みんなのシネマレビュー |
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1. ビバリーヒルズ・コップ 《ネタバレ》 “Beverly Hills Cop”原題まま。ロサンゼルス郡にあるセレブの多く住む独特な都市で、郡警察に属さない、ビバリーヒルズ独自の警察組織を持っているんだって。セレブが多い事もあって治安が良いため、アクセルの居たデトロイトなんかと比べると、重犯罪率も低いんでしょう。 ビカビカの最新ファッションに身を包んだセレブ達…なんだけど、'80sなのが近未来チックでもあり、懐かしくもありますね。一方でジーンズにトレーナーの普段着ルックなアクセル。当時のアメリカン・カジュアルで、普遍的だけに流行り廃りも無かった、とても楽なファッションです。現在50~60代のお父さんで、普段着がアクセルっぽい人ってまだまだ居ますよね。 さてエディ・マーフィに注目です。彼は“単独でお客を集められる、グローバルな黒人映画俳優”の第一人者です。このポジションの前任者は恐らくシドニー・ポアチエでしょう。でもポアチエ観たさにお客が呼べたかというと、どうでしょう?俳優より映画の内容だったかと思います。 やはりエディ・マーフィからなんですよ。エディは実力派俳優というより、コメディ俳優として世間に広く認知されたのが、彼のスターダムの原動力だったんでしょうね。当時の人種に対する壁を超えることが出来たのは、マシンガントークと笑顔という、彼の最大の持ち味が活かされたからでしょう。 エディ以降、'90年代に入り、デンゼル・ワシントンやウィル・スミスといった、世界的に売れた黒人スターが出てきますが、黒人が主役の映画の歴史って、案外浅いことを、ここにきて再認識しました。 そして映画では人種差別について、ほとんど触れられていません。当時はまだ黒人スターでお客が入るか手探りだった時代なのに、安易に黒人差別ネタを入れることなく、単にデトロイトとビバリーヒルズの生活レベルの差として、登場人物がみんな自然に接しているのが、本作がとても成熟した作品に感じさせます。やはりエディ・マーフィには、それだけ人を引き付ける魅力があったんです。当時まだ22歳ですよ。 この時代の、エディの脂の乗り具合は素晴らしいです。本作はそんなエディの格好良さと面白さ、彼の魅力の全部が詰まった一作でした。 …全然ネタバレ・レビューになってないですね。[ビデオ(字幕)] 7点(2025-02-17 22:57:11) 2. 人間の証明 《ネタバレ》 映画界の新参者・角川春樹が、鳴り物入りで映画界に突撃し、余りある札束で豪華俳優をビンタしながら造り上げた珍作。 当時の角川映画の事情は知らなかったけど、日本映画史上最大の予算を掛けて、最大の興行収入を稼ぐ。そういう意味では角川春樹は目的を達成しました。 映画と小説のコラボ販売。テレビや雑誌、ラジオやポスターと言った大規模な宣伝。異業種へキャッチフレーズを活用したメディアミックス。公開キャンペーンに披露パーティ。いわゆる“角川商法”が確立していて、日本映画界のカンフル剤の役割は果たしたんじゃないでしょうか?何より、多感で移ろいやすい当時の若者の関心を、ハリウッド映画やテレビ番組から、日本映画に目を向けさせる原動力にもなったかと思います。 驚くほどの豪華俳優陣。居酒屋のちょっとしたシーンで、大滝秀治に佐藤蛾次郎、坂口良子を惜しみなく使い捨てる。キャストにとって角川映画は、良いお小遣い稼ぎになったことでしょう。一方で、日本映画で長く飯を食ってきたスタッフや評論家、いわゆる“古株”からは、目の敵にされたように思います。作品の内容から酷評も解りますが、最初から角川商法にケチを付ける前提の酷評にも思えました。(※あくまでWikiを読んで思ったことです。) 本作の角川氏の動きを見ていると、堀江貴文の近鉄バファローズ買収に近いものを感じました。「母さん、彼のあの買収、成功してたらどうなってたでしょうね?」 映画は、殺人事件の解決まで、特にひねりもなく、行き詰まることもなく、一本道で犯人に辿り着きました。後半少し眠くなって、あまりにスーッと終わったので、寝落ちして見落とした所でもあったかな?と思いましたが、おおかた観たまんまでした。特に恭子が身を投げたらしき所が、どのタイミングか解らず、DVDが壊れてるのかと思い、数回観返しましたよ。 棟居の幼少期の記憶。その場に居た人々が、この事件に奇妙な縁で関わってきます。これ、撮り様によっては『マグノリア』や『クラッシュ』のような、人の繋がりをテーマにした名作に出来たかもしれませんね。 だけどこの映画の目的が、そんな見応えのある内容ではなく、単に“ハリウッド映画のような日本映画”…だったんでしょうか?ニューヨークのカーチェイス、ファッションショー、豪華すぎる俳優陣と、見た目には豪勢だけど、肝心のシナリオが、あまり面白くありません。豪華食材を使っているのに、素材の味を生かせてない素人料理のようでした。これでもか!と“足し算”はしてるけど、ここ余計だね?って“引き算”をしてないんでしょうね。[DVD(邦画)] 4点(2025-02-13 23:24:00) 3. ロッキー・ザ・ファイナル 《ネタバレ》 “Rocky Balboa”ご存じロッキーのフルネームです。タイトルにローマ数字が入らないのは、1作目と本作のみ。邦題は『ザ・ファイナル』なので、シリーズの最後を意味していますが、私には2~5のシリーズ作品をすっ飛ばした、ロッキーの後日談に思えました。 舞台はフィラデルフィア。シリーズで“ロッキー豪邸”とか紆余曲折あって、結局モトの家に戻ってきた流れだけど、1からずーっとココに住んでいたようにも見えます。エイドリアンと結婚し、一人息子を授かったまではシリーズと一緒ですが、どちらにも採れるように、敢えてエイドリアンを故人とし、アポロとの友情も描かずに、時間軸がぼやけるように創られてます。 そして登場人物は1に出てきた人たちだけで固められています。過去の試合のダイジェストでラングやドラゴも出てきますが、本筋には一切絡みません。スパイダー・リコは未だに“まぐれで勝った”って言ってますね。確かにあの試合でスパイダーが勝っていたら、歴史は変わっていたかもしれません。リトル・マリー、有名人に言われた言葉は本人以上に覚えているものです。そしてカフとリンク。まだ生きてたんだなぁ。エイドリアンの気を引くために買った亀。一匹じゃ可哀想だからもう一匹買ってきたってところが、ロッキーらしい。スタローン曰く、本当に当時の二匹だそうで、今でも大事に飼っているそう。 本作はロッキーのその後の人生を語る作品であり、またスタローン自身の“今”を語る作品になっています。ロッキーとランボーの成功で、アメリカを背負うスーパースターになり、'90年代からコレといったヒット作に恵まれず、ライバルのアクション俳優に2歩も3歩も置いて行かれ、マンネリを打破できず、新境地も見つからず、もがき苦しんだあげく“過去の人”となったスタローン自身の映画になっています。 自身の栄光の過去に囲まれたレストラン“エイドリアンズ”で、お客に過去の試合の秘話を話し、一緒に写真を撮る。当時のスタローンって、本当にそんな生活してそうでした。'97年のコップランド以降、主演作と言えば、'01年のドリヴンくらいしか記憶にありません。そんな彼が、再びリングに上がる映画を創るなんて、無茶というもの。それも現役の世界チャンピオンと対戦するシナリオなんて… 張りのある若いディクソンの身体と、鍛えられているけど年齢を隠せないロッキーの身体。1作目を彷彿とさせるドキュメンタリー風のカメラ。あのロッキーが、また戦っている。まだ戦っている。ロッキー・バルボアの決して消えない闘志に、観ていてこちらまで熱いものが込み上げてきます。 判定を聞かずにリングを後にするロッキーの勇姿。チャンピオンに勝つことではなく、最後まで立って戦い続けることが、ロッキーの戦い方であり、ロッキーの、シルベスター・スタローンの人生なんですね。 「エイドリアン、俺たちは勝ったんだ、俺たちで」エイドリアンの墓にバラを置き、過去に生きるのではなく、これからを生きる決意をした姿にホロリ。スタローンはその後、ランボーの続編に成功し、エクスペンダブルズという、彼にしか創れないヒット作で素晴らしい返り咲きを観せてくれました。 エンディングのロッキー・ステップを駆けてガッツポーズするファンと子供たちの姿に、また涙。みんなロッキーが大好きなんだなぁ。私もロッキー大好きだよ。[DVD(字幕)] 8点(2025-02-11 23:17:43)《改行有》 4. ドント・ブリーズ 《ネタバレ》 “Don't Breathe”『息をするな』。“Don't breathe a word”で『一言も漏らすな』になります。 どうぞ私に構わず、お互い好き勝手にやってください。で片付けたくなってしまう人物設定ですね。 アレックスはそこそこ裕福な家庭なのに、片思いしてる女のために空き巣に手を染める。でもロッキーにとってアレックスは、自分に気のある単なる飯のタネでしかない。ロッキーの恋人マネーは空き巣に入った家で、花瓶割ったり放尿したりと好き放題。金のために盗むだけなら解るけど、なんか許せん。 ヒロインのロッキー。幼い妹の幸せと、デトロイトの泥沼生活から抜け出すために、空き巣を重ねる?許されんでしょう。今はまだ可愛い容姿だけど、10年もしたら全身タトゥーだらけの“そっち系の人”になってるだろう。 この3人が、金持ち専門の義賊的な空き巣集団なら百歩譲ってって所だけど、今回は大金に目がくらみ、盲目の老人から金を奪い取ろうと行動した時点で、同情の余地が無い。更にその金が娘を失った示談金だと知っていて奪うんだから、私らどの立場でこの映画を楽しめばいいんだろう?ってなるよね。 『1万ドル以上で重窃盗罪』って法律が実際にあるのか解らなかったけど、現行法で950ドル(14万円くらい)以下の窃盗は軽犯罪扱いみたいです。多くの人が銃を持ってるし、アメリカから犯罪が無くならないわけだ。 囚われの身のシンディ。本来コッチがヒロイン枠だろうけど、女の子を轢き殺して、親の金で示談に持ち込み自由を得ようとした、なんか本来は許すのが難しい立場。彼女が「あの事故はもう示談成立したのよ~、私は自由よ~」なんて、報道のVTR入れておけば、彼女のクズっぷりも増しただろうに。掘り下げ不足で事件中一番の善人枠です。 そして盲目の老人。だ。戦争で目を失い、愛娘を事故で失い、近所に誰も住んでないゴーストタウンで孤独に生きる老人。…イラク戦争で“老人”って、少し未来の話なのかな? で、この老人。サイコパスです。だけど両目と娘を失ったら、おかしくなっても不思議は無い気がします。 スポイト精子がもう、キモ過ぎ!なんか毛があ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙… でも、あれで妊娠するんだろうか?適当に冷凍した精子を適当に解凍して…素人考えだけど、きっと無理です。シンディは何か月経っても妊娠はおろか出産もしません。だから彼女は、(不可能な)妊娠をするまで、延々とスポイトレイプをされ続けたんでしょう。 『2人組の強盗を撃退し、何も奪われず』どういう意味でしょう?警察を使わず、自ら追い掛けるぞ!って意味でしょうか?盲目で彼女に繋がるヒントもなく、さして嗅覚が優れているとも思えない老人が、彼女を追えるでしょうか?靴を置いて行っているので、犬を使って追う?う~ん…恐らくは、作中出てきた“警察か金か”“金で沈黙を買う”話。老人からの『一言も漏らすな』ってメッセージの方でしょう。 これだけ不快なキャラを揃えておきながら“鬼ごっこホラー”として、きちんと観られる作品に仕上げています。ハリウッド映画がマンネリ化して斜陽に突入した時代に、純粋なホラーとしてオリジナリティを出してきた点は評価したいです。[DVD(字幕)] 6点(2025-02-11 12:35:48)《改行有》 5. ジョジョ・ラビット 《ネタバレ》 “Jojo Rabbit”『兎のジョジョ』。ものの受け取り方次第で『臆病者の~』にも『勇敢な~』にもなる。 吊るされたドイツ人は「何をしたの」か?母親は「出来ることを」と答えた。ぶらりとした足と、もう地面を歩くことのない靴。 靴を履いて、靴紐を正しくしっかり結んだら、どこにでも自由に行くことが出来る。平和にダンスのステップを踏むことも出来るし、臆病者を踏みつけて脅すことも出来る。 ナチスを崇拝する当時のドイツの普通の少年が、手榴弾で半身フランケンシュタインになり、インゲの幽霊=ユダヤ人の普通の少女エルサと交流する。隠し部屋の中のエルサは最初裸足だった。ジョジョと親交を深めていく過程で、エルサは靴下を履いてる。彼女が歩けるのは安全な家の中だけ。エルサが靴を履いたのは家にゲシュタポが来たとき。アーリア人を演じ「ハイル・ヒトラー」と挨拶する。自由とは真逆、嘘をつくために履いた靴。 宙に浮いた母の靴。もう二度と地面を歩く事も、自由にダンスを踊ることも出来ない靴。ガツンと叩かれたようなショックと、母の靴紐を結ぼうとするジョジョに涙が溢れました。ここから先、涙が溢れっぱなし。 ジョジョの、綺麗なままの右半身(ナチ崇拝)と、傷だらけの左半身(母とエルサが好き)の葛藤。家族を守るためのナイフを右手に持ち、力無くエルサを刺すジョジョ。自分に向けられたナイフを払うでなく、止めるだけのエルサ。恐らくロージーがゲシュタポに連れ去られたのを聞いていたんだろう。「あなた(エルサ)か息子かを選ぶとしたら…」どちらも守りきったロージー。 戦争が終わり、自由を得たエルサ。彼女が自由になると独りぼっちになるジョジョの葛藤。白紙の手紙。心のアドルフ。『ウサギの耳をシッポに巻いて、しっかり縛って穴に戻す』母の教えを思い出し、エルサの靴ひもを結んであげるジョジョ。 「外は危険?」「とってもね」頼れる男を演じ、危険な場所からの脱出を試みる二人…路上のエルサと、玄関の2段あるステップの、一番上にいるジョジョとの身長差。ステップを一歩だけ降りて「脱出成功」の時の2人の身長差。そして… 観終わって、続けざまにもう一度最初から観ました。[DVD(字幕)] 10点(2025-02-11 10:57:44)《改行有》 6. ロッキー5/最後のドラマ 《ネタバレ》 頂点を極めたアクションスター・スタローンが、ライバルのシュワルツェネッガー人気にどんどん後れを取っていき、一番迷走していた時の作品です。マンネリ、不人気、低迷…何を撮ってもダメな時期に、恐らく起死回生の意味で、自身をスターダムに押し上げた『ロッキー』の続編を投じてきました。 自身が活躍するスーパーヒーロー路線は頭打ちなので、原点回帰を図るヒューマンドラマ路線にしました。監督もアビルドセンを起用し、年齢から、自身が戦うのではなく、トレーナーとして若手を育てるドラマに方向転換してきました。 あの時期にこの映画を、ロッキーⅣの続編を、スタローンの新作を、誰が観たいと思ったんでしょうか? ロッキー・シリーズと言えば、掴んだものを失って、また這い上がってくるのがパターンです。掴んだ大金、父親代わりのミッキー、ライバルにして親友のアポロ。そして今度は…。財産という意味ではⅡと被りますが、Ⅴでロッキーが失ったのは“アメリカンドリーム”でした。 ロッキー=アメリカンドリームと言っても過言ではない存在なのに、ロッキーこそみんなが憧れる成功者のモデルなのに、あんな一瞬で、あんなアッサリと掴んだ成功の全てを失ってしまったことに、このシリーズ全体さえ、虚しさに近いものを感じてしまいました。ロッキーが這い上がるための障害と言えば聞こえは良いけど、今回の破産は、映画の制作側の御都合主義にしか思えません。またペットショップで働きだすエイドリアンなんて、もうコントです。こんなロッキーの最後を、誰が観たいと思ったんでしょうか? ロッキー達は昔の安アパートに住み、ミッキーの残したジムで、才能ある若者トミーを育てます。だけどどうにも彼に魅力を感じません。スパーリングでガンガン行くファイトスタイルも、デュークに丸め込まれてロッキーを捨てるのも、マスコミに認められないからってロッキーに対決を求めるのも、トミーのやってる事の全部が嫌いです。生まれた環境の悪さがチラッと出てきましたが、それ以上の掘り下げが無く、彼に魅力を感じる要素がゼロでした。 そして、着々と勝利を重ねて、遂にケインに勝ってチャンピオンになったトミー。彼を全否定するマスコミは、ある意味私たちの留飲を下げてはくれますが、一方でトミーの掴んだアメリカンドリームを批判しています。ロッキーで言えば、Ⅲでミッキーが仕組んだ好カードで連戦連勝し、強敵クラバーにも勝った状態が、今のトミーです。それを認めないマスコミって、何なんでしょうかね?こんなアメリカンドリームの終焉なんて、誰が観たいんでしょうね? 最後は八つ当たりで喰って掛かるトミーと、ポーリーを殴られて怒ったロッキーのストリートファイトです。殴る、蹴る(!?)、投げ飛ばす(!!)。ボクサー同士の戦いとは思えません。死闘の末トミーを倒すロッキー…。…だから何だってんだ!? ここが映画の中盤で、またトミーと組んで頂点を目指すとかなら良いさ。でもジュニアとの信頼を取り戻しておしまい。って、そもそもトミーが居なきゃ、ロッキーが変にトミーに肩入れしてなきゃ、もともと家族仲は悪くなかったじゃない。この場に及んでトミーに勝ったからって、どうだってんだ?? この後もスタローンは、スター街道を転げ落ちていきます。虎の子の『ロッキー』をこんな作品にしてしまい、どんどん迷走していきます。こんなスタローン、いったい誰が観たかったんでしょう?[ビデオ(字幕)] 3点(2025-02-04 22:48:07)《改行有》 7. そして父になる 《ネタバレ》 愛情を注いで育ててきた子供が、実は血が繋がってなかった。本当の子は別な親が育てていて、子供たちを本来の親が育てるべく交換することを考える。6年も経ってから。 重たい。観る前が辛いですね。どう考えても、2人の子供、父と母の4人。それぞれの考えや思いがあるから、ドロドロの修羅場になることが目に見えています。映画は自由な趣味の時間に、明日からをより良く過ごすために、観たいものです。なので、観る前から重たいのが想像できる作品は、気分が耐えられそうなタイミングで「ヨイショ!!」って気合い入れてから、観ます。 でも本作は福山演じる“野々宮良多が抱えた問題”に主題を絞ることで、作品自体に嫌悪感を抱くことなく、関心を持って観る事が出来ました。そう、良多を除く残り3人が大人なんですよ。4人の中で、一番社会的地位のある良多が、一番大人らしい対応が出来てないんです。もちろん他の3人も、それぞれ苦悩があり、妻であるみどりの苦悩は垣間見ることが出来ますが、基本、良多の成長の物語なため、観ててシンドイって気持ちを抑えることが出来ています。 家族に対し自分の意見を一番に通そうとする良多に対し、雄大は常にゆかりの意見を尊重して、夫婦で意見が食い違うと、ゆかりの意見を立てる姿勢がとっても大人でした。 なかなか埋まらない子供たちとの溝。特効薬のように上手い方法なんてなくて、時間をかけて築いていかなきゃいけない新しい親子の関係。この二組の家族のその後の選択は、結果的に観る者に委ねられましたが、タイトルが回収しています。「そして父になる」。 琉晴に言った「あっちのパパ」と「本当のお父さん」。子供は父親の事を“父”とは言わない。良多は“自分のための子供”という考えを捨てて、“子供のための父親”になろうと、ようやく決心が出来たんでしょうね。[CS・衛星(邦画)] 7点(2025-02-04 21:42:37)《改行有》 8. ファイヤーフォックス 《ネタバレ》 “Firefox”レッサーパンダの別名だそうだ。劇中の架空の戦闘機Mig-31のコードネーム。ソ連の戦闘機(Fighter)は頭文字が“F”から始まります。フロッガーとかファルクラムとか。その法則から劇中のファイヤーフォックスは正解なんだけど、頭文字Fで始まるコードネームはNATO軍が勝手に付けた呼称で、ソ連側では呼びません。ガンダムで言うと『スカート付き』みたいな名称です。 ステルス機が世に出る以前の作品だけど、XB-70バルキリーを溶かして小さくしたようなフォルムは中々カッコイイです。ボタンを押さなくても、考えただけでミサイルを撃てるなんて、謎の超大国ソ連らしいです。当時ソ連には、超能力を使うエスパー部隊がいる!なんて、何かで読んだ気がします。ホント、何やってるのか解らない国でした。 子供の頃、テレビで何度か放送されてましたね。結構みんな観ていましたよ。もしかしたら、ダーティハリーより先に観たイーストウッド作品かもしれません。今思うと、イーストウッド主演で特撮の戦闘機ものってのが、一種独特です。前半はスパイもので、後半は空戦アクション。割合は5:5くらいですが、当時の印象だと3:7くらいに思えてて、同型機の空戦の記憶ばっかり残ってます。で、今の目で観ると、8:2くらいで、飛行機は最後にチョットだけで良いんじゃないかなぁ?なんて、作品の本質をぶち壊してしまう感想を持ってしまいます。だって後半の逃走劇が単調なんだもの… 特撮は当時の標準レベルですが、誤魔化しの利く宇宙空間ではなく、観慣れた青空と特撮飛行機は、相性があまり良くないですね。背景との相性が悪く飛行機が浮いちゃってます。 スパイものの部分は、まぁ悪くないかなって思います。ガントが演技がまるでダメなのが、ハラハラはしなかったけど、味わいがありました。任務のために無関係の密売人を殺すところとこか、命より任務を重んじる協力者たちに、冷戦状態は決して平和な状態じゃないことを暗示させます。 ガントのトラウマ、ナパームで焼け死ぬ少女。印象的でしたが、この映画の中で克服するでもなく、きっと一生背負っていくんだなって思いました。 最後は思った以上にあっさりした終わり方でした。どうしてこの映画が、同年代の多くの人の印象に残っているのか、解るようで解りません。。。[地上波(吹替)] 5点(2025-02-03 22:28:57)《改行有》 9. 麻雀放浪記 《ネタバレ》 麻雀は、学生の時にスーパーヅガンのアニメと、ぎゅわん自己のゲームで多少知っていますが、特に詳しくはないです。でもこの映画は面白いですね。世界観がきちんと出来上がっています。 モノクロにしたことで、特撮なんだけど、映像に安っぽさが無いんですね。戦後焼け野原の東京が見事に再現されています。オープニングのチンチロリン小屋前の、地面のぬかるみ具合。雨粒の大きさ。小屋の中の汚さ。ゴザのくたびれ具合に、しっかりカメラに映る雨漏り。セットだろうけどリアリティが凄い。本物っぽいというのではなく、凄く精密な、人の造った精密なジオラマを観ているような世界観なんですね。 そんな中で繰り広げられる博打打ちの世界。チンチロリンで、おりんがイカサマをしてるのを、みんな解ってるけど黙ってる。おりんはいいカモを連れてくるから。なんて、面白いじゃないですか!私は博打打って、その日暮らしで一晩の勝ち負けに全てを賭けてる連中だと思っていましたが、確かに、明日も明後日も博打で食っていかなきゃいけないんだよね。こんな描写に、美学じゃない生活感・リアリティを感じました。 そんな博打打ちの日常に、女の家を勝手に売り、女さえ売り飛ばし、ここ一番・一瞬の大勝負に掛ける癖の強い男たち。負けたら払う。負け際の潔さがとても美しく、爽やかでもありました。…自分で書いてて『爽やか?どこがだよ』って思いましたが、麻雀に掛ける男の生き様が清々しかったんです。 九蓮宝燈であがったら死ぬ。聞いたことあります。この映画で有名になったんでしょうね。出目徳の死体を身ぐるみ剥がして、土手から自宅前に転げ落とす…一度見たら忘れられないシーンです。このシーン、キルビルで使ったな?タランティーノ。一見異常だけど、博打打ちの世界に生きる、ドサ健、ゼゲンの達、坊や哲までが、阿吽の呼吸で出目徳を突き落とす様子が、一見シュールで、それでいて大勝負のあとの美学を感じさせます。この美しさは色褪せないですね。 3人の霊柩車に、よたよた付いていく上州虎。非日常の大勝負の美しさから、日常のクズ人間に戻っていく感じ。和田監督、デビュー作でこれ撮れちゃうって、ホント凄いですよ。[CS・衛星(邦画)] 9点(2025-02-02 14:36:47)《改行有》 10. 白と黒のナイフ 《ネタバレ》 “Jagged Edge”『先端がギザギザの(刃)』事件の凶器、狩猟用のナイフの特徴を表現する言葉であり、評決を左右する重要な証拠品になりました。ランボーのナイフとか一般的にギザギザは刃の根元の方にあると思うんですが、このナイフは刃の先にギザギザがある、一度見たら忘れないレアなスタイルをしているんですね。そこを犯人は、ロッカーを使って効果的に利用しています。 邦題は法廷&サスペンスものらしい、ミステリアスな雰囲気があって、とても“伝わるタイトル”だと思います。 ぼんやりとデ・パルマの作品だと思っていましたが、『ジェダイの復讐』のマーカンド監督の作品でした。名前だけの監督かと思いきや、『針の目』の監督とのことで、ミステリに男女の愛憎模様を絡めるのがとても上手い監督だったと見受けられます。以降の活躍が無いと思ったら'87年に若くして亡くなっていたんですね。残念です。 ネタバレ・レビューですが、この事件を逆算すると、ジャックは新聞王の孫娘の婿という立場で、どうやって財を独り占めするか。そのために邪魔な夫人を殺し、如何に自分を冤罪に見せ、優秀な弁護士に冤罪を証明させ、無罪を勝ち取るか。少なくとも24か月前のから実行に移された計画殺人です。 一番最初に出てくる主要人物がクラズニー検事で、彼はテディが検事補時代に、スタイルス事件の冤罪の証拠を掴んでいたのに、もみ消しています。新聞社の編集長ジャックはその情報も、テディがその件で検察官から弁護士になり刑事事件を降りたという情報も掴んでいたんでしょう。 ジャックは、クラズニーの上院出馬の野心と、クラズニーに批判的な新聞社への不満から、必ず自分を有罪に持ち込もうとすることと、テディが冤罪の証拠を掴んだら、クラズニーとの確執から、自分を無罪に持っていくことも計算ずくで、テディに弁護させるようハーデスティを誘導してます。更に自分に恋愛感情を抱くよう、弱さ、強さ、魅力を最大限見せてテディを誘導しています。 ジャックは、24か月前から半年間、計画的に愛人アイリーンを作って捨てて、18か月前に計画的にジュリー(近隣住人)を襲い、血で“BITCH”の文字を残します。6か月前にバージニア(妻の親友)のラブレターを故意に夫人に観せ、“誠実に生まれ変わった夫”を演じ、ジュリーと同じ手口で夫人を襲って殺害します。 夫人と不倫していたスレイド。彼の女性をののしる口癖が「BITCH!」で、駐車場でテディを待ち伏せして以降、行方不明になっています。ジャックにまんまと利用されたスレイドは、夫人殺しの真犯人として指名手配されましたが、恐らくジャックに殺されてるんでしょう。 “t”の字が跳ね上がったコロナ製タイプライター。敢えてテディに見つかる場所に置いて、自分が真犯人だと気付かせます。仕上げとして、スレイドの犯行に見せかけて、テディを殺害する。スタイルス事件で、何も出来ずに検察から逃げたような女なので、信じた男に裏切られる絶望を与えれば、再告発せずに死を受け入れるだろう…と、ここまでがジャックの計画です。残忍で手が込んでます。 夜まで待って、電話で冷静に「愛してる」と、恋人を演じ続けるジャックが怖い。テディを襲う時も一切無言。ここでもし、ジャックが“犯行のネタバレ”をしていたら、普通の法廷サスペンスの良作で終わっていたでしょう。けど法廷の中で“犯行のネタバレ”は大方済ませてます。 テディは自分を利用したジャックを撃つ。最初の2発で動きを止めるのに成功したけど、無言でもう2発撃って、確実に殺すことを選んでます。この2回の銃撃の“僅かな間”が、彼女の心情、“利用された屈辱”と“愛憎”を感じさせます。 この時テディも冷静だったんです。ジャックが自分を殺しに来るのをわかって、サムが警察を呼んだりしないよう、意味深なメッセージに留めています。万に一つ、ジャックが「顔を見せて」いたら、テディは殺せなかったかもしれません。でも4発撃ち、弾倉には1発残しています。冷静なんです。とどめ用の1発かもしれないし、自殺用かもしれない。撃ち終わった後、『コトッ』って銃を置く音で(音だけで)、ジャックは息絶え、テディは自殺もしないことを伝えてます。サムの「クソ男だ、忘れろ」が、テディを救ってますね。 法廷サスペンスとしても充分に面白いですが、この時代らしい、強い女の愛憎劇として、もう一段上を行く作品です。 邦題の『白と黒のナイフ』ですが、最後の戦いの場面の2人の姿を表しているように思えます。全身黒装束のジャックと、白いナイトガウンのテディ。弱い女が一方的に被害者になる時代から、男に対し反撃する時代に。男だけでなく、女もナイフになるんだよ。って、そんな意味に思えました。[地上波(吹替)] 8点(2025-02-02 11:11:48)《改行有》 11. シムソンズ 《ネタバレ》 以前散歩していて、たまたま立ち寄ったカーリング場で、小笠原歩さんをナマで観たことがあります。小柄で綺麗な人でしたよ。シムソンズで一番知名度が高いと思っているのが彼女なんだけど、映画では一番受動的な菜摘なんですね。意外でした。 常呂町が舞台のカーリング競技っていう選定が渋いです。もっともこの時期、『学生が部活動にのめり込む青春モノ』が大量に創られていて、そのほとんどがマイナー競技にスポットを当てた作品でしたが、この映画の後もカーリングは注目を集め、彼女たちシムソンズの、次の次の世代の“常呂っ子チーム”ロコ・ソラーレの「そだねー」が流行語大賞になるくらい、カーリングは安定した知名度と注目を浴びるスポーツにまでなりました。 映画シムソンズは、実際のチームをモトにしているけど、創作部分がかなり多いと知りました。一番意外だったのは、みんな初心者ではなく、遅くとも中学生の頃までにはカーリング経験者だったことです。 カーリングは大きな動きが少ないスポーツ、つまり絵的に地味な競技です。加藤ローサら新人女優たちは、映画出演もカーリングも初心者です。そんな彼女らを使うにあたり、実話に基づいて経験者が強者になるまでを描くより、キャーキャーと氷上を転げまわってたのが、強者としてビシッとフォームを決めるまでに成長する姿の方が、画的に描きやすかったんでしょう。 ただ、素人がちょっとの練習で急成長して、数年後にオリンピックに行けてしまう映画の展開は、カーリングという競技が底の浅いスポーツと勘違いされそうです。競技選手へのリスペクトという意味でも、もう少し丁寧に書いても良かったかも? でも加藤ローサ演じる和子の、笑顔と前向きさがとても良いですね。観ている私まで元気を貰えました。展開はベタだけど、安心して楽しく観ていられました。 常呂町は、この映画公開の一か月後に北見市に合併されました。今は無き常呂町。今は無きシムソンズ。こんなカタチで片田舎の一時代が映画として残るのって、とても素敵だと思います。欲を言えば、もう少しロケ地を増やしてほしかったです。あれから20年。北見駅前もかなり様変わりしましたからね。 ちなみに、当時も今も道民は「したっけ」は、ほぼ使いません。大泉洋ちゃんも当時まだ若いから、指摘しなかったんですかね?「~だべ?」はけっこう使います。[DVD(邦画)] 5点(2025-01-30 22:54:12)《改行有》 12. ロッキー4/炎の友情 《ネタバレ》 ロッキーシリーズは4が直撃の世代です。私が初めて買った壁掛けのカレンダーが、このロッキー4のやつでした。この時のスタローンの肉体には、ホント惚れ惚れします。あぁ懐かしい。本当に、カッコいい。 シリーズとしては、一番オカシナ方向に行ってしまった感があります。ロッキーはアメリカの成功者として、国を背負って戦います。…いや、ノンタイトルマッチなので、個人的な試合なんですが、国旗のトランクス履いて最後は星条旗を背負ってガッツポーズ。これって、トランプ大統領が目指す『偉大なアメリカ』そのものですよね。確かにカッコいいんですよ。 時代は東西冷戦下。ライバルはソ連の巨人イワン・ドラゴ。解りやすいほど米ソの代理戦争の図式です。オープニングの国旗を模したグローブが衝突して爆発するくらい。あ、このシーン、スローで観ると、ソ連のグローブだけ大破してました。負けず嫌いですね。 アメリカ人が一番燃えるシチュエーションが“復讐劇”です。シンプルにアポロの敵討ちです。これって、真珠湾攻撃を模してるんだと思いました。一方的に敵が攻めてきて、圧倒的火力で、旧式戦艦(アリゾナ=アポロ)を滅多打ちにして帰っていく。先に手を出したのは奴ら。リメンバー・パールハーバー!さぁ反撃だ!! そもそも、アポロが会見場で必要以上にドラゴを挑発したのも悪いのに、そんな事より復讐なんですよ。“先に手を出させて、徹底的に叩き潰す”この国は今も昔も変わらないですね。こういうのが、彼らにはカッコいいんですよ。 過去作と大きく違う点は、ビル・コンティの有名なスコアを使わないで、ノリの良いロックが全編流れてます。このサントラも当時、私の周りみんな持ってました。もちろんダビングしたカセットテープですが、当時の“みんなが持っていた3大洋画サントラ”と言えば『トップガン』『ロッキー4』『オーバーザトップ』…かなぁ? サバイバーの“Burning Heart”がメイン・タイトルだと思うけど、一曲丸々入ってる“No Easy Way Out”も捨てがたい。凄いんですよ、この曲の間、ロッキーはただ、夜の道をランボルギーニに乗って走ってるだけなんです。そりゃアポロの死を悲しんだり、ドラゴへの闘志を燃やしたりしてるんだろうけど、映像は、ランボルギーニと、運転するロッキーと、さっき観たばかりのアポロが負けるシーンと、1~3のダイジェスト。全部アポロ絡みなら解るけど、エイドリアンとのラブラブシーンとか必要性のない回想も入ってます。でもロッキーのイメージビデオとして、カッコいいですけど。 僅か91分の映画に、過去一番の長さのボクシング&トレーニングシーン。過去一番の長さのロックシーン。過去一番の長さの回想シーン。こう書くと、どれだけ内容が薄っぺらいか伝わると思います。更にペッパー君みたいな給仕ロボットまで出てきます。久しぶりに観たとき、このロボットの事すっかり忘れてて、吹き出してしまいました。ボクシングの映画なのに、あれ何だったんでしょうかね? ジェームズ・ブラウン(本人役)にゴルバチョフ(そっくりさん)も出てきて、更に賑やかです。 当時の私は、社会派の戦争映画『プラトーン』にショックを受けてました。そのため、社会派の対極にある、本作のような単純な娯楽映画に対し、何か悪い点ばかりを突いて観ていたような気がします。でも年を重ねると、こういうキラキラしたお祭りのような映画も、カッコいいよね。って思えるようになりました。[ビデオ(字幕)] 5点(2025-01-29 23:16:46)(良:3票) 《改行有》 13. チャイナ・シンドローム 《ネタバレ》 “The China Syndrome”直訳だと『中国症候群』。「アメリカで炉心融解(メルトダウン)が起きたら、高熱の核燃料は原子炉容器を貫通(メルトスルー)して、地球の裏側の中国まで行くんじゃないか?」って、当時の研究者のブラック・ジョークなんだって。 公開直後にスリーマイル島原発事故(公開12日後!!)があり、映画と原発に、良くも悪くも世間の関心が高まるという相乗効果が生まれています。福島の炉心って、どこに行ったんだろう? 映画の架空の事件・事故が、現実世界の事件・事故とリンクする事があります。'70年代を全盛期に、パニック映画が大ブームで、ビル火災、大地震、航空機事故、豪華客船の沈没…そんな、自分は遭いたくないけど、どんななるか観たい欲求を満たす映画の一環として、多少なりとも本作も話題になったんじゃないかな?って思います。でも本作はパニックモノではなく、隠ぺい工作のサスペンス映画でした。 いい加減に作られた設備に計器。執拗に行われた調査から導き出された『〇〇だから今回の事故は問題ありませんでした』という、結論ありきの調査報告。原子力発電という、ちょっとしたミスで制御不能になる、危なっかしいエネルギーに頼る現状と、イザという時には現場の人が“一か八か”でどうするかを決める。そして事なきを得たら根拠のない安全性の主張。公開から30年以上たって、福島で原発事故の恐ろしさと、この映画と全然変わってない現場任せの対応、結論ありきの調査報告に、安全性の主張。当時とはパソコンと携帯電話があるだけで、やってる事がほとんど変わってないのが怖い。[DVD(字幕)] 7点(2025-01-27 12:18:09)《改行有》 14. 逃走迷路 《ネタバレ》 “Saboteur”『破壊活動員』。“Sabotageは”妨害工作や破壊活動を意味するんだけど、日本語ではサボる=怠けるって意味合いが強いから、別な邦題にしたのかと。あとヒッチコックの『サボタージュ』('36)って作品があるため、ややこしいから区別の意味もあるんでしょう。 '80年代の中盤に、確か金曜ロードショーとかで放送されたと思います。当時ヒッチコックの作品はよく流れていましたが、私が小中学生の頃、ゴールデンタイムに昔のモノクロ映画を流したのは、本作とローマの休日くらいしか記憶にありません。それだけ有名というか、ヒッチコックの中でも重要な作品なんだと思っていましたが…そんな訳でもないのかな?あの放送は、どのような意図があったんでしょうかね?番組スタッフの“推し”だったんでしょうか?ちなみに私のモノクロ映画デビュー作です。思い返せば、工場火災で友人が焼け死ぬシーンでさえ怖かった記憶があります。当時私は何歳だったんだろう?相当幼かったのかなぁ?でもテンポが良くて面白かったなぁ。 初視聴から20年以上経って、BSで観た時も、内容全然覚えてなかったけど楽しめました。手錠をしたままのバリーが盲目の紳士に助けられるシーンはハラハラしたし、全てを見通してバリーを助けることにしたこと、サーカスの見世物にされている人達が彼らを助けることを選んだのもホロリとさせられます。要所要所で出てくるパットの看板もシャレが効いています。 劇場での映画のセリフとシンクロした銃撃戦や、自由の女神の追跡シーンもインパクトが大きいですね。自由の女神、案外小さいような気もしますが、実物大のセットなんでしょうかね?頭の部分の展望室、あの広さだと現地に行っても混んでて登れなさそう。腕の先まで登れるとは驚き。 ヒッチコックの初期作品って、アイデアがたくさん詰まってて、それを1作品に惜しげもなく注ぎ込んでる感じがして、大好きです。[地上波(吹替)] 7点(2025-01-27 11:14:37)《改行有》 15. ロッキー3 《ネタバレ》 ボクサーのヒューマンドラマから、ボクシングのアクション映画に生まれ変わったのが本作からで、シリーズ化されたロッキーのイメージは、この作品で完成されています。 この映画のために創られたサバイバーの『アイ オブ ザ タイガー』は、公開から40年以上経った今でも、ボクシングのイメージソングと言える歌です。オープニングのロッキーの試合ダイジェストと、ノリの良いロックの組み合わせは、当時人気急上昇のMTVにも通ずるものでした。 Ⅰ、Ⅱの不器用でクソ真面目なロッキーが、Ⅲでは饒舌でチャラいキャラクターになっています。Ⅱでも『大金持たせたら、後先考えずロクな事に使わない』姿は描かれていましたが、いつの間にか世渡り上手になっていて、どんどん稼いでどんどん使ってます。ミッキーのマネジメント能力ってとてつもないですね。 子供の頃、映画も観てないのに“ロッキー豪邸”って言葉は知っていたし、奥さんのエイドリアンがどんどん派手になっていくってのも知っていたくらいだから、ロッキーもスタローンも超有名人。アメリカンドリームの体現者。世界のスーパーヒーローでしたね。 このボクシング映画のヒーローが、当時大人気のプロレスラー、ハルク・ホーガンと戦うなんて、もう滅茶苦茶です。近年のバットマンVSスーパーマンとかアベンジャーズ並みの夢の対決を、この時代に実現していました。もちろん世界観がぶっ壊れないようにチャリティマッチって断り入れてますが、思いっきりブレーンバスターとか嚙ましてるし場外に投げ飛ばすし…。もしかしたら、'76年のアリVS猪木(他にも有名な異種格闘戦があったのかもしれない)のガチ試合を、もっとエンタメ寄りに再現してみたのかもしれませんね。 だけどⅠで引退しようかどうしようか、Ⅱで最後の試合だくらいな感じだった中年のベテラン・ボクサーだったのに、どこにこれだけのバイタリティーが??でもヒーロー物として楽しく観させてもらいました。 そして「飛行機だけは勘弁な(※特攻野郎Aチーム)」のコングことミスター・T。この人レスラーもやってたんですね。見た目的にも解りやすいラスボス感。見た目のインパクトが強すぎて、人物像の掘り下げがイマイチで、シリーズを通してのインパクトはあまり高くないように思えます。 でもⅠでは一切使わなかった、ボクサー目線のカメラ(ロッキーから見た自分を攻撃してくるクラバー)が多用されていて、臨場感が増しているのと、自分自身がこんな相手と戦ったら、怖いなぁって思えるようになってます。(※このカメラ位置はⅡで既に使われてます) 「虎の目を取り戻せ」本作品は、当初3部作の完結編の意味合いで創られたらしく、アポロとのライバル関係が、トレーニングを通して友情として昇華する過程は観応えがありました。リズム感の無いロッキーに“こんなのがどうしてチャンピオンになれたんだ?”なんて思いつつも、アポロとロッキーのステップがシンクロする様子や、一緒に砂浜を全力疾走する様子、星条旗のトランクスを貸すところは、観てて心地良かったです。ここのトレーニングのモンタージュでは『アイ オブ ザ タイガー』でなく『ロッキーのテーマ』。ココって時なのに『アイ・オブ~』は掛けないんですねぇ。まだビジネスとしての“あざとさ”が足りない時代とも言えるし、シリーズ物のロッキーらしさを残す演出とも言えます。 試合は…長期戦によるクラバーのスタミナ切れって、イマイチパッとしないんです。試合結果より、最後のアポロとの和やかなリベンジマッチと、綺麗なクロスカウンターがインパクト大です。[地上波(吹替)] 7点(2025-01-27 10:26:07)《改行有》 16. ジョニーは戦場へ行った 《ネタバレ》 “Johnny Got His Gun”『ジョニーは銃をとった』。映画の主人公はジョニーではなくジョー。 第一次大戦の志願兵の募集広告“Johnny Get Your Gun”『ジョニーよ銃をとれ』に対する、その結果どうなったか?を表したとも言えるタイトル。 “鬱映画”とか“救いのない映画”として、ネットで度々目にしていて、あらすじから結末まで知ってしまってからの視聴。観終わって気分が悪くなる映画(=いわゆる“胸糞映画”)って、私の中ではあまり評価が高くありません。でも本作は私が思っていたような作品とは違ってて、確かに救いは無いけど、嫌いではなかったです。結末知らないで観た方が良かったかな。 負傷して視覚を奪われたジョーが、腕が無い事、足が無い事、顔が無い事を、徐々に理解していく過程が残酷。心の中で叫んでも誰にも聞こえない恐怖と絶望感。 現実のモノクロの世界に対し、カラーで表現されるジョーの回想と夢。死者を運んでいく列車に兵士たちを乗せるキリストと呼ばれる男。これは夢だろうな。「私が社長、これはシャンパン、メリークリスマス!」鎮静剤の副作用か、恐らくバグってる回想。どこか幻想的な夢の表現が印象深い。 外界との繋がりを持てない中、日の光を肌で感じて昼夜を知り、メリークリスマスの文字から、今日が何日か判る喜び。どうにか接触方法を探るジョーの努力と、献身的な看護婦の触れ合いは、こんな絶望的な状況でも希望を感じさせ、映画の先を観たい気持ちにさせてくれます。うん、観続けるのがシンドイ映画じゃないんですね。 結末が恐怖です。遂に訪れた意思疎通の場。そこには、ジョーのうなづきがモールス信号だと気が付いた士官、従軍牧師、ジョーを生かすことにした軍医、献身的な看護婦、そして軍の責任者が居ます。 でもここが軍の病院で、ジョーは軍の研究のために生かされています。軍はジョーの回復具合を見るのではなく、この植物状態で、人間がどれだけ生きられるか?だけを観るのが目的だったので、彼が意思疎通の図れる、感情ある人間だとは考えていなかったんですね。 この映画の怖いところは、戦争で手足と顔を奪われた事はもちろんだけど、ジョーが意思疎通が出来た事実を闇に葬る軍の決定にあると思います。見て見ぬふりを決める責任者と、それに反対しない・出来ない軍属たち。巨大な組織の隠ぺい体質には、いま話題のテレビ局の問題に通ずるものを感じます。 日の光すら奪われ、死ぬことも許されないジョー。あまりに残酷な『銃をとった』結果に、言葉を失ってしまいます。[DVD(字幕)] 8点(2025-01-27 09:28:04)(良:1票) 《改行有》 17. 恋人までの距離(ディスタンス) 《ネタバレ》 “Before Sunrise”『日の出まえ』。初対面の男女が、ウィーンの街並みを背景に、一晩中歩いて話して恋をする。ってだけの映画です。事件も起きず、トラブルも起きず、大喧嘩もせず、見逃せないラストのオチもない。そんな映画、何が面白いねん?って思ってしまいますが、このシンプルな映画に、どういう訳か引き込まれました。 この構成って、もしかしたら、『孤独のグルメ』に近い感覚かもしれません。腹が減った男が、飯屋を探して、黙々と飯を食う。ってだけのドラマですね。事件も起きず、トラb…~~~~そんなドラマ、何が面白いねん?って、思っt…~~~どういう訳か引き込まれるんですよねぇ~。 『鉄道の中でジェシーが、意気投合したセリーヌをウィーンの街に連れ出すことに成功しました。』で、この映画の説明は6割がた終了です。あとは、結末と、そこに至る過程くらい? この映画の大部分って、孤独のグルメで言うと、美味しそうな料理を見て『この料理、先日食べたわ、そうそう、この部分が美味しいんだよね』なんて、自分の記憶の中の類似した料理を回想するか、『こういう料理もあるのか、頼んだこと無いけど美味しそう、今度食べよう』って、後学のための参考にするって楽しみ方があると思います。 孤独のグルメの、男が黙々とご飯を食べる映像は、きっと、あまり外食をしない、出された料理を楽しまない人には、恐らくあんまり興味が湧かないジャンルにも思えます。 ご飯はそうでも、恋愛はどうでしょう?きっと多くの人が、異性と思いもよらず会話が弾んで、時間を忘れて話し込んで、相手の事をもっと知りたい、この人に私の事をもっと知ってほしいって、そんな気持ちになった事ってあると思います。 ウィーンの美しい街並みすら背景(モブ)にしてしまうほど。奇妙な占い師や路上詩人を二人を輝かせるイベントにしてしまうほど。飽くこと無き探求心が湧いてきて、あっという間に過ぎていく二人の時間。『そういえば、私も(俺も)、そんな気持ちになったこと、あったなぁ~』なんて思えた人は、きっとジェシーとセリーヌのように、幸せな時間を過ごした事がある人なんでしょう。この映画は、自分の過去のワクワクした気持ちを、ぼんやりと思い出させてくれる映画に思えました。[DVD(字幕)] 8点(2025-01-21 22:37:49)《改行有》 18. それでもボクはやってない 《ネタバレ》 本作は痴漢の冤罪を扱った作品ですが、重きを置いているのは、痴漢ではなく冤罪の方。『やってない』事を証明することが、どれだけ難しい事か。そしてこの事件に関わる多くの人が『やっている』事が前提の対応をしてくる。 乗客の男性、駅員、刑事、留置所の警官、検事、判事。女子中学生が痴漢されたと言えば、周りは徹平が痴漢という“悪”であると決めつけて、正義の行いとして、どんどん徹平の立場を追い込んでいく。この、底なし沼に沈んでいくような怖さから、こちらの胃袋までキュッとしてきます。 希望が現れ、それが消えていく絶望感の演出が、えげつないですね。特に2点、被告に対しても公平で論理的。『正しい判決を出してくれそう』って言える大森判事の、突然の異動。その代わりの室山判事の、被告=有罪であることを最短距離で詰めてくるような恐怖。優しい笑顔で被告をどん底に叩き落す、被告とは住む世界が違う感じの冷徹さを感じました。 裁判官を演じた二人の俳優。一見冷たそうな正名さんに、一見優しそうな小日向さん。それぞれ、パッと見の印象と違う役柄を演じさせたのも巧いですね。 駅員室まで来てくれた目撃者の女性。駅員の杜撰な対応で姿を見失い、母親と親友の粘り強いビラ配りの結果、名乗り出てくれた勇気。証言も記憶も、客観的意見もしっかりしていて、観ていて『あぁ、これで助かった』って思った…にも関わらず。こんな重要で確かな証言が、参考意見程度に流されるなんて、絶望しかありません。 本作の主題は痴漢でなく冤罪の方。なので、真犯人も、真実も解りません。実際、徹平は痴漢をしていないのかは、最後のナレーションの通りだと思うし、須藤弁護士が最後まで担当を降りなかった事から、私たちの目には明らかです。 『十人の真犯人を逃がすとも 一人の無辜を罰するなかれ』優秀な弁護士。親身に動いてくれる親友。同じ冤罪の被告。証人。これだけの後押しがあっても、覆らない判決の恐ろしさ。痴漢の嫌疑をかけられた時点でもう、食肉にされる家畜と同じ運命ですね。[地上波(邦画)] 9点(2025-01-20 22:43:24)(良:1票) 《改行有》 19. リトル・プリンセス 《ネタバレ》 “A Little Princess”『貴族の幼い女性』って意味あいの児童文学を、当時のセンスある翻訳家が、解りやすく魅力的な言葉を創って名付けたタイトルが『小公女』。 当時『小公女セーラ』のアニメを、家族揃って毎週観てました。思えばそんな、両親もみんなで観たアニメは、この作品だけかもしれません。暗く悲しいオープニング『花のささやき』。重たい空気と、ささやかな幸せと、終わりのない絶望感。セーラと共にミンチン先生の飼い猫・シーザーが、いつ学園を追い出されるかとヒヤヒヤして観ていました。 以前、他作品のレビューで『創作の“主人公を不幸なシチュエーションに遭わせる感動作”が苦手』って書きましたが、こういう、逆境を跳ね返す作品は大丈夫みたいです。 そんなワケで、思い入れがあるだけに厳しめな評価になりそうですが、これがまた、児童向け映画として良く出来ていました。 うろ覚えですが、アニメとの設定の違いを考えると、セーラはアニメ版より気が強く、言われたら言い返す性格です。ミンチン先生との口論や、ラビニアに魔術を掛けるのを、アニメのセーラがやっているのを想像すると、ちょっと微笑ましいです。ミンチン先生、アメリア先生、ラビニアとロッティが、アニメのイメージのまんまで嬉しかったです。ベッキーが黒人になってるのは、まだポリコレとか言われる以前の映画で、人種の変更はどんな意図があったんでしょうかね?原作でもベッキーは田舎出身の白人のようです。アーメンガードは一目で解りましたが、イメージよりポッチャリでメガネっ子でした。シーザーはさすがにアニメオリジナルか。 舞台をイギリスからアメリカにしたため、ベッキーの人種変更とか、インパクトの大きかった衛兵がセーラを手助けするエピソードが割愛されていました。(※アニメオリジナルだったりして) 「女の子はみんなお姫様」良い言葉です。この言葉に生徒たちだけでなく、ベッキーやアメリア先生(!)までが救われていく展開は、胸がスカッとします。 『お姫様と普通の女の子の違いって、何なの?』とか、『どうしてお姫様だと幸せなの?』とか、現代風に屁理屈こねるのでなく、子供でも『幸せな女の子=お姫様』って解釈できる解りやすさが、夢があって素敵です。 “ I am a princess. All girls are.”宇宙飛行士やアイドル歌手になる夢よりも、そこに至る過程の難しさやドロドロした政治的な内情に目が行ってしまう今の世の中で、このシンプルな事実はとっても大切だと思います。 エンディングに向かっての奇跡とピンチ、スリル。そしてアニメ版以上の急展開。とっても上手くまとまっています。アニメ版が好きだった人は、ミンチン先生、アメリア先生、ラビニアの最後に注目ですが、それぞれ、良いですねぇ。[CS・衛星(字幕)] 7点(2025-01-19 13:15:17)《改行有》 20. ロッキー2 《ネタバレ》 “Rocky II”あぁ、いまレビュー書いてて思ったけど“2”でなく“Ⅱ”なのって、ロッキーがイタリア人だから、ローマ数字表記のⅡなのね?きっと。 なにか“最後にロッキーが勝つ”って前提の、筋書ありきの映画です。単独の名作ヒューマンドラマの続編であり、ボクシングのアクション映画シリーズへの、橋渡し作品でもあります。 当時の日本ではこの『困難を乗り越え、トレーニングをして、最後は強敵を倒す』ってシンプルなシナリオがウケたんでしょうね。'80年代を席巻した週間少年ジャンプの格闘アクションものの原点が、この作品から感じられます。 そして表現がイチイチ漫画チックです。初見時中学生だった私も、前作が大人のドラマだったのに対し、急に少年漫画っぽくなったなって思っていました。 序盤こそ前作の続編として静かに始まりますが、動物園で告白するのって、前作でガッツォの部下が「エイドリアンとデートなら動物園にでも行けよ」ってからかわれて、ロッキーも怒ってたような?まぁでも、温かくて良いシーンだけどね。 結婚式のシーンも良かったです。ポーリーにミッキー、ガッツォ(!)にグロリア(ペットショップのオーナー)が出席する、主賓が消えたら横の繋がりが全く無くなる結婚式だけど、前作の繋がりが感じられて、私は好きだな。 そして冗談のような悪夢のCM撮影。確かに、ガッツ、輪島、渡嘉敷、内藤…有名ボクサーってバラエティ番組で観る機会が多かったですよね。それ以外のボクサーは、あまり観る機会は無いから、ロッキーのような真面目なタイプのボクサーは、第二の人生の、チャンスを生かせず、人知れず消えていくんでしょう。 ロッキーの度を越した豪遊っぷりは、今後の転落人生を簡単に想像させますし、エイドリアンが妊娠→出産で倒れるのも、ドラマとしてはよくある展開。言葉は悪いけどベタです。絵に描いたような私生活のどん底と、ずっと寝ないで看病するロッキー。当時は涙ぐましく感じましたが、鼻のチューブとか点滴や心電図もないエイドリアンは、ただ寝てるだけに観えて、そんなに危機感を感じません。エイドリアンの「Win…Win!」は、タリアがこの映画で一番可愛いらしく観える名シーンです。ここにトレーニング中の音楽を被せ、ミッキーの掛け声が入るのは、何とも漫画チックな展開です。ロッキーってこんな映画だったっけ? 前作でも生卵飲んだり、冷凍肉叩いたりと珍しいトレーニングがありましたが、今回はニワトリ捕まえたり、鉄ハンマーで鉄板叩いたり、丸太抱えてうさぎ跳び…効果は解らないけど、お金のないロッキーのハングリーさを表すとともに、きっと、当時世界中で流行り掛けてたジャッキーのカンフー映画からもインスピレーションを得たんだろうな。と思いました。 仕上げはロッキー走りにロッキー階段。このジョギングで子供たちが追い掛けてくるのが訳が分からないですね。なぜかアメリカ国旗(続けて万国旗)の並ぶ車道を走るロッキーと子供たち。階段の頃には子供たち凄い数になってます。もう笑うしかないフィーバーっぷりです。この盛り上がりっぷりって、アポロと試合をしたボクサー、ロッキー・バルボアの応援としてでなく、スタローン演じる映画“ロッキー”の主人公が走ってることへの、盛り上がりに思えます。こんな映画だったっけ? 最後の試合は乱打乱打の乱れ打ち。序盤から終盤まで、疲れを知らないハードパンチの打ち合いです。あれだけテンプルにレバーにボディにガンガン強打が当たってるのに、格闘ゲームのキャラみたいにず~~っと全力で打ち合ってます。長期戦こそ前作みたくクリンチが増えるものだと思うけど…。そして最終ラウンドでダブル・ノックアウトって、絵に描いたような漫画展開。直前に観たファーゴより、コッチのがよっぽどコメディに思えます。[地上波(吹替)] 5点(2025-01-19 00:48:09)《改行有》
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