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タイトル名 |
グレンとグレンダ |
レビュワー |
ぐるぐるさん |
点数 |
6点 |
投稿日時 |
2005-04-26 18:10:43 |
変更日時 |
2005-04-26 18:30:53 |
レビュー内容 |
突然ですがカミングアウト。ワタクシ、学生だった二十歳の頃、二度ほど女装した事があります。因みに“密室で楽しんだ”訳ではなく、一回目はとあるイベント事のため、二回目はクリスマスに開かれた仮装パーティのため。下着は普段のだったけど(最初女友達のブラを借りて着けようとしたんだけど、体格が違いすぎて着られなかったのでコンビニで買ったゴムボールを装着)、お化粧とマニキュアはやってもらいました。別にまたやりたいとは思わないけど、あれはあれで興味深い体験だったと思います(ストッキングって意外とあったかい、とかね)。つーかさ、女の人が男のカッコすると「男装の麗人」とかゆわれるのに、逆だとトーサクとかヘンタイとかゆわれてしまうっていうのは間違ってるよ・・・と、書いてる最中から読んでる人がひく気配を感じてきたので、閑話休題。ほとんどの人と同じく、僕もバートンの「エド・ウッド」を観てからエド・ウッド作品に触れたので、贔屓して観てしまっているかもしれないけれど、これ、そんな酷い作品かなあ?これは言うなればとっても生真面目な「啓蒙映画」だと思う。はっきり言ってストーリーはあってないようなもので「女装は悪くない!差別したり“病気”のレッテルを貼ってはいけない!」というメッセージを、ただひたすら繰り返してる、だけ、なのだが、その語り口が愚直なまでに真摯で、ちょっと引き込まれてしまう。そもそもハリウッドの功績の一つに「他者を発見し、理解する(つまり、世の中自分と違う人たちもいっぱいあるけど、仲良くしようよ、と訴えかけるってこと)」というのがあった(余談だけどハリウッドに左翼が多かったのは、共産主義がどうこうというより、「他人の痛みを理解しよう」という感覚が当時の映画人にあったからだと思う)。そういう意味ではこの作品はとっても「正統派」だ。確かに後半の心象風景(?)のシーンは訳分かんないけど、キューブリックとかだってそうじゃん。もしエド・ウッドにもうちょっとの才能とお金と理解者がいれば、ラス・メイヤーやジョン・ウォーターズや鈴木清順(!)のような「鬼才」になり得たかもしれない、と思うけどなあ。あ、それにきっと「ロッキー・ホラー・ショウ」には少なくない影響を与えていると思う、この作品。 |
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