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【製作年 : 2020年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
1. パリタクシー 人生の成功とか幸せって、豪華な旅や贅沢で垢抜けた生活、派手な成功じゃなく、 日常の中に隠れた本当の豊かさの中にこそ見つける物語だ。 豪華な体験ばかりが豊かな人生だなんて、俺は思わないね。 映画の中のタクシー運転手シャルルは、まさに「俺は負け組」だと感じてた奴だが、 終活に向かう92歳のマダムとの出会いで、ふとした寄り道から自分の内面に眠る価値に気づくんだ。 『ドライビング・ミス・デイジー』みたいに、運転手と高齢者の温かいやりとりはあるけど、 こっちはもっとグラウンドな現実味が強い。 ミス・デイジーは上品で優雅な旅路を描いてるが、シャルルの場合は、苦悩と挫折がリアルに映し出され、 その上で「寄り道」っていう小さな出会いが、人生の暗闇からほんの光をもたらす。 つまり、単なる慰め話じゃなく、自分の苦しみから解放されるための一歩なんだ。 タクシー運転手の視点というのは、社会の上層部から見た成功体験じゃなく、 どん底から這い上がるリアルな体験があってこその豊かさを感じさせる。 これって、ただの上から目線の成功ストーリーとは違うし、持たぬ者への単なる慰めでもない。 さらに、パリの街並みやシャンソン、ジャズの雰囲気が、ただの背景じゃなく、 登場人物の心情を反映する「記憶の舞台」として機能してるのが新鮮だ。 派手な演出よりも、日常の一瞬一瞬に込められたドラマが、俺たちに「本当の豊かさ」を問いかけてくる。 本当の人生の価値って常に身近なところにあるんだよ。 誰もが人生の成功者になれる資格を持っているよって俺たちにそっと教えてくれるのだ。[インターネット(字幕)] 7点(2025-03-09 07:33:03) 2. すばらしき世界 《ネタバレ》 原作『身分帳』既読。 映画は実話に基づく佐木隆三氏の小説『身分帳』を原案とするが、映画版は原作と比べて違った印象を受けた。 原作は事実に基づいた淡々とした記録風のルポルタージュで、再犯率5割という数字も客観的に提示されるだけだった。 一方、映画はその現実を舞台にしながらも、概ね問題点を強調するための脚色、演出が行われている。 映画を観て感じたのは、単なるエンタメとしての犯罪ドラマではなく、社会が再出発を支援できない現実に対する強烈な批判でもある。 三上は刑務所という閉ざされた世界から一歩外に出た瞬間から、冷たい壁にぶつかる。 映画では、その絶望と孤独、そして無理解な社会との対峙が、激しい衝動と内に秘めた儚い希望と共に描かれている。 役所広司の迫真の演技が、そんな三上の複雑な内面を余すところなく表現していて、 見る側としては胸が痛むほど共感せずにはいられない。 原作では数字と事実、取材に基づく冷静な記録があるだけで「こんな現実がある」という事実認識を重視している。 しかし、映画では、三上という男が社会に受け入れられず、再出発すらも許されない現実を強く押し出してくる。 たとえば彼が死ぬという結末は、演出というよりも現実における更生支援の欠如や、 社会全体の不寛容さに対する大声の叫びにさえ思えてならない。 わたし自身も現代社会に対して疑問を持ち、同じように過激な性格や内面を少し抱えている部分があるから、 三上の苦悩や葛藤はまるで自分を見ているような気がする。 映画の中で描かれる「再犯率5割」という数字は、ただ統計として受け止めるのではなく、 背負う過去と罪から逃れられない現実の重さとして映画では訴えるのだ。 社会は、一度裏社会に足を踏み入れた者を、どこまで冷たく拒絶するのか。 それは感情ではないのだ。仕組みとしての状況なのだ。映画はそれを三上の運命を通して突きつけてくる。 原作の静かな記述も良かったが、映画の演出には心が辛くなる。 しかし、あの演出がなければ、数字の示す本当の恐ろしさを見過ごしてしまうことになるだろう。 映画は、残酷な現実を示し「罪を犯した人が変われるのか」という問いを投げかけ、 それが口先だけの人事戯言でいかに困難なことであるかを訴えるのだ。 現実社会をかなり知る立場の私としては、全体的に物事を強調しすぎて現実から乖離しているところも多いと感じる。 しかし、ドキュメント映画のようにリアルに社会の断片を見ても普通の人から見ればそれが当たり前。 その社会が弱者から見ればイバラの道に感じることを現しているのだ。 だからこそ非現実的な演出としてメッセージ性を強めエンタメ性を持たせていることを理解するべきだ。 これを事実と違うなどという批判もあるようだがそれは見当違いだ。 現実がドラマより奇異なこともあるし、そもそもドラマは非現実のものを観るものである。 弱者に辛い日本と言われるが、反社の排除も結局は見て見ぬ振りしかできぬ社会的キャラを増長し、 他国の暴力犯罪組織を増やしている側面も見落とせないよな。などと感じる私がいる。 総じて、『すばらしき世界』は、 社会の冷酷さに直面する現実を痛感すると同時に、社会構造の脆弱性や葛藤を映し出す鏡のような作品だと感じた。 もと犯罪者の方々の再出発の難しさと、 それに対して社会がどれだけ無関心か、あるいは拒絶しているかを改めて問い直さずにはいられない。 [インターネット(邦画)] 8点(2025-03-09 06:31:36)(良:1票) 3. デリシュ! 食の革命が始まる瞬間を見逃すなって思わせる、1789年のフランス革命の年のおとぎばなし 宮廷の煌びやかな世界と、禁断の一皿に挑む料理人の熱い情熱がぶつかり合う。 画面に広がる鮮やかな映像と、時代を感じさせる厨房のドラマ。 ジャガイモ料理がただの料理じゃなく、旧体制に対する反抗の象徴なのか。 民衆の自由と正義を求める魂の声が料理となって映像美と共に堪能できる。そんな映画。 フランス料理が民衆に解放されたのがこの頃と言われるので そんな逸話のようなお話なのかもしれない。 軽く楽しむ感じでみてあげましょう。[インターネット(字幕)] 7点(2025-03-09 02:37:40) 4. シビル・ウォー アメリカ最後の日 《ネタバレ》 観終えてまず感じたのは、「事前に抱いていたイメージと大きく異なる作品だった」という戸惑い。 タイトルから想像する“政府の崩壊”や“内戦によるアメリカの最期”といった過酷な描写を期待していたのだが実際に描かれていたのは、 無秩序となったアメリカを舞台に旅を続けるジャーナリストたちの混乱を追うロードムービー。 戦争や内乱といった大きなテーマを、政府機能の不全や戦闘シーンの連続としてではなく、人間の心理や生活に焦点を当てた描き方は斬新。 また、ロードムービー形式を採用することで、地域性や人々のサバイバル描写に重きを置いている点も興味深い。 “戦乱”を生々しい戦闘シーンとして見せるのではなく、人々の混乱や心情を描いていくのだ。 一方で、タイトルが示唆するほどの「社会構造の劇的な崩壊」がはっきりと描かれていない点には??。 これはおそらく日本語題の問題だろう。作中では内乱が勃発した理由や政府の問題点が直接的に示されるわけでもなく、 大統領の独裁的行動や憲法違反があったらしい、という程度の断片的情報くらい。 そのため、なぜここまで大規模な内戦へ発展したのかが終始つかみづらく、観客として状況をのみこみきれないままストーリーが進んでしまう。 ジャーナリストの視点で“真実を追う”ことがテーマになっているにもかかわらず、彼らが事態の核心に切り込む場面は意外と少なく、 どこか取材の記録映像のように表面的な混乱を映すだけで終始してしまう。 そうなるとやはり内乱勃発の具体的理由や大統領の極悪さなどが説得力をもって描かれていない点が気になって仕方ない。 国民同士が殺し合うほどの内戦であるなら、もう少し観客側が理解できる“決定的な背景”がないと納得できない。 戦争行為の理不尽さを伝えたいのはわかるが、映画としての構成が粗雑に感じてしまうとどうしても付き合いきれなくなっていく。。 さらに、ジャーナリストたちの使命感を描くはずが、いつの間にか戦場を撮り続ける行為そのものが“カタルシス”のように映ってしまう。 実際の戦場カメラマンの持つトランス状態や使命感は、もっと切実で非情なものであるはずだ。 作品の最後では主人公が不思議な“達成感”に包まれているようにも見え、観ている私が取り残されたような違和感に包まれる。 もし、こんなことが起きたら。という状況でのある種のSFのロードムービーとして、 “報道”の持つ意義や危うさ、そして混沌の中にいる人間ドラマを描いている点は評価できるのだろうが、 もう一度観るかと聞かれたら、しばらくは結構です。と答えます。[インターネット(字幕)] 4点(2025-03-06 02:28:03) 5. フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン 1969年のアポロ11号月面着陸を背景に、「月面着陸捏造説」を逆手に取ったロマンティック・コメディだ。 テーマとしては宇宙開発の捏造という大胆な切り口だが、その描き方がコミカルで皮肉たっぷり。 主演のNASスカーレット・ヨハンソンと、発射責任者役チャニング・テイタムの掛け合いが秀逸で、二人のロマンスも軽快で微笑ましく、 このコンビの絶妙な掛け合いだけでも充分観る価値がある。 特に感心したのは、月面着陸捏造という大胆な設定を笑いに転じているところだ。 映像を通じて繰り広げられる、ある種バカバカしい捏造劇は、思わず笑ってしまうほど滑稽だが、 一方で、真面目にフェイクを作り上げる登場人物たちを見ているうちに、自分自身の仕事にも似たような滑稽さが潜んでいることに気付かされる。 真面目な表情で必死に取り組んでいるその姿には、自分の普段の仕事の姿を重ねてしまい、不思議な自嘲感にとらわれた。 真剣だからこそ生じる滑稽さという、人間の本質的な部分をうまく突いている。 本作を観て、1978年の映画『カプリコン・1』を思い出した。 『カプリコン・1』は同じく宇宙開発の捏造をテーマに扱っているが、こちらはシリアスで緊迫感に満ちたサスペンス映画だ。 対して『フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン』は、軽快でコミカルな空気感が特徴である。 この二作品の違いは、まさに描こうとしたテーマに対する「向き合い方の違い」であり、 深刻なテーマを笑い飛ばすことで、逆にテーマの本質を浮かび上がらせているのが面白いところだろう。 しかし、個人的に少し気になったのは、歴史的事実をフィクション化する手法だ。 確かにユーモアとして面白いが、あまりにコミカルな要素が前面に出過ぎると、観る人によっては史実と虚構の境目が曖昧になり、不快感を覚える場合もあるかもしれない。 もう少しだけ、史実への配慮を示しつつ、バランスを取ればさらに奥行きが出る作品になったのではないかと感じた。 とはいえ、『フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン』は全体的に非常に楽しい映画だ。 スカーレット・ヨハンソンの鮮やかな演技もあって、宇宙開発を題材とした映画としても、 ラブコメとしても純粋に楽しめる出来栄えとなっている。 ちょっとだけ複雑な気分になった自分の心を含めて、鑑賞後にはどこか愛着を感じる、不思議な魅力にあふれた作品だった。[インターネット(字幕)] 9点(2025-03-05 01:28:37)《改行有》 6. ドント・ウォーリー・ダーリン 《ネタバレ》 ~美しくも不穏な世界観が魅力の、少し惜しいSFミステリー~ 総合評価:4 +1(俺はこういう設定は好きなので+1) 1950年代を舞台にした美しい街「ヴィクトリー」。 ヴィンテージ感溢れる美術的なミステリー仕上げは見ごたえ抜群。 特に主演のフローレンス・ピューの演技が非常に魅力的で、映画の緊張感を高める。 ただ、 終盤の謎解きが駆け足気味で設定の背景整備に雑な部分があり気になってくるかも。 パラレルワールド的展開に興味があり、映像美を楽しみたい方にはおすすめ。 一方で、ストーリーに辻褄を求める方にはやや不満が残るかも。 ― ここから先はネタバレを含みます ― 実はこの世界が男性優位の思想を具現化した仮想空間(VR)だと明かされる展開は衝撃的で、 1950年代風の世界観が逆説的に 不気味なディストピアとして明確になっていく美的センスがいい。 物語の謎解きが一気に終盤で行われキャラクターの行動にも納得できず。 特に、仮想世界を維持するためのご都合な設定に気が向いてしまう。 現実世界で稼ぎの良いはずの嫁が動けてないのにどうやって生活してんだ。 など気になって頭から離れなくなる。 キャラクターの動機付けももう少し納得ゆくように描かれていたら、 より完成度が上がったのにね。 しかし、ジェンダー批評の視点で見ると非常に興味深い作品であり、 『マトリックス』や『ステップフォード・ワイフ』と比較すると、 より社会批判的なテーマに重きを置いて、逆説的恐怖でそれを感覚化したのは高評価。 総じて、多少の粗さはあるものの、 テーマ性と映像美は秀逸で、そこに価値あると感じるかどうかで評価が決まるけど、 やっぱりもうちょっと煮詰めるって難しいのですね。 もったいないなぁ。[インターネット(吹替)] 5点(2025-03-04 02:25:18)(良:1票)
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