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タイトル名 |
劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン |
レビュワー |
鱗歌さん |
点数 |
6点 |
投稿日時 |
2024-06-22 09:24:34 |
変更日時 |
2024-06-22 09:27:04 |
レビュー内容 |
出来事よりも風物を主体に描こうとする、静かさみたいなものがあって、それをアニメでやろうというのが、なかなか大胆。で、それは一定の成功を収めているとは思うのですが、しかし。 全般的には、違和感が。正直言うと心のどこかに「京アニのことはあまり悪く言いたくない」というバイアスがあるのですが、それでも違和感が拭えません。 いかにも美少女キャラな主人公、戦争で両手を失い義手になっている、逆に言えば、それを除くと表面的には、顔を含め他には何もダメージを受けていないように見える。いや勿論、それ自体が問題という訳ではないのだけれど、過去の悲惨さが義手という「符号」に置き換えられて、美少女キャラの単なる添え物みたいになってしまうと、どうもピンと来ません。義手ゆえの苦労なり不便さなり、といったものも見受けられず。また、心にも傷を負っているのであろう、とは想像しつつも、このヒト単に無口なだけなんじゃないの、とも。「過去」が重要なはずなのに、どうも「現在」の中に「過去」へと思いを至らせるものがあまり無く。 当然ながら、主人公が元上官に対し、どういう気持ちを持っているか、映画から「知る」ことはできても、その気持ちをなぜ持っているかを含め、映画から「感じる」ことができない。 これってもしかして、テレビアニメ版も見てたら印象が変わったりするの? もしかして、見てない私が悪かったりするの? 終盤、主人公は元上官との再会かなわず、船で島を去ることになるけれど、彼女を求めて港に現れた上官の姿を目にして、船から海へと飛び込む。この場面、船の欄干に向かって画面手前を横切る姿として描かれるのは上手いと思うんですが、いざ海に飛び込んだら、「義手なのに大丈夫なのか」とヒヤリとするところじゃないですか。また、それを乗り切るのが再開への通過儀礼でもあるはず。しかるに、気が付いたらアッという間に浅瀬に辿り着いてるだなんて、肩透かしもいいところじゃないですか。 海の真ん中で直立するのは、ゴジラだけで充分。 で、まあ、ハッピーエンドっぽく終わるんですけど、一応この作品、これら登場人物がもう存命ではないであろう、さらに未来を視点にして、過去の出来事を追いかける構成になっていますが、この構成を取っている時点で、主人公は孤独に代筆業を続けて生涯を終えたんだろう、ということの暗示だと思ってたんですけどね。まさかのハッピーエンド。いやほんと、まさかと思いました。 あと、主人公が名前を「ちゃん」付けで呼ばれる、という感覚もよくわからん。何のためにそんな国籍不明感を出すのか? |
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