|
タイトル名 |
桜桃の味 |
レビュワー |
鱗歌さん |
点数 |
9点 |
投稿日時 |
2010-08-23 22:35:26 |
変更日時 |
2010-08-23 22:35:26 |
レビュー内容 |
クルマを運転しつづけるオッチャン。オッチャンは死ぬことを、自殺することを、考えている。で、出会う人に自殺の手助けを頼む。しかしオッチャン、一人で勝手に死ねばいいでしょう、一人で死ぬ方法なんていくらでもあるでしょう。見知らぬ人から自殺幇助を頼まれて簡単に引き受ける人なんて、そうそういないでしょう。と言う訳で、なかなか「自殺」の手助けを引き受けてくれる人には巡り合わない。オッチャンは何故死のうとしているのか、それはわからない、ただ、生への別れを告げるにあたって、誰か見知らぬ人に自殺幇助を頼む、それが、オッチャンの生に対する最後の繋がりであって、見知らぬ人との会話を通じ、その見知らぬ名もなき人たちの人生が浮かび上がる。会話は淡々と続き、車窓には荒涼とした風景が淡々と流れ、クルマは淡々と荒れ地を走り続ける。そしてついに、オッチャンは、協力者を得て、命を絶つ・・・絶った、らしい。この映画のラストは、どう解釈すればよいのか。荒涼としていた風景には緑が芽生え、撮影隊が映画の撮影を行っており、あのオッチャンもそこにいる。あくまでこれは映画なんです、という“メタ”なのか。あるいはこのシーンは、オッチャンが生き返って、心機一転、映画俳優としてデビューしたという後日談なのか(そんなアホな)。監督の意図ははっきりとはわからないし、このラストだけが本作の真価でもないはず。ただ、このラストが何となく「面白い」と感じたのは、映画本編が「自殺の手助けを見知らぬ人に頼むがなかなか引き受けてもらえない」という孤独な物語であったのに対し、このラストのオマケは「こういう孤独な内容の映画でも、こうやって大勢のエキストラを動員し、大勢の協力があって作られてるんですよ」と言っているようで、その対比が印象的だったから・・・。 |
|
鱗歌 さんの 最近のクチコミ・感想
桜桃の味のレビュー一覧を見る
|