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タイトル名 |
リリイ・シュシュのすべて |
レビュワー |
ポール婆宝勉(わいけー)さん |
点数 |
8点 |
投稿日時 |
2007-08-07 17:26:51 |
変更日時 |
2007-08-07 17:33:18 |
レビュー内容 |
●本作を見て「ただ不快なだけ」とか「全然リアルじゃない」という感想を抱いた方は、幸せな学生時代を送ったのだな、と思う。確かに本作のイジメの描写は、多少やり過ぎの感はあったにせよ、あのイジメが行われている時の空気感はうまく出せていたと思う。あの、早く抜け出したいのに抜け出せない、逃げ出したいのにいつまで経っても逃げ出せない、あの不安と絶望。聞こえてくる嘲笑。とてつもない屈辱。小学5年まで、ずっとイジメに遭ってきた自分は、それらは比較的リアルに再現されているなと感じた。●劇中で、イジメの描写以上にリアルだなと思ったのが、イジメに対する担任の対応。「犬伏君はもう学校には来たくないそうです。これはクラス全員の責任ですよ。今からクラス全員で話し合って下さい。」ハァ?ですよ。こんなもの時間の無駄。追いつめられた人間が登校拒否や自殺、あるいは麻薬にはまったりするのは、心に自分一人では抱えきれない、どうする事も出来ない重みがあるからだ。それを「クラスで話し合って解決しろ」だと?その重みをたかが話し合いで軽く出来るとでも思ってんのか?それでアレか、クラスで話し合って、ごめんなさい、ハイいいですよ、よし解決って寸法か?担任の教師たるものが彼らの重みと対峙させる手伝いを彼らにしてやらなくてどうする。適当に言っときゃ何とかなるだろ、これで私の仕事は終わりでっせ、てな根性がミエミエ。教師ってのは公務員である前に「『人』を扱う仕事」なんだぞ?キレてんじゃないか?●ラストシーン、音楽室で蓮見が久野と二人きりになるシーンに、絶望の中にかすかな希望を見たような気がする。劇中で、唯一リリィを聴いていない、すなわち現実逃避をしていない登場人物が久野である。彼女は辛い現実と対峙するだけの強さを持っている。決して逃げたりしない。蓮見が彼女と同じ部屋で二人きりになる事は、蓮見が彼女と同化すること。つまり同じくらいの強さを身につけたという事だ。彼もいずれリリィから卒業していくだろう。●この点数でいいのかどうか、現時点では分からない。本作はラース・フォン・トリアーやタランティーノの映画に見られるような、余韻にジワジワと脳が少しずつ侵食されていく映画。そうして少しずつ魅力が分かってきて、自分の中で高いポジションを持つようになってくる。上品な言い方をするなら、これから熟成させて作り上げていく、ワインのような映画かな。 |
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