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タイトル名 |
怪談(1964) |
レビュワー |
あろえりーなさん |
点数 |
7点 |
投稿日時 |
2008-08-13 00:58:53 |
変更日時 |
2008-08-13 01:30:42 |
レビュー内容 |
美術やセットなどが特筆される本作ですが、私はやっぱり音楽に注目したい。この作品、言わずと知れた世界の武満徹が音楽を担当しているわけですが、聞いてお分かりの通り、一般的なホラー映画のサウンドトラックとは一線を画している。つまりは通常のオーケストレーション、楽音ではないサウンドなわけですが、劇中の世界での音と、付随音楽とが分離不可分になっている。つまりは音楽でありながら効果音、効果音でありながら音楽、音響的音楽、音楽的音響とでもいうようなサウンドになっている(特に一話目の「黒髪」がそうです)。こういった音作りは、まさに、日本でのミュージック・コンクレートの先駆者の一人であった武満氏ならではの独創性であり、また和楽器の使い方に長けていた彼だからこそなし得る仕事だろうと思うんです。この作品を観ていて、改めて日本の伝統音楽というものの奥深さを感じざるをえないのです。よく「和音が西洋で、音色が東洋で、リズムがアフリカ」だなんて言われますけど、実験音楽が語られる以前から、すでに日本の伝統音楽というのは、ある種の「環境音楽」的な要素を持ち合わせていたのです。それはおそらく、自然と人間を分離する西洋と違い、自然と人間を一体と考える東洋独自の思想が影響しているのかもしれません。そのような伝統音楽が持つ固有のファクターを上手に活かしながら、なおかつ武満氏の実験精神が働いているのも見逃してはなりません。それはつまり、伝統楽器の音色が持つ固有の文化性や伝統性というものを洗い流し、純粋な「音」だけの世界にしようとする試みが行われているのです。それによって、全く新しいランドスケープを作り上げようという意欲を強く感じます。昨今、ジャパニーズ・ホラーなどと言われて日本の恐怖映画が世界に羽ばたいておりますけど、なぜ日本のホラー映画が世界に注目される様になったのかと言えば、それはやはりこの作品にあるような、西洋にはない日本独自の精神性及び蓄積というものがあったからだと思うんです。ちょっとオーバーかも知れませんが、私はこの作品を観ていて、独創性におけるジャパニーズ・ホラーと武満徹のこの数十年のタイムスケール、日本の伝統音楽と思想という数百年のスケール、環境音及び人間が持つ本能的恐怖感覚の構成という数万年のタイムスケール、それら点が線となって繋がる様を垣間みた様な気がして、なんだか考え深いものがありました。 |
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