映画「夕陽に向って走れ」は、1909年に起きた実話を基にして描いた、アメリカン・ニューウエスタンの隠れた傑作で、かつて"赤狩り"の犠牲となった、エイブラハム・ポロンスキー監督が20年ぶりに撮ったカムバック作品でもある。 1909年ということは、西部開拓の英雄的な時代は既に過ぎ去り、生き残ったわずかなインディアンは、アメリカ政府の指定した居留地に押し込められ、しかも「シャイアン」のような勇敢な大脱走を試みる力も、もう持ってはいない時代、ということなのだ。 だから、インディアンと保安官の対決をクライマックスにしているアクションものではあるけれども、血沸き肉躍るといったような勇壮なものではない。 そこにかえって、"西部劇の挽歌"とでもいうか、あるいは、今日のアメリカの姿を現わす西部劇とでもいうような、独特の魅力が生じているような気がする。 インディアンの若者ウイリー(ロバート・ブレーク)が、親の許さぬ恋のもつれから、恋人の父親を殺してしまって、恋人のローラ(キャサリン・ロス)と駆け落ちする。 インディアンの考え方からすれば、これは一種の略奪結婚であるが、保安官のクーパー(ロバート・レッドフォード)は、彼を殺人犯として追わなければならない。 これに、クーパーの恋人でインディアン保護の任にあたっている、女性の人類学者エリザベス(スーザン・クラーク)や、久し振りにインディアン狩りをしているつもりの、地元のボスなどが絡んでくる。 ウイリーは、インディアンが先祖から伝えて来た、逃亡のための様々な知恵を働かせて、追手をまこうとするし、クーパーはまた、親譲りの知恵でこの先を読んでいく。 ローラは、ウイリーを逃がすために死に、クーパーは地元のボスたちの思惑などに悩まされながらもウイリーを追い詰め、そして、奇妙な形をした岩山での一対一の対決になる。 インディアンのウイリーに扮したロバート・ブレークは、「冷血」で、やはりアメリカの社会の秩序の枠の中では、楽しいことなど一つもないみたいな、貧しいチンピラのはみ出し者になりきっていたが、この映画でも、弱いインディアンの切ない意地をよく表現していたと思う。 これをウイリーに心情的にはシンパシーを覚えながらも、仕事として追跡しなければならないというジレンマを抱える、クーパー保安官に扮したロバート・レッドフォードの抑制された静かな演技が、より一層、この映画に深みと切なさを与えているように思う。[CS・衛星(字幕)] 8点(2022-04-30 14:40:32)《改行有》

4.  将軍たちの夜 《ネタバレ》 1942年の冬、ナチス占領下のワルシャワで一人の女が惨殺される。捜査にあたったドイツ軍の少佐は、証人への尋問などから容疑者を三人のナチス将軍に絞り込むが、犯人を特定する前に、パリへと飛ばされてしまう。 それから二年後、ドイツ軍が占領したパリで、またもや娼婦が惨殺された。二年前に捜査を担当したオマー・シャリフ扮するドイツ軍少佐は、いっそう闘志を燃やし、連続殺人犯を追っていくが-----。 この物語の舞台は、ポーランド、フランス、ドイツと拡がり、時間的な流れも含めてスケールも大きく、それに伴って登場人物も実に多彩で、この忌まわしき時代の混沌が迫真性を持って描かれ、緊迫感に満ちている。 そして、この映画で描かれるのは、容疑者の将軍の一人であるタンツ将軍(ピーター・オトゥール)の異常ぶりを示す"恐怖の人間像"だ。 戦場にありながら、部下の手袋の染みさえ許さない、この男の世界観においては、隣国の人々もユダヤ人も娼婦もゴミでしかないのだ。そして、ゴミは一掃されるべきだと妄信している、サイコ的な恐ろしさ-----。 戦争は、そんな彼の異常性を解き放つ舞台になるのだ。将軍という地位を利用して、街という街を破壊し、敵を無残にも殺戮し、なおそれでも足りずに、深夜ひそかに女性を求め、惨殺していく。 このサディスト的なタンツ将軍が、パリのルーヴル美術館でゴッホの自画像と対峙するシーンは、まさに背筋も凍るほどの凄さだ。狂気にかられて自分の耳を削ぎ落とした直後のゴッホ像は、まるで彼の内面と共鳴しているかのようで、底知れぬ怖さが私の心を射抜いていく-----。 ピーター・オトゥールの舞台で鍛え抜かれた、鬼気迫る演技は、私の心をつかんで離しません。 そして、この映画の複合的で奇妙な面白さの要因になっているのは、この事件を追うドイツ軍少佐の異様なほどの執拗さだと思う。 彼は上官である将軍たちを少しも恐れず、是が非でも殺人罪で検挙したいとの一念に凝り固まっていて、戦況が自国であるドイツに不利になってきても、意に介さないどころか、国防軍によるヒトラー暗殺未遂事件が起こっても、全く関心を示そうとはしないのだ。 そこには、正義を追求するという以上の何かしら尋常ならざるもの、犯人の異常さとも通底する、ある種の不気味さが感じられるのだ。 このように、この映画は観る角度を変えることで色々な見方の出来る、そんなスリリングな作品でもあるのです。[CS・衛星(字幕)] 7点(2022-01-09 11:57:03)《改行有》

5.  1000日のアン 《ネタバレ》 英国チューダー王朝のヘンリー8世は、一目惚れした若い娘アン・ブリンを手に入れるため、世継ぎを生まない王妃キャサリンと強引に離婚してしまう。 正室に迎えられたアンにも王子ができないまま、あんなにも情熱的だった王の心は、遠のいてしまった。 そして、離婚を拒んだアン・ブリンは、奸計をもって断頭台へと送られてしまう-----。 16世紀の英国チューダー王朝の悲劇を描いたチャールズ・ジャロット監督の「1000日のアン」は、絶対的な権力をふるった、リチャード・バートン扮するヘンリー8世とジュヌヴィエーヴ・ビュジョルド扮するアン・ブリンの愛憎の葛藤を、舞台の格調そのままに映画化した作品だ。 リチャード・バートンをはじめ、並みいる古典舞台劇の名優たちを相手に、当時、新人だったジュヌヴィエーヴ・ビュジョルドが、女の意地、喜び、悲しみを朗々と謳い上げ、オスカーにノミネートされるほどの演技を披露している。 世継ぎの男子を生まない女に用はない、欲しい女はどんなことをしてもモノにする。そして手に入れたら飽きる、男の幼さ、男のずるさをシェークスピア劇で鍛え抜かれた、名優リチャード・バートンが実に巧みに演じていて素晴らしい。 この名優に対して、ビュジョルドは一歩もひけをとらず、出会いの時の愛苦しさから、命を懸けて王の横暴に抵抗し、するべきことをなして泰然と運命を受け入れ、断頭台の露と消える王妃の誇りを演じて、これまた素晴らしい。 小柄で童顔のビュジョルドが、膨大な量のセリフをこなし、アン・ブリンを演じ尽くすさまに、ほとほと感心してしまう。 彼女が死を賭して、王位継承権を残してくれたとも知らぬ幼い娘が、宮廷の庭で、教えられたとおりの歩き方を練習しているラストも、切ない印象を残してくれます。[DVD(字幕)] 8点(2020-09-27 10:01:59)(良:1票) 《改行有》

6.  影なき狙撃者 《ネタバレ》 「影なき狙撃者」は、初期の「終身犯」や「5月の7日間」や「大列車作戦」、後期の「フレンチ・コネクション2」や「ブラック・サンデー」などの骨太な社会派サスペンス映画で、我々映画ファンを楽しませてくれた、ジョン・フランケンハイマー監督が、若かりし頃に撮った秀作です。 この映画の時代背景は、朝鮮戦争の頃。1950年代というのは、まさにアメリカとソ連の東西冷戦の時代です。 それぞれの本土で戦ってはいないものの、朝鮮半島を舞台にして、代理戦争を行なっていたわけです。 この時代の米ソの対立は、凄まじいものがあります。ハリウッド映画界でも、かの有名なマッカーシー上院議員を中心とした、「赤狩り」の嵐が吹き荒れていました。 共産主義者は、まるで悪魔のように思われていた時代でした。 この朝鮮戦争下において、中共軍に捕らえられてしまったアメリカ軍兵士が、暗殺者に仕立てられてしまうというストーリーです。 現在の時点で観てみると、それほどもの凄いアイディアではないのですが、恐らく、この映画が製作された当時は、画期的だったのではないでしょうか。 ネタバレになるので、あまり詳しいことは書けませんが、小道具としてトランプが使われていて、効果的であると同時に「影なき狙撃者=トランプ」という連想が、記憶に深く刻まれてしまうほどのインパクトがあります。 この映画の主人公は、ベネット・マーコ(フランク・シナトラ)とレイモンド・ショウ(ローレンス・ハーヴェイ)という二人の軍人です。 シナトラは格闘シーンがあるのですが、ぶっつけ本番だったので、右手の親指を骨折するという怪我をしたというエピソードが残っています。 やはり、きちんとリハーサルをして本番に臨まないと、怪我をしてしまうということなんですね。 ハーヴェイは、セントラルパークの池に飛び込むシーンがありますが、撮影時は厳冬で、彼はスタッフが氷を取り除いた、水温マイナス9度の池にダイビングしたそうです。 ほんとに、俳優とは大変な職業だなとつくづく思いますね。 ストーリーもハラハラ、ドキドキの連続で、出演者たちの熱演、そして最高にスリリングな展開で、極上の政治サスペンス映画に仕上がっていると思います。[CS・衛星(字幕)] 8点(2020-06-19 11:24:08)《改行有》

7.  雨の午後の降霊祭 《ネタバレ》 英国映画「雨の午後の降霊祭」は、役者として「大脱走」、監督としても「ガンジー」や「遠すぎた橋」で有名なリチャード・アテンボローがプロデュースしつつ主演もしている映画です。 いかにも英国映画らしい、モノクロームでなくては作れないお芝居です。 テーマは誘拐。犯人夫婦の妻の方が霊媒で、僅かな信者を集めては降霊会を開きます。 リチャード・アッテンボロー扮する夫が、子供を誘拐し、妻が霊媒としてその家に乗り込んで、子供が自分の夢に現われたなどと話します。 身代金をうまく手にいれる場面の疾走感が、とてもいいんですね。 これで犯罪としては成功なのですが、結局は誘拐された子が殺され、やがて実に意外な方法で真実が暴露される。 ここでは、ミステリーという言葉も推理ではなく、神秘という本来の意味に取ったほうがいいのかもしれません。 抑制されたリアリズムで作ってゆくから、最後の超自然的な展開が冴えわたります。 英国以外の国では絶対に作られない種類の映画だと思いますね。[DVD(字幕)] 7点(2019-12-17 09:24:03)《改行有》

8.  アラベスク 《ネタバレ》 スタンリー・ドーネン監督のロマンティック・コメディ「アラベスク」は、主演が私が最も好きな男優のグレゴリー・ペックとイタリアの大女優ソフィア・ローレン。 何でもこの映画は、ソフィア・ローレンが、大のグレゴリー・ペックファンで、一度でいいから、ペックと競演したいという夢があり、それが叶った映画という事で有名です。恐らく、「ローマの休日」のペックを観て、胸キュンとなったのかもしれませんね。 この映画でのソフィア・ローレンの役は、グレゴリー・ペックの前に突然、現われ、彼を翻弄する謎の美女といった役です。 アクション盛りだくさんのサスペンス映画なのですが、ローレン自身が拳銃を振り回したりという、そんなシーンはありません。 監督のスタンリー・ドーネンは、ミュージカル映画の監督として有名ですが、こういう洒落たサスペンス映画も撮っているし、1本だけれどもSFも監督しているんですね。その中でも、最も有名なのが、「雨に唄えば」と「シャレード」ですね。 言語学者であるデヴィッド・ポロック(グレゴリー・ペック)が、古代アラビアの象形文字の解読を依頼されます。 ところが、引き受けた途端に、彼の身に危険が次々と降りかかり始めます。 ヤズミン(ソフィア・ローレン)という謎のアラブ美女が、彼の味方になってくれるのですが、どうも彼女の言うことは、嘘が多いので、デヴィッドは、彼女に翻弄されてしまいます。 いったい、彼女は味方なのか敵なのか? 最後の最後までわかりません。そのあたりのスタンリー・ドーネン監督の演出は、なかなかうまいと思いましたね。 加えて、この映画は、アクションシーンも実に豊富です。動物園、水族館、高速道路、そして、ラスト近くは、牧場で西部劇さながらの馬でのチェイスシーンまであるサービスぶり。もう、本当に嬉しくなっていまいます。 007も真っ青のアクション映画ですよ、これは。とにかく、主人公が、刑事でもスパイでもなく、大学の言語学の教授というところが、いいですねえ。知的でインテリジェンスに溢れたグレゴリー・ペックには、もうドンピシャのはまり役ですね。 素人っぽいドジをしまくりながらも、果敢に敵に立ち向かい、象形文字の謎を解明しようとする、グレゴリー・ペックが、実に楽しそうに演じていて、とても素敵です。 もちろん、ソフィア・ローレンも謎の美女を妖艶に演じていて、ペックとの競演が本当に嬉しそうだなという事がわかり、好感が持てましたね。[CS・衛星(字幕)] 8点(2019-05-31 10:25:45)《改行有》

9.  偉大な生涯の物語 《ネタバレ》 「偉大な生涯の物語」は、3時間47分。キリストの生涯を描く時間としては、長いのか短いのかなどと考え始めたら、きりがありません。 映画というものは、いったん引き込まれてしまったら、時間の経つのなんて、すっかり忘れてしまうものです。 退屈な映画は、長く感じ、面白い映画は、短く感じるということですね。とにかく、素晴らしい3時間47分でした。 これだから、映画を観るのはやめられません。 キリストを演じているのは、スウェーデン出身のマックス・フォン・シドーで、ベルイマンの映画でお馴染みの名優ですね。 最初に登場した時に、髪の毛が短いので、だんだん伸びて肩に付くくらいになるのかなと期待していたら、十字架上で息絶えるまで、ずっと同じ髪形のままでした。こういう、すっきりしたキリストもいたんだなと、妙に感心しましたね。 この映画の土台となっているのは、聖書です。むろん、他のキリスト映画も、土台は聖書に決まっているのですが、この映画の場合、聖書へのこだわりを強く感じました。 聖書に出てくる使徒や、キリストの言葉が多くセリフになっており、説明的な台詞はあまりありません。 聖書に登場しないシーンもほとんどありません。 そして、それぞれのシークエンスは、まるで絵画を見ているように美しく、抒情的で詩的です。 映画を観ているというよりは、詩のナレーションの付いた、動く絵を見ているような感じがしました。実に美しい映画です。 それと、この映画で目を引いたのは、意外な俳優が出演していることです。なんと、西部劇の大スターのジョン・ウェイン。 ジョン・ウェインのコスプレ姿を観られるのかと、目を皿のようにして出番を待っていました。 ジョン・ウェインの声は、一度聞いたら忘れられないくらい独特ですから、声ですぐに彼だとわかったのですが、画面に登場したのは、ほんの数秒間で、顔のアップすらありません。 これには驚くやら、悲しいやら。きっと、無理やり出演を依頼されて、付き合いで出演したのかもしれません。 シドニー・ポワチエも少しだけ出演しています。こちらは、ジョン・ウェインより、出演場面は長いし、おいしい役です。 キリストを助けて、一緒に十字架を担ぐシモンです。 チャールトン・ヘストンは、予言者ヨハネの役で、この時期、コスプレ物の歴史映画に出まくっていた彼の貫禄を感じましたね。 あと、人気TVドラマ「ナポレオン・ソロ」のイリヤ・クリヤキン役で日本でも人気の高かったデヴィッド・マッカラムが、裏切り者のユダの役を演じていました。 冷たい感じの表情が、ユダに合っているように思えました。 何度も映画化されているストーリーの映画を見比べるのは、本当に興味深いです。まだまだキリスト映画は、他にもあるので、今後とも見比べていきたいと思っています。[DVD(字幕)] 7点(2019-05-27 10:15:51)(良:1票) 《改行有》

10.  暁の用心棒 《ネタバレ》 マカロニ・ウエスタンの「暁の用心棒」は、トニー・アンソニー扮する流れ者の一匹狼の"よそ者"が、アメリカからメキシコ政府へ貸付けされる金貨をめぐり、メキシコのフランク・ウォルフ扮する山賊のアギラ一味と争奪戦を展開するという内容の映画で、はっきり言って、かのマカロニ・ウエスタンの代表作「荒野の用心棒」の亜流作品です。 というのも、山賊一味が軍服を着てメキシコ軍に近づくのも、一味のボスが機関銃を乱射するのも「荒野の用心棒」そっくり。 そして、主人公の"よそ者"が、なかなか分け前をよこさないアギラに腹をたて、ネコババしようとするのは「続荒野の用心棒」のジャンゴを連想させるものの、ヒーローず女とその子供を助けるエピソードは、やはり「荒野の用心棒」にあったし、ラストで"よそ者"が、シヨット・ガン、アギラが機関銃と、武器こそ違えど、互いの愛用の武器で決着を着ける趣向も、どこからいただいたかは、もう明らかですね。 このように、この映画は物語自体が、もう亜流も亜流の域を出ないのですが、画面を観ている分には、あまり"元祖"との類似性を感じないんですね。 それはなぜかと言うと、ジャンジャジャジャーンという大音響と、その間に入るポコポコと鳴るオカリナという楽器の軽妙な音のコントラストが、妙なベネデット・ギリアの音楽が功を奏しているのと、主演のトニー・アンソニーの飄々とした、ミステリアスなキャラクターが物語に不思議と溶け込んでいたからだろうと思います。 そして、クライマックスの、"よそ者"とアギラ一味の決闘は、時にユーモラスな味を醸し出して、忘れられない印象を残します。 あちこちに散らばる子分たち。巧みに身を隠し、移動するよそ者。共に抜き足、差し足、忍び足で様子をうかがい、"よそ者"は角で出くわした一人をまずズドン。 次いで、縁の下にもぐり込み、板の隙間から銃身をソロソロ-----と突き出し、上にいる奴をズドン。ここまできたら、もう主人公がやられることはないという妙な安心感もあって、この殺しのシーンは、文句なしに楽しめます。 出窓から上半身をのぞかせた敵には、その窓のすぐ下からの一発で倒し、アギラには走らせたトロッコにしがみついて接近し、いよいよ一対一の果し合いとなるのです。 装弾から発射までというプロセスも「荒野の用心棒」と同じく、双方ガチャガチャと弾ごめ。当然、"よそ者"のショット・ガンがいち早く火を吹き、アギラはあえなく昇天。 時はあたかも、朝日が昇る"暁"で、"よそ者"は、三途の川の渡し賃として1ドル銀貨をアギラの口---歯にくわえさせる。 そして、その銀貨はかつて軍隊襲撃の分け前として、アギラからたった一枚、投げつけられたものだ。 だから、この映画の原題が「歯の中の1ドル」と言うんですね。 主演のトニー・アンソニーは、アメリカ出身の俳優でアメリカ時代はパッとせず、やがてイタリアへ渡り、何本かの現代劇に脇役で出演していたが、やはりパッとせず、おりからのマカロニ・ウエスタンブームの波に乗って、この映画の主役の座をつかんだと言われています。 オーディ・マーフィを貧相にしたようなマスクや、小汚いスタイルにショット・ガンといういでたちが、いかにもマカロニ・ウエスタンのヒーローらしく、強い印象を残していたと思います。[CS・衛星(字幕)] 6点(2019-04-07 14:17:54)《改行有》

11.  ピアニストを撃て 《ネタバレ》 1970年の映画「栄光への賭け」で、気になる俳優の一人になったシャンソン歌手としてあまりにも有名なシャルル・アズナブール。 彼の本格的な映画出演は、歌手デビューよりずっと後ですが、その代表作とも言えるのが、ヌーヴェルバーグの代表監督フランソワ・トリュフォーの「ピアニストを撃て」だと思います。 この映画でのアズナブールは、歌手が片手間に映画に出演したというのとは全く違って、根っからのプロの役者という印象だ。 頭で考えるより先に、生理的な次元で役を取り込んでいるように見えるのです。 だからこそ逆に彼は、シャンソンという、ある意味、物語性の強い音楽のジャンルで、あれだけの成功を成し遂げられたとも言えるだろう。 下がった太い眉、丸く肉付きの良い鼻、厚目の唇、そしてあまり高くない身長。そして何よりも、その二重の大きな目を瞬く度に目につく、男にしては長すぎる睫毛だ。 極端に言えば、可愛げのある男性的なものからは程遠いソフトなイメージに、「ピアニストを撃て」の気弱な主人公の役は、まさにはまり役だと思います。 ~カフェでピアノを弾くシャルリは、かつて世界的なピアニストとして成功した男だった。それが妻と興業主との駆け引きの結果だと知って、妻を自殺に追いやり、身を隠したのだ。そんな気弱な彼に好意を抱く娘のレナ。二人は、彼の兄が起こした事件に巻き込まれていく。レナは銃弾に倒れ、彼はまた一人、ピアノを弾き続けるのだった-----~ この映画は、アメリカのギャング小説が原作とは思えない作品だ。 フランス的なエスプリの中に、恋も事件も死も、淡々と、しかしリズミカルに弾き語られた印象だ。 ピアノを弾くことしか能がないと、自身の現実生活の気弱さを諦めているシャルリは、妻を自殺に追いやった辛い過去から、素晴らしい才能を伸ばそうという野心さえ捨てたのだ。 傷ついた物静かな男を、ぴったりの雰囲気で演じるアズナブールの歌う、これは一つのシャンソンなのかもしれない。 それにしても、この主人公のシャルリは、臆病さゆえに、愛する女性に、気持ちをうまく伝えることの出来ない男-----。 しかし、彼の面白さというのは、それを地で演じているように自然に見せながら、その気弱さの裏にある、音楽家としての才能との二重性を微妙に演じているところだ。 音楽に浸る時にのみ、気弱な男が見せる、芸術への強い執着。その神経質なまでの思い入れは、臆病さの裏返しではあるが、芸術に心酔する、芸術家独特の顏なのだ。 外見が非常に柔らかなために、それと相反するものを秘める役で、彼は独特の雰囲気を演じきっていると思います。[DVD(字幕)] 7点(2019-04-05 20:29:10)《改行有》

12.  戦う幌馬車 《ネタバレ》 「戦う幌馬車」という西部劇の主演は、御大ジョン・ウェインとカーク・ダグラスという重量級俳優の魅力的な顔合わせです。 監督がバート・ケネディなので、内容的にはシリアス寄りではなく、コメディ寄りの痛快アクション西部劇になっています。 結論から言うと、この映画はとても面白かったのですが、ラストは主人公にとって残念な成り行きになっています。 思わず「オーシャンと11人の仲間」を思い出しました。 冒頭、主人公のトウ・ジャクソン(ジョン・ウェイン)が刑務所帰りという設定で登場するので、一瞬ビックリしました。 ジョン・ウェインが西部劇の悪役をやるわけがないからです。実は、無実の罪で刑務所送りになっていたのです。 そして、その無実の罪に追いやった敵をやっつけに来た、というストーリーでした。一種の復讐劇と言ってもいいかもしれません。 トウの標的は、自分を騙して牧場を奪ったうえに、牧場から出た金を独り占めしているピアースという男です。 トウは、ピアースが鉄製の装甲車のような馬車で運ぶ金を奪う計画をたて、仲間を集めます。 金庫破りの特異なローマックス(カーク・ダグラス)、古い馴染みのリーバイ、運び屋のフレッチャー、爆破が得意なビーリーの4人。 それぞれ特技を持った仲間が協力して、数十人の護衛のついた戦車のような馬車の襲撃作戦を決行するのです。 現金輸送車ならぬ砂金輸送馬車、この馬車の外観がかなり凄いです。 真っ黒で、上部には丸い砲台のようなものが付いていて、機関銃が据え付けてあるのです。 この不気味な馬車が、護衛を引き連れて荒野を疾走するシーンは迫力満点です。 トウとその仲間5人が、いかにして鉄の馬車を襲撃して金を奪うのかが、この映画の最大の醍醐味であり、見せ場であり面白いところです。 爆破が専門のビリーは、若いくせにアル中で、運び屋の老人は、まるで孫のような若い奥さんがいる乱暴者、とまあこんな風に仲間もそれぞれ個性的で観ていて飽きません。 バート・ケネディ監督の映画は、以前に「夕陽に立つ保安官」を観ました。あれほどコメディ色は強くないですが、ジョン・ウェインとカーク・ダグラスが見せる絶妙の間合いの可笑しいセリフは得難いもので、観ていて微笑ましく癒されました。 内容を全く知らずに観て、面白くて大正解でした。西部劇はやっぱりアクション映画の原点だなと、あらためて思わせられた1本でした。[CS・衛星(字幕)] 6点(2019-04-03 07:40:48)(良:1票) 《改行有》

13.  世にも怪奇な物語 《ネタバレ》 オムニバス映画といえば、真っ先に頭に浮かんでくる映画「世にも怪奇な物語」。 タイトルがそそりますし、傑作であると思っていました。今回あらためて観直して納得しました。 ストーリーが面白いというよりは、映像や雰囲気がとても素晴らしいんですね。 エドガー・アラン・ポーの原作をロジェ・ヴァデイム、ルイ・マル、フェデリコ・フェリーニという名監督がそれぞれ映像化しています。 122分の間に3本の映画を観ることができて、とても得した気分になれます。 第1話「黒馬の哭く館」は、ロジェ・ヴァデイム監督、主演は当時、ヴァディム監督の妻であったジェーン・フォンダ、共演に実弟のピーター・フォンダというゴージャスさです。 いつの時代でどこの国かわかりませんが、お城が出てくるコスプレものです。 それにしても、姉のジェーン・ファンダは、若い頃から晩年まで確執のあった父親のヘンリー・フォンダにそっくりです。 弟のピーター・フォンダは、「イージー・ライダー」でブレイクする前ですので、まだまだ初々しくて若いですね。 ジェーンは性格の悪い館の主で貴族の令嬢を演じていますが、とても憎たらしいキャラなのに美女なので、さほど気になりません。 第2話「影を殺した男」は、ルイ・マル監督、主演はアラン・ドロン。まさに20世紀を代表する世紀の二枚目俳優アラン・ドロン。まさに水もしたたるいい男です。 自分と全く同じ名前の人物が現われ、自分の行動を諫めようとする。とうとう彼は、もうひとりの自分を殺してしまうという物語です。 アラン・ドロンという俳優は、若い頃はルネ・クレマンやルキノ・ヴィスコンティ、ミケランジェロ・アントニオーニといった世界的な巨匠と言われる映画監督の作品に意識して出演していて、今回のルイ・マル監督のようなヌーヴェル・バーグの映画監督たちとは一定の距離を置いていたため、この作品はそういう意味からも本当に貴重な作品になっていると思います。 そして、尚且つアラン・ドロンがホラー映画に出演しているのを観るのもとても新鮮でした。 まあ、ホラーと言ってもホラー度はかなり低いのですが。 第3話「悪魔の首飾り」は、フェデリコ・フェリーニ監督、主演は「コレクター」に出演してエキセントリックな個性が光っていたテレンス・スタンプ。 この第3話が、評判が一番いいようですね。ストーリー性はあまりなく、映像の力でグイグイ引き付けるタイプの映画です。 主人公がアル中で朦朧としているので、映像自体もシュールで意味不明なところが多々あります。 そして、迫力のある怖いラストシーンは、一見の価値があると思います。 3話とも、ストーリーそのものはシンプルなのですが、それぞれの演出が卓越しているので、本当に見応えがあります。 アラン・ドロンが大好きなせいか、私は彼が出演している第2話に一番心惹かれました。 オムニバス映画はあまり観るチャンスがないので、今回再び観れてとても良かったと思います。 この映画のように、不思議でファンタジックで、それでいて怖いストーリーというのは、いつの世にも作りたい、観たいという欲求があるようにも思います。 日本のTVのかの「世にも奇妙な物語」も、この傾向をモロに受け継いでいると思います。ホラー映画が苦手だと言う人も大丈夫な映画で、ロジェ・ヴァディム、ルイ・マル、フェデリコ・フェリーニ監督のファンの人ならば一見の価値ありの映画だと思います。[CS・衛星(字幕)] 7点(2019-04-01 14:53:52)(良:2票) 《改行有》

14.  影の軍隊(1969) 《ネタバレ》 「サムライ」「仁義」などの一連のフィルム・ノワールで私を魅了したジャン=ピエール・メルヴィル監督の「影の軍隊」は、レジスタンスに身を投じた人間たちの姿をセミ・ドキュメントタッチで描いた社会派サスペンス映画です。 全編を覆うダークな色調。使命を果たすためには、愛する者すべてを捨てなければならない非情な世界で、自己を引き裂かれ、葛藤する男や女たち。 彼らの胸中をよぎる悲哀と情念のたぎりは、まさに"フィルム・ノワールの世界"そのもので、ジャン=ピエール・メルヴィル監督の簡潔で切れ味鋭い演出の技が冴えわたります。 この映画の主演俳優リノ・ヴァンチュラは、ボクサー上がりの体型通り、いつも見るからにタフな奴を演じてきたと思います。 だが、ただただ鋼鉄のごとく頑強な男というわけではないのです。 ある瞬間、フッと垣間見せる弱さ、脆さ。その時こそ、演技者としてのリノ・ヴァンチュラの真骨頂が発揮されるのです。 この「影の軍隊」でも、ゲシュタポに捕まった彼は、銃口の前に立たされ、その場に踏み止まり銃弾を浴びるか、誇りを捨て脱兎のごとく走り逃げるかの選択を迫られます。 レジスタンスとしての意志を貫こうと死を覚悟しながら、降りかかる銃弾の雨に、思わず走り出すヴァンチュラ。 辛うじて生き延び、本心は死ぬのが怖いと呟く彼の悲痛と絶望に疲弊した面持ちは、逆に人間本来のあり様と生と死の重みをを映し出し、緊迫したドラマ展開の中で、生身の人間の肌の温もりにも似た一種の安堵感を覚えさせてくれました。 人間の感情の二律背反をごく自然な演技で、しかもまざまざと見せつけるヴァンチュラの演技はとても素晴らしいと思います。 ひしゃげた鼻と猪首、それほど背丈はないが、むっちりと肉の付いた雄牛の如き体軀は、お世辞にも眉目秀麗とは言えません。 だが、他人の同情を拒絶するような厳つい肩に揺らめく"孤独の影"はなぜか妙に愛おしく、男心をそそらずにはおかない男の魅力は、誰よりも強烈なものがあると思います。[DVD(字幕)] 8点(2019-03-30 16:53:27)(良:1票) 《改行有》

15.  テオレマ 《ネタバレ》 ピエル・パオロ・パゾリーニ監督の「テオレマ」について、パゾリーニ監督は、最初はこのテーマを詩による舞台劇として考えていたそうだ。 そのため、この映画は知的な構成が明らかすぎるほど明らかだ。画面の隅々まで緻密に計算されており、登場人物の役割も非常にわかりやすい。 だが、主人公が神か悪魔かといった謎が"不条理演劇"のように、簡単には割り切れない。 それは、主人公を演じるテレンス・スタンプの顏のクローズ・アップが、極めて映画的な効果をもたらしているからなのです。 ~ミラノの大企業家パオロの家に謎の青年がやって来る。青年は、パオロやその家族と性的な接触を持ち、彼らの欲望を解放して、やがて立ち去って行く。残された人々は、彼ら自身の真実に向き合うこととなる。そして、彼に感化されたメイドは屋敷を出て、聖女になり、パオロは自分の工場を労働者に渡して荒野を彷徨うのだった~ 悪魔の中に天使が宿るというようなイメージで、悪魔に魅入られた、悪魔のような美しい俳優・テレンス・スタンプ。 パゾリーニ監督の「テオレマ」に登場する彼は神なのか、それとも悪魔なのか? 彼の来訪は、郵便配達の姿をした天使によって告げられ、その辞去も天使によって予告される。 天使をつかわしたのは、そうすると神なのだろうか? 彼自身が神であったら、迎えの通知がくる筈はないのだから。 彼はただ彼という存在のままブルジョワ一家に迎えられ、客として滞在する。 彼はそこにいるだけで、一家の人々に不思議な力を及ぼす。 彼を見、彼に触り、そして彼に抱かれることによって人々は、自分自身に到達する。 イエス・キリストの衣に触れただけで病が治る聖書の話が、ふと連想されるが、彼は決して人々を救いに来たわけではない。 一家のメイドは、やがてブルジョワの屋敷を出て、故郷の貧しい人々の所に行き、身を犠牲にして土をかぶり、聖女となる。 だが、一家の他の人々は、それぞれの苦悩を生き始めるのだ。 この映画でテレンス・スタンプが果たす役割は、そこに存在するということなのだと思います。 彼の顏と彼の微笑、そして彼のなまめかしい肉体で、そこに存在するということ。 映画を観る私は、一家の人々と同じようにその存在を感じます。 神なのか、悪魔なのか、それとも神の子なのかという問いの答えは、永久に得られない。 逆に言えば、神は彼のような存在だとパゾリーニ監督は見ているのだろう。 ここでは、ひとりの役者が自分の存在をメタフィジカルな存在と同一化させているのだと思います。[DVD(字幕)] 7点(2019-03-18 14:26:10)《改行有》

16.  王将(1962) 《ネタバレ》 映画「王将」で主人公の坂田三吉を演じるのは、坂東妻三郎、辰巳柳太郎に続き、名優・三國連太郎。 そして、三度とも伊藤大輔監督が撮っていて、坂田三吉に惚れ込んだ、伊藤大輔監督の執念に驚かされます。 この「王将」は、とても古風な映画だと思います。 天才棋士・坂田三吉(三國連太郎)が、ライバルの関根七段(平幹二朗)との対局で、苦し紛れに二五銀の奇手に出、娘(三田佳子)にそれを非難されて怒り狂い、やがて"銀が泣いている"と自ら泣き、たいこを打ち、題目を唱えながら波に洗われるシーン、関根名人就任の祝いの席から危篤の妻(淡島千景)を電話で励まし泣くシーン。 それらを伊藤大輔監督は、思い切り押しまくり、それに応えるかのように、三國連太郎も激しい演技で演じ、その熱意が画面を圧倒します。 その迫力たるや凄まじいものがあり、三國連太郎という役者の凄さ、狂気をはらんだ芸の奥深さに唸らされてしまいます。 作り方も人物像も確かに古風ですが、この無学の天才棋士の人物像は、人間ドラマの主人公として完成されたものと言うことができると思います。 映画を観る大きな愉しみの一つは、こうした鮮やかな人間像に出会うことだと再認識しましたね。[CS・衛星(邦画)] 7点(2019-03-15 15:14:51)《改行有》

17.  忍びの者 《ネタバレ》 忍術使いの石川五右衛門を主人公にして、社会派の山本薩夫監督が人間性抹殺の人間ドラマを描いた「忍びの者」を鑑賞。 伊賀の国。百地三太夫(伊藤雄之助)の部下として忍術の技に優れた石川五右衛門(市川雷蔵)は、三太夫の信頼を得てその家に出入りを許され、三太夫から冷たく遠ざけられている妻イノネ(岸田今日子)に誘われ関係を結ぶ。 その秘密を三太夫につかまれ、生かしておいてやるかわりに織田信長を暗殺しろと五右衛門は命じられた。 ここから、五右衛門の苦悩が始まることとなる。 山本薩夫監督は、当時の兵法としての忍術を、絵空事としてではなく、実証的に再現して視覚的な興味を盛り込みながら、闇に生れ、闇に死ぬのを掟とする、忍者の"非情の世界"に迫っていく。 三太夫の砦や家屋の構造が、閉ざされた暗い世界の妖しさを伝え、三太夫と五右衛門の対決が、人間抹殺の緊張感をみなぎらせる。 だが、惜しむらくは、物語全体の流れは時にとぎれ、もっと五右衛門の苦悩を凝結させて、じっくりと見せて欲しかった気がします。 もちろん、テーマとしても、見せる時代劇としても、異色の映画で見応えのある作品であったと思います。[CS・衛星(邦画)] 7点(2019-03-15 14:49:02)《改行有》

18.  異邦人 《ネタバレ》 主人公のムルソー(マルチェロ・マストロヤンニ)は、平凡な男だ。 それなのに、彼はいつの間にか、彼をめぐる社会からはみ出した"異邦人"になってしまっていることに気づく。 平凡な男が、いつの間にか平凡でない存在になってしまうのはなぜだろうか? 養老院で母が死んだので、彼は町から60キロほど離れた田舎の養老院へ行く。 汚いバスの中で、彼は暑さにぐったりしている。 暑い時に暑いと感じるのは当たり前だ。 そんな風に、彼の気持ちは、常に当たり前に動いて行く。 母の遺骸の傍らで通夜をしながら、彼は煙草を吸う。そして、コーヒーを飲んだ。 そのことが、後で彼が裁判にかけられた時、不利な状況証拠となってしまう。 母の遺骸に涙も流さず、不謹慎にも煙草を吸い、コーヒーを飲んだと受け取られるのだ。 それでは、ムルソーにとって、母の遺骸の前で泣き、煙草もコーヒーも断つことが、彼の本当の気持ちに忠実だったのかといえば、それはもちろん違う。 そんなことは、悲しみのまやかし的表現であり、嘘である。 ムルソーは、自分の気持ちを偽ることができなかったのだ。 暑い葬式の後で、泳ぎに行き、女友達のマリー(アンナ・カリーナ)に会い、フェルナンデルの喜劇映画を観に行った。 それは、果たして、法廷で非難されたように不謹慎な行為なのだろうか? ムルソーは、ごく当たり前に生活する。 それが、世の中を支配しているまやかしの道徳にそぐわなかったのだ。 ムルソーは、"異邦人"のごとく見られ、断罪される。 だが、真に断罪されなければならないのは、彼を有罪とした社会なのだ。 "太陽のせいで"アラブ人を射殺する有名な事件は、原作者アルベール・カミュの"不条理"の哲学を直截に、しかも余すところなく具現化したものと言えるだろう。 ムルソーの人生は、不条理だ。だが、それでは条理とはなにか? ムルソーの生き方を見ていると、不条理に生きる人生こそが、最も平凡な、というよりは人間として当然の人生ではないかとさえ思われる。 それに比べて、条理の側に立ってムルソーを断罪する人たちの道徳や倫理観の、なんと非人間的なことか。 ムルソーの不条理とは、最も人間的に生きることなのであった。 かくて、最も人間的に生きた人間が断罪される不条理こそが問われなければならなくなってくるのだ。[インターネット(字幕)] 9点(2019-03-13 16:03:35)《改行有》

19.  黄金の眼 《ネタバレ》 「シンドバッド 黄金の航海」「バーバレラ」「新・夕陽のガンマン/復讐の旅」「レッド・バロン」などの作品で、その長身と少しエキセントリックでミステリアスな雰囲気を持った俳優として気になる存在だったジョン・フィリップ・ロー。 マリオ・バーバ監督の「黄金の眼」は、そんなジョン・フィリップ・ローの数少ない主演映画の一本です。 この映画の主人公は"怪盗ディアボリク"という怪盗ファントマを思わせる人物です。 原作は公開当時の1960年代の後半にイタリアで人気のあったコミックということで、そう言われてみれば、そのスタイルは頭からすっぽりとマスクを被り、ベルトを締めてブーツをはいている姿形は、まるでマントなしのスーパーマンのようでもあるし、おまけに物語の舞台もどこかの架空の国ということになっています。 悪魔的なという意味の怪盗ディアボリクは、近代的な科学設備が完備している洞窟の宮殿に住み、魅力的な女優マリサ・メル扮する恋人ともいい仲というなんとも優雅な身なのです。 このディアボリクを捕まえようと必死になるのが、名優ミシェル・ピコリ扮する警部ですが、いつも裏をかかれて地団駄を踏むのが、この映画の全編を通してのパターン。 いわばフランス映画のファントマとジューブ警部、あるいは日本のモンキー・パンチ原作の人気アニメ「ルパン三世」のルパンと銭形警部のような関係だ。 展開も思い切ってアニメ的というか007タッチで、現金を積んだロールス・ロイスが五色の煙に巻き込まれるや否や、クレーンで空中高く吊り上げられたり、大蔵大臣夫人が付けていたエメラルドをピストルの弾丸にして、悪党の体に打ち込み、後で遺体からその弾丸を取り出したりといった具合で、笑わせてくれます。 とにかく荒唐無稽と言うべきか、大胆不敵と言うべきか、いやこれはアニメ的な破天荒な面白さ、痛快さと言えますね。 さらに、20トンもの金塊を運ぶ列車を鉄橋から海へ落下させ、潜水艦で金塊を回収したりと面白さのてんこ盛りです。 そして、ラストはディアボリクが、アジトで溶解した黄金を全身に浴びて、文字通り"黄金の立像"と化してしまい、ミシェル・ピコリの警部の大逆転勝ち-----と思いきや、その眼がギョロリと動いて-----。 マリサ・メルのセクシーさも相変わらず魅力的で、主演のジョン・フィリップ・ローの颯爽とした活躍も素晴らしく、気楽に楽しめる娯楽作品だったと思います。[CS・衛星(字幕)] 6点(2019-03-13 11:19:30)(良:1票) 《改行有》

20.  バターフィールド8 《ネタバレ》 1943年の「家路」で映画デビューを果たし、以後、「緑園の天使」(1944年)、「若草物語」(1949年)、「花嫁の父」(1950年)、「陽のあたる場所」(1951年)と、天才子役からアイドル女優へと順調にキャリアを伸ばし、その後、ハリウッド映画界を代表するスター女優となり、美人女優の代名詞ともなったエリザベス・テイラー、通称リズ。 エドワード・ドミトリク監督、モンゴメリー・クリフト共演の「愛情の花咲く樹」(1957年)、リチャード・ブルックス監督、ポール・ニューマン共演の「熱いトタン屋根の猫」(1958年)、ジョセフ・L・マンキーウィッツ監督、キャサリン・ヘプバーン、モンゴメリー・クリフト共演の「去年の夏突然に」(1959年)と3年連続でアカデミー賞の最優秀主演女優賞を逃し、ようやく、このダニエル・マン監督、ローレンス・ハーヴェイ共演の「バターフィールド8」で念願のオスカー像を獲得した、いわば彼女にとって記念すべき作品になったわけです。ただ、リズ自身は、この映画での役をあまり気に入らず、完成した映画も観ていないと言いますから、皮肉なものです。 確かに、この映画での演技は彼女のフィルモグラフィーの中でも、特に優れた演技だったとも思えず、同じ年の他のオスカー候補の女優が、「ルーズベルト物語」のグリア・ガースン、「サンダウナーズ」のデボラ・カー、「アパートの鍵貸します」のシャーリー・マクレーン、「日曜はダメよ」のメリナ・メルクーリという事で、強力なライバルが存在しなかった事、リズが過去3年連続で受賞を逃している事、当時、「クレオパトラ」の撮影中にかかった肺炎でかなり病状が悪かったという事に対するアカデミー会員の同情票が集まったからではないかと言われています。 この映画「バターフィールド8」は、通俗的なメロドラマで、リズが演じたのは、コールガールのグロリア。本業はモデルなのだが、過去の男性遍歴の中でトラウマを抱えていて、刹那的な生き方をしている彼女の電話で指名される時の電話番号が、"バーターフィールド8"。 そんなグロリアが客の一人として、出会った妻子持ちの名家の男性ローレンス・ハーヴェイ。この男優は、「ロミオとジュリエット」(1954年)のロミオを演じてブレイクし、眉目秀麗な二枚目俳優として、その後も「年上の女」「アラモ」などに出演しましたが、それらの中で私が一番印象に残っているのは,ジョン・フランケンハイマー監督の、東西冷戦下の中で暗殺者として洗脳された男の姿を戦慄のサスペンス・タッチで描いた「影なき狙撃者」での迫真の演技です。彼は、その後、48歳の若さで亡くなったのが非常に惜しまれます。 映画は、リズとハーベイの不倫の恋の顛末を、俗物的な男のエゴイズムと、それに翻弄される女性の悲劇を描いていきますが、あまりにも通俗的な展開で、映画としてはあまり良い出来映えではないと思います。この映画は、ただひたすら、映画という夢の世界の中で美しく、きらびやかに輝くエリザベス・テイラーというスター女優の魅力に酔いしれる映画なのです。[DVD(字幕)] 5点(2017-07-27 15:39:05)《改行有》

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